市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C 作:芝三十郎
地獄と呼ばれる世界。多種多様な魔物たちが住まうそこは、差別を嫌う平等な社会である。
数千年前、この地に降り立った直後の魔物たちは、あらゆる種族差に目をつぶり、協力して世界を開拓する道を選んだ。当時はまだ地獄と呼ばれるに相応しい環境だったそこで、もし別の道を選べば、全種族が絶滅していたに違いない。加えてその時期の魔物たちは、殺されることに飽いていた。
数限りない衝突を乗り越えて生存基盤を築き終えた頃には、異状な社会ができあがっていた。地獄にあるどの市、どの村にも王や貴族はいない。いるのはただ、多種多様な見た目と平等な権利をもつ市民たちと、その中から選ばれた代表だけである。
投票で選ばれる彼ら彼女らは政治家、または議員と呼ばれる。
戌亥とこは、その選ばれし代表の一人である。狼に似た耳と尾をもつ彼女は、先の市議会議員選挙に立候補するよう追い込まれた。気鋭の歌手でもある彼女のファンクラブ(複数)は、たちまち合体して後援会と名を変え、彼女を当選させた。
直後、戌亥は新聞を引き裂き、寝床を転げまわり、甘味を大量にむさぼったりしたが、やがて現実を受け入れることにした。一生のうちに何度かは公人として奉仕するのは地獄の市民にとって当然の義務ではある。自ら選挙に出ない市民も、いつかはクジ引きで選ばれて役人になるのだ。彼女は以前、地獄の門番に選ばれたことがあったが、まだ十分に長く公職を務めたとは言えない。それに基本的に気のいい彼女は、
(考えてみたら、吸血鬼は人狼の扱いがうまいと相場が決まっとるわな。あのおっさんに目ぇつけられたのが運の尽きや)
全ての筋書きは、戌亥を拝み倒して立候補に追い込んだ吸血鬼、風間ニコラオスの思惑通りだった。彼は議会の有力者であり、戌亥にとっては赤子の頃からの恩人で、ファンクラブの一つの会長でもある。
仕方がないと覚悟を決めると、給仕と歌手の仕事はしばらく休み、彼女は議員生活を開始した。海沿いにある家から早朝に登院すると、彼女は資料を熱心に読み込み、分からぬことがあれば役所や市民に聞いて回る日々を送った。
しばらくして議会が会期を迎えると、彼女が驚いたのは、自分が意外にも議員として活躍できそうなことだった。
ブレイズ市議会の日頃の仕事は執政府の監視である。執政府の人員は、その長である二人の
質疑を通じてその問題点を見つけ、正させるのが市議会の役割である。戌亥の質疑は、たちまち大人気を博した。
あるとき、役人が要領を得ない説明を繰り返すのに呆れかえった戌亥は、思わず「なーにいってんだ?」と口にして、『しまった』と思った。議席に並ぶほかの議員たちもあっけにとられた。しかし、議席の外側に設けられた傍聴席の市民たちは意外にも爆笑し、手を叩いて喜んだ。
『もしかして』と思った戌亥は、それ以降、議席だけでなく傍聴席の声にも獣の耳をそばだてるようにした。そうしてみると、市民たちの率直なヤジと呟きはヒントの宝庫だった。
「うるせえなあ。んだよ」
「もっと言ってやれ」
「図に乗ってんなあ」
そんな傍聴席の声を戌亥は時に壇上で取り上げた。市民の呆れ声があれば、戌亥もまた「『んなわけねえ』だって。あーあ」などと容赦なく復唱して笑いと共感を誘い、一転して丁寧な追求に乗り出す。逆に役人が見事な答弁をみせると「『そうだ、そうだ』。みんなの言う通りや。やってやんな」などと大げさに褒めそやし、傍聴席の喝采を呼んでやることもあった。
人を不快にせずに笑いを誘いつつ、硬軟を織り交ぜて的を外さない戌亥の質疑は、たちまち議場の名物になった。それは議会では全く新奇な技法だったが、戌亥にとってはこれまでの仕事の延長である。
<議会も、舞台なんや>
歌手は次の歌との合間をつなぐため、場つなぎの話をいれるものだ。会場の声を拾ったり、それに突っ込みを入れて冗談に変えたりするのは当然の芸である。特に戌井は歌唱力だけでなく、
新人議員とは思えない成果を挙げて、市民の喝采を集める戌亥を、並みいる先輩議員たちは驚嘆の目で見た。
そんな視線を今日も集めながら、威張るでもなく自然体で自分の席に戻った戌亥に話しかけたのは、戌亥が立候補するように仕向けた風間ニコラオスだった。彼だけは、感心はしても驚いてはいないようだった。
「お疲れさん。ええ舞台やったで」
「どうも」
戌亥の何気ない返事に、風間は宙を仰いだ。
「えらいもんや。二百年も議席を預かって、わしには思いつきもせなんだ」
「何がです」
「ああいうやり方や。劇場型、とでもいうかな。議場の空気をいっぺんに動かしおる。あんなことができるのは君と――あと一人だけやろうな」
その時、議場に木槌の音が響いた。円形をした議場の奥側中央、一際高くなっている席で、議長が議事の進行を告げる。妖艶な老女の声であった。彼女が一言を発するたび、頭髪のかわりに生えている無数の白蛇がうごめいた。
「以上をもって、本日の一般質問は終局とします。次は小休止ののち、断交問題に関する特別委員会を開催します。重要性にかんがみ、異例ながら議事進行は引き続き私が務めます。手当は増えるのかしらね?」
着座した議員たちの多くが笑った。『議長の冗談に笑わない奴は石に変えられるぞ』というのは、議場の古株たちが初当選の議員たちに吹き込む都市伝説である。それに真実味を与えるように、議長の頭部で白蛇たちが満足げに舌を出し入れした。
「登壇者は弁論の準備を。委員会の参加者以外は散会となります。それでは、お疲れ様」
多くの議員がやれやれと席を立ち、談笑しながら議場を去っていった。戌亥と風間はその場に残る。彼女たちにとってはこれからが本番であった。
先ほどの質疑は楽々とこなしてみせた戌亥が、案じるように風間に声をかけた。
「いよいよやな」
「この委員会で否決にもちこみたい。本会議に送られたら、難しいわ」
ブレイス市議会において、議案の審議はふつう二段階である。執政府または議員から提出される議案は通常、その問題を担当する委員会に送られる。それぞれの委員会は専門知識をもつ数十人の議員からなる。そこで可決された議案だけが、全議員が集う本会議に付託される仕組みだった。
「そんなに断交派が優勢なんですか?」
「いや、支持は半々ってとこや。でも、あいつは数が多いほど上手に動かしよる。あんたと同じや」
風間が大げさに顎で示してみせたのは、円形をした議場の反対側である。一人の議員が立ち上がっていた。黒に近い灰色の背広を隙なく着こなして、服の上からでも筋肉質だと分かる。額に生えた二本の角は鬼族の証だ。印象の力強さに反し、その顔は青白い。こけた頬には大きな傷跡がある。
男が壇に向かって歩き出すと、それだけで議場は静まり返った。多くの視線が男の左手を追った。多くの資料を掴んだその手は、不自然に平板で黒い。鉄製の義手なのだった。中に歯車とバネをしこんだその精巧さは、紙束をつかめるほどだ。
壇上に着いて、男が左肩を軽く動かすと、義手の指が開いて資料を演台に置いた。鉄の手が動くたび、中の歯車がギリギリと音を立てた。
「『鉄腕』のビアデス議員や。戌亥君、あんたはわしよりも、あの男こそ見習わないかないかん。そしてあいつに勝つんや。二つの世界のつながりを守るために」
風間は覚悟を決めるように言い、彼の論敵を睨みつけた。戌亥も壇上の鬼に目をやる。
ビアデスは右手だけで資料を何枚かめくり、すぐに閉じた。原稿を改めるには手早すぎる仕草は、何もかも頭に入っていると言わんばかりであった。
「定刻となりました。では、ビアデス議員」
「議長」
ビアデスは中央の議長席に向けて丁寧に礼をすると、ゆっくりと頭をあげて議員たちに向き直った。窪んだ眼窩の奥で、黒い瞳が議場を圧するように睥睨した。
作法どおり「議員諸君」と呼びかけた後に、青い鬼人はさらに傍聴席に顔を向けて呼びかけた。
「傍聴の市民諸君。本日のお越しに感謝します」
伝統にはない傍聴席への呼びかけは、彼の議案の革新性を暗示するようだった。壇上の鬼が唇を歪めると、その頬で刀傷が引きつった。
「本日の議案は、この地に住まう全員にとって最も重要なことです。さあ、議論を始めましょう。人間と呼ばれる悪魔たちから、この世界を永遠に守るために」
(つづく)