メレの一番古い記憶は、寒さと餓えだった。
それだけだった。温もりも、声も、誰かの顔も、何もなかった。
あるのは凍えるような冷たさとどうしようもない空腹だけで、それがメレの始まりだった。
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メレは魔族として生まれた。
どうしてひとりぼっちなのかもわからない。親が捨てたのか、偶然なにかの間違いで誕生したのか、それは誰にもわからないし、メレ自身にもわからない。
だから親の顔も知らない。「おかあさん」も「おとうさん」という言葉自体、知らない。それが何を指すのかよくわからず、わからないことをさびしいとも思わない。
魔族であるメレには、そういう感覚がもともと薄かったのもあるし、ずっとひとりぼっちだったのでそういう感性が根本的に生まれにくいのもあった。抱きしめられた記憶がないみなしごは、そもそも温かさをわからない。
ただ、いつもおなかが空いていた。
それだけは確かだった。
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魔族というものは、人間より遥かに強い怪力と魔力を持って生まれ、早くに自立するものだ。そうなっている。
メレは違った。
身体能力は貧弱だった。魔力も薄かった。知能は、言ってしまえば惰弱だった。全てにおいて、普通の人間より弱く、ひ弱で、頼りなかった。魔族として生まれながら、魔族らしいところがほとんどなかった。
メレが持っているのはたった二つだけ。
一つは、メレ自身が持つ固有魔法。
「神経を眠らせる魔法」がそれだった。痛みを遠ざけ、感覚を鈍らせ、麻酔のように効く。
メレはそれを自分にかけた。何度も、何度も。指先から小さな光をこぼして、自分の腹に当てた。
すると、空腹が遠くなった。寒さが、遠くなった。
ぼんやりとした世界の中で、メレは森を歩いた。
もう一つは、ある種のずぶとさだった。
頭の悪さと魔族の感性が組み合わさって出来たもので、悲しみも、恐怖も、どうしようもなく愚鈍で阿呆なメレには深くは刺さらなかった。刺さらないまま、次の朝が来て、また歩いた。
この二つが、メレをここまで生かしてきたものだった。
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食べるものは、落ちてきたものだった。
秋になると木から果実が落ち、冬の手前には木の実が拾えた。
人間なら調理しなければ食べられないものも、メレは関係なくそのまま食べた。
ボリボリと、土がついていても、虫が入っていても、気にしなかった。
それがメレの魔族としての数少ない優位性だった。
森の獣を見つけると、狩れるかもしれないと思った。
魔法をかければ勝てるかもしれないと思った。
リスを見つけた。木の幹に駆けていく小さな背中に手を伸ばしたが、それより先にリスはいなくなった。野うさぎを見つけた。近づこうとして、転んだ。うさぎはとっくに草の向こうに消えていた。
彼らの野生と、何もない場所でころころと転ぶメレのどんくささでは、勝負の前から決着がついていた。
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眠るのは洞窟だった。
岩の間にぽっかりと口を開いた場所を見つけた。
雨と風をしのげた。雨風をしのげるといっても寒いものは寒く、でこぼこした石の床は硬く、体が痛くなったが、メレは特に何とも思わなかった。
頭が悪く、ずぶといメレには、不満という感覚がもともと薄かった。
洞窟の奥の方から、時々低く唸るような獣の息づかいが聞こえた。クマが住んでいた。
メレはそれも気にしなかった。奥に行かなければいいだけの話だった。
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冬が来た。
雪が積もった。果実がなくなった。木の実もなくなった。
虫はいなくなり、動物たちは自らの巣にこもり、冬眠した。
洞窟の奥でクマが冬眠に入った頃、メレは貯めておいた木の実を食べ尽くした。あっという間だった。
それから先、食べるものがなくなった。
冬眠できれば良かった。クマのように、雪が溶けるまで眠れれば。しかしメレはクマではなく魔族だったので、冬眠できなかった。
ただ、自分自身に魔法をかけ、洞窟の中でちいさく丸くなって、それでも来る寒さと空腹にふるえた。
ある朝、メレは久しぶりに洞窟の外に出た。
森には大きな大樹がある。冬が来る前、その大樹は果実を落とし、周辺には木の実が転がっていた。
あそこに行けば、なにかあるかもしれない。
寒さと空腹の中でなんの根拠もなくそうぼんやりと思いついたメレは、寒い冬の風が吹きすさび、冷たい雪が降る中で大樹に向かった。それはある種の生存本能かもしれなかった。
小さな歩幅で、メレは大樹のすぐそばにたどり着いた。
なにもなかった。
メレは空腹と寒さの中、必死になにかないかさがした。
本当に、なにもなかった。大樹はただそこにあるだけで、メレになにもくれなかった。
必死に探して、何もないとわかったその時。
信じられない寒さが正面から来た。おなかがねじれるような空腹が来た。頭がぼんやりとして倒れた。
メレの少ない魔力が完全に切れていた。
「神経を眠らせる魔法」が消滅していた。
メレの小さな体につめたい雪が降り積もっていった。
このまま死ぬとわかった。
メレは何もできず、何も知らなかった。
自我が芽生えたときから、この森にいた。
ここがどこかも、自分がなぜここにいるかも、わからなかった。森に生まれ、森で食べ、森で眠ってきた。
それ以外を知らなかった。
意識がぼんやりと薄れていく中で、思ったことは一つだけだった。
おなかへった。
「おかあさん」とも、「おとうさん」とも、思わなかった。誰かを呼ぶ言葉を持っていなかった。
ただ、どうしようもない寒さと、おなかがどうしようもなく空いているという感覚だけが、最後まで残っていた。それは人間でも魔族でも獣でも同じ、どんな命にも共通した、本能の底の底から出る声だった。
やがて、目を閉じた。
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本来であれば、これでメレの魔族としての生は終わるはずだった。
よくわからないまま生まれ、ただ空腹を満たすために歩き、誰にも知られないまま、死ぬ。
森に生まれ森で朽ちる虫たちのような、ありふれた命だった。
何も残さず、何も知らず、ただ冬の森に消えるだけの。
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次にメレが目を覚ましたのは、洞窟ではなかった。
暖かかった。
石の床ではなく、何か柔らかいものの上にいた。音がした。パチパチと、何かが燃える音。橙色の光が、暗い視界の端に見えた。
暖炉だった。
人間の家だった。
メレは生き延びていた。