世界でいちばんかよわい魔族。   作:業務用きなこもち

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第3話 噂

 

 ヤークトが魔族の子供を連れ帰った、という噂は三日と経たずに村中に広まった。

 

 評判は悪かった。

 

 当然だった。この村の誰も魔族を見たことがなかった。

 

 見たことがないから、御伽噺と言い伝えの中にしか魔族がいなかった。

 その魔族は醜く、嘘をつき、人を食べる怪物だった。

 

 旅をした者や都の防衛に携わった者であれば、もっとはっきり言っただろう。

 

 魔族に例外はない、殺さなければならない、と。

 

 しかしこの村にそういう人間はいなかった。いないから、噂はどこまでも膨らんだ。

 

 目が四つあるらしい。

腕が八本で、足がタコみたいになっているらしい。

肌は真っ青で、目は真っ赤。

鋭くて邪悪な牙がを持ち、言葉を話せず、奇怪な鳴き声を上げるとか。

 

ああ、普段あんなに冷静沈着なヤークトが、なんてことをしてしまったのか。

 

 噂は雪だるまのように転がるたびに大きくなった。

 

 大人も子供も関係なく、それぞれが知っている魔族のイメージを好き勝手に乗せていった。

 

 楽しかったからだ。都と違い、普段たいして面白いことが起きない山がちの小さな村に、突如として降って湧いた話題だった。

 

 ヤークトはその噂を聞き及んでいたが、何も言わなかった。

 

 心配した若者が様子を見にきたとき、ヤークトは「大丈夫だ。じきにみんなに紹介するから」とだけ言って返した。若者が帰った後、振り返ると、メレが熱いスープをふうふうと冷ましながら夢中で食べていた。

 

 いちいち言い返すのも馬鹿馬鹿しくなった。

 見せれば済む話だった。

 

--- 

 

 数日後、ヤークトは村の広場に村人を集めた。

 

 あっという間に村人たちが集まった。緊張した顔もあったが、どこか楽しみにしているような顔もあった。広場に小さなざわめきが満ちていた。

 

 少し間があった。

 

 ヤークトが歩いてきた。その後ろを、小さな影がトテトテとついてきた。

 

 広場に集まった人々の視線が一斉に注がれた瞬間、メレはそれに気づいた。

 

 たくさんの目が自分を見ていた。

 

 魔族としての生存本能が動き、メレはヤークトの背中に隠れた。

 村人たちの目に、それはおどおどとした人見知りの幼子が親の影に隠れる姿に見えた。

 

「大丈夫。誰もメレを傷つけたりしないよ」

 

 ヤークトは静かにそう言って、メレの背中をそっと押した。

 

 メレは前に出た。言いつけられていた通りに、ぴょこりと頭を下げた。

 

「メレです。よろしくお願いします」

 

 それだけ言って、またヤークトの後ろに隠れた。

 

---

 

 広場が静まった。

 拍子抜けした、という空気だった。

 

 目は二つだった。

 腕も二本、足も二本だった。

 肌は真っ青ではなく、雪のように純粋な白さだった。

 肌と同じく雪のように白い髪は絹糸のように細く柔らかく、腰まで届いていた。

 魔族の邪悪さで赤く染まっているはずの大きく美しい瞳は、透き通った金色だった。

 奇怪な鳴き声ではなく、小さく清らかな声が出た。

 

 人間と違うところと言えば、額に申し訳程度に生えている小さな白い角だけだった。

 

 その角も、化け物じみた印象はなかった。

 純白に輝く大理石のような、聖なる一角獣の角に似た美しさがあった。

 

 伝承やお伽噺や噂話でできた想像で村人たちがこねくり上げた邪悪で醜い魔族の姿と、目の前にいる小さなものは何もかもが逆だった。ありていに言えば、メレはとんでもなく美しく無垢な、女神様に祝福された清らかな幼子にしか見えなかった。

 

 もし村に魔族との接触経験が豊富な元兵士や魔法使いがいれば、こう言ったかもしれない。

 

 魔族は美しい姿をしている者もいる。子供であっても油断するな、と。

 

 しかしこの村にそういう人間はいなかった。

 

 若い頃大陸を旅したヤークト自身も、魔族とはほとんど接触がなく、どちらかというと魔物に近い「バケモノ」然とした魔族を数と計略で討伐した経験があるだけだった。

 

 ヤークトは村人たちの前で話した。

 

 この子は自分が何者かもわかっていない幼子に過ぎない。

 

 死臭もない。無知であれば、善いことと悪いことをきちんと教え込めばよりよく育つはず。

 

 問題が起きれば自分が責任を取る。

 

 ヤークトがそうまで言うなら、という空気が漂った。

 

 善良に見え、美しく、おどおどと親の影に隠れる幼子を、それでも魔族だから殺せと言える者はいなかった。          知識も経験もなかった、というのが正直なところだったが、無理に言って殺せば、この先どういう目で見られるか。そういう感情も確かにあった。

 

 とりあえず受け入れる、ということで話が落ち着いた。

 

 解散、という空気になりかけたとき、一人の若者が手を挙げた。

 

---

 

 エルネストという名前だった。

 

 都から教会の派遣として来た神父で、まだ若かった。

 堅物で、生真面目で、世の中の酸いも甘いもまだ知らなかった。

 しかしそれゆえに、女神の愛と教会が掲げる理想を真っ正直に信じている青年だった。

 

 都から来たといっても神学校を出て、読み書きと計算ができ、聖典を読みこなして説教ができるぐらいだったが、それはこの村ではとんでもないインテリだった。

 しかし本人はそれを鼻にかけなかった。

 

「聖なる大樹の側で倒れていた、ということは」

 

 エルネストは言った。

 

 「女神様も精霊様も、この幼子が邪悪でないことを認めた証明でしょう。私にも面倒を見させてください。魔族と言えど、何も知らない幼子でしかない。女神様の愛を知れば、すこやかに育つはずです」 

 

 信心深い老人たちは、都から来た神父の言葉に頷いた。

 

 狩りのリーダーとして村の生活を支えるヤークトと、神父として女神の愛と心の安寧を説くエルネストが揃って面倒を見るというなら、それ以上何が要るのか。

 

 エルネストはヤークトの後ろに隠れ、ヤークトの服を握っているメレに近づいた。

 しゃがんで、そっと抱き寄せた。

 額に親愛の口づけをして、言った。

 

「よくここまで一人で頑張りましたね。これからは私たちと、女神様が見守っていますよ」

 

 それからポケットからクッキーを取り出して、メレの手に乗せた。

 

---

 

 メレには、いきなり抱きついてきた「しんぷさま」の意味がわからなかった。

 

 「しんぷさま」が言う「めがみさま」とはなにかもわからなかった。

 

 渡されたものも初めて見る形をしていたので、どうすればいいかわからなかった。

 

 メレはヤークトをじっと見た。

 ヤークトは呆れたように笑った。「食べていいんだよ」

 

 食べた。

 甘かった。

 これまで森の果実や木の実と、ヤークトのスープしか食べてきたことがなかった。

 こんな甘いものを食べたことがなかった。

 驚いて、もう一度見た。小さな丸い、茶色いもの。

「これが……「めがみさま」?」

 

 村人たちから笑いが漏れた。

 エルネストも思わず吹き出した。

 それから咳払いして、丁寧に言った。

 

「違いますよ、それはクッキーというお菓子です」

 

 エルネストは微笑んだ。

 

「女神様は、大いなる愛で世界を見守りくださる聖なる存在なのですよ。あなたと私が今日こうして出会えたのも、女神様のお導きなのです」

 

 メレはクッキーを見た。それからエルネストを見た。

 

 「大いなる愛」「世界を見守る」「聖なる存在」「お導き」という言葉が、次々と頭の中に入ってきた。

 入ってきたそばから行き場をなくして詰まった。メレの頭はあっという間にいっぱいになった。

 

 「めがみさま」が何なのか、よくわからなくなった。

 

 そもそも、メレにとって聖なる大樹は木の実と果実を落としてくれた大きな木でしかなかった。

 それ以上でも以下でもなかった。

 

 メレはクッキーが乗っていた自分の手を見た。小さく、白く、幼い手だった。

 クッキーと「めがみさま」は、どう違うんだろう。

 

 ぼんやりとそう思った。答えは出なかった。

 

---

 

 こうしてエルネストはメレに女神教と女神の愛を教えることになった。

 教えることになったが、難航した。

 

 メレは魔族で、しかも頭の出来がすこぶる悪かった。人間的な愛に目覚めることはなかった。

 覚えも非常に悪く、同じことを何度教えても次の日には半分忘れていた。

 

 しかしエルネストが辛抱強く教え続けた祈りの言葉と、説教と、聖典の例え話は、ヤークトの教えと同じように、メレの中に少しずつ積もっていった。

 意味はわからなくても、音は残った。形は残った。

 

 そしてそれが、後に人間たちがメレを誤解する大きな理由の一つになった。

 

 どうしようもなく弱く、貧弱で、戦うことのできないメレにとって、「めがみさま」への祈りの言葉は、生きるための魔法の言葉になった。

 

 意味を知らないまま唱えることができる、魔法のような何かに。

 

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