市議会議員 戌亥とこの戦争 : Page of Lambda C 作:芝三十郎
リゼ、アンジュ、戌亥の三人はフジの樹海を探索し、麻薬の栽培拠点を見つける。
操られている魔物たちを捕らえるため、三人は力をあわせて戦いに挑む。
ラムダの神話によれば、その昔フジの樹海は湖だったと伝えられる。万事におおらかな上古の人々は海と湖を区別しなかったから、その湖を「セナの海」と呼んだ。セナは浅いという意味の古語である。
いまやその場所は一面の森林であり、湖の面影はどこにもない。約千年前に起こった巨山フジ・ダクラーヌの噴火で、膨大な溶岩流が湖を埋め尽くしたからだ。その様は、地獄の火の海がこの世に現れたようだったと伝えられている。
冷え固まった溶岩は草の一本の生えない不毛の地だった。唯一生えた植物である苔が繁茂と腐敗を繰り返し、数百年をかけて土となった。その浅い土壌に茂った森が樹海と呼ばれるわけは、かつてのセナの海にちなむとも、固い溶岩層に入り込めない木の根が地表に波打っているからだともいわれる。
その波打つ木の根をよけながら、三人の娘たちが進んでいる。月の光もあまり届かない闇だが、松明は使っていない。
獣人の優れた五感で闇を見通せる戌亥は、木の根を器用に避けながら小声で呟いた。
「蛇がのたうっとるみたいやな」
赤髪の錬金術師アンジュが同じく小声で答える。夜目の薬の効果で、彼女の目もわずかな星明りだけで闇を見通せるようになっている。
「土が少ないからね。ここの地面は全部溶岩なんだ。千年前の噴火の」
古文書にある建国伝説の話題となれば、その愛読者である皇女も一言挟まずにはいられない。
「伝説の火の災いね。勇者が火山を鎮めた」
奇蹟の代償に命を落とした勇者。その娘が初代女王になったとされている。つまり神話を信じるなら、リゼは勇者の子孫ということだ。
「まあ、噴火があったのは確かですよ」
アンジュの物言いはやんわりとしていたが、否定的だった。伝説と史実は別なのだと、相手が皇族でも譲らない学者肌の彼女である。人の力で火山が鎮まるはずがない。彼女が学ぶ王立学院の史学者たちも、建国伝説は史実ではなく、ただの神話だと整理している。
しかし噴火による湖の消失は、そんな学者たちも歴史的事実だと認めている。錬金術による調査で湖の痕跡が見つかったからだ。
「溶岩の下は砂と泥で、今も水の流れがある――」
アンジュは右手に握ったオーブに何度も目をやる。オーブの中で微かに青く光っているのは、錬金炉で精製された水。水の力を操作する触媒である。彼女はそれで地中の水を探っているのだった。そのせいで時おり転びかけている。
リゼはアンジュの足元を気にしながら尋ねた。
「やれそう?」
「もう見つけました。ちゃんと追えてます」
アンジュは額に浮かんだ汗をぬぐった。その汗は夜通し歩いたせいだけではない。
先頭を進む戌亥が足を止め、続く二人を手で制しながら、鋭く告げる。
「こっちも見つけた。近い」
三人は素早く身を屈め、無言で下草の中を進んだ。前方から足音や、狼に似た呻き声が聞こえ始める。
やがて戌亥が足を止め、前方を指さした。その方向を見たリゼとアンジュは、樹海の中に開けた土地を見つけた。そこだけ木々がほとんどない。かわりに大人の膝から腰ほどの高さの見慣れない草ばかりが生えている。漂う甘いにおいは、樹海に充満する苔の臭いとは明らかに違った。
アンジュが早口で言った。声が高揚しているのは恐怖のせいか、予測が当たった興奮のゆえか、彼女自身にも分からない。
「
「しっ」
戌亥が自分の口の前に指一本を立て、錬金術師の言葉を制した。
「あいつらが近い。七――いや、九人はおる」
下草の間から覗くと、大人の男ほどの人影がいくつも動いているのが見えた。鍬で地面を耕している影もあれば、
夕刻にリゼたちを襲ったものと同じ、人型に変じた
アンジュはごく小さい声で言った。声音には隠しえない恐怖の色ある。
「多すぎる。月が沈めば獣化が解けるはずです。だから今は――」
襲撃は待とう、という提案である。しかしリゼは即座に首を横に振った。
「狼に戻ったら捕まえられない。いま、やる。場所はどこ?」
リゼと戌亥の視線がアンジュに集中する。錬金術師は覚悟を決め、拾い上げた木の枝で地面に地図を描いた。
「私たちがここだとすると、使えそうなのは――」
二、三の場所を指し示す。リゼはその地図と実際の地形を照らし合わせると、迷いなく頷いた。
「わかった。じゃあ、戌亥さん」
「やっぱり、お姫様は隠れとる方がええよ」
「考えたのは私だもの」
平然と答える少女に、戌亥はため息をついた。少女が自らの身を危険にさらそうとしているのは、子供じみた勇者への憧れからだけではない。自分の判断で仲間を危険にさらす、その責任をとると言っていた。国と種族が違っても公人の立場を持つ戌亥にとって、その覚悟を否定するのは難しかった。
「仕方ねえなぁ。じゃあ、あたしの後ろにおるんや」
幼い皇女は一瞬だけ躊躇したが、すぐに言葉を返す。
「わかった。背中の守りは任せて」
戌亥は苦笑しながら頷いた。なんと強情で、誇り高い女の子だろう。自分がどうなろうと、この少女を傷つけるわけにはいかないと、彼女は強く思った。
三人は瞳を交わす。最後にリゼがうなずく。それが開始の合図だった。
皇女と獣人は立ち上がって駆けだし、
「やあやあ! 我こそはヘルエスタ王国の第二皇女、リゼ・ヘルエスタだ。国王陛下に背くフテーのやからども。みんなそこへ直れー!」
そんな馬鹿正直な――という言葉を戌亥は飲み込んだ。
皇女の宣言の内容が伝わったかは分からないが、
集まってくる魔物達に向けてリゼは強い声で呼びかける。
「私の言葉が分かる? 大人しくしていれば、手荒なことはしないわ。指示を出している奴はどこに――」
狼男たちは呂律のまわらない舌で互いに声を交わした。
「捕まル。ころサレる…」
「の、ノガすナ」
皇女はさらに言葉を重ねた。
「あなたたちが利用されているのは分かってる。王都の治療院で治してもらえるの。この薬を止めて、みんな元通りに――」
その言葉に、狼男たちは焦点の合わない目をぎらつかせた。
「いや、イヤだ」
「殺せ」
次々に吠え声を挙げ、一斉にリゼと戌亥に向かって殺到した。
皇女は鋭く叫んで駆けだす。
「右前っ!」
戌亥が間髪入れずに続き、皇女の前に出る。進む方向には三体の獣人が、二人を切り裂こうと腕を振り上げている。
戌亥はその一体に跳び蹴りを見舞う。相手が吹き飛ぶのを見もせず、着地の途端に別の一体の足を払う。立ち上がる勢いのまま、最後の一体の顎へ掌底を打ち込んだ。
瞬く間に三体を倒したと見えたが、この程度で気絶する相手ではない。彼らが態勢を立て直す前に、リゼと戌亥は目当ての場所へ向けて駆ける。
「左奥!」
駆ける二人に、さらに多くの狼男が追いすがる。踏み荒らされた
やがてリゼと戌亥は目指した畑の一角で足を止めた。戌亥は追いすがる狼男たちの方に向かって立ち、リゼは背中合わせになって剣を構えた。敵のほとんどは戌亥の側にいるが、リゼの側からも数体が襲ってくる。
戌亥は先頭を進んできた数体の殴打をさばき、反撃の拳や蹴りを放って退ける。
その間に別の一体がリゼを狙って突進してきた。
「後ろっ!」
リゼの声に反応し、戌亥は目前の敵を蹴り飛ばした勢いでリゼの側に旋回する。突き出された魔物の一撃を片手で受け止め、もう一方の拳を敵の左胸に叩き込む。皇女はその間に素早く位置を入れ替え、再び戌亥の背中側で油断なく剣を構える。
二人は息を合わせ、背後を守り合いながら次々に敵を撃退する。しかし強靭な獣人たちは倒れない。一時は退いても、集まってきた仲間とともに再び襲い掛かってくる。
たちまち二人は包囲された。皇女は素早く剣を納め、短く告げた。
「戌亥さんっ!」
戌亥は即座に身を屈めた。その背に皇女が跳び乗り、小柄な体を押し付けてしがみつく。
「いくでっ!」
気合の声をあげた戌亥は、皇女を背負ったまま敵の群れに突進した。足元の溶岩石にひびが入るほどの勢いで踏み込み、跳びあがる。その体が狼男の頭上にまで達すると、狼狽する敵の肩を蹴ってさらに跳躍。
包囲を飛び越えて宙を舞う戌亥の背でリゼが叫ぶ。
「今だっ!」
その声を合図に、
するとぶちまけられた触媒が黄と青の光線となって地を這い、たちまち狼男たちの周囲に奇怪な文様を形成した。
途端、地鳴りが響き、足元が大きく揺れる。かと思うと、文様に囲まれた溶岩の地面がバキバキと音をたてて割れた。裂け目から泥水が勢いよく噴出する。
魔物たちは吠え声をあげて地割れから逃れようとするが、みるみる傾く地面に平衡を崩す。その間に地割れは大きな陥没と化し、彼らの全身を吞み込んだ。
液状だった泥がみるみるうちに固まり、裂け目に沈んだ魔物たちを固定する。首から上だけを地上に残した
「大成功!」
リゼは歓声をあげて戌亥の背から降りた。
戌亥は胸を撫でおろしながら、若い錬金術師が放った術に恐れすら覚えていた。
「なんてこった――まるで魔法や」
「おとぎ話とは違うよ。理論と実証の成果、近代錬金術だよ」
アンジュはさも自信ありげに誇ったが、成功に安堵しているのは明らかだった。
「こんなことがオーブってやつなら誰にでも?」
「これはちょっと難しいかな。水力と地力の複合で、私が発明した術だから。落とし穴を掘るのに使うなんて思ってなかったけどね」
専門知識がない戌亥は知らないことだが、複数の導力を制御するには複雑な操作が必要だ。事前に錬成陣を描けない屋外でそれをやってのけたアンジュの技量は、高度というより異常なほどである。
「ほらほら、アンジュは天才なんだから!」
我が事のように威張るリゼに、アンジュは微笑んだ。故郷に温泉を掘るための術が戦いにも使えるとは、全て皇女の創意だった。
皇女と錬金術師のやりとりのそばで、戌亥は狼男たちを眺めた。
「あたし一人じゃ、全員を生かして捕まえるのは多分、無理やったな――」
一人で戦っても負ける気はなかった。皇女と二人で戦っている間、彼女は自分たちが無敵になったように思えた。三人の力を合わせた時、操られている同胞を倒すのではなく、助けることができた。
「話も通じそうにないし、とりあえず寝ててもらおう。後で兵隊さんたちを呼んで、王都の治療院に運んでもらえばいい」
アンジュが手早く取り出した粉を振りまくと、首まで埋まった狼男たちは忽ち寝息を立て始めた。
「大したもんや――おおきに、アンジュはん」
「え、そう? まあ、ええ、その…」
聡明な錬金術師はモゴモゴとわけの分からぬことを言った。彼女は人に褒められることには慣れている。学院始まって以来の天才だと言われ、そう自認してもいる。しかし三人で力をあわせての成功には、机の上や実験室では経験したことがない達成感があった。
アンジュが何事かを答えようとしたとき、戌亥の顔色が変わった。
「まだおる」
彼女が油断なく構えをとった方向から男の声が響いた。
「痴れ者ども。衛兵か、王の刺客か」
リゼはその声に聞き覚えがある気がした。
(つづく)