反転好感度のデイバイデイズ   作:このむらりく

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第3話『正義の価値と“私”の不在証明/What a shining justice』

 情動というのは、深くて、狭い。頭でわかっていながらも、抑えきれない。

《反転》した幸福は真綿で首を締められるかのようだ。

涙が流せるなら、今すぐにでも、と。漏れ出したモノはため息しか出ないけれど。

正しく、この世界は、今のキヴォトスは病んでいる。

論理立てて現状を考える冷静さは、脳裏に浮かぶ無数の悪意を振り払うように。

生徒達からの冷たい視線、言葉、悪意。それらはバラエティに富んだ無邪気な差別だ。

苛まれていく、追い詰められていく。自らの精神に生まれた変調はどこまで侵食しているのか。

先生とは? 生徒とは? 託された願いとは? 青春とは?

疑問は泡のように浮かび、そして破裂し、波紋を広げていく。

その波紋から生まれた奇跡は本当に奇跡なのだろうか。

奇跡は本当に尊ぶべきものなのだろうか。

青春は何にも優先されるものなのだろうか。

溢れそうな想いを零さぬように見上げた青空の色は綺麗だったのだろうか。

今にも泣きそうな笑顔が張り付いている大人を、誰が救ってくれるというのか。

青春、蒼穹、地平線、かつては先生だった、今はただ追放された愚者。

限り無く永遠を思わせる青の空、幸せそうに笑う生徒達。

それを遠くから、先生は見つめていた。色はくすみ、音は遠く、世界は正しいままだ。正しく、狂っている。

何度も、何度も。出来の悪い生徒に教えるように、丁寧に。

当たり前の意味さえもわからなくなった、冷たい悪夢を見た。

 

「…………あぁ」

 

 知らない天井だ。いつも寝泊まりしていたシャーレとは違う、屋根が見える。

あの悪夢のような撤退戦を越えて、数日。先生一行はカヤが用意したセーフハウスへと身を寄せていた。

そこで、疲弊が見えた自分に対して休むように皆が言ったのだった。

疲弊というスパイスは横になってすぐ、意識を奪うには十分過ぎる辛味だ。

とはいえ、眠って回復した気はしない。瞼の重みは睡眠を取ったとは思えない重みだ。

数秒間、ぼんやりと宙を見た。反芻した瞬きは何も映さない。

漸く、現実へと戻る。生温い汗が服にべっとりとついている、気持ち悪い。

そして、和室特有の畳の臭いが鼻につく。

 

「起きた?」

「おはよう、気持ちのいい朝だね」

「冗談にしては面白くないわね。まだ、夜よ。夕方に寝始めてから数時間……寝た内に入るのかしらね、これ。

 起きるのが早過ぎ。ショートスリーパーは健康に良くないわよ」

 

ふと声の元へと視線を向けると、一人の少女がいる。口元をへの字に曲げ、眉を顰めた、仏頂面だ。

自分の護衛をしているFOX小隊の一人――クルミだ。

寝ている間は無防備な為、寝ずの番をする予定だったが、自分が早く起きてしまった。

たはは、と。誤魔化した笑みを浮かべたが、クルミのジト目は鋭いままだ。

 

「……起きたなら、もういいかしら」

「ああ、ごめん。もしかして、勝手に握り締めちゃってた?」

「違うわよ。私が勝手に貴方の手を握っただけ。でも、起きたなら必要ないでしょう?」

 

 その言葉を投げかけられるまで、自分がクルミの手を強く握り締めていることに気が付かなかった。

にぎにぎと力を込めてみると、柔らかい、ふにゃりとした手だ。華奢で白い指先は、心地よい。

思えば、誰かの手を握るなどいつぶりだろうか。

随分と遠い昔のような気さえして笑えてくる。アトラ・ハシースの戦いから数年後、でもあるまいし、と。

 

「どうして手を? 嫌悪感とか覚えない?」

「覚える訳ないでしょ。生徒が全員、先生を嫌ってる訳でもあるまいし。

それに、ずっと苦しげに魘されていた人の枕元で黙っていられる程、私は薄情じゃないわよ」

 

 声色の刺々しさとは裏腹に、態度と言葉には優しさが溢れていた。

誤解されそうな子とは思うが、その部分はFOX小隊の他隊員がカバーしているのだろう。

暫くは受け取っていなかった善意に困惑している自分はいた。

 

「………………私にできることなんて、それくらいしかないし」

 

 この子は優しいんだな。本人は否定するかもしれないし、それを言葉に出したら照れ隠しに棘の鋭さは更に鋭利になりそうだけど。

クルミはまだこちらを見つめたままだ。できれば、目を反らしてほしいなと思ったけれど、彼女は視線を外さない。

大人としての意地があったのか、こちらも目をそらさない。数秒間、互いに手を握りながら見つめ合う奇妙な状態になってしまった。

 

「何、その疑いの目。先生は私のことを、目の前で死にそうな顔してる人を見捨てる奴って思っていたの?」

「いや、なんというか、言い訳にしか聞こえなかったら謝るけど。久しぶりに打算抜きの善意を受けて混乱していて。

 素直に受け止めるのに、時間がかかっちゃった」

「はぁ、どうしてそんな――ああそっか、周りの人達って今はそういう感じなんだっけ。

 聞いていたのに、頭から抜けていたわ。……私達――FOX小隊は特に影響がないから認識し辛いわね」

 

 そして、漸く口を開いた会話も何とも返し辛い話題だ。クルミも気まずそうに目をそらしてしまった。

こういった嫌悪感がない会話をする機会が少なすぎて、自身の認識も大分狂っているらしい。

FOX小隊の面々は《反転》による嫌悪がない貴重な生徒だった。

罵倒も無視もない久しぶりの生徒。気が緩み、表情もほんの少しだけ柔らかくなった。

 

「まさか、こんな形でシャーレの先生と出会うってのは思ってなかった」

「ごめんね、こんな不甲斐ない有り様で」

「別に気にしていないわ。聞いている話を聞くと、よく耐えてるって思うもの。

 私だったらブチギレてるわ、グーパンよ、グーパン」

「貧弱だからなあ、私。グーパン返されてそのまま入院かも」

 

そのまま、数秒間、当たり障りのない会話が続く。

ただ、不思議とこの会話は嫌ではなかった。

冷淡ではない、どこか温かみのある会話だったからだろうか。

 

「……ねぇ、幾つか聞いてもいい?」

「私に答えられることなら」

 

少し戸惑いがちではあったけれど。本命の会話の口火を切ったのはクルミだった。

唇を引き結んだ表情は硬い。表に出さないようにしているものの、先生の立場から見るとバレバレである。

踏み込んだ話題――それはこんな有り様となった根幹について。

そして、何となく気に入らなかった大人が都合よく横にいるというタイミング。

 

「どうして、先生は生徒を恨まないの?」

「えっと、質問の意図が読めないんだけど」

「あ~、言葉が足りなかったわね。だって、聞いた話をそのまま受け取ると、散々に冷遇されたんでしょう?

いくら、悪い大人が裏で操ってるとはいえ、全く何も思う所がないなんて、ありえないでしょ」

クルミの口から出た疑問は単純な興味だった。FOX小隊は先生と直接的な面識はなかった。

ニコだけはちょろっと顔を見せたけど、他生徒と比べると初対面のようなものだ。

反転後はともかく、反転前は評判の良かったシャーレの先生。

カヤはともかく、あのヴァルキューレのカンナ局長も評価していた大人。

そんな大人でも、理不尽に奪われ、信頼していた生徒達から裏切られ、悪意を受ける。

「クルミが言ってる通り、裏にはベアトリーチェ――端的に言うと悪い大人がいるからね」

「えーっと……後任でシャーレに赴任したベアトリスって人のこと?」

「そう。安易な偽名で煽ってきた悪い大人のこと」

「ふーん……それで、先生の言う通り、その人が極悪人として。生徒達については操られていたから仕方ない。そんな論理で片付ける気?」

「片付けないといけないのが、先生であり、大人だ」

 

 それでも、綺麗事を吐ける理由を知りたかった。

居場所を取り戻したいと焦がれ、理不尽には理不尽を。

不条理を消し去るべく、汚い任務だってやった。

汚れ切って、綺麗事なんて何処かに置き去りにしてしまった自分達と何が違うのか、と。

そんな、心中で吐き捨てた言葉を、言い出すことはしないまま。

 

「生徒達に罪はない。だから、当然罰も発生しない」

「甘々ね。散々に罵られて、冷たい態度を取られて、実害も受けてるんでしょ? そこまで聖人君子に人はなれるものかしら」

「でも、そういう甘々な綺麗事の方が、きっと生徒達は救われる」

「そう、だけど……」

 

 大人として。先生として。断じて生徒達に咎を背負わせたりなんてしない。

それは、これまでという時間の積み重ねを感じさせる。

先生は、うまく言葉を誤魔化した。

クルミは見逃している。救われるという皆――彼が口にした言葉は生徒達。

そこに、先生が含まれていないということがどういった意味を示すのか。

 

「まあ、ここまでは表向き。…………ちょっとだけ、本音を言うね」

 

 悪夢を見ている中、手を握ってもらった温かさに絆されたのは確かだ。

あの柔らかさと温かさは疲れ切った先生に手を差し伸べてくれた。

仕方ないじゃないか。彼女の真っ直ぐな優しさには救われたし、自分の本当を知りたいと願ったから、と。

それを知って、何かを納得させたいのか。胸の内がわからない以上、言葉を尽くすという立ち位置でもない。

 

「改めて、彼女達に対しての憎悪はお門違いだ。

 憎悪の矛先は彼女達を操っているベアトリーチェに対して抱くべきだ。

 それを外的要因で《反転》しただけの生徒達――無意識の罪を被せるなんて、私は認めない」

 

それでも、その優しさには、報いたいと思ったから。

不器用ながらも自身を想ってくれた彼女には欠片程度の本音を話してもいいと先生は感じたのだ。

できれば、聞き流してくれると嬉しいし、大人として情けない姿ではあるが、彼女が抱えている悩みを解決する一助となってくれるならば。

そんな疲れ切った笑みで、先生は少しだけ本音を出した。

 

「悪いとか、許さないとか、そういった憎悪を抱くべきではない」

「強いわね。ほんと、理想的な大人。そこまで行くと、疑う気も起きないわ」

「そう振る舞えるように頑張ってるだけだよ。こういった前置きは前提として、憎いという気持ちはケリを付けている。

 でもだからといって、冷淡な対応を受け続けて何も思わない程、私は情動を捨てられなかった。

 そうだな…………称するなら、生徒達を“怖い”と思ったことはある」

「憎いじゃなくて?」

「そう、怖い。だって、それまで信じていたモノが徐々に裏返っていくんだ。ゆっくり首を絞められる感じと似ているかな」

 

 今、自分の浮かべている表情がわからない。

ただ、クルミの悲しそうな顔が、ああ、きっと――自分はもう駄目なんだろうなということだけがわかる。

クルミだけが見ている、見てはいけないものを見てしまった、後悔の顔。

だって、それは、先生は気づいていないけれど。

泣き出しそうに歪んでいる目元に、虚脱とさえ感じられる無味無臭の乾いた声色。

人はここまで疲れ果て、沈んでいくのか。

「信頼を築けていた生徒達から徐々に嫌われていって。冷たい言葉や態度はもちろん、色々と悪意ある行動を向けられて。

それら全部を“気にしてないよ”と表向きは張り通すけど。内面はずっと蹲ったままさ。

そんな言葉1つで片付けられる程、私は鈍感じゃない」

「生徒が怖いって言ったわね。それじゃあ、私も怖いの?」

「そう聞かれると、曖昧な答えしか出せないかな。怖いけれど、信じてる。

二極化で答えちゃうと、たぶんこの世界の総てが怖いってなっちゃいそうだね。

ほら、今の私は何に好かれていて、何に嫌われているかもうわからないからさ」

 

 思い出したくない記憶は、杭のように心臓に刺さったままだ。

顔に貼り付けた笑顔はクルミを釘付けにする。

乾いた笑い声を上げて、深刻になりすぎないようにしたが、クルミの強張った顔は全く変わらない。

この期に及んで強がりを見せてしまうのも考えものだ。

 

「総括すると、私は世界の総てが怖いんだ。私を信じてくれることは正しいのか。それがいつまで続くのか。

 今の君達もいつか壊れてしまうのか。そして、反転した生徒達は元に戻るのか。

 口先では憎しみを棄てたって言っておきながら。……私は生徒達に対して、『先生』で在り続けられるのか。

 全部が不確かで、確定しているモノが何一つ無い」

「常に周りに《悪意》があったから、そうなっちゃったってこと?」

「正解、花丸をあげよう」

「今浮かべてる表情で貰っても嬉しくないわよ」

 

 クルミはぎゅっと、まだ離していなかった手を握り締める。

真一文字にした口元はへの字のまま、不機嫌を表していた。

先生は唇の片端をあげ、下手くそなウィンクをして来るが無視だ、無視。

変に強がって我慢して。穏やかな声色の中に寂しさと疲弊を押し込めて、生意気なのだ。

 

「偉そうに綺麗事を言っておきながら、本音はこれだよ。怖くて怖くてたまらないのに、必死に虚勢を張り通してるだけ。

 クルミから見て幻滅したよね? 情けないなぁ、私は。私も結局はそういうセンチメンタルなモノに囚われ続けている」

「そんなことない! そこまで自分を卑下しなくてもいいわよ…………弱音を何一つ見せない人、私は好きじゃないから。

 少なくとも、私は貴方の内実を知ったもの。他の誰が否定しても、私は先生が頑張ってるって思ったもの」

「じゃあ、私のことは好きってこと?」

「調子に乗る人は嫌いよ」

「手厳し。基本、こんな情けない言葉も聞かせないし、うまく作れない笑顔も見せたくないんだけどね」

「でも、見せてくれたじゃない」

 

 だから、大人は嫌いだ。一人で勝手に抱えて平気な顔をして。

 

「そんなに弱ってるのに、隠したがっていたのに。どうして、本音を私に出したのよ」

「最初は隠すつもりだったんだけどね」

「別に隠す必要なんてないじゃない」

「言ったでしょ。大人には、それでも隠し通さなきゃいけない虚勢があるんだ」

「虚勢でそんな顔されたら、私は嫌。そうなってちゃ世話ないわよ」

「そう、だね。まあ、大人で先生という立場で弱音を気兼ねなく吐き出せる人って周りには元々いなかったから。

 皆生徒だからね、頼られるのはともかく、頼るってなるとどうしてもさ」

 

 優しさでコーティングされた意志は自分以外を救うというのだろう。反吐が出る。

 

「結局、そうは言ってても、許容量は無限大なんてとても言えないよ。

 私も疲れて、弱っていて。誰かに吐き出したかった。

加えて、私とクルミが面識がなくて、贔屓目で見るフィルター、クルミにはなかったから。

偶然に偶然が重なったから、というね。

でも、それ以上に。そんな偶然よりも、君がさっき、私の手を握ってくれた偶然が私には嬉しかったんだ」

「………………………………それだけ?」

「そう、それだけ。たったそれだけで、よかった」

 

 先生が疲れて、弱って。悪夢に魘されていた時。

その場にクルミがいたのは、偶然ではあった。もしかすると、他の誰かでも先生の手を握ってくれたのかもしれない。

それでも、其処にいたのはクルミだった。

苦しんでいる人を見ていられない、と。

別にそこまで好きでもない大人だったのに、見ていられなかった。

ここまで苦しんでいい人ではないと思ったから、クルミは手を握った。

ただそれだけの話だ。それだけで、よかったのだ。

 

「君がいてくれて、本当に救われた。だから、君が真摯に私へと問いかけた言葉に、応えたかった。

 それが辛くて苦しくても。私の言葉が君が抱える何かを解消する一助になりたかった。

 其の為なら、こんな苦しみ、喜んで担うよ」

「っ…………ほんと、バカ。そんな顔させてまで、私は聞きたくなかったわよ!」

「そうだね、バカなんだ。私は」

「あんたもだけど、私にもかかってるのよ、この言葉。

 はぁ。あれこれと考えて、疑って、大人を試してた私が一番バカだったってこと」

「えっ、どうして」

「気にしないで。こっちの話だから」

 

 反芻するように漏れ出た月並みな言葉。諦観が混じった儚い笑み。

そんな《赤点》でしか感謝を伝えられない自身を、先生は心底腹立たしく思った。

 

「うん、そうね………………アンタなら、私達を――――」

 

 どこか、覚悟を決めたかのように。クルミは口を開く。

この人になら、話してもいいのかもしれない。そう思えたのは、気の迷いではないとクルミは信じている。

告解の導を先生に見出したクルミは汗ばんだ手をぎゅっと握り締めた。

先生がビクリと震えた。ああ、まだ握り締めていたのか。思えばずっと手を繋いだままってエッチなのかもしれない。

要検討。この奇妙な間柄が今後も続くならたっぷりと議論しよう。

 

「先生。まだ、いい?」

「私が答えられるものなら」

「もしもの話、ね。とある少女達がいる学校が唐突に廃校になって。

 理不尽に奪われた場所を取り戻したいと願って。

その為に、悪いことをしてでも、取り戻したいって気持ちは、間違っているのかな?」

 

 ヘタクソな例え話。こんな前フリでもしも《FOX小隊が救われる》などある訳がないのに。

クルミが、FOX小隊が抱えている問題はもう間違いなんて領域をとっくに通り越している。

SRTという母校が廃校になった。その事実を覆したいが為に、私兵に堕ちた1つの小隊がいた。

武器に考えることは必要ないと言うが、わかっているのだ。

市民が困る声を聞いても、無視をした。瑣末事だと決めつけて。

 

「……………………似たような話、あるよ。しかも、現在進行形」

「ええっ!?」

「借金も抱えて土地も奪われて悪い大人は勢揃い。

 完全に、生徒達も悪い方向に向いていた。私が止めたけどね」

 

 こうして話を聞いていると、廃校とはありふれた話なのかもしれない。

もっとも、アビドスの子供達みたいに総てにおいて詰んでいるというのは珍しい、と。

 

「そっか。…………そうなんだ」

 

 彼女は何かを懺悔しようとしている。残した悔いか、今も生まれる迷いか。

それは今も続いている罪。正義とは程遠い、悪行。正義感が強い故に、その苦渋の声は、重く切ない。

 

「それを踏まえて、私が言えることは――1つだけ。

 悪いことは悪い。どんな理由があろうとも……仕方ないと免罪符にして――道を外れるのは正しくない」

 

 そして、先生の答えもクルミからすると予測できたものだった。

大人として。先生として。生徒達に正しい選択肢を提示し続けなくてはいけない人として。

FOX小隊のこれまでについて、肯定してくれることはないだろう。

「……………………そう、はっきり言い切れたら、よかったんだけどね。

今の私はその言葉を言える立場ではないし、明確にだめだよと否定できなくなっちゃった」

 

 理不尽に折り合いをつける。正しさを見失わない。

言葉にしてみることは簡単だが、それを実際に貫くことはきっと誰もができる訳じゃない。

この強さを平均と捉えたら、きっと世界はまとまらないのだ。

 

「居場所を理不尽に奪われる辛さを経験して尚、正しく在り続けるというのは難しいよ。

冷淡な態度を取られて、お前なんて必要じゃないと言われて。

それまで愛着があった場所を奪われて、強がりを言い続けるのは辛いから。

悪くて、間違っていたとしても。そうなってしまう理由を、私は蔑ろにはできない」

 

 身を持って味わったからこそ。その辛さを否定し切ることはできなかった。

帰る場所がなくなって、迷い子になって。

それでも、見上げた青空の綺麗さを素直に受け止められる強さなんて、ありはしないのだ。

 

「その上で、どうしてもと叫ぶなら。クルミの例え話にある『何をしてでも』と優先するなら。

『何をしてでも』居場所を取り戻した後のことも考えるべきだと思う」

 

例えば、先生を当てはめると生徒達の信頼をもう一度勝ち取らなくちゃいけない、とか。

大人として、先生として、生徒達の導となり続けることができるのか、とか。

 

「手段を選ばないというのは、何かしら犠牲の天秤にかけることと同意義だ。

クルミ、改めて聞くけれど――その、もしもの話の結末は、心から満足できるモノかな?

物語に出る登場人物は全員救われているかい?

その過程で、犠牲にしなくちゃいけないモノは、取り返しがつくものかい?」

 

いつか夢見た正しさが、掻き消えて。居場所さえあれば、やり直せると信じて。

愚直に進んできたが、後ろを振り返ったことはあっただろうか。

助けを求める声は聞こえていただろうか。

命じられるがままに戦い、傷だらけで願ったモノは本当に廃校の撤回だけだっただろうか。

 

「その犠牲を払って取り戻した居場所で、後悔はないと誓えるなら、最期まで貫けるはずだ。

けれど。もし、誓えないなら。居場所を手に入れてもきっと満足はしないし、最終的に、自分が壊れるよ」

 

 きっと違ったはずだ。帰れる場所は大切だけれど、それ以上に棄ててはいけないモノがあった。

 

「冴えた解決方法が見つかるか確証はできないけど、私も一緒に考える。

 その後悔も、その結末も、私が手を伸ばすことで変えられるなら、逡巡なんてない」

 

 結局の所、本人が納得できるか、できないか。信条を棄てて手に入れたモノを後生大事に誇れるか。

もしもの話を通して、先生は問うている。『これまで』の正義の話ではなく、『これから』の正義の話を問うている。

罪を背負って、歩くことを選ぶ覚悟はあるか。まだ、手段を選べるなら、再考の余地があるなら。

自分がしたいことを、本当に願ったことを思い出せ、と。強く、強く。

 

「私に護らせてほしい。クルミにそんな顔をさせない為に、大人である先生がいるんだ」

「駄目、だよ。……そういう事を言われたら、私は先生に甘えちゃう」

「それを受け止めるのが、先生だ。君は頼っていい立場だし、遠慮なく願えばいい。私が嫌だったら、FOX小隊の皆でもいい」

「でも、私達、迷惑かけちゃうよ。先生の立場的に私達に肩入れしたら……」

「関係ない。私がクルミを助けたいからそうしてるんだ。色んなモノを無くしても、こればっかりは譲れない矜持だし、クルミを助けて後悔することなんて今後ない。

 これは私のエゴだ。私がやりたいことをやってるだけなんだから」

 

 握りしめた手を離さぬように。

これ以上、彼女が何かを捨てぬように。

いつか、昔みたいに友と笑えるように。

 

「だから、クルミもお願いだ。君が本当に貫きたいモノ――やりたいことを貫いてくれ」

 

 誰よりも苦境に立たされている大人は、今にも泣き出しそうな笑顔で、クルミが一番欲しかった言葉を紡いでくれた。

彼女の中にある迷いを塗り潰す言葉はクルミの胸をうつ。

 

「そうしてくれたら………………きっと、私は」

 

 本当に救われるのは、報われるのは誰だろうか。

クルミは振り絞れなかった先生の言葉に、深い絶望と諦観を感じ取る。

そんなに辛そうな顔で頼まれたら、断れないじゃない。

まだ、FOX小隊は戻れるって思ってしまうじゃない。

 

「…………うん」

 

 噛みしめるかのように、クルミは頷いた。

少し涙目で鼻をぐすぐすしているのは見なかったふりをするのが大人の先生だろう。

逆に、クルミも先生が今浮かべている表情を見なかったフリをする。

お互い、締まらないものだ。

 

「――――――――それで、私はいつまで立ち聞きをしていたらいいのかしら」

「うわっ」

「キヴォトスと貴方を取り巻く現状については全部理解したわ。

 その上で、色々と確認の為に来たのだけれど。時間を改めた方がいいみたいね」

「いや、大丈夫だから。ごめんね、『リオ』のことを蔑ろにしていた訳じゃない」

 

 まあ、そんな空気、赤の他人からすると知ったことではないのだけれど。

特に、彼女からすると、早く話を終わらせろとしか思っていないのかもしれない。

 

「先生がそうは思っていないことくらい、わかるわ。ただ、純粋に。その子との話が長いなと思っただけよ」

「そんなに!?」

「ちょっと盛ったわ」

「わ、わかりにくい冗談だね」

 

 にゅるっと。効果音がつくとするなら、そんな形だろう。

今回の逃走劇で先生達に合流したのはFOX小隊だけではなかった。

元ミレニアムを統べるビッグシスター。今は絶賛自分探し中――調月リオ。

リオはFOX小隊の陰に隠れて、しれっとした表情で合流したが、どうして此処にいるのだろう。

みなまで言うなという空気を出しているが、本当に彼女はいつも謎だ。

 

「まあ、それで色々と確認事項があって来たのだけれど」

 

 いつの間にか空いていた襖の先からリオが立っていた。

しっとりとした空気など知ったことか。いつも通りの怜悧な無表情で割り込んでくる。

アトラ・ハシースの一件ぶりに見たリオの表情はいつもと変わらず、特に色はない。

クルミの手を離し、へらりと手を振ってリオへと近寄ろうとした時、彼を護るようにクルミが立ち塞がった。

 

「止まりなさい。それ以上歩を進めたら撃つ」

 

 先生が一歩踏み出した瞬間、リオの眉間には拳銃が向けられていた。

流れるように構えられたハンドガンに対して、少し目を見開き、驚いたかのようだ。

 

「拳銃を持っているわね」

「別に、先生への害意があるから持っている訳ではないわ」

「そうね、拳銃を携帯するなんてキヴォトスでは当然のことだもの。護身にも必要だし、それについては文句はない」

「なら、問題はないと思うけれど」

「大アリでしょ。今の状況――先生の前では別よ。

私も先生から《反転》については聞いている。普段好意的に接している生徒は悪意を抱いているんでしょ?」

「ええ、そうらしいわね」

「正直ね。私達はそういう情動をこの人に欠片も抱いてないけれど。貴方は別じゃない?」

 

ホルスターからハンドガンを抜く。

油断なくその動作を行ったことから、クルミは最初からリオのことを警戒していたのだろう。

 

「幾ら鉄面皮で有名な貴方とはいえ。感情が死んでる訳じゃないでしょ?

 貴方、とても臭いわ。私達みたいな接点がない生徒ならともかくとして。

 調べた限り、色々と先生に助けられた経緯もあって、どう考えても《反転》してない?

疑わしきは罰せよ。先生と二人きりは勿論のこと、銃火器の携帯は先生の護衛として認めないわ」

 

 先程までの空気とは真逆で、クルミの表情はきつく締め付けられていた。

彼女は迷いなく撃てる。まだ、彼女の中にある熾火が燻っている。

 

「貴方とはあの合流ポイントに急ぐ前に偶然かち合っただけ。信頼も信用もなかったけれど、目的が一緒だったから、ひとまず帯同したに過ぎない」

「ええ、そうね。いいわ、渡しても。別に拳銃の持ち歩きに拘りはないもの」

 

 リオの言葉に迷いはなかった。

彼女は身につけた拳銃をクルミに迷いなく渡す。

言葉通り、拘りもないのだろう。

彼女の本領は武力ではなく頭脳だ。前線で戦うよりも後方で電子支援及び策を練る方が得手としている。

それでも、彼女を危険視しない理由には足り得ない。もしも、先生の許可が降りたら、クルミは即座に発砲するだろう。

どれだけ感情が荒れていても、特殊部隊の一員たる彼女は、本来の任務を忘れない。

 

「心配してくれてありがとう、クルミ。でも、大丈夫。

 私が信じる調月リオなら、決して情で大勢を見失わない。

 リオが引き金を引くのは、世界の存続、もしくは利益か。

世界を脅かす危険性を孕んだ生徒に対してもかな。

私が証人になるよ。彼女は《反転》しても、絶対に大義を無視することはないし、個人的好悪で武器を振るう訳がない」

 

これ以上、事態を傍観していたら話が進まない。

先生は宥めるようにクルミへの説得の言葉を投げかけた。

あくまでも、お互い先生の為を想っての行動だ。話し合うことで解決できる範疇の揉め事である。

 

「クルミが私の身を考えて動いてくれているのはわかってるけど、今回は譲ってほしかったんだ。

君の倫理は正しい。今回は私のわがままで、クルミの正しさを歪めさせてしまって、ごめんね」

「またそうやって、褒める…………。本当、良くないんだからね! そうやって隙あらば、私の好感度を上げるなんて!

 まったく、人を誑かすのが上手でズルが過ぎるわ、本当に!

言っておくけれど、席は外さないわよ? 二人きりにする程、そこの生徒会長を信じてないもの」

「構わないよ。リオもそれでいいよね? もし聞かれたらまずい話をするなら」

「しないわ」

「話が早くて助かるよ。それじゃあ、改めて。リオはどうして私達に合流したの?」

「FOX小隊と遭遇したのは偶然…………やっぱり違うわ。あまりこういう言葉は好みではないけれど、導きは必然かもしれないわね。

 『黒服』。彼は、貴方ならこの一言で総てを理解すると言っていたわ」

「あー……そういうことね」

 

 彼が裏で手回しをしているというのなら、そういうことなのだ。きっと、今も動き回っているのだろう。

元々ベアトリーチェとの間柄もよくなさそうだし、ゲマトリアといっても一枚岩ではないらしい。

黒服については生徒でない以上、《反転》の対象からも外れている。

極めて遺憾ではあるが、黒服は一応味方というカテゴリに入れる。

 

「それに、そこのSRTの生徒が言う通り、私をちゃんと危険視するのは当然だもの。

 先生の言う通り、私も《反転》の影響は受けているわ。

他の生徒達よりは浅くて、軽い嫌悪感ではあるけれど。貴方との付き合いが浅かったことに感謝するべきなのかもしれないわね」

「付き合いに関わらず、君は此方側に来たでしょう? 私が信じるリオは絶対にそうしたはずだ」

「はぁ…………流石、先生ね。私のこと、よく理解できてるわ。

 此処にいるのは、《反転》による情動は所詮、私の個人的好悪でしかないから。

貴方が培ったこれまでの功績を情動で揺らがせるのは、私の信条に反するもの。

逆に、私には、情動で裏切った生徒達もそうだけど、情動で理を捻じ曲げる大人――ベアトリーチェの方が、余程許せない」

 

 天童アリスの一件でも、アトラ・ハシースの戦いでも。

彼女は私欲による行動はしなかった。あくまでも、理由付けは世界の為。

大多数の救済、世界の安寧。そこに曇りはない。

あくまでも、お互いの正義が妥協できなかった為、争った間柄だ。

しかし、先生もリオも本来なら手を取り合える。今回のような共通の敵がいる状況なら、尚のこと。

 

「とはいえ、色々と確認しようと思ったけれど、その必要はなかったみたい」

「ええっ!?」

「とっくに貰ったもの。貴方達の会話が何よりの証拠よ。そんな要求をせずとも、貴方はキヴォトスを救った《先生》だった」

 

しれっと答えたリオに対して、先生は驚いた顔だ。

余計なものが削ぎ落とされた表情は、その言葉だけを真実だと認識させてくれる。

 

「貴方達のやり取りは、真摯に互いを思いやったものだった。

それに、《反転》の疑いがあった私に対しても、正面から理性的に応えてくれた。

先生の振る舞いは、私が信じる証明として充分よ。内に渦巻く嫌悪も造られた偽証ね。

そうとわかってしまえば、御せるわ、こんなもの」

 

――それに、こんなお人好しの大人、他にはいないもの。

 

 微かに笑みを見せたリオは改めて、言葉を投げかける。

戦力の宛とこれからの話をしましょう。そう、呟いて道を拓く。

 

「黒服から提案された戦力は――花鳥風月部。百鬼夜行にある御伽噺のような部活。

 信じていいか、わからないけれど、どうしましょうか、先生?」

 

 それは、寄る辺無き世界で無頼を誇る、道標。




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『その信頼に応えたくなったから/ファタール』
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