市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C 作:芝三十郎
断章『魔物差別の経済的起源』
(同書より承前)
この巻の主題は、引き続き彼女の事績について語ることである。
しかしその前に、彼女が直面した問題について整理しておくのが有益であろう。現在、あるいはさらに後代になってからこの本を手に取る諸姉諸兄にとって、当時の事情はますます想像しがたいものになっていくに違いないからだ。
彼女は生涯を通じて魔物差別と対峙した。それは深く社会の構造に根差し、昔から存在したが、彼女が生きた時代に特に強く顕在化した。それは必然だったといえる。まずはこの根深さを紐解いておかなければ、あの時代の歴史はわからない。
1 魔物の発生と人族社会との邂逅
魔物が人族より新しい種族であるのは、どうやら確かなことらしい。各国に伝わる伝説をさかのぼっていくと、上古のある時点に達したところで、魔物の存在が忽然と消えるからだ。どの国、どの民族の伝承においてもそれは同じである。ヘルエスタ王立学院の史学者たちが行った文献調査では、およそ三千年前から三千四百年前の間のいずれかの時点で魔物の発生が起こったと推定している。
ただし、魔物がなぜ、どこから、どのように発生したのかは全くの謎である。当の魔物たち自身の伝承においてすらそうだ。もっとも、この謎は本書の主題ではない。
人族による魔物差別は、魔物の発生当初からあった。最初期のそれは、おそらくは突如出現した異様な生物に対する恐怖と嫌悪から生じたものだったろう。人族は、同族の間ですら、自分とは異なる者を嫌い、恐れ、攻撃的に振舞う。肌や瞳の色の違い。使う言葉や振舞いの違い。あらゆることが差別の理由になる。そんな人族にとって、自分達と同じ言葉を使えるといっても、姿形がまるで異なる魔物たちを恐れなかったはずがない。
その結果、両種族の邂逅直後の数百年において、人族から魔物に対して相当に深刻な迫害が行われたとみられる。その際、かなりの数の魔物が地獄と呼ばれる別世界に逃れた。地獄の伝説によれば、人族の賢者が杖を掲げてフジの海を割り、魔物たちを転移門へ導いたと伝えられている。史実は不明だが、それもまた本書の主題ではない。
本書の焦点は、その時に地獄に逃れず、人間界に残った方の魔物たちにある。
魔物は様々な姿かたちを持ちながらも、人と同程度の知性を有している。またほとんどの者が人語を介し、喋ることができる。邂逅直後の壮絶な迫害にも関わらず、両種族は対話を重ね、理解し合い、やがて混住するようになった。相互理解の試みは上古の昔から既にあったのだ。
魔物には多様な種族があるが、みな一様に子が少ない。魔物は一般に病気にも怪我にも頑健な肉体をもち、人族よりはるかに長命だ。老化も遅い。自然、子どもが生まれる数はごく少ない。少なくとも数百年、種族によっては千年近く生きられると思えば、急いで子を成す必要はまるでない。また、彼らの生態もそのようにできている。
自然、時代が下るにつれ、人の個体数は魔物をはるかに凌駕して増えた。人間界に残った魔物が人族社会の一部で暮らす少数派の地位に落ち着いたのは、当然の成り行きだった。例外は、自然の中で孤立して暮らす竜族や大鷲族、また常に水中で暮らす海魔といった少数種族に限られる。
そして深刻で根深い差別はむしろ、両種族が言葉を交わし、同じ街や村で混住をはじめた後に始まった。
2 村落における魔物差別の起源
人が恐れたのは、魔物に襲われることではない。仕事を奪われることだ。
怪力で有名なオークやドワーフなどに限らず、一般に魔物は人族より力が強い。ゆえに、人族の大部分が生業とする肉体労働――農業、林業、漁業、狩猟、鉱業のいずれにおいても、人族は労働者として魔物に劣る。
例えば、人間の農民が五人がかりで耕す広さの農地を、ワーウルフの農民は二人で耕せる。オークなら1人だ。となれば、ごく単純化すると、オークの農民は人間の五倍の収入を得て、新たな農地を買う。漁業では魚人族、狩猟では様々な獣人族、鉱業ではドワーフが、農業におけるオークの地位にある。
やがて一人では耕せないほどの農地を手にしたオークは、誰かを雇うか、土地を小作人に貸すことを考える。そのとき、彼や彼女は人族とオークのどちらを雇うだろうか? もちろん同族だ。労働者として優れているのは明らかだし、身内贔屓というものがある。それに食べ物の嗜好などの生活習慣、身体の作りが自分と同じ相手の方が、一緒に働く上で何かと便利だ。
また、長命という特性も有利に働く。一年に一度しか収穫できない作物については、特にそうである。畑のことなら知らないことはないように思える人族の農村の長老も、彼が持つ直接の経験は数十年、すなわち数十回分に過ぎない。これに対し、たいていのオークの農民はその数倍の経験を持つ。成功しないはずがない。
やがてその村の農地ほとんどを数人のオークの豪農が保有し、それを十数人のオークの小作人だけで耕すことになる。そこでできる作物は出来がよく、そして安い。かつて村の主人であった人族の農民に勝ち目はない。自家用作物だけを作って生きていくことはできるが、それ以上に豊かになれる望みはまるでない。また、隣の土地を耕しながら、自分より明らかに優れている上に豊かでもある異種族に囲まれて、自尊心を保つことは難しい。
ゆえにほとんどの人族農民は、数十年に一度の避けられない凶作で蓄えが尽きかけたとき、オークに土地を売り、村を捨て街に向かった。こうして、かつては百人余の人族が暮らした村は亡び、十数人の魔物達の村となる。このような過程が数百年をかけて起こる。
故郷を捨てた元村人たちは、それが彼ら自身の経済的な選択の結果であるにも関わらず、村を乗っ取ったオークたちを終生に渡って恨む。その思いを子に語り聞かせて育てる。またこの近隣の村は、自分たちの村にはオークを住みつかせまいと誓い、彼らの領主にそのように訴え出る。
かくて、魔物の発生から千年近くが経つ頃には、魔物が新たに農地を買うことは法によって禁止された。例外は、いかに工夫してもろくな収量が見込めない荒れ地か、水害のたびに何もかも流されるような悪地ばかりである。まともな土地を耕したければ、人族の地主に小作人として雇われるしかない。
これを魔物の側から見れば、人族は我らを奴隷のように扱い、ろくでもない土地に締め出したのだ、ということになる。
[chapter:3 都市における魔物差別の起源]
生まれ育った農村や漁村を捨てて街に出た人族には、おおまかに分けて二つの選択肢がある。職人になるか、商人になるかだ。もちろん最初は下働きから始まるし、多くのものはそこから先に進めないのだが。
工と商、そのどちらの道を進んでも避けられないのが職業組合との関係である。
職業組合は都市にあるほとんど全ての職業、あるいは品物ごとに存在する。服屋ひとつとっても、小売の組合と卸売の組合は別だ。その服を作るにも、布屋、糸屋、染物屋と縫製職人にそれぞれの組合がある。
これらの組合は過当競争による共倒れを防ぐため、新規参入を規制している。基本的には既存の組合員が死ぬか引退するかまで、その地域で新参者が店をもつことはできない。
ここで魔物の長命が問題になる。魔物の中でコボルトや妖精族は手先が器用で、細工物の職人に向いている。器用さと筋力を併せ持つドワーフは家具や道具の職人に高い適性がある。しかし彼らは組合員の株を買えない。それは、なぜか。
例えば、ヘルエスタのとある街の家具職人組合に、一人分の空席が出たとする。その後に、二人の家具職人見習いが手をあげたとする。一人は人間、一人はドワーフである。組合はどちらを採用するだろうか? もちろん人間の方だ。人間ならば当然、数十年も働けば年老いる。その日のために彼は弟子をとる。彼が働けなくなった時、店の後を継ぐのはその弟子かもしれない。弟子の腕や人物に問題があれば、組合に属する他の地区の家具職人の弟子に機会が巡ってくるかもしれない。
しかし、ドワーフの家具職人では、こうはならない。魔物の例に漏れず長命なドワーフは、数百年はほとんど衰えを知らないから、弟子が必要ない。体力に優れ、怪我も病気もめったにしないから、よほどの不運に遭わない限りは死なない。つまり、その街の家具職人組合は、その組合員が互いの子や弟子に融通しあうべき席を一つ失ってしまう。少なくとも人間の時間感覚ではそうなる。
古代から都市の人口は慢性的に過剰気味であったこともあり、ほとんどの職人組合は魔物の加入に後ろ向きで、完全に禁止と定めているところも多い。時代が下るに従い、魔物が専門的な職人や商人として職を得ることがほとんど不可能となった。いかに筋力、器用さや持久力があっても、独立はもとより弟子入りも難しいとなれば、なかなか定職にありつけない。魔物たちは、一時的な工事や配達などの下働きとして、日雇い仕事に甘んじることになった。
魔物たちは周囲の白眼視と家賃支払いの困難から、やがて街の一角、たいていは外縁部や、水捌けなどが不便な土地にまとまって住むようになった。魔物街の誕生である。
街によっては、法的にそれを追認し、指定の魔物街以外に魔物が居住することを禁じた。それならばと、職業組合は魔物街の中に限っては自由開業を認めるようになった。すると、農村にいられなくなった魔物たちの流入が加速。このために、どの街でも魔物街には増築を重ねた背が高い建物が狭い土地に密集している。
例外は、人間には不可能な仕事や、さまざまな理由から人間が忌避する職業だけである。人間の手の平ほどの妖精族ならではの刺繍や宝石細工。種族のほとんどが女性で、人間の美的感覚に合致するマーメイドやハーピーは、酌婦や踊り子、そのほか美貌が重宝されるが社会的に立派とは見なされ難い仕事。筋力を生かした肉体労働では、都市では始末がむつかしい死体や糞尿を取り扱う仕事。
やがて特定の職業への忌避や風当たりが、それにやむなく適応した魔物種族全体への偏見に転嫁していった。
その代表が――人間にも可能であり、決して実入りが悪いわけでもないのだが、道徳的な理由から嫌われてきた職業――すなわち、金貸しである。
金融業者として身を立てることに成功したのは、吸血鬼たちだった。陽光を苦手とするために昼間の肉体労働には向かないが、理知的な者が多い種族だからだ。家畜の血を喫する吸血鬼の嗜好への嫌悪感と相まって、やがて人族は借金の利子を嫌うように、吸血鬼という種族自体を忌避するようになった。
当初は小口の金貸しを営んでいた吸血鬼たちは、徐々に事業を拡張した。彼らは共同してさまざまな事業に出資することを思い付き、投資家を兼ねるようになった。彼らは共同して資金を出し合い、遠距離貿易や鉱山開発といった、うまくいけば実入りが大きいが外れると大損する事業でも以前より安定して儲けられるようになった。やがて、別々に出資している事業同士で取引があった時には、それぞれの出資元の間で決済を済ませた方が、実際に金貨を店から店へ運ぶより簡便だと気づいて――彼らは銀行家になった。富裕な彼らは人の貴族ともつながりができ、他の魔物には許されない都市中心部に住むようになる。
こうしてごく一部の魔物は、人族から嫌らしいと見なされる職業で財をなし、極端に富裕になった。しかし大多数の魔物たちは、やはり人族から卑しまれる職業につき、貧困のうちに身を寄せ合って暮らした。当然、後者のうちにはあまりの希望のなさから犯罪に手を染める者も少なからず出た。
かくて、人族の都市民は、かなり歪んだ魔物像を持つようになる。彼らの目からみると、魔物は貧しく、汚らわしい仕事に好んで就いているように見えた。そして魔物は、金融業に対する一般的な偏見として、強欲で怠惰な金持ちである。同時にまた――はなはだ矛盾したことに――貧しく卑しい犯罪者の群れでもある。魔物は嫌らしい。汚らわしい。そして恐ろしい。自分たちだけで群れをなして住み、まともな人族とは関わろうとしない。人族の都市民たちは、こうして魔物たちを蔑視し、嫌悪し、そして恐怖するようになった。彼らをそのような存在にしたのが誰なのか、それには気づきもせずに。
このようにして、村であれ街であれ、人間界に住む魔物は過酷な環境での生を余儀なくされていった。そして千年余りが過ぎた。新たな変化をもたらしたのが、近代錬金術による社会の激変である。
3 近代錬金術の影響
近代錬金術の創始は、それを受け入れた人間社会を一変させたが、それ以上に変化したのは人族の世界観の方であった。それ以前、世界は人族にとって不可解で、そうであるがゆえに神聖なものだった。人族は自然を崇め、そして畏れた。近代錬金術以降、世界はいずれ理解可能なものであり、ゆえに改造し、征服しえる対象物となった。
近代錬金術は、王国歴九二三年(新暦一六八七年)にニーア・ナンナなる女性が出版した『錬金術の哲学的原理』によって始まった。その書は、かつて呪術的で非体系的だった伝統錬金術から一線を画し、精緻な観察、一貫した理論、主に実験による実証で世界の法則を解き明かせると主張していた。かくて錬金術は神秘的な術者たちの専有物ではなくなり、開かれた知識の体系となったのだ。
その初期の発明品であるオーブは、錬金術の成果物を一般の人々でも利用できるほど使いやすくした。人々は、かつてなぜ食事を作るときに都度焚きつけから火を起こしていたのか、すっかり忘れてしまった。部屋の中は夜でも明るいのが当たり前になった。街中であれば路傍にすら街灯が点き、治安が劇的に向上した。
オーブ技術を利用した生産機械の発明は、その普及に伴って生産効率を劇的に向上させる可能性があった。糸つむぎや毛織物は風力のオーブにより半機械化され、それ以前とは比較にならない速度での生産が可能になった。種まき機や脱穀機が導入された農業も同様である。他にも煉瓦、ガラス、紙や鉄といった基本的な素材が安く、大量に作れるようになると期待された。
しかしここに、新たな問題があった。それら錬金術を用いた生産機械はまだ極めて高価で、一介の職人や商人に買えるものではなかった。大量に導入しなければ意義は大きくないが、それには莫大な初期投資が必要だった。仮にそれができたとしても、生産力が激増すれば、今度は輸送力が不足することになる。材料となる生糸や綿花が届かなければ、糸つむぎ機は虚しく音を立てるだけである。もし製品を大量に作れても、それらを次々に出荷し消費地に届けることができなければ、倉庫を圧迫するだけ。そうであれば、多くの者が錬金機械に未来をみながらも、その導入には二の足を踏んだ。
輸送力の懸念を解決する技術自体は、まもなく発明された。複数種のオーブを用いる併用術の確立である。これには当時まだ学生だったアンジュ・カトリーナが少なからぬ貢献をしている。その最大の成果は、水力、火力、風力のオーブを組み合わせたオーブ機関である。これを利用した機関車を走らせるための鉄道を敷設し、鉱山や農村と都市を結び付ければ生産、加工、消費に滞りがなくなり、社会は飛躍的に富むに違いなかった。
しかしやはり、初期投資の問題は残った。鉄道の敷設、オーブの量産、オーブを利用した錬金機械の製造。それらすべてを維持するためのオーブ技師の教育。どれもこれも信じがたいほどの投資が必要になった。個々の商人や職人はもとより、まだ封建諸侯の寄り合い所帯に過ぎなかった国家の財政では、到底それらを用立てることはできなかった。
そこで当時、封建諸侯の筆頭という立場から遂に抜け出そうとしていたヘルエスタ王家は、魔物の銀行家に目をつけた。新たに敷設する鉄道の収益や関連する利権をあらかじめ彼らに販売する代わりに、銀行家たちの出資を募ったのだ。資本家と王家――いや、国家の結託である。ヘルエスタ王家は反抗的な大領主たちに代わる新たな基盤を必要としていた。必要とされながらも誰からも嫌われていた魔物の銀行家たちにとって、王家の庇護は望みえる最高の安全保障だった。ヘルエスタ王が寛容令を発布し、数百年来の慣習を改めて魔物の居住や土地購入の自由を認めたのは、このためである。
一方、錬金術による社会の革新は、魔物の大部分を占める貧困層にも甚大な影響を与えた。錬金術を用いた工場が新たに次々とできたことにより、都市部の雇用が激増したのだ。そしてそこで働く者、工員は新たな職業であったから、その多くの場合、職業組合が存在しなかった。そこには、新たにできた工場の多くに吸血鬼の資本が入っていたという事情もある。生まれてから数百年物間、定職にありつけず、貧困にあえぎ、将来に一切の希望を持ち得なかった魔物たちに、このとき初めて未来が開けたといってよかった。
多くの魔物たちが、これまでの生活の一切を投げうった。農村で何百年も貧しい小作人に甘んじていたオークが。ごく幼い頃から坑道に潜らされ、数多の友人を土中に失ってきたドワーフやコボルトが。実質的には品として扱われ、働けば働くほど理不尽な借金を負わされてきたマーメイドやハーピーが。誰もが希望だけを胸に、新たな職を求めて都市に流入した。
こうして――魔物排斥の気運が急速に高まった。都市に住む人族は、恐ろしげな魔物たちの急増に動転した。流入した魔物たちの誰もが職にありつけたわけではなかったから、犯罪が増加したことが魔物への偏見と恐怖を掻き立てた。村落では、小作人の魔物が次々に逃げ出す一方で、逆に都市からやってきた魔物たちが農地を購入して自作農を営みはじめた。人族の農民たちは、民話に語り継がれてきた恐怖を思い出した。魔物たちは村を乗っ取るのだ、と。
近代錬金術がもたらした社会の変化はあまりにも急だった。
しかし人間の意識は、ゆっくりとしか変わることができないのだ。
こうして街で、村で、大小の迫害事件が相次ぐことになった。このような状況は当然、錬金術の発達したヘルエスタ王国(当時)において先行的に見られた。
他方、同時代、第一帝政期にあったオヴィクスには異なる事情がある。彼の地では当時、オアシスが原因不明の急減を示していた。従って、彼の地を訪れた彼女が目にしたのは――(以下略)
(作者不詳『リゼ大帝伝:新たなるラムダ神話のページ』第二巻より抜粋)
※以下、文庫版解説 より抜粋
本書は作者不詳であるにも関わらず、当時の事情を活写した信頼性の高い資料として知られている。近年の王立大学史学部の調査によると、本書の一部の記述は、ブレイズ市公文書館に保管されていた報告書類の一部とかなりの程度まで一致する。従って――
(次話へ「地獄行きの船を求めて」に続く)