「助けて欲しい、救って欲しい、頑張っても頑張っても…辛い事ばかりで、報われなくて、救われなくて、泣いても何も無い」
「命令に逆らったら殴られるし、ご飯もお預けにされて、薄着のまま何日もお外に放置されるんだって」
「それでも居場所があるだけ嬉しいって話してた子が、泣きついてきたんだ」
「──居場所が無くなった、もう何も、信じれない…って」
「助けたかった。身体が勝手に動いて、その子が泣き崩れるのを支えて、初めてお洋服が土まみれにしちゃったし…」
「ずーっと、どうして生きてるんだろ〜って思ってたの。何もしなくても、温かいご飯とお部屋、綺麗な服に…お友達。ちょっとだけ面倒くさいお仕事と政治だけしてたら、何にも不自由しなかったし」
「──。おかしな話だよね、私なんかよりずっと生きるのに真面目な子が、なんにも報われないなんて」
「自分の力で届く範囲まで、助けてあげたいと思っちゃった。偽善だって言われても、手を差し伸べたらその子の涙は止まった。差し伸べなかったら、止まらなかった。それは事実」
「君は、スバルくんは、『ナツキ・スバル』は───だから、ここに居るんだよね?涙を見たら、流した子がそれ以上悲しまないように」
「私も同じだよ。私も、私の目の届く所で涙を見たくなかったの。普通に笑って、普通に泣いて、普通に苦しめる子の為に、なんにも分からないお馬鹿な私は……──救っても救っても、明日になると泣いちゃう子達の為に……私が生まれ持った『自由』を少しずつ、少しずつ分けてあげて……」
「──ここに居る。ここに、座ってる」
「だから、ね。スバルくん」
「──。早く、ここまで来て欲しいな☆」
■
──何事も無く、街頭に照らされた夜道を歩けていることが、スバルにとっては後味が悪すぎた。
あれは、聖園ミカは、魔女だ。『愛』によって狂い果てる姿勢は、いっそ清々しい程に『愛』を表している。
慈愛とでも呼べるあの狂気は聖園ミカの根底に根ざしていて、それが歪められた結果であるのかはどうでもいい、今の彼女は本気で『慈愛』を語った。それはある種、尊ばれる生き様であり命の完成形でもある。
本気で、本音で、他者を殺戮した上で、自分の行いは『愛』故のものだと言い切れる。共感力と客観視が欠如した──理解しても意味の無い無辜の怪物が聖園ミカだ。
「……無垢」
今にしてやっと、ウイの言葉に同意する。
聖園ミカは、本当にスバルが自分と同じだと思っている。見過ごせない悲しみがあれば、極限までに身を削って救おうとする人間だと。思い違いだ、スバルはそれほど聖人でもなければ、救われようとしない相手は場合によっては普通に見捨てる時もある。
──究極の奉仕精神。
それは無私に至る事だった、聖園ミカはナツキ・スバルにそうなれと、そうある事が普通だと。まだ彼女の救済は元より、何も始まっていないし終わってもいない。これから、ここから、始めようとしている。
「────」
《…彼女はもしや、以前の死に戻りの…》
「……ああ」
話し合った上で、話が通じないのは初めてか。
『ナツキ・スバル』に届かない願いは無い、スバルが叶えられない未来は無い。当たり前だ、死に戻りという権能がスバルの敗北を許さないのだから。しかしスバルが負けずとも、未来を与えたい相手へ手を伸ばす事は難しい。
聖園ミカを、排除しなければならない。どんな手を使ってでも、アレを止めろと本能が告げている。純粋さとは隣同士に狂気を住まわさせる事で成立するものだ、聖園ミカはその狂気という名の『愛』であらゆるものへ手を伸ばす。それはつまり、聖園ミカの人生において、端的に言ってしまえば────他にすることが無いからこの道を選んだ、というだけのことだ。
ホシノとも、スオウとも、地下生活者とも異なる精神構造。死に戻りのセーブポイントがまだ取り返しのつく地点である今こそ、彼女を物語から除外する方法を────。
「っ、何考えてんだ俺…!」
「諦めんな、諦めるな諦めるな諦めるな諦めるな。同じだ、あの時と。理解し合うなんて無理だって思ってたアビドスの時と同じなんだから。救ってみせるさ…全員、全部、アリウスもミカも」
「俺になら出来る、俺にしか出来ない。そう望まれてんだから、俺だけしか叶えられないんだ。大丈夫…エデン条約が始まるまでは何も起きねぇ、それまでに全員でミカを取り押さえればアリウスにあれ以上の……」
「──。ナツキさーん…おーい……どこにいますかー…」
「────」
遠くから寝ぼけ声のウイが、掠れた音を寒空に乗せてスバルを探している。足音が建物に反射して響くような静かな夜が、ウイの小さな声もスバルへと届けていた。
錯乱しかけていた思考がその声で纏まっていき、スバル一人で突き進めばいつもろくな結果にならないのを思い出す。視野狭窄で死んだ回数なんて、凡そ百は超えているのだ。
「ウイ!寒いのに外出てきて大丈夫か!」
「ぉー……そっちですか……」
顔も見えない距離で、声だけで会話し合う。起こさないように慎重に出てきたのだが、気を張り詰めていた彼女の前では無駄足だったか。
「いたいた…。こんな時間に外出だなんて、何か貴方の中であの件の進展が?」
「進展させる為に外出したんだけど、撃沈どころか大爆死で帰ってきた所」
「あー……もしかして…ケホッ…。ミカさんに会いに行ったんですね…」
「そう。…てか、探しに来なくて良かったのに。結構寒いぞ今、空気もパサパサで喉に悪い」
軽く咳き込むウイは、近くのベンチに座り隣へスバルを手招きする。慌てて出てきたのか息切れしていたのを、腰を落ち着ける事で整えて、作業により筋張った肩の筋肉を凝りほぐそうとスバルへ目配せしてくる。
「はいはい…コレひざ掛けにどーぞ」
「気が利きますね…ありがとうございます」
《スバル様も風邪をひかれないよう、気をつけて下さいね…!》
「アロナたんの気遣いがあれば風邪なんて屁でもないさ」
「……コミュニケーションもとってくれるうえに、優しい……良いですねナツキさんは……。親身になってくれる子がすぐそばに居て…」
コートを奪い肩を揉まれている身分で生意気な、と指に込める力を強くするも、石像の様な硬さに逆に指を痛める始末。ウイからは「今ぐらいが丁度良い」と気に入られてしまい、泣く泣く力を振り絞る。
銃弾を受けても軽傷な鉄壁の身体に、スバルの指圧が効果あるのかは不明だが、頬を緩ませ乙女から聞こえてはいけない声も出ている事を鑑みると、効果はあるようだ。
「手馴れてますね…。シャーレの部長のくせに」
「なんだよ、媚び売り慣れてちゃ悪いか?」
「悪いですね、少なくとも私がムカついてます」
「暴論──!?そんなんだから愛想つかされてんだよお前は!」
「あー!言っちゃいけない事言いましたね!?せっかくアリウスから襲撃されてないか心配で来てあげたのにっ……ええ分かりました、貴方がその気ならこっちも───」
「ていっ」
「うぇぁぁぁ……」
ヒートアップする会話を首筋の筋肉への刺激で有耶無耶に。スバルが今トリニティで手にした優位性は全てウイのお陰だ、続く言葉で明日以降、古書館への立ち入りを禁止されれば───扉の前で土下座しながら大声で謝罪を口にする、惨めなシャーレ部長が爆誕してしまう。
アリウスには襲われない、その確信を持って足を運んだ訳では無いが、聖園ミカの準備の良さから見るに基本どこに居ても監視されている状況、下手な手を打たなければ向こうも手を出す理由は無い。
ただ、ウイが迎えに来てくれなければスバル自身、湧き上がる感情の多さを消化できず、うずくまっていた。
ナツキ・スバルに選択を託したのではなく、ナツキ・スバルを利用し尽くして自らの願いを成就する。元よりスバルという一個人の存在を換算していない理論に、思考を放棄していとばかり思っていたあの惨劇。
「ウイの言ってた通りだったぜ、聖園ミカは」
「……まるっきり馬鹿丸出しでしたでしょう?」
「──。ま、そうだな。素敵なお姫様って所だ」
──聖園ミカは、『ナツキ・スバル』をただの舞台装置としてしか認識していない。物語上の登場人物ではなく、願いを叶える流れ星だと。
「ふぅ…。帰りましょうか、ナツキさん。貴方に頑張って貰わないと、本達がいつ危ない目に合うか分からないんですから」
「俺もちょいとばかし、疲れた。ウイのお陰でゆっくり眠れる場所があるから、早く帰って──」
古書館の方を向いたスバルの目が、戸惑いに揺れる。手が止まり、顔を上向けてスバルの表情を読み取ったウイもまた、古書館の方向へと視線を向けた。
見れば、正義実現委員会の制服、その赤色が闇夜に見える。夜中の巡回中、騒ぎ立てた二人を注意しに来たのかとウイは面倒くさそうに立ち上がって──そして、スバルの強張った顔に、現れる存在への警戒を高める。
「こんばんは〜。夜中にお元気っすね、ナツキさん」
「────」
「あんまりにも騒がしいから様子を見に来ましたけど、大丈夫そうっすか?」
「……ああ。イチカもお疲れ様だな、こんな夜中まで。俺が言える立場じゃねぇか」
瞳の様子が伺えない細目で、イチカはいつも通りの笑顔でスバルへと語り掛ける。けれど彼女が加担している側を考えれば、纏う雰囲気に闇を感じざるを得ない。
イチカが前へ一歩進む度、スバルはウイを背後に寄せる。最悪の想定を振り払うように首を振り、イチカが触れ合える距離に来るのを待つ。
「──ウイ外交官と深夜の密会っすか、中々に楽しそうなことしてますね」
「……イチカさん…私はミカさんに彼の護衛と、トリニティ内の設備案内を任されています…。誤解を招く言葉遣いは辞めていただきたい…」
「──。あははっ、それもそうっすね。でもまぁ、忘れないで下さいよウイ外交官。あの日以来、割と信用されてないんで、貴方」
「…………」
ウイとスバル、両者が身構えるのを見てあっけらかんと笑い始めるイチカ。──僅かな時間、乾燥した空気がスバルの眼球に瞬きをさせたその瞬間、ふいにイチカの姿が掻き消える。彼女の姿を探す為、首をぐるりと回す前に、横から耳へ息が掛かる。
「っ」
「それと、こんな感じで夜は危ないんで。お早めにお戻りしてもらえませんか」
「……分かったよ、そもそも今帰ろうとしてた所なんだ。言われずとも、さ」
声が聞こえた方へ振り向く勇気があれば、彼女がどのような顔で警告をしていたのかを測る事ができただろう。が、気がつけば再びイチカの姿は無くなっていた。
恐ろしい経験をしたものだとウイは深く息を吐き出し、帰路に今まで見えていた闇夜が少し怖くなり、
「…隠れるにしてもなんかこう、別のやり方あるんじゃね?」
「ははははやく進んで下さい…。幽霊の類は信じてませんが、普通に人間からの暴力は怖いんです…。いつどこから襲われるか…」
「なんで俺より怖がってんだ……」
「………内乱が始まった直前、二十人程正実の生徒を病院送りにしてしまって…」
「──トリニティは馬鹿かゴリラか化け物しかいねぇのかよ!!」
■
──朝の日差しで目を覚まし、ソファから身体を起こし霞む視界を何度も瞬きをしてクリアにする。
目覚めた瞬間、聖園ミカの声を聞く羽目にならなくて良かったと、胸を撫で下ろしてすぐ、最初に聞こえた本を捲る音に、昨日の内に目に焼き付いたウイの姿を探そうとして、瞼を大きく開いた。
「……おいおい…」
──昨日と変わらずページの修復を続けるウイの姿へ、流石に身の健康に悪いと心配する。
「…………」
スバルの声も聞こえない程の集中、十分でない睡眠時間に比べウイの作業スピードは最高潮へ達している。黒服との合流があと少しに迫っているスバルとしても、昨晩の二の轍を踏まないよう外出の為の声掛けをしたいものだが、
「────ウイ」
「…………」
「…おーい。聞こえてるか?」
「…………」
「──。ていっ」
「うぇあああ!?なんですか誰ですか何するんですかぶっ殺……──なんだ、ナツキさんでしたか」
「お前…二言目か三言目には殺意マシマシになるの怖ぇよ…」
背後から肩をぐっと押すと、傍に置いてあったサプレッサーライフルの銃口を掴んで振り回し、スバルの頭目掛けて振り下ろす直前で腕を止めた。お嬢様学園とは名ばかりの、暴力暴力暴力の嵐に弊癖しそうだ、いつになれば『お嬢様』とやらに会えることやら。
「今から『協力者』に会いに行ってくる。一時的にここを離れるけど、すぐ戻ってくるから留守番しといてくれ」
「留守番って……ここは貴方のお家じゃないですよ、というか私の方がずっと前からここに居るんですから、余計なお世話です。泊めてあげたのも事情が故、あんまり調子に乗ってるとアリウスに突き出します」
「気のせいかな。てっきり味方だと思ってた相手から死刑宣告受けた気がするんだけど」
「だーれが味方ですか、私はどこまでいっても中立です…」
──本気でそう言っているのなら、今すぐ鏡を見た方がいい事を本人は理解していないのがまた、スバルの横腹をくすぐってくる。その含み笑いに更なる不機嫌モードを重ねながら、扉に手を掛けたスバルへ、登校直前の子供を励ますように手を振った。
身体中に元気が湧いてくる、勿論スバルも手を振り返し、素直じゃない素直な彼女の励ましを背に───古書館を後にする。
■
トリニティから車で十五分───リンとアユムの力を借りて、車の窓から流れる景色を眺める時間へと移り変わる。朝の日差しの中、頭の中で何度も繰り返し映し出される白無垢の波に、固く口を噛み締めて。
「……」
本当に、本当の本当に、聖園ミカが救済の心を持っているのならば、悪徳は彼女に在らず。それは導く者がいないこの世界の問題であり、アリウスの処遇もその内にあたる。
何度でも、何度でも、自制し続けよう。この世界に生まれ落ちた命の形を決めるのは、何がどうあれ先人が作り上げた環境だ。
導く者が、世界を作る者が、過去を生きてきた人間達の連なりが、今になって収束しているだけなのだと。罪も悪も、生徒として生きる瞬間瞬間に問うことは出来ない。聖園ミカは望まれた、謂れの無い憐憫と救済は悪と言えるかもしれないが、望まれてしまったのだ。願いを吐き捨てる事は、彼女にとって悪だった。
聖園ミカの目を覚まさせて、アリウスにまとわりついた闇を払い、浦和ハナコの秘密を暴いて、アビドスから──いや、この世界に誘われた瞬間から始まったベアトリーチェとの因縁を終わらせる。
これ以上、スバルの目の前で一人ずつ、消えていく姿を見ないように。
「──ここで降ろしてくれ」
「はいっ!」
そんな独りだけの硬い盟約を心の内で結び、約束の郊外に足を降ろす。待ち合わせ場所は、廃墟となったカフェの店内だ。
黒服は──いわば切り札、ジョーカーだ。ゲマトリアに所属しながらスバルとの約束によって互いに不干渉、その上スバルが提供する情報に価値があると判断すれば、向こう側からもそれなりの品を提示してくれる。
それだけでは無い、有する知識も『神秘』というブラックボックスに触れているエキスパート。ホシノへの正確な診察を行えた黒服ならば、聖園ミカの大規模攻撃のタネも分かるはず。
そして何より、黒服に何が起きようがスバルの良心は痛まない。黒服がどれだけ友好的な姿勢を取ろうとも、スバルからしてみればホシノを、シロコをアヤネをセリカをノノミを、実験動物か何かとしか思っていない邪悪な存在だ。
今回のメールに添付したのは、ベアトリーチェがアリウス分校にいつから干渉し、何を目的として活動しているのか。特にアリウス分校への干渉がいつ頃なのか、そして何をしたのかを知ることが出来れば、アリウス学徒らを救う為に必要な要素も分かる筈。
「────」
今頃、スバルと会う際にどんな手土産を用意しようか楽しそうにしているだろう黒服。彼のあらゆる要素は嫌いなのだが、向こうはそうでもないようで、業務の隙間に会食のメールを送ってくる。無論、フル無視。
「────」
少しして──違和感に気が付く。
約束の時間が、過ぎた。
一秒、針が約束の時間より前に倒れて、心臓が大きく高鳴る。
二秒、過ぎた時間を実感するようにじわりと、脂汗が額へ滲み出る。
たった一秒、さりとて、有り得ない一秒。
黒服が約束の時間に遅れているという事実は、スバルが理解している中で最も事情の悪化を知らせる代物。
頭の中に迫り来る無数の未来を跳ね除けているうちに、針が一周した。同じく、視界を一周させ、何の気配も無い世界に冷たさを覚え、
「…申し訳ありません、遅れてしまいましたね」
聞こえた声に、安堵する。
頭の中の雑音は消え失せ、黒服の声がするりと入り込んでくる。
「──。お前の姿を見て安心したくなかったけど、安心した。つか、なんでぼろっぼろなの?」
「クククッ…いえいえ、特に何もありませんでしたよ」
「嘘つけ、お前が約束の時間に遅れるなんて有り得ない。……んで、その後ろの……──後ろの、なん、なんだお前……」
スバルの目線の先には、双頭のマネキンがギシギシと関節の具合の悪さを訴えながらカフェの席へと座る。人かどうかも分からない、恐らくはゲマトリアの一員も黒服と同じく、傷だらけ煤まみれの服を手ではたいていた。
木造の身体は、隙間から見える箇所がひび割れていて、今すぐにでも崩壊してしまいそうになっていて、黒服といい謎のマネキンといい、スバルが把握できていない事態が起きているのは必定。
「お初──に──お目にかかる──。ナツキ──スバル─。───このような──姿を──晒してしまい、申し訳ない」
「彼はマエストロ、私の同僚、と呼べるお方です」
「げっ…。やっぱゲマトリアかよ…。それで?予測してやるぜ黒服、ベアトリーチェにちょっかいでもかけられたか?」
「──ククッ…クククッ──であるのならば、貴方はまだ…」
「……?」
不可解な発言、ベアトリーチェが口封じに黒服達を襲撃した──のでなければ、何が起きたというのか。
立場的に言えば、お前らはラスボスだろ、とスバルは口を滑らしかけて塞ぐ。見たこと無い無様に、流石に茶化す気は失せている。
会話すら難しそうなマネキンは椅子に寄りかかったまま、スバルと黒服の会話へと無い耳を傾けていて、
「……あの、マエストロって人は…人か?無視して大丈夫な感じ?」
「彼もお疲れのようなので、今回は私達で交渉を。ではナツキさん、貴方が知りたいマダム…ベアトリーチェのアリウス活動記録ですが──」
「お教え出来なくなりました、再度謝罪を。申し訳ありません、ナツキさん」
「──救済─を──叶えし──者よ。汝の──導きを望む者は──多い。気をつけたまえ」
──スバルの、呆気に取られた顔に対し、面目ないと二重の意味で謝罪を重ねる黒服とマエストロ。
それは、切り札でありジョーカーの力を持っていた札が、何ら力を持たない白紙へと変わってしまった瞬間だった。
「それでは、またお会いしましょう」
「──は。待て、待てよおい」
たったそれだけを口にして帰ろうとする黒服達を引き止める。そして、たったそれだけの為にここまで来た律儀さは褒めるとして、たったそれだけで帰してなるものかと口荒く噛み付く。
せめて何が起きたのか、何故そうなったのか、それぐらいは明らかにしてから帰っていけと、入店料金を要求する仕草のスバルに対し、黒服は首を傾け、
「今回の件に関しては、語れることがあまりにも少ないのです。どうかご理解を」
「っ───じゃ、じゃあせめて!せめて…──神秘だ、神秘がこう、増幅したりパワーアップさせる的な代物を知ってたり…」
「ふむ、道具や技法、の範疇でそういった神秘への介入は不可能でしょう、最低限『契約』か『儀式』が必要となります。思い当たるケースでは『儀式』がより現状に適しているかと」
「──儀式」
「その場の環境や用意された供物、そのような典型的なモノから、インターネット上の賛否の声や伝聞される人物像、幾つかの要素によって儀式は成り立ちます。ナツキさんが目撃した『神秘』の行使が、一生徒の範疇に収まらない場合は、可能性の一つとして考えられますね」
「………ありがとよ。でもな──この状況でベアトリーチェについて話さず帰るっつーのは、下手すりゃ契約違反だ。納得できる形で話して貰わないと……」
ゲマトリアの一員から危害を加えられて、黒服が情報を出し渋る。ある種敵対行為だとスバルが主張すれば、黒服に否定しようはない。
スバルの時間だって無限にあるわけじゃない、今は停戦協定の仲介を保留しておくことで、ある程度時間を確保出来ているが、それも二日三日だ。
後に救護騎士団、アリウス親衛隊、補習授業部を順に回っていくことを考えれば、時間など有り余るぐらいが丁度良いというのに。──無駄にできる時間はない、ならばこの瞬間ベアトリーチェの情報を持ち帰られなければ、生まれるロスは莫大。
──逃がす訳にはいかない、黒服の手首を掴もうと身を乗り出した瞬間の事。
地響きによって姿勢を崩し、テーブルへと前のめりに倒れる。
「ぐぉぁ……なんっ…だ。今の……」
「──。ナツキさん、トリニティはどうやら、貴方がどこか遠く離れる事をあまり好まれないようですよ」
「────」
その後にはもう、引き止める時間は無く。
すぐにでもトリニティへ帰る為、カフェのすぐ側につけてもらっていた車へと乗り込んで、爪をかみながら目を瞑る。
不安を誤魔化す為に、血肉が滲むほど強く、強く。
歯をすり合わせ、たったの十五分の移動時間の間に全身が弾け飛びそうになりながら、魂がどんどんすり減っていく感覚に溺れながら───。
「────」
赤く、赤く、赤く。
赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く。
真っ赤に燃え盛る、ウイの居場所。彼女が愛した本達が眠る、古書館が火に包まれている。
近くには、抱えれるだけの本を抱え、火傷だらけで座り込むウイが茫然自失に、古書館だったものを眺め、そしてスバルへと視線を移した。
──灰が積もった色の瞳に、スバルが映ることは無い。
※ゴルコンダくんとデカルコマニーは危なすぎるので帰りました ← ゲマトリア唯一の不死身。