市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C   作:芝三十郎

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3BK_IF、Page of Lambdaの二次創作。
ヘルエスタの皇女リゼと錬金術師アンジュの二人は、家畜窃盗事件を調査中に、獣人の戌亥とこに助けられた。戌亥も同じ事件を追っているらしいが、なぜか話がかみ合わず…


焚火を囲んで。ヘルエスタの冷たい現実

 すっかり日が落ちた樹海で、川岸に岩場に燃える焚火と、そのまわりに座る三人の姿だけが浮かび上がっている。

 

 串に刺した川魚が焚火に炙られ、チリチリと音を立てている。串を手に魚を焼いているのは戌亥とリゼである。脂が焼ける匂いが川岸に広がる。アンジュは二人に背を向け、小さな舟形の鉄臼に車輪のようなものを擦り付けて何かを磨り潰している。

 

 リゼは焚火の方を見ながら、隣りあって座る戌井に話しかけている。

 

「ねえ。あなたは私に普通に話してくれるのね?」

 

 戌亥の頭の上で、狼のような耳がピクリと動く。獣人の女は、何の話かと少し考えてから答えた。

 

「ああ、敬語っていうやつか。お姫様に失礼やったね。ええっと…」

 

 戌亥は眉をしかめて言葉を探しそうとする。敬語はヘルエスタ王国の建国後に発達したものだが、それ以前に枝分かれした言語である地獄語では敬語にあたる語彙や語法が乏しい。

 

「ううん! いいの、そのままがいい!」

 

「そりゃ助かる。地獄には王様とかおらんから口馴染みがないんや。本当にお姫様やって聞いた時はびっくりしたけど――」

 

 戌亥はリゼを第二皇女とは知らずに助けたのだった。可能なら人族の国の要人に接触しろ、というのは彼女が帯びた調査官としての任務の一つだったが、皇女がろくな護衛もなしに樹海をさまよっているとは思いもよらなかった。

 

 よほど変わった子どもなのかとも思ったが、釣った魚を串にさしながらの短い会話だけで、戌亥は皇女の聡明さに舌を巻いていた。

 

「お姫様も、気にせんのやな。あたしが魔物でも」

 

「もちろん! ヘルエスタは魔物に寛容な国だからね。私たち人族も、あなたたち魔物も、みんなおんなじよ。仕事や住む場所だって自由になったんだよ」

 

「ふうん、難しいことをよく知ってるなあ」

 

 戌亥は妙に気のない相槌をうつ。それに気づかないのか、リゼは誇らしげに言葉を続ける。

 

「人も魔物も一緒に仲良く暮らせる国なんだ」

 

 国と父親のことを話すとき、この皇女は頬を紅潮させ、いかにも誇らしげだった。

 

 生まれて身分の上下を分けるなど愚かな習慣だと見做している戌亥だが、少なくともこの娘は貴い生まれの義務に応えようと懸命に努めているようだと思った。先ほど見せた剣技の冴えも尋常ではない。

 

 それだけに皇女の誤りを指摘するのは気が進まず、戌亥は話題を変えた。

 

「そろそろ食べられると思うで。お姫様のお口に合うかは分からんけど」

 

 戌亥は串に刺した川魚を口に運んで食べて見せた。野外でこのようなものを食べるなど、深窓の姫君には未知の体験だろうと思ったのだ。

 

 ところがリゼは嬉しそうに魚を頬張った。

 

「おいしい! カエルよりずっといいね」

 

「カエル?」

 

 戌亥は魚どころか棒でも飲み込んだような顔になる。

 

「近衛隊の訓練で食べたの。何十里も寝ないで行軍するときに、その辺で捕まえて」

 

「そ、そう――」

 

 人間社会について、自分はもっと勉強が必要らしいと戌亥は思った。物語に出てくるお姫様と本物はずいぶん違うようだと、しきりと頷いている。

 

 普通のお姫様はゲテモノを食べないし、兵士と一緒に剣の訓練を受けたりしないのだと戌亥が知るのは、ずいぶん後になってからのことだ。

 

 獣人の女がすっかり感心しているのに気づきもせず、リゼは魚を味わいながら、もう片手に握った木の枝で焚火をつつく。

 

「お芋も焼けたと思うよ」

 

 皇女は黒くみえる丸いかたまりを枝で転がし、焚火から取り出す。あたりに生えていた木の葉で包んだ芋である。リゼは何度か転がして冷ましてから、芋を戌亥に渡した。

 

 獣人の女が包みの葉をめくると、湯気とともによくほぐれた白い芋が見えた。

 

「地獄では見たことないな。これ、何の芋?」

 

「ジャガイモっていうの。異国のお芋で、栄養満点だ、育てやすいんだって」

 

 息を吹きかけて冷ましつつ、戌亥が口をつけると、好ましい食感と香りが口に満ちた。

 

「お、おいしい…! ほくほくや。ヘルエスタではこんなのが食べれるんか」

 

「でしょう! 普通のお芋はもっと別のものなんだけどね。これはアンジュの学院でだけ作ってるんだって」

 

 背を向けて作業していたアンジュが振り返り、ジャガイモにかじりつく戌亥に言った。

 

「そのうち、どこでも食べられるようになりますよ。来年には種芋を配り始めるそうですから」

 

 錬金術師は磨り潰した何かを舟形の鉄鉢から取り出し、指先で手早く練ると、出来上がった二粒の丸薬を手の平に乗せて示した。

 

「こっちもできました。これで夜目が利くようになります。本当は煎じ薬にした方がいいんですけど、この方が効きはいいはずです。私が先に飲みますから」

 

 錬金術師から水筒とともに出来立ての丸薬を手渡されると、皇女は即座に口に入れた。胃まで吐き出しそうなほど苦かったが、我慢して飲み降す。アンジュも慌てて飲んだ。

 

 たちまち皇女と錬金術師の視界が晴れわたる。月と星の明かりだけで、揺れる木の葉の一枚一枚までありありと見えるようになった。皇女は驚きの声をあげた。

 

「すごい! これなら松明なんていらない。こんな凄いもの、ぱぱっと作れちゃうんだね」

 

「材料がちょうどそろってましたからね。ミツバハナの葉に銀龍草に」

 

「昼間に集めてたやつ? さっすがアンジュ」

 

 戌亥もアンジュの技術に感嘆し「たいしたもんや」と言った。アンジュは少しはにかみながら言った。

 

「必要になるかもと思って。これで夜中でも森を歩けます。早く戻りましょう」

 

 撤収の提案に、リゼは気色ばんだ。

 

「やだ! 兵たちにも父上にも顔向けできないよ」

 

「また襲われたらどうするんです」

 

「また犯人が民の家を襲ったらどうするの。今度は家畜だけじゃ済まないかも」

 

 もうジャガイモを食べ終えた戌亥は、包みの葉を何となく畳みながら口を挟んだ。リゼとアンジュが相手ならば、自分が持っている情報を明かしてもよいと思えた。

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「やっぱりお姫様たちも犯人を追っかけとるんか」

 

「戌亥さんも?」

 

「そうや。あたしは色んな事件現場に同じ臭いがあるのに気付いて、それを追ってきたんや」

 

 アンジュが表情を硬くして尋ねる。

 

「臭い?」

 

「人間には分からんかもしれんけど、甘ったるい奴がな」

 

 リゼが勢い込んで言った。

 

「さっきの狼!」

 

 戌亥は我が意を得たりと頷く。

 

「あいつも同じ臭いがした。同じ事件に関わってると思うんや」

 

 リゼが目を輝かせる。

 

「あの狼、じゃない、魔狼(ルーガ―)が犯人だっていうのね」

 

 頷こうとして、戌亥は小首をかしげた。

 

「犯人?」

 

「違うの?」

 

 リゼと戌亥はしばし見つめ合う。アンジュはそれを見ているのかいないのか、何事かを考え込んでいる。先に口を開いたのは戌亥だった。

 

「いや、襲われたお姫様からしたらそうなんやろうけど――事件の犯人は別におると思うよ。あんな、ろくに喋れもせんのに、うまくやれるって思えないでしょ」

 

 リゼは先ほどの魔物の様子を思い出す。言葉が支離滅裂な上、発音がうまくできないようだった。しかし今一つ納得できない彼女は、形の良いアゴに手をやりながら言った。

 

「確かに喋り方、赤ちゃんみたいだったけど。それって関係あるかなあ」

 

 それを聞いた戌亥は、さらに困惑を深めた。

 

「待った、お姫様、あんた何の事件の犯人を捜しとるって?」

 

「家畜が盗まれたり、襲われたりしてる事件だけど…待って、戌亥さんが追ってるのは別の事件なの?」

 

 戌亥は額を抑えた。眉間に皺がよる。獣の耳は右に左にパタパタと角度を変えた。どうしたものか、とつぶやいているようだった。ようやく彼女は答えた。

 

「あたしが追ってるのは、この辺の魔物たちに何かが出回って、次々におかしくされてる件や」

 

 リゼは目を丸くして聞き返す。

 

「魔物たちが? この辺りの村で魔物の喧嘩とか泥棒とか多いって聞いてるけど。おかしくなってる、いや、おかしくされてるって?」

 

「あれだけ兵隊が動いとって、本当に掴んどらんのか――」

 

 戌亥は軽く溜息をついた。彼女はこの幼い姫君を傷つけないようにと、言葉を選びながら続けた。

 

「事件を起こす魔物が増えとるのは本当や。どんどん衛兵に捕まっとる。あたしはその家族やら知り合いやらに聞き込んだんやけどな。捕まった連中、しばらく前から様子がおかしかったらしい。周りの魔物や人が化物に変わったとか、自分を殺そうとしてきたとかいう、幻覚に襲われとったようやと」

 

「幻……何かの病気?」

 

 リゼは初めて聞く情報に茫然とした。戌亥はさらに続ける。

 

「それと急に金遣いが荒くなっとったと。売れるもんは商売道具や家まで売り払って、素寒貧になってな」

 

 アンジュは黙ったまま深刻な表情で聞き入っている。今一つ状況を飲み込めていないリゼは、思いつくままに尋ねた。

 

「そんなお金を何に?」

 

 戌亥は顔を横に振り、見当もつかない、と動作と表情で示した。

 

「家族や友達がわけを聞こうとしても、いきなり怒鳴り散らしたり、そうかと思うとぼーっとして何も答えなくなったりで、性格が変わったみたいやったと。暴れたり盗んだりしたんは、そうやっておかしくなった連中や」

 

 リゼはほとんど愕然としている。

 

 これまで黙っていたアンジュが要領よくまとめた。

 

「この辺の治安が悪くなってるって話と、殿下――いや、私たちが追ってる禁猟破りや家畜泥棒は同じ事件だったってことですね。魔物たちが次々におかしくなってるのが全部の原因で、私たちを襲ったあの魔狼(ルーガ―)も多分そうだと。人間は誰も、魔物とまともに話してないから知らなかっただけで」

 

 戌亥は首肯した。

 

「そういうことや」

 

 リゼは茫然として呟く。

 

「そんな話、聞いてない…。この辺りの領主の衛兵たちにも、近衛兵たちにも」

 

 戌亥はリゼから顔をそむけ、空を見上げた。まもなく月が昇るだろう。星々はもう輝いている。しかし、彼女が育った地獄で見る星空とはまるで違う。見知った星座を探すこともできない。二つの世界は何もかも違いすぎる。

 

焚火がパチリと音を立てた。意を決し、戌亥は話を再開した。

 

「――それはな、お姫様。その中の誰一人、魔物への聞き取りなんてしとらんからや」

 

 薄々は予期していた答えに、皇女は息をのんだが、何とかそれを否定しようとした。

 

「でも、魔物の領民たちが衛兵に訴えてくれたら」

 

「普通、そんなことはせんよ。魔物同士のいざこざは相手にしてもらえんし、人族とのいさかいやったら、自分たちが悪者にされるは目に見えとる」

 

「衛兵は捕まえた魔物から話を聞いたはずでしょう」

 

「暴れたり、盗んだりした魔物や。余計、まともには扱われんよ。

 

 お姫様、確かにこの国じゃ、魔物と人が同じ街や村で暮らしとる。寛容令とかいう法律のおかげや。

 

 魔物が人族の店に入っても、嫌な顔をされるだけで、断られることはまずない。でも、売り買いのやりとり以外で人族から話しかけられることもないで。

 

 道端で魔物が殴り合いをしようが、叫び声をあげていようが、日がな寝転んどろうが、人族は避けて通るだけや。関わり合いにならんように見えんふり、聞こえんふりをしてな。

 

 魔物は人族の街におるけど、おらん。透明な存在なんよ。日頃がそうやから、あんたの兵隊さんも魔物に話を聞こうなんて思いつきもせんかった――そういうことや」

 

 少女はようやく事実を受け入れるつもりになった。しかし納得はできないというように、頭をふりながら、なおも言った。

 

「みんな父上の命令を聞いていないの? 人も魔物も仲良くした方がいいなんて、そんなの当たり前なのに」

 

「そういう問題じゃ――いや。ごめんな。お姫様や王様を責めとるわけじゃないんや」

 

 戌亥はようやく、この少女の年齢を思い出した。幼く見える人族の皇女は、本当に幼いのだ。そこらの兵士より剣の腕が立ち、異常な程に大人びたことを喋ってはいても。数百年を生きて子ども姿のままでいる、妖精族系の魔物とは違う。

 

「話を広げ過ぎたわ。とにかく、その――有り金をはたいて買っとる何かが原因やと思う。それで、あたしはおかしくなった連中が住んどった家や部屋を片端から探ってみたんよ。見つかったんは――」

 

 戌亥は自分のローブの内ポケットを探り、布にくるまれた何かを取り出した。リゼとアンジュの目の前で慎重に布をめくり、中身が見えるようにする。

 

 緑色の小さな塊だ。腐敗臭がリゼたちの鼻をついたが、奇妙に甘い匂いもあった。

 

「これだけや。吐き捨てられたみたいにいくつも落ち取った。腐ってて、何なのかよくは分からん。でも、家畜が盗まれたっていう現場にもおんなじ臭いがあった。

 

 それを辿ってここまで来たんやけど、この森で追えなくなった。どこも苔の臭いでいっぱいやし、朝霧が出るから。この広さじゃ、あてもなく探しても無駄や。やから――」

 

 戌亥は言いづらそうに目を伏せた。アンジュが引きつった顔で立ち上がり、言葉の後を続けた。

 

「誘い出すつもりだった。いまも、こうやって! 冗談じゃない、早く逃げないと――」

 

「一緒におれば守ってあげられる」

 

 錬金術師は常にないほど腹を立てていた。原因は自分が危険に晒されていることではない。

 

「殿下を巻き込むなんて!」

 

 リゼは戌亥の意図が分かっても平静だったが、初めて見たアンジュの怒りには動揺した。リゼにとっては、全ては戦いとは縁遠い錬金術師を巻き込んだ自分の責任だった。

 

「やめて、アンジュ。狙われたのは私達だもの。私は何にも知らないで、思いあがってた。勇者みたいにみんなを守れる人になろうとして、たった一人も守れないところだった」

 

 錬金術師の顔が曇る。皇女に守られる平民であることよりも、自分よりずっと小さな女の子に守られていることが彼女には辛かった。戦闘に使える錬金術を野蛮と軽蔑してきたことを彼女は初めて悔いた。学院の首席で、才女だ、天才だと褒められ、自分でもそう自負してきたことが情けなかった。

 

 その時、戌亥が腰をあげた。皇女と錬金術師はつられて獣人の女の顔を見た。赤と琥珀色の目は、川向こうの暗闇を睨みつけた。

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「来たな。お前にやる御飯はないぞ」

 

 水を渡る足音が闇の中に聞こえ、二つの赤い瞳がうっすらと見え始めた。

 

「昼間の奴――」

 

 アンジュが狼狽して立ち上がる。リゼはいつのまにか剣を抜いており、もう構えをとっている。

 

 戌亥は何の構えもとらずに悠然と立ったまま言った。

 

「また来ると思った。今夜はよく晴れとる――」

 

 [魔狼(ルーガ―)は川の半ばで止まり、上を見上げた。皓皓たる月がある。赤い瞳に月を映すと、獣の身体を激しく震わせ始めた。

 

アア、と聞こえる音で短く吠える。

 

 途端、狼の胴から骨が折れるような音が響いた。毛皮の体躯が形をかえながらむくむくと大型化した。その間も、骨がきしみ、皮が伸び、筋が組みかわる異様な重奏が響く。

 

 アンジュはたじろぎ、リゼの背にもおぞ気が走る。平然としているのは戌亥だけだ。

 

 音がやんだ時、狼は二本足でやや前傾に立つ人型に変形していた。頭部は狼そのままの形だが、体躯は大きく伸びて三人を見下ろしている。毛皮に覆われた分厚い筋肉は戦士のそれ。物語にいう狼男のような姿だった。

 

「化け物――」

 

 青ざめたリゼが呟いたその言葉を、戌亥の鋭敏な耳は聞き逃さなかった。戦いを前にして、心に重しがついたように感じた。

 

 アンジュは震えあがっていた。学び得た知識が危険を告げている。しかし彼女は同時に、初めて目にする貴重な現象に喜悦を感じてもいる。恐怖と興奮がないまぜになった感情のまま、錬金術師は早口で喋った。

 

「獣化現象だ! 変身した魔物は何倍も強くなる。人間の力なんかじゃ――」

 

 そこまで聞き取ると、皇女は気合の声とともに狼男に向けて駆けだした。

 

「お姫様!?」

「殿下!?」

 

 二人の止める声を背に、皇女は突進する。恐るべき敵なら、なおさら先制せねばならないと、少女は既に戦士だった。

 

 皇女は勢いのままに切り下ろすと見せて、魔狼(ルーガ―)の間合いの直前で体を低くした。迎え撃とうとした狼の腕は空をきる。皇女は低い姿勢のまま、膝に横薙ぎの一撃をくらわせた。

 

 巨躯の魔物ども、間接は弱点に違いない。魔物は痛みの叫びをあげて崩れ落ちる。

 

 皇女の勢いは止まらない。魔物の背後にまわるや、上段に構えなおした剣を狼の形の後頭部に叩きつける。鉄と鉄をぶつけたような鈍い音が響いた。

 

 いかなる戦士でも即死したに違いない。もしも人間であれば。

 

 しかし魔狼(ルーガ―)は痛みと怒りの叫び上げただけで、ほとんど即座に振り返ると両腕を振り回して皇女を襲う。

 

 人狼は怒りにまかせて皇女に殺到しており、錬金術師には完全に背をむける格好だ。

 

 「アンジュ!」

 

 叫んだ意図は明白だった。攻撃を。錬金術を。倒せずとも魔物の気をそらす一撃さえあれば、リゼは決着をつけるつもりだった。皇女は敵の攻撃を剣でそらしつつ、心臓があるはずの敵の胸部を見据えている。

 

 必要なのは一瞬の隙のみ。しかし、それは与えられない。

 

 アンジュは顔色を無くし、ただ息を荒くして突っ立っているだけだった。震える手で握るオーブはまだ蓄えた力を残しているが、術者が構成を与えない限り、何も起こらない。

 

 リゼの声に反応したのは戌亥だった。皇女に殺到しようとする魔狼(ルーガ―)に後ろから足払いをかけ、転倒させる。自分は跳躍して立ち上がり、戌亥はリゼのそばに着地する。身にまとったローブがたなびく。

 

「ずいぶん強いお姫様やな。でも殺したら困る。大事な証人や」

 

 リゼは、しまった、という顔をした。彼女一人でも敵を倒せるかもしれないが、生かして捕らえる自信はなかった。

 

 戌亥は起き上がりつつある魔狼(ルーガ―)に話しかけた。

 

「おい、お前。私の言ってることが分かるか?」

 

 何がおかしいのか、狼はへらへらとした表情で答えた。人型になっても、相変わらず呂律がまかっていない。

 

「へへ。わきゃる、わきゃらない――」

 

「ああ?」

 

「にきゅ。柔らきゃい」

 

「肉やと。まだ分からねえのか。あたしには勝てんぞ!」

 

 戌亥は魔物にぶつかるほどの勢いで駆け寄り、勢いのままに跳び蹴り見舞う。

 

 たじろぎながら殴り返してきた爪をかわし、さらに膝蹴りを放つ。

 

 小柄な戌亥の連打が巨躯の魔物をたちまち圧倒した。

 

 痛みに屈みこんだ魔狼(ルーガ―)の懐に入り込むと、その顎を掌底で打ち上げる。巨躯が浮き上がるほどの打撃を頭部に受け、魔狼(ルーガ―)は仰向けに倒れて動かなくなった。

 

 リゼは畏怖を覚えた。合理的な動き、実戦でも平常心を保つ精神力。この獣人の女の強さは、持って生まれた強靭な体躯だけでなく、それを活かす心身の技術の結果だと、皇女は短い戦闘で見抜いていた。

 

 気を失ったらしい魔狼(ルーガ―)に向け、油断なく戌亥はすり足で近づいた。その彼女の不意を打ったのはアンジュだった。

 

 錬金術師は仰向けに倒れた狼男にむかって突進し、飛びつくように傍にしゃがんだ。大きな狼の口を両手でこじ開けると、自分の顔を突っ込む。

 

 リゼと戌亥は数瞬の間、あっけにとられた。狼男の顎にかくれ、左右に揺れるアンジュの頭部が見える。

 

我にかえった二人は慌ててとびかかり、アンジュを左右から掴んで引きはがす。

 

「何してるの!」

「起きたらどうするんや!」

 

 左右から怒鳴った声を、アンジュには全く聞いていないようだった。

 

 錬金術師は自分の頬についた狼男の唾液を右手でぬぐい、その匂いを嗅ぐ。そして切迫と確信に満ちた声で言った。

 

酔心花(ダジュラ)だ。間違いない」

 

 言われた二人がその意味を理解する暇も与えず、アンジュは早口でまくしたてた。

 

「精神をおかしくする草だ。朝顔に似てるけど、根から葉っぱまで全部に毒がある。食べると猛烈な快感があって、精神がおかしくなる。うまく喋れなくなったり、幻覚をみたり、凶暴になったり。この辺の魔物達がおかしくなったのはその症状だったんだ」

 

「吐き捨ててあった草か。間違いないんか?」

 

「症状も一致してるし、匂いが特徴なんだ。腐った桃みたいな甘ったるい匂い。こいつの口の中もそうだった。やっぱり、魔物をおかしくしてる黒幕が誰かいるんだ」

 

戌亥は思わず鼻を抑えた。そして周囲の臭気を探る。倒れた狼男の足首になぜか縄が巻かれており、その辺りに強い匂いがある。

 

「それであんなことを? あなたは…」

 

 リゼが咎めるように言うと、錬金術師はようやく知的な興奮から覚めたようだった。慌てて口調を改め、皇女に弁解する。

 

「ああ、え、申し訳ありません。失礼な口を、その…」

 

 リゼはますます柳眉を逆立てた。

 

「へりくだらなくていい! 私は皇女かもしれないけど、何にもできないんだから。アンジュの方が凄いんだよ。何でも知ってて、あんなに勇気があって」

 

「ゆ、勇気? 私が…?」

 

 アンジュが困惑しているうちに、戌亥は持参してきた縄で狼男の手足をきつく縛った。過剰に見えるほど幾重にも縄を重ねるのは、魔物の怪力を考慮してのことだ。

 

作業を終えると、狼男の足首に括りつけられていた小袋をむしり取って、二人に示した。

 

「これや。これが一番匂う」

 

 皇女と錬金術師が覗き込む。戌亥はリゼにも見えるように屈みながら、小袋の口を開いた。中には入っていたのは黒っぽい粉。大きさは不揃いである。

 

 一見しただけでアンジュは酷く眉をしかめ、口と鼻を手で押さえた。

 

「吸い込まないように気を付けて。これだ。ダジュラの種を乾かして粉薬にしてある。吸い込んだりしたら、一発でおかしくなる」

 

 リゼが一歩後ずさりした。アンジュは敬語を忘れていたことを思い出す。

 

「あ、その、殿下、ええ、まことに、その――」

 

 しどろもどろになったところを皇女に睨みつけられ、アンジュは押し黙った。

 

 そんなアンジュを見る戌亥の目には敬意があった。地獄では薬はほとんど発展していない。もともと頑強な魔物にはあまり必要ないし、種族ごとに身体が違い過ぎるせいもある。この博学な娘と出会わなければ、真相に辿り着けなかったかもしれないと、戌亥は思った。

 

「ええと――アンジュはん。薬でおかしくなったんなら、しばらく待てばまともに戻るんか?」

 

「症状は一晩ぐらいで収まるはずだけど、中毒性があるんだ。症状が覚めたら、どんなことをしてでもまたダジュラが欲しくてたまらなくなる。繰り返し飲んでると体も弱って、いずれ――」

 

 その先は言われずとも、皇女にも獣人にも想像できた。

 

「なんてこと」

 

「無茶苦茶や。そんなもんが簡単に作れるんか」

 

 戌亥の疑問に、アンジュは早口で説明を返す。敬語も緊張もすっかり忘れている。

 

「種さえ持ち込めば育てるのは難しくないだろうけど、加工してるときに吸い込むと危ない。たぶん薬を餌にして、もう中毒になった魔物達に栽培や加工をやらせてるんだと思う。症状が進んだ魔物は死ぬか、正気を失って森の外で家畜を襲ったりしてるんだろう」

 

 戌亥は剣呑な口調でさらに尋ねる。

 

「誰が、何のためにそんなことを?」

 

「さあ、金儲けか――もしかして、ヘルエスタを滅茶苦茶にしたいのかも」

 

「自分たちは表に出ずにか。そんなら効果的やな。魔物を利用して――」

 

 リゼは拳を握りしめ、決然として言った。

 

「絶対に許しちゃおけない。犯人を捜さなきゃ」

 

 戌亥は頷き、森の奥を指さして二人に示した。

 

「あっちの方向や。この小袋くらい匂いが濃ければ、こいつが来た道を辿れる。その何とかいう草の畑か、薬を作っとる場所があるんやと思う」

 

 リゼは帯に佩いた細剣の柄に右手をおいた。剣に埋め込まれた青黒い宝玉がうっすらと光ったように見えた。月光に反射したのだろうと、そのときは誰も気に留めなかった。

 

「行こう。こいつが帰ってこなきゃ、怪しんで逃げるかもしれない。夜のうちにやっつけよう」

 

 アンジュは悲鳴をあげるように言った。

 

「馬鹿なこと言わないで下さい! こいつみたいな敵が何人いるか分からないんですよ」

 

 リゼが答えるより先に、口を挟んだのは戌亥だった。

 

「敵やない。あたしの同胞で被害者や。裏で糸を引いてるやつがいるなら、そいつに地獄をみせてやらあ」

 

 アンジュは血気にはやる二人に気圧されながら、なおも抗った。ヘルエスタの普通語で喋ることを忘れている。

 

「待って、待ってや! 兵隊さんたちを呼んで、任せようで。危険すぎるって」

 

 錬金術師の案に、獣人は右手を拳に握りながら答える。

 

「夜の内に見つけんと、また朝霧が出る。あたし一人でやる。相手が何人でも大丈夫や」

 

 もはや歩みだそうとする戌亥の背にリゼが鋭く声をかける。

 

「待って。私も行きます」

 

 振り向きつつ、戌亥は答える。

 

「お姫様、まだ分からんのか。」

 

「ええ、私は何も分かっちゃいなかった。自分の弱さも、城の外の世界のことも――」

 

未熟さを認めて、少女の表情は一夜のうちに一層大人びたように見えた。つづけた皇女の口調は懸命で、しかし冷静だった。

 

「でも、あなた一人で魔物たち全員を助けられるの?」

 

 助ける――人間の皇女がその言葉を選んだことが、戌亥を驚かせた。

 

「魔物達は被害者なんでしょう。倒すんじゃなくて、助けなきゃ。だから生きたまま捕まえなきゃいけない。一人縛り上げるのも大変なのに」

 

「それは――そうや。負ける気はないけど、誰の命も奪わずにやる自信は――正直ないわ。でも、あんたが来て何ができる?」

 

「私は一人じゃ何もできない。だから、力を貸してほしい。あなたにも、アンジュにも」

 

 アンジュは頭を抱えた。この上なく情けない気分で言う。

 

「戦いの術なんて使えませんよ!」

 

 錬金術師は大急ぎで思考を巡らし、皇女を説得する方法を考えた。無理だ。この無茶苦茶な皇女殿下は、敵の居場所さえ分かれば一人でも突っ込んでいきかねない。

 

 じゃあ彼女たち二人と一緒に、狼男たちの巣に突っ込む? たった一人が相手でも、恐ろしくてたまらなかったのに。いっそ、皇女を見捨てて自分だけ逃げるか? それはもっと嫌だった。

 

「無理強いはしないわ。あなたは戦士じゃない。私の力じゃ、悔しいけど、あなたを必ず守れるとはいえないし――」

 

 気遣うリゼに、アンジュは腹を立てた。自分より十歳近くも小さい子どものくせに、ずっと危険な目に遭うつもりでいるのが腹立たしかった。他人を守ることばかり考えて、自分自身のことは少しも大事にしないことが許せない。頑固者で、何にでも突っ込んでいく、英雄志願のガキめ。すっかり敬語を忘れて、錬金術師はぶちまけた。

 

「勝手なこと言うな! ここまで巻き込んで、そんなの許せねえよ。錬金術師、舐めんな!」

 

 怒鳴られた皇女はニコリとした。見た者に何もかも忘れさせるような笑顔だった。

 

 「それなら考えがある。私たち三人なら――」

 

 皇女は作戦を説明した。聞きえ終えた戌亥は、思わず皇女の顔を見返した。人間だから年齢そのまま、わずか十歳の娘だというのに、この機転はどういうことであろう。

 

<これが皇女か。勇者の血ってのも、あながち――>

 

「どうかな? 気づいたことがあれば何でも教えてほしいです」

 

 皇女の問いに、戌亥は首を横に振った。

 

「いや、あたしは乗った。あんたたちを巻き込むのは気が引けるけど、それなら同胞を殺さずに済むかもしれん」

 

「ありがとう。アンジュはどう?」

 

 錬金術師はゆっくりと息を吐いた。その息すら震えていた。しかし、瞳はもう揺れていない。恐ろしい敵に立ち向かうことよりも、この少女が命を落とすかもしれないと考えることの方を自分は恐れているのだと、気づいていた。だからアンジュは自分で自分を怒鳴りつけるような気分で答えた。

 

「やるよ。やってやんよ。そんなもん、御茶の子さいさいやで!」

 

 その表現は、軽い茶菓子とともに緑茶を喫するヘルエスタの習慣に由来するものだったから、戌亥には分からなかった。しかし、戦いには向きそうもない学者娘の目の光は雄弁だった。妹たちを人間から助けたときの自分もこんな目をしていたに違いないと、わけもなく戌亥は思った。

 

 皇女は頷き、作戦の開始を告げた。戦いを前に部下の勇気を鼓舞して、少女は天性の将帥だった。

 

「じゃあ、始めましょう。匂いを追って、夜明けまでに薬づくりの拠点を見つける。操られている魔物達は殺さずに取り押さえる。黒幕は捕まえる。私たち三人だけで。馬鹿げてるって言われるかもしれないけど、やれる。私たち三人なら」

 

 皇女、錬金術師、そして獣人。三人が挑む初めての戦いが始まった。

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

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