世界でいちばんかよわい魔族。   作:業務用きなこもち

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第4話 春

 

 冬が終わった。

 

 雪が溶けて、土が出て、草が芽吹いた。

 木に実がなり、獣が動き出し、鳥が鳴いた。 

 森の匂いが変わった。

 メレはそれを感じて、ほっとした。

 冬は食べ物が少なく、寒かった。

 春はそれが終わる季節だった。

 

 それだけで十分だった。

 

---

 

 村にはすっかり慣れた。

 

 別役に立つことはなかった。

 むしろ何もないところで転んだり、物覚えが悪くてヤークトに同じことを何度も教わったり、村人たちに「これはなに?」とあらゆるものについて聞いて回ったりしていた。

 何をどうしたのか家の中をぐちゃぐちゃにしたメレに辛抱強く教えこんだ教育と躾の成果が出ていた。わからなければまず聞け、というやつだ。

 

 村人たちはそのうちメレの毒気を抜かれた。

 魔族ということを、日々の暮らしの中で忘れていった。

 

 子供たちの輪に引き込んだのはエーリッヒだった。

 

 村の中でもガキ大将然とした少年で、村の子供の中でも最も小さく幼く見え、新参者のメレを妹分と決め、有無を言わさず手を引いて連れ回した。

 メレは特に拒まなかった。エーリッヒについていけばたいてい何かを食べさせてもらえた。

 

 森に入ったとき、メレは木の実を見つけて何も考えずにボリボリと食べた。

 それを見ていた子供たちが真似をして、腹を壊した。

 メレには理解できなかった。これを食べても何ともないのに、なぜ。

 

 花摘みをした女の子がメレに花の首飾りを作ってくれた。

 メレは受け取ってむしゃむしゃと食べた。女の子は泣いた。

 飾るものだということをメレは知らなかった。

 なぜ食べられるものを首にかけるのか、メレにはやはり理解できなかった。

 

 村人たちはそういった一幕を微笑ましいものとして受け取った。

 

---

 

 エーリッヒの家は牧畜をしていた。

 

 羊とヤギを飼っていた。

 ある日、エーリッヒに連れられてその牧場に行った。

 羊たちはメレを見るとメエメエと鳴きながら寄ってきた。

 

 群れで来た。

 頭突きをしてきた。

 顔を舐めてきた。

 どんどん増えた。

 

 メレは恐怖を感じた。こわい。こわい。こわい――

 生まれてから身を守る術をほとんど持たず、大きな森の獣たちから逃げ隠れてきた本能と魔族的な殺意が動いた。指先を伸ばした。

 

「神経を眠らせる魔法」。

 

 光がこぼれた。

 

 羊たちは一斉におとなしくなった。

 メレに静かに寄り添った。

 動かなくなったわけではなかった。

 ただ、穏やかになった。

 

 羊たちに囲まれたままのメレはそこから動けず困ってしまったが、その光景はエーリッヒの目に、エーリッヒの親の目に、妙に神々しく映った。

 白い幼子が羊たちに静かに囲まれている。

 村でその話が広まり、また新しい噂になった。

 

---

 

 メレが何者かについて、村人たちはてんでばらばらなことを言った。

 

 魔族だが罪のない無垢な幼子だ、と言う者がいた。

 奇形を持って生まれただけの人間の捨て子ではないか、と言う者がいた。

 メレの長くはないがエルフのように少しとがった耳と、村の動物たちをおとなしくさせる不思議な魔法を見て、魔族ではなくエルフの幼子ではないかという者がいた。あんなに穏やかな魔法を使う魔族なんて聞いた事がない。

 果ては女神様の御使いだと言い出す者まで現れた。

 聖なる大樹の傍で倒れていた、美しく無垢で、より良き魔法を使う女神様の幼子ではないか。。

 

 どれもメレの実態からは的外れだった。

 

 メレは魔族だった。

 人間に対する殺意もちゃんとあった。

 しかし極端に弱く、魔力も薄く、生存本能が強かった。

 森で弱者を喰らう獣たちからずっと逃げ隠れしてきた経験と生存本能が、殺意よりも先に働いた。

 村人たちはみなメレより大きく、メレを脅かした獣の肉を食うのだ。

 殺す、という事はそんな村人たちと戦わなければならない。

 

 怖かった。

 

 そして決定的に頭が悪かった。

 良くも悪くも、悪知恵が働かなかった。

 

---

 

 春が深まった頃、村の若い夫婦に初めての子供が生まれた。

 

 村一番の話題はメレからその赤ん坊に移った。

 メレも含む子供たちが連れ立って家を訪れ、一人ずつ抱かせてもらった。

 

 エーリッヒが抱いたとき、赤ん坊が泣き始めた。烈火のように泣いた。泣き止まなかった。

 

 エーリッヒは羊たちの一件を思い出して、メレに赤ん坊を渡した。

 

 メレはよろけた。思ったより重かった。

 赤ん坊は泣き続けていた。やかましかった。

 メレはムッとして、苛立った。

 メレはやかましいのが嫌いだった。

 

 指先を伸ばした。

 

「神経を眠らせる魔法」。

 

 メレは赤ん坊を撫でた。

 全力だった。殺意があった。

 

 赤ん坊は泣き止んだ。

 それどころかキャッキャと笑い出した。

 ベタベタとメレの顔に手を伸ばしてきた。

 頬をつかんだ。鼻を引っ張った。耳を叩いた。

 

 痛かった。

 

 メレは更に不機嫌になった。

 全力の殺意のまま魔法をかけ、赤ん坊を撫で続けた。

 やがて赤ん坊はうとうとし始め、深い眠りに落ちた。

 

 メレは歓喜した。

 

 これまで勝負すらさせてもらえなかった。

 強いけものから逃げ続けてきた。

 それが今、攻撃してくる相手を無力化した。

 初めて、戦いに勝てた。

 

 本能がムラムラと湧き上がった。

 

 森では強者たる獣が弱者たる獣を食べた。

 村ではヤークトたち狩人が狩ってきた獣を解体して余すところなく使った。

 エーリッヒの家の羊とヤギは老いれば屠られて肉になった。

 勝った者には生殺与奪の権利がある。

 そしてこの戦いに勝ったのはメレだった。

 

 メレは食事前に唱える言葉を思い出した。

 

 エルンストが言っていた。

 毎日の食事前には必ず女神様への感謝と祈りを捧げましょう。そうすればクッキーだけでなく、もっとおいしいお菓子をあげますよ、と。

 

 よくばりなメレは目の前の赤ん坊を食べたかった。

 だけど甘いクッキーも食べたかったし、「もっとおいしいお菓子」だって食べたかった。

 

 口を開いた。

 

 世界を見守りくださる女神様に祈りを。

 私たちを産み、育てて下さる空と海と大地の精霊に感謝を。

 そして私たちと一体となるこのニンゲンの子に永遠の祝福を。

 

 一瞬、静寂があった。

 

 それから拍手が湧いた。

 

 美しく幼い少女が、生まれたばかりの赤ん坊に清らかな声で祝福の祈りを捧げた。

 みな感嘆した。

 心が洗われるような神聖な気持ちになった。

 食事前の祈りだと気づいた者は一人もいなかった。

 

 メレが内心で何を考えているかなど、もはやどうでもいい事だった。

 

 メレは嬉しかった。

 

 拍手が湧いた、ということはこのニンゲンたちが食べることを認めてくれたのだ。

 嬉しくて嬉しくてしょうがなくなった。

 思わず、エルンストがいつもメレにしてくれるように、赤ん坊の額に口づけをして―

 

 その瞬間、赤ん坊が母親に取り上げられた。

 

 母親が何かを言っていた。

 感謝の言葉らしかった。

 しかしメレには聞こえていなかった。

 

 初めて捕まえた獲物を、奪われた。

 

 あの戦いで勝ったのに。あの過酷で厳しい生存競争に勝ったのに。

 ずっと攻撃に耐え、痛いのを我慢して眠らせたのに。

 

 メレはポロポロと涙をこぼしはじめ、それからわんわんと泣き始めた。

 エーリッヒが戸惑いながらなんとかしようとしたが、泣き止まなかった。

 泣き続けているうちに、魔力を使い果たした疲れが来た。

 泣きじゃくる体力も尽きた。

 メレはそのままぐったりとなって、眠った。

 

---

 

 夜になって、エーリッヒがメレをおんぶしてヤークトの家まで送り届けた。

 

 家でぱっちりと目を覚ましたメレとともに、夕飯をごちそうになった。今日の一部始終はエーリッヒがヤークトに話していた。ヤークトは黙って聞いた。それから台所に立った。

 

 出てきたスープは、いつもより豪華だった。肉が多く入っていた。野菜もたっぷりだった。

 

 馬鹿で愚鈍で忘れやすく、食いしん坊なメレは豪華なスープを見てあっけなく機嫌を取り戻した。

 もちろん食事前に祈りの言葉も忘れなかった。

 それが終わると夢中で食べた。

 豪華なスープはいつもよりとても美味しかった。

 食べ終えると、おなかがいっぱいになった。

 メレはまたうとうとした。

 

 エーリッヒが帰った。

 

 ヤークトはうとうとと船を漕いでいたメレをベッドに移し、同じベッドで寝た。

 星月夜だった。窓から光が差し込んでいた。

 メレの白い髪を、大きな手でゆっくりと撫でた。

 

 すこやかに育ってくれそうだ、という深い実感があった。

 それがとても嬉しかった。

 何がそう思わせるのか、うまく言葉にはならなかった。でも確かにそう感じた。

 

 眠っているメレの顔は穏やかだった。

 

---

 

 こうして、メレが村に来てから初めての春は過ぎていった。

 

 村はこの先も変わらず続いていくように見えた。

 

 十年後、この村がメレとエーリッヒを残して皆殺しにあうなど、誰も想像すらしていなかった。

 

 

 

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