こんな、ちっぽけな存在の人類が、巨人に勝つのは不可能であると。
出来ることなら…ここから、逃げ出してしまいたかった。
この馬とともに、地獄から抜け出しウォール・ローゼへと一直線――――。
ローゼの壁を越えたら一目散に家族のいる故郷の村へいって、家へとつづく牧場の草原を駆けて勢いよく扉を開けて……お母さんに抱き着きたい。
そして、うんと甘えるのだ。無邪気で純粋だったあの頃のように。
―――――何もかも、すべて投げ出して――――
シャーナは、夢を見ていた。
周りを見渡すと、一面の緑だった。大地を草原の草花が
緑一色で覆い、それが、地平線の彼方まで続いている。
その上を、なぞるようにしておだやかな風が、吹いていた。
肌にあたる感触が、とても気持ち良い。
上を見上げれば、雲一つない大空。まるで、青のペンキで
塗りつぶしたかのような透き通った青が、空一面を覆っている。
その中で、輝く太陽は、一段と大きく見えた。
その中で、シャーナは大きくのびをすると深呼吸をした。
体内に、綺麗で新鮮な空気が供給される。
それは、体の隅々にまでいきわたり、体内の悪いモノ全部を
洗い流してくれるような感じだった。
ふと、今度は、この草原を、風に身を任せて思いっきり走りたくなった。
どこまでも、どこまでも。
シャーナは、草原の中のウサギのように夢中になって駆けだした。
風が、強く背中を後押ししてくれている。遮る物はなにもない。
走っている間、体は驚くほど軽かった。まるで、鳥のように
浮かんでいるみたいで、地平線の先まで走っていけるような気がした。
やがて、何も変わり映えのしなかった大草原の景色の中に
ぽつんと一軒、家が建っているのが見えてきた。
一階建ての、小さなこじんまりとした家。故郷の自分の家に、似ていた。
見ると、その家の前に、見知らぬ男性と女性が立ってこちらに向かって
手を振っている。
≪早く来て。≫といいたげに。
シャーナは、思わず近寄っていくと、その手を振っている男性と女性を
見て驚愕した。
なんと、自分のお母さんとお父さんだったのだ―――――
途端、一気にあつい感情が込み上げてくる。それは、液体となって
シャーナの目がしらを濡らす。
会いたかった感情が、一気にあふれ出る。
そして、この時ようやくシャーナのいた場所が分かった。
そう、故郷の村だったのだ。
自分は、今まで故郷の慣れ親しんだ広大な草原を駆けていた。
思えば、木々も草原も青空も何一つ、かわっていなかった。
強いていえば、羊たちが一匹もいなかったことだが…
でも、今、自分は家の前まで来て、両親と5年ぶりの対面を果たそう
している。
母と父は、昔とかわらない笑顔で出迎えてくれていた。
見た感じ、どこも変わっていなさそうだった。それを見て、シャーナは
ちょっぴり安心した。
涙を拭い、満面の笑みを浮かべる。母まで、あと2、3歩。
ますます、感情は高ぶっていった。
ついに、あと1歩となり、母の手と自分の手がふれようしたその瞬間。
無残にも、その幻想は、掻き消されるのであった。
「おい!シャーナ! 目を覚ませ!シャーナ!!!!!」
自分の名前を、必死に呼ぶ声にシャーナは目を覚ました。
シャーナは、虚ろな目で、ゆっくりと目を見開く。
視界は、最初光を求めてぼんやりとしていたが、だんたんはっきりと
していく。
そして、一番に飛び込んできたのは、真剣なヴィルコの顔であった。
「ヴィルコ!?」
「よかった…。何度、呼んでも起きなかったから心配したぜ…」
ヴィルコは、安心したように腰を落とした。
「わ…私!?」
「いきなりお前の近くで、壁からの大砲の爆弾が爆発して…。」
重い体を持ち上げると、シャーナの脳内にその時の光景が鮮明によみがえってきた。
(そうだ…突然、近くで大きな爆音がしたと思ったら…いきなり目の前が
真っ暗になって…)
同時に、今まで、自分が見ていたのは紛れもない、すべて夢であったのだと悟る。
(あの懐かしい風景も…お母さんも…お父さんもすべて…夢…
私は、イマ…退却作戦の最中にいたんだった…)
「みた感じどこも、怪我がなさそうでよかったぜ…。」
ヴィルコは、苦笑いしていう。
「打ち所がよくて、助かった。おかげで背中じゅう痛いけどさ…。
でも、動けるから大丈夫。そ、それより、私、どのくらい気を失ってた?」
シャーナは、急に、喉の奥から湧き出した疑問を口に出した。
話の急転換に、驚いたヴィルコが反射的に答える。
「ご…5分くらいだ。」
「5分…」
シャーナは、驚く。
大きく深呼吸をして、ウサギのように草原を駆けて…両親に出会って…
とても長く感じられた夢の中での出来事は、現実では、5分ちょっと
の出来事でしかなかったからだ。
そう思うと、少しばかり残念な気持ちがわいてきた。
(どうせなら、夢で母さんと抱き合ってから…)
一方の事情を知らない、ヴィルコは、シャーナが、自分を責めていると
思って、すかさずフォローする。
「心配するな。5分くらいじゃ、戦況は変わらねえよ。」
「あっ…。ごめん。なんでもない。」
(いけない…何、考えてたんだ私…。)
慌てて、兵士としての自覚を取り戻し、シャーナは、誤解を生まないように
直ぐ様、手を振って取り繕った。
その姿に、安心したのかヴィルコは、立ち上がりシャーナに、手を差し伸べた。
シャーナも、その手を借りて立ち上がる。
だが、まだ手は震えていた。おそらく、まだ心の中で思うところがあるのだろうか。
しかし、無理やり神経を集中させることで心を無にする。
でなければ、兵士として失格だ。
「じゃあ、すぐ行くぞ! 上官達は、俺たちの帰りを早く待ってる。
これ以上は、迷惑かけられねえからな!」
「うん!」
そういうと、ヴィルコは、すぐさま繋いであった二頭の馬の手綱を
引っ張ってきた。
見ると、あきらかにシャーナが今まで乗っていた馬とは毛並の色が違かった。
今まで乗っていた馬は、一緒に吹き飛ばされた際の衝撃で、脚でも折れて…。
でも、そのおかげで、馬体がクッションの役割になってシャーナは
無傷でいられた。
馬は、一頭あたり生涯賃金に相当するといわれる貴重品である。
普通、調査兵団ならともかく兵団2年目の新人が、乗らせてもらえる
以前に、持つことなど許されてはいなかったが、今回は特別に、
使用を許可されていた。
それを、無駄にしてしまったことは、大きな問題であったが
事態が事態なので、仕方のないことだと受け止めた。
実際、何体もの馬の死体も見てきたのだから。
もし、あとで罰を受けるならば甘んじて受けよう。
たとえ、兵団を除籍になっても構わない。
しかし、今は、クィンタ区の駐屯兵としてやらなければならないことがある。
――――クィンタ区の住民を、巨人から守ること――――
無防備な、住民たちを救えるのは、自分たちしかいなかった。
「早く乗れ! 急げ!」
「うん!」
シャーナは、自分の体を引き上げて馬の鞍にまたがった。
そして、2頭の馬が、首を振り、前脚で宙をかきむしる。
すぐさま手綱を操り、足で馬の横腹をたたいた。
すると、これも多額のお金をかけて品種改良された賜物なのであろうか
馬は、微塵の疲れも見せず、すぐに全速力となった。
夢の中の、優しい感触だった風とは違い、風を強く感じる。
むきだしの耳が冷たかった。
視線の先で、他の生き残っている駐屯兵団の兵士たちが、
必死で住人達の乗る荷馬車の列を守っている。
シャーナも、ヴィルコもほんの少し前まではあの中の一人であった。
そして、またあの中に戻ろうとしている。
リタとは、違う班であったが同じようにして、荷馬車を守っている。
くたばっていないことを祈るばかりだが、上官達から将来を嘱望されるくらいの
能力とあの正々堂々とした性格であるから大丈夫にいるに違いない。
だが、それらは全部、命を犠牲にする覚悟での決死の時間稼ぎでしかなかった。
平原で、兵士の唯一の強みといえる立体起動装置はほとんど役に立たず
巨人を完全に葬ることなど不可能だった。
せめて、駐屯兵2、3人の班で、巨人に立ち向かい、足止めするのが
精一杯だった。
事実、一班、また一班と、少しでも遠くに、住民たちを逃がすために
勝てるはずもない巨人に特攻しては、はかなくも命を散らしている。
だが、駐屯兵達はそんなこと百も承知で、任務にあたっていた。
人類の役に立って、死ねるならば名誉なことであると思っているからだ。
いわば、訓練兵時代に刷り込まれたその精神が、今の兵士たちの原動力に
なっている。
そのおかげで、私たちも、なんとか、冷静さを保っていられた。
たとえ、同僚の死体を目の前にしても…。
だが、それも長引く無限地獄の中で、少しずつ壊れ始めていた。
「ちきしょうっ! なんでこんなに…まだ一日だぞ!? ウォール・マリアが
破られてから、丸一日もたってねえ!!」
突如、シャーナの隣で並走していたヴィルコがわめきだした。
「失敗だったんだ! 夜を待った方がよかった! こんな、巨人が動き回っている
昼間なんかに!」
「そうだね…」
シガンシナ区が落ちたとの報が、届いたのは昨日の夕方であった。
そのため、ここクィンタ区をはじめ残りの東と北の突出区画では
即座に街の廃棄が決められ、ウォール・ローゼへの避難が開始された。
それが、わずか数時間前の出来事。つまり、朝方であった。
長年の巨人の生体研究によって、巨人は夜間、暗所だと活動が低下すると
いうのが確認されていた。
普通なら、その習性を利用して危険でも夜間の避難を実行すべきだった
のかもしれない。
しかし、駐屯兵団の上層部は、住民に、これ以上の恐怖と混乱をあたえないためなのと暗闇で見通せない中での統制の乱れを考慮してだろうが、あえて夜間の避難を避け、
朝方からの一斉避難を選んだ。
確かに、人間の本能上、暗闇というものは、誰もが恐れることだ。
そのことが、恐怖を助長し、さらに混乱を大きくすることは明白である。
その上、この作戦は、クィンタ区の住民の存亡をかけた一大作戦だ。
肝心の指揮系統が、ズタズタでは元も子もない。
強ち、上層部の決定は現実に即した当然の結果であるともいえる。
だが、それはことごとく裏目にでてしまった。
内地に通ずる、門を開門した時にはすでにもう、巨人はクィンタ区のすぐ
目の前にいた。
つまり、奴らはシガンシナ区に入り込んで、一時間もたたずに
ウォール・マリアの壁を打ち破って、予想以上の速さでクィンタ区まで
到達していたのだ。
その、予想外の出来事と駐屯兵団の現実的な判断が、今回の犠牲を増やす
決定打になっていた。
リスキーでは、あるが、逆転の発想であえての賭けに出るべきであった。
だが、私たちに兵士の端くれには、逆らう権利なんてない。
ただ、あるのは命令に従い、失敗せずに遂行すること。
それが、駐屯兵としての役目だ。たとえ、命を失うことになっても。
「ヴィルコ! 後ろ!」
絶望は、次から次へとやってくる。
喚き、冷静さを欠いているヴィルコを、現実に戻らせる。
私は、震える手で背後を指さした。
見ると、巨人が四つん這いの状態で馬の速さに匹敵するようなはやさで
追ってきていた。
「あ・・あれは! 奇行種!!!」
更新遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
ここで、少し主要登場人物の補足。
リタ・イーゲルハウト・・・シャーナの訓練兵団からの友人で、同じクィンタ区
駐屯兵団に勤める同僚。性格は、正々堂々として勇敢で兵士としての能力も高い。
マティアスという幼馴染と恋仲寸前ではあるが、告白はまだできないでいる。
ヴィルコ・サンドラック・・・シャーナとは、訓練兵団の同期にして今は、同僚。
気を強く保ち冷静に見えて、意外と脆い部分もあるが、根は真面目な優等生。