朝陽食堂・銀ベロ始めました ~赤き瞳のクレイドル 外伝~ 作:末末
朝陽食堂の夕方過ぎ。直に夜になろうという時間──夕食を楽しむ客達と、酒を求めて来る客達とが、入れ替わる時間帯だ。夕食を終えて一杯やる客のほとんどは、長居せず帰っていく。
目的が違う者同士が混じり合う喧騒は、独特の雰囲気がある──大将は、朝陽食堂で過ごす時間で、この混沌とした雰囲気が特に好きだった。
客同士の、ほんの少しの交流──
お互いの身の上の事はろくに知らないが、名前と好みの酒と摘まみの事は知っている顔馴染みや常連客。
そうでない一見客でも、朝陽食堂独特の雰囲気と、頼めば大概の料理を提供してくれる事に物珍しさを感じ、いつの間にか足しげく通う様になるのだ──
「邪魔するよ」
音も無く、するりと戸を開き店に入って来たのは、グレイオウル領で冒険者向けの中古品店を営んでいる、風格のある痩せた鶴の様な風貌のラザロ老だ──
「こーんばんわー!」
「……相変わらずじゃの、お前さんは」
猫族の娘。シャーリィの甲高い挨拶を受けたラザロは、顔をしかめた。
「ラザロさん、いらっしゃい」
ラザロの反応に苦笑する、煙草片手の大将。
「……ふむ、相変わらずの繁盛じゃの」
カウンター席に着き、店内を見渡すラザロ。この朝陽食堂は客の回転が良く、完全な満席にはまずならない。
必ず、どこか座れる場所がある。そうでなくても、大将や客が座れるスペースを作ってくれる。ここ朝陽食堂はそういう店なのだ。
「さて……銀ベロの前に、まずは聞いていた
「はい、ダーンサンパルですね。ただ、ラザロさんには少し甘いかもしれませんよ?」
大将の言葉に、まあ、試してみるわい、とラザロ。
「うん……よう、冷えているな」
ダーンサンパルをすうっ、と呷るラザロ。いつものワイングラスではなく、ほぼダーンサンパル用の細長いグラスだ。
「なるほどの……大将の言うた通り、甘めじゃの。ふうむ……」
グラスに残ったダーンサンパルを、一息に飲み干すラザロ。
味はどうですか? とは大将は聞かない。先に口を開いたのはラザロだった。
「炭酸を飲んだのは久しぶりじゃが、たまには悪くなかったの……うむ、ダーンサンパルか。悪くないの。この甘口に合う摘まみはどういう物がある?」
ラザロの言葉に、そうですね……と少し考える大将。
「……うむ、良いな。香辛料の効いた燻製チーズとなかなか合うの」
ダーンサンパル片手に、チーズを口に運ぶラザロ。燻製チーズの辛味をダーンサンパルの甘味で爽やかに流す──
「……何とも、こたえられんな……美味い」
目を細めながら、沁々とグラスを揺らすラザロ。よほど気に入ったのだろう、はっきりと感想をのべるラザロ老。
「気に入った様で何よりです。そのダーンサンパル、試供品としてタダで譲ってもらったんですよ」
咥え煙草に、パチリ、と指先で火をつけ、ゆっくりとふかす大将。
「ふうん? 試供品じゃと?」
大将から、もう一杯、とグラスにダーンサンパルを注がれながらラザロが云う。
「馴染みの酒屋の従兄弟が、暗黒都市で葡萄農家をやっているそうでね。そこの葡萄を使って、ダーンサンパルが造られているそうなんですよ」
ダーンシルヴァス神王国──暗黒神の信徒の総本山。中央大陸の北西に位置する、ミルゼリッツ帝国に匹敵する大国。通称、暗黒都市。ちなみに、“ダーンシルヴァス”は暗黒神の名ではない──には、以前から炭酸黒ワインはあるにはあった。だが生産数が少ないため、一般に出回るにはあまりに少なく、一部の階級層にしか口にする事が出来なかった。
ただ、味が良いからという理由で一部にしか回っていた訳では無い。単に数が少なく、希少価値が付いていたゆえだ。
あるワイン好事家の貴族いわく──「味は普通。炭酸の喉ごしと爽やかさに意味がある」
はっきり言うと、炭酸のワインは珍しい。というだけの評価だった……今までは──
「ダーンサンパル用の葡萄の改良が進んでいたみたいでしてね、かなり味は良くなったそうです。その葡萄での製造が軌道に乗り始めたので、近い内に他国にも輸入出来る様になるだろうから、それで──」
大将は、煙草を大きくふかす。煙がゆったりと、天井付近に溶け込んでゆく。
「試供品として譲るから、ダーンサンパルを広めるのを手伝ってくれないか、との事でしてね」
「ふむ、なるほどの。して、どれほど譲ってもらったんじゃ?」
「五本。一本は、昨日寝る前に空けました。今ラザロさんが飲んでいるのが、二本目です。ダーンサンパルは一度栓を抜くと、飲みきらないとダメですからね」
大将はラザロに、最後の一杯を注ぐ。
「ふむ。これで、あと三本、か」
空いたダーンサンパルの瓶を見て、ラザロが呟く。
グラスに注がれた、ダーンサンパルの炭酸が静かに弾けるのを、ラザロは穏やかな目で見つめる──カラリ。食堂内の喧騒の中、戸が開く音がはっきりと聞こえた。
「今晩は、大将」
やって来たのは、
いつもの修道服ではなく、珍しく私服姿だ。
黒を基調とした長袖のワンピース。襟元、袖口は朱色。腰回りを、飾り気のない銀色のベルトで固定している。
高身長の、引き締まった体格を包む衣服は、質素で飾り気もない慎ましやかな物ではあるが──肉感的で、豊満な体付きはどうあっても隠せず、シスター・ルシェアに気付いた男性客の目を引いている……。
「あら、ラザロさん。今晩は。お隣、よろしいですか?」
「構わんよ。私服とは珍しいの?」
ラザロの隣に座るシスター・ルシェア。並んで座ると、老体のラザロよりも一回り以上の体格差がある。
シスター・ルシェアの、何をどう見たのか、シャーリィがデカイねー……と呟いた。
「今日は同郷会がありましたので、お休みをもらいましたの」
「へえ、同郷会ねー。狼族は横の繋がり強いよねー」
ルシェアの、同郷会という発言にシャーリィが反応する。
「そうですわね。特に同郷ともなると、皆で助け合う事も多いのですよ」
穏やかな笑みを浮かべながら、ルシェアが云う。
「……銀ベロを、と言いたい所ですけれど……」
横でグラスを傾けているラザロを横目で見ながら 、少しばかり言いよどむルシェア。
「それ、ダーンサンパルだよー。試供品で貰ったのー」
シャーリィが応えると、ルシェアの耳がピクリと動き、ぐるりと勢い良く首を大将に向けた。
「大将、私にもダーンサンパルを……その、頂けますか?」
「もちろん。構いませんよ」
大将の言葉に、嬉しそうに微笑むルシェア。
「ちと、甘口じゃが、悪くはないぞ」
そんなシスター・ルシェアに、グラス片手のラザロが云う。
もう片手には、お気に入りになったらしい燻製チーズ。そんなラザロの姿を見て苦笑する大将。
「シャーリィ、二人にお通し出しといて」
あーい、とシャーリィが明るく応えた。
今日のお通しは、ゴボウとニンジンのピリ辛和え。酒好きの二人の口に合うだろうな……。
そう思いながら、大将はダーンサンパルの三本目の準備を始める。