ユージン「た、確かに(王国に)放火したのは事実ですけど、なんか別の所から知らない罪状なすりつけられてませんかこれ!?」
赤が消え、黒が残り、灰が積もる。
炭となった支柱が支えるものも無いのに枠組みを保ち、古書館だった場所へ積もっている灰は、乾燥した燃えやすい着火剤──古書達の末路だ。
周囲には古書館の組み立てに使われていた鉄筋が、不自然な形にねじ曲がり横たわっている。ただの火災であれば最も存在感を残す筈の建築材料、スバルの脳内は自然と先程の地響きと、爆発、という単語を結び付ける。
出来る限り不幸をイメージしないようにした、悪意を、害意を考えないようにした。彼女の居場所が、誰かの手によって理不尽に奪われた事実が、そんなにも悲しい現実があってたまるものかと。
──そうでなければ、スバルの心は冷たい、冷血な裁定者へと変わってしまうから。
火災を眺めていた仲正イチカに掴みかかる前に、火災の鎮火を手伝うより前に、リンとアユムが異常事態を察してスバルを避難させるより前に、ナツキ・スバルは古関ウイに触れようとする。
虚ろげに燃え盛る古書館へ手を伸ばし、そして絶望を噛み締めるように開いた手を握り締め、静かに涙で衣服を濡らす彼女を見てはいられなくて、
「────」
──それは、古関ウイにとってもナツキ・スバルにとっても、一瞬の気の迷いの交差になってしまった。
スバルを見つめる目は、加害者を見つめる目だ。犯人を、この火災と爆破の原因を見つめる目だ。分かっている、スバルは、何故そんな目で見られるのかは分かっていても、理解していたとしても、受け止められなかった。
古関ウイがナツキ・スバルをその目で見たのは一秒にも満たない、そしてその怒りを拒絶してしまったのも、その一秒に過ぎない。
しかし、その一秒で──スバルは、もう二度と元通りの形にはならないウイとの関係を失ったのを、灰色に染まった瞳から感じ取る。
もう、彼女には何も届かない。怪しい人物に拳を握って胸ぐらを掴みに行くことも、必死に消火を手伝って中にある本を少しでも救助することも、激しく、しかし静かに燃えて消えていく彼女の居場所の為に大声をあげることも、何もしなかった男からは何も。
ナツキ・スバルは、『憐憫』の感情により優先すべきを間違えて、間違えたのなら、間違えてしまうのであれば、それで、終わりだった。
■
「──実際の問題として、トリニティ学園内での放火及び爆破実行犯を捜索、逮捕して頂けないのならば、これ以上シャーレと連邦生徒会の仲介は望めないものと考えて欲しいです」
「犯人はすぐ見つけるよ☆杜撰な犯行だったからね、指示役も逮捕するしワルキューレにも引き渡す。どうかな?」
「…だとしても、混乱が収まるまでは我々の身の安全は保証できないでしょう。一時帰還も視野に入れてもらいます」
「うーん。どうしよっか、スバルくん」
────。
古書館の爆破は、端的に言うと、ナツキ・スバルとウイ外交官の癒着を疑ったトリニティ上層部の仕業だと推測された。
元々外部干渉を好まず、この内乱においても中立の立場をキープし、トリニティの古い腫瘍とまで謂れのある者達の疑心に煽られ、一般生徒が行ったと。
「…………」
「……──。お前の…仕業なんだろ…」
「っ!ナツキさん!?」
唐突なスバルの物言いに、緊迫状態の中、茶会に参加したリンが驚きの声を上げる。幾らトリニティ側に責があるとはいえ、今のスバルの発言は交渉の場において不要な刺激でしかない。
「んー、違う…かな」
「っお前が──!!お前が、やったって…言ってくれよっ…」
懇願するように、答えがすぐ近くにあって欲しいと願いスバルはミカを睨みつける。けれど返答は変わらず、少しだけ悲しそうに微笑みを浮かべた後、
「…ううん、スバルくん。私は君に嘘をつかないよ、私のせいかもしれないけど、私は何一つ、君に害ある口伝てはしてない。君がトリニティで自由を謳歌できるよう全力を尽くしてるつもり」
「───は…ぁ…?」
──同じように、否定する。
聖園ミカは嘘をつかない、嘘をつく必要も無い。スバルのやり直しを知っている以上、他でもないスバル自身の権能が彼女の言葉の真実を保証する。
「──。であれば、貴方の監督責任不足によってこの事態は引き起こされたと?ナツキさんが偶然外出を挟んでいなければ…最悪の事態にもなっていたかもしれない」
「うん。ごめんねリン行政官。トリニティはずっと前から火薬庫みたいなものだから……そこに言い訳する気は無いかな。それで…どう?やっぱりもう、トリニティからは離れていっちゃう?」
「────」
その質問は──。
今のスバルにはあまりにも残酷で、あまりにも卑怯だった。揺らぎグラついた天秤の片方へ、聖園ミカが重りを重ねる。既に古関ウイの絶望が、ナツキ・スバルの首枷へと変わっているというのに。
聖園ミカの表情は何も変わらない、憐れみも悲しみも何も無い虚無。計算通りでないとしても、彼女からすればナツキ・スバルの絶望はただの既定路線であり──ただ、ナツキ・スバルが自分と同じようになるまで、待っているだけなのだから。
不測の自体も、特段気にするべき事案では無い。どこかの誰かが、ナツキ・スバルをまた少し『前』へと進めてくれただけ。そう言わんばかりに再び顔へ笑顔が戻っていく。
「────」
アレに、あの残酷な行為に、ウイの献身も努力も苦痛も願いも、ただの破壊行為に収まらない、全てを蔑ろに侮辱した愚行に報いを。
心はそう叫ぶ、頭も、身体も、歯を割る勢いで口を噛み締めて──その憎しみを誰に向けたらいい。
聖園ミカか、誰だ、ナツキ・スバルが抱いた憎悪を向けるに値するドラマクイーンは何処にいる。
「スバルくん」
「────」
「進むしかないんだよ、私も、君も。トリニティも。みんな、沈んでいる船の上で…沈んでる事にも気が付かずに、溺れるの。だから…」
「助けて欲しいな、スバルくん」
「──。は、ははっ…………はは…」
──これからあと何度、心をへし折らればナツキ・スバルは解放されるのだろう。
「……あぁ…そうだな…。停戦協定だったっけ……リン、アユム。これから先は俺一人でやる。二人は帰って、仕事でもしてきてくれ。一日、二日あれば、なんとか出来るから」
「は、はい?そ…れは幾らなんでも無茶です」
「そうですよ!ただでさえ、先程の一件でナツキさんを排除したいと騒ぎ立てている人が沢山いて、とっても危険で……!」
「いいから言う通りにしろッ──!!」
腹の底から出た怒号に、目を丸くするリンとアユム。
スバルの普段の姿からはかけ離れた怒鳴り声は、スバルの限界を察するのに容易い。スバル自身も、自分から出たとは思えない大声に、続く言葉を声なき声にして喉であぶくに悶える。
「っ、危ないから…な。俺は、どうにでもなる、でも二人はそうじゃない。だから、帰ってくれ」
「どうにでもなるってそんな…!貴方がカイザーから狙われた時も、偶然生き抜く事は出来ましたが、あの様な幸運そう何度も続きません!」
「どうにでもなる、幸運じゃない、俺が、どうにかしたんだ」
「だとしてもっ、貴方は、貴方は連邦生徒会長が選んだ…キヴォトスの希望なんです…!私達の希望でもあり、そも貴方は外の人間で…私達よりも身の危険に弱く───」
「リン」
「────」
「…頼むから、俺一人でやらせてくれ」
スバルのどうしようも無い懇願に、リンは言葉を止め目を伏せる。アユムは納得できず食い下がろうとするのを手で制し、アユムは開きかけた口を閉ざした。
ひたすらに、スバルはバツの悪い顔でミカへと向き直り、
「これで、いいだろ」
「──。勿論大丈夫だけど、ちょっぴり二人きりで話したいことがあるから、二人とも外してくれるかな?」
ミカの目配せに応じて、リンとアユムが席を立つ。情けなく白いテーブルの面を見つめる事しかできないスバルは、突き放した後の二人の顔を──ウイと同様に、見ることは出来なかった。
相手の標的がスバル以外に向くこと、最もスバルの心を傷つける行為はその結果生まれる自分以外の損失だ。
わざわざミカが二人きりになることを提案した時点で、ろくでもない事になるのは分かり切っている。だとしても、リンとアユムをこの蜘蛛の巣から逃がすには受け入れる必要がある。
「大変だったね、スバルくん」
「──どの口が言ってやがる」
「ふふっ…。トリニティ学園ってさ、ほんと色々腹黒い子が沢山いるから…私も苦労しちゃってて…みんな今の状況にはなんの興味も無いんだよね。内乱が終わった後にどう権威を持とうかなーとか、あそこの部活は吸収できるなーとか、権力争いばっかり。そんなことばっかりしてるから、足元を見れなくなって……ちょっと揺れただけで大騒ぎ!」
「でも、どうだろうね、スバルくん。私のトリニティ学園は──綺麗になれるかな」
「──そんな事じゃねぇだろ、お前が言いたいのは。ハッキリしろよ」
戯言を否定し、怒りで声を震わせるスバルにミカは口を開いたまま口の端を曲げる。未だスバルの心は何も、元通りになってはいない。崩れかけたメンタルをぎりぎりで保っていた所への、この追撃。
「あははっ…」
「ふざけるな、ずっとお前はヘラヘラヘラヘラ…。人殺しの魔女風情が何が綺麗になれるか、だ。ふざけるんじゃねぇよ。ふざけてんじゃ、ねぇ」
「お前、知らないだろ、ウイがどんっだけ頑張って、お前らが身勝手に引き起こした内乱で壊れた本を治してたか。そのくせ、人が嫌いって言ってる癖に──お前の事、心配してたんだ。心配、してたんだよ、お前は優しい奴だって、少しでもお前の事を信じてたから、だから外交官になって……!!」
「全部っ!意味ねぇってのか!?俺が選ばなかったら、俺が進まなかったら───そうじゃないだろ──!!」
改めて、激昂しミカの胸ぐらをつかむスバル。
息を荒げ、心中を吐き出しながら正面切って魔女に掴みかかる。
軽く抵抗されれば、簡単に腕は折れその後の顛末に命の保証はない相手。キヴォトスに存在する強者を軒並み押しつぶし、弱者は歯牙にもかけず葬り去る化け物。
怒りでタガが外れているにすぎない、けれど、スバル以外は全てが無意味でどうでもいい、そんな姿勢に我慢できなかった。
「────」
「俺は……!俺以外の人間の方がずっと優秀で、俺より未来を見せてくれるって信じてる!トリニティにも居るさ!対面して、必死に抗ってる姿を見せてくれた!」
「お前らが無視してるだけって思ったことは!?救いになる可能性を、何とかなった可能性を、お前らが人を、自分を信じれないから絶対的に信じれるモノだけ信じて、目をつぶって誤魔化してきただけだろっ!」
「何がやり直しだ、何が削るだ。全部から目を逸らして逃げて、俺だけを頼るような奴に、願いなんか叶えられるか。自分の不幸で、人の不幸を封じ込めんな」
『死に戻り』をしているスバルだからこそ、『死に戻り』で負う傷を誰よりも引き受けようとしているからこそ、誰よりも、小さな心の傷に敏感なのだ。
悲劇のヒロインぶっていい、自分が一番不幸なのだと、自分が全てを背負えばいいと、そんな風な驕りを持っていたとしてもいい。
問題は、そんな驕りと歪みが、自分をないがしろにして生きるやり方が真っ当だと勘違いして、他者の傷を見ないことにすること。
スバルにはアロナが居た、誰よりも身近にスバル自身の不幸に悲しむ彼女が。だからスバルは、抱えきれないものを無理に抱える気はない。
一緒に悲しんで、一緒に苦しんで、一緒に怒る。最初から最後まで、アビドスはそうやって皆と乗り越えた。
「自分を愛せない奴が、自分以外を大切にできるかよ」
その言葉が、聖園ミカに渡せる唯一の決別だ。
「────」
「────」
「──……」
「は」
「あははっ!ははっ、あははは!あーあ、あはは…そうだね、言う通り…うん、言う通り」
ひとしきり笑った後に、聖園ミカはスバルの手首を握る。
苦い記憶が思い出されるが、想像した未来は訪れず、緩やかに振り解いて席に座る。
「ずっと、そうなの。どうにかしたくて、でも、どうにもできなくて。ずっとずっと、独りぼっちの子供なのにね」
「私がどうなったって誰も気にしなかったもん。みんなを守れるように、私以外の子が涙を零さないように、そうやって生き続ければどうでもいいって思ってた、それでいいって、それ以上は望まないって」
「私から何が欠けても、何を奪っても、でも、それでよかった──。良かった、はずなのに」
「ナギちゃんと、セイアちゃんがいなくなっちゃった」
「私がもっと器用で、私がもっと頭が良くて、私が…最初からちゃんと自分を捧げられたら……」
「誰も、不幸にならずにすんだのに」
その結論を口にした時点で、ナツキ・スバルと聖園ミカは不倶戴天の関係となった。
スバルの言葉の意味を理解せず、小さく椅子の上で膝立ちになって、顔を埋める聖園ミカ。固めて焼いて、隙間の無いように作った心の殻はひび割れすらしない。
「はーぁ」
痛々しい溜息が吐き出され、聖園ミカの瞳に幽鬼のような煌めきが宿る。
そして、感情の無い顔で言い放ったのは──、
「────」
「スバルくん、ウイちゃんとリンちゃんアユムちゃんがこれから先も無事でいて欲しいなら──」
「君が持ってるその携帯、『連邦生徒会長の遺産』を、貸して欲しいな」
「私も、君に倣うよ。制御できない子は要らない、勝手を働いた子達は」
「──みんな、消しちゃおっか☆」
スバルを詰みへと誘う、最悪の交渉だった。
実質スバル対スバル。表スバルと裏スバル(ミカ)