先ノア短編集   作:くもたろー@溶脳炉

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お久しぶりです、クモたろーです。今回はC105で参加させていただいた、よいつき先生(X:@Tukiusagi_Alice)主催のセミナー合同『またこの場所で会いましょう』に寄稿させていただいた作品の個人公開許可が下りたので公開したいと思います。pixivに投稿して満足してこっちの投稿忘れてたのはナイショ


(C105合同収録公開)あるいはいつか、繰り返す夜

 バラバラバラ、と勢いの付いた何かが窓を叩く音に、ふと意識が引き戻される。少し前までは明るかったはずの部屋は、いつの間にか薄暗いと言える明るさにまで落ちていた。

 窓を見てみれば、ここ最近では珍しい雨がざあざあと降っている。近頃は降るとしても雪ばかりだったから、雨音を聞くのもずいぶん久しぶりだ。いつの間にか熱中していた本に栞を挿して、部屋の電気をつける。

 日々激務に追われるシャーレと言えど、年末年始は急ぎの案件もなく平和なものだ。特に仕事もないため、シャーレの当番も一時お休みとなっている。自由な時間のありがたみを感じる反面、この広いオフィスに一人きりというのは物寂しくも感じてしまう。

その寂しさを認識すると同時にふと白髪の少女が脳裏をよぎって、何とも未練がましいと苦笑いした。あくまで自分は「先生」だ。この想いには蓋をしなくてはならない。

 あるいは寂しさを紛らわせるだけなら家に帰ればいいのかもしれないが、長らく帰っていない家の状況を想像すると面倒くさくてなかなか気が進まないのが現状だ。主に掃除。

 コーヒーでも飲んで一息つこうかと立ち上がったところで、入り口の方から自動扉のモーターの駆動音がする。今日の来客の予定はなかったはず、と訝しみながら振り返ると、いつもよりも防寒具多めもこもこ仕様のノアが入ってきたところだった。

「ノア……? いらっしゃい、何か用事でもあった?」

「こんにちは、先生。突然の訪問になってしまい申し訳ありません。一応モモトークは送っていたのですが……その様子を見るに、確認はなされていないようですね」

 言われてスマホを手に取ると、確かに二時間ほど前にノアからシャーレに向かう旨のメッセージが届いていた。全く気付かなかった……。

「以前も言いましたが、今回も鍵がかかっていませんでしたよ、先生。もう少し用心しないと、チヒロさんに怒られてしまいますし……そうでなくとも、こうやって悪い生徒が突然来るかもしれませんよ?」

 自称『悪い生徒』はそう言って、ウインクを一つ寄越してくる。確かにこうやって悪戯っぽく微笑む姿は悪いと言えるのかもしれない。どう悪いのかといえばもちろん私の心臓に、だ。

「いつもありがとうね、ノア。でもほら、今みたく私が気づいていなかったり、急用ができた生徒が訪れたりすることもあるだろうし鍵は開けっ放しでも」

「先生?」

「ごめんなさい私が不注意でした」

 言い訳を最後まで言い切る前に、ノアの能面のような笑顔に屈する私。そもそも百パーセントこちらに非があるので言い訳なんかしない方が良かったのかもしれない。

「ところで、今日はどうしたの?」

「それなんですが。先生、一晩こちらに泊めていただけませんか?」

「……ごめんもう一回」

「ええと、わかりづらかったでしょうか。シャーレに泊めていただきたいのですが……。居住区には使われていないスペースがたくさんあったと記憶していますが、埋まっちゃってましたか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどね、うん」

 何でもないことの様に言われたその内容に驚いて問い返してみるが、ノアは困惑していらぬ心配をしていた。

彼女の言う通り、シャーレは無駄にだだっ広い。それは付属している居住区も例外ではなく、本来シャーレを運用するにあたって想定されていたであろう人数が寝泊まりするのに十分なスペースを確保している。実際には私一人が使っているだけで、空いている部屋はいくらでもある。

 しかし、急に泊めて欲しいなどと。一体何があったのだろうか。

「……まさか、ノアが家出!?」

「私はミレニアムの寮で一人暮らしをしてましたから、家出というのは少し違う気がしますけど」

「暮らしてた、っていうのは?」

「それなんですが……実は、部屋の床が抜けちゃいまして」

「ごめんなんだって?」

 なんだか今日はノアに問い返してばかりな気がする。床が抜けたってなんだ床が抜けたって。ミレニアムの寮だしそんなにやわじゃないと思うんだが。

「ですから、家の床が抜けてしまったのです。幸い一階でしたから、下の方に迷惑をかけるようなことはありませんでしたが」

「床ってそんな簡単に抜けるものじゃないよね?」

「本来でしたらそのはずなんですが、本棚が重くなりすぎてしまったみたいでして。元々本だけでなく、記録を記したノートや日記もそこに収納していたのですが……ユウカちゃんや先生と会った日はどうにも書きすぎてしまうみたいでして、空いていたはずのスペースがみるみる埋まってしまって……。それに、最近は先生がよく詩集をくださりますから、それもしまっていたら、気が付いたら床の限界を超えてしまっていたみたいです」

 物憂げな表情と共につらつらと述べられる惨状は、なるほど実にノアらしい理由だった。それに、クラフトチェンバーから出てきた詩集をノアにプレゼントした回数も、もはや数えきれないほど。原因の一端はどうやら私にもあるらしい。

「そんなわけで、一晩だけ泊めていただきたいのです」

「そういうことなら、わかったよ。でも、床が抜けたのに一日だけでいいの?」

「ええ。その先はユウカちゃんが泊めてくださるそうなので、お言葉に甘えようかと思います」

 なるほど、ユウカとしても、ノアを泊めるためには色々と準備がいるのだろう。ノアにはわざわざ言うまでもないだろうが、いい友人を持ったものだ。

「……それに、今夜は雨が降ってますし」

 ぼそり、とつぶやいたノアの独り言は、私の耳には届かなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 あの後、ノアに居住区の設備などを一通り説明して、二人でくつろいでいた。もとより休みの私は特にやることもなく、ノアはノアで必要最小限の物しか持ってきていなかったようですぐに手持無沙汰になってしまったのだ。夕食と入浴もつつがなく終わり、今はお互い寝間着姿で一緒にソファに腰掛けている。ノアのご希望で、大浴場オープンの大盤振る舞いだった。

 それだけに、何もなかったのはおいしいイベントを逃したような気もするが、なかったものはなかったのだから仕方ない。せいぜいノアの風呂上がりで上気した肌に鼓動が早くなったぐらいだ。

年の暮れということでテレビの番組は特別なものが多かったが、特に興味を惹かれるものはなく、やがて二人揃って本を開く。

 こうやってゆっくりするのも思えば久しぶりで、だからだろうか、なかなか本の世界に入り込めずにいた。文字列の海に意識が沈んでいこうとするたび、視界の端にノアが映り、一気に現実に引き戻される。

何をするでもなく、ただ同じ空間で本を読んでいるだけだというのに、あたたかい気持ちが胸を満たしているのだから仕方ない。果たして私は、この気持ちを、あのノアに気取られることなくやり過ごせるのだろうか。自信はないが、ノアの未来のため、そして何よりノアに嫌われ避けられることがないように、隠し通さなくてはならない。

いつの間にか本よりもノアを見る時間が長くなっていたことを気取ったのか、ノアがぱたんと本を閉じる。

「もうこんな時間ですね。そろそろ寝ましょうか」

「え、もう? まだ寝るには早くない?」

 そう言って見上げた時計は、ようやっと十時を回ろうとしていたところだった。

 学生であるノアが寝る時間としては望ましいが、夜更かしもまた若いころの楽しみではないだろうか。少なくとも私が学生の頃はこんな時間には寝ていなかった。

「確かに普段の消灯時刻と比べると随分と早いですが……先生は普段寝不足なんですし、寝られるときには寝ておくべきです」

 めっ、と人差し指を立てているノアも大変可愛らしい。って、そうではなく。

「でも私、今朝は二度寝までしたからまだ眠くないんだよね。だからノアだけ先に寝ててもらうということでここはひとつ」

「そういうわけにはいきません」

「なんでぇ」

 ゆるゆると長い髪を波打たせながら首を横に振るノアに縋るように問い返す。……というかなぜ私は生徒であるはずのノアに管理されかけているのだろうか。

「なぜ、と言われましても。私たちがこれまで先生に、無理をしないでほしい、と言って聞き入れてもらえたことがどれだけあったか。わざわざ記録を持ち出すまでもありませんよね?」

「それは……そのぉ……」

 ゴゴゴゴ、という効果音が背景に浮き出そうなほどきれいな笑顔で問いかけられ、しどろもどろになってしまう。

 いや、仕方がなかったんだ……。私だって無理をしたくてしているわけでもないし……。

「というわけで、もう消灯です。寝室に向かいましょうね。そ・れ・に、どうせすぐには眠れませんから♪」

「わかった、わかったからそんなあやすような言い方はよしてくれ……」

「ふふっ、それでは行きましょうか」

 なんだか楽し気なノアに手を引かれて部屋を出る。ほっそりとしてすべすべな手は、想像よりも強い力で私の手を掴んでいた。離さないという意思がこもっているように感じられるのは、私の気のせいだろうか。

 そう思った矢先、視界が一瞬明るくなる。同時に、前を歩いていたノアがびくっと身を竦ませた。握っていた手からも、その強張りが伝わってくる。

「いつの間に雨だけじゃなくて雷まで……。ところでノア、大丈夫? なんか固まってるけど」

「……先生」

「はいはい先生だよ」

「実は、私……私、雷がダメなんです」

 そう言って振り返ったノアは、目をわずかに潤わせており、普段よりも数段と幼く見えた。普段が飄々としているだけに、この弱々しい姿の破壊力は凄まじい。

 要するに。

「え、何このかわいい生き物……」

 とんでもなく庇護欲をそそるふわふわの少女がここに爆誕していた。え、なに、可愛すぎない? 今すぐ家に連れて帰ってあったかいご飯あげながらなでなでしてあげたいんだけど。これがキヴォトスの神秘……?

 そんなことを考えていると、再び窓の外に青白い閃光が走る。間髪置かずに、ガラガラダァーンという重い音。

「ぴゃっ!?」

「えっ、うわっ!?」

 かなり近かったからか、今度は短く悲鳴を上げたノアが繋いでいた手を腕ごと引き寄せた。当然、急に引き寄せられた私は体勢を崩し、ノアを押し倒すような形で倒れ込んでしまう。ごつん、と鈍い音が響いて頭に衝撃が走る。

「「~~~~!!」」

 揃ってぶつけた頭を押さえながら床をのたうち回る二人。だが、すぐにはっとして、顔を上げる。

「ごめんノア、大丈夫!?」

「いえ、こちらこそごめんなさい、先生……。ですがその、先ほどの衝撃で、その、腰が抜けてしまいまして……」

 ぷるぷると震えながら涙目で額をおさえてそういうノアは、やはり小動物のようで、魂の慟哭が漏れそうになる。喉元まで出かかった奇声をなんとか堪えて深呼吸。すー、はー。

「ですのでその、できればベッドまで運んでいただけると嬉しいのですが……お願いできますか、先生?」

 深呼吸急停止。

 落ち着こうとしていたところにノアからの追撃が入って、深呼吸はおろか呼吸が一瞬止まった。

 もちろんノアにそんな気は毛頭ないのだろう。しかし、甘えるような声で紡がれた言葉はあまりにも蠱惑的で、理性がゴリッと削れる音が聞こえるほどだった。

「先生?」

「あ、いや、何でもないよ、うん。それじゃあ失礼するね」

 危うく暴走しそうになった衝動を振り払って、ノアを抱き上げる。俗にいうお姫様抱っこの形だ。

 見た目通り華奢なノアの体は軽く、ふとした拍子に消えてしまうのではないか、などとありもしない不安が胸によぎる。夢のようなふわふわとした感覚の中で、柔らかくしっとりとした肌触りだけが伝わってくる。いつもとは少し違う、わずかに甘く、本を想起させるような髪の匂いがふわりと漂ってきて、心臓が大きく跳ねた気がした。

「お姫様抱っこをされるとは思いませんでしたが、ふふっ。これはこれで先生のお顔がよく観察できていいですね」

 急に耳元でノアがそう囁いて、危うく落っことしてしまいそうになる。

「急に耳元で喋らないで!? びっくりして落としちゃったら大変だよ!?」

「あら、それは困りますね。でしたら、そうならないようにしっかりと掴まっておくことにしましょう♪」

 慌ててノアに注意するも、なぜか楽し気にそう返され、両の腕を首に回される。先ほどよりもさらに密着する形になって、かっと体温が上がるのがわかった。

 そんな様子を見たノアは何が楽しいのか、これで落ちませんね、と上機嫌にニコニコするばかり。

 仕方ない、と歩みを進めてノアに貸した部屋の扉へ向かう。私の部屋の前を通り過ぎようとしたところで、ノアが不思議そうに声を上げた。

「先生? どこに行くんですか?」

「どこって、ノアに貸した部屋でしょ?」

「えっ」

「えっ?」

 思わぬやり取りに、顔を見合わせて固まる。私は今、何か不思議なことを言っただろうか。

「もしかしてですけど、先生」

「はい先生だよ」

「私の部屋で寝る気ですか?」

「ごめんちょっと何言ってるのかわからない」

 おかしいな、そんなにノアの心象を損ねるような言動をしたつもりはないのだが。いつの間に私は弱った生徒に付け込んで同衾を迫る鬼畜教師の人物像をあてがわれたのだろう。全く心当たりがない。

「それはよかったです。いくら先生でも、急に私のベッドにもぐりこまれるのはちょっと困ってしまいますから」

 私はこの言葉を喜んでいいのだろうか。

 そろそろ真剣に過去の行いを振り返ったほうがいいかもしれない、と考え始めたあたりでノアが急に吹き出した。

「……ふふっ、少しからかいすぎちゃいましたね。ごめんなさい。私の方から言い出すのは、少し気恥ずかしくって、つい」

「よかったぁ~~冗談かぁ。ノアを怒らせちゃったかと思って色々考えちゃったよ」

 ノアの言葉を聞いて盛大に息を吐いて胸をなでおろす。ノアがこういった冗談を言ってくるのは珍しいが、どうやら変態鬼畜教師の烙印は押されていなかったようだ。

 だが、ノアは困ったようにへにゃりと眉を下げてしまった。

「……やはり、慣れない冗談は言うものではありませんね。あくまで冗談はコミュニケーションの手段であり、それが原因ですれ違ってしまっては元も子もないですから。申し訳ございません、先生」

「うん。でもそうやって反省できてるわけだし、ノアなら大丈夫だよ。それより、言い出すとかなんとか言ってたのはなんだったの?」

 確かに少し不安にはなったが、私としては謝られるほどのことでもない。それに、ノアはまだ生徒であり子供だ。間違えることが彼女らの特権ともいえる。

 とにかく、ノアの謝罪を受け止めて、話を切り替える。思えばノアが恥ずかしがるのも貴重だ。

 ノアは、一度息を吐いてから、こう切り出した。

「その、先生。今夜は、隣にいてくれませんか?」

「そっ……れは、ええと」

「ダメ、ですか?」

 ぐぅぅっ、そんなまっすぐな瞳で見つめるんじゃない! ただでさえノアからのお誘いなんて断るのが難しいのに、罪悪感まで刺激されてしまうじゃないか!

 これでも私はシャーレの先生で、大人なのだ。いくら弱っているとはいえ、ノアが思い返して後悔するようなことはしたくないし、私側としても世間体というものもある。ここは確固たる意志を持って……。

「先生は、勇気をもってお願いした生徒の気持ちを無下になさるなんてこと、ないですよね?」

 確固たる意志を、持って……。

「寒い夜に、帰る家を失って、雷雨におびえる生徒を一人で放っておくなんてこと、しないですよね?」

 確固たる、意思を……。

「絶対に忘れられない私の記憶能力を知っていながら、何度も思い返すことになるかもしれない恐ろしい夜を過ごせなんて、言いませんよね?」

 ………………。

 十分後。

「ふふ、無茶なお願いを聞いてくださりありがとうございます、先生」

「あぁうん、ノアが喜んでくれて何よりだよ」

 罪悪感を的確につついてくるノアの言葉を邪険にできるはずもなく、私のベッドに並んで横になっていた。後は野となれ山となれ、というやつだ。ただ、間違っても間違いだけは起こらないように、最後の一線だけは守らなくては。

隣から伝わってくるぬくい体温と甘い匂いと柔らかい感触で、私の心臓は面白いくらいに早鐘を打ち続けている。冬用の厚手の布団ということもあって、冷え込む夜なのにのぼせてしまいそうな気さえする。幸いなのは、ノアのパジャマも気温に合わせて厚手のものだったことだろうか。これがどれほどの意味を成すのかは、あまり期待できないが。

「ねえノア」

「なんですか?」

「今日、雷雨だって知ってて来た?」

「それは……ふふ、どうでしょうか。記録を作る際に天気の情報を欠かすわけにはいかないとはいえ、私が天気予報を見ているとは限りませんよね?」

 あぁ、これは絶対に知っていたやつだ。そういえば、さっきすぐには眠れないとか言っていた気がする。あの時すでに、こうなることはノアの中で決まっていたのだろう。

 どうして、私なのだろうか。

 ノアには、ユウカという親友がいる。コユキという後輩もいる。そこまで親交が深くなくとも、一晩泊めてくれる友人は、ミレニアムにたくさんいるように見える。

 そのうえで、私の下を訪れたのには、何か意味があるのだろうか。あるいは、ただ友人に迷惑をかけたくなくて、あるいはこういった弱みを見せるのが気恥ずかしくて、信頼できる大人であるシャーレを頼ったのか。

 私が抱いている勝手な感情のせいで、意味のないもやもやが胸を満たしていく。

 そこで、再び近くに雷が落ちた。きゃぁ、と悲鳴を上げて私の腕にしがみつくノアは小さく震えていて、雷が怖いという言葉が嘘ではないとわかる。

 ……隣で怯えている少女がいるのに、私の気持ちなんて些細な問題だな。

 息を大きく吐いて、ノアに捕まっていない方の手で、長く綺麗な白髪を一度、撫でる。

「……先生?」

「あ、嫌だった? ごめん」

 驚いたように視線を上げたノアに、迂闊なことをしたと手を引っ込めようとする。しかし、ノアはそれに抗議するように、浮かせた手に頭を押し付けてきた。

「嫌だなんて、そんな。むしろ、先生にそうしていただくと、安心します」

 やはり、今日のノアはいつもと違う。甘えるような、安心しきった表情でこんなことを言われて、面映ゆさから頬に熱が集まるのを感じる。

 ノアのお望み通り、ゆっくりとノアの頭を撫でながら口を開いた。

「あんまり大人をからかわないでくれ」

「それはまた、難しい話ですね」

「難しいのか……」

「先生も、ユウカちゃんも、私にとって大切な存在ですから。好きなものをより追求しようとするのは、止めようと思って止められるものでもありません。忘れているかもしれませんが、私もミレニアムの一員なんですよ?」

「そうだったね」

 ゆるり、ゆるりと白銀の髪を撫でていくたび、強張っていたノアの体が緩んでいく。徐々にノアの舌の回りも遅くなっているのも、気のせいではあるまい。

 抱き枕代わりに捕らえた私の腕をぎゅう、と抱きしめて、甘えるように頬ずりをする。

「ふふ、せんせいはあったかいですね、ぽかぽかですね。きっと、わすれない、よる、に……」

「……ノア?」

 やがて、ノアの言葉が途切れた。そっと呼びかけてみても、帰ってくるのはすぅすぅという寝息ばかり。

 

 眠ったならもういいだろう、と布団からの脱出を試みたが、まるで私の腕がお気に入りのぬいぐるみかのように離すまいと抱きしめてくるので諦めることにした。まぁ、この穏やかな寝顔を見る限り悪夢を見ていることもないだろう。

この一晩くらいは、背伸びしがちな愛しい少女のわがままに応えるのも、いいかもしれない。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 翌朝目を覚ますと、既にノアは布団にはいなかった。夢だったのだろうかと一瞬考えるが、明らかに自分の物ではない甘い匂いと長く綺麗な髪が残っているのを見ればそうではないことは明白だ。

大きくあくびをして、布団から這い出る。途端に冬の朝らしい冷気が身を包んで布団に戻りたい衝動に駆られるが、ここは我慢。

寝起きにコーヒーでも淹れようと共同スペースへ歩いていくと、やがて微かな鼻歌と食欲をそそる匂いが漂ってくる。それらに惹かれるように足を速めて、共同スペースの扉を開くと、既に寝間着から着替えていたノアが振り返った。

「おはようございます、先生。そろそろ起こしに行こうかと思っていたところですが、きちんと起きられたようで何よりです」

「おはようノア。早起きだね」

「ふふっ、昨晩のお礼代わりに、簡単な朝食でもご用意させていただこうかと思いまして。コーヒーも準備できてますよ」

 エプロン姿でノアが指し示す先には、確かに湯気を上げて淹れたてだと主張するコーヒーがあった。まるで私が起きてくるタイミングを完璧に把握していたかのような手際だ。

「至れり尽くせりだね……。そんな大したことはしてなかったと思うけど」

「先生がどう思っているかも大事ですが、同様に私がどう感じているのかも重要ですから。要するに、気にしないでください」

「そういうことなら、お言葉に甘えて」

 ノアには言いくるめられてばかりな気がするが、それで不利益を被っているわけでもない。むしろ、ノアとの新婚生活気分を味わえるのだからお得というモノだろう。

 お気に入りの豆、お気に入りの濃さを正確に再現されたコーヒーは、自分で淹れるそれよりも数段おいしい。さすがはノアだ。

「さて、簡単なものですが、ベーコンエッグとトーストです。出来立てなので、火傷しないように気を付けてくださいね」

 そう言ってノアが持ってきてくれたのは、カフェのモーニングとしても十分やっていけるのではないかという見栄えのプレートだった。ノアが料理できることは知っているし、これは楽しみだ。

 ノアが同じものを持って席に着いたのを確認して、二人揃っていただきますの挨拶。口に運べば、凝ったものではないから目を見張るようなおいしさではないけれど、朝食として食べるには十分すぎるほどの味だった。一口、二口と味わっていただく。

 そこで、昨晩のもやもやとした疑問がふと脳裏をよぎった。既にあの悩ましさはなくなって、純粋な疑問として口を開く。

「ところで昨日、わざわざ遠いシャーレまで来たのはどうしてだったの? 一晩泊めてくれる友達くらい、ミレニアムのみんなとノアの関わりを考えればいそうなものだけど」

 問われたノアは、真ん丸な目をぱちぱちと数度瞬かせてから、苦笑するように眉を下げてぼそりとつぶやく。

「先生は、やっぱり先生なんですね」

「ごめん、よく聞こえなかった。なんだって?」

「いいえ、何でもありません。それで、昨日訪れた理由ですか。やっぱり、友人にこういったことを知られるのは、少し恥ずかしいですから」

 予想していた答えに、わずかな落胆が訪れる。そして、わずかな悪戯心も。

「私には大丈夫なの? ノアの弱みなんて珍しいもの、そうそう簡単には手放さないよ?」

「ふふっ、先生はそれを悪用するような方ではないと信じていますから」

「信用を担保に取られたら、確かに私は何もできないね」

 今日も一枚上手をいかれる。果たしてこれが一枚なのか、見えないだけで数枚上手なのかは私には知る由のないことだ。

「それに……」

「それに?」

「先生には、いずれ知ってもらうことになるでしょうから。好きなものを知りたいと思うと同時に、知ってほしいという感情も、また自然なものだと。私はそう考えています」

「それは、」

 それはどういう、と問いかける前に、ノアはご馳走様と手を合わせて席を立つ。すっかりタイミングを失った私は、ただ残ったトーストをちぎってほおばることしかできなかった。

 少しして、ノアが戻ってくる。エプロンも畳んで、片手に携えていた。

「さて、それでは私はそろそろお暇しようと思います。重ね重ね、昨日はありがとうございました」

「もう準備も終わってるの? 早いね」

「おかげさまでぐっすり眠れましたから」

「それは良かった」

「それではまた、年が明けてからお会いしましょう。そしていつか……その胸に隠している言葉も、教えてくださいね、先生♪」

「!? ゲホッ、ゴホッ!」

 最後に特大の爆弾を落として、ノアはシャーレを後にする。残された私は、むせて乱れた呼吸と、真っ赤な頬を治めるのに、幾ばくかの時間を費やす羽目になった。




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