──誰かの瞳を見つめた時、そこに宿っていたのはいつも強い憎しみだった。
力を持つ者はいつだって、力を持たない者には出来ない選択を強要してきた。選択出来る者から、選択すら出来ない相手へ向けて、さもそれが選べなかった者たちの責任だと言わんばかりに。
傲慢な事です不遜な事です、同じ生命だというのにどうして平等に扱われないのでしょうか。どうして分かりきった事を理解できないのでしょうか。
答えはあります、どんなものにでも。一重に──命そのものが、群生として生きる私達は、そうとしか生きれないからです。
間違いを起こせても正解は分からない、理解は出来ても納得はしない。理屈があっても非合理を尊ぶ。生きている限り、矛盾を孕むからこそ私達は私達なのです。
誰であっても、その醜さからは逃れられない。美しいものでなくても愛を注げる私達は、どうしようもなく互いを嫌悪し互いを愛す。
互いを理解出来ないから、外面だけを愛せないから、心の中身を知りたいから、ぶつかり合う。
汚い言葉を吐くのは自分の思考を上手く相手に伝えられないからで、暴力を行使するのは唯のコミュニケーション、現実が人と人との関わり合いでどんな風にも変化するのは、まだまだ相手の心の内を理解出来ていないからです。ああなんて不誠実で、不正確で、不明瞭。
──そんな不確かなものが、私達の全て。
目に見えず、形も持たず、正体も分からない。教えて、と言っても誰も口にしない。考えよう、と言っても目を瞑り息を止める。
もしも心が形在るものならばどれほど良かったか。もしも心が教会で鳴る鐘のようであればどれほど美しかったか。もしも心が晩餐に差し込む残陽に馳せる想いへ贅を尽くせるなら、きっと、
私達は、不確かでもいいと笑い合える。
『─────』
『───。──────、────…』
『それでも、叶わない望みもあるのです』
そんな現実も──いつかどこかで叶っていたのかもしれない。
■
「ありがとうございます!」
「ぐそ゛っ…ふざけるなぁ!離せっ!!」
「同じ場所で正反対の言葉同士を聞く事ってあるんだ」
──ワカモを追い掛け辿り着いたのは、小さなコミュニティを形成していた組織の基地であった。中にいたのは捕縛されていた正義実現委員会の生徒達や、薄汚れたトリニティ学園の学服を大切に着こなす強硬派。
チラホラとシスター服やナースの衣装を着た生徒も自由に表を歩いている、彼女らはスバルを目にしたとたん飛んで消えたが、説明通り和平派強硬派のどちらともが共存する地区であるのが伺える。
これが両陣営の頭を悩ませていた陣営の正体か、目を瞑りV字にした人差し指と親指の間に顎を乗せ、瞑想の中、イチカの発言を振り返ると確かに『コレ』は不都合だ。
「どうするよ、ツルギ」
絶賛、スバルにレンチを振り上げて襲いかかってきた生徒の腕を半回転させてへし折ったツルギは、少しの沈黙の後に頷き、腕をその生徒の首に回して気絶させスバルの言葉に振り向く。
この集団を、ワカモの力で集められてしまった彼女らの処遇はどうするべきなのか。無理矢理な武力行使は火に油を注ぎ、だからこそワカモという『頭』を抑える必要があった。
「…鎮圧しましょう、降伏させてこの『新生派』のアジトは潰す。ナツキさんは私達の傍から離れずに…──いひひひひひひッ!戦いの時間だぁ!!さぁ!かかってこい!」
「鎮圧了解!マリーヒナタパッツンズはツルギに全部任せて、さっきみたいな避難民を確保してくれ。ついでにワカモが家の中にトラップしかけてないかも要チェック!」
「…。分かりました…──ヒナタさん!行きましょう!」
「ナツキさんナツキさん!私は何をすれば良いですか!」
「うーん。レイサは……最初と同じく、一番大切な俺の護衛を宜しく頼むぜ」
「りょーかいっです!!」
慎ましく生活している彼女らの明日の寝床を奪うのはやるせないが、襲いかかってきた強硬派、逃げる素振りの和平派、囚われている生徒達。
こう見てみるとワカモに影響され好き勝手やっているのは事実。そしてワカモの逃げセリフである『雑兵は解放する』が真実であるのなら、この場の生徒、ツルギが呼称した『新生派』は宙吊りの立場になったと言っていい。
「──情報収集、完璧。後はワカモの痕跡探しでも…」
タスクは一つ、ミカの望み通り和平派と強硬派の終戦で、その為にワカモを捕らえる、がしかし、ワカモを捕らえたい理由はこの『新生派』の活動が原因であるのなら、その他の細かな問題はコレを解決すればなし崩し的に一段落となる。
正直、あの災厄を相手にするならばスバルがこれまで出会ってきた強者を総動員して漸くだ。シンプルな戦闘力の差が問題じゃない、突発的に現れて新しい派閥まで作り上げる、その悪魔的カリスマこそ脅威とする点。
逃げ足は誰よりも早く、逃げ道を作るのも上手い。懐柔なんてもってのほかで、ワカモへの思考時間を増やせば増やすほど状況は悪化する。つくづくトリニティは最悪の相手を引き込んだものだな。───ご愁傷さまと肩に手を置こう。
「物凄くドヤ顔を披露している所申し訳ありませんけど、ナツキさん!」
「なんだねレイサくん!俺の指揮官っぷりに舌を巻いたかね?」
「あ、いえその、私…護衛をしながらマリーさん達のお手伝いもしたいです!ご許可お願いできますか!」
「んあ、別にいいけど…ここは役割分担でやった方が───」
ちらりと、マリーとヒナタ、そして風紀委員会の顔を伺う。何か不都合があるのか、それとも探索に力を入れる前に救助を優先したいだけの話なのか。
首を傾げ救助に当たる皆を見つめていると───。
「触れるなッ──!!」
「───…!」
小さな破裂音が、伊落マリーの頬で炸裂する。
ツルギが街中で暴虐を尽くす一方、新生派とやらが確保していた生徒は破壊されていくアジトから逃れ、避難先を指示するマリーの施しを振り払った。瞬間的に、頭の血が沸騰する。けれどその熱が放たれるよりも前に、注視していたモノによって解熱されていく。
──慣れていた。特別不快感を得ることも無く、何も言わず避難誘導を続ける伊落マリーの顔には慣れがある。なんとも悲しい断絶を目の当たりにしてしまった。
泥沼化した内紛、その派閥争いが産んだ亀裂の深さを垣間見て、レイサの背中に手を添え歩き出す。
「………安心して下さい。私達は貴方に害を成す事はありません、どうか避難案内に…」
「そうやって施しを口にして…!また和平派のせいで、この争いが長引くのが分からないの!?」
「…災厄の狐に関しては、和平派としても手に負えない事態だったんです」
「何を被害者ぶってッ…貴方達が街を、街をあんな風にしたから……したから……!」
「─────」
枯れた顔を晒し、迫り来る二発目の殴打を待ち受ける伊落マリー。ソレが到着する寸前で、手首をスバルが握りこんだ。
「そこまでだ、馬鹿野郎」
「っ!誰…!」
「助けて貰って暴力が出るのなら、それ以上見逃せない。救いが傷になるぐらい溝があっても……手を出すのは違ぇよ。腹に据えかねるモンは今置いとけ、発散するにしても助けて貰ってる相手じゃない。ワカモか、それか俺にでも怒鳴ってろ」
「は──なんでアンタなんかに」
苛立ちを隠せない生徒へ向けて堂々と、今のナツキ・スバルには口を挟み込める立場が、役回りが任されているのだから気負いせず、
「俺がミカの代役だから」
「代役っ…?」
「現状にうんざりしてるなら朗報だ。──俺もこれ以上辛い目に合ってる奴を見過ごしたくない。だから『これ以上』は俺が背負う」
「暴れて、泣いて苦しんで、その後に冷静になった時に……泣くような羽目にゃ、なりたくねぇだろ?」
「────」
「だから……もう、大丈夫だ」
困惑から解き放たれ、ふつふつと湧き上がるのが分かる怒りを目の前の生徒から感じる。
必死な思いで、懸命な姿勢で、全身全霊、決死のままに生きてきたのに、好き勝手言うな。そんな風に瞳は怒りを超えて憎悪を含む。
生徒から決して目は逸らさない。「だから大丈夫」と繰り返す。自分を頼っていい、誰かを信頼していい、憎悪の対象を作らなくていい。そう「大丈夫だ」と繰り返し、繰り返す。
「っ……」
「……」
「…どうせ助けを呼んでも、助けてくれなかった癖に」
言い残し──走り出した生徒を引き止めることは出来なかった。スバルには出来ない、感情の決壊を無理矢理防ぎ止めた顔をした彼女の手を取るには、まだ何もこの場所で起きた悲劇を知らない。
過ちの再演を引き起こさない為にも、このトリニティ総合学園でスバルは証明する必要がある。
この場所にナツキ・スバルが訪れて良かったのだと、ここにいて良いのだと。
■
「……強いな」
口の端を横に広げそう言祝ぐ、満足げに言い放った声を聞いてその唐突な褒め言葉に、スバルの周りの生徒は妙な音を聞いた素振りをする。急にどうしたのか、褒めても何もでないぞ。という面でレイサが脇腹を突つく。それもそのはず、この場に居るのはトリニティでも相当の上澄み。
「本当に何も出ないのか、俺が小一時間掛けてレイサに褒め褒めタイムを施した後にそう言えるのか試してやりたいけど…、まぁ強いっつっても種類がある」
「種類……」
首を傾げるレイサの頭にピンポンを押す感覚で指先を差し込む、強さと言っても千差万別、分かりやすいのは頭脳だ。頭の良い人間が振るう力は効率的で無駄が無い。後は筋肉が沢山あるだとか、膂力があるだとか。
けれどこの瞬間に至ってはスバルが評価する強さはそうでは無い、強いと感じたのは───。
「──長い事頑張って来たんだろ、ココが違う」
ドスンと拳で自分の胸を叩き、反動でむせる。憐れなものを見る目を受け止めながらスバルは心を指し示し、重ねて「強い」と皆へ告げる。
「正直、もうちょいマシだと思ってた」
「………」
「変な風に聞こえたかもだけど、俺も結構危ない橋を渡ってきたんだよ。比べる必要なんて無いけど無意識に……比較する、楽観もする」
気の緩みを告白し反省しなくてはならない。壊れた街を歩けば歩くほど、それを身に染みて感じる。最初に出会った面々が気骨溢れる生徒達だったから勘違いしてしまった、誰も彼もああやって現実を俯瞰して捉えられる訳じゃない。
そして今、走り去った生徒やマリーヒナタ、正義実現委員会の生徒達を見てよく分かった。
「変わらない。ここにいる全員、重傷だ」
心に付いた生傷が癒えるより先に新しい傷が付く。
傷に塩を塗りこまれる様な真似をされても尚、前に一歩ずつ歩まなければならないというのに、後ろ髪を引くのは共に歩んできた仲間たち。
傷だらけだ、どうしようもなく。一度足を止めれば、途端にその道中全ての負担が襲いかかってくる、隣で歩いている者が燻り腐る中、真っ暗闇を走り続けた。
「……聞くべきじゃないかもだけど、レイサだって紛争の煽り…受けてんだろ?」
「あー……あはは、それは…そう、ですね…。ですがご安心を!皆さんの笑顔を取り戻す為に、ヒーローは何度だって立ち上がるんです!」
「ヒーロー…!確かにレイサにピッタリだな!」
「お、おお!そうですか!ピッタリですか!」
レイサの様な『強さ』は正直言って、とても憧れている。多少空気の読めなさはあれど、レイサは幼少期に憧れた背中によく似ている。誰にでも明るく、元気で注目の的……まだ発展途上なれど、素質は百点の判子を押しても良い。
「さてと…ワカモの件だけど、多分完全に逃げたなアイツ」
《トリニティ内の映像記録では郊外への移動を捕捉しています。追跡は続けていますが……事実上、新生派の中核は無くなりました。現在予測される依頼報告への批評は、狐坂ワカモの再侵入、新生派の再結成への対策が行えないことかと》
「……この場所で確保されてるのも全員じゃない、どっちにしろミカが求めてる条件を達成するには、次の新生派が生まれないようにしないとダメか」
《尚且つ、今後この場所で確保された強硬派の処遇も問題になるでしょう。和平派の占有地であり、両陣営の調停を行うにも引渡しは和平派の反発を、捕虜は強硬派の反発を生みます。……どうしましょうか、スバル様》
「アロナたんに聞かれちゃ、頭捻るしかねぇな…!」
──マリーに反発したあの生徒の様子を見るに、和平派も和平派で溝を深めた『何か』をしでかしている。単純に和平派一強とならなかったのは、その『何か』がとてつもない反感を買う行動だったのだろう。
まさに両陣営勝手に争え状態、新生派に流れる生徒が居るのもただ平穏を求めただけなのか、ツルギが暴れる前は穏やかな交友が見えていた。
「……」
和平派のリーダー、ハナコが求めたのは平和。聖園ミカは調停。邪魔なのが新生派。
新生派が生まれなくなれば解決する、というのであればツルギを連れて全員確保すればいい。けれどそれは極論、新生派とは形だけでしかなく、根底は現状への不満の現れ。
「邪魔……つー評価が一ミリも正しくない。寧ろ一番無視しちゃダメな所だ」
スバルにとっての裏事情はアリウス陣営、故にミカの提案は警戒に値する。ハナコが物言わぬ以上、ミカのワカモ捕縛の提案を怪しむべき要素。
ワカモの捕縛は新生派の解体に繋がる、だが属していた生徒は新しい拠り所を探し別の形になるだけだ。
事実として和平派と強硬派が行うべきは手を取りあって次の目標、エデン条約に進むことじゃない。この不毛な争いを終わらせて、まずは失われた全てを取り戻すのが先決。
やはり──エデン条約締結を目指す聖園ミカは危険と置く他なし。目論見を防ぎながら一旦は和平派に協力の姿勢を見せるためには────、
「俺が…新生派のリーダーになる…?」
「はい?」
《──良い案かと。元より、この場の監督はスバル様が担っていますので》
「よし、スバル派でも作ろうぜレイサ!あ、補佐官はレイサね」
「─────?」
「目的が出来ると俄然やる気が出てくるもんだ、見てろよ味噌野郎…!全部が全部思い通り行くと思ったら大間違いだって思い知らせてやるっ!!」
「───?????」