渋谷ハロウィンは新宿とは決定的に違う事の一つが、殆どの参加者が県外の人間だという事だーー当然渋谷区もただ手をこまねいている訳ではない。ハロウィンごみゼロ大作戦と題し、エコステーションを置いたり、109下渋谷駅構内や宮下公園駐輪場内などに着替え場所や仮設トイレを設置したりしていて、実行委員会の主催で企業から協賛を取り区は共催という形で運営している。こうした取り組みは2015年からしてるのだが、きっかけは鉄道会社と商業施設から『トイレに血のりがべっとり付いている』『便器に缶スプレーが入れられて詰まった』『多目的トイレが着替えで封鎖される』といった苦情から始まっていた。であればせめて制御をーーという案が無かったわけではないが、以前渋谷ハロウィンでは、観光協会主催で代々木公園でイベントを行ったことがある。ただ、公園は閉園時間が決まっており、午後8時にイベントが終わり9時には撤収する決まりだった。
イベントは制御できる時間帯と場所があってできるものだ。例えばあるハロウィンは水曜日だったが、前の週の金曜夜から騒ぎが続いた。夕方に人が集まり出し、終電の時間を超えても早朝まで人が残る。普段よりも、大宮や熊谷など県外ナンバーの車も多く出没した。車からは降りず、電飾をつけた車で街をぐるぐる回る謎のグループが形成された。車高が異様に低く、ドリフトをする車もいてとても危なかったという結果に終わった。
これらの“事実”を元に新宿ハロウィンが形成されたのも相まって、渋谷ハロウィンは区の主導で開かれなくなって久しいのだが、その結果住み分けが出来るようになった。即ち、東京都民は新宿ハロウィンへ。県外からやってきた田舎者は渋谷ハロウィンに集まるというような……ただ、其処には例外というものもある。例えば、吸血鬼おじさんに絡んでいる子供の集団などがそうだ。悪ガキというよりは、まぁまぁ普通の好奇心旺盛なキッズだろう。家に帰ったら怒られる子もいるのだろうが、祭りの日に子供を全員閉じ込めておくのは不可能に近い。地元キッズの群れは、赤眼鏡吸血鬼おじさんからお菓子を搾り取ると、満足そうに立ち去って行った。
「あの子たちは
嗜虐的な微笑を浮かべて魔女が揶揄うと、一旦無視しようと思ったものの、いい歳したおじさんは敗北を予感しながらも反撃を試みずにはいられない。
「……最近都内で祓魔師が次々と殺される事件が起こっているのに、どうしてお前は生き延びてやがるんだ」
「さっきも言ったけれど、貴方照れてるのを誤魔化すのヘタクソだし、良い年齢のおじさんがお菓子を挙げた現場を見られて照れるのも、全然可愛くないわ」
瞬殺だった。しかもしっかりダウン追い打ちまでこなすのは流石の
「別に悪い事じゃないわ。貴方の事だから“クソガキにはお菓子なんてやらん”って目を吊り上げて追い払うと思ったのに。界異に子供を食べさせるのは平気なのに、子供にお菓子を強請られて差し出す事もあるのね」
――悪意が無い。有得の経験上、通常後半の台詞には悪意や敵意がのせられるのが一般的なのだが……有得は呪詛犯罪者らしく“普通の人間”とは価値観が違う。だが、目の前の祓魔師という属性の存在が此処まで“それはそれ”を徹底しているのは奇妙だ。やはりこの
「あ?」
「ねぇ、ちょっと上にあがってみない?」
そう言われて有得はその巨大複合施設をもう一度見る。既に照明は落ちており、施設内は立ち入れそうには見えない。
「もう二時前だぞ、渋谷スカイが開いてる分けねぇだろ」
「試してみる?」
その答えを予想していたのだろう。嫣然と微笑んだ魔女が、挑戦的な口調で言い放つ。「試すも何も……」と言いかけた言葉が、魔女が渋谷スカイのエントランスに触れたとたんに搔き消えた――ビルの照明が付いたのだ。夜空を切り裂き、灯台の様に輝くビルがハロウィンの夜に屹立した。
「ほら、早く。今は皆も驚いているけれど、直ぐに人がいっぱいになっちゃうわよ」
スマホを仕舞いながら魔女が有得に手を差し伸べる。その手に嵌められた黒い篭手に有得の手が触れた――冷たい。物理的な冷気ではない、珍しく目の前の祓魔師から伝わってくる感情の色は無邪気なものなのに、その温度は有得がその長い生で感じた事が無い程に寒い。その冷たく、熱い手に引かれるまま渋谷スカイに足を踏み入れた。
渋谷駅直結の複合施設渋谷スクランブルスクエア。その渋谷スクランブルスクエアの14階から上が、渋谷スカイとなっている。最大の魅力は、地上約230mという遮るものが何もない高さから、東京の街並みを360度見渡せる展望施設だ。様々な趣向の展望施設が用意されており、随所に工夫が凝らされている。普段ならモダンな雰囲気と渋谷の眺望を楽しみながらくつろげるラウンジや、東京観光の記念品やお土産を購入できるスーベニアショップ等もあるが全て閉まっているだろうが、魔女は迷わず最上階までスカイゲートで移動し、屋上展望施設のスカイステージまで有得の手を引いた。スカイステージからはまだまだハロウィンを楽しむ人々が見え、更に隣のエリアである新宿ハロウィンまでもが見通せる。
「そろそろね」
何が?と聞き返す必要はなかった。屋上に一番乗りをした吸血鬼と魔女だけの世界を切り裂いて、色とりどりの光が夜空に炸裂した――花火だ。新宿ハロウィンのクライマックスは盛大な花火で飾られる。それは“新宿ハロウィン”という儀式が成功したという合図でもあった……不死の神はいずれ甦る。しかし、それは今日ではなかったという事だ。極彩色の光に照らされる魔女を有得は盗み見た、花火に見惚れているようにしかみえないが前述の通り、瞬時の落雷にも対応できるだろうと思わせる程隙が無い。それはいっそ見事な程で、ほんの僅かな間有得は万聖節を乗り越えた光に照らされた鴉に見惚れた。
瞬間――有得の視界は空を飛んでいた。くるくると視界がゆっくりと回る。眼下には既に
“あの感覚”も恐怖も感じない。不死殺しの祓魔師の家系、今までの様に余裕が無かったり、有得が疑似的な不死だと気が付いてなかった時とは違う。恐らく次はないだろう死を前に不思議な充実感を覚えていた。勿論残念だと思う気持ちはあった。やりたいことはあったし、まだまだ出会っていない界異たちとも出会いたかった。しかしながら、それよりも今この瞬間は奇妙な満足感と共に人生を振り返る余裕すらあった。決して最高の結末ではない。最高の最後ではなかったが――極彩色に照らし出された
(――悪くはなかった)
和歌でも一つ詠んでみたい気分だった。
死に瀕した者特有の加速する時間の中で、あと十秒ほどが思考を保てる限界だろう。それまでに思いつくだろうか?或いは“彼”ならそれは見事に“俺”という存在の最後を飾ってくれたに違いない。その事を呪詛犯罪者が少し哀しさを感じた時、回る視界に異様なものが映った。
振り返った魔女が花火の光に照らされている。その表情は逆光になって分からない。その左胸からほんの少し下にズレたヵ所に、魔女は静かに黒い篭手が当てられ、肋骨が見えるほどに深く肉を毟り取った。
「――っ?!」
驚愕に目を見開く呪詛犯罪者首が見る光景は余りにも非現実的だった、不自然なほど血が出ない――その白い骨の隙間から赤光が洩れている。右の篭手――
避けるすべもない呪詛犯罪者に命中。夜空に浮かぶ首を中心に膨大な呪詛結界が九重に展開、恒星に匹敵するほどの霊的質量を帯びたそれが、光の速度を越えて回転し始める。ここにきて千年を超える呪詛犯罪者の有得には何が起こっているのか理解し始めた。鼎と鴉を封じるリミッターや儀式結界は体内の事象を抑制する様には出来ていない故に世に出てから半年の間、――鼎の体内で加速させ続けた“三本足の鴉”達。思えば全てが繋がった。
リミッターを一つ外していたとはいえ、飯縄山で鼎は時間を留めて見せた。霊的な重力場を使用し、単なる打撃だけでなく装甲を無意味にする祓魔術を完成させていた。そして今、当然のように光の速度での
――標的の時間を逆行させ、存在を無かった事にする呪詛祓魔術!
急激に標的、有得の時間が巻き戻っていく。五体が修復され、名前が解けていく。周囲にはあらゆる過ごした時間があった。己“たち”の何千、何万の死と生――無限の追憶の中。ふと気配を感じる。巻き戻り続ける時間の中で自らの奥深くにいる自分が契約した界異“時留め”が近くにいるのを感じた。時留めの姿は見えないが、契約の終了を伝えに来たのかも知れない。有得たちを助けるでもなく、過去に流されていく彼らを見ている気配だけがあった。「それでいい」と呪詛犯罪者は安堵した。この時間遡行祓魔術は射日神話の始まりの物語としての神話的な基軸と同時に、物理的な現象を基軸としている。世界の外の存在たる界異は抗う事も出来まい。時留めがどれ程の年月を重ねたのかは分からないが、時間の矢を此処まで強烈に反転させられたなら無事に済むとは考えにくい。
(さようならだ……)
人は勿論界異を対象としてもなおやりすぎである。一体本当は何を滅するためのものなのだろうか。そう呪詛犯罪者が考えていると、更に時が加速し名前が変わり、体が変わりそして世界が変わり続けた。世界大戦などとっくに後ろの方に流れていき、戦乱の戦国を飛び越え――懐かしい光景で世界は止まった。
そこは曲原という古い貴族の屋敷で、
自分が心の底から素晴らしい、そう思える歌を詠む下男が居た。彼はある時病にかかり死に至る時“俺”は無力だった。幼いというのもあったし、この時代のあらゆる医療は遅れており現代なら抗生物質で簡単に治る様な病気でもどうしようもなかった――そのこと自体は良い。哀しくはあった、だが“俺”を静かに絶望させたのは、今まで素晴らしいと思っていた曲原の家。いうなれば“俺の世界”そのものだった。下男というだけで、あれほど素晴らしい歌を作る彼もゴミの様に化野に棄てられた。この時から“俺”の中に強く根付いた人間という存在への失望。深く、冷たいソレは界異というものに触れた瞬間に、劇薬に変化した。
懐かしい記憶だった。ただ、一つだけ“有得”が知らない光景が目に入る。それは最後の日、最後の夜に本来“俺”の手に渡ることなく棄てられた手紙、“彼”が最後の力で振り絞って書いていた歌を、事切れたと同時に入ってきた鴉が持っていった光景だ。そこで超低速になっていた時間が再び巻き戻り始めた――未来の方向へ!
巻き戻っていく時間の中で、有得は異変に気が付いていた――世界が色付いている――あの無価値な世界が、色鮮やかな景色で色付いていた。その衝撃、驚愕を表現する方法を男は持たない。ただただ“新しい世界”に圧倒されていると、再び時留めの気配が近くに寄ってきているのを感じた。最も深い自分と縁が再び繋げると、再び時留めは彼方に去っていった――勝手なやつだ、だから界異は美しい。
猛烈に加速する時間が次に止まった時。それは宙に舞う生首の有得流我だった。次の瞬きを終えたら死ぬ、そう思った時。確かに聞こえた。
「熊野鴉神流“鼎派”最終奥義心世壊」
首が飛んでいるうちに逆光の位置からずれたのだろう。花火に照らされた鴉の魔女が、その自ら切り裂いた傷を手で塞ぎながら微笑んでいる、その光景は色付いた世界には余りにも美し過ぎた。
「――苦しみも、哀しみも。私の世界」
次に目覚めたのは、あらかじめ設定していたリスポーン地点。中華屋『|界怪軒」だった。時間を見ると午前7時を回っている。体に異常はなく“あの夢”も見ていない。それもその筈、よりによってあの祓魔師は俺の死因を普通に首を刎ねただけに留めたからだ。スマートフォンに鬼Lineが入っている音が聞こえるが、些末な事なので“有得 流我”は無視した。そんな事より、とんでもないことが自分に起こっていたからだ。
――無価値だった世界が。あれほどくだらないと思っていた世界が――色付いて見える。
この衝撃、他に何に例えればいいのか分からなかった。ただただ、呆然と“初めて見る世界”いいや、正確に言えば“あの下男”と一緒に歌を練っていたあの時間に見た世界その“続き”に圧倒されていた。衝撃は二重にあった。不死殺しに執念を燃やす祓魔師一族“熊野鴉神流”その史上最高傑作とも言われる九鬼 鼎が十分な余裕がある状態で呪詛犯罪者を完全に殺せないという事は“有り得ない”
そこまで考えたところで、どかどかとワザと音を立てながら部屋に入ってきた人影が二つ。採点者と死火である。二人はハロウィンに参加した格好のままで(浮かれた仮装のままで)激怒と共に入室し、烈火の如き目で有得を睨み、文句をマシンガンの如く発射しようとした所で異常に気が付く。
「有得、アナタ……泣いてるの?」
「――そんな事、有り得るはずが」
目を丸くする呪詛犯罪者二人に言い返す事も出来なかった――“生きることを許された”この現実にどう向き合えばいい?少なくとも、目の前のカス二人から答えは得られることはないだろう。そう有得は判断すると、嗤った。答え合わせまでの時間は貰った、ならその時まで――その決着の時までは。
「お前らは昨夜は楽しめたみたいで良かったよ。新宿は平和で良かったでちゅね」
一瞬でギラついた雰囲気を掴むと、呪詛犯罪者はヘラヘラしながら思った。
(これ店残らねぇな。後で建て直さねぇと……)
“本気”になった有得のテンションに若干ついていけない死火と採点者(義体)に向かって、薄ら笑いを辞めて凶悪な笑みを浮かべる。
「思うところあってだな。今から、お前とテメェが子供を殺すのを辞める。と宣言するまで、ボコボコにするか殺すかすると決めた」
呪詛犯罪者二人は、雰囲気がいつもと違う有得を警戒しながらも鼻で嗤う。
「出来ると思ってる?」
「今日はエイプリルフールではないよ?」
首を慣らしながら有得 流我が立ち上がる。世界に色が戻った。だが、まだもどかしい。雛が卵からでるも、殻がまだついているかのような今一つがこの世界には足りていない。男はそう感じていた。故に――
「俺がお前達に勝つなんて“有り得ない”と思ってるようだが……俺は一万でも百万でも、お前達をブチのめしに立ち上がれることを忘れてるみたいだな。良いぜ?」
次の瞬間、死火も黒不浄を抜刀。採点者も義体に力を行きわたらせる。同時に、有得がコート掛けにかけていたコートをひるがえし、内側に収められていた無数の粗製違法祭具が室内灯を跳ね返しながら現れた。
「――やってみようか」