ダスティ・アッテンボロー退役中将。
イゼルローン共和政府最大の支柱である。
この人がいなければ、イゼルローン共和政府は成立し得なかった。この人については、逸話がある。
後のバーラト共和国の初代暫定挙国一致内閣で外相を務めたアッテンボロー氏が、ミッターマイヤー国務尚書との初の会談をつつがなく終えて退出。同席していたバイエルライン内閣書記官長が、アッテンボロー外相の退出を見送った後、国務尚書に尋ねた。
「国務尚書閣下は、なぜ共和国外相に閣下の尊称を付けるのか?」と。それに対するミッターマイヤー国務尚書の返答はこうだった。
「アッテンボロー閣下は、国家を作ったという点で、獅子帝陛下と同じなのだ。私たちは、陛下の御元で、与えられた実務をこなしているに過ぎない。我々がたとえ強大な力を持っているとしても、それに驕って相手の偉大さに気づかないようでは、いずれ世間から後ろ指を差されることになるぞ」と。この指摘を受けてバイエルライン書記官長は赤面したが、同僚にも自らが崇める上司の冷静沈着な指摘の素晴らしさを感じてほしいということで、彼はあえてこの逸話を積極的に広めた。
アッテンボロー外相は、今やヤン提督をも凌ぐ存在感を放っている。アッテンボロー外相自身は、野党議員になって与党の責任追及をやりたいらしいが、銀河帝国との太いパイプを持つ彼を、世間が放っておくはずがなく、暫定挙国一致内閣の任期満了に伴う総選挙では、アッテンボロー外相率いる立憲革新党が第一党となって政権を握るであろうことが有力視されている。
そんなアッテンボロー中将が政治に手を掛けた第一歩が、イゼルローン共和政府である。彼の凄いところは、イゼルローンに残った誰よりも勤勉であるにも関わらず、周囲にそれを全く察知させないところにある。キャゼルヌ中将によると、彼の読書量は、実はヤン提督をも上回るらしい。ヤン提督の場合は、戦史や戦略に片寄りがちなのだが、アッテンボロー中将の場合は、軍事に限らず、政治、政策、経済、哲学と多岐にわたる。アッテンボロー中将は「あいつは昔から、弱い立場の反体制派が、強大な体制派を打ち負かす話が大好きで、それにまつわる話を片っ端から調べることに命を懸けていた」とキャゼルヌ中将が語っていた。特に、たったの半世紀で列強に比肩しうる地位にまで上り詰めた東洋の島国には興味があったようで、その国のことについて彼はよく知っていた。
アッテンボロー中将の勤勉さにバグダッシュは気づいていて、自身が組織したグループのほぼ全てをアッテンボロー中将に引き渡していた。
「勤勉なるアッテンボロー閣下であれば、あいつらを十全に使いこなしてくれる」
自分があんなヤバい組織を持ったままだと、周りからいらん疑いをかけられてしまうからなと、バグダッシュは笑って答えていた。
アッテンボロー中将は、何故イゼルローン共和政府の軍事的指導者にならなかったのか?このことについて、私は本人から話を聞いたことがある。理由は三つあった。
一つは、アッテンボロー中将、キャゼルヌ中将、シェーンコップ中将の3人が、何らかの役職に就いて派閥が形成されてしまうと、万一幹部間で対立が生じた場合、修復不可能な亀裂が入って分裂の危機に陥る可能性があるからというもの。できたてほやほやの、なんちゃって政府に過ぎないのに、ローエングラム朝銀河帝国という超強力な檻で取り囲まれているのだから、少しでも危険な要素は取り除いておきたかったらしい。ゆえに、キャゼルヌ、シェーンコップ、アッテンボローの3幹部は要職に就かず、元老的立場で役職者たちを支えることにしたのだ。イゼルローン共和政府の構成員の大多数が軍組織に従属する軍人であるため、普通選挙による議会制民主主義を体現することが困難。せめて政治的な意思決定だけでも、元老的立場の3幹部と政府代表、政府閣僚、軍事的指導者の合議によって決めるという共和主義的色彩だけは残したい。この考えを先ずアッテンボロー中将はキャゼルヌ中将に話して同意を得、シェーンコップ中将も支持した。これが、キャゼルヌ中将がミンツ中尉に、
「本人が、自分は黒幕でいたいと言っている」
「おれたちも同様だ」
と言った真意である。
もう一つは、バグダッシュグループを統率する役目を、他の誰かに委ねることができなかったからというもの。バグダッシュグループには、法曹関係者や公務員も多数いたため、彼らを使ってイゼルローン共和政府の行政組織を立案させる必要があった。その責任者たりうるものが、アッテンボロー中将以外にいなかったのだ。
もう一つが、軍事的指導者になってしまうと、立場に縛られて自由な活動ができなくなってしまうというもの。イゼルローン共和政府には人材が足りていないので、急場しのぎで3幹部の誰かが何かしらの中間的責任者をしなければならない時が出てくるはずだから、3幹部はできるだけ要職につかない方が好ましかった。実際、該当者が見当たらないということで、軍事的指導者ミンツ中尉指揮下の軍事局長にキャゼルヌ中将が一時的に、地上部隊の統括としてシェーンコップ中将が就任した。
イゼルローン共和政府の組織は、アッテンボロー中将の手でもって形成されていった。軍事専制にしてしまった方がシンプルで楽なのだが、アッテンボロー中将はあくまでも共和制であることにこだわり、それを他の幹部たちも支持した。この時に作り上げた共和政府組織の代表例が、中央銀行の設立であろう。統治範囲がイゼルローン要塞だけという特殊な環境にあるため、あえて設立させる必要などないにも関わらず、あえて中央銀行を作って軍票ではなく通貨を流通させた。微々たるものだが政府債権も発行して、税金も徴収した。当初このプロジェクトの総責任者はアッテンボロー中将。実行責任者がマカロックで、バグダッシュグループから十数人引き抜いて作業をしていた。専門知識やある程度の業務経験が必要な、面倒で小難しい手探りの作業で、ともすれば陰うつになっても不思議ではない。にもかかわらず、彼らの表情はアッテンボロー中将と全く同じだった。
「伊達と酔狂で思いっきり財政ゴッコができて、こんなに面白いことはない」
とは、彼らのうちの誰かの弁。これに便乗する連中が時を経るにつれて雪だるま式に膨れ上がり、面白がって大勢で手分けして作業を進めた結果、イゼルローン共和政府が正式に発足する前に中央銀行と財政局は完成してしまった。こんなものを作ってしまうことができることからも、バグダッシュグループの優秀さが分かるというものだ。あとからマカロックから聞いた話だが、この作業にほんのごくわずかだが総責任者であるアッテンボロー中将自身と、何故だかポプランも一枚噛んで、分担された作業に取り組んでいたらしい。アッテンボロー中将はともかく、何でポプランがって思ったものだ。それだけ、この準備作業が、熱を持って盛り上がっていたということだろう。私は、他のバグダッシュグループのメンバーとともに法制局の準備をしていたので関わっていないが、あの尋常ではない熱気がこちらにまで伝わってきて、得体の知れない活気がこっちでも沸き上がっていた。
財政制度という根幹ができてしまえば、あとは枝葉のようなもの。憲兵隊の一部を改組して市民警察にしたり、施設大隊のいくつかを公団化したりしたものの、大半は旧要塞都市整備局を改組するだけで大枠を作ることができたので、概要はすぐに出来上がった。
私たちが担当した法制局も組織自体は出来上がり、裁判制度も暫定的なからも間に合わせることができた。憲法に準ずる政府基本法は暫定的なものを作ったが、それ以外は同盟政府のものをそのまま流用することで当面は様子を見ることにした。
イゼルローン共和政府の詳細について特に公表されていないからであろう、「孤児と未亡人による連合政権」と言って嘲笑する人がいるらしいが、同盟政府までとは言わずとも、エル・ファシル独立政府よりはずいぶんとマシな政府であったと私は断言する。
ムライ閣下が、ヤン提督の名前につられて雰囲気だけでやって来た連中を、まとめて引きずり出して連れ出してくれたおかげで、雰囲気が良くなって明るくなった。ヤン提督を失ったことによる哀惜と絶望も、イゼルローン共和政府を作り上げるという業務に没頭し、そして実のあるものとして完成させたことにより、希望を持つことができた。もしヤン提督が生きていたら、これだけ完成度の高い政府を作ることはできなかったのではないかと、私は思う。
バーミリオン星域会戦までのイゼルローン要塞司令部及びイゼルローン駐留艦隊司令部の中で、一番激務に追われていた幹部は誰か?
散々ヤン提督にこき使われてきた我々が、よく仲間内でネタにしてきた問いかけなのだが、全員が一致して挙げる名が、
「アレックス・キャゼルヌ中将」
だった。内情を知らない人は、イゼルローン要塞司令部とイゼルローン要塞駐留艦隊司令部は同一のものと思っているが、同一なのは司令官だけである。要塞司令部と要塞駐留艦隊司令部は別個のもの。ムライ参謀長は、イゼルローン要塞駐留艦隊参謀長。パトリチェフ参謀副長は、イゼルローン要塞駐留艦隊参謀副長。私も要塞駐留艦隊作戦参謀だった。なら、要塞司令部の参謀長は誰か?そんな肩書きを持った人なんていないではないか、というのだが、確かにイゼルローン要塞司令部に参謀長という肩書を持つ人物はいない。何故なら、司令官が別の肩書にしてしまったから。その肩書が「要塞事務監」。私も初めてその職名を聞いたとき「何それ?」と思ったものだ。イゼルローンに赴任してしばらくして、いろいろ実務をこなして周りを見て、ようやく理解したのが、要塞司令部参謀長と要塞都市整備局長を兼務したものだということだった。前述したが、こんなの並みの人間が兼務してできるものではない。どこかの県知事が国のナントカ省の事務次官を兼務するようなもの。ヤン提督のブラックぶりを代表するトンデモ人事なのだが、これをキャゼルヌ中将は平然とこなす。というか、こなしているように見えた。
イゼルローン共和政府の成立とともに要塞都市整備局は解体され、実務は旧ヤン艦隊の幹部とかバグダッシュグループの誰かとかに分割されて引き継がれ、イゼルローン要塞司令部参謀長も駐留師団の幹部に引き継がれた。数日たったある日、昼食を共にしていたキャゼルヌ中将が、ボソっと言った。
「これで夜、ぐっすり寝ることができる」
さすがのキャゼルヌ中将でも、要塞事務監という職務はしんどかったんだなって感じたものだ。
新政府を成立させるに当たって、表看板と店の内装を整えることも大事だが、不穏分子が湧き出てきて腐らせたりしないよう監視して防除する裏方稼業も必要になる。これをかって出たのが、シェーンコップ中将だった。彼の元でリンツが憲兵隊長として実戦部隊の責任者となり、バグダッシュが情報局長として、内外の不穏分子の捜索など情報収集の責任者となった。
「陸戦において白兵戦闘能力は必要だが、その3倍必要なのが情報の収集解析能力」
リンツから聞いた言葉だ。陸軍のシェーンコップ中将が宇宙軍のヤン元帥に頭を下げるのは、自負する情報の収集解析能力において、ヤン元帥が自身よりもはるかにうわ手だと認めているからだと、リンツが教えてくれた。
回廊の戦いが終結してイゼルローン回廊から帝国軍が完全に撤退してから、新領土総督府が始動してしばらく経つまで、わずかながらもイゼルローンに亡命してくる人たちがいたが、シェーンコップ中将が総責任者、実行責任者はバグダッシュが担当となって、キャゼルヌ中将と私が作った雛型を元に対応していた。人格に難があって私は反りが合わなかったが、シェーンコップ中将の人を見る目が確かなのは間違いない。
イゼルローン共和政府は、組織としても、そして構成する人員の質についても、適材適所についても、人員の関係性についても、理想に近い形で収まっていた。だから最後の帝国との戦いにおいて、ヤン提督とフィッシャー提督という圧倒的な二本柱を欠きながらも、一方的な敗北とならずに成果を上げることができたのだ。
次回は、親領土総督府が崩壊するまでのイゼルローン共和政府の平穏期について述べたいと思う。