思い返すと、あの日ベアトリーチェが後任の先生として就任してから色々とあった。
カヤと手を取り合い、FOX小隊の皆と理解し合って、リオと分け合って、花鳥風月部と利用し合って。
このような追放劇がなければ、絆を結ぶこともなかったのかもしれない生徒達。
それは、流星のような日々と、称せられるだろう。
嗤う、夢想。不動の、決意。ただひたすらに、前だけを見て選び取ってきた。
ユキノが立ち去り、皆の元へと戻った後。先生は屋上から立ち去らずに一人、ぼんやりとその場に立っていた。
見上げれば、星があった。いつだったか、手を伸ばして掴もうとした――嘗ての残骸。
無数に輝く白点と黒の海が変わらず、其処にある。
「今日はこんなにもいい夜だ。君が此処にいなければ」
「悲しいですねぇ、私はこんなにも貴方に対して好感を抱いているというのに。
それにしても、お元気そうで何よりです。まだ人間らしい情動が残っていたなんて信じられません。
とっくに廃人になって生徒達を導く機構になっていたかと」
その無貌に浮かぶのは称賛か、それとも、嘲りか。
品よく着こなされた黒スーツ、紡ぐ声は相変わらず慇懃無礼。
ゲマトリアの一人。通称、『黒服』は音もなく先生の背後から現れた。
「意外だね。君が私のことを気にかけているなんて」
「気にかけている、だなんて。そんな枠組みじゃあ収まりませんよ。ある種、貴方は私の存在証明。
飽くなき探求を常に提供してくれる仲間なのですから。それに、友人を支援するのは当然では?」
「長々と御高説ありがとう。人面獣心の人でなしがよくほざく」
「口が悪いですねぇ。そんな生徒の前では到底紡げない乱暴さ――偏に私が特別と認識してもよろしいでしょうか?
「はぁ?」
「まったく、親愛なる友からそのような表情と言葉を投げられるなんて、悲しい限りです。
これでも、貴方の助けになるべく、裏で駆けずり回って、味方をご提供してきたんですから」
「その点については感謝してるけど。世界の底が抜けようとしてるのに、自身の探究心優先ってのはね」
所詮は、探求と観察故に。
プリミティブな願いでしか動かない彼を制御しようとは思わない。
精々、敵の敵といった形で利用するのが関の山だ。
「流石、大人。子供のお手本を気取りますか。ぞんざいに扱われ、世界から排斥されても貫くとは」
「茶化さないでくれる? その光る目はどうやら節穴らしいね、取り替えた方がいいんじゃない? まあ、今回は恩があるからスルーしてあげるけどさ」
「それなら、私は貴方の眼をこの身に埋め込みたい。先生の慧眼と比べると、この双眸など無きに等しいですよ。
私にできるのは、こうして言葉を届けるだけ。激動の日々を過ごしてきた先生へと、畏敬の念が抑えきれず、つい口に出したくなりましてね。
それでは、今の感想をお聞きしてもよろしいですか?」
「拳で返していい?」
「痛いのでやめて下さい。こんな形ですが、殴られると普通に辛いんですよ?」
振り返って、思うのは、ベアトリーチェがシャーレを掌握した日。
初めは二人きりだった。先生とカヤ。打算と利己でしかない間柄が、この革命の始まりだった。
そこから、仲間は増えていって。嘗て敵対した者、これから敵対するだろう者。
ベアトリーチェを倒した後、到底手を繋いではいられない間柄が、今は肩を並べて戦おうとしている。
文字通り、自分達はベアトリーチェ――――《キヴォトス》世界の敵だ。
「調月リオ。花鳥風月部。君が提示した人員は確かに私の味方になった。
彼女達は他者を介在することなく、確固たる己を持った強い生徒達だ。それだけに、味方につくかつかないか未知数だった」
「ええ。故に推薦いたしました」
「君の大好きな探求と観察を兼ねた手段。それらを一気に達成できるお誂え向きのシナリオだろ?」
此処までの筋書きは概ね予定通り。脚本を黒服が仕立て上げ、監督としてプロデュースを行った先生。
共に、物語をクライマックスへと押し進め、この場にて再確認を行っている。
「貴方ならやり遂げると信じていました。調月リオは正義を貴方と協調し、花鳥風月部は趣を貴方の中に見出した」
「リオはともかく、コクリコ達は常に背中から撃たれる可能性を考慮しないといけないけどね」
「クックックッ、それでも貴方は手札に引き入れたじゃないですか。見ないふりだってできましたのに」
こんな言葉を交わさずとも、わかりきった過程だ。
情動も理もぐちゃぐちゃにかき混ぜられながら、盤面だけは変わらず在り続ける。
重ねて、提示する。総ては予想をなぞって、順調に進行中なのだ。
「戦力は必要だった。それに、彼女達も私の生徒だ」
「重畳。本来であれば、紡ぐ必要性がない絆も大切に抱え込むとは」
「必要かどうかは私と生徒が決める。そうして、決めた以上、軽んじて、目を逸らす理由はない」
「ああ、そうでしたね。貴方はそういう人だ。だから、面白い……!
不知火カヤと先生が手を組む、FOX小隊が貴方に心酔する。
こんな奇跡が立て続けに連鎖するなんて、他の世界ではありえないでしょう」
「二度も言わせるな。軽んじて、目を逸らす理由はない、と。言ったはずだ」
生徒達の前では見せない、荒い口調。
眉を顰め、口元を歪ませた粗悪な態度など、遠慮をしなくてもいい相手にしかしない。
「きっかけが例え、奇跡的……《反転》から得られた例外だとしても、変わらないよ。
カヤとFOX小隊の皆は元々、私のことが嫌いであった。だから、協力体制もあっさり作られたし、相互理解への取っ掛かりも用意されていた」
「おや、気づいていたので?」
「まあ、そうなるでしょ。《反転》が効かないなんて。そんな特異的要素を彼女達が持っているとは思えないし。
だったら、彼女達にも《反転》は効いている。薄っすら嫌いだから、効果は如何程にって感じが一番妥当な推論じゃない?
嫌悪感がないスタートになっただけで、大分有り難いってなるけどさ」
「打算に濡れた生徒と大人への嫌悪が渦巻く生徒達。
貴方の仰る通り、きっかけは偶然です。ですが、その先へと絆を至らせたのは貴方の手腕です」
「君に褒められても、全く嬉しくないんだけど」
漸く、先生は背後の声主へと振り返る。顔も見たくないが、どうにも彼は二言三言の会話では、立ち去ってくれないようで。
まるでパーティに参加するかのように。礼服はしっかりと整えられ、三日月に光る口元は仄かに輝いている。
黒服は普段通り。恭しい態度を崩さず、此方へと語りかけてくる。
「それで、本当に何の用? そんな今更の説明の為に来た訳じゃないでしょ。
裏で色々と動いてたみたいだけど、結果報告?」
「それもありますが、決戦が近いので激励に。悪いですか?」
「悪いよ。私を煽ってる暇があったら、身内の始末に動いたら?」
「少しでも戦力を拡充するべく、日夜駆けずり回っていますよ。
ただ、それとは別に、アレはもうとっくにイかれているのです。
貴方が苦しむことしか視えていない、嘗てアリウスを統治した聡明さは見る影もない」
「目先しか視えていない怪物、か。逆に手を出したら予測がつかなくなるってこと?」
「はい。変に刺激して拗らせてしまったら、もっと厄介になるじゃないですか」
「知らないよ、そんなこと……というか、もう十分に拗らせてるでしょ……」
ゲロを吐く身振りで黒服へと不快を返すが、黒服の声色に乗る愉しげな色は変わらず。
きっと、黒服の言葉に嘘はない。彼が先生の為に動いているというのも本当だし、実際問題、リオ達の仲介もしてくれた。
切り札を数枚懐へと入れる手筈を整えてくれた恩人とも呼べるのに、やっぱり気に入らない。
「あんなのまだ、癇癪ですよ。ああいう類は執着して視野が狭くなっている時が叩くチャンスです。
故にこそ、貴方は電撃戦を挑むのでしょう。もっと世界を廻って戦力を拡充するよりも、ベアトリーチェがまだ――情動で動いている間に。
《反転》という悪役側の御都合主義がまだ予測できる内に」
「気持ち悪いくらいに詳しいね……」
「親愛なる貴方の事ですから」
「今、味方についている子達が追加で《反転》を食らったら終わりだからね。長々と戦線を拡大して、膠着状態を作っても、ジリ貧だ」
この通り、ろくでもないやり取りが好きな上位存在――高みから見下ろしている異物。
言うなれば、先生へと味方しているのも、神の気まぐれか。
いや、元々ベアトリーチェとは間柄が険悪そうではあったから、単なる仲間割れか。
情動に重みを置いているベアトリーチェと理性に重みを置いている黒服。同じゲマトリアという上位存在であるが、合致するはずがない。
「となれば、最終決戦はもう直に。クックックッ、つまりですよ? これが最後の会話になるかもしれない。
そう思うと、貴方ともっと語らい合わなければいけませんね」
「死ぬつもり? ベアトリーチェと相打ち希望なんて君らしくないね」
「その腹つもりは貴方の方でしょう? 私には露払いをさせるだけ。彼女との決着は自分でつけようとしている癖に。
全く、生徒達にそんな決意を知らせない――嘘つきなお方ですね」
身内の不始末は自身の生命で雪ぐ。そんな殊勝な覚悟はないけれど。
黒服も、先生も。ゲマトリアと人間という枠組みの違いを踏み越えて、ベアトリーチェが気に入らないという思いは通じ合っている。
なればこそ、このような逼迫した状況において、二人は手を取り合うことはしないが、利用し合うことはできる。
「当然、貴方という観察対象を絶やさぬ為にも、私も前線にて死力を尽くしますが。
けれど、此処で死ぬつもりはありませんよ。
この世界にはまだまだ見届けなくてはいけないもの、探求を深めなくてはならないものが無数にありますので」
「私だって――」
「私だって、とは。その言葉の続きは何処にも続いていないというのに。
他の誰よりも、何よりも。貴方は終りを迎えたがっている。
ああ、迂遠な長話はいけませんね。私にも、貴方にも、余裕はもう残っていない」
声色が変わる。それまで混じっていたふわふわとした愉悦が一瞬で硬質化する。
此処には生徒達はいない。気を使う必要も、取り繕う相手も存在しない。
ここからは鎬を削る大人の話だ。
――じゃあ、詳らかに貴方が秘匿しているモノを暴き立ててもよいでしょう?
「直球で問いましょう。貴方は世界と人――どこまで“背負う”算段ですか」
背負うとは。その言葉の裏にあるのは犠牲――世界の礎になることか。
彼が背負うであろう内実を、黒服は問いかけた。
思案は沈黙となって現れた。それまで浮かべていた感情が先生の表情から消える。
これまで一度も見せたことのない、無表情。
人間のふりをしていた化け物が正体を表すかのように。 一瞬で生徒達がイメージするであろう『先生』がこの場で瓦解する。
「ベアトリーチェの討伐。《反転》の解除。生徒達にとってはそれで解決です。
《反転》の日々は悪い夢だった。いや、記憶に残らない可能性が高いですかね。
起こった事後処理も全部うまいこと貴方が誤魔化すのでしょう。
成程、生徒達は魔女が見せた幻惑に惑わされていた。故に、何も悔いる必要はない。
青春はこれからも続いていくという結末を、貴方は望む」
それは世界と生徒達『だけ』がハッピーエンド。
ベアトリーチェを倒しさえしたら、キヴォトスと大多数の生徒は救われる。
歪んだ青春は正され、元通りの世界へと収束されるだろう。
「ああ、ですが。貴方に限ってはもう諦めている。幸せを損切りして、考えることをやめてしまいましたね」
「……私は先生で、大人だ。生徒達の幸福を優先する」
「もうそんな枠組みはとっくに過ぎ去っていますよ。貴方は――《最果て》に手が届きかけているのですから」
「ははっ。ふざけた推論だ。嘘もそこまで突き詰めると、真実に聞こえてしまうな」
「嘘から出た真という言葉をご存知で? 《先生》を貴方が気取る以上、この物語の行く末は全部決まり切っている。
ああ、でも行く末のその先は保証していない。自分の幸せを考えることに、貴方は疲れている。
滞留して、湧き出た貴方の澱みが消えるとは限らない。一度壊された関係は元には戻らない。一度抱いた感情は簡単には消えない」
一つ、言葉を付け加えると。彼が堪えたら――救われる。
苛む悪夢は、芯まで到達しているにも関わらず歩き続けられる理由は?
誰が何を言わずとも、彼がその結実を認めずとも。
《救世主》。全部背負って、赦して、今生という果てがなくなるまで定まったままだ。
「その末路に至るまで。自分はできると理解っているから。
役割と責任に磔になってしまったとて、最期まで己を使い切る。
流石、先生。とことん、貴方は己を顧みないんですね」
《救世主》に成り果てた未来など、決まっている。
救い切って、生き長らえる。只人という枠組みを踏み越えて、一切合切、何もかも。
誰かを救けるのが、罰を背負うのが、罪を赦すのが、うまかった。
全部、それらを秘匿していただけで、只人としてはとっくに壊れていた。
「さて。早く、私の言葉を呑み込んでください。未だ忠告はあります」
「……まるで、先生みたいだね。どういう風の吹き回し?」
「腹立たしく、憎いから。『結末の後の展開』が、私にとって気に入らないからですよ。
物語の結末までは、貴方と概ね一緒です。錯綜も収束も全部綺麗に片付けられる。
ですが、そのハッピーエンドの続きは許容できない」
隠すのがうまいだけ。その言葉を読み解くと、先生も人並に傷つくということだ。
人の優しさが怖い。いつか、反転して憎悪と妬み、嘲りを向けられる。
それが真実でなくとも、蓄積はうず高く積み上がる。
手作りが怖い。食事をして何か混ぜられていたらと疑ってしまう。
未来を信じれないことが怖い。諦めてしまうかもしれない、可能性が怖い。
「わかりきった、何の不確定もない事象を提示されて! 観察と探求を司る私が満足するとでも!?
深掘りするまでもない、絶対に壊れてしまうことが理解できているのに!?」
そんな人間が、背負った結果など、奇跡など。
キヴォトスの先生が最期に残すものが、諦観で終わってしまうなど――!
「キヴォトスは生徒と共に貴方が救いました。
生徒達は貴方が、もしくは自分自身で救いを見出しました。
では、貴方を救うのは? 答えて下さい、誰でもいいです、一人だけでも良いです。
簡単な質問でしょう? だってそれは、貴方が生徒達に問い続けたことでしょう?」
ベアトリーチェがシャーレを掌握する前から、とっくに手遅れだったのかもしれない。
《反転》による動乱が起こらなくても、いつかは侵されてしまうだろう続きだった。
「誰が貴方を救う? 誰が貴方を赦す? 誰が貴方を背負う?」
「…………」
度重なる冷淡な態度に傷つけない程、感情が不感症な訳ではない。
自分がいた居場所を我が物顔で振りかざされ、摩耗しないわけがない。
「物語が終わっても、世界は続くんですよ!?」
答えられない。黒服が挙げた《誰か》は、キヴォトスには存在しない。
同じ大人ならまだしも、今挙げられたは生徒に縋って、受け取るものではないからだ。
大人と子供。先生と生徒。立場を弁え、線引を譲らない。
それを誤ってしまえば、生徒達を苦しめてしまうことになる。
誰も得をしない、バッドエンドを迎えてしまう。
「貴方は最初から物語の続きを求めてない。見返りなしの善意、大人のカッコつけ。
その結果、一人で潰れそうになってるのなら、意味はないでしょうに」
きっと、子供達では救い足りないのだ。
救われる立場、護られるべき子供達。穢されぬように、許されるように。
庇護しなければならない、と。救わなければならない、と。
重ねて、彼女達との線引をしっかりしているが故に、彼女達へと寄りかかることを許せない。
戦力として頼るのは致し方ないとはいえ、心理的な面でも頼ってしまえば、それこそ際限がなくなってしまう。
「……………………それでも、私はこの道を選ぶ」
視座を高くしろ、頭を空回せ。この身体は世界と生徒の為に。
ただそれだけを考え、役割に殉死しろ。
先生なら、できるだろ? 大人なら演じ切れるだろ? ■■なら、想い切れるだろ?
「物語が終わるとしても、世界が行き止まりにぶち当たったとしても。
私は生徒達を救い、導く《標》だ。安易に救われて、赦されるなんて。
そんな答えは望めないし、選べない」
その根幹は、その歩みは。あの箱舟での一件で先鋭化してしまった。
彼には託された願い《呪い》があったから。
此処ではない、別の世界のサイハテ。
世界の底が抜け、崩壊しても尚、先生の矜持を貫いた大人の姿を見せられたから。
最期まで走り抜いた己から放たれた言葉を聞いて、足を止めることなど、できやしなかった。
己への裏切りを許容できる程、この決意は軽くはない。
「…………………………………………その言葉を聞いて、今の貴方の表情を見て。
改めて、確信しましたよ。本当はしたく、なかったんですけどね。
過程は違えども、傍にいる生徒達が誰であっても。先生……きっと、貴方が行き着く先は同じです」
未来なんて知るべきではなかった。宿命は絶対に避けられない。
だって、そうだろう? お前の至る末路は必ず其処になる。
どれだけ足掻こうとも、背負い続ける限り、至る果ては《プレナパテス》だ。
「その願いを貫く限り、貴方は《プレナパテス》になりますよ。いつか、必ず」
その言葉の意味がわからぬ程、愚鈍ではない。
黒服はこう言ってるのだ。そうなりたくなければ“棄てろ”と。
託された願いと背負った責任。肩代わりした重さに耐えきれず、自壊してしまう前に。
「わかっている。けれど、私が背負わなくて誰が背負うんだ」
「生徒達が背負えばいいでしょう。貴方一人が全て抱え込まなくてはならない。
そんな理屈、ありませんけど?」
「背負わせられるものか。こんなに重くて、辛いモノを彼女達に任せるのは、矜持が赦さない!」
先生でさえその思いに潰され、懊悩するものを、生徒に任せるなどできやしない。
彼の中に渦巻くモノは、与えてしまっていい軽度の苦難、懊悩とは一線を画している。
それは大人として、先生として、到底認められない。
「“重い荷物は大人の私が背負うことが一番理に適っている“」
「確かに理には適っていますが、それを見た生徒達は一緒に運ぼうと言ってくるのではありませんか」
「私個人の荷物を預ける訳にはいかないよ。責任の放棄に繋がる行為を、私が選ぶ訳にはいかない」
「放棄せずとも、分担でいいじゃないですか。信頼しているのでしょう、生徒達を。
その程度の重みに耐えられぬのなら、消えてしまえばいい」
だめだ。けれど、そうだ、と。先生の口から相反した言葉が続けて発せられる。
生徒も世界も棄てられない。誰かが担うしかない責務の座。
シャーレの頂点、キヴォトスを救うモノ。生徒達を導くモノ。
信じて、救って、描いて。その果てに透き通った青の空があると手を伸ばした。
己の総てを懸けて成し遂げる存在証明はなんだ?
キヴォトスに降り立つ前、最初に抱いた至上命題は何だ?
――――――――――――それでも?
“君が、私を正しいと言ってくれたから”
もう思い出の中にしかいない誰か。連邦生徒会長。名前を知らない――そして、今は何処にもいない、誰か。
何処かの世界、嘗て何かが欠けていたキヴォトスで奔走した彼女。一人で総てを救おうと《救世主》を担ったであろう少女。
世界と人間の総てを背負った生徒の末路を知っているはずだ。
――――――――――――それでも。
“君が、私にお願いしますと頭を下げたから”
黒服の言う通り、彼女は消えた。キヴォトスからいなくなり、礎と成り果てた。
例え青の彼方に消えてしまっても。彼女の在り方は、魂に刻み込まれているだろう?
あの時彼女は何を喪った?
分け合うなど、背負わせるなど、それを刻まれていて、許容できる訳ないだろう。
破綻し、破滅した末路をもう一度生徒に背負わせることを、自分だけは絶対に認めない。
――――――――――――それでも。
“君が、間違えてしまったと辛い顔をしていたから!”
お前は誰に何を託された? 今でも想起せぬ、されど、消えることはないだろう願い事。
少女が囁いた懇願を、お前は護ると誓ったはずだ。
朧げな記憶の中にいる■■■が、純白の服を血に濡らした■■■が、最期に儚く笑って、いなくなった■■■が。
もう泣かない世界を、他の生徒達と共に青春を送れる世界を。
いつか、もう一度。君がこのキヴォトスで笑えますように。
――――――――――――それでも!
“君が、助けて下さいと泣いていたから!”
滅びが約束された世界。何度も選択を間違えて、潰れてしまった生徒。
そんな子に、泣きそうな声で貴方が正しい、と。間違ってしまった、と。助けて下さい、と。
お願いされたのだ。ならば、先生は何度でも、どれだけ破滅を迎えようとも。
愚直に、揺らがずに。『先生』は世界と人々を救わないといけない。
「私は“■■■”を救うと決めた」
ならば、仕方がない。悔いて摩耗した生徒の涙を拭うのは、先生の役目だ。
たった一人の少女《礎》は、先生にとって世界の幕を下ろさせない陳腐な理由になってしまったのだから。
「■■■が罪《世界》を背負わずに済むのなら、それでいい。私は何度繰り返しても、この道を最期まで進む」
結ばれた始発点と終着点。確定された運命を覆すには、多重の奇跡を必要とする。
その代価が己であっても。もう二度と、幸せを幸せと感じれなくなったとしても。
これ以上、少女が傷つくことがない世界を、自分が切り拓く。
そうだ、始まりは最初から決まっていた。この世界に招かれる時から、とっくに覚悟はできていた。
「これが答えだ、黒服。生徒達に重責は背負わせない。そんなモノは選ばせないし、赦さない」
「…………生徒達がそれを望んでも、ですか?」
誰かが損をしなくてはいけなかった。誰かが救えぬ苦しみに懊悩を抱かなければならなかった。
そんな世界を、終わりにする。傷つき、恨まれ、赦されぬモノは自分で終わりにする。
生命なんて、自身の幸せなんて。“行方不明になった彼女”を繰り返さずに住むのなら、安いものだ。
「その筋書きだけはなぞらせないよ。未来が広がっていたとしても、愛と希望が満ちているとしても。
身勝手と蔑まれても、私は最期まで進むよ」
「成る程。ですが、私も強情でしてね。その上で、言いますが」
《プレナパテス》が見せた地獄を忘れない。《プレナパテス》が懇願した祈りを無くさない。
《プレナパテス》が重ねた後悔を想い、認めよう。それらは自分が引き継ぎ、束ねることを。
総てを背負い、総てを喪うであろう一人の人間。例え、そう成り果てても、進む。
いつか至る滅び《運命》を覆せ。忘れても、忘れ得ぬ、地獄を経て、此処にいる。
「私が先生の責務を果たす為にも――」
「貴方が大人として責任を果たす為にも――」
自分だけ逃げる《幸せになる》つもりか、『先生』。
「――過去も、現在も、未来もくれてやる」
「――幸せになろうとすることまで、諦めないでください」
そんな権利、とっくに棄てたさ、と。世界も生徒も、背負って、死んでやる決意はできている。
「将来、大人になった時の幸せを見せるのも教育――先生の役目ではないんですか」
黒服の言葉に対して、素直に頷けたら、きっと報われたのだろう。
そして、そんな言葉すら受け止められなくなってしまった自分が、少し嫌になった。
バレている。彼はきっと、気づいている。それでも、先生は嘘を張り通した。
消した表情を戻し、曖昧に笑って、ひらりと手を振ってその場を去った。
歩く。歩く。歩き続ける。辛気臭い顔をするな、生徒達が見ているかもしれない。
今の自分を見られて、何か言われてしまえば、間違いなく――――。
無様を晒し、無意味を強いた。この貸しはいつか返さなくてはならない。
ぼんやりと見上げた空には星が散らばっていて。
子供達の理想郷が、大人達の理想郷とは限らない。
この世界に、一人でも良い。《先生》がいてくれたなら、楽な道を選べたはずだ。
そんな無意味な仮定を、一瞬でも浮かべた自分に嫌悪する。
「……どんな形であれ、誰かが背負うしかないんだ」
名前も知らぬ少女。白銀の悲しげに笑う君。
誰でもいい。たった一つ、この願いを乞うことだけは、許してほしい。
もしも、聞き届けてくれるのならば。どうか、お願いします。
私の代わりに、彼女を幸せにして下さい/本当は、こうなる前に、君を救いたかったんだ。
次回
『あまねく絶望の始発点/錯綜する少女達のアーカイブ』