市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C   作:芝三十郎

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3BK_IF、Page of Lambdaの二次創作。戌亥を主人公に描く地獄の政治劇シリーズ、第五話です。
あらすじ #5
地獄の魔物たちの議会は、人間界とつながる門を破壊する断交案を採決しようとしていた。
戌亥たち共存派の議員たちは、外交委員会の設置を求める議案を提出して逆転を狙う。
答弁に立った戌亥は、議場で歌う許可を議長に求める。


議会に響け! ケルベロスの歌声

 

 さしもの議長も当惑を隠せなかった。

 

「失礼、戌亥議員?」

 

 戌亥は平然と、礼儀正しく繰り返す。

 

「歌ってよろしいですか。ここで」

 

「甚だ異例な申し出です」

 

「ご質問にお答えするためです。私の答えを証明する一番のものは歌です」

 

 議長が答えに窮すると、議場の静けさが際立った。先ほどまで盛んにヤジを飛ばしていた断交派の議員たちも、気勢を削がれて聞き入っている。まもなく、議長はその責任を果たす方法を見出した。

 

「議場は質問し、回答し、議論をする場所であって、歌う場所ではありません――そうですね、議会運営委員長?」

 

 とは、他ならぬ風間である。吸血鬼は謹厳そのものといった態度で立ち上がって回答した。

 

「全く、困ったことです。議場で歌やなんて、とんでもないことや。明確に禁止する規則を設けようと思います――次の委員会で」

 

 議場から幾つもの失笑が漏れた。空気を変え、異例の決心に伴う責任を幾分か軽くできたと感じて、議長はついに戌亥に告げた。渋々という口調だったが、頭部の白蛇たちは好奇の目で戌亥を見つめていた。

 

「わかりました。戌亥議員」

 

「はい」

 

「今回限りですよ」

 

「ありがとうございます」

 

 戌亥は丁寧に一礼し、顔をあげると、議場を見渡した。断交派の議員たちもあまりの展開に彼女を注視するばかりだった。風間の手品はここまで。後はこの場、この空気を彼女が生かせるかどうかである。

 

 日頃は朗らかに演説する戌亥だが、いまは静かな口調で語りだした。歌手としての修練の成果で、そのような口調でも彼女の声は明瞭に通る。

 

「この歌は、私が幼いころに人間から教わったものです。当時、私は転移門の門番を務めとりました。

 

 彼は人間界から門を越えてやってきました。愚かな男でした。我々のハッタリを真に受けて、ここが本当に死後と世界だと信じていたのです」

 

 地獄、という名称を人間界に広めたのは、要するに魔物達のこけおどしだった。

 

「男がやってきた目的は、病で亡くした妻に再会するためでした。自分の思い違いに気づいて、男は絶望しました。もうどこへ行く気力も無くした彼を、私は気まぐれに助けました。

 

 ともに過ごすうち、彼は歌を聞かせてくれました。この歌は、彼が亡くした妻を想って作った歌です。私はその頃、母を亡くしたばかりでした――」

 

 色違いの双眸に憂いがあらわれた。彼女の左目は赤、右の目は琥珀色。赤目は人狼族の証だ。琥珀の目も俗に『狼の目』と呼ばれるが、それは人族が稀にもつ瞳である。

 

「私は生まれる前に死んだ父と、育ててくれた母を想います。議員の皆さん、市民の皆さんにも、もう会えない大切な誰かがいるはずです。その方を想い浮かべて聞いてください。そうすれば、あの人間の心が伝わります。人族とは分かり合えないとお考えの方にも――」

 

 戌亥は両腕を柔らかく広げて歌いだした。それは緩やかなアリアだった。

 

 

 

  川のせせらぎ 風のさざめき

  太陽はうららかに照る

  物はみな幸い 私は一人嘆く

  妻はもういないのだ

 

  エウリディーチェ エウリディーチェ

  愛しい君なくして どこに行けばよいのか

  亡き魂よ 今はいずこに

  呼ぶ声は 風に消されて

 

 

 

 戌亥の声量は議場の隅々まで響き、聞く者の内心にも届いた。議員たちも、傍聴の市民も、いままでの議論を忘れて、亡くした肉親、恋人や友人の面影だけを思った。繰り返す戌亥の歌は、亡くした家族を呼ぶ彼ら彼女ら自身の声であった。歌はさらに情感を深くし、繰り返した。

 

 

 

  優しき声 愛のまなざし

  それだけが私の幸せ

  森に問いて 谷に尋ねても

  応える声はもうない

 

  君なき夜が明けて また時は過ぎゆく

  恋しき影を追い 冥府にまでゆけたら

  門の狼に乞い レエテの川を越えて

  絶え間なく 君を呼ぼう

 

  エウリディーチェ エウリディーチェ

  愛しい君なくして いかに生きればよいのか

  応えておくれ 今はいずこに

  呼ぶ声は 風に消されて

 

 

 

 戌亥が歌い終えたとき、議場の内外は声もなかった。未だ歌声の余韻が満ちているようだった。

 

 聞こえるのは、数限りない啜り泣きだけである。妻を亡くした夫、夫を亡くした妻たちは顔を覆っていた。親を亡くした子、子を亡くした親たちも涙を抑えかねた。まだ別れを知らない若者たちすら、近しい者達の貴重さを思い、その瞳を潤ませた。

 

 演壇に登ったままのビアデスに涙はなかった。しかし彼ですら、演台に手をついて体を支え、何かに耐えているようだった。

 

 戌亥は息を整えつつ、静まり返った議場と傍聴席を見回した。そして全員に語り聞かせるように話し始めた。

 

「ビアデス議員の悲しみは私たちの悲しみです。大切な人を失う哀しみは誰しも同じです。そして人間たちにも同じ気持ちがあります。この一点において、魔物と人間の間には違いはないのです。

 

 人族は我らを魔物と呼び、別の生き物、劣ったものとして扱ってきました。でも永遠に分かり合えないと決めつけるには、二千年でも早すぎると思います」

 

 戌亥は議場の空気をほとんど支配しているようだった。彼女は思い返した。人を動かすのは物語だと風間は言った。ビアデスがそれを証明してみせた。だから対する彼女が語るべきことは一つ。自分が誰であるのか(Who I am)だ。

 

「議員諸君、市民諸君。

 

 皆さんの中には、人間界で生まれ、この世界に逃れてきた方もいらっしゃると承知しています。人間界からやってきた人族の商人や旅人を見た方もいるでしょう。

 

 でも、門を逆に越えて人間界を訪れたことのある方は? ほとんどいないのではないでしょうか」

 

 戌亥の意外な問いに、聴衆は互いの顔を見合わせた。安全で快適で、物産に不足がない新世界を離れる理由など、魔物達にはない。まして人間界は恐ろしい場所だと、そればかり聞いて育ったのだから。

 

「私にはあります。もっと多く人間の歌を聞き、集めるためです。耳と尾をフードで隠し、人間の街や村を密かに訪れました。宿屋のそばで、酒場の前で、あるいは祭りの広場で。新世界とはまるで違う音を学びました。

 

 私が歌い、いささかの人気を頂いた歌には、その学びが色濃く生かされています。だから、私はとっくに証明してきたつもりです。種が違っても通じる想いがあると」

 

 議場の支配を取り返そうと、ビアデスはついに声を挙げた。日ごろの冷静をいささか失っているようであった。

 

「待ってください。あまりにも希望的過ぎる。個人の感情と種族の問題は違う! その温かい心を持つ人間が、子どもさえ殺すんだぞ」

 

 戌亥は内心で、自分の覚悟に変わりがないことを確認した。ビアデスが失った家族の物語を武器にするならば、その反対のもので対抗するほかない。

 

「その通りです。そしてビアデス議員、あなたもそれに加担しようとしている」

 

「なに…?」

 

「私が人間界で得たのは音楽だけではありません。血のつながはない家族も得ました。二人の妹です。人狼と男と、人間の女の間に生まれた、半獣人の双子です。

 

 人族は女を奪われるのに敏感です。魔物と子を成した女は普通、赤子とともに村を追われるか、母子ともに殺されます。彼女らの母親は、赤子たちを人買いに売って、全て秘密にする方を選びました。

 

 その後、幼い彼女たちがどこにいたか、説明するつもりはありません。とにかく私は彼女たちを助け出し、連れ帰りって、妹として育てることにしました。親のない半人狼の女が三人。それから私たちは三頭狼(ケルベロス)ケルベロスを名乗っています」

 

 戌亥がこの話を他者にするのは初めてだった。事情を知っているのは、母の生前から何かと面倒を見てくれていた風間だけだった。

 

「議員諸君、市民諸君。

 

 人間界と交流を続けることで、私たちは二つのものを手にします。一つは技術や音楽、いつかは心まで取り交わせるかもしれないという希望です。

 

 二つ目は、いまも人間界に暮らす同胞たちに移住場所ディアスポラを残しておけることです。門を閉ざせば私たちは安全でしょう。しかし人間界で暮らす多くの魔物達はどうなりますか。また新たな迫害が起こったらどうなりますか。

 

 そうです。ビアデス議員の主張は全く矛盾している! 自分は安全なこの世界に移ってきたのに、いま人間界にいる同胞からはその道を奪えというのです。断交は同胞を見捨てることです。過去を繰り返さないため、必要なのは外交の方です。

 

 まずは今の人族を知ることから始めましょう。正しい判断には正しい情報が必要です。情報を集め、交流を深めれば、新たな迫害を防ぐことや、万一のときに同胞を保護する道だって開けるかもしれません。

 

 これが責任ある選択です。皆さんの賛同をお願いします。外交委員会の設立を!」

 

 急速に熱を増した議場の空気を感じ、風間が議席から立ち上がった。その勢いのままに拳を掲げ、声を張り上げる。

 

「採決を!」

 

 近しい議員たちも次々に立ち上がり、声の限りに和した。同じ連呼は傍聴席からも起こった。

 

「採決を!」

「採決を!」

 

 議長が木槌を連打しても連呼はやまなかった。

 

「静粛に、静粛に! まだ討論は果てておりませんよ。ビアデス議員」

 

 湧き上がる議場を鎮めたのは、連呼の中でもよく通るビアデスの返答だった。

 

「いや、討論は終わりです。議長」

 

 議長の頭部で白蛇たちが一斉に鬼を睨んだ。

 

「反論はないのですか?」

 

「ありません。私は戌亥議員の意見に、基本的には賛成いたします」

 

 議場の誰もが息をのみ、耳を疑った。戌亥は当然のこと、風間ですら驚愕していた。ビアデス一人が平然として、議場を見渡して語りだした。

 

「議員諸君、以前に述べた通り、私は感情ではなく理性に従っていたい。自分の感情よりも、公と同胞への義務に忠実でいたい。

 

 人間界の同胞を見捨てることは信義に反するし、それほどの決断には情報が不足していると認める。私の提案に賛同してくれた諸君には、突拍子もない裏切りに思えるかもしれない。

 

 しかし、道理に適った意見を聞いて考えを改めるのが不誠実だとは、私は思わない。食言、変節と言われ、いくら恥をかいても、議員としてはむしろ誠実な在り方だと信じている」

 

 戌亥は瞠目した。ビアデスの翻意が本心からのものか、不利を悟った撤退かは分からない。しかし議場の様子を見る限り、平然と意見を変えておきながら、彼は敬意すら勝ち得つつあるようだった。

 

「ただし、一つだけ提案したい。外交委員会案に、一つの附帯決議を加えることを求めます。調査を行い、十分な情報が得られたと委員会が判断したときは、断交案を改めて審議すべきである、と。それを条件として、私は委員会の新設に賛成するでしょう」

 

 ビアデスは議長に礼をすると、壇を降りて自分の席に向かった。彼が着席するのを待たず、その背に向けて議長は言葉をかけた。ビアデスの態度は彼女にも小さからぬ感銘を与えたようだった。

 

「ビアデス議員の勇気に敬意を表します。細部の文言は置いて、まずは附帯決議の趣旨について賛否の討論を求めます。発言のある方はいますか?」

 

 議席で挙手しながら風間が叫んだ。周囲の議員たちも次々に挙手しつつ声を挙げた。

 

「議長。無論のこと、わしは賛成や」

「賛成!」

「賛成だ!」

 

 議長が頷いて、目を議場の反対側に転じると、断交派の議員たちからも相次いで同じ声が発せられた。議長はもはや木槌を使う必要を認めず、言葉を続けた。

 

「わかりました。論ずるべき問題は尽きたようです。附帯決議を伴ったうえで、外交委員会を新設する議案の採決に移ります。賛成の議員の起立を求めます」

 

 議員の圧倒的多数が議席から立ち上がった。物理的な席をもたない水棲の魔物たちは、尾やヒレをプールから出し、激しく振って賛意を示した。

 

「多数と認めます。賛成多数により、本議案は可決されました。断交案は本日のところは廃案とみなします。議案の提案者は案文の字句を整えて清書し、所定の期日までに……」

 

 歌でも戦いでもほとんど疲れを知らないケルベロスの娘は、今だけは力尽きた気分で席に腰を下ろした。隣から話しかけてきたのは、もちろん風間である。

 

「ほれみい。わしの言うたこと、大当たりやったろう」

 

「まぐれ当たりです」

 

 戌亥が疲労と多少の不満を込めた声で言うと、風間はいたずら坊主のような顔で握った手を突き出した。

 

「せやろか?」

 

 男が手を開くと、二本のコヨリがあった。どちらの先端も赤だった。戌亥は思わず吹き出した。怒る振りくらいはすればよかったと後悔した。悪態をついても、口元の緩みは隠せなかった。 この吸血鬼、本当は人でも食べるのじゃないかしらん。少なくとも、人族の慣用句にいう『人を食った奴』とは、この男のことに違いないと、戌亥は思った。

 

「これだよ。政治家なんてみんな嘘つきや」

 

 吸血鬼はいかにも愉快そうに笑った。

 

「違いないわ。ホンマ、ようやってくれたなあ」

 

「この親父、いつかぶっとばすで、本当に」

 

 風間はなぜか珍しく落ち着きをなくし、あちこちに顔を向けた。しかし戌亥はもう議場の反対側に目を転じていたので、風間の挙動には気づかなかった。

 

 彼女は、周囲と何事かを喋っているビアデスを見た。その堂々とした態度は、何かを諦めたようにはまるで見えない。それに彼女自身、彼の言葉に含まれる幾分かの真実まで否定したつもりはなかった。

 

<個人の感情と、種族の問題は違う…。

 

自分の感情より、公への義務を…>

 

 鬼の言葉は獣人の心に反響し、勝利の実感に影を落としていた。自分は本当に正しいのかという疑問が、密かな病のように心に住み着いていた。

 

 表情を変えたつもりはなかったが、何もかも見通しているらしい風間は労わるように言った。

 

「どんだけ迷っても、大正解なんてどうせ見つかりゃせんのや。大事なんは、それを探すこと自体やと、わしは思う。

 

 例えば、や。あんたが外交委員に推されるのは放っといても間違いないとして――もしそのつもりがあれば」

 

 戌亥は表情を明るくし、迷いなく答えた。

 

「行きます。自分の目で答えを探したい」

 

「よっしゃ、よっしゃ。なに、根回しなら得意なんや」

 

 風間は約束を守った。戌亥には理解できない奇怪な交渉の後に、意外なところからも賛同者が出た。紆余曲折の末、発足した外交委員会の長となったビアデスである。

 

 ビアデス委員長は戌亥委員に特命調査官を兼任させ、人間界へ送った。魔物と人族、その未来を見つけ出すために。

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

筆者注:

 作中の歌は、オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」のアリア「エウリディーチェを失って」をモデルとしています。歌詞は「鴎外全集 第6巻」(大正十五年、鴎外全集刊行会)収録の森鴎外訳及びその未定稿を現代語に改め、同作の複数の楽曲を再構成しました。

 

 素晴らしい原曲「エウリディーチェを失って」は、日声協オペラ対訳プロジェクト(いずれもyoutubeチャンネル)で聞くことができます。

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