その日も普段と変わらない日と思っていました。
いつもの様に宇治さん達が来るのを待っていた私は、茶室の中で棚に置いてある茶葉を見ながら一人粛々と準備を進めていきます。
「今日はどうしましょうか...この間の様に抹茶を?久しぶりに番茶を作るのもいいかもしれませんね」
そんな独り言を呟きながら茶碗でお湯を沸かしていきます、そして急須に選んだ茶葉を入れて葉が開くまで待とうとした所で不意に着信音が聞こえてきました。
「これは...狭山さん?どうしたのでしょうか」
袖から携帯を取り出し見てみると、そこに映っていた番号は狭山さんのもの。
彼女が電話とは珍しいと思いつつ何事か尋ねようと応答しますが、そこから明らかに狭山さんではない声がしてきました。
ですが全く知らない訳ではなく、聞こえてきたのはむしろ予想外の人物の声、
『もしもし、こちらの番号はサエさんのもので宜しいでしょうか?』
「その声は...セナさんですか?」
救急医学部の部長を務める氷室セナさん。
ゲヘナ学園内外問わずに負傷者を治療するエキスパートで、手荒に患者を運び出したり物騒な言い間違いをするなど少々気になる部分もありますが、その腕は本物です。
「えっと、何故セナさんが狭山さんの携帯を?」
そう、問題は何故彼女がわざわざ狭山さんの携帯で私に電話をかけているのか、その理由がわからず尋ねてみるとセナさんは至って冷静な声色で答えてくれました。
『実は少し前に彼女が郊外で突然倒れたとの通報がこちらに届きまして。保健室へ搬送を終えた所で彼女が目を覚まし、貴方にかけようとしていましたが力が入らず動けない様でしたので勝手ながらこちらが代わりに連絡を....』
「た、倒れた!?狭山さんが!?」
私はそれを聞いた瞬間持っていた急須を手放し立ち上がります。
「狭山さんは!彼女は無事なんですか!?」
『彼女が倒れたのは....』
何故?一体何が?病気?まさか事故に?一瞬で様々な事が頭の中を巡り、そのせいで私の耳には電話で何かを話しているセナさんの言葉が全く入っていませんでした。
「とりあえず今すぐ向かいますので!」
『サエさん、少し落ち着いてくだ──』
何かセナさんが言いかけた様な気もしますが、私は慌てて部屋を飛び出すと全速力で保健室までの道のりを走っていきます。
幸い保健室まではそう距離はありません、一心不乱に走り続け建物に入るとやがて見えてきたのは保健室の入り口。
「狭山さん!いったい何が....!」
そう言いながら目の前の扉に手をかけ一気に開くと、そこには....
「絶対やだ...!」
「抵抗しないでください、これは必要な処置です」
手に一本の注射器を握っているセナさんと、その彼女の手首をベッドの上で寝ている狭山さんが震える腕で掴んでいる光景が広がっていました。
「あ、サエ、助けて」
「?ああサエさんでしたか、今彼女に注射を打とうとしているのですが抵抗され危険なので彼女を押さえておいてください」
「えっと、これはどういう...と、とりあえず嫌がっている中無理矢理するのはアレですし、ひとまずどういう事なのか教えていただけませんか?」
少し想像していた状況とは違う光景に思わず困惑してしまった私でしたが、その言葉を聞いたセナさんは一旦注射器を置くと口を開きました。
「今は打とうとしていたのは栄養注射です」
「栄養注射?」
「はい、彼女は栄養失調で倒れていましたから、こちらを点滴をしようかと」
まさかの原因は栄養失調、それを聞き驚いた私でしたが同時に疑問も浮かんできます。
それが原因なら何故そうなるまで狭山さんは食事を取らなかったのか、彼女は確かに時折面倒だと食事を抜く事があるとは言っていた事もありましたが、それでも最低限の食事はとっていた筈です。
それについて当人の狭山さんに尋ねようとすると、何故か黙ってしまいます。
「狭山さん、もしかして何か悩み事があるのですか?勿論話しづらいのなら無理に言わなくても構いませんが、可能なら力になりたいとは思っていますので」
そう彼女に伝えると狭山さんはどこか言いにくそうにしながら目を逸らしました。
「...大丈夫、別に悩んでる訳じゃない。もっと別の理由でだから」
「そうなのですか?それなら良いのですが...」
「キャリーオーバー」
「え?」
狭山さんの返事に私は安心し胸を撫で下ろしたのですが、次の瞬間彼女の口から何かの単語らしきものが飛び出してきました。
「前回の当せんした人がいない時にその分が次の当せん金に追加される事、丁度それがやってたから」
「は、はあ、そういう仕組みがあるのですか....ん?ちょっと待ってください、まさかそれを狙ってこれまで以上に買ったせいでお金がなかったんじゃ...」
私の答えに狭山さんは返事はしませんでしたが、その僅かに泳がせている目が正解を物語っています。
その反応に私は頭を押さえて溜息をついてしまいました。
「まさかそんな事が...でもそれなのに今日までよく耐えられましたね?」
「うん、あの部屋にあったお茶菓子で何とかしてたけど流石に無理だった」
「成る程、最近お茶菓子の減りが早いなと思ってましたがそう言う事だったんですね。まあ何か重い病気や事故でなかった分安心しましたよ...ですが流石にここまでになる程のめり込むのは感心しません、今後暫くそういうものを買うのは駄目ですからね」
「ごめん....」
そう言って狭山さんは申し訳なさそうに頭を下げてきました。
流石に今回ばかりはやり過ぎたと思っているみたいです、彼女自身反省しているのであればこれ以上とやかく言う必要はありませんね、まあ念のため少しの間は一応見守らせては貰いますが.....
「とりあえずまずは回復が先ですね。と言う事でセナさん、先程の点滴の続きをお願いします」
「了解しました。では狭山さん、今度は抵抗せずに腕を出してください」
「.............わかった」
随分長い沈黙の後、諦めた狭山さんはセナさんに手を差し出します。
注射が苦手らしい彼女はその間ぎゅっと目を瞑りもう片方の手を私が握って耐えていましたが、セナさんの流石の手際の良さにより作業は一瞬で終わることとなりました。
「暫くこちらで様子を見ますのでひとまず今日一日は安静にお願いします」
「ありがとうございますセナさん、助かりました」
緊張からか眠ってしまった狭山さんの手を離し立ち上がった私は道具を片付け始める彼女の元へ歩き感謝を伝えます。
「それとすみません、あの時は気が動転してしまいセナさんの話を聞かずに来てしまって...」
「問題ありません、ご心配なさるのは当然の事ですので何も間違ってはいませんよ」
「...そう言っていただけて嬉しいです。今度是非お礼をさせてください、美味しいほうじ茶の茶葉があるんです」
セナさんは表情を崩さずあくまで淡々と手を動かしていましたが
「ええ、ではその時は是非ご相伴にあずからせていただきます」
私の話を聞き一瞬動きを止めると僅かに頬を緩め頷いたのでした。
(とりあえず狭山さんの食生活を何とかしないとですね。ふむ、簡単なものでいいのならお弁当を作ってみるのもいいかもしれません....また今度時間がある時にフウカさんに料理を教わりましょうか)
そんな事をぼんやりと考えながら私は二人に狭山さんの事を連絡しながら一人茶室へと戻っていったのでした。