「待てぇェェェェェエエエッッ───!」
「いやぁ───!?!?」
逃走の為、コハルが煙幕を地面へ投げ駆け出して二秒、普段は大人しい後輩の苛烈な反抗に面食らったツルギは牙を剥き出しにしてコハルを押さえつけた。
いかんともしがたい実力差が煙幕一つで埋まることはなく、そのまま担ぎ上げられ、釣られたマグロの様に運搬されていく。
「ツ、ツルギ先輩っ!どうして今頃あの事を聞きたがって…きゃっ…!?」
「………済まない…お前の、あの部活で過ごした記憶が必要な人がいるんだ……」
「いっ……嫌ですっ!全部、全部終わった事じゃないですか!なんで今更…!」
藻掻こうとも一ミリたりとて拘束が緩むことは無い、ツルギの暴虐っぷりを間近で知っているコハルはそれでも、手と足をばたつかせ逃げようとする。
それは──拒絶の意思。例え相手が同じ部活の部長であっても、触れられたくない逆鱗はあるもので、
「補習授業部の事なんて、何も知りません───!」
「…………」
記憶に焼き付いた苦痛で声を歪ませる後輩に、ツルギは目を瞑る。この行いが正しいか等言うまでもない、だとしても、話してもらわなくては困る。
──補習授業部。活動内容は、名前の通り。
成績不振の生徒を一纏めに、補習を受けさせるだけの部活動。
ただ一点、不信を募らせる所があるとすれば、有り得ない筈の『不合格』の烙印を押す理由になった、桐藤ナギサから過去に受け取った指示の事。
『決して、補習授業部のメンバーをテスト会場へ入場させないでください』
「────」
「……すまない、コハル…」
それは───。
それは、その言葉はツルギにとって、受け入れ難い後輩への退学宣告だった。
「一時、また我慢を強いる」
「っ……」
ポコポコと可愛らしい足掻きからうってかわり、コハルは手榴弾のピンを抜く。我慢を強いる、その言葉を聞いて苛烈に反抗するように。
しかし、やはり、敵わない。
後ろ投げで空中を通過しツルギの目の前へ落ちてきた手榴弾、それが落下するまでの数秒は剣先ツルギにとって長すぎる。落下途中の手榴弾を握り潰し、爆風を掌で受け止めきり被害なく収めきった。
迅速かつ丁寧に、まるでコハルの抵抗を意にも介さない姿を見て───、
「なんでっ…」
「今更…」
今更、と口にした。
先程から何度も聞いた重く冷たい罪の音、背後をついてまわる贖罪の影。コハルの前で行っている力の行使は───今更過ぎた。
どうしてソレを、脳裏に浮かぶ苦痛の記憶の時、救いへと変えてくれなかったのか。ひたすらに困惑と疑心で、この手から逃れたい心を感じてしまう。
「────」
「…すまない」
「だからっ───…うぅ…謝らないで…下さい…」
「……」
無尽蔵のスタミナと驚異的な脚力で街中を走り回り、往復にかかった時間はおおよそ一時間。ナツキ・スバルの疑問に回答できるだけの答えを有する生徒が、爆走する赤い光と共に大聖堂へ入場する。
──剣先ツルギにとって、ナツキ・スバルという人物は実の所、完全に信頼出来る相手では無い。トリニティの過去を知らぬ者、苦痛を味わっていない部外者であり、未だ器を測りきれぬ相手。
ただ、彼の能力については信頼が置けるものだった。並大抵の人間が複雑極まるトリニティの世情において、ああも大立ち回りができるのか、アレも一種の才能だと言えよう。
「────」
その頼りにしていた相手が──行方不明でなければ、乙女に相応しくない顔を晒すことも無かったのだが、
《申し訳ありません…スバル様は今現在───》
そうして、大聖堂に並ぶ座席の一つから聞こえてきた機械音は自らの主の行き先を告げる。
《仲正イチカ様の元へ、アリウスとの関係性を問いに行かれました》
■
──崩壊、崩壊につぐ崩壊。
建物が崩れ瓦礫となる、それはつまり尋常でない破壊力がその場で炸裂した事を意味する。
特に規模が大きい建築物ほど、かなりのエネルギーが必要になる。爆弾一つ、いや、数十、数百───その程度であの瓦礫の海を作ることが出来るものか?
見渡す限りの地平線だ、そんじょそこらの兵器如きが暴れ回っても数時間掛かる、また神秘の力?だとしてもヒナやツルギを抑えて暴れられる訳が無い。一個人の戦闘力なら楽なもの、辺り一面を焼け野原にしながらもヒナの様な秀でた戦力に邪魔されない且つ、炸裂するまで勘づかれ無い───、
「────」
脳内検索をしている時間は無い、ここにきて発動したスバルのデジャブ予知。本来数秒先に体験する未来を事前に知れるだけの力であり、誰も知らない奥の手はある大切な情報を網膜へと焼き付けた。
──衝突するツルギとイチカ、そしてアリウスを率いて登場した赤肌の異形。奴だ、察する限り『ベアトリーチェ』だ。
「────」
どうやって現れた、何処からやってきた。誰にも察知されずあの不審者野郎が侵入できた訳を知る必要がある。アリウス生徒も同じく、ミカの命令で一時的に活動を停止されている筈。
スバルの提案を飲み、アリウス親衛隊という組織の凍結はエデン条約不参加にも繋がっていて、本来アリウス学徒の入場も禁止。
変装、スパイ、潜入、その辺の解消は済んでいないにしても、やはりヒナという壁を超えて堂々登場などやってくれたものだ。
「────」
優先すべきは───手の届く範囲。
ツルギとイチカの衝突、ツルギが味方であるこの状況、必然的にイチカの行動を『敵対者側』に割り振り、未然に防ぐ為に走り続ける。
血管を浮き上がらせ、奥歯を砕くように噛み締めながら瞬きもせず、あの光景をひたすらに反復する。視えた限りの全てを、一欠片も忘れないように。
思考にふければふけるほど、呼吸を忘れてしまう。全力疾走の中、呼吸を忘れれば数秒で倒れてしまうというのに、思考はただイチカを見つけ出す事に全力を注ぎ、
「───イチカ」
「あれ、ナツキさん?」
件の生徒の肩に、手が届く。
調印式場周辺の警備は手厚くアリ一匹の進入は許さないといった様子だが、のち、実際に調印を行う大聖堂には殆ど生徒が居ない。警備を行っている正義実現委員会の割合は式場の方が圧倒的だ。
故に、式場へと向かえば出会える──そんな甘い見積もりが叶い、スバルは血に染まっていない彼女の振り向き美人な面を拝むことが出来た。
「どうしましたか?お早く到着したのは耳にしてましたけど…そんなに焦らなくとも、まだ開演は数時間先…」
「個人的な用が───ある。ついてきて欲しい」
「…?」
「まぁ、大丈夫っすよ!私も暇してたんで。こんな平和なのに配備されてる警備の多いこと多いこと」
──どうしてアリウス側へと堕ちた。
開口一番言葉にするには苛烈過ぎて言い出せず飲み込んだそれを、吐き出せないでいる。解消されることの無い不満が胃の中でぐるぐると渦巻いて緊張を加速させる。
絶え間のない思考の連鎖。積み上げてきたコミュケーション力はどうやってイチカから情報を引き出すのかを模索し、そして断念してしまう。
「────」
隙間時間のただの休憩、そんな風にスバルの後を付いてくるイチカにこう聞こう───どうしてアリウスに加担している?と。
さすれば顔面に弾丸をぶち込まれることだろう。本人の口から親衛隊の不満や内紛の苦痛を聞いておきながら、それは彼女の心を踏みにじる行為だ。
人気の無い手洗い場付近まで歩き、二人きりになれば何かしらアクションを起こして欲しい、なんてスバルの望みは叶わず、
「ただのトイレ…っすか?私付いてくる必要ありました?」
至極普通の反応に困るのは、スバルだ。遠からず訪れる絶望の未来でツルギと殺し合いを繰り広げていた彼女がこうも呑気では、シナリオを破壊するだけの動揺は引き出せやしないだろう。
しかし、確実に訪れる未来。スバルが美徳として備えていた『敵対』への躊躇は、今怠惰へと変わるのだ。コートの内にあるカンナの拳銃を握り締め、イチカに振り向く。
凄まじい粘性の何かが、ごくりと喉を通っていく感覚に恐怖を消しきれない。今の今まで手を差し伸べていた相手へ銃口を向けて、事態が動く前に終息させるだけのこと。
故に──、
「イチカ」
「何か、悩んでたりしない?」
───スバルは一手目を誤れない。
ありきたりな切り口だ。会話が下手な奴の、主体性の無い質問を投げかけて相手を困惑させるもの。具体性も乏しく、答えたところで何があるのか思いつきもしない。
「何か…何かっすか…難しい事聞きますね」
「うーんと、まぁ、トリニティの諸々終わったんで待ち受けてる修理とかが大変そうだなーと。それぐらいっす」
「────」
「あー。これもしかしてナツキさんの納得いくまで聞かれる感じっすか?」
「やべ、顔に出てた?」
「そりゃバッチリと」
梅干しを噛み締めたようなスバルの表情に苦笑いを返すイチカ。式典の為か真っ白に清掃されている公衆トイレの前で、二人は微妙な空気を吸いながら受け答えを続ける。
白桃が浮かれて紅く染まる様な、街の華やかさに比べあまりにも景気が悪いというもの。口をキュッと結んだイチカは話題を逸らすため、スバル個人への質問を投げかける。
「逆に、英雄とまで言われるナツキさんが直面した困った事ってなにかありますか?閉鎖的なコミュニティで暮らしてたもので、あんまりアビドスでの活躍内容知らないんすよね〜」
「活躍ね…。さしずめ、悪の組織との勝負に大勝利って感じ、困ったことは悪の組織に勝つぐらいじゃハッピーエンドは掴めなかった事」
「大雑把っすね」
「今細かく話しても、作中登場人物達のバックストーリーをかみ砕く時間が無きゃ、物語を楽しめない。俺は本を読むときはちゃんと感情移入してページを捲る派なんだよ」
「────」
「…──まっ、楽しむ。なんて言葉が似合うようなもんじゃないけどな、絶対に」
口惜しそうに掌を見つめ、過去を握りこぶしに収める。
──やはり、イチカに言葉を直接ぶつけるべきではないのだろう。舗装された英雄譚をトリニティで築いた者として、何を言っても暴力になる。
「イチカは、ツルギと何があったんだ?」
「んー」
「まぁ、ありふれた話っす。互いが互いの役目を全うして、終わりが来るまで耐え抜けた。感謝してますよナツキさん、色々終わらせてくれて」
「苦しかったよな」
「ええ、面倒でしたし。何より精神面的にクルものが…」
「だから、アリウスの計画に参加したのか」
「────」
「────はい。そうっすね」
驚く様子も無く、予定調和として返事を返される。諦観には見えず、真実を知った探偵が今更一人増えた程度で、という風を纏う。
銃を構える様子はない、スバルも銃に手は掛けない。殺す気ならばとうに風穴をあけられているし、何より、
「ナツキさん」
「誰の目にも止まらない暗闇の中で、逃れられない選択を強いられたことはありますか?」
「……」
「自分の選択が必ず親愛を向けた友人たちを不幸へ誘う状況に置かれたことは。選択の結果、死へと導く結果になったこととか。夕焼けがまるで力ない自分の無様を照らすように落ちていくのを眺めたり、絶望で壊れていく友人の顔を見続けたり」
「貴方なんかが、経験した事ないでしょう?」
──この、燃え盛る憎しみを受け止める前に死なれては困る。
溶岩のように口元を焼き焦がしながら垂れ流される言葉の数々に、共感は求められてない。刹那の殺意、その発散だけに使われていた。
そしてスバルが、イチカの怨嗟に返事を返すことは無い。
「────」
イチカとて、スバルを価値観の外にあるモノと置かずただ自らの不幸を晒すだけ。何を経験して、何故に起きたのか、脳内の理屈ばったアルゴリズムを停止させて、目を見開きスバルを射止め続ける。
「────」
「──毎晩、星空を見上げてる」
数秒、永久に感じた沈黙は脳裏で光る信号達の悲鳴を受けて、自然と破られた。
紡がれた言葉は『星空』、会話の流れになんら寄与しない、ナツキ・スバルの一人語りだ。
「キヴォトスにやってきて毎晩、欠かさずに。俺の故郷の、見覚えのある星がないかって眺めてるんだ」
「でも、星図と合う星どころか…俺が知ってる星は、元ある場所から全部消えてた」
「多分だけどこれから先も俺が探してる星々は見つかんねぇ。ただ、それでも、毎晩星を眺めるんだよ」
「──どうしてっすか」
「──好きだからさ」
──瞬間、イチカが伸ばした手が蛇のように首へ絡みつく。
しかしその手に力が籠められることは無い、息が詰まることも、血管が圧迫されて顔色がサツマイモのようになることも。
「────」
じわりと滲む二人の汗が、圧迫されない密接空間で混ざり合う。殺意、ではない。その手からは何も感じられない、虚無だ。意味も無く手は首に置かれ、何も果たすことなく時間は過ぎていく。
この沈黙が次に破られるのは何秒先か、それともこの行為の本懐を果たす方が先なのか。その決着がつく前に──。
「───。イチカァッ!!」
「イチカ先輩!?」
《スバル様!》
「…あちゃー」
この場合はタイミングよく、というべき用意してあった横やりが入った。
傍から見れば仲正イチカがナツキ・スバルの首を締め上げてるようにしか見えない構図で、ツルギは普段の血色から更に一段血相を変え制圧行動を取ろうとする。記憶を掠めた激痛がよりツルギが握る拳に力を籠めさせ、あわや自分の握力で拳を壊してしまいかねない程に。
「流石っすね、ナツキ・スバル」
「その手を放せッ…!イチカ…!」
「連絡しときます。作戦は全部失敗するから撤退でよろしく、と」
「イチカ、まだ何も…俺は、俺達はまだ」
「話せてない、あははっ。別にこれ以上話し合う気はありませんって」
あっけらかんと、首から手を放される。全てが徒労に終わったかのような疲弊感と、諦めの色を顔に浮かべて、
「それでも、話さなきゃ何も始まらねぇよ…!」
「──。あははははっ、今更?もうとっくに終わってます。それだけのことです。貴方に『次』があっても、私達の世界はこの一直線だけっす。この言葉の意味を理解できないわけじゃないでしょう?」
「────なっ」
彼女が決して聞き逃せない言葉を零す。
歯を噛み締め瞼を最大限まで活動させて、断言される筈のない文の羅列に眩暈を起こし尻もちをつきそうになる。
何故、それを。頭の中はいっぱいいっぱいに困惑で埋め尽くされる、スバルにとっての不可侵領域、触れられない聖域をいとも簡単に踏み荒らした。どれだけの罪をこの力が抱えているのか、知られるだけでも飲み干してきた涙を吐き戻すような、罰の象徴。
「好き勝手に結末を変えられる貴方が、そんな戯言を吐くだけでも殺したくなります。未来が手中にある癖にどうして……どうして今更っ…」
「私達の事は…──助ける価値すらないと…!」
「──っ?」
──但し。
スバルの耳には、どうもニュアンスが異なって聞こえてくる。イチカの怨嗟に明確な返事を返さないでいたスバルでも、今の発言には苦情を漏らしたい程に。
ああ確かに、好き勝手に脚本の結末を変えられる力だ。それは否定しない、どんな言葉も戯言に聞こえても仕方のない事である。けれどナツキ・スバルはその過程の価値など断じない。助ける価値、そんなものを測りに入れる事すら許されない力なのだ。
イチカの声は、見捨てられた者の苦しみが込められていた。犬歯を鳴らし、不義を働く存在を成敗せんと吠えるかのように、抑えられていた敵意を丸出しにして呪いを吠える。
「生きて生きて、生きながらえてくださいよ。ナツキ・スバル」
「そして、絶望してください。苦しんでください。泣いて、悔しんで、後悔を重ねて、無様にやり直すんです」
「その先でまた、お会いしましょう。その先で漸く、お話でも」
フラッシュバンのピンが抜かれ、スバルを裁定者のように扱った事への否定として「それは違う」と伝えきる前に仲正イチカの姿が白光と共に消えていく。自分の前で庇うように仁王立ちを挟み込んだツルギの足止めに、同時に服の中から落下した手榴弾が炸裂する。
爆風が掠っただけでも致命傷な、貧弱な男を守るためにツルギは再び最も信頼できる後輩との別れを眼前に────あの時と変わらない泣き出しそうな顔を見て、指先まで力が入らなくなった。
───違えた道は二度と交わらない。
純然たる事実を前に、正義実現委員会の名を背負い、変わることが許されないたった一人の少女の心は音も無く崩れ落ちようとしていた。