「……ぁ…」
「……」
「……ん」
ヒナに言われた言葉を飲み込もうとしても、言葉は舌の上で転がるばかりで無味無臭しか伝わって来ない。
手を顎に置き、シャーロック・ホームズばりの推理を脳で働かせたスバルだが……イマイチしっくりと来なかった。
「上手く、噛み砕けない?」
「そう…だな……ーー今は、どんな風に見える?」
「変わらない」
「…」
「変わってないけど、鏡で1度自分の顔を見てみなさい」
フラフラと立ち上がり、ヒナの手を借りて病室に設置してある鏡へと辿り着く。一呼吸置き、下から上へと視線を上げて自分の顔を見つめてみると、
「ーー」
「ひっでぇ面してんな、俺」
一見は何の変哲もない、普通のナツキ・スバルの顔に見える。
けれど『分かりやすい』。これは確かに、花瓶を割った子供そのものだ、後ろめたい何かを必死に隠して普通に振る舞おうとしている子供。
17歳にもなって、こんな顔をしてしまうとは情けなくて仕方ないが、一番の問題は……自覚が無かった事だろうか。
少なくとも、1日目の自分の顔と今を鏡で比べれば、さぞ『ひっでぇ面』だと以前の自分も言ったであろう。
「……こんな顔してたのか」
「…こんな、顔して…」
『ーー英雄にしかなれない、君は、英雄以外にはなれない』
「こんな顔して、何が…救ってやる、だよ…!」
一番身近な助けて、という声は聞こえないのに、世界を救おうと、いや…救えると信じて行動出来るのは、
自分すら救えてない人間が、他者を救おうとすれば失敗するのが関の山、しかし英雄は『出来てしまう』から英雄であり、ナツキ・スバルは成功を選べる力がある。
そんな人間の伸ばした手を受け取った者の末路は…決まっていた。
ーー心が救われない。
その英雄とやらに己を保つもの全てを奪われて救われるのだ、自分ではなし得ない奇跡を起こし、自分では救えなかった全てを救済し、自分では赦せ無かった全てを赦す。
心を砕かれた『過去』は……全て、月並みな言葉で修飾されて、誰もが忘れる『英雄の功績』に早変わり。
祈りも願いも激情も、全ては過去のモノへ。
「……」
「それ以前に、スバルは自分が引き起こした事態の結果を知るべきだけど」
「…リンから耳痛く聞いてるよ、タコが出来て潰れて、またタコが出来る位には」
「それは…貴方の肩書き?それとも評判ーー?」
「色々言われてんだ、ミジンコみてぇな背中には重すぎる肩書きがめちゃくちゃに付きまくってる」
「俺は本当にミジンコみてぇな人間だから応えられねぇってのに」
「俺1人がやった訳でもねぇ、ヒナに、便利屋に殆ど助けて貰って……がむしゃらに生き残りたいからってハッタリ叫んだだけで……」
「それで……俺がーー」
「……俺が、俺だけで何か出来た訳じゃない、凄ぇ事したってのも本当なんだろうけど、それを背負い切れる人間でも無かった」
「そうね、その通り…スバルがその評判に踊らされる必要も、重く背負う必要も本来なら無い、状況がそれを許していないだけ…ーーそれが、貴方が誰かを救おうとした責任」
鏡の顔を見つめる度に、失った176回を思い返す。背負えないものを背負って、死に戻りの力で無理矢理背負った結果それを見抜かれていた。
虚しい、何も得ず何も考えず、唯不幸を打ち消すだけの装置。スバルがホシノに言われた虚しいという言葉がやけに心にしっくりくる。
「スバルは、私や便利屋の手を借りて誰を助けたかったの?あれ程の事をして、一体…」
「……」
「それはーー」
ヒナだ。
と、言えない口が憎い。
死に戻りを行う前、一番初めの彼女との会遇で、彼女に助けられ恩を返したくてここまで来た。
有り得た過去を捨てて、今ここに。
「それは……」
じゃあ今は?スバルは何のために死に戻りをしている?
「それは」
それは。
「ーー全員」
「……全員?」
「全員だ、全員全部、不幸になって欲しくない奴全員」
「どんな風になっても救ってやりたい、カイザーの奴らのせいで不幸になる奴も、助けてって叫ぶ奴の声も、俺の手が届く範囲、届かない範囲まで全部救いてぇ」
「俺の肩書きを頼って、俺を信頼してくれる奴を救いたい、俺が『その人』だから助けて欲しいって奴を救いたい、俺しか出来ないなら、俺がやる」
「夢物語だよな、そんな事考えてるから失敗ばっかりして…アイツを失望させた、でも俺は引けねぇし引きたくない」
「……」
「『アビドス高校がカイザーの標的にされてる』ってなら、俺はそれを許せねぇ、俺は、俺は!俺はあそこで不幸になる全員を救いてぇ!!」
ヒナからすれば、スバルの発言は何1つ理解出来ないものだろう。
ヒナどころか、この発言の意図が分かるのはスバルしかいない。病室の隅々にまで広がったスバルの新たな宣言は、スバルにしか伝わらないものだ。
しかし、今の発言は聞く人によれば腹を立て、ヒナはそれを強欲だとも、傲慢だとも思う。身の丈以上を当たり前の様に求め、手の届く全てどころか、手の届かないモノまで欲しいというのだから、なんて我儘で欲深いのだと。
「でも……どうすればいいかっていう答えも分かんねぇんだ」
「ーーだから、ヒナ」
「教えて、くれ」
そう言うと鏡から視線を外し、スバルはヒナと目を合わせた。
なんと他者に答えを求めまでする怠惰ときた。そう聞かれて空崎ヒナが答えを持ち合わせてなかったらどうする、ヒナは謹慎中、ヒナが断れば、ヒナが拒絶すればナツキ・スバルの道は閉ざされる。
そしてヒナ自身の身も考えていない、傲慢で強欲で怠惰な問い。この世界の住人なら銃で撃たれても不思議では無い。
「ーーー」
空崎ヒナの手が、スバルの手に重ねられる。
そしてその手を、スバルの顔に。
確かに、この世界の住人なら銃で答えただろう。
ーー但し。
「ええ、勿論」
助けて欲しいと言われて、空崎ヒナが見捨てる人間であればの話。
■
コンコンコン、と病室の扉がノックされる。その音は急かす様でもあり、締め切り直前の作家が籠っている部屋の扉をノックする様でもある。
七神リンが病室をノックしていた、スバルには知って貰わなければいけないキヴォトスの現状と、余り残されていないキヴォトス戦争までの猶予を理解してもらわなければならないからだ。
時間も程々に取った筈、空崎ヒナとの話し合いもそろそろ終えてもらって、ナツキ・スバルにはやってもらわねばならない事が……。
「失礼します、ナツキさ……ーー」
「ーー!?」
もぬけのから。居るべき場所に尋ね人は居らず、慈愛の怪盗にでも盗まれたかと錯覚する程に乱れた様子1つ無い室内は、ナツキ・スバルの姿をこの世から隠していた。
点滴も外され、綺麗に畳まれた病院服が戸棚の上に置いてある。
慌てて近づいても光景は変わらなかったが、リンの視界にベッドの上に乗った1枚のA4用紙が映った。
『拝啓 首席行政官七神リン様 タイザンボクが青々しく茂る季節になりまして、連邦生徒会のますますのご盛況慎んでお祝い申し上げます。ナツキ・スバルは今現在マイスィートはぁにぃ〜とラブラブデート行ってくるんで暫く外出します。 ごめんちゃい 敬具』
「………」
瞼はピクピク、胃はキリキリ、頭はムカムカ。
「ナツキさんッーー!!!」
恐らくは叱られながら書きなぐったであろう字体の手紙が、七神リンの琴線をエレキギターが如く掻き鳴らしたのであった。
■
「へっくち」
「ん…スバル、大丈夫?」
「あぁ、うーん、何か大丈夫かどうかで聞かれれば…大丈夫じゃないタイプの悪寒が走っただけ」
「それ大丈夫なの…?」
リンちゃんも何だかんだ甘いから大丈夫だろ、と後々の悪夢を未来の自分に投げ捨ててぶらり旅を満喫する。
「スバルって繊細な様に見えて根っこは図太いのね、私から誘った事だけど…尊敬する」
「まるで褒める内容じゃないのに褒められてる不思議!ヒナに言われると嬉しくて堪らねぇが、俺ってなんでもそのまま受け止める性質だから皮肉言うとき気をつけないと……ーー学校で先生が『それなら貴方が授業をして下さい』とかキレられると、本気で鞭撻取る、そんな奴」
「…………口の調子も戻ってきてるみたいで良かった」
「おぅふ…今言ったばかりなのに、このままじゃ俺の口がドラゴンエンジンもビックリの回転数披露しちまう」
慣れた軽口を流しつつ、ヒナとスバルはD.U区をブラブラ歩いていた。ヒナからの提案は『外出しよう』との事。
いつものジャージに着替え、ヒナに抱き抱えられてランデブーしたスバルは、この世界に来て漸く銃撃戦が無い観光をしていた。
見れば見る程東京の様な街並みで、その割には空気が澄み切ってるし、高層ビル群の隙間を縫って差し込む太陽の光が心地よい。
街中を歩く女子高生達は、今日が丁度休みの日なのか制服では無く私服で街を遊覧している。あちこちからデザートの甘い匂いが漂ってくるし、服屋は人で満タン。
あちこちの学園から待ち合わせ場所に使われるD.U区は、他の自治区と比べても治安が良い、銃撃戦から身を離すには丁度良い場所なのか兎にも角にも人が多い。
流石にこの人の多さはヒキニート極めしスバルにとって中々に居心地が悪いもので、隣に超絶美少女のヒナを連れていなければ街中に溢れる『陽』オーラに、陰そのものであるスバルは浄化されていた事だろう。
「ちなみにコレってデート判定でおk?」
「ダメ」
「ショボン…」
ナンパよろしく気さくに聞いてみるも大破。伸びた鼻の下を引き戻される。こうやってだべっているのにも理由がある、街中をブラブラ歩いているとは言ったが、ヒナには向かうべき目的地があるみたいで、何の意味もない散策では無い。
尚、スバルは現在進行形でキヴォトスの有名人。顔も服装も髪色もバレている為、A4用紙に落書きの顔を書いてセロハンで顔面に貼り付けてある。もう誰がどう見てもド級の不審者だが、羞恥心を捨ててあるのでそこまで気にしていない、周りはドン引いてるけど。
暫く歩き続けていると、十字路の洋服屋手前で見覚えのある子が待ち人を探すようにキョロキョロと周りを見渡していた。
「あれ、君は…」
「ーー!」
待ち人来たれりと駆け寄ってくる少女は、カイザーの魔の手から救った例の子だ。名前はあの時薬で聞けていないからあの子としか呼べないが……、
「ナツ……ーーえと、
思いっ切り名前を間違えられた……ーーのではなく、ここでスバルと叫べば道行く人の注文を集める事になってしまうから。
「んん!?ん〜…あーね!なるほど、昨日ぶりだな!薬の後遺症とかはねぇよな?てか声のボリュームデカすぎんだろ」
「はい!」
「分かった分かった、もうそのボリューミーな声が通常なのね、OKOK、とにかく良かった、薬で痺れてる時はAre you ok?のエンドレスループだったし、本当に大丈夫かどうか心配してたんだが……ーーヒナが呼んだのか?」
「ーーいえ、呼んでないわ」
「え?」
「あはは、ツバルさんのその姿、もうネットで話題になってますよ?超絶不審者情報って掲示板で…友達との約束場所と近かったのですっ飛んできました!」
「お、おう、そうか」
こんな感じの子だったかなぁ、と脳内のイメージと今の元気ハツラツな姿を比べてみても、結局あの時は薬を打ち込まれていたし、別にこれが素なんだろうなと思い、良かった良かったと腰に手を当てるスバル。
それにしてもこっちの世界は本当に情報の拡散が早い、外出して30分しか経っていないというのに……ーーまぁ流石にこの格好は日本でも即逮捕モンか、
「もう一度ちゃんとお礼が言いたくて、ツバルさん、本当にありがとうございました」
「ふふーん、美少女からのお礼は幾らあっても困りまへんなぁ!ワテにもっとサービスしてくれてもええんやで?」
関西弁のおっさん風に話し、スバルに対してペコペコと頭を下げる少女の頭にぽん、と手を置く。
相も変わらずスバルより身長が低い子が多いので、ついつい手が伸びてしまう。
「ーーー」
「ふふふっ、そうですね…ツバルさんにはもっとお礼をするべきかもしれません………ーー怖かったです、攫われかけた時、泣きじゃくってましたし」
「誰も助けてくれなくて、誰の手も届かない所に連れてかれて、誰にも声が届かなくて」
「……怖くて、怖くて怖くて、死んじゃうかと思いました、スバ…ツバルさんが来てくれなければ、どうなっていたか」
「だから本当に、ありがとうございます、ツバルさん」
頭に置かれた手をスバルの胸まで持っていき、その女子生徒も暖かく包み返した。
「ーーあぁ」
表情が凝り固まってしまう、彼女からの感謝をこうやって暖かく受け取る度、失敗した選択の上に成り立っている『今』に存在している自分の滑稽さが、置いてかれた世界が脳裏に染みついて、呪いが背筋を伝っていく。
未来永劫、永久無限に赦されず消えることの無い有り得た世界の放棄。それを理解しておきながら今ナツキ・スバルが微笑む事が許されるのだろうか。
ーー彼女の笑顔を受け止めて、良いのだろうか。
「ツバルさんーー?」
「あぁ、ありがとな、そこまで感謝してくれるとなんだかむず痒くなっちゃう」
「…ーーどうせならツバルさんも、ありがとうって私に笑い返してくれても良いんですよ」
「んえ?そんな急に、平日の観客席に人が居ないお笑い芸人が言いそうな事…」
「『お互い様』、『ありがとう』って、言ってくれましたし、ほらリッスンミーリピートアフターミー」
「っ」
何時ぞやのスバルのキザなセリフ、それをそっくりそのまま返されて豆鉄砲を喰らった顔になる。
そう、ありがとう。
自分を走らせてくれてありがとう、そんな言葉を彼女には伝えた。
今もまた返せばいいだけなのに、言葉が詰まる。
思考が堂々巡りへと突入していく、ナツキ・スバルを変わらず蝕む呪いと過去が、喉を絞めて放さない。
ーーそれがナツキ・スバルの責任だ。
責任を負う者、それがナツキ・スバル。死に戻りによって得た選択肢を、選んだ責任を背負う者。
そんな妄執が喉に絡まってーー、
「それなら、私も貴方に言うべきだったね」
「……ヒナ?」
「『ありがとう』」
「お互い様に、ね」
「ーーーー」
「適わねぇな……ホント、あぁそうだ、お互い様、持ちつ持たれつ人生は永遠に
「ーー2人とも、ありがとう」
■
ズビズビと、顔面に貼り付けた紙をびしょ濡れにさせながら木陰で泣く男がいた。
誰の目にもつかない、誰も通らない静かな場所で濡れた顔を拭っている。
勿論、モチのロンナツキ・スバルではあるのだが。
『わわわ!?な、泣かないで下さいスバルさん!私何か悪いこと…あ』
ヒナとは違い爆音でスバルの名を呼んだ結果、周囲の人の注目が集中。ヒナが急いですすり泣くスバルを抱き抱え、誰もいない場所へと運ぶ事になってしまったのだが、
「……ーーふぅ…」
「落ち着いた?」
「…うん」
「ごめん、ちょっとこう…凝り固まったモンが一気に、こう、バーーっと押し寄せてきて…何か、色々溢れちまって……てか、またあの子の名前聞くの忘れたな…」
恥ずかしい恥ずかしい、めちゃくちゃに恥ずかしい。ヒナの目の前でいきなりの大号泣だなんて、スバルの人生の中で指折りの恥ずかし泣きだ。
「…やっぱり、スバルには時間が足らな過ぎる……連邦生徒会も手段を選ばなくなってきた、今の内にでもーー」
「だ、大丈夫!男泣きってやつ、一過性の涙だからぜーんぜん大丈ーー」
「本当?」
「うっ」
「……はぁ、一体どんな問題を隠しているの?」
「…ごめん、それはやっぱり…話せない、かな…」
「…ーーそう、話したい時に話して、今は…アビドス高校、カイザーからあの高校を助けたい、それを解決するのが先決だから」
スバルの顔をハンカチで拭いた後、ヒナが次に向ける目線の先をスバルも追う。
気が付けば本当に人気のない場所に来たものだ、こんな場所にアビドスを救う手掛かりになる何かがあるとは思えない。
ーーと、思っていると、
「あ…!!」
見覚えのある服装が目に入る、婦警のような服装に、不釣り合いな程重厚で鋭い目つき。
ピコピコと撫で回したくなる可愛いケモ耳を撫でれば、チラつくギザ歯に噛み殺されてしまいそうな気がする。
傍らには申し訳なさそうな表情をした警察服の少女が、暗い顔で頭をスバルに下げていた。
「ナツキ・スバルさん…この度はーー」
「顔コワ!!」
「「「「…………」」」」