『茶会』
──朝日を全身に迎えるように、背伸びをする自分の身体を窓へと向ける。「ラジオ体操第一、両手を大きくあげて…」と、ラジオ体操第一の始まりを唄い、その素晴らしさを口にしようと思えば、朝の体操が夕方まで伸びてしまうことだろう。
けどまぁ寝起きの調子を整える以上に、ルーティーン的な側面が大きい。朝起きればアレをする、コレをする。そういった風に行動する為のスタートダッシュなのだ。規則正しく朝飯を食べて、規則正しく運動をしておけば人並み以上に健康で居られる。
「んー……」
《昨晩はアビドスにて…お疲れ様でした、スバル様》
お疲れ様もお疲れ様、夜中に見たアレは置いておいて、それよりも現実の方に苦労させられたものだ。
「んむ」
感嘆深く頷くスバル、お泊まり会となれば向こうが手加減する必要も無い、それは分かっていても防ぎきれないビックラブの受け渡し会だ。
誰か塩対応の人間を口にしなければ、甘ったるい口はところ構わず甘い言葉を吐きそうになる。
《──。予定はお伝えした通りです、ティーパーティーホスト、聖園ミカ様との会談はお昼頃に》
前代未聞、組織のトップを口説くナツキ・スバルの出動は防がなければ。
そんな気分をリフレッシュするにもラジオ体操は効果てきめんだ、と言っても思考の方をポジティブに切り替えるのには苦労する。例えばこの後、聖園ミカと会話が弾まない、駄弁を語る、会話のキャッチボールが出来ない。なんて事態になれば、赤っ恥を晒すのは互いになる。
待ちかねた対談、対話の場。スバルがアビドスで地獄を見た一因であるアリウスの巣窟。威厳ある立ち回りをせねば、またいつ寝首をかかれるかも分からない。だからいつも通り、戦闘服であるジャージを中に着込み、上からワイシャツとシャーレのジャケットを羽織って整える。暑くるしくとも、スバルにジャージを脱ぐ選択肢は無かった。
「お早いですね、ナツキさん」
「お早う、だな。リンちゃん」
万が一の寝坊を防ぐ為、早朝からシャーレを訪れたリンへ朝の挨拶を返す。温まった身体の節々をマッサージしながら、少し緊張の糸が見えるリンに向けて溜めた息を吐いて笑いかけた。
ヒフミへの返事を期に、トリニティ学園からの『茶会』への招待を受け取ったスバルは、それが相手にとっての不測の事態でない事を重く見る。まるで最初から茶会の開催は決まっていたかのように、迅速に行われようとしている会談の結果が、スバルの思考に収まりきるなんて楽観はしない。
反乱軍の逆転の一手、それが予想されていたものである事実は、茶会への招待を受け取ったスバルと受託したリン以上に、彼女らにとっては恐怖に値する。
「お、おはようございます!」
「──アユムさん、寝癖がまだ直りきっていませんよ」
「え!?うぅ…すみません、ここまでの早起きは慣れていなくて…」
調停委員岩櫃アユム、連邦生徒会のパイプ役と呼べる彼女は急いで頭に浮かんでいた違和感に手を置いて、応急処置を試みるもピンと立った頑固者には敵わない。その抵抗を受けて諦めたのか、目をパチパチ開いて閉じて、スバルとリンへ向き直る。
センター分けした金髪、いや金色の髪のど真ん中にそびえる額に埋め込まれた宝石の様な物は、キヴォトスの種族的特徴……なのだろうか?そして美しく清廉な黒羽、濡鴉程の艶は無いがそれに引けを取らない色のまとまり感があって、瞳は翠玉のよう。そして彼女も、リンに負けないほどの肉体の凸凹を有していた。
外交官の役目を持つ生徒会役員は少ない、内一名はサボり魔でろくに働かず、トリニティの式典開催としての側面を持つ茶会には相応しくなく、同行する事になったのは七神リンと岩櫃アユムであった。
気合いを示すように両手を胸の前で握りしめる。スバルも同じように真似してみるが、『そういう』ので元気が湧く相手が居ないのが悲しい所、アユムの可愛っ子ポーズは確かにスバルに元気パワーを与えてくれているのにな。
「……もうツッコミませんよ」
「ツッコミってのは自然に湧き出るもんだぜ、やりたい事を抑え過ぎると身体に毒だ」
「どうしてツッコミがやりたい事判定なんですか…!?私は別に──こほん、また貴方のペースに持ち込まれては困ります。先に今日の予定を復習しておきましょう」
アビドスの惨劇の五割を担った原因の本拠地に乗り込む為に、何が必要か。それは堂々と、当然の態度で暗殺を実行されない事。
メガネに指を置き、効果音が出そうな動きで場所を整えるリン。相も変わらず抜群の肉体プロモーションを発揮している彼女だが、事態の重大さが目の下に浮かぶクマの拡大を押し進めていた。
強引な手段をお願いしたせいでもある、茶会に出席するにあたってスバルが達成すべき最大の課題は、命の安全だ。そう、当たり前のように暗殺されないように、茶会への出席を『公的』な行事に巻き込んだのだ。
『───万魔殿にわ、ざ、と、干渉させます。わざとですからね、簡単に籠絡されないで下さいよナツキさん。というか私が許しません、委員長がいながら他の人間に目移りする事自体許し難いというものです、それに』
その後もうんたらかんたらあーたらこうたら、茶会に関係の無い話題を無限に続けられた記憶があるが、世の中には一人への愛でこんなにもめんどくさくなれる人間がいるのだと勉強した。必要あったかどうかは問わない。
「やり取りは長いし、取引とか分かんねぇし、予定の組み立ても難しいし、行事っていつもこうだよな…」
「願ったのはナツキさんですよ、途中で投げ出さないで下さい」
「……必要だってのは分かるけど、予想よりも……なんつーか、本当にこのやり取り居る?ってのがさ」
ニコニコと笑顔を振り撒きながら、ゲヘナの万魔殿、トリニティの外交官、その他トリニティに支援活動をする全ての学園に挨拶回りを行なった。
絶対に、何があってもスバルに手が出せない状況を作り出す為に、アコが考えた最低限の保証。
──これで最低限、これでも最低限。
酷く目眩のする様な話だ、あのアコとヒナが意見をまとめ合って導き出したモノが、スバルの命を他学園への権威で守る事とは。
トリニティが全学園と事を構える気なら、容易に手を出してくるだろう。手を出されるなら既に手遅れ、手を出されなくても腫瘍は摘出できない。
「いるかどうかも分からない手順を踏んで、それでも尚不満が上がる立場が我々、連邦生徒会なんです。どうにも一般生徒からすれば、我々はドン・キホーテの風車に見えているらしく───」
「ネットサーフィンしてて分かったけど、口が悪いとかそういう次元じゃ無かったしな…!温厚が擬人化して練り歩いてたら、身ぐるみ一つ残さずカツアゲされてそうな感じ」
「おちおち私達の評価も検索出来ません!リン先輩もモモカちゃんも、最近不祥事がありましたけどカヤさんも…各々頑張っているのに…!」
「カヤ───……うんまぁ、何も言わねぇけど、やっぱ立場ある側に立ったとエゴサ出来ない悲しみが…」
ネット社会における権威者のエゴサって大変も大変、自分の活動が晒される人目の数は、隣人のお付き合いやマンションの入居者関係とは桁が違う。その分のストレス、そして蓄えられた怒りの量が、そのままアユムの激怒に繋がっていた。
火のないところに煙は立たない、そんな事も無い。煙を起こしているのが地中深くのマグマであるかもしれないし、誰かがふかした煙草の煙が、風に乗って漂っていただけなのかもしれない。
トリニティはその点、どう考えてもキヴォトスが滅ぶ程のマグマが内蔵されていると言っていいのだが、
「……」
「…何しても、誰かから指さされる。たまったもんじゃねぇわ」
スバル側も、そうは言ってられなくなってきた所だ。
トリニティがまだ活動していない火山なら、スバルは足元に大量の薪を置かれている魔女裁判。
『英雄』としての賞賛の声は、『英雄』以外の要素を許さないのだ。
ネズミが如き適応力でキヴォトスのネット環境に慣れたスバルだが、現実に見えない多数の悪意とやらは恐ろしいものだとは知っていた。それでも、ソレらを考えてまで動いてはいられない。
アロナとリンの情報規制が無ければ、燻っている火はすぐに大火となり、本来はスバルを照らす為の灯火がスバル諸共飲み込む事態になっていたことだろう。
「不良に弁当配ってるのも、アビドスに手を貸してんのも、誰かの当番で誰かの手助けしても……文句出る所からは出る」
最近だと不良との初対面も『げっ』だの『ナツキ・スバル!?』だの、ヒフミの時もそうだが居て欲しくなさが限界突破している。
「ピーチクパーチク言われんのも嫌だけど、そのせいでピーチクパーチク言わなきゃなんねぇってのも癪だな」
「通年、連邦生徒会が味わっている事をナツキさんも理解してくれましたか」
スバルが苦い顔をすると、「それとも、共感はしたいが身に染みて理解はしたくなかったですか」と自虐を混じえ唇をへの字に曲げる。
疲れの目を見せず批評批判を塵芥とするには、長年の慣れが必要なのだと、
「これから更に大変ですよ、ナツキさん」
「はぁ────」
憂鬱げに、肩を落とす。
荒事慣れと業務慣れ、両方の負担に慣れろとはブラック企業も真っ青だ。表情筋は育てないと頬が垂れるらしいが、このままでは老後に頬がビヨンビヨンのジジイになってしまう。
そんなこんなで出掛ける準備を済ませ、今となっては自分の部屋になっているシャーレからお別れを告げる。結局の所、怪我の影響でまだ菓子類は口にできないせいで、日本の自室のような散らかり具合になっていないのが幸いか。
アロナとの会話や生徒との付き合いが最高の娯楽になるのも大きい、自然と部屋には生徒に関わるものと、生徒が必要としたものしか増えず、無駄遣いばかりをするスバルの良い自制になっていた。
「んー、仕事人って部屋過ぎて泣きそう」
「…ふふっ、最初は自分の部屋を貰ったと楽しんでいましたよね。スバルさんは…その、ここが当番の生徒を迎える場所でもあるせいで…」
「そーなの。俺のプライベート空間ゼロ。凡骨の俺がこの世界でそれは無いぜほんと……男の辛さってのも伝わらねぇだろうしさ!」
「連邦生徒会長の手紙にはその事についても書かれていましたよ。『新築のボロアパートにでも住みたくなったら言って欲しい。定番は抑えてる』と」
「───何て?」
「定番は抑えてる……意味はよく分かりませんが」
「───」
とんでもない発言がサラッと飛び出るのも、慣れ──る訳が無く、新築のボロアパートなど凄まじい矛盾が発生する文字列を処理するのに体感五分もかかった。定番は抑えてる?いやまぁ確かにラノベや恋愛シュミレーターだと、スバルが好む設定ではあるが────。
「んな事今悩ませるなよ…!クソッ、俺の頭の中に仮想のヒロインズが…」
「仮想なんですね。貴方を好いている方は多いのに」
「…………リンちゃん容赦無さすぎ」
「アビドスからの当番申告を許諾しているのは私ですからね」
「あーもう!さっさと行こうぜ!!いざ本丸!敵はトリニティにあり!」
「敵───!?」
「アユム、比喩だよ比喩。気にすんな」
■
──シャーレを離れてそうそう出迎えたのは、やけに顔を青ざめさせた卑屈そうな生徒だった。
黒色の髪の毛は乱雑という程でも無いが、毎日トリートメントと手入れを欠かしていないであろうリンとアユムの艶には見劣りする。服の内側には黒のタイツハイネック、そして上着としてはカーディガン。
「外交官古関ウイです…」
「う、うん」
声は低く唸るような、それこそ列車の中で車酔いを起こしている乗客のようで、
「こ、今回は、トリニティ学園との友好を称し、茶会への…茶会へ……あー、えっと……茶会へのご出席を検討して下さってありがとうございますっ!」
「おおぅ…」
「どうぞ車へ、ナツキ・スバル様」
──まるで、動物病院に連れてこられた柴犬のようだった。
どうも見た事があると首を捻るスバルを、ウイは不思議そうに見つめる。そうだ、とむちゃくれた柴犬を思い出して、ゲロを吐きそうな顔をしているウイと見比べてみるとあらそっくり。
雰囲気や顔が似てるとかでは無く、態度がそのまんまだ。やりたくない事をやらされている感じが本当にそっくりで、思わず宥めたくなった。
「…すみません、こんなのが外交官で……」
「こんなのって」
「こんなのはこんなのですよ、なんで私なんかが…」
ぶつくさと文句を言う彼女は、やはり如何にもスバルと近縁種。と言っても日当たりを目指して日陰者になった自分と彼女とでは、この場においても正装にカーディガンを着込む胆力に差が出る。スバルでさえ、ジャージは見えないようにしているというのに。
困惑するままにリンとアユムへ視線を送るも、リンは真顔でだんまりで、アユ厶はあわあわとするばかり。
仕方なしにリムジン車へ乗り込んで、助手席に座ったウイはまるで一仕事終えた後のようにため息を吐き散らす。まだ客人が車の後ろに居るのにも関わらず、死んだ目をしながら「はぁぁぁ…」と嘆きをボヤいた。
「それでは…参りましょう……。トリニティ学園への道のりは、昨今の事情もあるので車一本となります」
「そのテンションのまま進行すんのね…!?」
「はい、このままのテンションで進行します…えーと」
眼鏡を取り出し、懐をまさぐって取り出した折りたたんだ紙を見つめるウイ。「えーとってまた言った…」とスバルのツッコミを無視し、台本通りとでも言わんばかりに棒読みで『茶会』の歴史を語り始める。
「ナツキ・スバル様にはトリニティ総合学園の事を知って欲しいと、ミカ様から申し付けられていますので……長話となりますが、お付き合い下さい」
「そこまで台本の範疇ってことあるんだ」
「ここまで台本通りにしないと、私喋れませんし」
「さて……トリニティ総合学園の歴史は長く、今現在の形を取るまでは様々な学園が自治区内に乱立しているような有様でした。紛争は散発し、平穏と呼べる場も存在しないほどに」
「そこで各学園は『第一回公会議』と呼ばれる、学園同士の統合に踏み切ります。それが現在の分派である『パテル』『フィリウス』『サンクトゥス』、三つの主要学園の元に統合され……トリニティ総合学園の形へと成ります」
「今回の『茶会』は、この第一回公会議を元とするものです。そして第一回公会議を開く元となったのが……『ティーパーティー』と呼称される各学園の代表同士の会談の場であり、その形式は昨今まで受け継がれてきました」
「ナツキ・スバル様がご出席されるとの事で、一度ティーパーティーとしての形容は廃止、他学園と行政との交友の場を一纏めに『茶会』と───ここはおべっかです、別に内紛が始まった時点で各々の学園の代表、『ホスト』が出席出来なくなったので、形式的なティーパーティーは無くなってます」
正直な意見ありがとう、と言い切りたかったがやっつけのような態度と真相の暴露を一個人でしてしまっていいのだろうか、つーか明らかに人選ミスじゃないのか───?
「内紛が起きた理由は……ああ、阿慈谷補佐官…いえ、代理代表から聞いているんでしたね。では後…後は……──。まぁこんなもんです、ゲヘナ学園とは自治区が隣合ってるので古くから確執があり、凍結されていたエデン条約は自治区間の衝突を防ぐもので……はい、そんな感じです」
「明らかにやる気が無ぇ…何があったらそんなにやさぐれんだ…」
「そりゃ、理由なんて沢山あり過ぎて言葉にしきれませんよ。元はと言えば私、ただの図書委員ですから」
「えぇ…?学徒動員っていうんだっけか、酷ぇな」
「……そうですよ、ですが…ナツキ様が思ったよりフランクな御方で良かったです。私の態度なんて咎められて当然ですし」
「自覚あんのかよ!人選んで態度変えてない点は褒めてあげたいけどさ!?」
「人を選りすぐり出来るほど、器用では無いので」
不器用ここに極まれり、だがスバルが言えた口でも無い。それに彼女は物の取り扱いはとても丁寧な様で、かけている眼鏡も取り出した紙も几帳面さが滲み出ている。あんな小さく折り畳んだ紙に、シワの一つも無い。
図書委員という言葉からも取れるように、やはり愛情を向けるモノに対しては懇切丁寧、逆に公的な場で愚痴を垂らす程に人付き合いは不器用。その対応の差に、トリニティの歪さと不自然さが現れている。
ヒフミもそうだったが、器じゃない。貶している訳ではなく事実だ、ヒフミが補佐官をしているのなら、もっと有益さを求めてスバルに接触していた筈。代理代表なら尚更。
不良に襲われた時でさえ、実力は分かっているシロコを助けようとした善性は、ああいう役職では致命的な弱点だ。スバルはナギサという人物の像を知らないが、彼女を矢面に立たせるのは流石に切羽詰まり過ぎである。
「…古関ウイ外交官、伝えるべき本題は茶会の内容です。ナツキさんが何を議題に、ナツキさんに対していかなる要求をするのかを提示して貰えませんか?」
「それは…共有しておいて下さいよ…。リン行政官は知っている筈です…」
「…………」
リンの鋭い視線がウイを貫く。
気まずそうに目を瞑り、頭の中で言葉を巡らせて──スバルの顔を見やる。
「……分かりました、一応台本は用意してますので説明しましょう」
「ああ、頼むぜウイ。今の所は最高に丁寧で聞きやすいナレーションだ、俺の不遜な態度に合わせてくれて助かる」
「…………なんというか、貴方も噂通りの人間ですね。…はぁ、我々が今、内紛によって二分化されていることはご存知ですか?」
「エデン条約が原因っちゃ原因だが、過激派を止めるために争ってんだってな」
「ええまぁ、大体その通りです。私は図書館を守ってくれる側につきましたが、トリニティでは『和平派』と『強硬派』ですね、その二つが小競り合いをしている最中です。和平派は様々な学園の支援を受ける『反乱軍』とも揶揄されていますが……そこは別に話さなくても良いでしょう」
車を運転する生徒をジロリと見つめ、自身の発言に対しての不干渉を告げた上でリンとスバルの要求に応えようとするウイ。語り口は早回しになり、暗い表情は更に漆黒を増していく。
「故に、我々は両派閥の和平を望んでいます」
「──マジで?和平派が言ってるんじゃなくて、強硬派が?」
「ええ。ミカ様の方針ですよ……」
「…………」
先程、人選ミスだと言ったがそうではなかったようだ。一片の偏りも躊躇も存在しない『無関心』を貫く彼女こそ、スバルが情報を得るのに最も適していた。
発言の突飛さは彼女の態度で誤魔化せる、その裏に何が潜んでいようとも無関心であるが故に深堀っても意味が無い。まさに適任。
「貴方の監視の元、トリニティの内乱を一度停戦したいらしいです」
「…!そうか俺が……」
スバルが命を守る為に行ってきた保証の数々、それに相乗りしたいということだ。会談の結果の責任は、スケープゴートとしてスバルへ。スバルのバックアップを受けた強硬派は内乱を沈める。
なにが目的で停戦を行いたいのかはバレバレだ、明確な対立関係さえ消えれば、和平派を支援する学園は一度手を止めるだろう。トリニティだけで完結している戦力の強硬派と、他学園との協力で戦線を維持している和平派、隙が産まれて先に壊滅するのは────。
「…………」
「ちゃぶ台返しする覚悟を先に決めたのは、向こうだって訳ね」
ただでさえ和平派にもゲヘナへの疑心の種が撒かれている、綺麗に整った交渉のテーブルを、皆が一息ついた後から台無しにしても尚、得をするのは強硬派────聖園ミカという事か。
「実は亡くなったナギサ様がミカ様との口約で決めていた事らしく、代表の血を以て終わらない争いを終結する……なんて話があったとも」
「──ウイ外交官」
「貴方は車を運転していて下さい、別に話した所でどうともなりませんよ。それとも権威と欲に塗れたその手で、私を───……言い過ぎ、ですかね?」
「…………いえ、何も」
運転手兼お目付け役、そんな雰囲気を醸し出す相手を語気だけで黙らせるウイも中々だ、それに相当に言い分があるのかもう一度ため息を吐く。
呼吸にすら神経を使わされる時間が、車内で数十分流れて終わり、到着まで後もう少しで一安心。は、出来ない。
これからが本番で、ここからが緊張のクライマックス──もっとも、ウイが放つ陰険さも引けを取っていなかったが、事前準備には丁度良かったとも言える。
「っ…」
車がトリニティ自治区に入って数分、その『異常さ』はすぐにスバルの視界へと映り込む。
──人が居ない。街から、本来あるべき姿が失われている。
雅な雰囲気がある喫茶店も、オシャレな服が着せられているマネキンの前にも、丁寧に舗装された大通りも、人の気配が無い。
その上、スバルの視界に映る殆どの店は爆弾か何かで壁が崩れていたり、弾痕がおびただしく付いていたりする。
「ナツキさん…お顔の色が…」
「…アユムこそビビって羽が震えてるぜ?つーか、ゴーストタウンにしたってこれは……なんていうか……」
「──戦争の跡地、みたいですか?」
「………………」
ウイが窓の外を見つめながら吐き出す、この現状を、現状に対しての率直な感想を。噂に聞くマンモス校がこの有様かと。
「生き物の音色さえ聞こえない紛争地域、死の匂いが強まる灰色の街、それが今のトリニティ学園ですよ。酷い有様ですね」
「……鎖国以前から紛争は起きていましたが、これ程とは…」
アユムが漆黒の羽を揺らし、ストレートの髪を指に巻き付けて不安を抑える。そしてリンよりも深いクマを目元に刻むウイは、自嘲するように惨状への忌憚のない意見を述べた。
個性的な性格を……悪く言えばイロモノのぐーたら外交官ウイが物申す程の有様は、スバルのメンタルを揺さぶっていて、
「──私としては、もはや図書館を守る以外にやる気はありません。そんな私でも…ナツキ様、貴方には期待していますよ。以上です」
最初の塩対応からの、このセリフ。
揺らされていたのはメンタルでは無く恋心だ、これぐらいで怖気付けるものか。
「俺を堕としにきてる?俺ルートに入っちゃうよ?」
「はい?……ルートって、さっきまでの私の何処にそんな要素が?……ですが、まぁ、貴方が私の図書館を…あの子達を守ってくださるのなら、茶会の最善を祈りますけど」
「今の俺はラブコメ脳だからな、こんな陰気な街を見ても脳内に浮かぶのは……邪魔されずデート出来る、ぐらいだ」
「……うげぇ」
「うげぇつった!?この外交官今うげぇって!?」
「流石に今のは引かれて当然かと……」
「ええ、当然です」
アユムとリンまで敵に回る理由をぐるりと舌を一周させて唾を呑み考えて───そうか文脈的にはウイを誘った風に思われたか、スバル的にはアビドスの皆とヒナ、カンナ、ノゾミ、ヒカリ……。
「……………」
「俺ってもしかしてクズ野郎?」
「へぁ!?そ、そこまでは言ってませんよ!!」
「いやなんか、デートって単語から連想した名前が複数人……七、八人…」
「クズ野郎です」
「言い切りやがった……!?」
慌てふためいた表情から一気に冷めた顔へと変わって、女の敵を見る目へと変わる。夜明け間近の色をした紺色の瞳は細く、軽蔑を含む。
言い逃れる余地は無いので堂々と受け止めて、茶会へ出席する手前の今しかないこの瞬間にウイへ質問をした。
「なぁ、ウイ」
「なんですか」
「ぶっちゃけ、ウイ的には…今のトリニティってどうなれば良いと思う?」
──現状が非常に悪環境、それを前提とした質問を投げかける。
黒か白かも分からない、もしかすればスバルの未来視の要因、つまりは死因かもしれない相手だが、自嘲を行う彼女の口を信じる。
自嘲は不満、不足の現れ。欠点を押して図ってきたからこその文言。自分を投影し、改善点を探し出したもののどうする事も出来ない意欲の現れ。
スバルが感じ取った近縁種の気配は、嘘をつかないと信じるのだ。
運転手の気迫もそれに伴って大きくなるが、やはりものともしないウイは眼鏡を取り外し、紙を胸元へと仕舞ってから頭を窓へと傾けて、
「どうしようもありませんよ、本は嘘を述べる時と真実を述べている時、両方がありますが……」
「トリニティ、という一冊の本は誰かの手によって編修され続ける歪んだ物語。殺意すら超越した正義の熱の泥沼で、皆等しく沈んでいます」
「……──ウイ外交官…!!」
「あーはい、この後の茶会に影響ある発言はしませんよ。というかスバルさんの方を注意してくれません?質問したのは向こうですし」
「おうおう、俺に押し付けな。聞きたがってんのは俺なんだからよ」
「くっ……」
「ん……ですがそうですね、どうにかできると思わないと……どうにだって出来ませんし……」
「───私は、陳腐ですが救世主に全てを託します」
「────」
それは、取り留めのない意見しか持たない者から出る言葉では無かった。ホシノの時もそうだ、言葉に重みを載せれる人間は少ない。
発言の節々からリアリストである事が分かるウイの口から、救世主、なんて具体性の無い単語が出てきた。
一瞬、それはスバルの事を指しているのか?と誤認しかけるが、スバル自身がすぐに否定を挟む。彼女の態度は、そうやって待ち望む救世主に対してのものでは無い。望む勇者が現れるまでの代役へ、苦労を労っているようなもの。
「英雄、ナツキ・スバルじゃ不足か?」
「それ自認ですか?」
「違う違う、ネットのあだ名」
「最悪ですねそれ……私なら恥ずかしくて死んでます」
「俺も慣れるまで顔真っ赤っかだったよ、別に今も慣れてる訳じゃない。求められてるから、返してるだけ」
「……──ふむ」
「不足かどうか、それを測るのは私ではありません。私一人が納得する様な人ではダメでしょうね」
「ならどんな奴だ、ウイが納得したらダメって矛盾してるけど」
「………………」
「………」
頭をコツン、と、車の窓に数回ぶつける。貧乏ゆすりの代わりなのか、リズム良く、テンポ良く。
答えが出ていて、スバルに分かるように伝える為に悩んでいるのか、そもそも矛盾に今気がついたのか。
「…………」
「─────」
ふぅ。と、また一息。
「救世主は、救世主あらざる故に救世主である」
「……?」
「誰かを指す言葉では無く、誰かである事も無く、誰かから求められる訳でもなく」
「最初の一歩は誰にも知られることは無い、ただ誰かが、どこかの誰かが、一歩を歩き始めていると信じるしかない。その足跡が、その痕跡が、その歩みが、救世の道だと証明出来ないからこそ、救世主とは救世主なり得るんです。楽園に至る者は初めから、楽園を目指して歩いてなどいなかった」
「……」
「古則の転用です、戯言として忘れてください。隣の人からの小言が煩いので」
■
──その場所は、『学園』と呼ぶには異様な雰囲気が漂っていた。
門を踏み越え、案内されるがままに静寂の世界を歩くスバルとリンとアユム。連邦生徒会長が失踪してからの鎖国であったがため、リンもアユムも内情を知る事は無かった。
トリニティ総合学園、三大マンモス校の中でも貴族階級が介入する、いわばキヴォトスの中核。大人の手が加わり、子供は箱庭の中で奔走し、生徒として人生を謳歌するのがこのトリニティ。
「────」
その華は、とっくに散っていた。隠しようも無いほどに、枯れ木となってそびえ立っていた。
「────」
この学園を、否、世界を表すとするのならシンプルだ。一言で済む、最悪の単語一つで表せれる。
「───…」
──終末。
終わり果て、もう手の施しようのない事を意味する単語が相応しい。スバルが何をしようと、どう足掻こうと否定する世界が、そこには広がっている。
勉強の為に使われる机や椅子はバリケードに、散歩を楽しむ大きな広場は火薬と火が纏い、学びの校舎はただの遮蔽物として扱われていた形跡がおびただしく付いていて、この世界の何処にも平穏は無いのだと思い知らされる。
「これ…は…」
「和平派と強硬派が争った結果です、今は和平派は……さっき通っていた市街地でゲリラ戦をしています、が元の戦場はここでした」
「トリニティ学園の私有地は無駄に広いですからね、一部の部活と生徒が反抗を始めた頃は……誰もこうなるなんて予想していなかったと思いますよ」
「………」
「今日は休戦中です、向こうもこっちも、貴方が訪れるこの瞬間に事を起こす程正気は失っていません」
顔が強ばっているのは何もスバルだけじゃない、アユムもリンも、冷や汗を浮かべながらこの惨状に生唾を飲んでいた。
この場で一番リラックスしているのはウイだ、彼女のお陰でこの場の全員がまだ言葉を吐ける状況を作ってくれている。忙しなく黒羽に触れて泣きそうになっているアユムが泣き言を漏らさないのも、彼女の緩和があってこそ。
しばらくするとウイが足を止め、振り返る。三人の顔を見てからため息をまたまた吐いて、
「あー、ではここから先は彼女に」
「どうも」
ウイの背後から現れた人物へと、案内の権を託すのであった。
正直、交代して欲しくは無いのだが、そんなワガママが通るわけないか。
「聖園ミカ現ホスト補佐官、仲正イチカっす。今日はよろしくお願いします」
「…───正義実現委員会…」
「元…っすよ、今は普通の補佐官っす、アユムさん。それではミカ様の元に案内するので、しっかり後をついてきて下さいね」
赤と黒を貴重とした制服に、腕章として十字架と三つの円と逆三角形が重なった──つまりは校章が描かれたものを着け、見えているかも分からない細目をした仲正イチカが、ウイの代わりを受け持った。
頬に軽い火傷が見えたり、服装に少し乱れが見えるのも現状を考えれば妥当か。首筋にかからない具合でショートにまとめられた髪を揺らし、案内を続ける。
先に待つは鬼か蛇か、どちらが出ても悪夢でしかないが虎穴に入らずんば虎子を得ず。茶会の主、いや…アリウスの主将に、ナツキ・スバルはどこまで抗えるのか。
スバルの未来視で迎え撃つはこの終末世界を作り上げた悪魔だ、これからの運命全てを掌握する怪物、はたまた深淵、それか唯の人間。
ただ───この面会は、未来視がなくとも、穏やかなものでは済まないだろうと、スバルの直感が最大級の警鐘を鳴らしていた。そして未来視もまた────、
「……こっから先はボヤけやがって…!」
数多ある死因が原因なのか、尻すぼみを余儀なくされている。
全ては直感に過ぎない、がしかし、万全を尽くしてもどうにもならない予感なんてしたくもないのに、どうにも心がザワついて収まらない。
歩けば歩くほど歩みは重く、辛く、鈍く。
体感時間が水飴のように引き伸ばされる中、漸くたどり着いた扉の前で、イチカは立ち止まった。
「仲正補佐官、案内お疲れ様です。後はこちらで」
「了解っす、ナツキ様以外の方はこちらでお待ち下さいね〜」
「……」
「ナツキ・スバル様、本日は茶会へのご出席の程…感謝致します。扉の向こう側にミカ様がお待ちですので、ご案内致しますね。その後私は席を外す事をご了承ください」
「茶会への出席が許されているのは、貴方だけですので」
「────ああ」
開かれる地獄の門、ケルベロスが守っていたりはしなかったが、中に入ってからケルベロスに喰われる可能性が高い。
息を整え、朝のラジオ体操に感謝の祈りを捧げ心臓を落ち着かせ───、
「……」
「……───」
とても、穏やかな空間に、足を踏み入れた。
「───あはっ」
そうして目にしたものを前にして、スバルは、
「初めまして、ナツキ・スバル」
──暗闇さえ全て飲み込むような、星雲の瞳に、取り殺されそうになった。
「私はトリニティ総合学園、パテル、フィリウス、サンクトゥスの現ホスト、聖園ミカ」
「よろしくね☆」