ほのぼの回です。
「それじゃあ、私は行ってくるから。いい子にしてるんだぞ?」
「分かった!」
太陽が顔を出し始めた頃、静けさに包まれているアパートで元気な声が響いた。私はその声の主である彼の茶色い頭を撫で回した。雲一つない青空を思い出させるような、薄く青い純粋さが込められた瞳を細めて気持ちよさそうに、私にされるがままになっている。
いつまででも撫でていたい気持ちに駆られるが、そういう訳にもいかなかった。
朝食を二人で取っている中、部屋中に甲高いベルの音が鳴り響いた。部屋の隅に置いてある電話の音だ。
電話で伝えられる事なんて一つしか無い、フィクサーの仕事だった。
「お仕事、頑張ってね!」
眩しいくらいの笑顔で私を見送る彼。そうだ、この子の為にも、そしてこのアパートの隣人達を守る為にも頑張らなくてはいけない。
名残惜しいが頭から手を離し、別れを告げる。私がアパートから出ていくまで彼はずっと私の背を見続けていた。
(……最初は受け入れてくれるか不安だったが、意外とすんなり私を受け入れてくれて良かった)
朝の冷えた空気が広がる裏路地の中を歩きながら、彼の事を思い浮かべる。
誰かを守る事はあっても、一緒に暮らすなんて事は今まで一度もなかった。どう接すればいいのか分からなかったし、ましてや相手は子供だから尚更だ。……まぁ、要らない心配だったようだが。
ショーンおじさんやグースお姉さんが私を良くしてくれた時も同じ気持ちだったのだろうか。
(それにしても、あの傷…)
あの子と出会って間も無い関係ではあるものの、彼の事は謎に包まれていた。外郭での生活、両親の死。悲惨な過去を持っていることは間違いないのだが、どうも引っかかるのはあの胸の傷だ。
斬られたような傷でも、打撲のような傷でもない、奇妙な傷。いや、そもそも傷と表していいのか分からない、あれはまるで………。
(…いや、考えても仕方がないか……)
深く沈みだす思考を振り払い、目の前の現実に集中することにした。………そう、大事なのは過去ではなく、今と未来だ。もう、あの優しい子を恐ろしい目に合わせないように、これからの人生が良い物になるように守る事だ。
そう思うと、不思議と力が湧くような感覚に包まれた。
それが何なのか、今はまだ、分からなかった。
ーーーーー
彼女の姿が見えなくなるまで見送った後、小さな孤独感に囚われた。
(帰ってくるって分かってても、やっぱり寂しいな)
それは彼女と出会ってずっと一緒に過ごしてきて、彼女を心を許しているからできた想いなのだろう……でもなんだか子供っぽくて嫌な気持ちになる。彼女みたいになりたいというのに子供っぽい、っていうのはちょっと気に入らない。
(……よし、僕は大丈夫…!一人で頑張れるもん!)
気を引き締めて、部屋に戻る。そうだ、彼女から任せられた仕事があるのだ。寂しい気持ちになっている場合ではない。
(カーリーも頑張っているんだ、僕も頑張らなくちゃ!)
カーリーの為に頑張る。そう言い聞かせると妙な満足感があった。何故かは分からなかったけど。
「えーっと、まず最初は………」
その気持ちを忘れないように彼女から課された仕事に取り掛かった。
壁に備え付けられている振り子時計の中から、部屋を揺らしてしまいそうな低い時鐘の音が響いた。時計の方を見ると、針はお昼時を示していた。
カーリーはまだ帰ってきていない。どうやら、仕事の方は長丁場になっているらしい。
(………どうしようかな…)
彼女の帰りが遅いのは予想していたことだったが、それよりも別の問題が僕を悩ませていた。
(やらなきゃいけない事、終わっちゃったな……)
彼女に頼まれていた仕事が、終わってしまったのだ。彼女の優しさが原因なのか、終わるまでに帰ってくる計算だったのか。恐らく前者なのだろうが、簡単でやることも少なかった。それ故に、僕は暇を持て余していた。
「う~~ん」
どうしたものか、頭を捻って考えても良い考えが浮かびそうに無かった。あまり知らないまま他の事に手を出そうにも反って迷惑をかけてしまいそうなので手は出さない。
(カーリーが喜びそうなこと………あ、そういえば…)
喜びそうなことでふと、思い出した。それは昔、まだお母さん達がいた時の事だ。あの時はお母さんの誕生日でプレゼントとして似顔絵を描いてあげたら、凄く喜んでくれたのだ。
(これだ………!)
そう思い立って、ペンと紙を用意して彼女の顔を思い浮かべながら描き始める。
「フンフッフフーン♪」
カーリーの顔は…確かこんな感じで……目はとっても綺麗だし、髪だってサラサラしてて……笑ってる時が一番好きだ。…いや、でも守ってくれた時のカーリーもカッコよくて良いな……もうちょっと目は鋭く描こうかな?いややっぱり優しいカーリーの方が………。
「………」
色々考えて、ペンが止まる。
(……早く帰って来ないかな、カーリー…)
彼女のことを考えれば考えるほど、忘れようと誤魔化していた寂しさが沸々と溢れ出して、心の中を満たしていく、自分はまだ弱い子供なのだと、思い知らされているように思えた。
(カーリーは寂しかった時、どうしてたのかな)
彼女の居ない寂しさに打ちひしがれていると、玄関から扉を軽く叩く音が聞こえた。カーリーが帰って来た、そう思ったがすぐにその考えは間違っていることに気が付いた。彼女なら鍵を持っているのを知っていたからだ。
(誰だろう……?)
僕は不審に思った。扉に近づいて様子を見てみる、扉を叩く音は定期的に鳴り続けているのと同時に声が聞こえきた。
「カーリー?居るの?」
………どうやらカーリーの知り合いらしい、アパートの住人だろうか?それなら大丈夫そうだ、警戒を解いて扉を開けた。
「…………あら?」
扉の向こうにいたのは、薄い茶色の髪を後ろに束ねた壮年の女性だった。彼女は呼びかけていた人物と違う人が出てきた為か驚いて、目を丸くして僕を見下ろしていた。
「…えっと……カーリーはお仕事で今は居ない…です」
見知らぬ彼女にそう言うと、彼女は考えたような素振りを見せた後、納得した顔で僕に話しかけた。
「あぁ!貴方がブラッドね!話はショーンから聞いているわ」
ショーン………。確か昨日の朝に会った人だったっけ……。その人が僕の事を話していたらしく、僕の存在は知っているらしい。
「私はこのアパートの上の階に住んでいるグースよ。よろしくね、ブラッド」
「よ、よろしくお願いします………」
にこやかな表情を浮かべながらグースと呼んだ人は僕の前に手を差し出した。挨拶に応じると、にこやかだった表情はより一層増して、僕に笑いかけた。
「ショーンの言っていた通り、いい子ね。………そうね、カーリーがいないなら仕方がないわね……ねぇブラッド?」
「何…?」
「本って好きかしら?」
ーーーーー
「ただいま、ブラッド」
日が沈み始めた頃、私はようやく依頼が終わり、家へと帰ってきて新しい部屋の住人である彼に聞こえるように声をかけた。
すると奥からドタドタと慌ただしく走る音が聞こえてきて、何かが私の胸に飛び込んできた。
「おかえりなさい、カーリー!」
満面の笑みでブラッドは挨拶を返してくれる。これだけで今日の疲れは吹き飛んでしまいそうだった。
「いい子にしてたか?」
「うん!グースさんがね、僕に本を読ませてくれたの!」
「グースお姉さんが?」
満足そうな顔でコクリと頷く。どうやら私のいない間に面倒を見てくれていたらしい。後で彼女に感謝しなければ。
「それよりさ、カーリー!カーリーに見せたいものがあるの!」
「私に?」
早く!と急かして私の腕を引っ張っていく、そのままリビングに入るとブラッドは私から手を放して、大きめの紙を持ってきて、私の目の前に差し出してきた。
「はい!カーリー!」
彼から紙を受け取ると、描かれていたものを見た。そこには赤い髪に黄色い瞳が特徴的な女性が笑みを浮かべて描かれていて……。
「上手過ぎないか………?」
私だった。それも凄く精巧に。きっと外で売れば高値が付きそうなくらいには。
「えへへー、そう?」
私の呟きに対して嬉しそうに頭をかいて照れている彼。………実は彼にはこういうことの才能があったようだ。
「…ありがとうブラッド、大切にするよ」
………しかしこれは後で額縁に飾らなきゃいけないなこれは………。
そう思って、夕飯の支度を彼と始める。
その日の夕飯は少し豪勢だったのは言うまでもないだろう。
カーリーのママ味が凄い…凄くない?