『ギザ十じゃ足りないらしい』
「あぇ」
冷たいコンクリートの感触を後頭部に味わい、自分が仰向けに倒れている事がわかる。
痛みによって身体が硬直し、生き残る為の行動を取ろうにも思考に反して身体は全く動いてくれない。
ただひたすらに、臓腑を煮られる様な感覚に襲われている。
――熱い、痛い、苦しい、冷たい、寒い。
「ごポッ…ーー」
こぽこぽと喉が鳴る、それは息をしようにも喉を塞いでいる血の塊が吐き出せていないからで、肺に空いた穴が咳き込む事すら許してはくれないのだ。
自分の口から流れ出るまでもなく、身体に空いた隙間から隙間風が通り過ぎるのを感じると、床に赤一色が広がっているのも見える。
――俺の中に、こんなにも血が巡ってたのか。
「……」
人体の神秘、どう考えてもこのナヨナヨした身体に入り切る量では無い血の海が広がっていく。
保健体育の授業で習った気がする、成人近い人間の肉体には約六割の水が流れていて、それで血の量が……。
ーーなんだっけか、思い出せない。
初等教育すら忘れる自分に目眩がする、それか血を失いすぎて目眩がする。
そうだ、確か人体の三分の一の血が失われたらヤバい筈、もう全部抜けきってる気がしなくも無い。
「ーーヘイローが無い?」
今自分がどれだけ死に体であるのかを理解すると、身体から力が抜けていく、三途の川でバタフライでもしている様な高揚感は、死にかけるとアドレナリンが大量に放出されるというアレであろうか。
だが、確かに身体から感覚は失われ、ヒュウヒュウと吹いていた身体の隙間風も遠く感じなくなって消え去っていった。
ーーああ、死ぬのか、俺。
消える意識からは、魂が他界しようとしているのを感じる。
天井のシワを数えていればすぐに終わるこの時間で、特別何かをする意欲は無かった。
銃で撃たれれば人は死ぬ、そんな当たり前の事があるのに襲われた自分はどうしようも無かった、仕方なかったのだと。
「…ーーバル」
そんな事も理解出来ない狂人に、殺戮者に襲われてしまったのならば、そこに『死』以外の結末は無い。
ただ『死』を目の前に願ったのは――彼女が今後救われて欲しいという事だけ。
「ーーないで」
優しい羽が触れるような、優しい音色が聞こえた。
記憶に新しい声、空耳かどうかも分からないが、きっとすぐ側に来てくれている。
その声は頼りになる、安心出来る、心地よい感情が溢れてくる。
だから――。
「……っていろ」
近付いてくる『死』を、魂から引き剥がし叫ぶ。
今冷たいコンクリの上に寝転んでいるのは、失敗した人間の、盲目的で愚かな人間の取り返しのつかないミス、俺のミスのせいだ。
だが、それでも――。
「俺が、必ず――」
――お前を、救ってみせる。
次の瞬間に彼――ナツキ・スバルは命を落とした。
■
「撃て!撃てぇッ!!」
「グレーネーード!!避けろぉッ!!」
ーーマジやべぇ。
一文無しで路頭に立たされると、ここまで絶望してしまうものなのか。
いや、一文無しというには色々持っているものはあるが、どう考えても目の前で繰り広げられている光景に比べると心もとなさ過ぎる。
地元のスーパーで自炊の昼飯と晩飯の材料を買える金額を持った状態で、銀座の一等地の超高級ビュッフェを頼んでしまったようなもの。
「銃の市販価格ってどんなもんなんだよ」
現代日本で知りようの無い知識を引き出さなければいけないとは露にも思っていなかった、黒髪三白眼、特に特徴の無い彼には銃など不釣り合いに見えてしまうだろうが。
凡庸過ぎて瞬きの間に群衆に紛れてしまいそうだ。
だが、彼を見る視線の殆どは不可解に染まっていた。
それも当然の話、何せ周囲の人物全員が携帯していて、彼だけが持っていないものがあるのだから。
「まぁ、つまりこれってあれだな」
己の方が正しい倫理観を持っていると確信出来なくなり始めた辺りで、この状況ならば納得するしかないと腕を組み呟く。
「ーー転移モノ、ということらしい」
目の前を、派手に塗装された戦車が爆走するのを見て、頷いた。
■
「そもそもここって日本なの?」
「ニホン?なんだそりゃ」
「よし分かった、異世界召喚モノに軌道修正だ」
蓋を開けてみれば全然この世界は日本の未来でも何でも無く、『キヴォトス』と呼ばれる別世界である事が分かる。
だがどうした事か、この現代文明チックな異世界は余りにも見覚えがあるものが多い。
「コンビニまであるし…」
そこかしこに居る女子高生が銃を持っていて、頭に謎の光輪を浮かべているのと、歩くデカイ犬と猫、それに何故かサラリーマンの服を着ているロボットを除けば凡そ現代と変わった所は無い。
今自分で除いた部分をもう一度噛み砕いてみると、ここが異世界であることが十分に分かる。
「サイバーパンクっつうの?なんか世界観を断言するには色々混ざり過ぎてるけど…暴力蔓延るロボットの街はサイバーパンクしかないだろ」
誰でも一度は憧れる異世界転移がまさかのチート抜き、現代知識無双もチート能力も魔法も無い、バリバリの銃社会。
絶望し、挫けそうになる膝を叩いて直し歩みを進める、この巨大な街の探索は終わっていないのだからまだ自分には逆転の芽が残っていると信じて歩くしかない。
「建物はコンクリ…機械類充実、自立型AIロボットに自動販売機……ーー異世界っていうからにはもっとこう、中世寄りにしてくんない?」
日頃から妄想に耽っていた時間が全て無駄になったかのように感じる、ガラケーよりも高技術っぽい薄型の携帯みたいなものも皆持っているし、何より備えもさせてくれずにここに連れてこられたのだから。
「コンビニから出て連れてこられたかと思えば、次はコンビニの上に座らせられたって何のギャグだよ」
降りるのにも苦労したし、その間に変質者だと叫ばれながら女子高生に逃げられた、こんなの俺の心が幾つあっても砕け散り足りない。
「金の支払いはクレジットだし、しかも見た事ないタイプだし」
見た目は全部現代日本と似ているのに、その中身が丸っきり違っているせいで違和感が凄まじい。
鮭と表記してあるおにぎりを食べたら、中からイクラが出てきた気分だ。
「言語コミュニーケーションは可能、というか日本語、異能無し魔法無し、の割には不思議な輪っかが空に浮かんでいる、女の子の頭の上にも」
現代技術をここまで強調しているのに、空にはファンタジーもビックリな謎の模様が浮かんでいて、謎の塔から謎の光も放たれている。
更には空に浮かぶ飛行船にすら光輪が浮かんでいるのだ、ジャンルを分けるにしても混在しすぎていた。
「…こんな世界でどうしろってんだよ」
ーーピストルの一丁でも……。
「持ってても変わんねぇな、マジで勘弁してくれ…俺を導いてくれる美少女とか、最強の力が籠った銃とか渡してくれる女神様は何処だよ、転移させるならせめてさぁ」
弱音をグチグチと吐き出すのも限界が来ている、コミュ力1の俺がこの世界で働くなんて無理に等しい。
ーー元の世界でニート、やってました。
なんて面接で語ってみろ、赤っ恥超えて青ざめながら泡吹いてぶっ倒れる。
「初期装備も貧弱だし、本当に俺にどうしろってんだ」
連れてこられた理由も不明で、これから何をすればいいのかも不明、そして帰れるかどうかも不明。
絶望の二文字が相応しい状況で、やる事が足踏みしかない。
「あーあ、せめて銃でも持てたら……」
指をクイクイさせてトリガーを引く動作をしているナツキ・スバル、表情は暗く今後に一切の希望が持てないのが原因だが…ふと、表情が変わった。
その理由は、間近な銃声だ。
この世界に来てから聞き慣れてしまった銃声だが、ここまで近いのは初めてで、しかも入ってきた路地の入口から聞こえる。
「おい兄ちゃん、金だしな」
「舐めてっといてこますぞ」
ーー所謂スケバン、ヤンキー座りが似合いすぎる二人組が物珍しい格好をしている……というより、銃を持っていないのを好機と見たのか路地の入口に立っていた。
「やべぇ、強制イベント発生か?」
この世界に来て最悪なのは、ロボットと獣人を除いた殆どの人間が女子高生であること。
「クソッ」
「あ!おい待てっ!」
ーー男、ナツキ・スバル、女を殴る拳は有していない。
故にその逃亡は必至の事であった。