市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C 作:芝三十郎
ヘルエスタ侵攻戦
翌日の昼、戌亥はシェケムの街を歩いている。道に見える姿は魔物たちだけだ。人間の骸は、午前のうちに片づけ終えたからである。
戦いは、全く一方的に終わった。ブレイズ市に攻め込んできた兵士たちの一部は、まだシェケムの街にいた。しかし、何の備えもなかった。自分たちが、彼らが言う地獄に攻め込むことはあっても、逆のことは考えてもいなかったらしい。兵たちは戦う準備もろくにしないまま、一方的に復讐戦の餌食になった。
決死の覚悟で遠征してきた魔物たちは、あっけない勝利に拍子抜けし、首を傾げた。奴ら、俺たちに戦争を挑んできたんじゃなかったのか? と。
「相手を見下すっていうことは――」
そういうことなのだろう、と戌亥は思った。害虫を潰すのと同じ。嫌悪し、たやすく命を奪えるのは、対等の相手だと思わないからだ。
しかし、虫けらのように殺された魔物たちは牙を剥いた。報復を果たした。街にいた人間の兵士たち全員を血祭りにあげた。そして、そこで止まることができなかった。
街の外に出た彼女は今、その結果を目にしている。
地面に空いた大穴は、力自慢の魔物たちが大勢で働き、半日かけて掘ったものだ。民家が二、三軒は入りそうな幅と深さがある。否、あった。その半ば近くまでが、人間の亡骸で埋まっている。
それはいい。そこにまとめられているのは、地獄を襲ってきた兵士たちの骸だ。魔物たちがそれらを埋める理由は、衛生上の心配のみである。
その隣に延々と小さな土盛が並んでいる。人間の大人ほどの大きさの。
一つ一つの土盛の前で頭を垂れ、あるいはすがりつき、声を抑えて泣いている人間たちがいる。男も、女も、老人も、子供もいる。
戌亥は思わず目を背けた。それが彼女たちの逆侵攻の結果だった。
彼女は、この場所を監督しているオークに声をかけた。
「終わったみたいやな。人間たちも」
「ええ、後は土をかけるだけです」
「何か問題はあった? その……暴れたり、争いになったり」
「何も。人族は、みな怯えているようです。私たちに」
「そうか……そうやろうな」
オークが何かを躊躇っているのが彼女には分かった。小首をかしげて促すと、彼は耐え兼ねたような表情で言った。
「戌亥議員……いや、戌亥隊長」
「なに?」
「俺たちは……どうしてしまったんでしょうか。こんなことをするつもりじゃなかった。家族の敵討ちをするつもりでした。もうあんなことが起きないように。そ、それなのに」
そこで絶句した。そして顔を伏せる。戌亥は言った。
「あまり深く考えん方がいい。今そうしても、きっと苦しいだけや」
「でも、でも……! お、俺は、あいつらと同じになってしまった。そうなってしまったんです。自分がそんな奴だったなんて。戌亥隊長が止めてくれなかったら、俺はもっと……あいつらと同じことを」
「違うよ、違う。みんな、力はあっても、戦ったことがある奴なんて、ほとんどおらんのが、うちらや。仕方がなかった」
兵士たちを皆殺しにする過程で、彼らは他の多くの人間を見境なく殺していた。抵抗した者も、そうではない者も。彼らは血に酔った。戦いに慣れており、冷静さを保てた戌亥は制止しようとした。一部の場所ではうまくいき、幾人かの人間を助けることができた。
しかし町全体でみれば、百人あまりもの犠牲が生じていた。我に返った時、それを行った魔物たちは呆然として、言葉がなかった。
オークは顔を覆い、声を立てずに震えた。戌亥は彼の背に手をやり、優しく撫でてやった。
「大丈夫、大丈夫。もう終わった、終わってしまったこと。あたしらは新世界へ帰る。もうここへは来ない。そうしたら、みんな忘れてしまえる……」
あの娘たちのことも。自分が何を望んでいるのかも。
彼女は慰めの言葉を繰り返した。他にできることはなかった。
土盛の一つに目をやる。そこ眠っているのは彼女の友人である。彼女は、自分が尽くしたこの街で眠りたいと思うに違いない。最後には自分を裏切った街であっても――戌亥はそう思ったから、晒されていた遺体をそこに埋めたのだった。
墓碑はない。魔物の墓だと分かれば後で暴かれかねないから、自然石を一つ、かわりに置いただけだ。
亡き友人にできることはそれだけだった。
戌亥はいま無力だった。魔物に対しても、人間に対しても。死んだ友人にも、生きている友人にも。
しばらくして、伝令役のドワーフが彼女らを呼びに来た。
「戌亥隊長、まもなく兵士集会が始まります。広場にお集まりください」
「ああ。伝えに来てくれて、おおきに」
それで、この戦争は終わるはずである。
[newpage]
魔物達の軍、市民軍と呼ばれるそれは、人間社会の封建軍とは似ても似つかない。まず、階級がない。ただ役割分担としての役職が存在するだけだ。議会に任命された将軍といえども、兵士たちに今後の行動を説明し、一応の了解を得た後でなければ、部隊を動かすことはできないのだ。
それで問題はなかった。市民軍が戦う相手は新世界の現住生物だけであり、開拓事業の停滞しているここ百年ほどは、そのような機会もほとんどない。市民軍が組織されるのは、災害復旧のときだけであった。
しかし今、彼女たちは初めての戦争に乗り出している。
街の広場に集い、地面に座った総勢五百余の魔物たちに対して、彼らの命を預かる将軍は語りかけた。
「市民諸君、いや、兵士諸君。我々は無事に、所定の目的を達した。我らの世界を侵した人族の兵士たちを討伐し、十分な教訓を与えることができた」
ビアデスは議場と変わらぬ落ち着き払った仕草である。軍事に関わることは初めてでも、演説には慣れている。
「我々はやり遂げたのだ。胸を張って新世界への帰還の途につこうではないか」
兵たちはざわつき、互いの顔を見合わせた。
「ビアデス将軍、発言のご許可をいただけるでしょうか」
声を発したのは獣人の男である。
ビアデスは微笑を浮かべて応じた。
「クレオン。兵士代表どのには、私の許可など得ずとも、この兵士集会で意見を述べる資格がある」
兵士代表。それが地獄の市民軍を統制する、もう一つの役職だった。将軍や隊長と異なり指揮権は持たないが、兵士たちの意見をまとめ、主張する役職である。将軍が指揮権を私物化して兵たちに横暴を働かないようにする意味がある。
戌亥は平場から、ビアデスは広場の中心から、クレオンの顔を注視した。本来、兵士代表に期待されている意見は、食事や休養といった待遇面での不満に関することだ。
しかし、この遠征を開始する原動力となったクレオンがこの局面で発言するからには、そんな内容であるはずがない。
「ありがとうございます。今から言うことは俺の意見でもありますが、みんなの意見を聞いてまわった、その結果でもある。そう思って、聞いて頂きたい」
「もちろんだとも」
クレオンの主張は端的だった。
「新世界には帰らない。俺たちは、戦争をまだ続けなきゃいけない。それが意見です」
ビアデスは冷静な表情のまま尋ね返した。返答が一拍だけ遅れたことが、彼が示した動揺の全てだった。
「……将軍は兵士たちの意見を無下にすることはない。それが道理のある意見ならば。君は、我らがまだ目的を果たしていないと、そう考えているのかね?」
「ええ、そうです。新世界はまだ安全になっていない」
「攻め込んできた兵士たちは、昨日倒したばかりだ」
「足りないと言っているんです! あなたは甘すぎる」
そして狐顔の獣人は、動揺の目で議論を見つめている兵士全体に呼びかけた。
「みんな、思い出してもらいたい。ヘルエスタの軍は俺たちのブレイズ市、その中心を焼き討ちにしたんだ。
いま俺たちがしたのはヘルエスタの国土、その端にある港一つを襲ったにすぎない。
これで十分な復讐といえるか? 新世界は確かに安全になったって、そういえるか?
家に帰ってから、家族や友達に、もう怯えなくていいんだと、そう胸を張って言えるか?」
兵士たちは顔を見合わせ、囁きをかわしあった。ビアデスはそれを掻き消そうとする。
「我々は十分な教訓を与えたはずだ」
「何の保証もない! ヘルエスタの人間たちがまた転移門を越えて来ないと、なんで言えるんだ。みんなが納得できるように教えてくれ」
「では、君はどうすべきだと言うんだ。どこかでは引き返さなければいけないんだ」
「同じことをするんだ。俺たちがやられたのと、そっくり同じことを。そうすれば、どんな奴にも分かる。彼らの王都へむけて進撃するんだ! そして……」
ビアデスはクレオンの発言を荒々しく遮った。
「馬鹿なことを! とんでもないことだ。ここは旧世界なんだぞ。人間の王国と、本当に戦争になってしまう」
「戦争なら、もう始まってる! 仕掛けてきたのは彼らの方だ! 彼らが俺たちの仇敵だってことは疑いもない。それなのに戦わない方が安全だなんていうのは、考え直してもらいたい。ヘルエスタ人は、俺たちを奴隷や家畜のようにしようとしてるんだ。徹底的に戦わなきゃいいけない」
「ヘルエスタを滅ぼすとでもいうのか?」
「違う。教訓を与えるんだ。
新世界でおとなしく身を守ってるだけじゃ、ヘルエスタ人のように武力に頼って大胆不敵になっている奴らは、かえってつけあがる。今度はもっと大勢で攻めてくるに違いない。
俺たちは転移門の外で敵を迎え撃てるし、その気になればこっちから攻め込むこともできるんだって、そう分からせなきゃいけない。そうすれば、奴らだって俺たちを征服しようなんて思わない」
「我々が侵略者になるというのか! ヘルエスタも本気で軍隊を出してくるぞ」
「違う。敵の軍隊を打ち破らなきゃいけないんだ! そうすれば、敵は確かに門を越えられなくなるだろう」
ビアデスはクレオンの説得を諦め、彼自身も兵士たちへ論じ始めた。
「諸君、冒険の誘惑に惑わされてはいけない。我々がここに何をしに来たのかを忘れてはいけない」
クレオンはそれを遮った。
「みんな、忘れちゃいけない。この戦争は、場所が人間の領内だとしても、俺たちの世界を守るためのものなんだ。攻め込まれたのは俺たちなんだから! 奴らに何をされたか、思い出せ!」
ざわめきが大きくなる。感情任せの扇動だからこそ、クレオンは力強かった。
「敵の都を攻撃すれば、思い知るだろう。自分たちがやったのが、どういうことなのか。そうして初めて、俺たちは安全と自由を確かに守れるんだ」
「勘違いをしてはいけない。我々は復讐をしにきたのとは違う」
「何の違いもない! 敵に思い知らせるために、同じことをするんだ。復仇のために。安全のために。これが戦争だというなら、正しい戦争だ。みんな、俺と共に行こう。故郷を守るために。ヘルエスタの王都へ!」
兵たちが次々に立ち上がり、拳を突き上げた。彼らの怒りの炎は、街一つを半ば焼いても、まるで収まっていなかった。
「王都へ!」
「王都へ!」
戌亥は、勝算はなかったが、この暴挙に歯止めをかけるべく立ち上がった。しかし、ビアデスは遮るように手を伸ばした。その目は戌亥一人を直視している。彼の手は兵士たちの連呼を抑えるように見えて、その実は自分ただ一人に向けられたものだと、彼女には分かった。
その瞳の強さに圧されて、戌亥は言葉を呑み込み、座った。それを見届けると、ビアデスは言った。
「諸君の意見は分かった。いいだろう。私も新世界の市民の一人であり、君たちと同じ痛みを感じている」
鬼は、先ほどまでの自重論を忘れたように、声を張り上げた。
「力の限り、進もうではないか。王都ヘルエスタを目指して!」
戌亥は兵たちの、そしてビアデスの正気を疑った。しかし広場には「王都へ!」の連呼が渦を巻いている。彼女をもってしても、止める方法はもはや無い。
(次話「終わりなき遠征」に続く)