「う〜〜ん。おかしいわね?」
研究所の一室、カルメンは訝しげな顔で自身が持っているカルテに目を通していた。それは先日、カーリーとブラッドの身体検査を行った時の物だった。
「どうかしたのか」
独り言ちるカルメンに側に居たアインが研究資料から目を離し、声を掛けた。普段は他人との関係を築かない彼であったがカルメンの前ではそうでは無かった。その二人の間に特別な関係がある事を研究所に属する皆が理解していた。
「これね、この前ブラッドの身体検査を受けてもらった時の結果なんだけどね、どうもおかしな所があるの。ほら、ここ」
「…………」
カルメンが差し出したカルテをアインが横から覗き込む。X線撮影で写されたブラッドの身体だ。そしてアインはある一点に注目した。
「胸辺りが写っていないな。撮影ミスか?」
「そう、ここなのよ。始めは私もそう思ったんだけど、何度撮り直しても同じだったのよね。だからおかしいなぁって」
アインが注目したのはブラッドの胸全体の部分、見える筈の骨や内臓の輪郭が写っておらず、全体を塗りつぶすように黒色に染まっていた。
「……本人は何か言っていたのか?」
「ブラッドが?……………あ、そういえば」
「何か?」
「彼の胸に傷があったわね。それも変な傷、まるで何かがくっついてる?埋まってる?みたいな」
「………間違いなくそれの所為だな」
「あはは…確かにそうね…彼、今までから何とも無かったって言ってたから気にしてなかったわ」
彼女は頭は良い。それはアインも周りの仲間たちも熟知していた、しかしながら天然と言うべきか、彼女は何処か抜けている所があった。
「詳しく調べてみるか」
「う〜〜ん、気にはなるけど子供にそんな事をさせるのもね…。それに、カーリーが許さないと思うわよ?」
「…それもそうだな」
アインは軽く息を吐く。ブラッドに対して過保護な彼女の事だ、身体をあちこち調べられていい気はしないだろう。丁重に断られるのが目に見えていた。
ブラッドとカーリー。数ヶ月前にこの研究所の警備、護衛として雇われたフィクサーだ。力も申し分なく、まだ所属して間もないながらも素晴らしい仕事ぶりだと、皆が口を揃えていたのをアインは思い出した。
他人に興味を示さないアインだったが、彼女達の関係には少し興味を持ち始めていた。とはいえ、カルメンの一言がそうさせていただけだったのだが。
「やっぱりカーリーとブラッドってどこか私達と似ているわよね」
頬杖をついたカルメンがアインを見つめて笑いかけた。決して崩れる事の無い彼の表情がほんの少し緩んだ。しかし、その変化に気づけるのは目の前に座る彼女だけだった。
「……何故?」
アインは疑問に思う。生まれも、育ちも境遇も違う彼女達だ、一体何処が自分とカルメンと近しい所があるのだろうかと、人間関係に乏しい今のアインは理解することができなかった。その様子を見てカルメンの口から小さな笑いが漏れ出した。
「ふふふふふ………きっと、貴方も分かるわよ、きっとね」
どうやら答えは教えてくれないらしい。アインの中に一つ、天才的な頭脳でさえ解くことの難しい難題が課される事になった。
カルメンとの穏やかな時間は強く開かれた扉の音で終わりを迎えた。二人は視線を扉へと向けた、そこには息を荒げたカーリーがブラッドを抱えて立っていた。
「カルメン!!居るか!?」
「どうしたのよカーリー、そんなに慌てて………ってカーリー!?凄い血が流れてっ!」
「私の事はいい!とにかくブラッドを!!」
血に濡れたカーリーがブラッドをカルメンに見せた。そこには目立った怪我は無いものの、胸から腕全体にかけて異形の黒い殻に覆われたブラッドの姿があった。意識はないが。何かに苦しむ様な仕草を繰り返している。
「何よこれ……!アイン、急いで医療室へ!」
「ああ分かった」
「大丈夫だからなブラッド…大丈夫だ…」
「カーリー!貴女もよ、ほらこっち!」
ーーーーー
嗚呼、きっとこれは夢だ。だってそうだ、夢じゃなければ僕の目の前にこの人が居るわけが無いのだから。
「お前は怪物だ」
お父さん。その目は虚ろで、ギラついた瞳が僕を睨みつけている。そして何度も何度も、同じ言葉を繰り返している。
「五月蝿いよ…」
「お前は怪物だ」
「お父さん、もういいよ…」
「お前は怪物だ」
頭を抱え耳を塞ぐ、その声に聞こえないよう、心が揺れ動かないように自然と出てくる言葉を吐き捨てていく。
「あの時はお父さんが悪いんだ、お父さんがお母さんを殺したから僕はああなったんだ。お父さんの自業自得じゃ無いか」
「僕は…………悪くない。悪くないよ……」
「お前は怪物だ」
「うるさい!!!」
消えない声に怒りを露わにし、声を荒げて頭を掻きむしった。ブチブチと髪の毛と同時に血が落ちていく。
「何だよ……何なんだよ!!……僕はもう違う……今はカーリーが居る。だから……」
必死に叫んだ、そうでもしないと狂ってしまうから。
必死に彼女の事を思い浮かべてた、僕の……僕の大切な…………。
「分かっている筈だ」
今までよりも鮮明な声に驚き、顔を見上げた。声の主がすぐ目の前まで迫っていた、そして突然僕の腕を掴んだ。
黒い殻に覆われた異形の腕をしていた。
「お前に大切な物は守れない」
ーーーーー
「ハァッ…ハァ…ハァ…」
目が覚めると僕は真っ白な部屋の中で、ベッドに寝かされていた。最悪の目覚めだ、息苦しさが残っているし、身体中が汗でべちょべちょになってしまっている。あの悪夢の気持ちの悪い名残だって、未だ残っている。
(大丈夫だ……僕は大丈夫…)
先程見ていた夢を振り払うように必死に自分に言い聞かせた。
そうしているうちに白い部屋中に聞こえていたであろう荒い呼吸は次第に収まっていった。そして自分が心身共に落ち着いた時、隣からこちらへと話しかけてくる声が一つ。
「…大丈夫か?」
「えっ…あー……うん…」
「………そうか」
話しかけて来たのは見覚えの無い青年だった。緑色の髪に薄い青色の患者衣を着ていて、その顔は何処か物憂げだ。
気まずい静寂が流れ始めたので、その静寂を破るべく僕は彼が誰なのかを聞くことにした。
「えっと、君は…?」
「僕か?僕はジェバンニ、見ての通り病人さ」
「僕はブラッド、よろしくねジェバンニさん」
「さん付けはいい、同じ
そう言ってジェバンニはゴロンとベッドに寝転がった。よく見ると彼のベッドの周りには見た事のないような機械が置かれている、彼は自分を病人だと言っていたし、きっとその治療を補助する物なのだろう。
「ブラッドも、カルメンに惹かれてここに来たのか?」
「え?」
ふと、ジェバンニが天井を見上げたまま僕に問いかけた。
「う〜〜ん、僕はカーリーに着いてきただけだし…別にそうでも無いよ?」
「……そうなのか?ここじゃ珍しいかもな。この研究所に居る人はみんなカルメンに憧れて所属してるみたいだからな」
「ジェバンニも?」
僕がそう言うと、彼は少し恥ずかしそうに頬をかいた。血色の悪い白い肌がほんのりと赤く染まった。
「あー…まぁ…そんな所…。カルメンは僕が幼い頃から知ってたし、彼女がどんな人なのか、理解してるつもりだからかな」
「ふーん。みんなカルメンの事が好きなんだね」
「あぁ、みんなそうだろうな」
それからもしばらくの間ジェバンニと他愛のない会話を繰り返していた。今までからずっとカーリーと一緒に居たので、こうして同性の誰かと会話を弾ませるのは初めてだったので自分に置かれた状況も忘れて楽しんでいた。
「あ、そういえば…」
ジェバンニが何か思い出したかのように呟くと、彼の側に置いてあるボタンを押した。部屋の外からアラームの音が小さく響いていた。
「何それ?」
「いや、カルメンにブラッドが目を覚ましたら、これを押してくれって言っていたのを忘れてた」
「あ〜…」
ジェバンニの言葉に僕は思い出した。自分がどうしてここに居るのか、そして今この状況、次に起こる事は………
「カー「ブラッド!!」ふぎゅっ」
壊れたんじゃないかと思うほど勢いよく開かれた扉から飛び出した赤い影は、勢いを殺さずに僕の頭を思い切り抱いた。流石二級フィクサー、恐ろしい力だ……苦しいので離して下さい。
「カーリー、苦しそうだから離してあげて」
後から入って来たカルメンが助け舟を出した、困り果てた顔をしながら。
「あ…そうだな、すまないブラッド」
「大丈夫だよカーリー。それに謝るのは僕の方だよ、僕のせいでカーリーが怪我しちゃったし、カルメンや他の人達に迷惑かけちゃった」
「そんな事はない。私は大丈夫だ」
そう言って頭を撫でる彼女、その表情は柔らかい。僕達が安心したのを見越してカーリーの後ろからカルメンが話しかけて来た。
「カーリーから聞いたけど、仕事中脱走した幻想体に襲われたブラッドを庇ったカーリーが大きな傷を負って、それを見たブラッドがパニックを起こした…これは本当ね?」
「…うん」
あの時はあまり思い出したくない。僕を庇って深い傷を負ったカーリーを見た時、頭が真っ白になってそこから……。
「そして襲ってきた幻想体をブラッドが対処した……黒い腕を振るって」
「………」
そこからはあまり覚えていない。でも、さっきまで見ていた夢が事実である事を裏付けている様に感じてしまった。
「ねぇ、ブラッド。貴方のアレは何なの?出来れば教えて欲しいのだけれど……」
優しく言葉を選ぶカルメンに酷く心が痛んだ、でも僕自身、自分の身に何が起きているのか分からない。自分の不甲斐なさに腹が立った。
「ごめんなさいカルメン。僕にもこれが何なのか分からないんだ…本当にごめんなさい」
カルメンにそう言い深く頭を下げる。周りはずっと沈黙を貫いていたが、やがてカルメンが口を開いた。
「分かったわブラッド。これ以上は模索しても無駄な様だし、何も言わないわ。だけど、これからは定期的に検査を受けて貰うわ」
しばらくは安静にしていてね。そう最後に付け足してカルメンは退室していった。カーリーはまだ何か言いたげだったけど、僕の事を考えてか口にはせず彼女も退室していった。
そうして再びジェバンニと僕、二人だけの空間になる。しかし、先程までの空気とは違いひどく重く感じた。