市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C 作:芝三十郎
魔物達は、王都ヘルエスタに向けて予定外の遠征を開始することになった。そして彼らは、初めて戦争の現実に直面した。戦争とは、戦うばかりではない。兵士たちは物を食べ、水を飲み、眠らなければならない。
彼らの軍勢は五百余名に過ぎなかったが、それでもこの人数が見知らぬ土地で移動しつつ生活するというのは一大事業だと、遠征を決めてから気づいたのだ。
「樽だ、ありったけの。この街にあるやつ、全部!」
「天幕なんて、早々手に入らないか……」
魔物はたいてい大食だから、一日に三回は食事する。その分の麦と肉がいる。魔物たちはパンよりも麦粥の方になじみがあるから、小麦を挽く必要はない。そのかわり、行く先々で粥をつくるための鍋釜、薪、そして水が必要だった。肉が腐敗してはたまらないから、干し肉や燻製、あるいは家畜を生きたまま連れて行くかだ。遠征中の替えの服や靴も必要だ。幸い、シェケムは港町であり、流通の結節だから、それらの生活物資は手に入った。
手に入らなかったのは軍需物資だ。五百名分の天幕と替えの武器。平和なヘルエスタ王国にあって、市場で手に入る量ではなかった。やむを得ず、隊長格以上の者のみが毎夜天幕で寝て、他の兵たちは交代で野ざらしに寝ることになった。雨に降られれば体調を崩し、病気になる者が出るのは目に見えていた。できるだけ早く次の街か村に辿り着き、そこの家や納屋に分宿せねばならない。
魔物たちが何より困ったのは輸送手段である。人間界の常識としては、行軍にしろ、行商にしろ、長距離の輸送手段は船か馬車である。王都へは陸路を取るから当然後者になるが、魔物達には不可能なのだった。
「誰か、馬を御せる奴はいるか?」
「いるわけないだろ。馬なんて見たこともない」
新世界には馬がいない。海洋に島が散在する新世界では、輸送手段は船と手押しの荷車で足りた。人間の馬丁を雇うなり脅すなりする手もあったが、途中で脱走されると立ち往生することになる。やむを得ず、魔物たちは街にある限りの手押しの荷車を調達して、木箱や樽を積み込もうとした。
しかし、馬車と違い、人間用に作られた手押し車では大した量は積み込めない。仮に全ての荷物を手押し車に分けて積むと、五百名の魔物が数日生きられるだけの食料と水、薪や天幕を運ぶだけで、兵士のほぼ全員が荷車を押さねばならないことが分かった。それほどの数の手押し車は手に入らなかった。日頃、街や村の流通に依存している彼らには、生きるというだけで自分たちが大量の物資を消費しており、そのためには多大な輸送力が必要だということは、新鮮な驚きだった。
魔物たちは自分たちの大力を生かすことにした。駄馬に荷をくくりつける代わりに、自分たちをがんじがらめにした。まず剣や矢筒をつける剣帯を締める。そこに、畜獣の胃袋から作られた水筒をいくつもぶら下げる。次に替えの下着や靴を包んだ袋を肩がけする。反対の肩には小麦や干し肉を詰め込んだ食料袋をかける。次いで、釜、手鍋、薪やもろもろの野営道具を紐で縛って背負う。こうなると、胸の前には四つも五つも帯や紐が交差して、頑丈な魔物たちでさえ立っているだけで息苦しさを感じるほどだった。
そうまでして、やっと輸送隊を総員の三分の一程度で収められ、彼らは遠征を開始できた。出発するまでで、既に大変な大仕事であった。
「やっと出発か」
「重たい……これでずっと歩くの?」
「当たり前でしょ。食わなきゃ生きていけないんだから……」
出発後も、彼らの苦労は続く。経路に定めた村や町に辿り着いても、戦いなどしている場合ではない。それらに住む人間と交渉し、物資や寝る場所を調達せねばならないからだ。シュケムの街で倒した兵士たちから奪った軍資金はすぐに乏しくなり、やがて脅しつけて略奪せねばならなくなった。
魔物たちは村落の穀物庫から、あるいは畑から直接に食料を奪った。その時、あるオークがぽつり、と言った。
「新世界とは全然違うな。ふかふかの土だ」
日頃は農業を営んでいる幾人もがそれに頷く。
「ああ、いい土だよ。それに、よく面倒をみてる」
「ここも誰かが耕した土なんだな……」
こうして魔物たちは糧を求め、運び、歩くだけで、心身ともに消耗しながら進んだ。
王都へ。王都へ。
人間たちを倒せ。
クレオンと彼に賛同する主戦派たちは盛んにそう言って士気を盛り上げようとした。しかし、不思議なことにヘルエスタ王国の軍隊は全く襲ってこなかったから、彼らはひたすらに歩くばかりだった。
王都まで数日の距離に迫った夜、接収した村の家に、戌亥はビアデスを訪ねた。このところの多忙で、隊長と将軍が個人的に話をするのは久方ぶりだった。戌亥は、宅内が自分たち二名だけであることを確かめ終わると、単刀直入に尋ねた。
「どういうつもりや。なんでクレオンのやりたいようにやらせとる」
このところ、ビアデスは主戦派の提案にうなづくばかりで、まるで存在感が無かった。行軍や宿営の手配りが多忙とはいえ、何らの主体性も見られない。
将軍たる鬼は答えた。
「兵士たちは将軍を弾劾できる。もし私が指揮権を失えば、ますます収拾がつかなくなる。今はこの流れに乗るしかない」
「馬鹿なことを!……殴られたから、殴り返しにいく。それだけじゃガキの喧嘩や。いや、ガキの喧嘩でも、やりすぎはせんように気を使うもんや。でないと落としどころがなくなる」
「これは戦争だぞ。殺すか、殺されるかだ」
「ヘルエスタを亡ぼして魔物の国を作るとでも? いっそ人間を皆殺しにするか?」
「言いたいことは分かる。しかし、あのままでは収まらなかった。一時は収めても、いずれ爆発したろう。最悪、共存派と主戦派で殺し合いだ。それくらいなら人間と戦った方が、ましだとは思わんか」
戌亥は顔色を変えた。ようやく、ビアデスの本心、その一端を垣間見たと思った。鬼は密やかに続けた。
「彼らの怒りは本物だ。下手に操ろうとすれば、かあって取り込まれる」
ビアデスの声は恐れるようだった。しかし、それで納得できるものではない。
「なんや、そんなもん! あんたとあたしが組めば、好きにひっくり返せる。兵士集会でも、市議会でも」
鬼は彼女をしばらく見つめたあと、ぽつり、と言った。
「変わったな」
「なにがいいたい」
「確かに君は凄い。クレオンなど相手にならない。だが、君はそういう女だったかな」
「あたしの何が分かるって!?」
怒気をはらんだ追及を受けて、しかしビアデスは口元をほころばせた。
「君に負けたことがある。あの時の君は強かった。私が退いたのは、どれほど言葉を尽くしても負けると思ったからだ」
ビアデスが提起した外交案を、戌亥が封じ込めた時のことを言っていた。もう、ずいぶんと昔のことである。
「今の君の方がずっと技術は上だろう。しかし、市民集会では私の方が勝った」
「それは……」
「彼らの怒りは本物だ。その痛みも。だからクレオンの単純な言葉がよく響く。心からのものだから」
ビアデスが呑み込んだその続きが、戌亥には分かった。
――君の言葉は、どうだ。心からの言葉か。
言い返そうとして、戌亥は果たせなかった。自分は彼ら彼女らを都合よく操ろうとしていると、その自覚があった。昔は、伝えようとしていた。いつから変わったのか、彼女には思い出せなかった。
反論を諦め、戌亥はため息をついた。そして椅子に腰かけ、ビアデスと同じ机を囲んだ。
「あたしたちは人間より強い。でも、戦争ってどうすれば終わるんか、うちらはそんなことも知らん。知らんままに、ここまで来ちまった。どこまで行くんかも決めずに」
「拳の下ろし時は、歩きながら見つけるしかない。君を連れてきたのはそのためでもあるんだ」
「連れてきた?」
「君を隊長に推したのは風間議長だがな。頼まれなくても、私は連れて行くつもりだった」
ビアデスが中心となって選抜した遠征軍の顔ぶれは、当然ながら、ほとんどが主戦派だった。隊長格や役付きは議員達である。平時は議員であり、有事には指揮官になるのが、市民の代表たる議員の務めだ。
しかし、主要な議員がごっそりと遠征で抜けたために、いま市議会は空洞化し、決定能力を失ってもいる。遠征軍の行動をひたすらに追認することしかできない。議会による歯止めを望んでいた戌亥の期待が裏切られた理由だった。結局、新世界のシステムは戦争に慣れていないのであった。
この男は、敢えてそう仕向けたのか――と、戌亥は今にして思い至った。だとすれば、何のために。
「あんたは、あんた自身は、この遠征で何を目指しとるんや」
「同胞の安全だ。できる限りの。君か私か、どちらかで掴むしかない。遠征を打ち切っても、新世界の誰もが納得する成果を。私は勝って帰る終わり方を探すが、君が別の道を見つけても構わない」
戌亥がビアデスの能力を信頼しているのと同じように、彼もまた自分を信頼しているのだと、初めて彼女は知った。
「……二人とも見つけられんかったら?」
「遠征軍は壊滅する。だから主だった主戦派の連中をみんな連れてきた。それが全滅すれば、残った市民たちは我に返るだろう。それも一つの終わり方ではある」
「貴様! なんてことを」
「同胞同士で殺し合うよりましだ! どちらにしろ、帰還してからの主戦派の説得は私がする。彼らを納得させられるのは私だけだ」
「つるし上げに遭うぞ。負け戦の罪を問われるかも」
「殺されても構わない。大事なのは同胞の安全だけだ」
その覚悟に衝撃を受けて、戌亥はそれ以上何も言わずに去った。鬼もまた、ほとんど無言で見送った。
閉じた扉を見つめ続ける、ビアデスの義手が音を立てた。このところ調子が悪いようだった。鬼は義手とはずし、無くなった左腕の先端を見た。腕の先だけが嘘のように宙に消えている。今でも不思議だった。
<なぜこうなったのか。そして、なぜ私は生きているのか>
かつて、母親の血だまりの中で目を覚ましたとき、彼は二つのものをみた。一つは全身の血をすっかりなくし、白い顔色をした母親の遺体。もう一つは切り落とされた自分の腕の先だった。
男は見えない何かを掴むように、無くした腕を宙に伸ばした。子どもの泣き声を聞いたような気がした。
家屋を出て、自分の泊まる家に向けて歩く途中、夜風が戌亥の頬を撫でた。彼女は後ろを振り返った。
<よっ。どしたんや、戌亥>
<とこちゃん、元気出して>
そう言われたような気がしたのだ。彼女は立ち止まり、夜空を見上げた。そうしないと、込み上げる熱さに耐えられそうもなかったからだ。
人間界の星空は、新世界のそれとは違う。夜空にはもう、あの三ツ星は見えない。ぽつりと地上に立ち尽くす彼女の傍らに、あの二人の姿はない。
「リゼはん、アンジュはん」
そう口に出して、星を見つめる。新世界ならばケルベロス座がある辺りを。人間界の星空で、そこにある星々の連なりは、英雄座と呼ばれる。退治した魔物の首を掲げる古代の英雄を象っている。それを教えてくれたのは、水色髪の友だ。
英雄か。
あの娘は、別のものに憧れていた。勇者に。
そして夢を見ていた。人と魔物の共存。そのせいで彼女は不幸になった。友達だと思った魔物に裏切られ、見放されて。そうなのだ。人と魔物がつながるとき、不幸にならずにはおられない。
だから、母も不幸だったのかもしれない。
生まれた街と家族を失い、石と悪罵を投げつけられた。獣面の男に手をひかれて逃げ出したが、その途中で愛した男さえ失った。そのまま異郷にまで逃げ、終生をそこで過ごした。男との間に得られた娘は、しかし、彼女とは異なる種族。寡婦となってからの数十年をかけて育てても、娘は人間でいえばまだ幼子のままだった。白髪の老婆になっても、まだ幼い娘を置いて世を去らねばならない。歩けなくなってからは、だから泣いてばかりいた。
認めよう。私の母は不幸だった。しかし、後悔はしていなかった。愛したことを。その結果の全てを。その証拠に、母は彼女に言った。ベッドに横たわり、涙を流しながら、彼女の手を握って。
「とこ、とこ。ごめんね、一人にして。頑張って、頑張って生きて。嫌なことも、辛いことも、いっぱいあると思う。でも、どうか頑張って。そうしたら、手を差し伸べてくれる誰かにきっと会える。一緒に不幸せになっていいと思える誰かに。それが魔物か、人かは分からない。恋人か、友達かも。だけど、いつか、その時がきたら」
その一瞬だけ、白髪の老婆の瞳は、十代の娘の強さを宿した。この世の全てに抗うほどの強さを。
「絶対に、ためらっては駄目。あなたの一生は、そこから始まるんだから」
その声が、瞳の強さが戌亥を打ち据えた。その夜、彼女はずいぶん夜が更けるまで寝付けなかった。
「――だから、本当の敵はあの預言者一人なんだ」
「しかし、現に奴らは――」
「勝てたとしても近衛はボロボロになる。それで喜ぶのは誰?」
「だとしても、王命では――」
「状況は変わってる。これが王都を守ることになる。もっと大事なものも」
「もっと大事なもの?」
「私たちが信じるもの。先祖から引き継いできた馬鹿みたいな夢を」
「夢……」
「だから信じて。お願い。私に従ってほしい」
「――そうせよ、と。どうか、お命じ下さい」
「え?」
「信じておりますとも。我らはずっと、あなた様のことを」
(次話「君の手を掴もう」に続く)