少し短め。
──男、一人の男がいた。
男は子供のような大人で、けれど決して子供ではない大人である。
大人は幼稚性を捨てなければならない。大人は子供の様な立ち振る舞いを行わない者のことであり、捨てきれない幼稚性は恥とされる。
けれど男は凡庸な欲を隠そうとしない。プラモが好きで、ゲームが好きで、遊ぶことも好きで、欲しいものは何とか知恵を振り絞り手に入れようとする。無論、それらの時間を他者と共有することも大好きだ。
大人と子供。分けて隔つものは存在するのか。
境界を定めるのは大人であっても、定められた境界は絶対ではない。不確かであやふやなものに、子供は従わない。
時に子供は論理的である。冷徹である。大人より賢く、大人より敏く、大人より正しい判断を行える。それは男にも当てはまるものである。
先生と呼ばれても、皆を導く存在だと言われても、子供よりも常に『正しい』わけでは無く、そして子供は成長と共に正しさを見つける生き物。
「この方法が最も合理的で、そしてこの方法以外の解は存在しない」
「先生。何か、私は間違っているかしら」
犠牲を容認する者、しない者。
正解は無く、正誤は与えられず。
「それでも、生徒を傷つけたくは──」
「いつまでそんな寝言を吐き続けるつもりなの!?」
責任。責任を果たす。責任を全うする大人と子供。
揺れる天秤に乗せるは世界。乗せたのは、子供。
男は、固く唇を結ぶのみ。
「『アレ』は貴方が背負うべき生徒じゃない」
いつしか男は、選択を迫られる。
それでも男は、選択を迫られる。
『アレ』は世界を滅ぼすと理解しておきながら、『アレ』が人知を超えたものであると知りながら、『アレ』を壊すことでしか救えないものがありながら、選択を迫られる。
信奉者の狂気の産物。世界を滅ぼすことを役目とし、それ以外の存在意義を持たない兵器。忘却の彼方で願望のままに破滅を齎す、筈だったモノ。
合理を通す子供と非合理を望む大人。
論理と責務の板挟みに、男は解を求められる。
守るべきは、目の前の全てだ。
男は追い詰められる。
割り切れない、解が見つからない。解は、何処にも。
見失ってはいけないものを、見失って果てる。
「プロトコルATRAHASISを実行します」
──故に、男は命を落とす。
見るべきを視れず、計るべきを測れず。全てを塗り替え破壊し、鋼鉄の狂気に包み込む兵器は、この世から忘れられたものを思い出させる為に殺戮を続ける。
後悔は、懺悔は、祈りは、男の何一つは満たされることは無く、鉄の海の中で男は抗い続ける。いつか、あの日の選択の責任を全うするためにも、その命を捧げ続ける。
それが選択の結果である限り、決して避けられないものであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「白洲アズサを捕まえてください」
「捕縛理由は私が仕立てを。長引くようであればツルギさんも動かしなさい」
「──彼女を私の管理下に置く。それが今回の絶対条件です。そうすれば、下江コハルには手を出しませんよ」
立ち込める硝煙の匂いがスバルの嗅覚を塞ぐ。
眩いフラッシュに視界を潰されながら、その輝きが向けられる先を見失わないように目を細め追いかける。
大抵の戦闘においても隙を見せないよう訓練、という名の実戦を繰り返してきたわけだが、執拗に明かりの奪われた暗い室内でマズルフラッシュに瞳を焼かれては堪らない。
つまりは、スバルの周囲の正義実現委員会も同じ目に合っているという事。彼女らの標的、氷の魔女──白洲アズサの多対一を制す能力の高さを共に味わっていて、
「ハスミ先輩ー!暗すぎますー!!」
「仕方ありません、外壁を破壊し視界を確保!先ほどのようにデコイのワイヤートラップに引っかからないように!」
「──。想定通り」
耳に届いた言葉を舌の上で転がす前に、壁の爆破を行おうとした生徒が闇討ちを受ける。後頭部を殴られ気絶し、助けに向かおうとした生徒もまたクレイモアの餌食。
巻き起こる爆発。救助に向かう生徒が瓦礫に埋まり、ミイラ取りがミイラになる光景。壁の破壊による視界の確保という目論見は、アズサが仕掛けたブービートラップの数々で封じられた。
準備を整えた室内戦に限れば、アビドスの生徒と戦闘を繰り広げても互角を繰り広げそうな実力、徹底したゲリラ戦は『氷の魔女』の二つ名にふさわしい。
「…──えげつねぇ」
──スバルはアズサの過去を追体験していた。
セイアとミカの悲劇、その後に待ち受ける地獄絵図に想いを馳せ胸を痛めていたが、時の流れに身をまかせるまま、スバルの内心は白洲アズサ個人に焦点を集めていた。
幾ら手練れとはいえ、正義実現委員会も訓練された『兵』。流石に孤軍奮闘にも限度があるだろう、数は力なりとはよく言う。が、どうやらアズサには当てはまらないらしい。
暗視スコープらしき装備も見当たらず、暗闇で跳ねるアズサの一挙一動を観察するスバル。そのスバルの瞳に──位相が違うのにも関わらずアズサの鋭い闘気が届く。
ガスマスクの向こう、紫紺の双眸に宿る鋭敏な光は、常に敵を見据えていた。流石はアリウス校の出身、この場合は蔑称ではなく、純粋な敬意を表したい。
「……調べてた時のイメージよりも、結構苛烈だな」
これでは氷の魔女よりも燃ゆる肉食獣、なんてあだ名がつきそうな狂犬ぶり。合理的かつ効率的に敵を罠に嵌める姿は、冷たいと言われても仕方がないか。
まだ殺意マシマシだった頃のホシノが重なるクレバーさ、彼女が相対する敵として立ちはだかる時、スバルの死は幾度も重なる事だろう。
そんな強者である彼女が包囲網の中で必死に抗っている原因、それはナギサの策略によるものである。
「───」
スバルの思考の停滞は世界にも影響を及ぼし、今にも正実の生徒に向けて放たれようとしているアズサの弾丸は射出直後に停滞、停止する。戦闘中にあってはならない停止も、スバルからすれば今や見慣れてしまった。特段気にする事でも無い、そう言えてしまう程に。
これがクズノハへ支払った対価に対するスバルの権利、セイアが得て当たり前と評した『全てを知る権利』。不足していた猶予と自由を、心ゆくまで満喫できる権利。
「上級生への暴行容疑で逮捕、らしい理由は付けてるが」
全てはナギサの策略。トリニティの最高審判官とも言おう彼女が下したのは、補習授業部という名の檻に彼女を閉じ込める判決。──アズサの暴行も、上級生による下級生への虐めの犯行を見て見ぬふりは出来なかったが為。
手中に収められる駒の動き方は把握して当然。聖園ミカとアリウスの結託、そのイレギュラーさえなければ、桐藤ナギサは真にトリニティを治める者の器だ。
そしてこれから先、近しい運命を辿る、なら──檻に入れられた四人は、全員退学。
あれもこれもナギサの仕業だというのに、行き着く先では和平派のリーダーとしてヒフミとハナコへ未来を託した。
差し迫った状況に両者血気迫る想いの結託だったのだろうか、企てに次ぐ企てを飲み込んでトリニティを救うための礎になる覚悟なんてものは、持ち合わせるべきではない。
「…フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット」
疑問を解きほぐすようにミステリーにおける三大要素を呟く。誰が、どうやって、何故、使える頭がスバル一人分しかない以上、スバルはこめかみに指を押し当てながら悩む。各陣営の目的は最低限暴く必要があった、セイアの助力で過去を覗き見ているのはあくまでも問題解決の初歩。
過去を暴いて得るのは勝利、誰かを切り捨て誰かを捨てる、じゃない。敵は全員ぶん殴って、全員救う。無血開城ならぬ無死開城でベアトリーチェの鼻を折る。
今一度、進むべき道を見るには、
「俺の想定が正しいならアリウスの目的は復讐だ。第一回公会議の追放が原因で、エデン条約に関わる全員を破滅させようとしてる。ミカはそれに同意した、どのタイミングかは分からないけどセイアを襲った時点でもう──」
狂騒に流されるまま引き返せなくなった。その過程で自分の心を守るために、聖園ミカという少女は自己存在を膨らませるままに膨らませた。
言動を思い返せば分かる事だ、身の丈に合わない願いを背負えば人は『相応』を求め始める。自分のしている行いを正当化するために、尊大で、崇高で、高貴な理由を探す。
救済だの英雄だの、皆を救う、願いを届ける、世界の命運──いやいや、友人を傷つけたことを間違ったと感じたのならば、どこかで足を止めていれば良かった──止まることが、進む事より大きな苦痛を伴ったとしても。
「────」
「ベアトリーチェは何を考えてんだ?問題の根本は、ベアトリーチェが欲しいものが分からない事。この場合、重要なのはアリウスを何とかしてもベアトリーチェの目的が分からないとイタチごっこになる」
ベアトリーチェが生徒を利用し続けた結果の現状ならば、相手の狙いは必然ナツキ・スバルの持つ何かしらになる。身代金要求に応えられるのは死に戻りぐらいだが、他人に譲渡できるものでもない。
もしも、この力を譲渡可能なものだと勘違いし、手中に収めるためにスバルの心を折りに来ているのだとするのならご愁傷様。誤解を解いて仲直りエンドも目指してみるべきか。
「ミカが、あそこまで覚悟決めてる時点で誤解を解くも何もない。それにベアクソ野郎と仲直りとか、見たくない光景の三本指に入るな。とりあえず今はここで見た情報をウイに持って帰るのが先決。一番いい形を考えるなら、内乱を終わらせながらウイにも動いてもらう事だけど」
「…──」
「先に、こっちだよな」
──この世界にナツキ・スバルは居ない。
『先生』。彼が近しい運命を辿るとして、ベアトリーチェがスバルに求めたものを彼も満たせるという事に他ならない。
そしてここは、破滅の決まった世界。終わりが定まった、終焉に辿り着くまでの旅程。
スバルが果ての見える歩みに敬意を表す唯一の方法は彼と、彼女らの一切合切を無駄にしないことだけ。
死に戻りを持つスバルに訪れる物と同等の、惨たらしい結末から目を背けない。見る『フリ』をする卑小な器では、
「──。いつの間に」
「…ああ。だけど」
「失敗を──学ばせてもらうぜ。先生」
問題児だらけの補習授業部。
四人が集った魔窟の中で、輝かしく教鞭をとる彼の『先生』の名を、心に留めておくことはできないだろう。
■
『おはよう』
朝の澄んだ空気に響いたのは、男の喉から発せられた挨拶の言葉だ。
教室に足を踏み入れ、朝の挨拶をする。何の特別性も無い日常の掛け声に男は返事を求めている。出席を確認する為でもあるがそれよりも、交友の足掛かりは往々にして挨拶から始めるもの。
認識のすり合わせ、心の所在、実在の証明。挨拶に含まれる『確認』という行為に男が気を配らせ、それから難しい言葉で取り繕っても、挨拶は挨拶。
『あ、おはようございます!』
『…おはよ』
『先生。おはよう』
『おはようございます…♡』
返事を受け、男は柔らかく笑みを浮かべる。補習授業部の部員もまた、笑顔には笑顔で返事を返す。とりとめのない思考が、男の登場によって一点に集中していくのを感じながら各々の席へ座った。
阿慈谷ヒフミは麗らかに、一日の始まりを象徴する男との出会いに安堵し、下江コハルはやるせない面持ちで男の微笑みを冷たく見ていた。
白洲アズサはペンを握り早速ノートを開いていた、勉学は形から入ると言っても先に朝礼だ。学習意欲が高いのは素晴らしい。正実に捕縛されたばかりの獣の様な姿は、鳴りを潜めていた。
浦和ハナコは、ただ笑って皆を見やる。
男の『起立』と『礼』の言葉に宿る形式的な行動を皆が終えた辺りで、男は突然万感の思いを表現するかのように軽い足取りで四人の席を巡っていく。
愛おしいものに向ける献身的な愛情、決して受け取る者には伝わらない愛を抱いて、教師然とした態度を崩さず一枚の紙を渡し始める。
『──早速だけどこれ、昨日のテストの結果だよ』
──その紙は、いわば補習授業部に義務付けられた呪いのようなものである。
だからこそ下江コハルはウキウキで渡された紙を、親の仇かのように見つめ、他のメンバーもまた良い感情を抱いていない顔で受け取った。
呪いの紙、試験用紙。
百点中、六十点以上を取ることを目標に設定された第一次試験、結果が振るわなければ彼女らに待ち受けるのは──。
『あらあら』
『え!?』
『む…惜しかった』
『────』
『とりあえずは、合宿は決まりだね』
紙に並ぶはチェック印。
阿慈谷ヒフミを除き、赤点も赤点を叩き出した三人。顔を赤らめて颯爽と答案用紙を机の中に仕舞い込んだ下江コハルは──十一点。
惜しかった、と口にする白洲アズサは三十二点。
目を細め、笑顔を崩さない浦和ハナコは、零。
この試験の行き着く先、補習授業部が作られた真の目的を知る阿慈谷ヒフミは七十二点。この結果を受けたヒフミは、
『なんで嬉しそうなんですか先生──!?』
『あはは…みんなとの合宿が楽しみで…』
最悪の結果を回避してくれると信じていた相手に向け、糾弾した。
補習授業部。それは本来学力の足りない生徒の受け皿であるはずの、セーフティーネット。
今このトリニティ学園では、生徒を退学させるために作られた監獄である。
『コハルちゃんも!真の実力を隠してたはずじゃ!?アズサちゃんも惜しいというには…──と、というか、いや、その、ぜ…──ゼロ点…!?』
彼女にとって、想定していたのは合格点から十点程度の下げ幅であって、不合格を重ねた先を知っている以上、楽観できない結果である。
『合宿…うぅ…合宿…』
ヒフミの震える声は男に届く。不安と焦燥がありありと分かる声は、ヒフミ自身のみならず他全員の未来を不安視しているからで、胸の奥に秘めて秘密が無ければその声に嗚咽も混ざることなどきっとなかっただろう。
アズサは眉をひそめ、答案用紙を静かに折りたたんだ。
その仕草は落ち着いているようで、しかし指先にはわずかな震えがある。ヒフミの反応を見て自身の能力不足を恥じるように。
──真面目で、合理的で、天然。アズサを氷の魔女と呼ぶ生徒の中に、真に彼女の人となりを知っている者は一人としていないのが分かる生真面目さに、男は浮ついた気持ちを正した。
『大丈夫。みんななら、乗り越えられるよ』
『私も、最後までみんなと一緒に頑張るから。それに合宿もただ試験の為だけに行く訳じゃない。君たちが……自分の未来を選ぶための場所になる』
『──だから困ったときは、一緒に悩もう』
男は再度微笑む、少し痛ましさを含んだ微笑がヒフミの脳内にあらぬ詮索を招いた事は知らず、ひたすら誠心誠意を込めて話す。
真意の見えないナギサの提案そのままに、補習授業部を『檻』にはさせない。教師として、大人として、いいように誘導されたとしても、生徒を助け導く存在である事には変わりない。──理解してもらうにはきっと、長い時間が必要だろうけど。
『──。これからよろしく。ヒフミ、コハル、アズサ、ハナコ』
『うふふっ…。はい、よろしくお願いしますね、先生』
『ああ、ですがその前に…──合宿を始める前に一つお聞きしたい事が』
だが──。
日常の皮膜が、少しづつ破れていく音を、
『この部活動が作られた理由、先生はご存じでしょうか?』
拾いきれず零れてしまったのは、誰のせいでも無かった。
これから先、本筋のストーリーとはかなり展開が異なっていきますがご了承を。そしてスバルくんパートが来るのもかなり先。がっつりブルーアーカイブしていきます。
この世界線も有りえた一つのバッドエンドという事で。