反転好感度のデイバイデイズ   作:このむらりく

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第9話『明日を信じられる私達はまだいない/あなたと明日を見る為に』

 綺麗な月の夜だった。雲のグラデーションすらかからない、黄金と藍色の世界が頭上に広がっていた。

つまるところ、今日は死ぬにはいい日だ。何かを終わらせる――諦めるには、いい日だ。

人の声も聞こえぬ穏やかな一時。カヤの隠れ家――廃ビルの屋上で、一人空を見上げながら立っている少女がいた。

七度ユキノは未だ迷っている。この胸のざわつきを無くす事ができずに、武器として此処にいる。

口から漏れ出した溜息は気管支を刺激させ、ふぅと小さくあげた二酸化炭素が虚空へと零れ落ちる。

まだ、『昨日』が追いついてくる。まだ、『明日』はやってこない。

吸って、吐いて。吸い上げた酸素も吐き出される溜息に混ざって、内側から抜け出していく。

 

 ――苦渋はいつ終わる?

 

 ぎゅっと片手を握り締めることすらできなかった。嗚呼、本当に疲れているようだ。

もはやそんな掴み取る力さえも残されていないのか。いいや、きっとモチベーションが枯れているからだろう、と。

そうして、数秒で導かれた結論は、しっくりくるものではなかった。懊悩を重ね、後悔を噛みしめるだけしかできない自分への歯痒さは増していくばかりだ。

 

「…………何をやっているんだろうな」

 

 口から漏れ出た言葉は自嘲と後悔で溢れていた。

ずっと、正義の為に生きてきた。強くて、かっこよくて、巨大な悪を倒す正義のヒーロー。

綺麗で、真っすぐで、子供の頃から憧れた。

けれど、世の中は憧れだけではやっていけない。どれだけ技能を鍛え上げようが、信念を貫こうが、理不尽はお構いなしにやってくる。

事実、ユキノが在籍していたSRT特殊学園は唐突に廃校となり、拠り所は失った。

友達も、後輩も、正義も、散り散りになっていく。

鍛えた力を振るうことも敵わず、やがては無意味で無価値なモノへと成り下がっていく。

それが、ユキノにとって、どうしても耐えられないことだった。

何だ、結局は居場所がなければ何もできない無力な子供か。くつくつと口から漏れ出た自嘲の笑い声は、重い。

 

「作戦会議は終わったんですか、先生」

「うん、滞りなくね」

「それならば、良かった」

 

 そんな、当たり前《自身の過ち》のことを思い出させてくれた人。

背後の足音が聞こえるのと同時に、ユキノはゆっくりと振り返る。

揺らいでいた表情を引き締めてはいるものの、弱い。

漏れ出した痛みと後悔が自身の存在を否応でもなく、わからせる。

今のユキノは、ふとした瞬間、夜空へと溶けてしまいそうなくらい、薄かった。

 

「ユキノは参加しなくて良かったの?」

「武器に思考など必要ないですから。それに、会議はニコが出ていたはず。

 作戦内容がフィックスしたら連携も来るでしょう?」

 

 嘘だ。あれこれと理由を捏ねくり回していも、本質はただの逃げだ。

これ以上、今の自分が抱いている諦観と向き合いたくなかったからだ。

此処にいる人間は方向性こそ違えど、自身の目的へと真摯に向き合っている。

不条理、理不尽。それらに《それでも》と否定の言葉を口にし、進むことを選んだ。

それはFOX小隊の面々も同じであり、各々、模索し、正義を貫く為に再度行き着く先を定まらせた。

 

 ――立ち止まっているのは、私だけだ。

 

 ユキノだけ、前へも後ろへも進めずにいる。

自分がやりかったことは何だったのだろう。

子供の頃に憧れた願い――正義を貫くことか、それとも、廃校を阻止するべく汚れを気にせずに何でもやることなのか。

ニコ達はその選択肢に答えを出した。自分だけ、未だに出せていない。

 

「それでは、また後程」

 

 これ以上考えたら、ユキノが歩んだこれまでが壊れてしまいそうで。

先生は自分の歪みをきっと理解しているし、その解消へと導いてくれるだろうけど。

それを受け入れられる程、自分はきっと強くない。

その返しに続く言葉を待たずに、その場から立ち去ろうとする。

今はただ、一人になりたかった。これ以上、自らを曝け出すきっかけを作りたくなかった。

 

「ちょっと待って。私はユキノに用事があって此処に来たんだ」

「私に用事とは?」

「これまでと、これからの話について。君と話をしたい」

「不必要です。無意味な話をする時間はあなたにないはずですが」

「私にとって、この時間が無意味かどうか。決めるのは私だ。ユキノじゃない」

「でしょうね、あなたはそう言うと確信していました。それで、好き勝手に趣味嗜好を語る為に来たのではないでしょう?」

「さっきやったミーティングでね。ニコ達から、改めて聞いたよ。FOX小隊のこと。SRT廃校のこと。その為に君達はずっと戦ってきたこと」

「……そうですか。だから、私も説得しようと? 説教でしたら、どうぞご自由に。

 逃げても、追いかけてきそうですし、いっそ全部聞いて、頷く形で解消しましょうか。

 何を救っても、何を赦しても、結局の所、私が薄汚れた狐であることは変わらない」

 

 やっぱり。この四文字が浮かび上がる程に、ユキノに驚きはなかった。

嘲るような声が自然と声色に乗ってしまった。今の自分が浮かべている表情は、きっと醜く歪んでいる。

ニコ達は先生に信頼をおいている。だから、彼女達は先生へと内実を話したのだろう。

雇い主であったカヤも、打算盛りだくさんであるけれど、先生との接触を増やす気満々だ。

自分達の内実を話す選択肢も取るだろうし、それを咎めることはしない。

各々好きに動けばいい。それを止める権利は自分にはないし、する気もない。

どうでもよくなりかけている未来の展望は、ユキノの諦観を強くする。

 

「ニコ達が未来を語ろうとも、それは私抜きでの話です。所詮――七度ユキノは半端者だ。私にはもう、何もない」

「どうして、そう決めつけているの?」

「聞いているのでしょう? 酷い人だ、私の口から語らずとも、全部知っている癖に」

「私は君の口からも聞きたい。ニコ達の受け売りではなく、ユキノが思っていることも含めて、聞きたいんだ」

「私達がやってきたこと……は、ははっ。下らない、無意味な汚れ仕事ですよ。綺麗な空に雲がかかってしまうくらい、薄っぺらい話だ」

「うん。それでも、聞きたいんだ。ユキノがどんな子なのか。何を頑張ってきたのか、将来の夢とか、あっ……言いたくないことがあったらいいからね!」

 

 ああ、やっぱり――そうやって、皆を救えてしまう。

そんな強さを持っているあなたの方がよっぽど正義の味方らしい。

正義。懐かしい響きだ。それは七度ユキノに与えられた祝福であり、呪いでもある。

 

「そうやって手を伸ばして。私がその手を掴み返すとは限らないのに」

 

 自身が地獄に落ちることはもう覚悟している。

目的の為に。居場所を取り戻す為に。理由を色々と付け加えながら、汚れ仕事を続けてきた。

意味の有無関係なく、総ての責務は隊長である七度ユキノが背負うべきであり、罰は自分が受け取らなくてはならない。

 

「どう足掻こうが、私達がやってきたことは悪です。裁かれるべきである――ええ、その通りですとも。

 断言できます、私達が選んだ道に正義はないって知っていたのに」

「……仮に、君達が悪だとして。その先の話はどうなんだい? 結局の所、ユキノは説教されたいの?」

「されるだろうな、とは思ってましたけど。どう在りたいか、どんな言葉がほしいのか。

 私自身、もう何もわからないので。本当に、ふざけた話……こんな矮小な人間がFOX小隊の隊長を務めているなんて。

 今此処に私が立っているのは、皆を背負う為。降りかかる罪と湧き立つ罰を七度ユキノに収束させる為」

 

 そうしていく内に、自分が何をしたかったのか。何故、此処にいるのか。

七度ユキノの存在価値とは――生贄であり、人柱。

 

「なら、その罪罰を祓うのは、私か。それとも、FOX小隊の皆か。こんな世界にならなければ、後輩の皆が君達の目を覚ましてくれたのかもしれないね」

「在り得ない夢想に思いを馳せる程、無駄なことは在りませんよ。

 七度ユキノという存在も同様に、何も手にできなかったモノに、あなたは自身を浪費するのですか?

 過去の栄光しか残っていない、『昨日』を慮ることしか頭にない。

 そんな生徒に時間を使う程、無駄なことはないでしょうに」

「無駄かどうかは私が決める。ユキノが勝手に決めて結論づけることじゃないよ。

 価値は己だけではなく、他者からも値付けされるからね」

「こんな廃棄物に値段をつけるとは、物好きなんですね、先生は」

 

 もうどこにも残っていない、夜闇に消えてしまった明日。

必死に残滓をかき集めたにも関わらず、掌から零れ、霧散していく昨日。

遠い昔に在った正義が、夜空に浮かんでいる星のように。

無様な今の自分をじっと見つめている気がしてならないのだ。

昨日を顧みることばかりしすぎて、明日を見据えることをいつしか忘れてしまった。

 

「………………………………汚れが落ちないんです。

 洗っても、洗っても。両手は汚れたままで、私が信じていた正義は汚れで見えなくなっていて」

「ずっと、かい?」

「あの日、私達が間違えた時からずっと――――こんな手で、隊員も、後輩も、導けるはずがないって、わかっていたのに……!」

 

 絞られた声。苦しみ、吐き出せた第一声は苦悩と後悔の塊だ。

胸には虚無を。抱いた正義は何だったっけ、と。

誰にも打ち明けられないまま、突き進んだ先には破綻が待っていて。

自身は武器である故にその破綻を受け入れるしかなかった。

 

「気づいた時にはもう手遅れだった。正義は――私の中では、物語《青春》はもう終わってしまったんです」

 

 それでも、せめて。そんな手遅れな自分でも願ったモノはあった。

後輩の『明日』が生まれる場所だけは。皆と過ごした思い出の場所だけは。

取り戻したかったモノはとっくに塵と化して飛んでいった。

遺っているモノは整備不良でガタガタになった正義の心だけ。

 

「こうなる前に、朽ちてしまえば! 死んでしまえばよかった――!」

「違う!!!! 生きてさえいれば、帰る場所は作れる!」

 

 お願いします。どうか自らの為した正義が本当に消え去って、忘れてしまう前に。

この破綻が武器としての自分すらも侵してしまう前に。

 

「違わない! 私の居場所は、彼処にしかない! もう、潰えた、SRT特殊学園にしかなかった!

 どうして、学園は、廃校になった!? どうして、FOX小隊は正義のまま在れなかった……っ!?

 私達は、ただ、義務を履行していただけなのに、どうして奪われなくちゃいけなかった!?」

 

 ――どうか、この身を破棄してください。

 

 動作不良を起こした武器に存在価値はないだろう。

誰か生きる価値と意味を下さいなんて、恥知らずな懇願をどうしてできようか。

 

「……取り乱しました。先生はニコ達にお願いされたんですよね? 

 私はいいです、背負います、裁かれます、全部、私が悪いんです」

「君が、全部背負うのかい?」

「はい。これまでの総て――責は隊長である私にあります。

 背負うのは私だけで十分です。だから、ニコ達の『明日』は、それだけは先生が護って下さい。

 漸く、前へと進めるかもしれない親友達の枷に、私はなりたくないんです」

「……っ! そんなお願いを、私が請け負うと思っているの?

 そもそも、君一人が犠牲になることを、ニコ達が望む訳がない。前提条件が達成できないのに、願うのは…………卑怯だ」

 

 消えるのは自分一人でいい。降り積もった罪は自分が全て払い落とそう。

それに、ニコ達は現状の悪行について、何度も疑問を呈してきた。このままでいいのか、と。

それらを無理矢理に封殺して、この道を進もうと旗を振ったのは自分だ。彼女達を説得した言葉の一つ一つが、欺瞞である。

酷い言葉だ。汚れが取れなくなった打算と妥協に塗れた言葉だ。

常に正しく在れと言いながら、その裏で悪を肯定しているようなものだった。

 

「FOX小隊の隊員は……! いいや、隊員とかそういった立場の前に、君の友達はそんな明日を受け入れる子達じゃないだろ!?

 見誤るな、ニコ達は、君が一人で泣いているのを見過ごす子達じゃないって、私よりも知っているじゃないか……!」

「それでも、誰かが背負わなくてはいけないものはある。

 これは隊長である私の責任だ。命を賭して、七度ユキノの名前が汚名となろうとも!」

「そんな責任、捨ててしまえ……っ! 必要ない!!」

「…………人のことを揶揄できる立場ではないとはいえ、背負いたがりはお互い様でしょう?

 これ以上……私に、優しくしないでください」

 

 もう休みたかった。これ以上、何も考えたくなかった。

薄っすらと笑む自分はこの世界から剥離している。

そっと、自分の頬を撫でる。口から紡がれる言葉は冷たく、何の味もしない。

 

「それでも、私は言い切るし、手を伸ばす。君は一人で背負うべきではなかった。

 誰も幸せにならない、無為のモノを背負ったって、何も解決しない。

 責任は『明日』を見据える為に背負うものだ、今のユキノが背負うモノではないよ」

 

 誰よりも『昨日』に固執していて、居場所がなくなることを認められなくて。

夢の叶う、正義の味方になったはずの自分達の世界。

 

「もっと、早く。あなたと出会いたかった。廃校になった時、あなたがいてくれたら、私達は諦めずにいられたんでしょうね」

 

 結局の所、七度ユキノは大人ではなく、子供なのだ。

皆との居場所が大切で、帰り道を見失って泣いている駄々っ子だった。

 

「諦めてしまった私は何の為に、生きているのか、明日がない私にはこうすることでしか報えない」

「報う為に生きていく必要はない。この世界で、ユキノにだけ明日がないなんて、そんなはずがないだろう!?

 明日はどんな人にだって平等に来る。私にも、ユキノにも。

 それが辛くて苦しいものでも、明日は絶対に来るんだ」

「そんな明日は、欲しくなかった! 私の明日は、こんなものじゃなかった!

 それでも、来るのなら、最初から与えてほしくない……!」

「言ったでしょ。明日は平等に来るって。君が何を言おうが、明日は与えられるんだ」

「だって、だって!」

 

 居場所がない明日なんて、在っても意味がない。

だから、ユキノはずっと戦ってきた。間違っているとわかっていても、正義が歪んでしまっても。

誰かの武器として生きることが楽だったから。これ以上、難しいことを考えなくて済むから。

その末路がこの有り様だ。七度ユキノとして生きていくことに疲れてしまった。

 

「君は自分のことを武器と称しているけれど、実際は武器じゃない、一人の人間だ。

 そこまで心を殺し切れなかったから、そんな顔をしているんじゃないの?」

「そんな顔、とは?」

「自嘲の笑みでもなくて、無表情という訳でもない……中途半端な顔。

 形容し辛い顔。泣いてるじゃないか、ユキノ」

「ボロクソ、ですね。そこまで言いますか」

「ごまかしてほしかった?」

「いいえ。泣いて、喚いている生徒には当然の言葉、ですね」

 

 何も、わからない。薄っすらではあったが張り通せていた笑みは、とっくに消えていた。

今、自分がどんな顔をしているか。先生の言う通り、言葉にできない顔か。

これまでと同じように。今からでも、意思を殺した武器の顔をできるのか。

自罰的な声が、漏れた。呻くような、か細い絶望が表に這い出てくる。

 

「やっぱり、私は救われるべきじゃないんです。

 キヴォトスで尊敬されるべき行動を取ってきました。模範となるべき導を作りました。

 皆がついてきてくれるように、相応の努力はしました。後輩達が私達の後に続けるように、道も整えました」

 

 全部、自分が駄目にしてしまったんですけどね。

世界は正しく変わってなんかくれなかった。

唐突にぶつかった絶望が希望を奪い、緩やかに正しく在るという正義を奪い始めた。

罪は増える。罰はまだやって来ない。正義は取り戻せるには至らない。胸を掻き毟るのは、果たして希望か、絶望か。

それらを遠い出来事のようにぼんやりと眺めている自分が何処かにいた。

 

「居場所を理不尽に奪われてしまった以上、私達も理不尽に奪い返すしかないでしょう!?

 だってそうでもしないと、FOX小隊が無価値なモノと言われているようだ!

 私達の今までは、全部、無駄なんかじゃない!」

 

 七度ユキノは爪先から頭まで。掌の皮から臓器の血管に至るまで。

罪が浸透しきっていた。罰に、溺れていた。

存在意義が失せて、明日の意味と価値を誰か教えてくれ、と。

教えてくれる大人は、FOX小隊の傍にいなかった。

 

「教えて下さい、先生。こんな世界で、『明日』を望むことに意味と価値はあるんですか?」

 

 故に、問う。最善と最良を掴み取り、生徒達を救う大人へと。

 

「――ユキノ。君が言う通り、世界は《こんな》って枕詞が付くレベルの世界だ。

 それはどこだって……キヴォトスも同じ――意味と価値があるモノばかりじゃない。

 無意味なものだってあるし、不必要な価値もある。万事が糧になるのは、きっとありえない」

「……それじゃあ、私は、私の歩いた道は!!」

「値付けは己と他者がするものだ。だから、意味と価値を決めるのは君自身でもある。

 だってさ、私がユキノが頑張ってきたことを無意味だ~とか無価値だ~って言って素直に認める?

 違うでしょ? どんなに汚れていても、その選択の果てが間違っていても――君は間違いなく否定する。」

 

 世界が意味と価値ばかりで溢れていたら、きっと息苦しくてたまらないだろう。

焦燥に焦がれてそれらを追い求めた結果、何も得れないなんてこと、大人の世界ではよくあることだし、夢は叶わないことだってある。

だから、その時間は無駄だった、なんて。そんなはずはないだろう。

青春とは。日常とは。時に適当なノリで繰り広げられるものであり、無意味で無価値でも、それでいいやと断言できる時間でもあったはずだ。

 

「私には無理です。結局、何も取り戻せなかったのに」

「結果だけでいうとそうだね。でも、過程は在った。

 隊長である君がSRTをどれだけ大切にしていたか知っているから、皆ついてきた」

「半ば、無理矢理ですよ」

「それじゃあ、私は違うね。こんな事にならなければ、君達には出会えなかった。

 でも、結果的に、私はユキノ達に出会えた。君達の抱える懊悩を知って、一緒に考えることが出来た」

「……詭弁」

「大人は口先がうまいんだよ。それに、私の言葉が全部正しいって訳ではないんだ。

 部外者が我が物顔で語る言葉に総てを委ねるのは良くない。勿論、参考までに……程度なら薬にもなるんだろうけど」

 

 意味も価値も一人一人違うものであり、決して重ならない。

ユキノにとって無意味で無価値なモノでも、他の人からすると大切なモノかもしれない。

先生からすると何を言おうが、結局は七度ユキノが最終的な結論を下すしかないのだから。

 

「それでも、君が意味と価値を欲するなら。そうだね、『明日』……私と一緒に青空を見よう」

「………………………………は? そんなものを?」

「そ。そんな明日。軽いでしょ? 意味と価値はまだ未確定だけど。あ、でも、曇りだったら延期しよっか。

 どうせなら、空は晴れていた方がいいでしょ?」

 

 それでも、こうして助けようと声をかけてしまうのは、きっと先生が『先生』であるからだろう。

こんな世界でも誰しもが意味と価値を見つけられる方法があるはずだ。

絵空事と笑われようが、それを求める想いは間違っていないはずだ。

嗚呼、そうだ。私は、七度ユキノに――間違ってなんかいないと言いたかった。

例え、嘘であっても。叶うはずのない願い事であっても。

言葉として出たのは、そんなとりとめのない小さな偽りの約束。

“君と一緒に、帰り道を歩きたかったから”。

 

「更に、その『明日』には。FOX小隊の皆とこれからの話をしようか。どうしよ、何話す?」

 

 口からつらつらと流れ出すのは,まるで日常を語るかのようで。

一週間、いや一ヶ月か。ペラ回して作った約束は紙風船のように軽い。

自分でも笑ってしまうくらい、ちっぽけな『明日』が重なっていく。

 

「そんな感じで、私達の間には、約束ができた。ユキノの『明日』は予定が生まれた。

 もう無意味とも、無価値とも断じれない。明日への切符は白紙なんだから。値付けも当日にならないとわからない」

「そんな約束……! その程度で!」

「うん、そうだね。この約束はその程度だ。君が考えている通り、結局の所、七度ユキノの明日は、無意味で無価値なモノかもしれない。

 けれど、もしかしたら。ユキノが欲しがっている意味と価値が生まれるかもしれない。

 意味と価値は全部有耶無耶のまま箱にしまわれる」

「中身のわからない箱を大量に用意する手間をあなたは負うのですか? それに、中身が伴っていなければ、笑えませんよ」

「中身は要相談、今後私とニコ達が随時増やしていくってことで、どうかな。君の明日を願うことを、私は手間とは思わないよ。

 何一つ確証がないし、色褪せている約束でも、少しずつ何かが変わるかもしれないと信じてさ。

 歯を食いしばって悔しがったり。時には失敗したなーって馬鹿みたいに笑って。私達は生きていくしかないんだよ」

 

 右手を伸ばす。今なら届く――――いや、届かせる。

来ないかもしれない『明日』の為に。あるのかわからない『意味と価値』の為に。

それが延命治療のようなものであっても、迷わない。ユキノに残された諦観を奪い、絶望と共に殺し切る。

 

「君が意味と価値を見失っているなら、私が代わりに見出すよ。

 私が君と――ユキノと一緒に、『明日』を迎えたいんだ。私の『意味と価値』にユキノが入っていてほしいんだ」

 

 今の自分ができる最高の笑顔を浮かべて、ユキノの手を今度こそ掴み取った。

自然にできる、不格好な笑顔。けれど、其処に在るのは本当しかない。

怖くて、疲れて、辛くて。それでも、今の先生ができる、本当の笑顔。

 

「だから、ユキノ。小さな約束からでいい。私と『七度ユキノ』の意味と価値を探しに行こう」

 

 ぐちゃぐちゃに涙と鼻水で汚れたユキノの顔は、まっすぐに此方を見ていた。

それでも、口元が綻んでいるのは、先生の気の所為ではないはずだ。

なんて、諦めが悪い。ここまで言っても、尚手を伸ばし続けた。しまいには、強引に掴み取ってきた。

数秒、沈黙が続いた。不思議とその沈黙はこれまでの重苦しさがない、ふんわりとした空気だった。

 

「………………なんですか、その口説き文句。

 詭弁甚だしいですし、先生の笑顔はヘタクソ過ぎて見てられません。

 尾刃カンナの方がよっぽどうまく笑顔が作れますよ」

「大人は詭弁がうまくないとやっていけないんだ、笑顔については、その……」

「知ってます。そうなった理由も。それでも、私に本当を出してくれたのも。

 全部言わなくてもいいですから、もう……本当にずるい大人ですね」

 

 ユキノの採点は辛口だ。先生の笑顔は落第、言葉も綺麗事ばかり。

先生に対しての指摘の鋭さは本心からくるものであり、言葉はつらつらと出てくる。

それは失笑であり、呆れに近い何かであった。

でも、きっと。その感想は自分にも跳ね返ってくるものなのだろう。

 

「はぁ。こうして二人で話してわかりました。あなたは人誑し、それも天性の……ですね。

 敵いませんよ、ニコ達が絆された理由がわかった気がします」

「そうかなあ。言う程皆絆されてる?」

「もう手遅れなくらいにかなり。そして、私も同じ穴の狢といいますか」

 

 それでも。今、ユキノは楽しそうに笑っている。心の底から、久しぶりといった表情で笑っていたのだ。

叩く軽口に淀みはなく、両目には温かさが宿っていた。

 

「私を誑かしたからには、責任を取ってください。

 『七度ユキノ』を取り戻した責任を取ってください。

 私の探し物が見つかるまで、ずっとでなければ、嫌です。出るつもりのなかった舞台に立たせたんですよ?

 もうどうなってもいいやと総てを投げ出していた生徒に『明日』を与えたんですよ?

 ここまで来たら、最期まで面倒を見るのが筋ではないでしょうか」

「……重いなぁ。私の立ち位置はあくまで一助――君が明日を願うきっかけくらいでいいんだよ?」

「先生が焚き付けたんですよ? 改めて言います、責任を取って下さい。

 私の『明日』の為に、ずっと取り続けて下さい」

 

 もう一度、立ち上がってみよう。そう思ってしまった時点で、ユキノの負けなのだから。

けれど、まだ。ユキノはふと考えてしまうのだ。

 

「その責任はあくまでも小さな一歩であって。これまで、一緒だったニコ達を押しのけて、ユキノの中心に入り込むってのはね?」

「別の生徒を言い訳に使うのは最低だと思います」

「はい…………」

「まあ、いいでしょう。明後日、これからの話をすることでしょうし」

 

 七度ユキノが彼に救われたとして。彼を救うのは、自分達なのだろうか。

そもそも、彼の『明日』はまだ救いの猶予があるだろうか。

あの時、トイレで見た行き止まりはまだ戻れるだろうか。

ユキノだけが救われてしまっていいのだろうか。

 

「だから、あなたも。『明日』を諦めないで下さい。私と一緒に生きて下さい。――――――救われたら、だめだなんて、思わないで下さい」

 

 故に、ユキノはその呪いを口にする。

例え、その言葉が先生の枷になるとしても。彼の中にある世界が罅割れるとしても。

あなたが救われないなんて、嫌だと思ったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――きっと。間違いなく。その願いだけは、裏切られるとわかっているのに。

 




次回

『プレナパテス/この呪いを継ぐ』
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