「うりゃぁぁぁ!!!」
豪快な叫び声その通りに、イオリは身体から伸ばした一本のラインを走るかのように強靭な体幹で走っていく。
駆けると呼ぶべき早さでホシノに向け、ゴム製のナイフを握り締めながら疾走するその姿は、風車に向かうドン・キホーテを想起させる。
対するホシノは未だ素手、余裕の現れか、それとも無手の方がやりやすいかは、実力が近しい者しか分からないのだろう、無論スバルには29戦を見届けて何一つ理解出来ることは無かった。
純粋に強い。早く、巧みに、上手。相手の戦闘スタイルに対して、鏡のような立ち回りを見せ、完封する。
──だが、今まで変わらずにいた戦いの姿勢が、銀鏡イオリの前で変化を見せた。
「っ…」
不動。
イオリの様に突っ走る相手には、ホシノも同じ動きを返してきた。
様子見をして、隙を伺うのならホシノも動かず、カウンターが狙いの生徒には同じく待ち返す。
ホシノ曰く、自分が行う戦闘スタイルの長所と短所位は把握しておくのが基本だと、打ち倒した生徒の前で悠々と語っていたのだが、
「──小細工に弱いっぽいのかな?」
「くそぉっ…なんで…!」
イオリの一振り目、勢いのまま片手…左で握りしめていたナイフを頸目掛けて突き出した攻撃は空振り。
ホシノの体躯と戦闘光景を見ていたイオリは、異様な反射速度と技量が彼女の強さだと判断。馬力の差を活かせる組み付きをする為に、右手で制服を掴みにかかり、転倒。
彼女が言う小細工がなんなのかは、顎を強打し、悔しがるイオリにはまだ判断出来ていない。
ルール上は降参するまで続行されるこの模擬戦、再び立ち上がりながらナイフを突き出すイオリの手を、
「いっだぁ!?いてててて!?」
反射で手首を掴み、捻る。あれだけ強く握りしめていた武器は地面に落ち、ホシノは「うへぇ〜」と退屈そうに息を吐き、
「基礎は凄いね、どんな訓練してるのかな…シロコちゃんに近いくらい身体は仕上がってる」
「ふ、風紀委員の訓練は…──結構厳しいからな!…っな…!?」
キメられた左手を、強引に動かしながら右手でホシノの身体を殴りつけた。
──右手が感じた感触は、岩。巨岩を殴り付けた気分になるイオリ。
「おー、振りほどける…流石」
「アンタ…!全然本気出してないだろ…!!」
「だっておじさんもうヘトヘトなんだよ〜。若い子と何回も戦ってたら…頭も身体もカチコチのおじさんはね、すぐ疲れちゃうの」
肩や腰が凝っているおじさんのように、わざとらしいモーションを見せるホシノ、甘く可愛らしい体躯と声とは似合わなすぎる為か……スバルは「あれ本気で言ってんのかな」と冗句めいた身振りを指摘し、
「……それにさ、アコ。あそこだけ世界観違わね?」
「同感です、ヒナ委員長から話だけは聞いていましたが…」
天才。その言葉は吐く人物によって大きく意味が異なるものだ、それがより強者であればある程、相対する人物の才能も同時に実感する。
空崎ヒナは、云わば強者の中でも頂点に座する存在。それを風紀委員全員が疑っていないし、ゲヘナで異義を唱えるものだっていない。
スバルも散々見てきたその光景、名を出すだけで不良が震え上がり、どんな悪党であっても作戦の失敗を覚悟する。しかしホシノとヒナ両者の強さを見てきたスバルだからこそ、ヒナが発したであろうその言葉に共感出来た。
「『暁のホルス』は、天才であり、本物のエリート」
「そしてウルトラハイパーミラクル可愛いアビドスの守護神様ってところだな。クールさはヒナの方があるけど、ホシノのキューティーな部分も引けを取らねぇ、総じてどっこいどっこい。あ〜あ!ヒナとホシノの両手に花な俺って、今一番世界で充実してる人間だわ!」
「余り巫山戯たことばかり述べるなら、その頭吹き飛ばしますからね。あとビジュアル的な観点から見ても実力から見てもヒナ委員長の方が一段上ですから間違いのないように」
「早口怖ぁ…」
隣のアコから視線を戻し、模擬戦を続けるホシノの方に向き直る。
イオリの直線的かつ視野が狭い行動は、ホシノにとって思うがままだ。彼女の勝ちパターンに嵌められて再びイオリは体育館の床に寝そべってしまう。
ホシノの強さは単純な膂力に収まらない、それはスバルが今まで体験してきた事でもあり、カーチェイスでの戦闘の際の機転力、校内でシロコと共に戦った際の視線誘導とミスディレクション、極まった小手先の技術は、基礎スペックの違いがどうのこうの等という次元で無いのを現している。
天才であり、本物のエリート。その言葉に偽りは無い。
「なんで!そんな簡単に避け…おわっ!?」
「それ二回目、二度目は無いから…──」
再びイオリは体育館の床とキスを交わしてしまい、二度目は無いと言われた通り、ホシノがゴム製ナイフを首筋へと突き付ける。
「終わり、かな」
「──」
その冷めた声は、イオリの戦意を完成にへし折ってしまう。
戦いの決着に納得のいかなそうなアコは、イオリへ向けて、
「なんで何も無い所でずっとコケてるんですか!それも二回、そのせいで負けてしまって…!」
「無茶言わないでよアコちゃん…アレに勝てって、委員長に勝てって言ってるようなもんだけど?」
「くっ…だからって…ぅぅ…」
「何でボコボコにされた私よりダメージ受けてんのさ……」
あれだけ投げ飛ばされ、床へと叩きつけられ……関節もキメられてピンピンしてるイオリにもドン引きしながら、ホシノの元へ向かうスバル。
関節技はよく親父から掛けられていたからこそ、アレを容赦なくキメたホシノには心底恐怖したし、無理やり抜け出すイオリも改めて人間離れしている。
ホシノの傍にまで近づくと、案の定汗の一つもかいてないホシノ。それでもスバルの為に労力を使ってくれたことに感謝し、
「お疲れ、ホシノ」
「おつかれー、これで行政官ちゃんにお願い聞いて貰えるかな。あの社長ちゃんの分のカレー…あ、便利屋全員の分、用意して貰いたいんだけど…」
「俺から言っとくわ、てかそれでいいの?もっと強欲に強請ってもいいと思うけど……──いやごめん忘れて」
自分で謙虚なお願い事をして、場を丸く収めようとしていたというのに、ホシノがまさか便利屋のカレーを願うとは。
ほんの少しは、ホシノにも余裕ができたのかと考えると、スバルの肩にのしかかる重圧も軽くなる。
戦いたそうにしている賭けに関係ない面々は、ホシノに相手してもらうことにして、今のうちに弁当を広げておこうとその場を立ち去るスバルへ、
「ちなみに…スバルならあの子が転けてた理由も分かるよね」
「──……全然分かんねぇ」
「嘘つき、ちゃんとスバルが何処を見てたか、観察してたよ」
「……」
どんだけ余裕ぶっこいてたんだよと、イオリへ哀れみの目を向けたくなるが、あの状況でもこちらを観察できる能力がある方がおかしい。
暗に、どんな時でも見ているぞ。そんな風に言われた気分になるけれど、聞かれた質問に素直に答える。
「──ずっと、ナイフを出すフリだけしてたって所」
「正解、やっぱりちゃんと『視てる』」
「あとは全然分かんないからな?何あれ、重心でもズラしてるの?達人は守られている系の転び方してたけど」
スバルの頭をポンポンと撫で、「案外人間って無意識に視界の情報を処理してるからね」と、つけ加えてからスバルに抱きついた。
何をしてるのかと、唐突な行動に驚く間も作られる事無く、ふと自分の身体の重さが消えた事に気づく。
ふわりと羽になったかのように錯覚するも、同時に視点も移動している事でホシノに持ち上げられているのだと分かり、
「怖ぇよ!?」
「接触療法接触療法〜、セナちゃん直伝だよ〜。おじさんまだまだスバルに恩を返せてないからさ〜」
「親御さんが真似するから!いやシロコが真似しちゃうから降ろして!?」
「離したらすぐどっかに行っちゃうもん、でも今は…そうだね、3秒あればスバルの事捕まえに行くけど」
「だから怖ぇって」
にんまりと笑顔を浮かべ、なるべく身体へ負担をかけないように『お姫様抱っこ』をするホシノ。
彼女に持ち上げられるのは初めてでは無いものの、こんな姿勢にされるのは、さしものスバルとて恥ずかしく、耳が赤くなる。
周りの視線がある中で、堂々たる態度でスバルを抱き抱えるホシノは、連勝の末与えられたトロフィーを担ぎあげているかのようだ。
そしてその状況に最も腹を立てていたのは──、
「まだ、私と戦ってないよね。スバルを降ろして、両腕塞がってても勝てるって考えてる?」
「別にそうは言ってないけど…シロコちゃん自身が勝てないって思ってないとその言葉は出ないよね〜」
「───……」
「ホシノ…お前シロコを焚きつける為に俺の事使っただろ…」
懐疑の声を抗議の意を込めてぶつけると、ホシノは再びにんまりと笑ってスバルを地面へと降ろす。
スバルは唸る獣達から点滴台を素早く動かして離れ、先程までのお遊戯の時間からはかけ離れた光景が繰り広げられることを予感していた。
「…貴方って本当に節操ありませんね。不埒、不潔、余計ヒナ委員長に近づけたくありません」
「何処をどう見てそう判断したんだよ…俺の心はいつも…──いつも、色んな美少女達に奪われてばっかだけどさ」
ぼっ、と頬を染め、ちらりと横目にアコの様子をうかがえば気味悪そうに寒気がるアコ。その視線の冷たさに、言葉は要らないと肩をすくめて残念そうに色恋の感情を抑える。
が、すぐさま目をカッと見開いて、心の中に住まうスバルの色恋云々を奪い去っていった美少女達の中で、今この場で顔を見れていない人物の事を想起させ、
「ノゾミとヒカリの顔見てねぇ。ごめんアコ、ちょいこのお弁当箱見とけるか?つまみ食いすんなよ?」
「この私が、つまみ食いなんてする人間だと?」
「はいはいその様子なら大丈夫だな、んじゃ失礼」
■
体育館を後にするスバルは、雑談の騒音に紛れてさも音も無くその場を消え去った。だが、音は無くとも『お姫様抱っこ』で注目を集めた後だ、居なくなるのに誰一人気が付かない訳でも無く、スバルが扉を開けるのに苦難している時に背後からの援助に救われて、
「すーばーるきゅん」
「ムツキか、なんか用事でも?」
「用事って…スバルきゅんが音も無くどっかに行こうとしてるから、カヨコちゃんから見といてって言われただけだよ〜。スバルきゅんこそ、何か用事?」
「用事っちゃ用事だけど、すぐ戻る。ノゾミとヒカリの事探しに行くだけだからさ」
「それじゃ私もついてこーっと、別に良いよねスバルきゅん♡」
「あ、ああうん。どうぞご勝手に、マジで小さい用事だから」
何となくなのだが、スバルはムツキの事が苦手な部類に入る。無論何回か爆殺された経験もあるのだが、ボケやツッコミをバランスよく話に混ぜることで立ち位置を探るスバルにとって、ムツキの小悪魔的なムーブにはどう対応するのが正解なのかが分からない。
『小さい用事』でしかなく、この後起きる体育館での模擬戦(喧嘩)に比べれば差程の事では無い。
それでも心配してくれるというのなら、カヨコとムツキへ労りの想いを向けてから歩きだす。
「……暗いな」
外へ出てみれば、砂嵐の密度は更に濃さを増していた。
太陽の光を遮り、太陽そのものを喰らっているかのように世界を暗雲に落としていて、スバルの呟きを聞いたムツキも、何処かジメジメとした感触を得たのか「暗いね」と同じ言葉を口にする。
それから風に攫われないように、ムツキの身体を借りて外廊下をかがみ歩く。ふとした瞬間にこの場から消えてしまいそうな、途方も無い力に押し流される気分になって、
「───」
──天を見上げた時、ソレは此方をみていた。
「……」
「……あれが」
砂嵐に紛れて、橙色に淡く光るヘイロー。その名が持つ意味、天使の輪の通りこの世に堕ちてきた神聖を垣間見る。
規格が違い過ぎた。大きさも、存在感も、此方を見ているとは評したものの、スバルという個を認識している訳でも無く、唯その場に居るだけなのだろう。
何もしていない、何もしてこない。サイズが大きすぎるせいで遠近法がおかしくなって、すぐそこに居る事は有り得ないと分かっていても、産毛が粟立って、
「大きいねー」
「いや淡白か」
「別に不安になんなくてもいいよ、スバルきゅん。あれくらいなら私達便利屋に任せておけばいいからさ。それともみんなが居るのに怖くなっちゃった?」
「──いーや?ただのデカブツに怖がってなんかいませんけどー?」
「くふふ〜、それじゃこの膝の震えは何かな〜?ほんとのほんとに怖くないの、スバルきゅん♡」
「これは武者震いだっつーの、なんともねーから」
「スバルきゅんってば社長みたいな反応するから、可愛いくて弄りがいがあるよね〜」
「………」
■
昼間だというのに、まるで夜間の学校を歩いていると錯覚する程に暗く、静かな校舎に足音を響かせる。
「人はみ〜んな体育館に集まっちゃってるからね〜……ねぇ、スバルきゅん」
「……なんですか」
ノゾミとヒカリを探して数分、ムツキが最後に見たという昨日の就寝場所まで歩く中で、ムツキがまたもや小悪魔的な表情をし、スバルの横腹をつつき、
「もしかして、暗いところ苦手──?」
「苦手じゃない、全くもって苦手じゃない。暗くて狭くて閉鎖感がある所がトラウマなだけ」
死に戻りの中でも最も過酷だった、黒服による肉体の解体以降…この閉鎖感というものが中々に心の臓を締め付ける。
「くふふ〜…わぁ!!」
「────」
「あはは!すっっごい顔してる〜!」
「…次やったら、アルにムツキが虐めてきたって報告します」
どんなに見た目可愛くても、それが何でもしていい事には繋がらない。残念だがムツキのイタズラはここまでにしてもらい、散策を続ける。
身体にしなりを作ってショックを受けたふりをするムツキに吐息し、スバルは「というか」と言葉を継ぎ、
「ノゾミもヒカリもどこに行ってんだよ……この砂嵐じゃ外には絶対出れないし、だとするなら学校の何処に…」
「くふふ〜、案外神隠しとかされちゃってるかも、ほら…くらーい学校って何が起きるか分かんないしさ?」
「縁起でも無いこと言わないでね!?」
「え〜、都市伝説だっていっぱいあるんだしさ。アビドスの学校にもそんな──」
ムツキが雰囲気を紛らわせる事を話そうとした時。
ガタンと、廊下奥の教室から無機質な音が響き渡った。
「「…………」」
その後は、何かが落下した高音が廊下の隅々まで染み込んでいく、反響し、たった二人しかいない廊下に充満するかのように。
いつの間にか生唾を呑み、足が止まり、言葉を発せなくなっていた。
「ムツキ、俺の後ろに隠れてろ」
「スバルきゅん…!?」
咄嗟に固まってしまった身体を動かし、ムツキより前に出る。心霊現象ならそれでいい、怖い思いをした、それで終わりだ。しかしスバルが考えうる可能性はそれだけでは無い。
──侵入者。この砂嵐を掻い潜り、尚且つアロナの探知にも引っかからない相手と過剰なまでの想定をして、
「ッ…誰だ──?」
廊下の奥、闇に隠れる影を見る。
戦力はムツキのみ、身体は十分に動かせない上に点滴台が邪魔をする、最悪の状況だが、最悪に至るかどうかはスバルの手腕だ。
急いでカンナの拳銃を構え、慌てているムツキを片手で制止、いざとなればアロナに全てを託す準備をして、
「……ヒカ……リ…──?」
闇から現れたのは、探し人のヒカリ。気絶させてしまってからは、ずっと眠っていた彼女が歩いて此方に向かってきていて。
「ヒカリ!」
「良かった、昼飯だってのに何処ほっつき歩いてんだか。セナに貰った弁当あるから全員で食べよ…──」
──片手に握っている襟が、ぐったりとしているノゾミのものだと気付く前に、
「ぅ」
ヒカリが握る銃身の口と、しっかり目を合わせてしまった。
その口の中へ、身体が落ちていくままに、
「──なんで私より前に出ちゃうかな、スバルきゅん」
背後からの声と二つの銃声が重なったのは同時だった。
ムツキがスバルの身体を強引に退かし、ヒカリが放つ銃弾とムツキが放つ銃弾が交差する。
命中したのはムツキの弾丸、ヒカリは虚ろな目をしたまま後方へと倒れ、そして同時に窓ガラスが割れた。
現れたのは、白無垢の衣装に茶色の砂をつけた侵入者。顔や姿は見えないように大きめの外套で隠してあるが、白無垢を見て真っ先にイメージするガスマスクは見えない。
──代わりに、口元を隠す機械的なマスクが見え隠れしている。
「…どうなっている、受け渡しは……何故貴様がここに…──まぁいい、全員ここで消して終わりだ」
「どこのどちら様かは知らねぇが、今のセリフだけでお前が悪役だって事ぁ分かったよ!!」
「──死ね、ナツキ・スバル。貴様は生きている事が、罪そのものなのだから」