「ゴホッ...ゴホッ....」
ゲヘナ学生寮の一室にて、私は一人ベッドの上で咳き込んでいました。
「うぅ...」
ベッドに寝転がったままゆっくりと携帯を手繰り寄せ画面を見ると、そこに表示されていた時刻は既に夕方を指し示しています。
本来であれば今頃私が所属する同好会の茶室で活動している筈でしたが、生憎な事に身体一つ動かすのがやっとな状態です。
昨日は確かに少し熱っぽいなと思っていましたが、まさか起きたらここまで体調が悪化するとは....
油断していた昨日の自分に文句を言いたい所ですが時既に遅し。
「.......」
そういえば朝にモモトークで連絡をしてから一度も確認していなかった事を思い出し、トーク画面を開いてみると友人であるキョウカちゃんから返事が届いていました。
”わかった、お大事に”
なんともシンプルな彼女らしい一文に僅かに笑みが溢れますが、それと同時にもう一人から何も通知が無いことに気がつきました。
その事にほんの少しだけ寂しさを覚えましたが、すぐにその考えは消え去る事になります。
「.....あっ」
それもその筈、どうやら朝の私はそもそも先輩への連絡をし忘れていたみたいです。
「...どうしよう」
もしかしたら無断で休んだと思われるかもしれない、怒る...のはあの先輩の場合しなそうではありますが.....
考えを纏めようとしますが頭がガンガンと重く響いて集中できません。
そういえば朝起きてから何も食べていませんでした、こういう時こそ栄養をとらないと治るものも治らないのはわかっていますが、ベッドから身体を起こすのも一苦労な有様です。
「.......」
何も出来ない程の体調の悪さ、それに部屋に一人きりという孤独感も相まって気持ちが落ち込んでいた私は思わず涙を溢してしまいます。
コンコンッ
「っ!」
ですがそんな時、誰かに部屋の扉が叩かれました。
突然の事に思わず小さく声を上げてしまいましたが、次の瞬間私は更に驚く事になりました。
「宇治さん、いらっしゃいますか?」
「えっ...」
扉越しに聞こえてきた声、それは間違いなく普段から聞き慣れた人のものでした。
「せ、先輩....?」
「起こしてしまったのならすみません、今から入ってもよろしいですか?」
「え、は、はい...」
そう尋ねられつい反射的に答えてしまいましたが、私が返事をしてすぐにガチャリと鍵が回されゆっくりと目の前の扉が開かれていきます。
そこに居たのは私が想像していた通りの人物...朝宮先輩が両手に袋を持って立っている姿でした。
「突然押し掛けてしまいすみません」
「い、いえ...」
先輩はどうやら茶室に訪れたキョウカちゃんから私の事情を聞いたらしく、心配になりお見舞いに来たとの事。
「鍵は事情を話した寮長さんが貸してくれまして....宇治さん、とりあえず体温を測って貰えますか?」
持ってきた袋を台所に置いた先輩は、私の傍に近寄ると体温計を手渡してきました。
「38.7度....かなり重い風邪ですね」
「あ、あの...先輩がここに居たら私の風邪が...」
自然と流れに任せ言われるがまま体温を測ってしまいましたが、改めてこの状況を理解した私は先輩の事が心配になり声をかけます。
「ん?ああ、気にしないでください。こう見えて風邪には強いんです、もう何年もひいてないくらいですから」
先輩は笑いながらそう答えると先程台所に置いた袋を開いて中からいくつかタッパーを取り出していきます。
「宇治さん、今日食事はとられましたか?」
「...あ、えっと、まだです....」
「やはりそうでしたか、では少し台所を借りますね」
先輩はタッパーに入れてあったお米を研ぎ棚から取り出した鍋に入れると、その中に水を加えて火にかけ始めます。
「.....」
私はベッドに横になったままそんな先輩をぼうっと見つめていると、私の視線に気がついた先輩は苦笑しながら口を開きました。
「心配ですか?安心してください、私もお粥くらいはちゃんと作れますから」
「あ、いえ、そういう訳じゃ...!」
「ふふ、冗談ですよ。まだ暫くかかりますから、宇治さんは休んでいただいて結構ですので」
そう言って先輩は優しく笑いかけてくれましたが、それがなんだか気恥ずかしく感じた私は顔を半分程布団に埋め、言われた通り目を瞑って身体を休める事にしました。
それから暫くの間、鍋からグツグツという音と先輩が何かをザクザクと切る音が私の耳に聞こえ....
....一体どれくらい経ったでしょうか
「宇治さん、身体を起こせますか?」
気がつけば先輩が私の傍に座っています。
私は先輩の手を借りながらゆっくりと上半身を起こしていくと、先輩はお粥が入ったお茶碗を台所から持ってきました。
お粥には薄らと卵の黄身が混ざり、よく見ると梅干しとネギも混ざっているようで茶碗からは温かい湯気が立ち昇っています。
先輩の手の中にあるそれをぼんやりと見ていると、思わずぐぅとお腹が鳴ってしまいました。
「あ、これはその...」
「恥ずかしがる事ありませんよ、今日一日何も食べていないのでしょう?むしろ食欲はあるようで安心しました」
先輩はそう言って右手に持ったスプーンでお粥を掬うと、それを徐に私の口元へと運んできます。
「....へっ!?だ、大丈夫です!自分で食べられますから...!」
「遠慮しないでください、もし溢してしまったら大変ですし、それに今は少しでも身体を休める方が大事ですよ」
流石に食べさせて貰うのは恥ずかしく私は必死に断ろうとしますが、一切譲ろうとしない先輩にとうとう根負けしてしまった私は頬を赤らめながらも差し出されたスプーンを咥えます。
「....美味しい」
梅干しの酸味と卵の甘さが口の中に広がり、丁度いい柔らかさのおかげかスルスルとお粥が喉を通っていきます。
次々と口に運ばれるスプーンを咥える私を、先輩は優しく微笑みながら見守っていました。
「ふぅ...」
あれだけ苦しかった頭の痛みや落ち込んだ気持ちもすっかり消え去り、食事を終えた身体がポカポカと熱を発していました。
「とりあえずこれで一安心ですね」
「先輩...ありがとうございました」
先輩は洗い物も終わらせ再びベッドに横になった私を見て頷いています。
「後はゆっくり休んでください、宇治さんがよければまた明日様子を見に来るので....それではまた...」
「......」
「....宇治さん?」
そう言ってベッドの傍に座っていた先輩が立ち上がり帰ろうとした瞬間、私は無意識の内に先輩の着物の袖を掴んでいました。
「.....っ!あ、す、すみません...!」
わざわざ先輩を引き止める様な真似をして一体自分は何をしているのか....ですが先輩はそんな私を見て何か少し考える様な素振りをして再び床に座ると
「....!」
先程先輩の袖を掴んだ私の左手を、両手で優しく握りました。
「...あ、あの、先輩....」
「大丈夫ですよ、宇治さん」
「......」
「貴方が安心して眠れるまで、ちゃんと私はここに居ますから」
先輩はそう言うと私の左手を更に強く握ってきますが決して痛くはありません、むしろ先輩の言葉通りどこか安心出来る様な.....少しずつ意識が沈んでいく様な.....
「大丈夫、大丈夫ですよ....」
「......」
意識が途切れる最後の瞬間まで、私の耳にはそんな先輩の優しい声が聞こえていました。
「.....」
目を覚ますと窓の外からは薄らと陽の光が見えます。
ぼんやりとする意識の中、昨日の出来事を思い出した私は勢いよく身体を起こし隣を見ると既に先輩の姿はありませんでした。
代わりにそこには椅子が置かれており、椅子の上には何やらメモ用紙があります。
”冷蔵庫に軽い食事を入れておきました、よければ食べてください”
ベッドから腕を伸ばした私がメモ用紙を見てみると、先輩の字で確かにそう書かれていました。
「先輩....」
私はここまで看病してくれた感謝の気持ちを抱きながら先輩の事を思い浮かべます。
....が、それと同時に昨日先輩が帰る直前に自身がやらかしてしまった事も思い出してしまいました。
「〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」
いくら無意識とはいえ、あんな恥ずかしい行動を...!しかもよりによってこれから何度も会う先輩相手に!
「うぅ.....別の意味で茶室に行けない...」
身体からはすっかり熱が引いたにも関わらず異様に熱くなった顔を両手で押さえた私は、それから暫く布団の中で悶え続ける事になりました。