「………」
桃色の髪の先は、空色のグラデーションで彩られている。頭がクラクラするくらい神聖味を帯びた立ち姿が、彼女の節々に施された星の装飾と羽に飾り付けられた月の飾りによってブラッシュアップされていた。
声は羽のように軽かった、自分の名前を呼ばれただけだ、それなのに何か大きな…上位存在、神に名を呼ばれた様な、そんな錯覚を起こす。
この感覚は覚えがある、この神聖さには身に覚えしかない。シロコだ、あの時の大人びたシロコに似た雰囲気が、あまりにも眩しく身体に飛び込んでくる。それこそ目を瞑っていても、その威光から逃れられない程に。
──これが聖園ミカ。おぞましい程の神気を漂わせながら、こうして人の形を取っているのが不思議でならない。
「───」
穏やかな庭園に広がる景色は、外の世界とは打って変わる。小難しい事ばかり言う夢の主の言葉を借りるなら、楽園という言葉が相応しい。そして白い鳥───あれはシマエナガ……か?世界でも随一に可愛く儚い鳥が、この楽園を自由に飛び回っては好き勝手に休憩している。
ポツンと白く輝く茶会のテーブルの上には、ティーカップとロールケーキが置かれているのが見えた。洋風な茶会での菓子といえば、ラングドシャ・フィナンシェ・ガトーショコラ、そこら辺を選択しようなものだが、わざわざ切り分けないといけないロールケーキ単品とは。
もしや切り分ける際のテーブルマナーでも指摘するつもり?いやいや、スバルの情報を知っているなら無礼講な場を整えてもらわねば困る。ティーバックで淹れた紅茶と、高級な葉をプロが煮出した紅茶の違いが分からないスバルに、それは残酷というもの。
「…えっと、どうかしちゃったのかな?そんなに固まっちゃうと、私もお話がしづらいな〜って」
「…あ、す、すまん。初めまして…だな。そして紹介にあずかり光栄だよ、聖園ミカ。その───アンタのヘイローが綺麗で、呆気に取られちまった」
「あ〜、君には見えるんだっけ!私達は違いが分かんないから羨ましいな〜。…ねぇねぇ、私のヘイローってどんなの?」
「どんなの…──なんていうか、星雲?宇宙みたいに綺麗なピンクの綿菓子がグルグルしてるっていうか」
「ピンクの綿菓子ー?綿菓子か〜、あはは!随分とメルヘンな言い回しをするんだね〜…そっか綿菓子かぁ…」
──生存本能が全力で稼働し始める。
落ち着かせた心臓が高鳴りを止めない、まるで、そう、恐竜の口の中でいつ喰われるか分からないまま雑談をしているかのよう。
舌の根が乾かず、目を見開いてから動かせない。膨大な聖園ミカという存在の気配が、息をさせることすら許さない。
「っ……ふっ……」
「んー?あ、ごめんごめん。席に座りたかったよね!ここまでの道のりお疲れ様。それに茶会への誘い…受けてくれてありがとう。私も早くこの不毛な戦いを終わらせたくて仕方なかったんだ〜」
「………お言葉に甘えて失礼するぜ、茶会って言うぐらいなんだから…トリニティの作法、俺に教えてくれよ」
「───へぇ」
「うん、うんうん。噂通り、流石は連邦生徒会長のその人…って所かな」
「品定めしてるとこ悪ぃけど、主導権は俺が握らせてもらう。そのつもりで今日はここに来た」
怖気付かない、気迫に押されない。交渉のテーブルに立つ者は、負い目を見せてはいけない。
雄弁に語る口を止められる瞬間こそが、この茶会の敗北者を決定するのだ。
「早速言いたい事がある、ミカ」
「もう下の名前で呼んでくれるの?うんうん!それで…何かな?」
「俺の立場は、和平派寄りだ。桐藤ナギサ側つってもいい」
「──ナギちゃん…?」
「でも、寄ってるだけ。まだ俺は誰の味方でも無いし、誰が味方かも分からない。だからミカ、俺が言いたいのは一つ」
「お前は俺の味方なのか、そうじゃないのか」
席に座り、震える手を抑止しながらネットで身につけた作法で紅茶を注ぐスバル。そんなスバルを見つめる目が───どんなものであるかを直視する勇気は無かった。ただ、細められた瞳でスバルの熱弁姿を見下ろすだけの彼女を、直視しては目が潰れてしまう。
「………ふぅん?」
「……」
「…こんな感じか〜……」
「ああ!俺はいつだってこんな感じさ…!」
「ん?あ、うん。そうだね、うんうん」
「っ───?」
何か──若干噛み合ってない返事を受け取る。
席に着き、紅茶を淹れる姿は優雅そのもの。上流階級ぶりが滲み出て仕方がない、余りの余裕さに語気を強めたスバルが惨めに映る。
「味方とか敵とかさ、そういうの止めようよ。君は今日茶会に来たんだから、まずはお腹を満たしてからにしない?」
「は───…ふざけてる、訳じゃねぇよな…!」
「ふざけてるってそんな……あはは!ふふ、あはははは!」
「…………」
ひとしきり笑った後に、ミカは流れ出した笑い涙を拭ってから紅茶に手を付ける。飲む、という行動に至る前に、香りを味わい温もりを楽しみ、頭の中で机に置かれてあるロールケーキとの食べ合わせを想像して、口を付けた。
肌を刺すような緊張感が、スバルのストレスへと変わる。語気を強めたくもないのに、これ程に笑われてしまうと苛立ちが勝るというもの。普段の立ち回りでは禁じている感情のままの行動に、手が伸びる前に…スバルも紅茶へ口を付けて、
「ふぅ、あは、はは……あー面白かった…。ふざけてないよ、大丈夫。私は君の味方だし、別に何か変なことも企んでたりしない。紅茶を飲んで、ロールケーキを食べて、ゆっくりしてから……お話したいだけ」
「余裕たっぷりだなおい」
「だってそれ以外にする事ないからね☆」
「あ…?」
「私は君の味方だよ、それ以外の何でも無くて…この無駄な争いを早く終わらせたいだけ。君はそれを邪魔する理由は無いし……それに、色んな学園も望んでることでしょ?強硬派が融和を、和平を選ぶのって」
「……」
「だから今日はちょこっと第二回公会議で、君に判子を貰わないといけない資料に判子を貰って……それだけ。それともあれかな、私と仲良くしたくないのは反応的に…──」
「このまま物事が進んだら、大変な事になるって『知っちゃってる』とかかな?あはは」
「─────」
失敗した、と悟る頃には遅かった。相手はとっくに、スバルがここへ来た理由も何もかも丸裸にしている。
トリニティ学園がアリウスに乗っ取られている、その推測を現実のものだと捉えているのは、アビドスの夜を共にした皆だけ。
各学園が望んでいるのはそう、スバル主導の紛争の解決だ。それからエデン条約もスバル監修で進めればいい、それだけで事が丸く収まると思っている。どうしてか、その平和に反抗しなければならないのは───自分?
「────」
しまった、と言葉にする前にミカから切り分けられたロールケーキを口へと運ばれる。ふわり、と唇に感じる柔らかさから、相当な腕前で作られたロールケーキであることが分かる。
「ふふっ、どう?おいしい?」
「……まあまあって言いたい所だけど、百点中百二十点」
「わー!嬉し〜!」
「生クリームも美味しいけど、生地にすげぇ手がかかってる。どんだけ高級品なんだよコレ」
「あぁ、コレ私の手作りなんだよ〜?最近はお菓子作りをするのが趣味になっちゃってさ。やっぱり教えて貰った通りにしてみると上手く行ったの、ありがと!」
「……。……あー、手作り!?……こんな所じゃ持て余すだろ、店でも開けばいいのに」
「あははっ、らしい軽口叩くね。うん、お店とか開いてみたかったな。どうせならね」
やはり───何処か噛み合わない。
目の前で会話をしている筈なのに、その実感が少したりとも湧かない。
ああ───互いに理解しているのだ。
互いに、この茶会で決められた事以上は出来ない。する事が無い。こうやってロールケーキの出来具合を話すぐらいが精々。
「エデン条約…楽しみだな〜。長い長い小競り合いが漸く終わるんだから」
「言い切るんだな。すっげぇ未来まで見通しちゃって……どっかで失敗しちまう、なんて少しも思ってないって事か?」
「うんうん、でもそうやって小難しい事ばっかり言ってると、みんなから嫌われちゃうよ?」
「ここでお前に嫌われなかったら別にいい。それに、この話をするのはこれっきりだ」
「うーん。うん、そうだね…前にチェスの話したけど、今はそれに近いかな。ほら、チェスの差し手は一手目が全部だって言ってたじゃん?」
指はヒラヒラと宙を舞う、ありもしないチェス盤を目に映しながら、ミカはどの駒を最初に動かすのか吟味する。
エアーチェス、アロナに頼めば今すぐチェス盤を投影してくれるがそういう話でもない。
「私の友達はチェスがとっても強くてさ、何回やっても…負けちゃうんだ。あっという間に、目を離したらぴょーい。キングを取られて終わり」
「……」
「最後まで勝てなかったし、今更お勉強して強くなっても誰も相手してくれないし、一局やりたくなっても…──ううん、今は君が居るね」
「私ね、沢山練習して、ようやく…一手打っただけじゃ負けないようになったんだ〜。こういう風に…」
スバルの目には映っていない、が決して存在しないとは言えない様な、架空のチェス盤がミカの動きに合わせて浮き上がってくる。スバルが緊張を和らげる為に紅茶を飲んだ間に、どれだけ駒同士のやり合いがあったのか、ミカの目からは段々と輝きが消えて────、
「はい。チェックメイト」
スバルがカップを置いたと同時に。
──腕を伸ばしてスバルの胸へと手を置いた。
「どうかな?私、チェス強くなったでしょ」
「───ほれっ」
「わっ!?」
そして──浮き上がってはいたものの、未だにテーブルの上にチェス盤など見えもしないスバルは、大振りな動きでミカの手を下から掬い上げる。
「もう一回だ。一度勝ったきりで終わり…なんて寂しい事言うなよ」
「─────」
「それともティーパーティーのホストってのは、一回勝負をひっくり返されただけで泣き出しちまう程度………ってことか?」
強気な煽りに動じず、再度たっぷりと闇を飲み込んだ目でスバルを捉える。とても今までの客人を迎える様な瞳では無く、最早怪異と遜色の無い汚濁の目。
小鳥遊ホシノの殺気、空崎ヒナの鋭気とはまた別種、この世界の枠組みからはみ出た一握りの強者からの一瞥が、ナツキ・スバルから呼吸の権利を、拍動を行う権利を剥奪し、最後には命の───。
「ナツキ・スバル」
「っぁ…ひっ…」
「息、大丈夫?」
「っ、けほっ…ケホッ…──もーまんたい、あんまし脅かさないでくれよな…」
「……あははっ、は〜あ、凄い胆力だね!ふふっ…あはは、連邦生徒会は最近めっきりダメダメだし、ゲヘナも忙しそうだし、暇だったからさ。いいよ、もう一局と言わず何度でも…付き合ってあげる。君の気が済むまで、何度でも」
一転、ケラケラと年相応の笑顔でロールケーキを口に放り込むミカ。スバルに経験したことの無い恐怖を叩き込んだ後にその態度は、そちらこそ肝というか…心臓に毛が生えすぎだ。
改めて──これが、聖園ミカか。
異質と述べる他無い、これまで出会ってきた生徒の誰よりも、生徒として成り立っていない。生徒とは求める子供だ、未来や夢を、自分に欠けている何かを望み求める。
虚無を抱えていると自負し、何もかもを諦めていたホシノでさえ……こうはならないだろう。
そう、冷静な分析を心の中でし続けて、聖園ミカという怪物を噛み砕かねば恐怖に沈んでしまいそうになる。椅子に座れば自分より目線が低くなり、その細腕はスバルのヒョロさと比べても華奢と言うしかないのに、威圧感はまだヤクザと直面していた方がマシ。
「言葉を、心を、何もかもを全力で尽くしてね。私が飽きないようにさ」
「なんだよそりゃ。茶会に誘ってくた仲なのに、遊び道具扱いは悲しいぞ…?」
「そんな事思ってないよ〜。なんてったってヒフミちゃんが最後の手段に選んだ、頼りがいのある英雄さんだし!」
「────」
「ヒフミちゃんはね、人質として預かってるんだ。ナツキ・スバルを呼び寄せる代わりに…そして今日は誰も争わず、君に、この争いを終わらせて貰う為に」
「派兵を提案したのもヒフミちゃん、この計画を立案したのもヒフミちゃん。まぁきっと…──ナギちゃんが仕込んでた事だろうけど」
「あーあ、ほんとマジメなんだから……ははっ…あははっ!はは……」
「はーあ」
「とりあえず、私は君の味方だって事だけ覚えといて欲しいな☆」
「それで頷ける奴この世に俺だけしかいねぇって!?」
「頷いてはくれるんだ」
※スバルとミカの会話が通じていないのは仕様です。