お久しぶりです。
男が一人、周りに目もくれず、裏路地の建物群をすり抜けながら走っていた。その顔からは止めどなく汗を流し、焦りと恐怖に駆られていた。
「………はぁっ!…はぁ!はっ!はっ!」
(糞だ。クソったれだ。俺達が何したってんだ!)
「なんっで!あんな奴がいるんだよ!」
男は悪態を付きながらも走り続ける。何かから逃れるように走るその姿はまるで捕食者から逃げる小動物そのものだった。
(簡単な依頼だったハズだ……。簡単な…たかが女一人、攫ってくるだけだっただろ!!あんな化け物が居るなんて聞いてないぞ!?)
男はフィクサーの一人だった。裏路地のごろつき達が集まり出来た事務所に所属していた彼は明日を生きる為、倫理を捨て、手段を選ぶ事無く仕事に尽くしていた。そしてその溜まった
(事務所の奴等全員が、たった一人の女に殺されるなんて…!)
男が脳裏に浮かべたのは先程まで見ていた光景だった。自らの血の海に沈む仲間達、それを見下ろす男達を追い詰めた人物。赤い髪を靡かせ、大剣を振るう女の姿。恐怖と絶望が頭を支配された時にはもう既に身体は逃走を選択していた。
やがて男の呼吸は深く、不安定さが目立つようになっていった。なけなしの金で買った安物の (男にとっては大金のようであったが) 強化手術だったが、性能の悪さに男は苛立ちを覚えた。そして世の中はやはり金だと、酸素が行き届いていない頭でぼんやりと考えた。
「………?」
男は顔を顰めた。目線の先に人影がこちらに立ちはだかるように立っていたからだ。
初めはあの赤髪の女だと思ったが、それは違うと思い直した。赤い髪の女は高身長であった。しかし、目の前に立つ人影はそれよりも頭ひとつ低かった。
裏路地の闇に隠されたシルエットは近づく程に鮮明になっていく。
(……子供…?)
シルエットの正体は子供だった。薄茶色の髪の間から淡い青色の瞳を覗かせ、男を見つめていた。
子供を見て男は少し奇妙を憶えた。裏路地に子供が放浪しているのはよく見る光景ではあったが、それにしては身なりが整っていたからだ。
そして彼は右手に何かを隠し持っていた。男を見つめる瞳は静かに一種の感情をひた隠している。しかし、男はそれに気づく事は無かった。
その一瞬の過ちが、我が身を滅ぼすことになるとは裏路地の中では周知の事実だった。
「おい!!そこを退けガキ!!」
男は走りながらも乱暴に目の前の少年を振り払おうとする。しかし男の腕は彼に届くことなく空を切った。
「!!?」
少年が男の目の前から消えた。影が男の頭上を覆いかぶさるように黒く染め上げる。男は驚愕し、影を見上げた。
少年は跳んでいた。男の頭の上を悠々と飛び越えられる程の高さまで跳び上がり、未だに青い瞳は男を捉え続けていた。その瞳にひた隠していた感情は殺意となって男に襲いかかる。
少年は身体を捻り両腕を大きく振りかぶった。そしてその手には男の命を刈り取らんとする斧が握られている。刃が光を反射して怪しく煌めいて、男を映し出した。
それが男の見た最期の景色だった。
バスンッ!!
「〜〜〜っ!?」
肉と骨が砕かれる音が響き渡る。呆気に取られた男はなす術なく首を刎ねられ、絶命した。頭を無くした身体は力無く倒れ、鮮血を吹き出して裏路地の一部を血で染め上げた。
少年はその様子を暫く眺めた後、緊張と共に息を吐いた。
ーーーーー
「ふぅ……なんとかなった……」
辺り一面に血の匂いが充満している。始めは嫌な匂いだと感じていたのだが、今はもう慣れきってしまっていた。…それが良い事なのか、悪い事なのかはよく分からないが。
頬に付いた血を拭いながら目の前で倒れている死体を見た。自分が奪った命だ。
彼は酷い人達の一人だった。か弱い女性に対して寄ってたかって手段を選ばなかった。だから
でも、それが本当に彼等を殺す理由になるのだろうか。
彼等だって明日を生きる為、必死だった。襲われた彼女だって、誰だって、一緒だ。
もしかしたら、彼には帰りを待つ家族が居たかもしれない。
もしかしたら、共に支え合う恋人が居たかもしれない。
そう思うと、僕は居た堪れない気持ちになる。罪悪感が僕を押し潰そうとしてくる。
だから、僕は祈る事にしている。
次は良い人生を送れるようにと、幸せになれるようにと、祈る。
きっと多分、これは少しでも罪から逃れる為の行動なのだろう。
(それでも良い。僕はそれでも………)
「ブラッド!」
祈り終えると、少し離れた所から声が聞こえた。足音が大きくなるにつれて声の主の姿が露わになっていく。茶色のコートに長い赤い髪を持った、僕の大切な人だ。
「大丈夫だよカーリー。今終わったよ」
「…そうか、良くやったブラッド」
そう言って僕の頭を撫でる彼女、いつもの事だけどどうやら彼女は僕の事を未だに幼い子供だと思っている節があるようだ。
(まぁ、嫌って訳じゃないんだけどさ…)
身長も大きくなったし、体格も年相応になった。声だってほんの少し低くなった。
だから、ちょっとくらいは大人として見てくれないかなぁ……?
「ん?どうしたんだブラッド?」
「……何でもないよカーリー…」
カーリーと出会ってから七年の月日が経った。
僕はカーリーと一緒にフィクサーの見習いとして暮らしている。
そしてカーリーは二級フィクサーになっていた。
ーーーーー
「「ただいま」」
二人の声が重なって、部屋の中に響き渡った。あの時から変わらない何時もの部屋。僕が大きくなってからは少し狭く感じ始めたけど、他に移り住む事もしなかった。何よりカーリーとの思い出も沢山詰まった大切な場所だ、これからもそう簡単に出て行く事は無いだろう。
「先にご飯食べよっか」
「あぁ、そうだな。そうしよう」
そう言っていつものように二人でキッチンに並ぶ。作業も慣れたもので、手際良く食材を切ってカーリーに渡していく。カーリーも慣れた手つきで下ごしらえを済ましていった。
「「いただきます」」
そうして出来たのは身体の芯まで温まるシチューだ。スプーンで掬うとクリーミーな香りが僕の前に広がった。
………うん、美味しい。具材も焦げてないし、ちょうど良いくらいに柔らかくなっている。
「美味しいな」
カーリーが言った。その通りだと、僕は頷いた。そんな僕の顔を見たカーリーは静かに微笑んで再びシチューに口をつけた。
きっと、こんな生活がこれからもずっと続くのだろう。確かな幸せがここにはあった。
明日は何をしようか。また今日みたいにフィクサーの仕事を手伝おうか。カーリーはもう二級フィクサーの地位に付いている。うかうかしていられない、彼女みたいになるという僕の目標は未だ消えていないのだ。
そうだ、明日は一層鍛錬に励むとしよう。
食事を済ませ、シャワーも浴びた。後はもう寝るだけだ。
しかし、問題がここに来て出てくる。それは、
「……カーリー、また一緒に寝るの?」
「……?別に、いつもの事だろ?」
カーリーが僕を子供扱いをする所為で、今まで通りに接してくるという事だ。彼女は僕の命の恩人で、大切な家族だと思っている。だから
………だからどうという事は無いんだけど、ホントに。うん。
「そ、それはそんなんだけど……。ほら、僕も年相応のアレがあると言うか何というか…」
何とか察してもらおうと少し誤魔化しながら彼女に伝えてみる。しかし、青少年の思いとは裏腹に彼女の顔は疑問に満ちていた。
「???」
駄目だ、伝わって無い。
「……………やっぱり大丈夫……早く寝よ……」
「?????………あぁ、分かった?」
そうして今までと同じ様にベッドに潜り込んだ。後ろからカーリーが抱きしめてくる。温かく柔らかい感触が背中に直に伝わり、フワリと彼女の香りに包まれた。完全に僕はカーリーの抱き枕と化していた。
(まぁ、カーリーが良いなら良いか……)
僕も早く寝よう、明日も頑張らなくちゃいけない。
(カーリーの為に……カーリー………)
眠る前にも僕は祈るようにしている。眠気に視界が歪んでいく中、祈った。
(……こんな生活がいつまでも続きますように………)
彼女の確かな優しさに包まれながら僕は眠った。