「──あれ、襲いかかってこないんですね。頭冷えちゃいました?」
頭が冷える──いいや。全くの逆だ。
烈火のごとく思考は燃え盛る、ツルギは義憤によるものではなく、過ちを犯した後輩への指導をしたかった。
音信不通のまま数ヶ月を過ごし、目を向けるべき場所から目を背けた。それはツルギの理知的な判断では無い。──いわば、気の迷い。
「…ああ。少し、な…」
「……ホントっすかね」
気の迷いとはそう簡単に起きるものではない。
信頼関係、信用し合った仲──そういうものが作り上げる人間関係。自分で積み上げたものを、自分で裏切るというのは相当な事。
状況が状況なもので、今すぐ拘束すべき仲正イチカをツルギは見つめるばかり。何故、どうしてと問われればやはり、胸の中の罪に在る。
──過去がある、とても、とても込み入った過去が。一口で表せもするが、ツルギがイチカとの『過去』を決して口に出さない理由もまた、込み入ったものといえよう。
ツルギは常、自分の存在が周囲にどのような影響を与えるかを考える。多感な時期に受ける刺激は、一生モノとなりかねない。そう思考し冷静沈着である姿の印象は、ツルギと関わりが深い者ほど目にしていた。
ならば、ツルギの『気の迷い』というものがどれだけの代物かも、仲正イチカは理解していて、ツルギはイチカが理解を示していることを『理解』している。
「…遅かったな」
「フラれた直後で、ナイーブだったんです。どうせこの勝負は貴方達の勝ちなんで、ゆっくり話しませんか」
「──話…か」
「殺人犯と話すのが嫌なら一つ。あの子達、まだ死んでないっぽいですよ」
「…………『殺意』を、私は許さない」
「分かってます」
口解き、イチカはピクニックシートでも広げて座るように、状況と見合わない気楽さでツルギの傍に腰を下ろす。
──殺意を許さない。それは、殺意による行為を非難した訳では無い。殺意を抱くにまでに通る『過程』を許していないというもの。ツルギにとって、イチカの人物像は正に優しさに溢れた指導者だった。
仲正イチカは、後輩に頼られる事の多い生徒。対応力は高く、コミュニケーションは分け隔てなく、万人と繋がっても難なく生きられる生徒である。ツルギからすれば後輩の中でもずば抜けた『憧れる』後輩だ。
人と繋がれば、自然と衝突も増える筈。しかしそれでも、悠々自適に他者を魅了できる後輩に、道を歩くだけで悲鳴を出される自分と比べれば当然、羨ましささえ覚えるもの。
「──私、先輩の意見を否定したの…別に、自分の意見があったからじゃ無かったんですよ」
「────」
「変わりたかった。変わりたくて、とりあえず」
唐突に、イチカは呟く。
沈黙が重くのしかかるのはツルギが抱く罪悪感のせいで、自分の情けなさは何処まで大きくなってしまうのだと不安になる。
仲正イチカの罪は──現在進行形。ならば、剣先ツルギの罪は──?
「………」
「ああ……私もだ……」
「──。そうですか」
「コハルちゃんがされた事、忘れてなかったんですね。その責任が先輩を惑わせた」
「……迷った…。…あぁ…ぁ…っ…」
剣先ツルギの罪は──。
選ばなかった事、だと言える。
呻き声を出していい立場なのか自問自答して、ツルギは喉の奥にソレを飲み込む。負い目がある、罪がある、だからこそ吐き出さない。吐き出せば、背負った責任は陳腐なものへと変わってしまうから。
元補習授業部下江コハルらが受けた仕打ちは、ツルギとイチカのすれ違いにほんの少し、きっかけを与えたに過ぎないから、
「コハルの話を…引き合いには、だしくない…」
「っす」
「そうですよね。事実はただ、お互い守るべきものが違ったというだけですし」
──因縁はそれだけだ。
イチカは、部員だけではなく、
「私は、学園を救いたかった」
「誰も悲しまない、優しい結末が欲しかった」
「先輩は…守るべきものだけを、守った。守り通した」
「────」
差異があるとするなら、それだけだろう。
聖園ミカの下で終わりのない苦痛と嘆きを受け止め続ける、享受を繰り返す。普通の生徒ならば数日と持たないプレッシャーと、聖園ミカ以外のリーダー樹立を良しとしない生徒からの妨害は──数ヶ月にも及んだ。
守りたい相手が、教室に立てこもり互いに火炎瓶を投げ合う。殴り合いが始まれば、諌めても諌めても不穏と暴力は広がり続ける。
疑心暗鬼の種が一度撒かれれば、仲正イチカにその種を焼く手段は無かった。芽吹いては摘み取り、芽吹いては詰む。その繰り返し。
片方の意見に肩を入れれば、片方の生徒は信頼と信用故にとてつもなく大きな絶望を経験する。選択自体に地獄が付きまとう環境でもまだ、守るべきを守り通したいという『願い』。
「──人を疑うことに、耐えられませんでした」
「特に、目的無かったですし」
「…………」
「例えばほら、喧嘩って勝ち負けハッキリしなきゃ嫌ですよね。勝ち負けをハッキリさせるって事は、どちらかが『敗者』に、『嘘』になるんです」
「でも、最低限はなんとか」
「──最低限は、最悪です」
目指したのは届かない理想で、ただ己の無力を実感させるもの。誰も泣かせないだけ、堪えて我慢してもらうだけ。何の解決にもなりはしない。イチカを苦しめるのは他者では無く、自己嫌悪から。
驕っていた──のかな。と、声に出さず空を見上げて、ああそうだ、あの時も空を見上げていたら『天啓』とやらが降ってきたんだった。思い出すのは、とある日の記憶、
「──。ある晩から、頼られ恐怖症になっちゃいまして」
「言ってどうにもなりませんけど、『食料を盗んだかどうか』で言い合いになってる生徒が居て、私はトリニティの子に加担したんです。でもその生徒が後に集団で、反対意見のアリウスの子をリンチしてました」
「──また手を伸ばして、『助けて』と言われて」
────。
思い出せる、いつでも、いつまでも。
喧嘩の真相は、アリウス親衛隊に配給される食料を輸送していた荷物からトリニティ生徒が盗みを働いて、現場を見たアリウス生徒が抗議していただけだった。
偏見があったのか、当時のイチカにアリウスへの不信があったのか、どちらにせよ、『間違えた』。その瞬間が特別絶望を与えていたのか、であれば良かった。克服すべきものが見えてくるから。
一つの問題を解決しても、またすぐ別の問題が立ちはだかる正解も不正解も分からないのに、答えを出す事を求められ続ける。
それでも立ち止まらない。言葉を借りるなら『誇りと信念を胸に』この苦しみを乗り越える。仲正イチカが目の当たりにしたのは長く繰り返される一幕。一度の失敗によって産まれた、一人の絶望であって、
「逃げたんです」
その一人の絶望が──決定打。
周知の事実、人は醜い。高潔さは信念を持つものにしか生まれない、高潔さを持つ者は、持たざる者からの信念を穢される。後悔したのだ、自分も、守りたいものだけを守れば良かったと。
自分が好きな部員の皆んなは、こんな事しない。
わざわざ、『こんな事』をする生徒達を守る道に、無謀に飛び込んだ。
「……………」
「で、しずしずと泣いていたら……まぁ、ほら」
「──とある『英雄』のお話を、ミカ様から」
「なんでも凄いパワーで、全部の不幸をどんな形でも救ってくれると。あははっ、眉唾ものっす、信じてませんよ。でもまぁ考えてみて下さい。本当にそんな存在が居るなら……無駄だった、とは思いません?」
「無駄……」
「その瞬間、思ったんです。──ああ、それが事実なら、死ぬ気で阻止してやる。って」
なんにせよ、何をするまでも無く救われてしまうというのなら、身を、心を焼き焦がす苦痛に耐えた時間は何のためにあったというのか。
イチカの目に、強い決意というの名の悪意をツルギは感じ取る。土俵際に指先が掛かったまま、耐え難きを耐え忍んだ結果を否定された心境は、如何に。
語るまでもない悔しさ。なりたい自分を探す様な年頃に訪れた圧倒的な否定は、仲正イチカの目に何を宿らせたのか。
──最初からその覚悟を決めていたら、どれほど悪辣な結末へと誘い込んでいたのかは、知る由もない。
「………」
「…──イチカ」
「なんですか」
「背負うと決めたのなら、走り切れ。出来ないのなら、最初から背負うな。そう在りたいと願うのなら、責任から逃げるな」
「…ひー、手酷いっすね」
「イチカ──まだ、お前は守られる側でいい。守り……たかった。お前が私の手を離れ、届かない場所で苦労を重ねたのも、私のミスだ。あの時、私が選択を放棄したせいだから、目を覚ませ」
「私も間違えた、イチカも間違えた。だからここで終わりにしよう。……きぇへへ………もう、私以外を見るな。私だけに、その悪意は向けていろ…!」
──だとしても。
全ての『過程』を無に帰す殺意を剣先ツルギは許さない。向けるべきでない相手に悪意を向けさせない。故にこれより先は、主張と信念が折れるまでぶつかり合う喧嘩であり、殺し合い。
一度抱いた拒絶と殺意、それが突発的なものであれ、積み重ねの上のものであれ、仲正イチカは正義実現委員会の後輩に手を出したのならば、どんな理由があろうと、
「……共に、退部だ。イチカ」
「────」
正義実現委員会の名を掲げることは、許されない。
部長として、先輩として、ツルギには責任がある。力を持つものとして、立場を持つものとして、ツルギには背負うべきものがある。
捨てることなど、逃げることなど許されない。それが茨の道を自ら選んだ己の、真っ当すべき『責任』なのだ。
「ほんと、百点満点の部長ですね」
付けた百点に、幾らの価値をつけよう。
目線が交差した後に、小銃とショットガンが交差して、最後に拳が交差した。一撃一撃が地形を変えるツルギに比べ、イチカは貧弱と言うしかない。それでも後ろに引けば、己を曲げるのと同じ。
蒼森ミネのような馬鹿力も無い、聖園ミカのような特別な力も無い、剣先ツルギのような純粋な戦闘力も無い。
弱い人間として──強者に勝つ。下克上でなければ、最早仲正イチカは自分を定義できないのに、
「────っ」
どうしようもなく、世界は理不尽だ。
研鑽と琢磨に価値は無かった。自分の罪の全てを背負うと宣言した相手に、全身全霊の反抗をすると誓っても、絶対的な差は変えられない。
未熟ここに極まれり、勇気と蛮勇を履き違えた、身の程知らずの末路はシンプル。
「それだけ昂っといて…甘いんじゃ───」
顔は地に伏せ、腕を背に抑え込まれる。
拘束して終わりなのかとその甘さを指摘しようとして、右肩がミシリと音を立て鋭い痛みに襲われる。拘束──等と生温い行為では無い、ツルギは明確に戦闘力の低下を狙い、右腕を破壊しにかかっていた。
逃れられない体勢での身体破壊だ。背中に乗せられる力だけで肺から全ての空気が出ていってしまうというのに、イチカに残された抵抗の手段というと、
「くっぁ………流石っ…」
「………私達は、選び続ける、選ばれ続ける身だ」
押さえ付けられる『地』の方を変える為、地面へと拘束されていない腕を差し込んで『ひっくり返す』。
基本的に、この世で自分の肉体よりも硬い素材は無いのだ、自分より弱いもの、脆弱なものを足踏みにする。ツルギとて同じ認識だろう、その為か、振り回した腕の先に彼女は居ない。
一呼吸の間に、腹部へ重い衝撃が走る。
「ごぁ」
「──立て」
同時に、右肩の骨を外される。ぶらん、と、日常では見ることも無い不自然な挙動を描く右腕が握っていた銃すら手放した。
理解していたつもりの、差。圧倒的な素体の差。
勝ち負けといった概念が成立するかが怪しまれるレベルの差だ。地面を掘り返した隙に掠めた顎への一発が、何ら効力を発揮していないのを見るに、仲正イチカと剣先ツルギの間には埋めようの無い隔たりがある。
「こ……のっ…!」
「無闇に攻撃を始めるな。失ったリソースを把握して次の手を組み立てろ」
後ろ飛びに近接戦の距離から飛び去って、拾い上げた小銃を乱暴に撃ち放っても、ツルギは片腕で弾丸を弾き顔面へとショットガンを叩き込んだ。それが発砲では無い銃本体の殴り付けであったのが慈悲かと思われたが、それは間違い。
横顔を的確に殴り抜けられ、イチカの視界が急激にブレる。然程のダメージでも無いはずなのに、膝をつき立っていられなくなる。
ツルギの狙いは意識のシャットダウン。
意識を失えばその時点で生殺与奪はツルギの手に握られる。勝者の権利として、敗者その後は自由だ。
「ぁぶ…」
「──。正義は、平等だ。…イチカにとって、正義がどのような形で牙を剥いたとしても、私は正義を執行する」
「……饒舌……っ…すね…」
「前を向け。選択に後悔があるというのなら、後悔によって産まれた憎しみを他者へ向けるな」
「…………」
「力ある者として、お前に言えるのはそれだけだ」
──血相を変えて掴みかかる。
イチカにとっての暴力は、行使される痛みでは無い。ツルギのような覚悟を持つ者からの諭す言葉達が暴力だ。
頭に血が昇って掴みかかったのもあるが、目的は別。先程地面に押し付けられて額から流れた血をツルギの顔に撒き目眩しに、口の中へ手榴弾を押し込む。
「っあ!…ああほんと!ツルギ先輩の言う通りです!」
「──でも!力だけじゃ救われない相手も居た!背負われる事が『苦しみ』になる子達も居たんです……ッ!!」
「根本的に…私達はっ…」
「──他人の苦痛に、無力なんですよ!!」
口の中で触れる硬い固形と指の感触。
一瞬で振り払える、この程度の抵抗も想定済み。ツルギからすれば、普段の自己鍛錬の範疇を超えない勝負。
「……………」
────。
何も言わず、顔面付近の炸裂を受け止める。口から黒煙を吐き出して、戦意の衰えないイチカを見つめた。
正しい事しか行えない者にとっての間違いは、『正しくない』事。正義実現委員会とは、正義を貫く組織。万人にとっての善い事をする組織では無く、一個人の救済は望まない。それがイチカにとっての正義では無かったとするのなら、きっと間違えているのは自分の方だと、
「………」
だと、しても。
新たな悲しみを生む相手へ、容赦は出来ない。
「────」
「──終わった罪を、未来には持ち越させない。だから」
「終わって──無いッ!!」
「まだ何も救われて無い!終わってない!だから!」
「「──ここで終わらせる」」