市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C 作:芝三十郎
誰も命を落とさぬうちに戦いは終わり、人魔の両軍は少し距離をとって天幕を張りはじめた。ヘルエスタ近衛隊は、まだ緊張を残しつつも、ひとまず任務を果たした安堵の顔で。ブレイズ市から遠征してきた魔物たちの方は虚脱したようで、諸事にノロノロと作業した。
魔物達が宿営の準備を終えた時には、もう日没が近かった。誰の血にも染まらなかった戦場を夕日が照らし、すぐに日が落ちた。
両軍の宿営地の中間に、ぽつりと一つ、焚火が燃えている。それを囲んでいる三つの影が、戌亥、リゼ、ビアデスの三名であった。
立場からすれば、休戦条件を話し合うべき代表は、皇女リゼと将軍ビアデスの二名であったろう。だが、ビアデスは当然のように戌亥を同席させた。
もっとも、本来の立場は一隊長に過ぎない戌亥は、殆ど口を挟まなかった。ビアデスが自分に求めたのは、戌亥が同席した上での結論だという形を作ることだと、そう分かっている。
何より、リゼが持ち出した休戦条件には異論の余地がなかった。
「――ええ、そうです。ブレイズ市を襲ったのは反乱軍とはいえ、それでもヘルエスタ貴族です。賠償は王国の責任として当然です」
あまりにブレイズ側に都合のよい条件に、ビアデスは案じざるを得ない。
「その上、シェケムの件は何事もなしとは。まことに失礼ながら、それはヘルエスタ王の御意でありましょうか」
皇女の勝手な口約束ではないかという難色に、リゼは不快がることもなく、穏やかに肯定してみせた。
「将軍、ご懸念はもっともです。私は皇女とはいえ、他の官職は持ちません。しかし、貴市との交渉については私の言葉が王の言葉です」
そう言って、リゼは嚢中から封書を取り出した。それを両手で持つと、あらぬ方を向き直り、押し戴くような動作をした。ビアデスは理解できていないようだったが、戌亥はリゼが向いているのが王都の方角だと察した。儀礼の動作を終えると、リゼは封書の中身をビアデスに示した。
「火急の出陣でしたから、簡易な体裁ですが。ヘルエスタ王から私への委任状です」
お改めを、と差し出されて、ビアデスは丁重に頂いてみせた。彼が見たところで、人族の王国が常用している外交文書の体裁など分かるはずもない。丁重に中身を確認する素振りだけはしてみせて、鬼族の将軍はそれを皇女に返した。
「失礼を致しました。そういうことならば、休戦に異存はありません。ああ、と言って、ブレイズでは議会がありますから、帰った後に私の口頭だけでは」
「よかった。先ほどの内容で良ければ、今夜のうちに二部、書面にしておきましょう」
ええ、王国の様式になりますが。書き言葉なら、ヘルエスタ語を読める方はブレイズ市にも多いかと。明日の朝、お互いに署名して交換する形でいかがでしょうか。
昼間の無茶を忘れたように、リゼは全く理性的で、皇女とは思えぬほど実務的だった。議会政治には達者でも、外交は初体験のビアデスが、ほんの少女に気を使われているようだった。
相手を立てながらも手際よく話を進め、それでいて心からの思いやりを感じさせる皇女の手腕に、ビアデスは内心で敬服したらしかった。ええ、ええ。では万事、そのようにお願いいたします。
あまりにも調子よく交渉がまとまると、魔物の代表は正直な不安を口にするほどだった。
「当方に異存があるはずもないが……それでヘルエスタが納得できるとは驚きです。我らとの共存を国是に掲げておられるとはいえ、不満に思う諸侯も少なくのでは」
「現に反乱が起きているように、ですね」
微笑しつつ皇女が返すと、かえってビアデスの方が狼狽を隠さねばならなかった。一方のリゼは、平然としたものである。
「お気になさらず。王国が揺らいでいるのは事実です。だからこそ、信じて下さって結構です。四の五の言っている余裕がないのですから。反乱の方は、私の兄たちの軍によって間もなく鎮圧されますが――正直に言って、我が国はかつてない苦境にあります」
続けてリゼが明かした王国の現状は、ビアデスと戌亥を驚愕させた。
不平諸侯が東西で起こした反乱も、それに襲われたブレイズ市からの報復も、全てはオヴィクス帝国の策謀であったという。それらに呼応するように、オヴィクスの本軍がヘルエスタ東部に上陸した。周到な戦略というべきだった。狡猾なのは、その軍隊すら囮に過ぎなかったことだ。
侵攻の主力は、最後にフジの海を渡ってきた一人の幼女だった。
預言者と呼ばれるその娘は、小さな港街に小舟で乗り付けると、そこに異形の大軍を出現させた。墓地の土や石、地下に眠っていた骨から作りあげた妖魔の軍勢である。その大軍は、進路上の街や村を壊滅させながら、一路王都を目指しているという。それを防ぐべき王国軍の主力は、国土の東西に分散しており、到底間に合わない。
「――だから、虫のいい話ですが、皆さんと休戦できて、本当に助かりました。近衛隊を無傷で王都に連れ帰ることができます」
と言って、リゼが率いてきたのは、精鋭ではあっても二百騎ほどに過ぎない。妖魔の軍勢は数千はいるという。しかも、王都には恐るべき天災すら起こりつつあるらしい。王都の失陥どころか、王国の滅亡が迫っているといっていい。
ビアデスは額の汗をぬぐった。
「何と申し上げるべきか――いや、驚きました。それを我らに教えて下さるということも」
答える皇女は、平然としているように見えた。
「このまま王都に向かわれては、皆さんが危ないですから。それに、言わなくても戌亥議員がすぐ気づくことです」
急に水を向けられて、戌亥は常になく戸惑った。
「あ、あたし? そんな事情なんて知らんかったよ」
「うん。でも、私が帰ってきたくらいだから」
皇女の妙な答えが、戌亥はすぐ伝わった。皇女として定められた道を嫌い、家を飛び出したリゼである。彼女がそれでも帰国を選んだなら、王国が無事に済むとは思えなかったからに違いない。
自分の生き方に迷いはしても、誰かが危険にある時には、即座に飛び込んでいく。リゼはそういう娘だと、戌亥は知っている。
戌亥を騙して危険から遠ざけられるなら、リゼは事情を隠そうとしたかもしれない。しかし、戌亥は必ず気づいて、恐るべき危険の渦中へリゼを追いかけるに違いない。そんな彼女だと知っているから、皇女は最初から明け透けに語ったのだということも、戌亥には分かった。
「……うん、そうやな」
そう答えられる心地良さに、戌亥は自分が居るべき場所に戻ったことを知った。数日後に臨むだろう王都の決戦で死ぬとすれば、自分はきっと、リゼの前に出て倒れることだろう。短い旅の中で、種族を越えて分かり合った友のために。
「どうやら、私には分からぬことがあるようですな。ともかく、休戦条件には同意します。では、私は皆を見回らねばなりませんので」
ビアデスはそう言うと、翌朝の文書交換を約して、丁寧に辞去した。
気を使わせたな、と戌亥は思ったが、何も言わなかった。散々に迷惑を掛け合った中だから、気にもならない。
足音が十分に離れてから、口を開く。
「リゼはんには、驚かされてばっかりや。十歳の子どもの時から」
リゼは直接には答えず、夜空を見上げた。
「とこちゃんはさ、これが終わったら、何する?」
「終わったらって……」
十中八九まで自分たちは戦いで死んでいるだろう。勝算は万に一つもない。しかし友人は、まだ未来があるという。その視線につられて、戌亥も夜空を見上げた。未だ見慣れない星々が、彼女ら二人を見下ろしている。
「……そうやな。議員はもう、やめや。分かったこともある」
リゼは静かに耳を傾けている。
「今日、分かった。あたしが何者か。やりたかったことも」
「とこちゃんが?」
魔物か、人間か。そのどちらでもないものか。
母を不幸にして、それでも生まれてきた。それに意味があるのなら――
「――みんなを導くのが自分の役目やと思っとった。魔物と人が共存できる世界のために」
「違ったの?」
戌亥は微笑んだ。リゼは心からそう願っているのだ。そのために、どれほど傷ついてでも。皇女に生まれたからではない。勇者の子孫だからでもない。己を燃やして人を惹きつけ、導いていく勇気が、彼女に宿っているからだ。
「違ってはないよ。でも世界をどうするやなんて、あたしには重過ぎるわ。本当に欲しかったのは、もっと小さいこと。もう、見つかったわ」
世界はすぐには変わらない。しかし、信じる友達ができれば、それだけで生きる世界は変わるのだと分かった。
そのうちの一人は言った。
「それじゃあ、歌手に戻るの?」
「いや――歌は、もちろん続けるけど。お給仕じゃなくて、自分のお店をもつのも、ええかもって思う。……宿屋とか」
今の今まで、考えもしなかったことだった。もし自分に、そしてヘルエスタ王国にも未来があるというのなら。そう願う気持ちをくれた少女は、それだけで理解したようだった。
「いいと思う。とこちゃんが、やってくれれば」
リゼは、少しだけ皇女の表情になって続けた。
「王国としても、そういう場所を作ろうと思うの。二つの世界のつながりのために。行き来しやすくしたり、移住者を助けたりして。許してくれるなら、それに彼女の名前をつけたい」
その新しい繋ぎ目は、シェケムの港に作られるだろう。傷つけ合い、殺し合った場所に。それでも希望はあるのだと、そう示すために。
リゼが元々そういう案を持っていたと知って、戌亥は苦笑した。
「あたしらより、よっぽど政治家やな」
「すぐうまくいくなんて思ってない。私達には、たくさんの違いがあるから。それでも、きっと通じ合える」
それが、この旅でリゼが得た答えのようだった。王国の国是ではなく、彼女自身の信念として。
それは戌亥も同じだった。
「誰でも、誰かから生まれて、誰かと繋がって、いつかさよならを言うまでの命や。生きる哀しみは、みんな同じ。憎み合ってる暇なんてないんや。それやのに、間違いを繰り返す。何十年、何百年かかるかも」
「でも無理じゃない」
「うん。無理やない。踏み出す勇気があれば、きっと。あたし達みたいに」
頷いた皇女の髪は、星空に照らされて、月光のように輝いている。紫の瞳には決意と勇気がある。その少女が、戌亥の希望そのものだった。
翌朝。約束通りに文書を取り交わすと、ビアデスはリゼに言った。
「さて。では、我らは帰還の途につきます。戌亥議員は皇女に同行することになりますが」
「皆さんには、申し訳ないと思っています。こんな危険に彼女を連れて行って」
「いかにも、それが懸念です。戌亥君が加わっても、殿下のご手勢は二百あまり。勝ち目は殆どない」
戌亥は咎めるように口を挟んだ。
「今更やぞ。リゼはんも」
今になって止めようとするのかと、そう警戒したのだった。ビアデスは戌亥を無視するように続けた。
「しかし、援軍が加われば、少しは望みが増すでしょう」
リゼと戌亥の顔に驚きが浮かぶ。鬼は、やれやれ、という風情で続けた。
「お二人に、ついて行きたいという者達がおりましてな。理由は色々です。この戦でやったことの罪亡ぼしとか、王都にいる縁者を守りに、とか。単に戌亥君を信じて、という者も多い。困ったものです」
「待て待て。多いって、いったい、どんだけおるんや?」
議場で見せる大仰な動作で、鬼は後ろを顧みた。
「諸君、戌亥将軍がお呼びだ。彼女に続きたい者は!?」
居並んだ五百近い魔物のうち、半数近くが無言で武器を掲げた。二百余の魔物たち。彼らが合流すれば、リゼの兵力は倍化する。魔物の剛力を考えれば、戦力としては倍以上だ。
戌亥は呆れかえった。
「おい、勝ち目はほとんど無いんやぞ。きっと大勢死ぬ。それでも付いてくるんか、あたしに……」
己を燃やして誰かを動かす力が、自分にも少しはあったということだろうか。自分がリゼに付いて行くと決めたように。彼らを否定することはできなかった。
だから彼女は、求められている言葉を発した。それは心からのものだった。
「まったく、阿呆や。阿呆ばっかりや。あたしは何の保障もできんぞ。……やけど、一つだけ約束する。この戦いは未来につながっとる。ヘルエスタを守って、人と魔物との絆を築く戦いや。言えることはそれだけ。みんな、それでええか!」
魔物たちは喚声を爆発させた。何度も拳を、剣や槍を突き上げる。彼女を信じ、無謀な援軍に手をあげた者たちの目には、希望が満ちているようだった。怒りのためではなく、復讐のためではなく。
戌亥はふっと息をついた。誰がこれを焚きつけたのかは明白だった。そしらぬ顔をしている同僚議員に言う。
「おい、軍隊を勝手に連れて行ってええんか?」
「せっかく出来かけた友好国だ。潰れてもらっては困る。ゆくゆくは人間界の他の国との間をヘルエスタに取り持ってもらいたい。よろしくお願いしますよ、皇女殿下」
リゼは響くように応じた。
「必ず!」
戌亥は苦笑した。
「まったく。かなわねーわ。政治家なんて、みんな嘘つきや」
ビアデスは余裕綽々にうそぶいた。
「皇女殿下、市議会から休戦の追認は必ず取り付けます。正式な和平や、後のことはその後で改めて。それと、私の友人を宜しく」
皇女は「もちろん」と力強く応じ、戌亥は不満げに鼻を鳴らした。
ビアデスは笑顔のつもりらしく唇をゆがめると、右の手を掲げて別れを告げた。戌亥とリゼはそれに応じてから、それぞれに兵たちに行軍の指示を出した。
ヘルエスタ近衛隊と、戌亥率いる魔物の援軍は、間もなく一体となって歩みはじめた。
それは不揃いな行軍だった。魔物達の背丈はさまざまだ。人の倍ほども大柄なオークは、馬の並足より速い。人の半分ほどの背丈もないケンドルやドワーフは、ずっと遅い。獣人や鬼族はその中間だ。騎乗した近衛兵たちと足並みが合うはずがない。
彼らは、頻繁に足をとめて待ち、やがて追いついた相手と顔を見合わせて苦笑を交わし合った。決戦に向かう精鋭のくせに、これほど不格好な軍隊は、かつてなかったであろう。
しかし、ともかくも、彼女らは共に歩き始めた。
『市議会議員 戌亥とこの戦争:Page of Lambda C』
おわり。
アンジュ編「賢者アンジュ・カトリーナの試練」及びリゼ編に続く。
Thank you for your reading!