世界でいちばんかよわい魔族。   作:業務用きなこもち

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第5話 狩り

 

 春が三度めぐり、エーリッヒは十三歳になった。

 

 ヤークトの裏庭では、朝のうちから木剣が空気を切る音が続いていた。

 エーリッヒは汗を光らせながら素振りをくり返し、ヤークトはその隣で腕を組んで見ていた。  

 ヤークトは七十才を超えていたが、稽古や指南する際の動きは今も若者を圧倒した。

 

 稽古で一歩踏み込んで木剣を弾いてみせるたびに、エーリッヒは歯を食いしばって構え直した。

 

 メレとエルネストは縁側に腰かけてそれを見ていた。

 

 木剣の打ち合い。動き。息遣い。

 

 無我夢中で激しいが未熟なエーリッヒの剣と、静かな動きで受け流し、冷静に返し刀を入れるヤークトの剣。

 

 メレは村に拾われた頃よりずいぶん肉がついた。

 

 頬に丸みが出て、腕も脚も華奢で細いながら折れそうではなくなった。

 身長も少しだけ伸び、七つか八つほどに見える。

 だがここ一年ほど、その外見や身長はぴたりと止まっていた。

 

 ヤークトはそれを見ながら、魔力の薄い魔族はそういうものなのだろうか、あるいは魔族は年の取り方が違うのかと思ったが、口には出さなかった。

 

 止まった時間の中で、メレの傷一つないしなやかな純白の髪と肌、金色に輝く大きく美しい瞳だけが以前より鮮やかに美しく見えた。

 

 拾われた頃の幼児的な姿から美しい少女性のはじまりが差し込み、都の職人が丁寧に作った人形に、誰かが息を吹き込んだようだった。

 

 エーリッヒの木剣が弾きとばされ、稽古が一区切りついた時、メレはぽつりと声をかけた。

 

「メレも、やりたい」

 

 ある朝、メレはそう言った。

 

「メレも……剣、やりたい」 

 

 ヤークトは眉をわずかにひそめ、白い少女を見下ろした。エーリッヒは「え?」と目を丸くする。

 

「……お前がか」

 

「うん。剣つかえたら、メレも「狩り」できる?……メレ、お腹すく。弱いから、すぐ死んじゃう。剣つかったら、勝てる?」

 

 ヤークトはしばし無言だった。

 

 その横で、エーリッヒとエルンストが目を合わせる。

 ヤークトはため息をついて、一番軽い木剣を倉から出してきた。

 柄を持たせると、メレの体がすうっと傾いた。

 剣の重さに引っ張られるように、そのまま前のめりになる。

 両手で握り直しても同じだった。剣がメレを振り回した。

 

「……おもい」

「一番軽いのを持ってきたんだがな」 

 

 ヤークトは少しだけ肩をすくめた。

 

「力がないと、剣は振れん。無理しても怪我するだけだ」

「……むり?」

「今のお前には、だ」

 

メレは唇をきゅっと結んだ。

諦めきれない顔で、今度はヤークトが普段狩りで使っていた弓に視線を向ける。

 

「じゃあ、弓」

「メレ、それはもっと――」 

  

 エーリッヒの制止も聞かず、メレは弓に手を伸ばした。

 細い指で弦をつまみ、矢を番えようとするが、弦はぴんと固く張りつめ、メレの力ではびくともしない。 

 

「……」

「引けないだろう」

 

 ヤークトの言葉は淡々としていた。

 

 メレは何度も何度も試したが、指は震え、弦は少しも下がらない。 

 最後には、真っ白な指先が真っ赤になってしまった。

 

「メレ、もういいよ」

 

 エーリッヒがそっと弓を取り上げる。

 

「狩りなんて、メレがしなくたっていいじゃん。俺がやるし、ヤークトさんもいるし。村のみんなもいる」

 

「そうですよ」

 

 エルネストも、少しだけ困ったように笑顔を向けた。

 

「メレは村で一番の子供たちの遊び相手です。祈りも癒しの魔法も上手い。無理して剣なんか振らなくても良いんですよ」

 

 メレは二人の言葉を聞きながら、じっと自分の手を見つめていた。

 

 青白い、細く小さな手。

 指を動かしてみる。握ってみる。

 力を込めても、何も変わらない。 

 

 ただ、胸の奥の「弱いから死ぬかもしれない」という感覚だけが、じわりと広がっていく。

 

「……いや」

 

 小さく、しかしはっきりと、メレは首を横に振った。

 

「メレ、狩りしたい。弱いまま、いや」 

 

 その言葉に、ヤークトは思案げに目を細めた。

 しばらく沈黙したあと、ぽつりと言った。 

 

「……力がなくても、時間をかければできる“狩り”はある」 

 

 メレの耳がぴくりと動く。

 金色の瞳が、真っ直ぐにヤークトを見上げた。

 

「罠だ」

 

---

 

 ヤークトが罠の作り方を教え始めたのは、それから数日後のことだった。

 

 縄の結び方、枝の選び方、獣道の見つけ方。

 ひとつひとつが、メレにはなかなか入らなかった。

 同じことを五度言っても、次の日には半分忘れていた。

 ヤークトは怒らなかった。ただ繰り返した。

 繰り返すことに、この老狩人は慣れていた。

 

 ヤークトが教えたのは待つ事と、耐える事だった。

 たとえ上手くいかなくても罠を仕掛け、獲物が捕まるまで待ち続けるのが大切なのだと。 

 

「罠は根気だ。待ち続ければ、いつか何かがかかる」 

 

 その言葉が、メレの胸に妙にすとんと落ちた。

 

 メレは毎朝森へ出かけた。罠を確認して、直して、また仕掛けた。手が傷だらけになっても表情は変わらなかった。何週間かが過ぎた。

 小さな罠に、小さなねずみが一匹かかっていた。小さく、みじめに痩せ細っていた。骨が浮いて見えるほどだった。

 メレはしゃがみ込んで、じっとねずみを見た。

 自分が作った罠に、獲物がかかっている。

 

 メレの金色の瞳が、ぱあっと大きく開かれる。 

 胸の奥から、なにか熱いものが込み上げてきた。

 

「狩れた……」

 

 掠れた声で、ゆっくりと言葉を落とす。

 不思議な感覚と嬉しさがメレを突き動かした。

 両手でネズミをそっと抱き上げ、くるくるとその場で回り始めた。白い髪がふわりと舞い、わずかにとがった耳が揺れる。

 

「メレの、狩り……できた……勝った……!」

 

 ネズミは恐怖で暴れていた。

 小さな爪でメレの手を引っかき、牙で噛みつこうとする。

 

 メレはその頭に人差し指をちょんと触れた。

「神経を眠らせる魔法」。

 

 淡い光が指先から零れ、ネズミの身体から力が抜けた。

 

 ぴたりと動かなくなったそれを、メレは胸に大切に抱きしめた。

 

---

 

「料理して」

 

 ヤークトの前に差し出されたのは、おとなしく丸まったねずみだった。

 小さく痩せ細った、まるで拾われた頃のメレの様なねずみ。

 

 ヤークトは少し考えた。

 

「籠で飼え」

 

メレはねずみと、ヤークトの顔を交互に見た。

 

「食べない?」

「飼うんだ」

 

 メレは理解できないという顔をしたが、ヤークトが台所から小さな籠を持ってきて藁を敷いてやると、とりあえずねずみをその中に入れた。

 翌朝から、メレは籠の前に座ってねずみに魔法をかけ続けた。 

 指先から光をこぼして、ねずみを眠らせて、目が覚めると笑みもなく見つめた。

 

 一日一回。気が向けば二回。

 

 メレの中では、これは練習だった。

 ヤークトが教えてくれた。

 魔法は、繰り返し使えば使うほど、少しずつ強くなる、と。

 森の子どもたちは、石を千回投げれば、そのうち一つは遠くへ飛ぶと言った。

 メレは、その感覚をそのまま魔法に当てはめていた。

 

 百年、二百年、もしかしたら千年かけて、「眠らせる魔法」は「永遠に眠らせる死の魔法」になる。 

 そうしたら自分は戦いで誰かに勝てる。ねずみはそのための練習台だと、メレは思っていた。

 

「だから、練習……」 

 

 ねずみは最初こそ怯えていたが、メレが餌を与え続け、優しく撫で続けるうちに、いつのまにか少女に懐いていった。

 

 籠から出しても、逃げない。

 

 メレの肩の上をちょろちょろと歩き、白い髪の上にちょこんと乗る。

 

 メレが「神経を眠らせる魔法」と呟き、撫でればねずみはぴたりと目を閉じて眠る。村人たちはその光景をみて、女神様に祝福された子だと噂しあったが、メレとねずみには関係のない事だった。

 

 ねずみはエサをやるうちに痩せ細っていた体に肉がつき、ひとまわり大きくなった。

 

 エーリッヒが「名前つけないの」と聞いた。

 メレは少し考えて、「ねずみ」と答えた。  

 エーリッヒは苦笑いした。

 

「そのままじゃないか」

 

 季節がめぐった。秋になり、また春が来た。

 ねずみはメレのそばを離れなかった。 

 

 何度めかの冬が来たとき、ねずみは動かなくなった。

 

 「……?」

 

 メレはいつものように木箱の前にしゃがんだ。

 中を覗き込む。ネズミは、丸くなっていた。

 目は閉じている。

 いつものように眠っているようにも見えた。

 

「おはよう」

 

 メレは指でそっと頭を撫でた。 

 動かない。

 

「……ねてる?」 

 

 首をかしげる。

 指でつつく。揺する。呼びかける。

 

「おきて。魔法、かける」

 

 いつもの癖で、メレは指を伸ばした。

 

「神経を眠らせる魔法」。

 

 淡い光が零れる。

 しかし、何も変わらない。

 ネズミは、ただ静かに横たわっている。

 

 胸の奥で、何か大きなものが沸き上がった。

 胸の奥で、何かがひり、と痛んだ。

 

 メレは、しばらくその場に座り込んだまま動かなかった。それから泣いた。

 

 声は出なかった。ただ、目から涙が落ちた。

 細い頬を伝って、顎から垂れた。

 メレは泣いていることに気づいていないような顔で、死んだねずみを見ていた。

 

「ようやく……」

 

 ヤークトが部屋に入ってきたとき、メレはそう小さく呟いていた。「ようやく、できた」

 

 ヤークトはメレが泣いているのを見た。

 ねずみが死んでいるのを見た。

 そういうことかと思った。

 

「可愛がっていたからな。悲しいんだろう」

「かなしい?」

「大事にしていたものがいなくなったんだ。人間は、そういうとき泣く。お前も、そういうところは人間と同じなんだろうな」

 

 メレは、自分の頬に触れた。

 涙で濡れている指先を見る。

 

「かなしいから、泣いてるの?」

「そうだ」 

 

 ヤークトは、少女の頭に大きな手を置いた。

 

「庭に、こいつの墓を作るか」

「はか?」

「死んだものを土に返す。人間のやり方だ」

 

 メレは首を傾げた。

 

「土にかえる?」

「そうだ。土に埋めれば、やがて土になる。いつか、その土から草が生える。草を、他の獣が食う。ぐるぐる回る。それが自然だ」

「……ふうん」 

 

 メレの中には、埋葬という観念はない。

 死んだものは、食べる。

 食べれば、自分の一部になる。

  

 それもまた、「ぐるぐる回る」ことのように思えた。

 

「メレ、森に行く」

 

 少女はそう言って、ネズミを胸に抱いたまま立ち上がった。

 

「ああ、行ってこい。雪で足元が滑るから気をつけろ」

「うん」

 

 ヤークトは止めなかった。

 雪が積もっていた。

 メレは森の奥へ歩いた。

 木々が密になって、陽が届かなくなるあたりまで進んだ。

 苔むした岩の間に、洞窟があった。

 湿った空気。石の匂い。

 

 メレはかつてここで暮らしていた。

 雨をしのいで、寒さをしのいで、一人で夜を重ねていた。

 クマが奥に住んでいることも知っていたし、特に気にしていなかった。

 

 洞窟に入り、静かに膝をつき、座った。

 

 世界を見守りくださる女神さまに、祈りを捧げます。

 私たちを産み、育てて下さる空と海と大地の精霊に感謝を。

 そして私たちと一体となるこのねずみの子に永遠の祝福を。

 

 エルンストに教わった祈りの言葉を、意味も分からず、一言一言ゆっくりと口にしていく。

 

 その声は、白い息となって、冷たい空気に溶けていった。

 

 祈りを終えると、メレは目を開けた。金色の瞳が、もう一度ねずみを見つめる。

 

「いただきます」

 

 小さな声でそう言ってから、彼女はネズミを両手で持ち上げた。

 

 そして、そのまま口元へと運ぶ。 

 

 やわらかい毛。

 小さな骨。

 塩気と血の味。

 

 メレは、噛みしめるたびに丁寧に骨を舐め、肉を残さないように食べ進めた。

 

 墓の意味はわからなかった。

 埋葬の意味もわからなかった。

 死んだものは食べものだった。

 それがメレの知っている死者への礼儀だった。

 

 静かに食べ終えると、積もった雪で手と口をぬぐった。白い雪が少し赤くなって、また白くなった。 

 自分の手と口元を見て、メレは満足げに頷いた。

 

「さよなら」 

 

 洞窟に向かって、最後にもう一度呟く。

 それから、くるりと踵を返し、村へ向かって歩き出した。

 

振り返る事はなかった。

 

---

 

「さよなら、したよ」

 

 帰り着いたメレはそう言った。

 ヤークトは頷いた。

 森に埋めてきたのだと思った。

 子供なりに、きちんと弔えたのだろうと思った。

 

「そうか。よかった」

 

 メレは靴の雪を落として、暖炉の前に座った。

 手をかざして温めた。白く美しい睫毛が、火の色に染まった。

 窓の外では雪がまだ降っていた。

 

 村の日常は、つつがなく過ぎていった。

 

 

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