「ようこそ。今度こそ、己の総てを終わらせに来ましたか?」
「終わるのはお前だ、ベアトリーチェ」
「呼び名が違いますよ? 私にはシャーレ及びキヴォトスで通っている名前があるのですが」
「私達の間柄で必要な名前じゃないだろう」
「確かに。二人きりの逢瀬に偽りなど必要ありませんね」
「反吐が出る返しだね」
観客無き、孤独な黄金螺旋階段を登りきった先生の前で、怨敵は静かに待っていた。
喝采も祝福も遥か青空の彼方。此処ではない、何処か。
ただ、登り切った先には二人の大人がいるだけ。言うなれば、此処はまさしく世界の果てである。
エゴイストとプリテンダー。突き詰めた憎悪、演じ続ける偽り。
それらを糧に二人は再度、向かい合う。
「それにしても、白々しい歓迎だね。最初から私がここに来るのは想定済だったんでしょ?
本気で私を殺ろうと思えば、幾らでも手筈はあるんだ、いつまで経っても遊びが抜けないね」
「それはもう。最終的に、貴方を殺せたらそれでいい。けれど、それでは芸が無いでしょう?
なので、貴方が最も苦しむルートを選びましたが、ご満足いただけましたか?」
「本当に、歪んでるね。他の戦いなんて前座でしかない。視座から何まで本当に上位存在って訳?」
「そんな当たり前の質問をしても、私の興味は惹けませんよ。
矮小な貴方達と規格が違うのですから」
外側が変わろうとも、中身はアリウスの地下で相対した時と何一つ変わらない。
ドブ川とも呼べる濁り切った憎悪は、見るに耐えない。
「その上位存在様は私に対しての嫌がらせだけで、世界全部を塗り替えた。偶然の産物である奇跡を掴み取って」
「実際、奇跡が舞い降りたのだから、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。
強く願えば起こり得る、奇跡は貴方の専売特許ではないということです」
「いやに感情的だね…………私が知ってる他の面々はもっと感情が死んでる奴等だったけど」
「上位存在だから感情がないというのも、おかしな話では」
他のゲマトリアと違い、ベアトリーチェは一際に情動的だ。
憎悪。そして、復讐。世界を支配するなんて大望とは程遠い――唯一人へと向けた感情。
「世界も、人も。指先の奇跡で変えれてしまう。とはいえ、全部奪ってしまうと面白みがないでしょう?
全部奪わなかったのも、貴方を追い詰める為。過程は十分に楽しめました」
「違うでしょ。奪わなかったではなくて、奪えなかったの間違いだ。
言い間違いには気をつけないと、上位存在さん?」
「…………痴れ言を!」
だからこそ、その情動で如何様にでも変容する世界と大衆を嘲笑った。
所詮は子供達の幼き青春が蔓延る遊び場だ、
子供が願うままに、子供が最良の結末を迎えられるように。
先生やベアトリーチェと言った外的要因がいなければ、きっと。
そして、彼女は気づかない。
彼女が嘲笑う世界と大衆。そんな存在と自分が、同様に成り果てていることに。
「君は本当に――」
そんな世界で、彼女は眼前の大人と自分の手駒に、完膚なきまでに敗北したのだ。
ベアトリーチェは気づかない。否、気づいてはならない。
超常的な存在が、銃弾一発で死ぬような人間に心乱されるなど。
「まあ、どれだけ語ろうと、終わりは変わらない。正真正銘、これが最期の逢瀬です」
「何度も強調しなくてもいい。吐き気がする。まさか、愛を語らおうなんて冗談、言わないよね?」
「此方から願い下げですよ、そんな戯言」
互いに嫌悪の色を隠さずに。問答はベアトリーチェの口火から始まった。
「貴方はこの世界について、どう思いますか」
「抽象的な質問だね。好きに喋れば?」
「子供達の青春、それに付随した瑞々しい青の箱庭。
とはいえ、私達が知る世界と同じで、争いはあります。身体の造りが違えど、情動は変わりません。
重火器片手に戦い、学び舎の垣根が違うからとお互いを嫌悪し合う」
「人は、情動あってこその生き物だからね。子供なら尚更だ。理性で完全にコントロールできる子なんて僅かだと思うしね。
結局、棄てれるものじゃないなら、受け入れて進むしかない」
「意見の合致ですね。偏見、差別、淘汰。人が人である限り、無くなるはずがありません。
まあ、それは当然のことでしょう。この考えも、貴方と合致するはずですが」
「争いを『先導/扇動』していた張本人が言うと、白々しさが増すなぁ。お前が言うなってツッコミがゲマトリアの皆から飛んできそうだ」
「ふふふっ、そんな無粋な輩は此処まで辿り着けませんわ」
「辿り着けた私が言ってあげようか?」
世界が広かろうが、狭かろうが、変わらない。
何の争いもない、苦しみもない、総てが均一な人間では何も生まれない。
それはきっと、世界が夢見るエデンではないのだから。
理想郷とは。エデンとは。無くしてしまった誰かの努力。誰かの夢見た明日。
きっと、そんな遍く“いつか”が青春という二文字に集約し、実現した世界。
「子供達の瑞々しいモラトリアム《願い》が永遠に許される世界。それがまさしくキヴォトスでは?」
「癪だけど、意見があったな。
そうだ、此処は……キヴォトスは子供達が青春を送れる――エデンとも呼べる理想郷だ。
終わらない青春が続く世界線。其処に大人が介在することはない、
私やお前が穢さなければ、透き通った青のままだった」
「それは過言ですね。私達が穢さなくとも、他の誰かが穢していますよ。
そもそも、私達が辿り着く前から穢れていたのかもしれません。
だって、過程がどうであれ、結果は同一。結局は滅び行く世界なのですよ?」
とはいえ、未来が須らく煌めいているかといえば違うだろう。
苦難と挫折は物語には絶対的に存在する。性別年齢関係なく、試練は必ず訪れる。
それらが起因となり、涙が流れるし、幸せに犠牲はつきものだ。
誰かが笑えば、誰かが泣く。幸福とは、総量が決まっている。
それ故に、分かち合うものであるべきだと、先生は信じている。
「それでも、お前のように己の欲求と利益で総てを塗り潰すのは違うだろう。
其処に、子供達の前途なんて全く考えていない癖に。
穢れているからといって、更に穢すのは教育によくないんだよ」
「あら、言われてしまいました。ですが、幸せに犠牲はつきものでしょうに。先生はご存じかと思いましたが」
「その上で言ってるんだよ」
しかし、彼女は総取りするべく、他が取るべきものも根こそぎ奪っていく。
どこまでいっても、彼女は己を最優先に動くエゴイストであり、総てを欺くプリテンダー。
先生とは過程で同一の考えがあれど、結論が決定的に違う。
「ああ、話が逸れましたね。貴方はこの世界を理想郷と呼びました。
でも、まだ言葉が足りませんよね?」
エデンは既に存在していた。条約など結ばなくとも、キヴォトスがエデンだ。
ただ、生徒達が気づいていないだけで、ずっと其処に在った。
世界そのものが青春を望んでいるとさえ言える。モラトリアムが是とされたこのキヴォトスは楽園である。
「“子供達にとって”という枕詞がつくけどね」
「流石、大人。その先の言葉を続けて下さい。もっとも私が考えている言葉と同一のものでしょうけど」
限定的な楽園。不適格――――本来の住民ではない大人達は保護された幸福から弾き出される。
キヴォトスに住まうモノならともかく、異質の住民であるならば尚更のこと。
ゲマトリア、そして、先生。それらはキヴォトスにとって異物だ。
どこか、諦めるように。先生は乾いた表情で、その言葉の先を告げる。
「キヴォトスは――大人達の“エデン”ではない」
先生は知っている。万人にとってのエデン――理想郷など、存在しない。
「だから、お前は塗り替えた。子供達のエデンを、別物へと塗り潰した。
大人――いいや。ベアトリーチェだけにとってのエデンへと」
それは彼女も同じく知っていて。
だからこそ、彼女はアリウスを作り変えた。世界を反転へと包み、己の欲求が通るだけの楽園に作り変えた。
世界が自分の望む通りに在ってはくれないなら、全部変えてしまえばいい。
何故、自分が妥協して世界へと頭を下げなくてはならない。
その傲慢を突き詰めた独善的エゴイズムで、彼女は言った。
「アリウスの時からお前は……何も変わっちゃいない」
「不変であるからこそ、アリウスの頂にいれたんですよ」
首を垂れて請うのはキヴォトスの方だ。
一度は完膚なきまで敗北したのに、再度立ち上がったバイタリティ。
奇跡を掴んで地獄の底から舞い戻ってきた不屈の心は見習うべきところがある。
「いつだって、願いを叶える過程で、2つの選択肢が生まれます。
世界を変えるか、自分を変えるか」
「お前が変えたのは、世界だったな」
「貴方が変えるのは、自分でしたね」
世界か、自分か。二者択一の問いを投げかけられ、何を選んだのか。
その選択が二人を分かつ決定的な隔たりであった。
「貴方は総てを背負うことを選んだ」
「それが大人の役割だ。お前は総てを背負わせることを選んだな」
「当然じゃないですか。重い荷物を率先して運ぶなど、したくはありません。
それにしても、貴方も度し難いですね。背負って、選んだ果てに何が待っているか知っているのに」
プレナパテスという末路を知りながら、その道を選んだ。
総てを背負い、責任を果たす。
そうして、責任の履行と救済を生徒達に施す道はどこまで続いているのか。
闇の先に光が待っているとは限らないのに。己が救われることがないと理解しているのに。
――それでも、尚。その先へと行くのならば。
「その選択を糧に! 何処までも往くのですか! 只人であるのに!」
「往くよ、最後まで」
「私を殺せない、塵芥がよく言いますね!」
その道を阻む怪物を踏み越える必要がある。
もっとも、人は怪物には勝てない。只人が超人に勝てるはずもなく。
「ですが、その歩みもここまで! これから、その道を私が閉ざしてしまうことを考えたら⋯⋯!
嗚呼、考えただけでも、最高に、気分がいい⋯⋯っ!」
けれど。けれど。先生の手には異なるキセキが二つ。
元より持ち合わせていた一枚。人と怪物の間に存在する不文律を破るのは、類まれなる可能性の結晶。
ありとあらゆる可能性を凝縮した奇跡のカードが一枚。
そして、もう一枚。異なる世界にて、導き手を担った大人の末路。
ありとあらゆる結果を凝縮した軌跡のカードが一枚。
奇跡は既に掌握して。残すは軌跡のみ。
先生は、魔女の嘲笑を聞きながら、目を閉じる。それは諦観による行動ではなく、改めて覚悟を己に問い、答えを得る。
「⋯⋯⋯⋯確かに、今の私がお前を倒すのは無理だ」
何故、戦うのか。
――総てを背負っても、救いたい世界がある故に。
何故、抗うのか。
――総てを犠牲にしてでも、倒さなければならない仇敵がいる故に。
何故、取り戻すのか。
――総てを諦めても、守りたい人達がいる故に。
理由は総て出揃っている。選択肢は手に取っている。後は、代償を支払う覚悟を装填するだけだ。
その装填が意味することを考えたら、躊躇してしまう。
人の身に余る、取り返しのつかない決断は何かを決定的に変質させてしまうのではないか、と。
『生徒たちを……よろしく、お願いします』
それでも、彼の願いを背負う限り、躊躇をする資格はない。
彼の願いに相反する化け物を前にして、覚悟を握らぬままでいられようか。
「……………………決めたよ」
ポケットに入っていた黒焦げのカードが淡く光った。
そして。光は瞬間眩く輝き、世界を変質させる。
先生が目を開けると、其処はそれまでいた青空と黄金ではなく、荒れたキヴォトスだった。
瓦礫と驟雨。建物は崩れ落ち、天上から滴る水は土塊と混ざり、眼下にて溜まりゆく。
先生は一人、その場に立っていた。
これは、彼の最期の地だ。約束された破綻。色に侵され、変質する前の刹那の瞬間。
先生は知っている。起こり得るかもしれなかった己の未来だ、と。
故に、さして驚く様子もなく、納得した表情である。
此処は生きた人の気配は欠片もありやしない、全部終わってしまった光景だ。
誰もが間違えたキヴォトス、誰もがバッドエンドを迎えた世界線。
先生はゆっくりと、一歩ずつ、噛みしめるように歩を進める。
「お久しぶりです」
眼前に佇む彼へと近づいていく。
それは、死体。それは、自分。それは、軌跡。墓標はもう動かない。涙も零さない。
プレナパテスという、既に終わってしまった大人が、其処にいた。
「まずは、謝罪をさせて下さい。私は貴方の祈りを受け継いでおきながら、世界に混乱を招いてしまいました。
護るというのは、とても難しい。わかっていながらも、悔やまざるを得ない。
いいや、言い訳ですね、これは。己である以上――通用しないとわかっていながら、私は⋯⋯⋯⋯」
プレナパテスが末期に願ったのは、生徒達の幸せと安寧。
色彩に侵されて尚。死人となって尚。貫き通した意地を、先生は受け継いだ。
けれど、今のキヴォトスを顧みたら、その祈りは正しく履行されているのだろうか。
ベアトリーチェが奇跡を掴んだ偶然があるとはいえ、結果は結果だ。
暴虐と支配のカリスマ。ベアトリーチェ。例え、ゲマトリアが相手だとしても、先生が付け入る隙を与えたのは事実である。
客観的に見ても、先生のせいではない。それでも、先生は謝らなくてはならなかった。
死人でありながら、最期に未来を切り開いた先駆者を前に、言い訳などできるはずがない。
「責は負います。例え、何があろうとも。完膚なきまでに、ベアトリーチェは私が滅ぼします。
二度はない、絶対に。――――そうすることは、きっと⋯⋯私にしかできないから」
今度こそ、一切の復活をさせない為にも、先生は戦わなければならない。
その相手がゲマトリアであっても、関係ない。ベアトリーチェはキヴォトスで生きていたらいけない存在だ。
だから、殺す。その欲望が世界を侵すと知っているから。
だから、欲す。その怪物が死ぬには相応のキセキが必要だと知っているから。
最期に継いだモノを使い潰す。その覚悟を改めて、問う。
今のベアトリーチェは奇跡と異聞が混ざりあった化け物だ。当然、生半可な武器では滅ぼせない。
禍根滅殺。ゲマトリアを完膚なきまでに断ち切れる力が先生には必要だ。その為には、元々先生の手にあった大人のカードだけでは足りない。
故に、先生は秘匿していたもう一つの軌跡を手に取った。世界の終わりまで輝き、遺り続けた漆黒の軌跡は、ゲマトリアを屠る切り札になり得るだろう。
その過程で、二つのキセキを同時に使用して、何も起こらないはずがない。
それでも、そうせざるを得ないのは、それらが必要だと先生の拙い頭でも理解できているからだ。
奇跡と軌跡。色濃く沸き立つ神秘を鎮めるには、同等の超常的力が必要である。
とは言え、必要だから即座に受け入れるとは到底言えやしない。
それらを使用した結果、齎される己の破綻と崩壊が、先生には見えている。
「人の身に余る力だと理解しています。私はきっと、この力を得て後悔すると思います」
今、持ち得ている奇跡でさえ、身の丈にあったものではないことは承知している。
神の試練でも、悪魔の誘惑でもない、純粋無垢なるキセキ。神や悪魔を介さずして、キセキに祈りを捧げた末路は既に定まっている。
純粋無垢。それは、与えられるモノに遠慮がないということだ。故にこそ、キセキの糸で雁字搦めになった人形は何もかもを奪われるだろう。
自分が“そうなる”ことを覚悟しなければならないし、連邦生徒会長も同じ選択を迫られたはずだ。
「それでも、あの時得れるはずだった、って。そんな後悔をするよりも。あの時得てしまった、と後悔したい」
その上で選ぶのが、上に立つ覚悟なのだろう。どうせ、何を選ぼうが後悔するのなら、キセキに手を伸ばしたい。
改めて考えると、本当に嗤えてくる。結局、自分はこうやって背負い込んでしまうし、思案を重ねて懊悩する。
人生はいつだってそういったイフから逃れられない。わかってることだろう、それが大人の生き方だ。
「担います。軌跡を」
背負って、歪む。あの時、黒服と会話した内容が真実になるかもしれない。
プレナパテスになる。軌跡に侵され、己の命運が潰えぬかなど、誰にも予測がつかない。
もう、この先からは引き返せない。それを担うということは孤独な旅路を往く意味合いである。
「世界と人々は――魔女の玩具に貶すには高価過ぎるよね?」
右手を伸ばす。眼前の墓標へしっかりと。先生の言葉と手に呼応するように、プレナパテスもまた、ゆっくりと手を伸ばす。
震えながらもまっすぐに、先生へと向けて。
そうして、先生が伸ばした右手を覆うように、二人の手は重なった。
此処に誓いは成立する。
同一でありながら、異なる世界を生きた二人は、キセキを行使する覚悟を決めた。
あの箱舟で交わした約束を履行するべく。
先生は、奇跡/軌跡に希う。
「そうだ。だから、まだ⋯⋯物語《ブルーアーカイブ》は終わらせない」
少女達の物語《ブルーアーカイブ》は、魔女の欲望なんかと比べるまでもない。
友情は、自由は、明日は、大人達が背負うモノより、ずっと。
そんな、物語の道理を続けることの意味を。キヴォトスは試される。人々は迫られている。
歪んだ物語の果ては、もうすぐ開示される。
次回
『バイバイ・キヴォトス/ロスト・ブルーアーカイブ』