ウマ娘プリティーダービー -PRIDE OF DRAGON- 作:狐火(宇迦之御魂)
実はお腹が弱い。
「丁度一か月後、阪神芝1400m右回り。君の初陣、メイクデビュー戦の舞台だ」
ジュニア級はその時の為に費やすと決め、はや7か月。遂にメイクデビュー戦の戦場が決まった。
トウィンクル・シリーズに挑む全てのウマ娘はメイクデビュー戦、あるいはクラシック未勝利戦からデビューをする。
その後はジュニア級のプレオープン戦、オープン戦、重賞と更なる高みを目指していくのだ。
「前にも言った通り、君の実力はメイクデビュークラスなら申し分ない。問題になるのはレース中のメンタルコントロールだ」
出走登録届を確認していたブレンに声をかけながら、トレーナーが体育館に併設された設備倉庫を開く。
その扉はどこも綺麗に整備されているトレセン学園施設の中でも一際綺麗であり、まだ建てられてそう期間が経っていないことが分かる。
開いた扉からガラガラとキャスターを鳴らしながら巨大な機械が運び出される。
それは人ひとりがすっぽりと収まる大きさの、鉄の棺のような機械だった。
「な、なんですかこれ……」
「つい最近導入された最新型のレース用シミュレーター、VRウマレーターだ」
ウマ娘の名門サトノ家協力の下で設計開発された秋川理事長肝入りのトレーニング機器、VRウマレーター。
芝、ダート、良バ場、重バ場、どんな条件のレースコースも再現できる、真の意味での全環境型コースを提供してくれる。
だが、トレーナーが最も有用だと見出した部分はそこではなかった。
「どんなコースも走れるっていうのは魅力だけどね。君のトレーニングで一番使えるのは、どんな相手とも走れるってことだ」
VRウマレーターの側面にある操作盤に手を伸ばして何かを入力すると、作り上げられた仮想世界がモニターに映し出される。
そこには、ラインクラフト、シーザリオ、デアリングハートなど、縁のあるウマ娘たちが複数人ずらりと並んでいた。
複数人とは総数がではなく、同じウマ娘が複数人だ。
「こ、これがVRウマレーター……」
「模擬レースの募集も考えたけど、数を揃えるのも手間だしね。思ったわけさ、知ってる相手とは落ち着いて走れるなら、知ってる相手を増やせばいい」
「それはゴリ押しすぎるんじゃ……いや、わかりました。トレーナーさん、今日からメイクデビューまで、もっと厳しくお願いします」
「わかった、俺も全力で追い込めるようサポートする。一緒に頑張ろう」
冷たい鉄の内側にはクッションが敷き詰められており、居心地は良さそうだった。
中で体を横たえ、様々な装身具を身に着け目を閉じれば、体を包むクッションの感覚と視界の暗闇がターフの上へと再構成されていく。
今さっきまで居たのは体育館だったはずなのに、実際にレース場に居るのだと思わせる臨場感だ。
脚に伝わるバ場の硬さ、ほのかに香る芝の匂い、とても仮想現実だとは思えなかった。
「ウマレーターの中はどうだブレン?」
「わっ、空からトレーナーさんの声が……凄いですこれ、本当にターフの上に居るみたいですよ」
「流石サトノ家開発……問題なさそうだし、早速始めようか」
VRウマレーターで生み出された仮想世界に、プリズムのようなエフェクトがかかり、その場所に8人のウマ娘が現れる。
チーム《アスケラ》の面々、デアリングハートにカワカミプリンセス、同室のブラストホーク。ラインクラフト、デアリングハートはそれぞれ2人ずつだ。
「ラインクラフトとデアリングハートはメイクデビューと同じ条件のフィリーズレビューを走ってる、データが多くて相手のサンプルとしては丁度いい。出走予定は君含めて9人、今なら全員顔見知りで多少はやりやすいだろ?」
「同じ人が何人もいるっていうのは不思議な感じですけど、繰り返し見てきましたから大丈夫です。いや、やってみせます!」
「よし、じゃあスタート位置に着いてくれ」
本物同様に再現された阪神レース場の向正面へと向かうブレンとウマ娘たち。
阪神芝1400mのスタート位置は2コーナー奥のポケットにある。スタート後は平坦なコースから3コーナーで長い下り坂に入り、最後の直線200mからは高低差2mの急坂が待ち構えている。
スタート地点のポケットには牽引車に接続されたスターティングゲートが設置されており、生成されたウマ娘たちは続々とゲートへ入っていく。
「すぅ~……はぁ~……よし、いける」
いつものように大きく深呼吸をして心身のバランスを保ち、ブレンもゲートへと進んでいく。
最大18人ものウマ娘を収容できるスターティングゲートは巨大だが、それぞれのウマ娘が位置に着く枠内は横幅1mあるかないかの狭さだ。
広い場所を高速で走ることが当然のウマ娘にとって、この閉所空間は大きなストレスであり、ウマ娘によってはゲート入りができないということもある。
人が高い場所に立った時に足がすくんでしまうのと同じで、ゲートという閉所空間を嫌うのは生理的な反応である。
その反応をトレーニングで抑え、ゲート審査でゲート入りとスタートに問題が無いことを証明することもトウィンクル・シリーズ出走の条件だ。
「よし……練習だって負けるもんか……!」
最後にゲートへ入るブレン、その狭い空間に身を納めると無意識に鼓動が速くなる。
そればかりは気持ちで抑えきれない体の反応だが、鼓動のテンポに合わせて出せるスピードの限界も上がる気がした。
集中は、十分だった。
ガコン!!
目に見える合図は無い、視界を遮るゲートが開くタイミングを直感的に合わせ飛び出すのだ。
9人のウマ娘が一斉にゲートを飛び出す、コンマレベルの誤差はあれどほぼ横一線。
ブレンの枠番は4枠4番、丁度真ん中のウマ番を出てから縦隊の3番手の位置取った。
先頭を行くのは2人のラインクラフト、その快速は本人さながらだ。
「発バは鋭くて良いスタートだ、位置取りも悪くない。そのまま集中して今の位置をキープするんだ」
普段の練習であれば走っている最中の指示など、ホームストレッチで目の前を走っていない限り聞こえるものではない。
しかし天から響くトレーナーの声はイヤホンを着けているかのように耳に届いてくる。
その声に安心感を覚えながら、流れる動きで脚を回し腕を振る。
自分以外に8人ものウマ娘、今までであれば周囲が気になり自らの走りどころではなかっただろう。
(大丈夫、クラフトさんもハートさんもみんな知ってる相手だ。そうじゃなくても、僕は走れる……! 僕だって成長してるんだ……!)
オークスの時のシーザリオが見せた、波一つ立たない湖面の様な落ち着きには到底及ばない。
脈打つ鼓動は普段の練習に比べてもハイペースで、明らかな緊張状態にある。
時折視界に入ってくるシーザリオやデアリングハートの姿で、つい目線が動いてしまう時もある。
完璧な集中状態を維持できているとは言い難いが、選抜レースと同じパニックには陥っていない。
今自分がどういう状況か、自らの走りを把握することはできていた。
向こう正面を抜けて3コーナーへ入り、4コーナーとの接続に入ったところで先頭に立っていたラインクラフトが速度を上げる。
もう片方のラインクラフトはまだ控え、4コーナーを抜けて残り400m地点になったところで他のウマ娘も一斉に動き出す。
二番手のラインクラフトもスパートに入り、後ろからはキングヘイローが居合の刀をも彷彿とさせる速度の差し足で迫る。
3番手に控えていたブレンも負けじと全力を尽くして走るが、次々と追い抜かれていく、そしてその焦りがブレンの走りを乱した。
最後の直線、結果は2番手に控えたラインクラフトが先頭を捉えて勝利。2着はキングヘイロー、3着が早仕掛けのラインクラフトと落ち着いた。
ブレンは8着、9着にはブラストホークという結果だった。
「今のレースは周りのデータを実際のレースからそのまま入力してる。GⅠ級相手にデビュー前で勝てっていうのは流石に無理だから、順位自体はあまり気にしないで」
「それはそれで、悔しいですけど……トレーナーさんから見て直すべき場所はどこですか」
「丁度言おうと思ってたところだよ。まずスタートは良い反応だった、そのおかげで最初の位置取り争いは優位に進められてた。課題としては、まだ周りを気にしてるところがあるね。ラストスパートで追い抜かれ始めてからは特に顕著だ」
トレーナーの指摘に唇を噛むが、トレーナーから受けた指摘を口に出して繰り返す。
それを心と体に馴染ませるように、何度も繰り返す。
「ラストスパートまでは大きく走りに影響は出てない。呼吸と脈拍が少し速いのはあるけれど、この距離ならまだ許容範囲内だ。焦らなければ最後の直線で前へ出る脚が残せる、それを意識してもう一回やろう。次は相手も調整する、勝ちに行ってくれ」
「っ、はい!」
大きな返事と共に、再びスタート地点に戻りだす。
仮想空間故に、現実では到底できない本気のレースを繰り返すことだってできるのだ。
メイクデビュー本番と同じ条件で、その後はひたすらにレースを繰り返していた。
◆
VRウマレーターでのトレーニングを始めてから半月程。
トレーニングではシミュレーションで得た感覚を、そのあとは実際に走って体に馴染ませるということを続けていた。
そして今は、現実世界でのトレーニング。感覚の定着を行うターンだ。
「ブレン! 下り坂で速度を乗せすぎるな! 阪神芝1400の下り坂は序中盤だ、そこで消耗しきったら最後の脚が残らなくなる!」
「はい!!」
坂路コース程ではないが、ある程度の坂のついた周回コースを回りながら感覚を養う。
そんな折、近づいてくる気配があった。
「ブレンさん、凄いやる気ですね」
「ラインクラフトと、そっちは確か……フサイチパンドラか」
「あたしのこと知ってくれてるんだ♪ やっぱ天才だから注目されてるー?」
「そうだね、同期になる子はいろいろと調べてるよ」
やってきたのはラインクラフトと、しばらく前にチーム《アスケラ》へと加入したというフサイチパンドラだった。
将来的にブレンとぶつかるかもしれない相手として、トレーナーは彼女のことをマークしていた。
「そうだ……ブレン、ゴールしたらそのまま戻っておいで!」
ホームストレッチでスパートをかけてゴール版を通過したブレンが、小刻みに息を切らしながら戻ってくる。
既に11月も中盤を過ぎて寒さが厳しくなってきたが、走るウマ娘の持つ熱量は彼女たちに冷却のため発汗を促していた。
「戻りましたぁ~、あっこんにちはクラフトさん、と……」
「フサイチパンドラで~す♡ クラシックあたしと同期だよね、よろしくー♪」
「よ、よろしくお願いします……」
やはり明るく元気なタイプは苦手なのだろう、最近は知り合いも増えあまり見なくなった初対面警戒状態のブレンだった。
「路線がぶつかるかはわからないけどね……ラインクラフト、君たしか次走は阪神ウマ娘ステークスだったよな」
「そうですね、秋華賞とマイルチャンピオンシップは負けちゃいましたけど……シーザリオの分まで、頑張りますよ!」
「ああ、応援してるよ。それで、ブレンのメイクデビューが決まったんだけど同じ阪神芝1400mでね。VRウマレータで模擬レースはしてるけど、やっぱり現実での競い合いもしておきたくて、よければ付き合ってもらえないか?」
「なるほど……わかりました! 後でトレーナーさんが来たら相談してみますね!」
「ありがとう、よろしく頼む」
クラシック最速のラインクラフト、習う物は大きかった。
天才と評される期待のホープ、フサイチパンドラを新たに加えたアスケラトレーナーの指導手腕からもまた、ブレンを支えるトレーナーが学ぶことは多い。
12月の初週、メイクデビュー戦はもう目の前にまで迫っていた。
多くの方に読んでいただけているようで大変光栄です。
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