ウマ娘プリティーダービー -PRIDE OF DRAGON- 作:狐火(宇迦之御魂)
走ることは楽しいと思ってる。けど、レースは怖い。
誰もがピリピリして殺気立ったあの雰囲気、位置取り争いでぶつかり合うこと。
そのどれもが怖くて、その中に飛び込む勇気が出ないんだ。
レースに出ると、みんなが僕を見てくる。ライバルの子に、観戦に来たお客さん。
その視線や声がどうしようもなく僕を委縮させる。
周りの子たちはそんなもの怖がる素振りもなくて、僕だけが怖がってる。
パパとママは1人で走るときは凄くかっこよくてヒーローみたいって言ってくれるけど、地域のレースに出ようとすれば結局怖くて逃げてしまう。
僕に向けられるありとあらゆるものが、恐ろしくて仕方ないんだ。
僕だってレースに出てみたい、勝ってみたい。けど勇気が出なかった。
そんな時に日本に住んでる親戚の子が日本の重賞を勝ったって聞いた。
僕もそんな風に、強いウマ娘になりたいって思ったんだ。
日本のレースは観ていると、アメリカのレース程ぶつかり合いも激しくなかったし、日本の人はみんな静かだって聞いてたから。
僕でも走れるんじゃないかなと思って、新しい場所で自分を変えたいんだってパパとママに頼み込んで日本のトレセン学園に行くことを決めた。
(のはいいんだけど……そんな甘い結果になるわけないよね……)
いざターフに立てば、競り合いの激しさはマシでも闘志の大きさは変わらない。
その迫力に結局怖がってしまって授業以外では誰とも走れていない。
(僕もレースに出て勝つために日本に来たんだ! みんなと併走して、選抜レースに出て、スカウトしてもらってデビューしないと……けど、やっぱり怖い!)
コースに入ろうとしたら、既に中で練習をしている子たちが居て、併走中でどっちも本気。その迫力に負けて結局逃げてしまった。
グラウンドを離れて、まばらにしか人が居ない河川敷の公共コースや、遊歩道に逃げ込んで運動することにした。
小さな頃は他の子たちと走ることもあったけれど、みんなと走っていると負けたくないから、互いに競り合いになって段々と走りも激しくもなっていく。
視界の外から急に前へと飛び出していく子に驚いたり、前が詰まった時の圧迫感、そういうレースでありふれた色んなことが次第に怖くなって、他の子たちと走るのが怖くなってしまった。
「坂路コース…門限前に行けば人も居ないかな…」
坂路コースはトレセン学園の練習コースでも特に利用者が多いコースだ。
パワーとスタミナを鍛えるにはもってこいのコース、ミホノブルボンさんが徹底的な坂路練習で無敗二冠を達成したのは、日本に来たばかりの僕でも聞いたことがある。
坂路練習を上手くできればそれだけ勝利への道が開けてくるのは間違いない。
とはいえ、それだけに人が多くて僕には近寄りがたい場所でもある。
資料には一日で千人が使うこともあるとか書いてたっけな。
とてもじゃないけど、そんな人混みで走るなんてできない。
◆
春先のまだ少し早く沈む夕日と、白く輝く投光器がコースを照らしている。
大半のウマ娘は既に練習を終えたか、ほんの少しの人数が練習を続けている程度だ。
坂路コースに人が居ないのを確認して中へと入っていく。
さっきまで走っていた土やアスファルトとは違う、ウッドチップの感覚を足の裏で確かめながら軽い運動をして態勢を整える。
やっぱりちゃんと整備されたコースは走りやすい、自然と気分が上がってくる。
コースに置いてあるタイム測定用のICチップを手に取ってスタート位置につき、軽く助走をつける。
一歩、二歩、思うままに前へ加速していけばあとは流れるままだ。
踏み出す度に地面を踏みしめ前へと突き進む、坂路の負荷で普段よりも速く脈動する心臓の鼓動すら心地いい。
ただただ走ることが楽しい、一歩進む度に得られるスピードが僕の心も後押しするような気持ちになる。
こんな気持ちのままレースに挑めれば、僕でも本番の舞台で怖気づいたりしないかもしれない。
気付いた時にはゴールを切っていた。ペースを落として、息を入れ始める。
割と調子は良かった気もする、まあトレーナーや先生が付いて見てくれてるわけでもない自主練習だから、自己満足にしかならないんだけれど……次の選抜レースはいつだったかな。
どれだけ怖くても、誰かに見てもらってこそレースは成り立つ。
選抜レースでスカウトを受けて、デビューをしないことにはレースに出る以前の問題だ。
メイクデビュー戦の始まるシーズンも近付いている。
それまでには担当契約を結ばなければ、同期のウマ娘から大きく出遅れてしまう。
(あと何回か繰り返してから帰ろう、まだ時間は少し残ってるし…)
時計を見て、残りのコース使用時間を確認する。
ご飯の時間にも間に合うはずだ、息も整ってきた。
まだ少し追い込んで、自分一人でもできることをしようと意気込む。
「君!たしかドラゴンブレn「わーっ!?」
なのに、急に飛び込んできた声に驚いてつい逃げてしまった。
走っていた時とは違う不揃いな脈拍が僕を急かし、少し気持ち悪い汗が滲む。
声のした方を見ればスーツ姿の人、知らない人だ、僕のことを呼んでた?
「な、な、な、なんですか…!?」
「ご、ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけれど、君の走りを見て居ても立っても居られなくて…」
「僕の走りを・・・?そ、それで、なんの用でしょうか・・・?」
よく見れば胸にトレーナーバッジが付いてる。
学園のトレーナーさん…?だけど、一体僕に何の用だろう。
「君、契約しているトレーナーは?」
「それは、その、まだ、です…」
「なら、君がよければなんだが、練習を見させてもらうことはできないか?」
………?日本語の意味は分かる、けれどその意図が分からない。
「僕の、練習をですか……?」
「ああ、そうだ! 今の坂路コースを見てたんだけれど、走り出しのタイムはかなり速い、つい目を奪われてしまって」
「それは、その、ありがとうございます…」
随分と興奮した様子で僕の走りを評価してくれている。
こんなに褒められるなんて、なんだか照れるな……
「急に話しかけてすまない。君さえ良ければ、練習を見させてもらえないか? 君の走りをもっと見てみたい、受け入れてくれるととても嬉しいんだけど……どうかな?」
「えっと……それはスカウトって……ことですか?」
急な出来事でびっくりしたけれど、気がかりだった担当契約の問題を解決できるかもしれないと思ってつい声が裏返る。
「いや、俺はまだトレーナーになったばかりでね。今練習を見る人が居ないなら、ちゃんとしたトレーナーが付くまでの間だけでも、トレーニングを見させてほしいんだ。新人とはいえレース理論やトレーニング理論はちゃんと修めてある、1人で練習するよりはいいトレーニングにできると思うんだけれど」
(それは、そうか……)
最初の3年間、これはウマ娘にとっても、トレーナーにとっても大事な時期だ。
今後の進退にも大きく影響する経験とキャリアを構築する期間。
ロクに模擬レースや授業のレースでも競えていないウマ娘をスカウトするトレーナーなんてそうそういない。
どれだけ1人で上手く走れても、最後に走るのは何人ものウマ娘が鎬を削るターフの上なんだから。
(それでも、言ってることは間違ってないよね。契約はできなくても、誰かに見てもらわないと、自己流だけじゃいつまでも強くなんかなれない……)
「えっと、それなら、是非お願いします…僕はドラゴンブレンド。家族はブレンって呼んでます…」
「っ……! ありがとう、しばらくの間よろしく頼む! ひとまず今日はコース利用時間も過ぎるし、また明日改めてトレーニングをしようか」
「えっ、もうそんな時間……わ、わかりました。それじゃあ、また明日、お願いします……」
連絡先を交換して、互いにその場を後にする。
ここで少しでも実力をつけて、次の選抜レースでスカウトを受けるんだ。
レースに出て、怖がってばかりの僕から生まれ変わるためにも!
何度したかわからない決意をもう一度。
それと同時に僕の返事を受けた時の、嬉しそうなトレーナーさんの目が忘れられなかった。