市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C 作:芝三十郎
#3 あらすじ
地獄の魔物たちは、人間界とつながる門を破壊して人間とを断絶するべきか否かで論争していた。断絶派のリーダーである鬼族のビアデスは、迫害の記憶を語り、共存派を圧倒する。
共存派の指導者である風間は、戌亥ならばビアデスに勝利できると期待するが、戌亥はその期待に応えることができない。
ブレイズ市議会の議場は円形堂とも呼ばれ、その名の通りの形状である。議場の一部がプールとなっているのは、水棲の議員のためだ。陸棲の議員が答弁に立つときは、議長席の左右に設けられた演壇に登らねばならない。
「我らの世界の安全への考慮は理解できます。人間たちが野蛮な専制政治にしがみついとるのは確かです。しかしこれをご覧頂きたい――」
質疑者用の演壇で風間が取り出したそれは、透明でやや平たい球状の器だった。風間のような愛煙家なら、灰皿を一つ裏返しにして、もう一つに重ねたような、とでも言うだろう。その透明な器の中で、液体とも個体ともつかない赤い何かが火のよう揺らいでいた。
「これはオーブと呼ばれるもんです。自然の力を錬金術で器に封じとります。わしが人間界にいた昔には、熟練の錬金術者にだけができた秘術でも、今はこれのおかげでほとんど誰にでも使えるといいます。
例えば人間たちは、もう家の中で、薪や炭を燃やすことはありません。この火力のオーブを使った器械で湯を沸かし、家を温め、明るく照らすそうです。水力のオーズは泥水を飲み水に変え、地力のオーブは瞬く間に地面を均すといいます。レンガを作ることも、糸をつむぐことも、人間たちはもうオーブの力でします。素早く、大量に、です。
このような技術を学ぶことは、私たちに巨大な豊かさをもたらすはずです。門を壊すいうことは、そういう未来の可能性を壊すっちゅうことです。断交案は市民の利益にかなうとは言えへんと、わしは考えます」
風間が発言を終えた合図に、演壇のそば設けられた質疑者用の椅子に座った。それを認めた議長は、対する弁明者に発言を促す。賛否を代表する二名の討論で議案の理非を明らかにするのが、審議の基本形なのだ。
「ビアデス議員」
呼ばれた蒼顔の鬼は、弁明者席を立ち、すばやく演壇に登る。
「尊敬する風間議員の主張には理があります。あなたの支持層である豊かな人々とっては、です」
事実、風間の支持基盤は商人たち、とくに大店の主たちだった。彼自身がもと宿屋の親父であったこともあり、気脈を通じやすいのだ。
ビアデスは論敵ではなく、他の議席でもなく、傍聴席に対しおおげさなほど顔を向けた。議場の視線もそれに誘導され、聞き入る市民たちに移った。ビアデスは身振り手振りをまじえて語りかけた。
「火を使わずに暖がとれるなら、木こりや炭焼きの仕事はどうなります? それらを運ぶ荷運びたちの給金はどうなります? 既に安楽に暮らしている者をますます快適にし、日々に汗を流している者は仕事を無くすことになる。不自然な技術がもたらすのは富ではなく、その偏りではないでしょうか」
周囲から注目を浴びた傍聴席の商人たちは、気まずそうに縮こまった。
ビアデスは視線を議場に向けなおし、発言を続けた。
「また、風間議員は見過ごしておられる。恐ろしい技術をもつ人間種族は転移門の外、船でほんの一日あまりのところにいる。人間の技術がそのように進んでいるなら、それこそ危険の証ではありませんか」
ビアデスの着席と入れ替わりに、風間が壇上で反論する。交代がスムーズに行われている限り、議長はいちいち指示をしない流儀だった。
「人間の軍隊が大渦に飛び込んで、門を越えてくる? そんなことはこの二百年、いや二千年の間、一度もなかったがな。
門の戸を叩いたんは冒険家に商人、色んな理由で人間社会におられんようになった哀れな人間たちや。
議員諸君、わしらは、冷静に歴史を振り返らないかんと思います」
ただちにビアデスが登壇する。鬼はその声を一段と響かせた。
「歴史! 市民諸君、それこそ我々が思い返すべきことです。
風間議員と同様、私も人間界の生まれです。二百年前の赤い冬は――」
ビアデスは敢えて言葉を切った。赤い冬。それは忌まわしい記憶であり、歴史だった。議場の静けさを確かめると、ビアデスは重々しく続けた。
「――私にとって、歴史ではありません。いまだ忘れ得ぬ傷です。そして人間世界が我が世界の隣人であるなら、家と家の間で起きたことは、世界の間でも起こりうるでしょう。それが一度起これば」
ビアデスは左腕を突き出し、その肘の辺りを右手で掴んだ。鉄の義手が落ち、石畳の床にあたって鈍い音を立てた。
「失われるものは、二度と取り返せない。諸君。この際、お聞きいただきたい。私の物語を」
全ての議員、全ての市民の視線がその身に集まるのを待ってから、ビアデスは語り始めた。
「私が生まれ育ったのは人間界、オヴィクスの田舎町です。ほんの子供だった私は幸せだった。しかし突然、言葉はとても言いえない恐怖でひっくり返されてしまった。私が負った死ぬまで消えない傷は、この腕だけでなく、魂に刻まれたのだと思う」
ビアデスの語調は次第に、演説というよりも友人に語り掛けるかのように変わった。
「人間界で暮らしたことがある者なら、次のような経験は誰もが覚えがあると思う。店屋に並んでいるとき、わざと私たち魔物の前に割り込む人間がいた。もめ事を避けたい店主は、それに気づかないふりをするのだ。乗合馬車で私たちが隣に座れば、席を立って降りていく人間がいた。彼らはそうして、私たちを汚いもののように扱うのだ。私たちは黙っているしかなかった。
けれど、そうした不公平はいつものことだった。その中に虐殺の兆しがあるとは思ってもいなかった。私は近所に住む人間の子どもと釣りにもいけば、街中で互いを追いかけまわして遊びもした。私も、私の家族も、おかしいのは一部の悪い人間だけだと、そう信じていた。
しかし、あの冬がきた。まず、店屋の格子窓が割られるようになった。魔物が営んでいる店でだけだ。隣り合う人間の店は無事だった。幾日かすると、私たちは道を歩けなくなった。魔物とみれば殴りつけ、半殺しにする男たちが街を徘徊するようになったからだ。
最後の一押しは、根も葉もない噂だった。隣村の魔物が人間の子を殺して食ったというのだ。人間の男たちが道端に集まって騒ぎ始めた。人食いの魔物がこの街に逃げ込み、匿われていると。彼らは棒きれや斧をもって、我々の家や店を打ち壊しはじめた。
人間に見つかれば、もう半殺しでは済まなかった。真っ先に殺されたのは女性と子どもだ。未来を担うのは女性と子どもだと、奴らも知っているのだ。
私は両親とともに集会所へ逃げ込み、そこで包囲された。広くもない集会所に、何十もの家族が集まっていた。私たちは扉の内側に机や棚を並べて抵抗したが、何十、何百という斧や鉈の前では大した役には立たなかった。
扉の攻防で、一度の襲撃ごとに何人もが斬られた。私の父は斧で殺された。殺したのは、私が毎日のように遊び、街を歩き、一緒に店番をしたこともある友達の父親だった」
話の陰惨さにも関わらず、弁明者の口調は穏やかだった。淡々とした語りは、事態の異様さを際立たせた。似たような経験をもつ魔物達は一様に渋面を作り、人間界を知らない世代も背に寒さを覚えた。
「奴らは壁や扉を打ち破って押し入ると、床に跪いて哀願する魔物たちを薙ぎ払っていった。首が斧で落とされると、笛のような音とともに血しぶきが天井まであがった。傷ついた魔物にとどめを刺す役の中には、七歳や十二歳の人間の男子までいた。
男たちに続いて入ってきたのは、その妻や妹や娘たちだ。女たちは死体からネックレスやブレスレットを奪った。血で汚れていなければ、靴や服まで剥いだ。奴らがなかなか私のところまで来なかったのは、死体を漁るのが忙しかったからだ。
私と母は部屋の隅でうずくまっていた。ついに男たちが近づいてきても、私は声を挙げることもできなかった。聞こえるのは母の祈りの声だけだった。私たちが抵抗しないのを見ると、人間の娘が母を引っ立てて、衣服を残らずはぎとった。母の一糸まとわぬ姿など、私はかつて見たことがなかった。そして男がたっぷりと時間をかけて母の腹を切り裂いた。母は苦しみながら『お父さん、お母さん』と何度も叫んでいた。
私は悪魔がこの世に実在することを知った。
母が死ぬと、男は私の左手を切り落とした。母の血だまりに倒れて気絶した私は、それきり忘れ去られた。それを幸運というべきかどうか、今でも分からないでいる――」
語り終えたビアデスは、落とした義手を取りあげ、無言のまま装着した。ギリギリという歯車とバネの音だけが議場に響いた。義手が正しく動くのを確認すると、ビアデスは話を締めくくることもなく席に戻った。無作法ともいえるやり方で、彼は風間に応答を求めたのだった。
議場を包む緊張感に背を押されるようにして風間は壇上にあがった。議場の内外から集中する視線は、無数の矢のように鋭い。
「ビアデス議員、あなたの見舞われた悲劇は慙愧に堪えません。しかし、と敢えて言わせてもらいます。しかし、あなたはご自身に起こったことを一般化し過ぎとるように思う。
わしもかつては、ヘルエスタの田舎街で暮らしとりました。そして赤い冬の時期、住み慣れた町にいられなくなりました。わしは吸血鬼で、時に羊や鳥の血を好みます。それが人の子を食うと噂になったんです。私は家族や仲間の魔物達を連れてこの世界に移り住みました。
しかし、です。その旅の途中、わしらは多くの人間たちに助けてもらいました。彼らは宿をかし、返せるあてのない路銀を渡し、パンを恵んでくれました。
議員諸君、市民諸君。軒を寄せ、隣する者への愛を忘れてはいかん。全ての人間を疑うのは行き過ぎやと思います」
風間が質疑者の壇を降りるのを待たず、ビアデスも弁明者のそれに登壇した。二人は同じ高さで向かい合った。ビアデスは先ほどまでと違い、高揚し、感情の起伏に満ちた声で論じた。
「隣人愛! それは素晴らしい。ここに告白しましょう。誰もが抱くべきそれを、私はどうしても信じることができない。隣に住む者が人間であるときには。
私は誰かにとって良き隣人でありたい。しかし、人間と魔物の間にそんなものはあり得ない。あるとすれば、それは見せかけに過ぎない。あの冬まで、私と家族は人間の隣人をなんの疑いもなく信じ、仲良く暮らしていました。しかし結局、彼らは私たち子どもを匿うことさえしなかったのです。
なかなか認める気にはならないが、あの時期に魔物を助けた人間もいた、それは確かです。でもそんな人間は少数派だ。私にとって彼らは殺戮者、それ以外の何者でもないのです。
あなたは私より幸運だったから、真実を半ばしか知らずに済んだという、それだけのことです」
言葉が切れたところで、風間が素早く応酬する。これが議会質疑であることを忘れたような口調で、彼は論敵に語り掛けた。
「人間を恐れても、憎んでも、何も解決はせん。二百年は、わしら魔物にとってすら短くない時間や。あの頃にわしらを追った人間なんて、もう一人だって生きてはおらんのやで」
「人間は私たちを区別しなかった。それなのに、私たちは彼らを区別しなければならないと? 私はもう二度と奴らには会いたくはない。その子孫にもです」
ビアデスは再び傍聴席に体を向けた。彼が説得を試みているのは、風間ではなく、議員たちでもなく、明らかに議場を囲む市民たちだった。大きな身振り手振りをまじえ、ビアデスは決定打を放った。
「しかし、聞いてほしい。諸君。復讐を望む気持ちは確かにあります。しかし、その衝動に身をゆだねたら、私は彼らと同じものになってしまう!
私はそれをこそ恐れるのです。人間たちにどう扱われようが、私たちは知性をもち、良心に従う生き物です。私の話を聞き、怒りを共にしてくれた諸君。その憎しみを永遠に忘れようではありませんか。
ゆえに提案します。転移門の破壊を。人間界との交わりを永久に絶ち、この世界に永遠の安全をもたらしましょう。皆さんの賛同をお願いします」
ビアデスが両手を掲げて締めくくると、議場の内外から怒号が巻き起こった。もはやこの議論に一言の反論も許さないと、そう意志を示すような叫びだった。傍聴席の市民たちは拳を突き上げて連呼した。
「賛成だ!」
「賛成だ!」
連呼は議場の議員たちからも起こった。
「採決を!」
「採決を!」
議場を揺るがす声に圧されて、風間は言葉を飲み込み、壇を降りた。議場にある自分の席に戻ると、彼は力なく座り込んだ。
「すまん。やられたわ。戌亥君、ひっくり返せると思うか?」
「ひっくり返す、これを……?」
市民たちの叫びは続いていた。
「門を壊せ!」
「閉ざせ!」
「安全を!」
中間派と目されていた議員たちも採決を求める連呼に加わっている。共存派の議員たちは一様に押し黙るか、俯くかであった。
「――とても無理や」
ここから誰が何を試みようが、結果は火を見るより明らかだと、戌亥には思えた。
「君でもあかんかな」
「私が?」
「分かったはずや。人を動かすのは物語や。そいつが何者であるのかの」
戌亥は挑むように風間を睨みつけた。
「家族を見世物にする気はないです」
「そないな話では――」
議長の木槌が連打された。
「静粛に、静粛に! お行儀よくなさい!」
やや静まった議席を見渡し、反対派から質疑に立つ者がいないのを認めると、議長はつづけた。
「議論は尽きたようです。これより採決に移ります。本議案に賛成の議員の起立を求めます」
断交派の議員が一斉に立ち上がる。中間派と目されていた議員たちもほとんどが起立した。風間に近しい議員も、幾人か起立した。ビアデスは最後に悠然として立った。
「多数と認めます。本特別委員会は人間界との断交に関する議案を可決し、明日の本会議に付託します」
議場は歓声で包まれた。
「戌亥君、わしはまだ諦めん。悪あがきを試してみるつもりや。でも結局は、君次第やと思う。いや、君たち、か。すまんが、考えてはみてくれ」
戌亥はかすかに頷いた。彼女はビアデスの演説から多くのヒントを得ていた。自分だけにできることを今や完全に理解したといってよかった。問題はそれをしたとき、自分を許せるかどうかだった。
壊せ、閉ざせと繰り返す連呼は果てもなく続いていた。石造りの議場が揺らぐかと思われるほどだった。
だから風間の声が届いたのは戌亥にだけであったろう。風間は何気ない風に椅子に背を預けながら、握りしめた拳には青筋が浮き出ていた。
「まだ本会議がある」
戌亥は答えられなかった。
(つづく)