「────」
親しみを持った顔が、ウイが目の前でバラバラに弾け飛ぶのをスバルは、吐き戻しながら見ていた。
即座にペナルティは下されなかった。が、彼女の頭の中で『何か』と『何か』が結び付き、答えを出してしまったことでより秘奥の、真に触れてはならない『何か』に触れた罰が即座に降り掛かったのだ。
解決策を口にしきる直前、ウイの身体の内側が隆起したのが見えた。泥も、狂乱した生徒も触れていないというのに、肉の内から『黒』が、爆ぜる。
前兆も無く、余韻は消え失せ、肉片ですらない黒色のヘドロに変わり果てたウイ──だったものが、スバルの顔に付着する。
満遍なく、額から顎にかけて、呼吸器を塞ぐ形で『黒』に塗りたくられる。ウイを背負っていたレイサもまた、
「ぁ──」
──『黒』の中へと取り込まれた。
刹那の時間、ツルギが判断出来たのはスバルを抱えその場から離脱する事。二人が居た痕跡はその衣服すら黒泥の中へ消えていき、宙に舞う彼女らの頭髪がひらりと、地面に着くまでの間までが、彼女らがこの世に存在していた事を証明できるものだった。
「つぅっ…」
「ぁぐッ!?」
『黒』に変わったウイの欠片がスバルを濡らしたのならば、ツルギもその被害を免れない。焼け焦げる様な痛みと、制御しきれない力がスバルを掴む手に過剰な握力を産む。
スバルへの加害となる前に、ツルギは自ら右腕を銃底を振りかぶってへし折る。
数分で、ビルを素手による破壊が可能なツルギにとって、無意識のセーブと意識的なセーブによる二重の制御を外された現状は、スバルという柔らかな肉袋を即座にミンチへ変えてしまいかねない。
「────っ!」
着地地点は何処にも無く、狂乱した生徒を押しのける前に起きた非常事態。スバルを宙に投げ、ダイブの姿勢となり腹の底から湧き出る余力を全て黒泥の向こうに存在する地面へ向け、引き金を引いた。
聖園ミカの様に、弾丸では有り得る筈の無い衝撃波が黒泥諸共、生徒を退ける。これで一旦の猶予は確保出来たと空を見上げ、落下してくるスバルを受け止めようとするも思考が待ったを掛けた。
無意識の枷すら外されている状態で、あの高度からの飛来物をキャッチした瞬間、勢いで二つ折りにしてしまう可能性を否定しきれず、
「────」
「お力、お貸しします!」
突如、ワープしたかのように現れた薄桃色の小鳥が、スバルを救うその瞬間まで銃を握りしめていた。鷲見セリナの救出劇を目前に、自分の役目を果たす。
──あらゆる外敵の排除。
煌めく炎がヘイローから溢れ出す。元から血の滴るようなヘイローは血炎となり、ツルギの腕へと垂れていく。
「全部ッ!ぶっ壊してやるッ!!」
──我が身、神の炎の剣なれば、あらゆる『敵』を滅して燃える。
身体を蝕んでいた熱は、打って変わって破壊の為の原動力に。傷は血炎により癒され、自身を悉くを壊す剣へと。
その様子を上空、鷲見セリナはスバルを抱え見ていて、尋常ならざる様子にその場を離れることを決意した。
「……ヒュー…ヒューっ…」
「スバルさん!ナツキ・スバルさん!呼吸を落ち着けて、意識をしっかり!」
過呼吸を起こしたスバルの顔を両手で挟み、視界に映る情報を自身一点のみに。
落ち着かせる為に何度も名前を呼び、スバルの意識を呼び戻す。激しく動く瞳孔がその運動を止めるまで、何度も。
漸くスバルの瞳孔がセリナを捉える。既知から未知へ落ちた感覚によって正気を取り戻し、現実へと回帰した。
目の前で霧散したウイ、黒に飲み込まれたレイサ、暴走し始めたツルギ。火急の事態においても、
「──。審判者……嚮導者……っ…」
──ナツキ・スバルは、思考を止めたりはしない。
彼女が最期に言い残した二つの言葉。最低でも、と言葉を加えるならば、『審判者』と『嚮導者』が欠ければこの地獄は終わる。
該当する候補は、やはりあの天使。
審判を下すのは神話上、神の使いの天使である事が多い。審判者たる七体の天使を破壊さえ出来れば太陽を破壊できる──とは、楽観的。
ウイは同時に『神』へ言及した。
最後の審判、つまりは上位的な存在による罰の執行。
死に戻りのペナルティと類似したソレに思考を沿わせ、黒い太陽を破壊出来る可能性を模索する。
「────」
──破壊は、出来ない。
確実に、破壊は不可能。そう断言する根拠は、アレを『神』と判断したウイの結論だ。神秘が生徒として形を持つこの世界で、真に神へ近くなれば人の姿を失っていくのだろう。
セトの憤怒がそうだったように、小鳥遊ホシノがそうだったように、ならば、最もスバルがイメージする『神』に近い、無貌にして無形の黒い太陽は、人である限り太刀打ちできない。
概念には、より上位の概念で。手持ちの札にアレを壊し切るモノは無いという事。
「セリナっ…。ツルギの所へ…!」
「えぇ!?む、無茶ですよ……っ!」
「無茶でもやるしかねぇんだ!!頼むから、早く!」
だからこそ、ウイは顕現を止める手段に二者を挙げた。
間違っていたとしても、もう止まっていられる時間が無い。まずは天使の破壊、そして嚮導者とやらを見つけ出して、壊す。
──残された選択肢は、それだけ。
スバルが垂れる汗により瞬きをしたその一瞬で、いつの間にかスバルはツルギの背後に居た。
セリナがどうやって先に避難を開始し、スバルを救出したタネはコレかと、セリナのワープを利用してツルギへとしがみつく。
燃え盛る炎に包まれているツルギに抱きつけば、スバルの脆弱な肌の水分が瞬時に蒸発し、守りも何も無くなった肉体を焼き焦がす。生まれる苦痛に怯みながらも、唇を噛んで告げる言葉から恐怖を抜いて、
「ツルギ!ツルギっ!」
「がァァァァァ───ッ!!」
「──『敵』は天使だ!天使さえ潰せば、なんとかなる!」
「…………敵…。敵…?…天使……か…」
「そうだ!敵は天使!…行けるか!?」
「──。ぁ、あああああッ!!」
ツルギが反応する『敵』という言葉に目をつけ、暴走状態にある彼女を操作しようとした目論見は叶う。
泥をものともせず走り出したツルギに、スバルが着いていくにはこの焼かれる状態を耐えるしかない。
眼球すら蒸発してしまいそうな烈火に包まれ、呼吸すらままらない。それから耳にした爆発音、爆ぜる地面はツルギの跳躍の結果であり、意識も体も振り落とされそうになる。
気が付けば──視線上に、黒い太陽。恐ろしい程の跳躍力、何もかもを飲み込む暗闇に吸い込まれそうになって、強くツルギに抱きつき痛みで我を取り戻す。
これが、スバルの死に戻りを司る存在か。感傷を置き、実物を前にして明らかに『届く』モノだと認識出来た。
触れられる、干渉できる。直感ではあるが、別の位相に存在する異次元の代物では現状無い。
ならばと、七体の天使を探す。あれから何がどうなったのか、その『何が』が痛みに悶えるスバルの目を更に大きく開かせた。
「────」
太陽の真下、体躯を膨れ上がらせた天使。
合体、という奴か。骨と皮だけの腕と胴体、取って付けた様な羽に無貌の顔。奇しくも黒い太陽が如き容姿で──四つ腕を生やし天に輝く『神』を崇めている。
間違いない、ウイが結び付けた天使と太陽。天使の従順対象はいつも唯一人、神だけだ。
『敵』を認識したツルギが天使へ銃を振り下ろす、燃える『剣』となったツルギ自身が、天使の全身を細断しようと牙を鳴らし蹂躙を始める。
「ぁ───」
だが、スバルが着いていけるのはそこまで。
理外の動きに、人の身のスバルは振り落とされた。しっかりと巻き付けていた腕は、いつの間にか握力と腕力を失い、見れば炭化していた。
当たり前か、妙な納得感と共に落下するスバル。抱きついた事で、体の前の肉は鉄板に押し付けた後のようにツルギに焼き張り付いて、剥がれ離れていった。視界は半分が暗闇、足も手も感覚が無い。それに一体何度落下すれば良いのだと、今度は落下の感覚すら無いままに太陽の真下、泥溜まりへと──。
「セ──リ──ナ──ァァッ!彼を!頼みます!!」
「────」
──まだ、正気を保っていたのか。
ツルギですら一触れしただけであの有り様、長時間の足止めに泥の排除を行っていたミネが未だ健在とは、つまるところ彼女の言葉には全くの嘘が存在しなかった。ミネは泥を割り、巨大化した羽により空を飛ぶ。
生きて救護を続ける。その延長線上に運ばれて、スバルは空中に滞空したまま更に打ち上げられた。──セリナが再び、ワープによってミネのパスを受け取った事で。
「っ……。滞空、できるのは…っ、ほんの少しだけです!」
「どうしますか!ナツキさん!!」
「────」
「──。う……ぇ、に…」
「……上…!?」
スバルが弱々しく炭化した指で空を指さし、その先に黒い太陽を見据える。困惑するセリナに、スバルは焼き潰れた喉を必死に震わせ、
「──投げろッッ!!」
「っ〜……!」
スバルの必死さに答え、余力を振り絞りスバルを投擲するセリナ。
自暴自棄ではない、スバルの足りない頭で考えついた『嚮導者』は、その名前からヒントを得た。
──人々の前に立ち、道を示す者。
聖園ミカ。浦和ハナコ。ベアトリーチェ。それぞれ歪み、悪とも言えよう曲がった道であれど、『道を示す者』だ。
聖園ミカは気絶中、浦和ハナコは泥に呑まれた、ベアトリーチェはこの状況においても表に出てこないというのなら『嚮導者』たる資格はない。
彼女らが『嚮導者』足り得るのなら、もう一人、そう在れる存在が一人だけ。
「ぉあ」
──ナツキ・スバル。自分、自身。
最後の賭け、最後の判断、最悪の中の最善。
「──るぁぁぁぁ!!」
──暗闇に、手を入れた。
届く筈の無い天体の、触れられる筈の無い暗黒に、確かに触れた。触れた感覚も伝わらないが、確かに、確実に触れた。
「────」
いつか触れたかった夢に触れ、スバルは、ナツキ・スバルは暗闇の中へ落ちていく。重力も何もかもが奪われて、存在そのものが吸われていく。
伸ばした右腕から順に頭が太陽の中へ、胴体を通り足の先までが吸い込まれ、容赦の無い圧迫感が襲い掛かり圧壊させられそうになる。
「────」
呻き声すら上げられない圧迫。それが止まるのは何秒経った後なのか、何分後なのか、何時間も後なのか。時間感覚すら奪われて、無窮の闇の中で囚われ続け解放されない。
「────」
上下左右すら分からず、生きているのか死んでいるのかも判断できず、止まった時間の中で意識だけが取り残される様な拷問。
瞼も動かせない、息もできない。体は焼き焦げた痛みを訴えるが指一つ動かせない。そんな状況が、日を数えられる程に続いている。
「────」
解放されたい、解放されたい、解放されたい。
幾度もの苦痛を乗り越えたとはいえ、永遠の放置という新たな苦痛の訪れに発狂しないでいられるのは何もスバルの精神が強靭な訳では無く、この空間が、太陽の中では精神すら揺らぐ事を許されていないだけ。
「────」
──終わりを求める意識の中に。
「……スバルくん」
──声が、聞こえた。
「…スバルくん」
──声が聞こえた。
「スバルくん」
──声しか、聞こえない。
「──スバルくん」
「愛してる」
苦痛から解放され思考は、声を気には止めなかった。
ただひたすらに、ツルギ達の身を案じる。トリニティを渦巻く陰謀が結果的に世界を滅ぼそうとしているのだ。この状況が生まれている以上、スバルは最早誰にも『やり直し』を広められてはいけなくなった。
対処に追われ続け、何一つ解決口が見つからないまま、こんな破滅を迎えて──にしたって、コレは酷すぎる。何度でも言ってやる、コレは、あんまりだと。
聞こえる声の主がこんな事態を引き起こしたというのなら、スバルはその身勝手さに憤慨しよう。
今までの罰と違う形の大規模な執行。愛してる、と口にしながらの殺戮。つまりスバルの『死に戻り』を自分以外に知られる事への異様な拒絶と執着だ。
「──愛してる」
誰なんだ、何様のつもりだ、何の権利があって何の資格があって、命を踏み躙る?声の主が愛を証明する為だけに、愛の誇示の為にこんな事をしたというのなら、酷く気持ちが悪い。
「愛してる」
スバルはお前だけのモノでも無いし、元からお前のモノになったつもりもないし、愛を受け取りたくもない。
とっくに、スバルの命の全ては生徒の皆へ捧げているのだ。お前なんかが入り込む隙間なんて欠片も──。
「愛してるよ」
「君に愛されただけ、君を愛してる」
「愛してるから、だからきっと」
「私達は何度でも、やり直す」
────。
何を言われたのだろうか。身勝手な言葉を呟かれた気がする。声の主の『愛してる』にはスバルを動かすだけの力が無い、パワーが無い。虐殺を繰り広げておいて、温かみを得られるものか。
本当の『愛』は、『愛してる』は、折れてぐちゃぐちゃになって、ねじ曲がった性根を前にして、新たな覚悟を決めさせるだけの、凄まじい力があったのだ。相手を縛り、苦しめるだけの愛など到底本物と言えない。
断じて、スバルはコレを愛とは呼ばない。嫉妬か何かか、罰で示す愛など、愛にあるべき気高さも温もりも無いのだから。
「──愛してる」
「──愛して」
本音が伝わったのか、少しだけ有機的な命が宿った声をしていた相手は、無機質な声へと逆戻り。
化けの皮が剥がれた、どれだけ愛を語っても、『愛して』等と口にした時点で愛を真には理解出来ていない。
「──愛して。愛して、愛して」
「愛して愛して愛して愛して愛して愛して」
数の問題でも、距離の問題でもないと言うのに声の主は繰り返し、そして間近で囁き続けた。
まるでスバルを洗脳するかのような、スバルの魂にまでその言葉を刻み込みたいかのような、
「っ──。う……るせぇ…」
いつの間にか自由になっていた口で反抗する。求める事が通用しなければ、求められる事を強要させてくる手段には、ほとほと呆れた。
「──愛して。愛して。愛して。愛して。愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して」
「数の問題じゃ……無いつってんだろ…!」
「だから、忘れないで」
「──っ…?」
繰り返す言葉が変わる。だから、と前置いて、声の主は『忘れないで』と意味不明な言葉を繰り返し始める。
「忘れないで。忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで忘れないで」
「──忘れないで。君が愛した全てを」
「──忘れないで。私が愛した君を」
「──忘れないで。君を愛していたみんなを」
「っ、だから!何のことなんだよ……ッ!!どいつもこいつも!俺がこの世界に来てから!ずっと……!!」
「俺は!──お前らの『ナツキ・スバル』なんかじゃねぇッ!!俺は菜月昴!ただの、菜月昴だ……!」
「…………」
言い返せば、声が止まる。
存在している実感さえ奪われる空間で、その主によく啖呵を吐ききったと、ウイが見ていたら涙を流して賞賛してくれただろう。
結局この一時は何であるのか、考えはまとまらず答えも無い。ここは一体何処で何が起きているのかすら分からない、分かるはずも無い。
それでも、彼女の、
「────」
声の主たる彼女の、蒼い瞳が、こちらを見つめていた。
声の主から腕が伸ばされる、見つめられている内に首へ手がかかる。普段なら苦しみ果ててしまう絞首が、不思議と何も感じない。
意識は微睡みの中に、まだ何も解決していない。ここまで繋がれたパスは、皆を救う為だというのに、意識が奪われていく。
「忘れないで、覚えていて、愛してるから」
──うるさい。聞きたくない、離せ。
まだ、まだ菜月昴は誰かを救える。救える人間だと証明しなければ、ウイにもツルギにもミネにも、今までの全てに嘘をつく事になる。
頼むから、お願いだから、
「忘れないで、覚えていて、愛してくれたから」
──もう、慈しみを込めて愛を囁かないでくれ。
スバルが『死』に向かっていく事に、初めて声の主は感情を破裂させて、その色を声に乗せていた。
閉じていく意識を前に、スバルがそこに含まれた感情を拾い切る事は出来なかったが、それでも、苦しんでいることだけは分かる程に。
目の前で、見知らぬ顔の少女が涙を流す。悲痛と苦痛、絶望の狭間で、押し出されるような涙を流して、スバルを殺そうとしているのにどうにも心が傷んで───。
途切れる意識の前、彼女が発した最後の言葉によって、菜月昴は漸くこの暗闇から解放される。
「私が、必ず──」
──君を、救ってみせる。
次の瞬間に、菜月昴は命を奪われる。
救ってみせると告げた、少女の手によって