世界でいちばんかよわい魔族。   作:業務用きなこもち

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第8話 教会問答

 

 血のついた服のまま、メレは教会の椅子に座っていた。

 

 蜜蝋の灯りが揺れていた。いつもと同じ灯りだった。

 いつもと同じ匂いがした。でも、いつもと違った。

 

 エーリッヒは教会の外に出されていた。

 エルネストが望んだ事だった。

 エルネストが向かいに座っていた。

 クッキーを出さなかった。

 手を組んで、メレを見ていた。

 その顔をメレは知らなかった。

 何年も何年も毎朝会ってきた顔だったが、この顔は知らなかった。

 

 「メレ」

 

 声が低かった。

 

 「ヤークトの家で、何をしていたか。話しなさい」

 

---

 

 メレは正直に話した。

 ヤークトが死んだこと。死んだから食べたこと。

 エルネストは顔を変えなかった。

 変えないようにしていた。

 

 「なぜ食べたのですか」

 「死んだから」

 「死んだら、食べるのですか」

 

「うん」

 

 メレは少し考えてから言った。

 

「ヤークトは大事だったから、キレイに食べた。一つになる方がいい。腐らせるのもったいないよ?」

 

 エルネストは目を閉じた。それから開けた。

 

「ヤークトを……狩ったのですか」

「うん。ずっとそばにいた。背中さすったり、魔法で苦しいのやわらげたり。死ぬまでずっと。弱くなって、ヤークト死んで、メレが勝った。だから食べた」

 

 エルネストの手が、膝の上でわずかに動いた。

 

「ヤークトは……あなたを育ててくれた人でしょう。ご飯をくれて、住む場所をくれて、一緒のベッドで寝た。それでも……狩りの対象だったのですか」

 

 メレはきょとんとして、エルンストを見た。

 

「うん。ヤークトはあたたかかった。メレをベッドで抱きしめてくれた。スープ、おいしかった。罠のつくりかたも教えてくれた……だから、キレイに食べた。大事に食べた」

 

 沈黙があった。

 エルネストには言葉がなかった。

 怒る言葉も、許す言葉も、どちらも出てこなかった。

 

---

 

「人間は、死んだ人を食べません」

 

 しばらくして、エルネストは言った。

 静かな声だった。

 

「なんで」

「女神様が……」エルネストは一度止まった。

「女神様の教えでは、人の体は土に還すものです。魂が女神様のもとへ行けるように。食べることは、その道を塞ぐことになります」

 

「魂って、食べたら出てくるの」

「……食べても出てきません」

「じゃあ、関係ない」

 

「メレ」

 

 エルネストの声が少し変わった。硬くなった。

 

「それは……関係あるのです。人の体には、尊厳があります。食べ物ではありません」

「森のけもの、狩ったら、みんなでキレイに食べるよ。骨まで出汁にして、残さない。それをヤークトが教えてくれた。残さずキレイに食べるのが、大事にすること、って。なんで人間は違うの?」

 

 エルネストは答えなかった。

 

 メレは続けた。ただ、本当にわからなかった。村に来たばかりの頃、なんにでも「これはなに?」と聞いて回ってたころのメレと一緒だった。

 

「エーリッヒが狩りから帰ると、鹿や兎をみんなで食べる。全部食べる。なのに人間が死んだら土に埋めて腐らせる。なんで? 腐ったら、もったいないよ?」

 

「もったいない……」エルネストは低く繰り返した。「人を……もったいない、と」

「ちがうの?」

 

 エルネストは長い間、何も言わなかった。

 

 答えを持っていなかった。

 「女神様がそう定めているから」という言葉は出てきた。

 しかしメレに向けて言える言葉ではなかった。

メレはずっと祈りを唱えてきた。女神教の言葉を、誰より真剣に繰り返してきた。

 

 だが、恐らく。認めたくないことだが。

 メレは言葉を本当の意味では理解していない。

 

 そんな魔族の子に「女神様がそう言っているから」とだけ言うことが、エルネストにはできなかった。

 

---

 

 「メレ」

 

 エルネストは再び口を開いた。今度は声が違った。

 低く、静かで、問い詰める声だった。

 

「あなたは……本当に、女神様の教えを理解しているのですか」

 

 メレはエルネストを見た。

 

「女神さまって……クッキーと違うの?」

 

 エルンストの顔が止まった。

 メレは構わず続けた。

 

「エルネスト、毎朝クッキーくれた。おいのりしたら、クッキーくれた。女神さまも……祈ったら、何かくれるの?

メレ、よくわからない。でもおいのりの言葉は全部言える。

 

世界を見守りくださる女神さまに、祈りを捧げます。

私たちを産み、育てて下さる空と海と大地の精霊に感謝を。

そして私たちと一体となるたべものに永遠の祝福を。

 

全部言えるよ」

 

 エルネストはしばらく動かなかった。

 それから、もう一度だけ聞いた。

 

 「なぜ、ヤークトを食べてはいけないか。わかりますか」

 

 メレは考えた。正直に、必死に、一生懸命考えた。

 

「……わからない」

「わかりなさい」

「わからない。本当にわからない。ヤークトを大事にしたかった。だからキレイに食べた。なんでいけないのか、わからない」

「わかりなさい、メレ」

 

 エルネストの声がまた変わった。

 静かなままだったが、その静かさが怖かった。

 怒鳴る怖さではなかった。

 何度答えても次の問いが来る、終わらない怖さだった。穏やかに「わかったよ」と言ってもらえない怖さだった。

 

 メレは答えを探した。

 どこにもなかった。

 

「エルネスト」メレは言った。「エルネスト、怖い」

「メレ——」

 

「いつもと違う。メレ、何度答えても、エルネスト、わかった、って言わない。言ってくれない。メレ、悪いことした? でも、なんで悪いのか、わからない。わからないのに、わかりなさいって言う。メレ、頭、パニック。わからない、わからない——」

 

 目から涙が出てきた。

 声が震えた。嗚咽が混じった。

 メレは両手を膝の上に置いたまま、泣いた。

 声を上げて泣いたのではなかった。ただ涙がこぼれて、止まらなかった。

 

 エルネストは立ち上がって、メレの前にしゃがんだ。

 

「メレ……」

 

 困った顔だった。叱ることも、許すことも、抱きしめることも、どれもできない顔だった。

 魔族の行いをした子と、泣いている幼子が、目の前に同時にいた。

 

---

 

 扉が開いた。

 エーリッヒが飛び込んできた。顔が青く、息が上がっていた。

 

「山賊が来た。村の入口、もう火が出てる」

 

 外から叫び声が聞こえた。

 エルンストが立ち上がった。振り返った。教会の奥を見た。祭壇の脇の大きな木箱。聖具を入れる箱。

 

「来なさい」

 

 メレの手を引いて行った。蓋を開けた。

 

「入りなさい」

「エルネスト」

「いいから。静かになるまで、絶対に出ないように。何があっても」

「エルネスト——」

 

 メレは泣いたままの真っ赤な目でエルネストを見た。

 

「静かになったら、来てくれる?」

「……約束する」

 

 メレは箱に入った。膝を抱えた。蓋が閉まった。

 暗くなった。

 足音が遠ざかった。扉が開いて、閉まった。

 

---

 

 暗かった。

 外の音が始まった。

 叫び声。金属の音。何かが燃える音。

 木が崩れる音。悲鳴が重なった。

 メレは膝を抱えたまま動かなかった。

 

 約束したから、出なかった。エルンストが「絶対に出るな」と言ったから、出なかった。

 

 火の音が大きくなった。近くなった。また遠くなっ た。悲鳴の数が減っていった。

 暗くて、狭くて、音だけがあった。

 

 さみしかった。

 

 森にいた頃の孤独とは違った。

 洞窟で一人でいたときは、温かさを知らなかった。

 今は知っている。

 ヤークトの手の温かさを知っている。

 エルンストのクッキーを知っている。

 エーリッヒの声を知っている。

 

 それが今、ない。

 

「ヤークト」

 

 暗闇の中で呼んだ。

 

 返事がなかった。知っていた。ヤークトはもういない。でも呼んだ。

 

「ヤークト……怖い……」

 

 声が小さくなった。

 

「ヤークト、ヤークト——来て、ヤークト——」

 

 泣きながら呼び続けた。外の音が続いた。やがて外の音が減った。静かになっていった。

 

 メレは泣きながら、眠った。

 

夢を見た。

 

 ヤークトが暖炉に薪をくべていた。エーリッヒが何か言って笑っていた。メレが森からカタツムリを狩ってきた時のことだった。帰り道の突然の雨に振られメレは風邪をひき、看病したヤークトに風邪がうつった。ふたりして風邪をひいて、看病しあった。なおった頃にはカタツムリはどこかに消えていた。さがしてもさがしてもどこにもいなくてメレは泣いた。泣いているメレにエーリッヒが現れた。エーリッヒは森に連れていって、一緒にカタツムリを探してくれた。新しいカタツムリを大事そうにするメレに、「変なもんに喜ぶな」と言いながら口元を緩めていた。

 

暖かかった。

 

---

 

 静寂で目が覚めた。

 外の音がしなかった。

 

 メレは蓋を押した。開いた。

 教会の中は元のままだった。

 窓から白い光が入っていた。

 灯りが消えていた。

 

「エルネスト」

 

 返事がなかった。

 

「エーリッヒ」

 

 返事がなかった。

 教会の扉を開けた。

 

---

 

村が、なかった。

 

 家が黒く崩れていた。煙がまだ上がっていた。

 人が倒れていた。いくつも。いくつも。知っている顔があった。知らない顔もあった。

 子供も、大人も、若者も、老人も。区別なく倒れていた。みんな動いていなかった。

 

 メレは歩いた。

 

 さみしかった。急に、さみしさが来た。

 村に来てから、いつも誰かがいた。今は誰もいない。

 倒れた人たちは動かなかった。返事をしなかった。

 

 目から涙が出てきた。

 

 メレは歩きながら、倒れた人たちのそばに立ち止まった。

 手を取った。冷たかった。両手を胸の上で組んだ。

 祈りの姿勢に直した。それから祈りの言葉を唱えた。

 意味はわからなかった。音を知っていた。

 

 一人に唱えた。次の人に唱えた。また次の人に唱えた。

 

 エーリッヒを呼んだ。どこにもいなかった。

 

---

 

 教会の前に戻ったとき、エルネストが倒れていた。

 石畳の上に、うつ伏せに。服が赤くなっていた。

 メレはしゃがんで、肩に触れた。

 

 指先から光をこぼした。

 

 エルネストが動いた。ひどい咳をした。血反吐が混じっていた。目を開けた。メレを見た。

 

「メレ……」

「エルネスト」

「生きていたか」

 

目が半分しか開かなかった。声がかすれていた。

 

「よかった……」

「エーリッヒがいない」

「……逃げたかもしれない。生きているかもしれない」

 

エルネストはまた咳をした。赤いものが混じっていた。

 

「ここにいてはいけない。山賊がまた来るかもしれない。逃げなさい」

 

「エルネストも一緒?」

「私は……」

 

 エルネストは目を閉じた。

 しばらく何も言わなかった。

 それからまた目を開き、言った。

 

「正直に生きなさい。女神様の言う通りに。それだけでいい」

 

 手が動いた。自分の首のネックレスを外した。

 細い鎖に、小さな女神の印がついていた。メレの首にかけた。

 

「女神様の、祝福を」

 

 手が落ちた。胸が動かなくなった。

 メレはエルネストを見た。

 

 さっき教会の中で怖かった。

 問いが終わらなくて、怖かった。

 でも今は怖くなかった。

 ただ、エルンストがいなくなった。

 

 目から涙が出た。

 

---

 

 村をもう一度回った。

 

 残っていた人たち全員の手を組んで、祈りを唱えた。一人一人。顔を知っていた人も。前を知らなかった人も。ずっと前に赤ん坊として抱いた子供も。その母親と父親も。全員に。

 

 それが終わると、エルネストの元に戻った。

 

 世界を見守りくださる女神さまに、祈りを捧げます。

 私たちを産み、育てて下さる空と海と大地の精霊に感謝を。

 そして私たちと一体となるエルネストに永遠の祝福を。

 

 祈りの言葉を唱えた。

 それから、食べ始めた。

 

 泣いていた。食べながら、泣き続けた。

 嗚咽が出た。それでも手は止まらなかった。ゆっくりと、丁寧に、時間をかけた。

 

 何が悲しいのかわからなかった。なぜずっと泣いているのかわからなかった。

 エルネストがいなくなったことが悲しいのか、問いに答えられなかったことがまだ怖いのか、それとも別の何かなのか、メレにはわからなかった。

 

 ただ涙がこぼれた。止まらなかった。

 

 外の光が傾いて、また明るくなった。

 食べ終えた。

 血をで服でぬぐった。服が赤くなった。

 

 立ち上がった。

 

---

 

「エーリッヒ」

 

 呼んだ。

 返事がなかった。

 村の中をくまなく歩いた。どこにもいなかった。

 村の外に出た。道があった。どこかへと続いていた。

 

「エーリッヒ」

 

 また呼んだ。

 風が吹いた。草が揺れた。返事はなかった。

 首のネックレスに触れた。冷たかった。小さかった。

 

 メレは歩き始めた。

 

 道の先に、死体があった。知らない人だった。

 鎧を着ていた。その先にも、別の死体があった。

 また別の鎧だった。

 人間が人間を殺していた。食べていなかった。

 

 なんで、とメレは思った。

 

 食べないのに、なんでこんなに殺すの。

 

 わからなかった。

 エルネストに聞こうとして、エルネストはもういないと思い出した。

 

 メレは歩き続けた。エーリッヒの名前を呼びながら。

 

 荒れた道が、どこかへ向かって続いていた。

 

 

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