ウマ娘プリティーダービー -PRIDE OF DRAGON- 作:狐火(宇迦之御魂)
レースの世界においてGⅠ競争の価値は他に代え難い価値を持つ。
積み重ねられてきた重賞レースの歴史、世代や環境の頂点を決めるレースの熾烈さ、まずそのレースの出走権を得ること。
数多のふるいにかけられ、最後に先頭を掴み取れるウマ娘は全ての競争ウマ娘の1%にも満たない。
故にこそGⅠウマ娘は賞賛され、人々の記憶に残り続ける。
そんなGⅠウマ娘を支えるトレーナーはどうだろうか。
競争ウマ娘がトゥインクル・シリーズを全盛で走ることができるのは、個人差はあるが概ね4年程度だ。
その期間で出走できるレースはそう多くない、どれだけ強いウマ娘だったとしてもGⅠに挑める回数など両手の数を超えることは早々ない。
肉体の限界があるウマ娘と違い、トレーナーはレースへの情熱と共に歩んでくれるウマ娘が居る限り何年でも挑戦し続けられる。
それでも、GⅠトレーナーという栄誉を手にできるトレーナーは多くない。
だが、幾度となくGⅠを制覇するウマ娘が居るように、何人ものウマ娘を勝利に導くトレーナーだっている。
今年だけでGⅠ4勝、うち一つは前人未到のアメリカGⅠ制覇。
名手と呼ぶに相応しい名トレーナー、彼が率いるチーム《アスケラ》は今のトゥインクル・シリーズにおいて、紛れもなく最上位に位置するチームだ。
「相手はメイクデビューよりよっぽど手強い。 けど、走る前から分かるレース結果なんてない」
蛍光灯が照らすトレーナー室の長机に資料が、フサイチパンドラについてまとめられたそれらが並べられる。
「パンドラさん、あまり話したことは無いですけど……」
「既にGⅠの空気も知るウマ娘だ、同じジュニア級でも積んだ経験は幾らか上だろうね」
チーム《アスケラ》とは親密な関係のブレンとトレーナーだが、合同トレーニングの主な相手は一世代上のラインクラフトやシーザリオ達だった。
同期でもあるフサイチパンドラと共になることはほぼ無く、その詳しい所はまだ知らない。
「相手がフサイチパンドラさんで、チーム《アスケラ》となると、今回は本当に僕とトレーナーさんだけで頑張らないとですね」
「そうなるね。 メイクデビューは俺とブレンの足りない部分を先輩に助けてもらったけど……今回はライバルだ」
シーザリオのアメリカ遠征、その対価として協力体制を築いていたブレン陣営とチーム《アスケラ》だったが、同じレースに出走ともなれば話は変わる。
互いに担当の戦績と将来がかかっているのだ、ライバルに塩を送り手の内を明かすことはできない。
メイクデビューまでをサポートしてくれた有り難みを痛感しているが故に、相手に回った手強さもよく理解していた。
「アスケラの皆さんにいつまでも助けてもらう訳にはいきませんもんね。 頑張ります、僕。」
「俺たちにとって一番身近で一番強い相手だ、クラシックの強敵に勝つためにもここで更に一勝決めて自信をつけて行こう!」
自らとパートナーを鼓舞し、来るレースに向けて士気を高める二人。
互いに精神を支え合えば、続いて戦略を固めにかかる。
「レース条件は阪神の芝1600m、メイクデビューから200m伸びたマイル戦だ」
「今日走った距離……NHKマイルCと同じですよね」
「その通り。 同じ1600mへの経験を積めれば冷静に走りやすくなるし、この200mの差で途端に伸び悩むウマ娘も居ないわけじゃないからね」
「最後のスパートを考えたら、メイクデビューの1400mの時より脚を残すようにしないとだなぁ」
「純粋にスタミナの要求値が高まるのもあるし、同じ阪神レース場でも芝1400mと1600mじゃ条件もかなり変わる」
そう言うとトレーナーがノートパソコンを持ち出し、阪神レース場を模した3Dモデルを見せつつ解説を続ける。
「メイクデビュー戦で走ったのはこっち、阪神の内回りコースだ。 1600mではこの外回りコースになる。 距離が変わる上に内回りよりもスローペースになりやすいから、ペース管理が大事になってくるな」
「うーん、となると下手に位置取り勝負になると危ないですね」
「だね、特訓はしていくけど、常にバ群で競り合うとなると消耗もするし焦りからパニックに繋がるかもしれない。 可能な限り空いたスペースで走るほうがいいと思う」
「それじゃあ、前と同じように中団で様子を見て調整して……」
ブレンが長机に置いてあったマーカーペンを手に取り、キュポンとキャップを外しホワイトボードに線を引く。
緩やかな曲線で描かれた阪神レース場外回りコースの略図にカラフルなマグネットが貼り付けられ、レース展開がシミュレーションされていく。
このウマ娘はこう動くだろう、なら全体はこう動くだろうかと、まだ全員がジュニア級で情報は少ないが、可能な限りの予測で対策を練る。
「おっと、もうこんな時間か。 今日はこれぐらいにしておこう、レース本番までそう長くない。 少し詰め込んでいくから、休むことも同じくらい意識して頑張っていこう」
「分かりました、それじゃあまた明日お願いします。 おやすみなさい、トレーナーさん」
「ああ、おやすみブレン」
◆
ぱちりと目を覚ました。
カーテン越しに差し込む月の光を頼りに時計を手に取れば、針は四時半を指していた。
朝練を始めるにしても少し早い時間、カフェテリアもまだ開いていない。
もう少し横になって練習に備えようとはしたけれど。
(眠れない……完全に目が覚めちゃった……)
明日の為にと少し早くベッドに入ったせいか、体はこれ以上の休息は不要とばかりに眠る気配が無い。
ごろごろと転がって姿勢を変えてみても、目を閉じ続けても眠気は帰ってきてくれない。
ホークさんは普段のキリッとした様子とは一転して、静かな寝息を立てながら気持ちよさそうに眠っている。
十分か二十分程粘っても眠気が来ないことを確認すると、ゆっくりと体を起こす。
そーっとフローリングを軋ませないように足音を殺し、ロッカーへ近付いて運動着に着替えた。
「ちょっとだけ走ってくるね」
まだ夢の世界に居る同室へ小さく声をかけ、寮を後にする。
外へ出ると、暖房の効いた室内から一気に気温が下がり、吐く息が真っ白に染まった。
体が冷え切る前に柔軟運動を済ませ、キンと冷えた空気を肺いっぱいに取り込んでは吐き出す。
起きた直後よりも思考がクリアになったことを感じるとゆっくりと走り始める。
夏場ならまだしも、冬場のこの時間帯は真っ暗で、練習をしている人は見当たらない。
電灯も節電の為か一部は消灯していて、トレセン学園に最も活気が無い時間にも感じられる。
蹄鉄シューズのままアスファルト舗装の上を走ると足を痛めるから、コースへ移動するまでは
一人で走るこの瞬間、世界がよりはっきり見えてくるような気がする。
どこに何があって、僕はどう走っているのか、そういったことが五感を通じて鋭く頭に入ってくる。
この集中を上手くコントロールできているうちは走りを洗練させてくれるけれど、手の内から離れてしまうとどうにもダメなんだ。
他の人にとって一番近しい感覚は、ホラーゲームやお化け屋敷に居る時なのかな。
全身の感覚が周囲の情報をかき集めて、次の角に何があるか気付いて分かればなんてことはないと思う。
けれど、急に飛び込んでくる音や動くものは理解の許容値を超えて恐怖の対象になる。
それが僕にとっては同じレースを走る相手だったりする。
(静かで、風が気持ちいいな……)
静かで誰もいないトレセン学園を独り占めして、動いて火照った体を冷やす木枯らしはいっそ心地良かった。
寒さのせいで芝コースに降りた霜をザクザクと踏み慣らすのを一通り楽しんでからギアを上げていく。
1600mのペースをイメージして、ダッシュとレストを繰り返す。
上昇しては下降する心拍数、回数を繰り返す度に段々とペースは落ちてくる。
トレーナーさんが言っていた200mの差、超えられないことはないけれど、小さな壁でもないように思う。
脚を残すことを考えて走ると、どうしてもペースが落ちすぎてしまう。
脚を残そうとして最後に追い付けないほど差を付けられては本末転倒だ。
「ペース管理を見てもらって、もっとロングスパートで仕掛ける……?」
メイクデビュー戦が終わった時のインタビューでトレーナーさんが褒めてくれたところ、長くいい脚が使えるってところを活かす戦略を頭に描く。
立て掛けていたスマホの動画撮影を止めて、自分の走りを見つめ返す。
ラチに体を預けて動画を見返していると、思ったより時間が過ぎてしまったらしい。
遠くの空はほんの少し白み始め、走って温まっていた体が段々と寒さに傾き始めていた。
「うっ、少し寒いな……もう少し走ったら帰ろう」
冷えた体を温め直すために少し速めのジョグでコースを周回する。
一歩踏み出す度に熱と思考の巡りは高まり、気分が少し高揚した。
「あれ〜? 私より先に走ってる子いる〜!」
一周を終え、ホームストレッチを走っているとスタンドから明るい声が聞こえた。
明るい黄色の髪を緩いロールの入ったツインテールで束ねたウマ娘。
薄紅色の瞳は吸い込まれるようで、彼女が周囲の視線を集めて生きていることが直感で理解できる。
「フサイチパンドラさん……も、朝練?」
「長いっしょ、パンドラでいいよ〜〜♪ あたしは練習っていうか〜〜〜お散歩?」
「じゃあ、パンドラさんで……散歩って、こんな時間に?」
「そそ、なんか早起きしちゃったから〜朝活って奴♪ あたしもってことはそっち自主練?」
「うん、僕も早くに目が覚めちゃって、レースまであんまり時間もないから」
「へ〜〜〜〜、起きてすぐダッシュは流石にあたし気分ノんないな〜〜〜、ドラちゃんまっじめ〜〜〜!」
「ド、ドラちゃん!?」
目下一番警戒している出走メンバーのフサイチパンドラさん。
レースを控えているのは同じなのにこの余裕のマイペース、それだけ自分に自信がある証拠なんだろうな。
「てかてか、今度のレースあたしとドラちゃん一緒じゃんね?」
「そうだね……僕にとってはNHKマイルCに挑むための大事なステップアップ、負ける気はないよ」
「どうかな〜〜? 前のレースはちょっと調子悪かったけどー、今めっちゃいい感じだし♡」
「それは、僕はどう受け取ればいいの……?」
「え? それは〜〜お互い頑張ろ!的な? 折角同じレース走るんなら楽しく走りたいな〜〜♡」
楽しく走る、きっとそうできた方がいいとは思う。
いつだって前向きに挑める人はそれだけで強いんだから。
「僕はまだパンドラさんより強いなんて言えないから、楽しいよりも勝ちに行くよ。 本番には必ず誰よりも先に立って見せる」
自分でもここまで強気になるとは思わなかったけれど、吐いた言葉は飲み込めない。
僕の言葉にパンドラさんは紅い瞳を楽しそうに細めた。
「いーね、じゃ勝負だ♪ ドラちゃんも見といたらいーよ、あたし天才だから〜〜〜みんな置き去りにして勝っちゃうし!」
「僕だって……!」
メイクデビューの時とは少し違う熱。
誰かのためにじゃない、僕自身の為に勝ちたいと思う欲求。
それが今僕を突き動かしていた。
「ドラちゃん見てたらちょっとノってきたかも♪ あたしもちょっと練習しよ〜〜っと!」
「なら、僕は別のコース使うから。 パンドラさんここ使っていいよ。 互いの走りをちゃんと見るのは本番で」
「おっけ〜〜! じゃ、お互い頑張ろ!」
コースを離れようとした僕にパンドラさんは笑顔で手を振っている。
最初から最後までマイペースのままだった、それはきっと彼女の強さの一端を担っているんだと思う。
自分に自信があって、誰にも揺らがされない、自分のレースができるってことだ。
けれど、レースに絶対はない。どれだけ走る前に何かを語っても、走ってみないことには分からないんだ。
別のコースに移っている僕の中で、幾つもの炎が揺らめいていた。
パンドラもっと供給欲しいです。
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