今回はホワイトデー当日にpixivの方で投稿していた作品です。
たまにはノアに勝ちたい先生が、いろいろと無駄なステップを踏むお話です。前半は中々筆が乗らなかったこともあって微妙ですが、後半はいつも通りの作品になっていると思います。ノアとの甘いホワイトデーをどうぞ。
私は……あの娘に勝ちたい!
独房に押し込まれた天パよろしく仕事の波に閉じ込められた私は心の中でそう唱える。というのも、あの娘ことノアという生徒、記憶にある限り私を掌の上で弄んでおり、私は終始ペースを握られっぱなしなのだ。大人として、生徒を導く先生として、負けっぱなしというのはプライドが許さない。
が、一番の問題は私自身、ノアにからかわれ続けるこの関係性を悪くないと思っている節があるところだ。これはよくない。
かぶりを振って雑念を振り払おうとすると、つい先日ノアに仕掛けられた悪戯の成果物であるチョコレートが目に入る。ぱっと見はチョコとはわからない、ボトルインクの容器に入ったチョコレート。
そうだ、折角ならばこのチョコレートを使って普段の仕返しをしてやろう。都合のいいことに、直近にはホワイトデーというイベントも待っている。バレンタインのお返しをするのがホワイトデー。お返しは、何も食べ物だけとは限らない。
そういえば、ノアはいつぞや「好きな詩」といって暗号めいた一節をそっと書いて見せてきたことがあったな。彼女に悪戯し返すのならば、あれに類するようなものを用意するのも面白そうだ。そういうことなら、ヤツに連絡をとらなくては。
突如降ってわいたアイデアにあくどい笑みを浮かべていると、突如執務室の扉が開け放たれる。そこにいたのは、今日のシャーレ当番の生徒が一人、アリスだ。
今やっている仕事は業務を開始してから少しして、緊急案件で降ってきたもの。その前の業務開始時に暇だから好きにしていいと伝えたアリスは、知らない間に積み上げられた書類に一瞬きょとんとした表情を見せる。
「先生、いつの間に緊急クエストを受けたのですか?」
「クエストは時に理不尽に突発するものなんだよ……それで、どうかした?」
乾いた笑いと共にアリスに問い返すと、彼女は思い出したとばかりにポンと手を打ち、とてとてと駆け寄ってきた。
「そうです、先生!謎のバッドイベントが発生しました。攻略法を一緒に考えてください!」
おねだりをする孫のように、邪気な子供のように私の手を取り、そう告げるアリス。その表情は、断られる可能性というものをまるで考慮していないかのようだった。
断れるわけもないので間違っていないのだが。
「バッドイベント?」
「はい!アリス、今日はミドリに勧められた恋愛ゲームをやっていたのですが、マシュマロが好物のキャラに、ホワイトデーにマシュマロを渡したらなぜか好感度が下がってしまいました!」
「……それは、確かに謎だね」
「先生もそう思いますか?マシュマロが好きなのは間違いないのですが、なぜなのでしょう……。アリス、気になります!」
好奇心に瞳を輝かせるアリス。一方の私は省エネ主義の持ち合わせはないし、何より今は目の前の仕事から一時逃れたいう気持ちが強い。アリスとの謎解きを断る理由はなかった。
――――
『……という感じに、バレンタインデーやホワイトデーに贈るものには、いろいろと意味があるの。全員が全員気にするわけじゃないんだけど、ね』
早速餅は餅屋ということで放課後スイーツ部に質問してみたところ、カズサから軽い講義を聞くこととなった。
しかし、何を贈るかで意味合いが変わってくる、か……。マシュマロは『あなたが嫌いです』、ねぇ。……万が一にもワカモやミカに渡すようなことにならなくてよかった。もしこのまま知らずに気まぐれでマシュマロをお返しに選んでいたとしたら……考えたくもないな。彼女たちはこういった話好きだろうし、知らないという可能性に賭けるのはあまりに分が悪い。
私一人では、そもそもホワイトデーに贈る物の意味という概念にすらたどり着けなかったことは想像に難くない。教えてくれたカズサにはもちろん、アリスにも感謝するべきだろう。
「ありがとうカズサ。ホワイトデーのお返しを選ぶときは参考にさせてもらうね」
「ありがとうございました、カズサ!」
画面の奥で意味ありげに苦笑するカズサが通話を終了する。
さて、想定以上に時間を食ってしまったが、息抜きはできた。そろそろ仕事に戻らなくては。
「そういえば先生、書類の山の攻略はソロで大丈夫ですか?アリスにできるクエストがあったら言ってください!」
「ありがとうアリス。でも今やっているのは個別イベントだから協力プレイはちょっと難しいんだ。だから……そうだね、ミレニアムのみんなに好きなお菓子について聞いててくれると嬉しいかな」
本当は手伝ってほしいところなのだが、今回扱うものにはおいそれと他校に漏らしてしまってはまずい情報が少なからず含まれている。アリスの気持ちだけ受け取っておこう。
了解です!と元気よく返事をしたアリスは光の剣:スーパーノヴァを担ぎ直すと、その重さを全く感じさせない軽い足取りで扉へと駆けていく。部屋を出て曲がり、風をはらんだ長い髪が見えなくなって数秒。ひょっこりと扉枠からアリスの顔が戻ってきた。かわいいけどちょっとびっくりするな。
「そういえば先生、ユウカの誕生日プレゼントもお菓子にするんですか?」
「あーうん、そう、だね……?」
「わかりました!アリス、出動です!」
ユウカの、誕生日……?
完全に頭の中から消えていたイベントに固まってしまった私の異変にアリスが気づいた様子はなく、今度こそミレニアムへ向かったようだ。ぱたぱたという足音が遠のいていく。
私はギギギ、と壊れかけのロボットのようにゆっくりと振り向き、タブレットのカレンダーを開いた。確認するのは、もちろん3月14日のイベント。そこには確かに、早瀬ユウカ誕生日と書かれていた。
完っ全に忘れてた……いや、正確にはノアへの仕返しで頭がいっぱいでうっかりしていただけなのだが。決してユウカのことを軽んじているわけではないことはわかってほしい。
などと、誰に対するものかもわからない弁明を脳内で繰り広げながら、状況を整理する。……うん、シャーレでは公平性の維持のためにも、生徒に誕生日プレゼントは渡さないようにしている。今から急いで用意するものがあるわけでもなし、焦る理由はないだろう。当日さも忘れてなんていませんでしたよというような顔でユウカを祝えばいいわけだ。
もちろん、生徒の誕生日はめでたいことである。私にとってはたくさんいる生徒、そのうちの一人の誕生日に過ぎないかもしれない。だが、彼女たち一人ひとりにとっては一年に一度の特別な日なのだ。蔑ろにするつもりはない。
兎にも角にも、すべては目の前の仕事を片付けないといけない。一度大きく深呼吸をして、改めて目の前の書類の山に取り掛かった。
――――
日も傾き、空が赤みをはらんできたころ。
ピコンという通知音で、仕事に集中していた意識が連れ戻される。
「あれ、もうこんな時間か。着信は……」
タブレットを手繰り寄せ、画面に表示されている通知を見て、私は口の端を吊り上げた。うず高く積まれていた山も気づけば残りはごくわずか。今日はここらで切り上げるとしよう。
おつかいに行ってもらったアリスに、いい時間だから結果は次シャーレに来た時かモモトークで教えてほしいと伝えると、すぐにスネイルがOKサインを出しているスタンプが返ってきた。忘れ物がないかなどわずかばかりチャットのやり取りをし、タブレットを閉じる。
PCの電源などを落とし、シャーレをいつもより少し早く退勤して町へ繰り出す。向かう先は、アビドス方向の商店街。
まだ冷える空気に時折身を震わせながら進んでいくと、やがて前方に一つの人影が見えてうる。
「クックック、珍しいですね。先生のほうから頼み事とは」
「久しぶりだな黒服。顔の傷はまだ治んないのか?」
「我々は先生や生徒とはまた違う者ですから、あまり気になさらず。ひとまず、腰を落ち着けられる場所に移動しましょうか」
何が楽しいのか常にくつくつと含むような笑いを漏らす黒服と連れ立って行きつけの居酒屋に入る。ゲマトリアメンバーと呑むときは決まってこの店になるのだが、一体いつからそんなことになったのか、もはや覚えていない。
「大将、まずは生二つ」
「あいよっ、今日は二人だけなのかい」
「他は忙しかったみたいで」
すっかり顔なじみの大将にオーダーして、黒服に向き直る。……毎回不思議なんだが、こいつは一体どこから飲食しているんだろうか。
私の視線に気づいたいのか、黒服は佇まいを直し、口の前で手を組むようにして少し顔を伏せる。
「さて、用件を聞きましょうか」
「ゲンドウの物まねするんだったら眼鏡つけて来いよ……」
「言われてみればそうですね、次からは用意することにしましょう。クククッ」
そもそもシルエットからして似てないし。黒服は会うとたまによくわからない物真似や芸を披露してくるのだが、そのことごとくが微妙なクオリティなため非常に空気が冷える。
警戒するのもすっかり馬鹿らしくなった私は、溜息をついて本題を切り出すことにした。
「なぁ黒服、確かお前、キヴォトス以外の世界とアクセスできるんだよな」
「えぇ、一応可能ですよ。クク、故郷が恋しくなってしまいましたか」
「故郷が恋しいのは当たり前だろう。そうじゃなくて、とあるものが欲しいんだ」
「……と、言いますと?」
「…………国語の教科書」
改めて言うのもなんだか恥ずかしくて、顔を逸らしながらぶっきらぼうに告げる。物を頼む側の態度ではないとは重々承知しているが、黒服だしまぁいいだろう。
一方の黒服は、目があればぱちくりと瞬きをしていただろう数秒の後、再びくつくつと笑い出した。
「クックック、どうしたのですか先生。教科書が欲しいなどと……キヴォトスとは異なる知識がなぜ必要なんです?」
「笑うなとは言わないけどもうちょっと遠慮とかさぁ。あと、理由については言えない」
「……いくら私たちがあなたを引き込もうとしているとはいえ、それは少々無理があるのでは?」
少し黒服の声のトーンが落ちる。だが、それでも言うことはできない。
やっと運ばれてきたビールに口をつけ、半分ほど流し込んでから告げる。
「だから、生徒の危害にならないことなら今度協力してやる。もっと言えば、ゲマトリアとしての活動ではなくお前自身に関する話でもいい。生徒の害にならないなら、な」
「…………クックック、どうやら随分と個人的で深い動機のようですね。まぁいいでしょう。そういうことであれば、近くあなたに頼みごとをするとしましょう。ゲマトリアメンバーの黒服としてではなく、私個人として」
つまり、引き受けてくれるということか。
気付かないうちに詰まっていた息を吐き出し、ニヤリと口角を上げて見せる。
「取引成立、ということで」
「えぇ、成立です。それでは、我々の至極個人的な絆が深まったことに、乾杯するといたしましょう」
互いにグラスを当て、乾杯をする。そこからは、いつも通りの大人の楽しみ。思う存分に酒を呷り、美味しい料理に舌鼓をうった。
――――
来る3月14日。世間はホワイトデーに浮かれ、どこもかしこもにぎわっている。あるいは、そう見えるのは既にたくさんの生徒たちに会い、楽しそうな彼女らの笑顔を見てきたからだろうか。
今日会った生徒たちの顔を思い返しながら、今日の最後の目的地であるセミナーへと向かう。コユキにはさっき会ってきたため、残るはノアとユウカだけだ。二人のことは長く待たせてしまったし、小言の一つや二つくらいは甘んじて受け入れるとしよう。
そんなことを考えながらセミナーの扉を開ける。
「あっ、先生!やっと来た……じゃなくて!コユキ見ませんでしたか!?」
こちらに気づいてパッと顔を明るくしたユウカは、すぐに仏頂面になって問い詰めて来る。……本当はさっき会ったんだけど、ここはどちらの味方をするべきか。
「まぁまぁユウカちゃん、折角待ちに待った先生が来てくださったんですから。今はしかめっ面よりも笑顔笑顔♪」
「ちょ、ちょっとノア!おどろかさないで!」
悩んでいると、部屋の奥から現れたノアが背後からユウカの頬をつまんで持ち上げる。そんな微笑ましいいたずらにユウカが抗議するが、のらりくらりとかわすノアに効く様子はない。そして、一瞬ノアがこちらを見て、ウインクしてきた。
なんだよめちゃくちゃかわいいな、プロポーズするぞ?
いや、そうではない。おそらくあれは、コユキのことは掴んでいてあえて泳がせている、という意味合いだろう。なぜそんなことをしているのかは知らないが。
「相変わらず二人が仲よさそうで何よりだよ。残念ながらコユキが今どうしているかは知らないかな」
3時間前は一緒にいたけど。
「さて、まずはユウカ、誕生日おめでとう。知っての通り、プレゼントはあげられないけれど、今日はホワイトデーでもあるからね。ユウカにはちょっとしたオマケをつけといたよ。あと、ノアにも」
「覚えててくださったんですね、先生。ありがとうございます。シャーレの立場上プレゼントを渡すことはできないと公言してますから、それはいいんですけど……オマケ、ですか」
「私にも、ですか?」
折角黒服の厄介ごとを引き受けてまで用意したものだ。二人には喜んでもらいたいし、リアクションを楽しむくらいの権利はあってしかるべきだろう。
揃って首をかしげる二人に、ホワイトデーのお返しであるマドレーヌを差し出す。
「あっ、これおいしいって評判のやつじゃないですか!よく買えましたね、先生。……待ってください、これいくらしたんですか」
「待ってくれユウカ、これは必要不可欠な出費だったんだ!手作りでくれた生徒も結構いたし、全員に同じものを渡すようにしないといけない以上安ものにするのは気が引けて……!」
「気持ちはわかりますけど、それで先生がまともな食事摂らなくなったりしたら本末転倒なんですよ!?」
今日のユウカは喜んでから怒るようにしないといけないのだろうか。こういう小言をもらうとは想定していなかったんだけどな。
「ところで先生、オマケというのは?」
あまり言い返すこともできずに小さくなっている私を見かねたのか、ノアが助け船を出してくれる。おぉ、女神よ……。
「大したものではないんだけどね。まぁ、開けてみてよ」
肩をすくめながらそういうと、二人は企業のロゴが印刷された包装紙をぺりぺりと剥がしていく。そうして中から現れたのは、ユウカの言っていた通り有名なマドレーヌの箱と。
「これは……はがき?」
「しかし、すでに何か書かれています……ポストカードでしょうか?」
「まぁそんなところかな。私の元の世界で昔に作られた歌だよ」
それぞれ一句ずつ、百人一首から選んできた短歌を書いたポストカードが同封されていた。本当は自分で覚えていて、背景知識などもぴったりのものが選べればよかったのだが、生憎と学生時代の私は古典の授業をほとんど寝て過ごしていた不真面目な男だったため、そうもいかなかったのだ。そのための国語の教科書。
「歌って……こんな短いものがですか?」
「うん、世界最短の歌って言われてたんだ。百鬼夜行では見かけたと思うんだけど」
「俳句と短歌、でしたか。しかし、どうしてこれを……?」
じっと手元のカードを見ながら首をかしげるノア。そんな彼女に、私は待ってましたとばかりに頷き、答える。
「前にノアが好きな詩の一節を書いて見せてくれたことがあったでしょう?あれが素敵だなと思ってね。ユウカとノアは賢いから、こういったものに触れておくのはきっと意味があると思うんだ」
「そういうもの、なんでしょうか」
納得したようなしていないような、という様子の二人。……もっとも、それも当然。
ユウカには悪いが、この短歌の本当の意図はノアへの仕返しなのだから。
「ちなみに、ユウカにあげたやつ、これはね……」
ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ
「日差しの温かい春の日なのに、どうして桜は慌ただしく散っていくのか、って意味だよ。今日はまだ寒いけど、もうじき暖かくなるからね。ユウカも、忙しい中でも、ふと息を抜いて周りの、世界の美しさに目を向けてほしいなって。そうでもないと、青春っていうのはあっという間に過ぎていっちゃうからね」
「ありがとうございます。……まぁ、私が忙しい理由の一部は先生のせいなんですが」
「……ユウカがゆっくりできるように善処します」
折角の粋な計らいを、ジト目と溜息で返されてしょぼくれる私。残念なのは、返す言葉がないことだ。恨むぞ、過去の私。
「さて、次はノアのやつだね。ノアにあげたやつの意味は……いや、やっぱりこれは秘密にしておこうかな。いつぞやの詩の意味も、まだ教えてもらってないしね」
「「ええっ!」」
にやりと悪い笑顔を作りながらもったいぶると、二人ともそりゃあないといわんばかりに声を上げる。いいぞいいぞ、だが教えてあげる気はない。……というか、教えるに教えられないのだ。
選んだ歌はこれ。
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに
意味は、陸奥の「しのぶもぢずり」の摺り衣のように乱れる心は一体誰のせいなのか、私のせいではないのに。
意味を教えてしまっては告白同然である。だが、ノアがこの意味にたどり着くことはまずないだろう。このキヴォトスには、陸奥も陸奥で作られていたしのぶもぢずりの摺り衣も存在しないのだから。和歌の、言葉同士を掛け合わせて様々な意味を内包する表現を理解するには、掛けられる言葉の意味も知らなくてはならない。つまり、私の勝ちだ。
「ぜひ謎解きだと思って二人で考えてみてね。もし、どうしてもわからなかったら……そうだね、気が向いたら教えてあげようかな」
「そんな、ノアがかわいそうですよ、先生!」
そう言って声を上げるのはユウカだ。……やめてくれ、悪戯心で始めて黒服に頼ったあたりで止まれなくなってここに至っているんだから。私にだって罪悪感くらいあるのだ。
だが、ノアはそんなユウカの肩に手を置き、緩やかに首を振った。
「大丈夫よ、ユウカちゃん。あの日の詩の意味を教えていないのは本当だし、先生に教える気もないから。……さて先生、この句の意味、解いてしまって構わないんですね?」
「……え、っと、だ、大丈夫だよ、うん」
問いかけて来るノアがあまりに挑戦的な笑みを浮かべていたせいで、本当にノアなら解いてしまうのではないかという錯覚に襲われた私は返事が遅れてしまう。その反応を見て、満足だといわんばかりに頷いてノアは問答を終わらせる。
そこで、ユウカが顔の前で手を煽いだ。
「……あれ、なんかチョコレートの匂いがしませんか?先生、もしかしてこれ、チョコレート味のマドレーヌ入ってますか?」
「よく気付いたね。マドレーヌはプレーン味のやつだけなんだけど、ノアのポストカードの歌を書くのにチョコレートを使ってね」
その言葉を聞いた瞬間、ノアの表情がピクリと動いたのを私は見逃さなかった。これは効果ありなようだ。
「使ったって……チョコで文字を書いたんですか!?なんでまたそんなことを……」
「実はノアがバレンタインの時にボトルインク型のチョコをくれたんだよね。だから、折角なら使ってみようかなって。……そういえば、ノアあの時なんか言ってたような気がするなぁ。なんだったっけな、確かあのインクチョコを使うタイミングがなんとかって話だったと思うんだけど」
ユウカにとぼけるように説明しながら、やがて私はその視線を横目でノアに流していた。おそらく、私は世にも悪い笑顔をしていたことだろう。幸い、ユウカに気取られた様子はなく、またアホなことをして……などと言っていたが。
さて、どうでるノア?
「……そういえば、そんなことを言ったかもしれませんね。それでは、私はそろそろお暇しようかと思います。受け取るものも受け取りましたし、この歌の解読にも取り掛かりたいですし。それに、何よりこれ以上私がいると、先生と二人っきりで楽しみたいユウカちゃんのお邪魔になっちゃいますからね♪」
「な、なに言ってるのよノア!?先生、違いますからね!?」
「私、何も言ってない」
予想に反して、ノアはいつも通りの笑顔でいつものようにユウカをからかっていた。……これでもダメか。やはり、私はノアには勝てないのか……?
「ふふ、この後は二人で楽しんでくださいね。ユウカちゃん、お誕生日おめでとうございます。それでは」
「あ、ちょっとノア!誤解を解いてから行きなさいよぉ!……。え、えーっと先生、その……このあと、お時間大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。ディナーにでも行く?」
「は、はい!ぜひ!」
いつまでもノアへの仕返しに執着しているのもよくない。まずは、今日私の悪戯のために利用してしまったユウカへ、贖罪も兼ねて精一杯のお祝いをしよう。
――――
後ろ手で扉を閉めて、へたりとその場に座り込みます。手元には、先生からもらったばかりの甘い甘い匂いを放つ『お返し』。マドレーヌだけであれば、こうも心を乱されることはなかったでしょう。
頬に熱が集まっているのがわかります。先生やユウカちゃんには気づかれなかったでしょうか。
もう一度ポストカードを取りだし、眺めます。チョコレートのインクは非常に書きづらかったことでしょう。何度も重ね書きした痕跡が残る文字で、たった27文字が書かれています。
『陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに』
ふと、さきほどの先生の声が脳裏によぎります。
『実はノアがバレンタインの時にボトルインク型のチョコをくれたんだよね。だから、折角なら使ってみようかなって。……そういえば、ノアあの時なんか言ってたような気がするなぁ。なんだったっけな、確かあのインクチョコを使うタイミングがなんとかって話だったと思うんだけど』
忘れるわけがありません。私は、あのチョコを渡したときに確かにこういったのです。
『心からの気持ちを伝えたいときには……これほど最適なインクも、他にそうないでしょう』
『もし先生に、そんな時が訪れたら……ぜひ、このインクを使ってくださいね』
と。
それに、あの悪戯をする子供のような、かわいらしい笑顔。先生の性格からして、もし私の言葉を忘れてしまっていたのなら、あの笑顔は出てこないはずです。つまり、先生は私の言葉を覚えていらっしゃって、そのうえで私が渡したチョコインクを使った、ということになります。
これは、つまりそういうことでよいのでしょうか。あるいは、私の考えすぎでしょうか。期待と恐怖と、あと正体不明の熱がぐるぐると頭の中をかき回して思考がまとまりません。この句が読めれば、あるいはこのもやもやとした感情も晴れるのでしょうか。
おそらく、百鬼夜行の皆さんやコユキちゃんを交えて考えるのが、この謎解きの最適解なのでしょう。しかし、どうにも気が進みません。これは、私以外の誰にも見せたくない。そんな直感めいた感情が湧き上がって仕方がないのです。
気が付けば、私は自分の家にたどり着いていました。着替える気にもならず、制服のままベッドに身を投げます。そうして眺めるのは、やはり先ほどのポストカード。……今日寝る前には、防腐処理を施して真空ケースの中に入れておきましょう。
先生と出会ってから、私の世界はさらに彩られました。ですが、困ったことにもなっているのです。書記として、すべての事柄を中立で記すこと。それは私の仕事であり、同時に強迫観念めいた衝動でもあります。しかし、ここ最近は……自分の感情を記録したくないという気持ちに都度襲われるのです。
はぁ、と大きくため息をついて、寝返りをうちます。一体、この気持ちはどうすればよいのでしょうか。ともすれば、先生が恨めしく思えてきそうな気すらします。……こんなにも感情が乱されるのは、私のせいではないのですから。
手を伸ばして口に放り込んだマドレーヌは、甘く、甘く、特別な幸せの味がしました。
先生と黒服は実は仲がいい説激押しのクモです。
ホワイトデーネタいかがでしたでしょうか。珍しくノア視点を取り入れてみたので、そこの感想や評価などもしていただけると幸いです。
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