喜びとは目的を暖め続け、知性を輝かせ続ける神聖な炎である。   作:Alphecca

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喜びとは目的を暖め続け、知性を輝かせ続ける神聖な炎である。Ⅳ

「──先輩、聴いてください」

 

 

 

 

「私はずっと、自分の人生に暗い感情を抱かないように、と心に決めて生きてきました。

 父と母を火山災害に奪われ、やがて私自身も鉱石病になり、耳と目が不自由になって……。

 両親の後を継いで研究者になろうと思ったのも、そのために大学に入ったのも、病気のことを誰かに心配されてしまわないように怖くないふりをしてきたのも、自分の人生を自分自身が後悔しないようにするためでした。

 私の人生の目的は、研究を継ぎ、両親がたどり着けなかったものに辿り着いて、そして死ぬこと。

 そうすれば少なくとも、自分の短い人生を後悔することも、恥じることもないだろうって思ったんです。そういう生き方をすれば、私が生きた意味としては最高とはいかなくても“まずまず”なのかなって。

 天国の父と母に、笑って会いに行けるだろうな、って。

 実際、リターニアでの学生生活は充実していたと思います。『ナウマンは偉いね、天国でご両親も喜んでるね』って言われるたびに、自分の短い生が認められるような気がして、嬉しかった。

 

 

 嬉しくて……。

 それは本当に、見たくない自分の本性に目を背けて生きる、虚ろな生でした。

 

 

 大学の図書館で先輩の論文を読んだときは、まるで雷に撃たれるようだった!

 

 鉱石病の病状、症例、地域ごとに起きている社会問題、そう言ったものが端から端まで書かれたその論文は本当に生々しくて、怖くて、読んでいるだけで自分の身体のことと重ねて涙が出てきてしまって。私、その時はじめて「死にたくない」って思ったんです。

 ……ううん。初めて、自分が「死にたくない」って思ってることを認めさせられて、それで涙が出たのかも。

 心臓の音がどきどきうるさくて、居ても立っても居られない、じたばたとその場で暴れ出したくなるくらいの恐怖。先輩の論文はそれくらい鮮烈で、私は自分の未来が不安になりました。

 どうして鉱石病になってしまったんだろう。なぜこんなに怖くて痛い、地獄のような生を選んでしまったんだろう。どうして私は、研究者の道を諦めておかなかったんだろう。

 父と母の遺したもの全部から逃げて、火山から離れて、自分の安らぎと幸せだけを考えて生きていれば、こんなにも怖い病に罹ることすらなかった。

 幸せとはいかなくても、リターニアの何処か静かな場所で、穏やかに生きて、納得は行かなくとも静かに死んでいくくらいのことはできたんじゃないかな、って……。

 でも、私はもう選んでしまいました。そして先輩の論文に出会い、先輩に出逢った。

 

 先輩に、自らの生に恐怖することも希望することも許されてしまいました。

 

 

 ロドスに来て、沢山の鉱石病の人たちに出逢って、沢山の国を見て……戦争や平和や、そうではないもっと別の問題も沢山見て、経験してきました。

 トランスポーターとして仕事をして、研究者として両親の遺したものと向き合って、オペレーターとして降り掛かる火の粉を払う。仕事仲間は皆がそれぞれが生きる意味や戦う意味を持っていて、私はそれらの断片を知るたび、なら自分はどうだろうと考える。

 そうした生活の中で、先輩に自分の成果をお見せしに行く時間があって、褒めてもらったり、アドバイスを貰ったり、驚かれたりダメだしされたりする。

 学生の頃に出逢った、私の人生を変えた論文を書いた人が目の前に居て、私と私の鉱石病に真正面から向き合ってくれる。手を引いて、私の見たことのない沢山の世界を見せて、世界にはこんなにも“生きる意味”に溢れているんだと教えてくれる。

 

 ……ずるいでしょう? 先輩は私が見ていた世界の灰のようなコントラストを、ちょっぴり尻込みするくらい鮮烈にしてしまう。毎日、まいにちが目を白黒させてしまうような驚きの毎日で、明日が、明後日が、明々後日を生きるのが楽しみになってくる。

 あなたの背を追いかけて生きる明日が、知らないうちに楽しみになる。かくあれと自分に課していた人生はいかに狭量だったんだろうと、言葉にして教えられたわけでもないのに理解できてしまう。

 幸福にも不幸にもそれぞれその人が積み上げた時間が伴っていて、そこにはその人なりの意味がある。誰かにとっての生きる意味が、他の誰かにとっても素晴らしいものである必要なんてない。病なんて関係ない、ヒトとして生きているだけで、この世界はこんなにも美しく見える。

 こんなの、思ってしまうに決まってます。『もっと、もっと』って。

 

 私は自分の人生に、暗い感情を抱かず生きるようなことはできません。

 

 私は死ぬのが怖くて、怖かったら先輩に甘えてしまう、そのうえで自分の生を少なからず呪ってしまうこともある、弱いヒトです。

 でも、それでも。

 先輩に出逢った鉱石病の私を、その人生を私は嫌いになり切れません。

 “スマラグドス”は、そのヒトが歩んできたそれまでの人生に欠落を作ってしまいます。

 人が生きていくのに必要な、生きる意味や理由。ヒトや世界との関わりの中で生まれていくそれらをすべてまっさらにリセットして、自分と世界の関わりが何もない未来に目覚めさせるそれは……きっと、寒々しくて、恐ろしい。

 鉱石病で死ぬよりも、ずっと意味のない死が待っています。たとえ、それで鉱石病が治るのだとしても。

 少なくとも私は、折角見つけた“生きる意味”を曖昧にして、恐怖を先送りにして、あなたの居ない未来の目覚めを待って眠り続けることなんて、もうできないんです。

 ねえ、先輩。ずるいですよ。

 私は先輩に手を引かれて、この世界がこんなにも色づいて素敵なものだって教わったのに。

 先輩は私を独りで眠らせて、自分だけ何処かへ行ってしまうつもりだって。そう言うんですから。

 まだ、お見せしたい論文のアイデアだって山ほどあるのに。

 褒めてもらいたいことも、糺して欲しいことも、たくさん、沢山あるのに。

 隣でお話したいことが、星の数より沢山あるのに。約束、守ってくださらないんですか?

 

 私は今、先輩の背中を追いかけて生きていたいです。鉱石病を治す方法が見つかった未来に目を覚ましたとしても、そこに今の先輩がいないなら、私に生きる意味はありません。

 怖くても。痛くても。呪いのような病でも。今を生きて、先輩に出逢って、あなたに憧れた私の生を認めてほしいんです。

 

 

 私は、先輩と同じ時間を生きて死にたいです。

 たとえ明日、私が音や光を喪ったとしても。

 

 

 先輩。

 私は今、ほんとうに幸せです。鉱石病患者が、鉱石病だからというだけでみんな不幸せで全てに絶望しているのだと、悲観しないでください。

 先輩。

 お願いです。

 

 私を、先輩が大好きで、先輩の背を追いかけてばかりいる今の私のままでいさせてください。

 先輩が大好きな私のまま、先輩のいる世界の中で死なせてください。

 

 

 先輩に救われた私に、今度は、先輩を救わせてください。

 あなたが見た感染者たちの絶望が、世界の全てじゃないってこと。私が証明し続けますから。

 私、力の限り生きて、やりたいこと全部やって、ぜったい、絶対に幸せに死んでみせますから。目一杯笑ってあなたにお別れを言って、そして死にますから。

 

 だから」

 

 歩み寄る。手をとる。明るい月が荒れ地を照らし、揺れる炎が二人を暖める。

 

 吹き抜ける風に焔のにおい。アデルの柔らかな亜麻色の髪を巻き上げ、月光がそれを撫でた。

 背の高い男のマスクを見上げるローズグレイの瞳と花弁のような唇に、星空がきらめいた。

 踵を浮かせて、背伸びをした。手を伸ばして男の顔を覆う黒いマスクに触れ、ゆっくりと外していく。

 ドクターは抵抗しなかった。されるがままに、少女を見下ろす淵のような瞳が影になる。

 

 

「どうして……分かってくれないんだ」

 

 呻くような声が漏れた。引き裂くような痛みをはらんだ言葉だった。

「君は生涯痛みに塗れ、何もできずに死ぬ。ヒトは鉱石病の痛みに耐えられない。必ず君は、君を救えない私を呪いながら死ぬだろう。呪う自分を呪いながら死ぬだろう。なのに、どうして」

 アデルの瞳に、湧きだすように涙が溜まった。雫にプリズム。ドクターの顔を見上げているから、瞳に溜まった水面がきらりきらりと揺れる。

 そして、アデルはゆっくりと唇を緩めて微笑んだ。それは、男が見たこともないような彼女の笑顔だった。

 月に照らされたその頬は焔よりも赤く染まっている。はにかむような、けれど満面の笑み。

 濡れた瞳が阻隔層の向こうにある本当の星々よりも雄弁に語る。

 今この世界中で、自分よりも幸せなものなど居ない。

 この言葉をいま、あなたに伝えられる自分よりも幸せなものなど、何処にもいないと。

 その表情が、他のどんな言葉よりも鮮烈に語る。

 

 少女は唇をそっと開く。ひと言、ひと単語、ひと文字に至るまでを慈しむように喉を震わせ音にして、もう二度とない初めての告白の言葉に変えて、男の顔を真っすぐに見つめ、そして伝える。

 これが、アデルという少女の輝かしい余生の始まりになりますように。

 彼に捧げる人生を彩る溢れんばかりの幸せの、ただ一粒の小さなそれになりますように。

 ドクターをこんなに暗い失意の夜に閉じ込め、絶望させたこの世界の、腐り切った全てを焼き払う、純燼たる炎の先触れになりますように。

 

 あなたが、幸せでいてくれますように。

 

 

 

 

 

 

「──先輩のことが、好きだからです」

 

 

 

 

 

 

「先輩。“ドクター”じゃない、私のたったひとりの先輩。

あなたのことが好きです。私、必ずあなたに幸せを差し上げます。あなたの生に、私の命と同じぶんだけの輝くような意味をお返しします。私、あなたを救ってみせます。

 

 

だから私とずっと、ずっと生きてください。

こんなに幸せな、一人の鉱石病患者を。

 

どうか、眠らせないでください」

 

 

 

 あぁ、と末期の吐息のような音が、ドクターの喉から漏れた。

 見つめ合う瞳が。その笑顔が。アデル・ナウマンという一人の人間の全てが、この地に生きる人間が享受すべき幸せを体現しようとしていることに気付き、苦し気に呻く。

 幸せだという。幸せになると。今この時が幸せなのだから、眠る必要などどこにもないのは道理だった。

 結局、勘違いだったのだ。感染者たちが皆並べて絶望を背負わされていると、ドクターは根本から勘違いをしていた。彼女はそれを自ら実証する。

 

 ずっと、耳の裡に響き続ける幻聴が。

 男に、今になって優しく語り掛けてきた。

 

 

 

 

『痛いっ……いだい……っ! けど!』

『ママを、助けなきゃ……』

『あんたらは神様じゃない。そんなのは分かってたんだ。それでも嬉しかった』

『嘘つき……でも、最初は嘘じゃなかったんだよね』

『げほっ。だいじょぶ。もうちょっと、頑張る』

『もう、死なせて。いいんだよ。私はもう充分』

『ねえ、観てよ。ここの石。綺麗じゃない?』

『あなたは感染者じゃないの? そう……よかったわね』

『先生。いいの、自分を責めないで。泣かないで』

『どうして俺なんだ、どうして俺だけが救われちまった』

『こんな痛みに耐えつづけるくらいなら、あいつにも味わわせてやりゃよかったよ。先に死にやがって』

『ねえパパ、私ね、お家の中で出来る新しい遊び見つけた!』

『先生見て! わたしね、未来の自分にお手紙書いたの』

『最後に清潔なベッドで寝られて、嬉しいな』

『薬の量ね、先生と相談して減らすことにしたよ』

『僕のからだは、皆が危なくないように、ちゃんと処理してね』

『くそ、痛ぇな……だが、まだ生きてる』

『息がしづらいの。胸が痛くて歌えないけど、でも詩を書くことはできるわ』

『手が動かないから、もう絵も描けないわ。でも謳うことはできる』

『桟橋謳い 誘う夕凪 そよ風に揺れる歌声 竜宮に消ゆ人魚 聴衆はかく語りき 桟橋謳い……』

『ドクター、此処ではそのマスクを取るんじゃねえぞ。まだ活性粉塵が舞ってんだ』

『自分はまだやれます! 手はまだ動く、感染した味方の救護をやらせてください!』

『救うってんならさ、あんたは私たちのところまで、堕ちてくるんじゃないよ』

『あはは、あんなに下手だったアーツ、我ながら上手くなったなあ』

『どうせ死ぬんだ、最期に気まぐれでらしくない善行積んだって、バチは当たらねえ』

『どうか頼む……娘を、助けて下さい』

『どうして、あと一日早くあなたに素直になれなかったんだろうね、私たち』

『先生、私、何を食べても砂みたいなの。でも、それでも生きたい』

『次にこの世界に生まれ変わったら、ロドスのオペレーターのひと達みたいに強くなって、皆を助けたいな』

『感染してもさ。俺達の生活は、大して変わらなかったんだ』

『この手術が終わったら、私の身体のこと、ちゃんと教えてね』

『先生……助けてくださって、ありがとう』

『怖いけど、ドクターがいるから怖くない。泣かないよ』

『もういやだって……みんなを不安にするのは、簡単なことだけど』

『お前も、私たちのように幸せになってくれ』

『生かしてくれて、ありがとう』

『私の遺体。弔ってくれる親族がいたんだ』

『こんにちは、先生』

『こんな病気になっちゃったけど、先生に出逢えてよかったな』

 

 

『初めまして。私はエイヤフィヤトラです。

ここに来る前は火山の研究をしていました。鉱石病の影響で耳が悪いので、ご迷惑をかけるかもしれませんが……よろしくお願いしますね。先輩〜』

 

『どうして後ろにいるのがわかるのか、ですか?

ふふ……それはですね、先輩の体温を感じたからです。耳も目も悪くなりましたが、その分ほかの感覚が鋭敏になっているというか。

こう見えても私、なかなかしぶといんですよ〜』

 

『聴力だけでなく視力も悪化してきていると、ケルシー先生から聞きました。

……鉱石病は私を、どこまで連れて行く気なんでしょうね?』

 

『研究を続けたいんですっ……死にたくない、目も耳も閉ざされていくのがたまらなく怖い、私ちっともしぶとくなんてないんです。ただ平気なフリをするのが上手いだけで』

 

 

『先輩』

 

 

 

 

 死が、彼らの痛みと恐怖を拭い去るまで。

 彼らは本当に、ただ絶望だけをその身に背負い、血の涙を流し続けていただろうか。

 

「……無理だよ」

 絞り出すように、ドクターは言った。

「もう何千人も、この手で救えず死なせてきたんだ。君の想いを受け取る資格は、私には無いよ。

もう背負いきれない。限界なんだ。

当たり前の幸せのように、私に誰かを女性として愛することなんて、できそうにない」

 

 アデルの頬に、雫が落ちた。

 暗いくらい淵の中には死者が渦巻いていて、そこから零れた冷たい雨が。

 

 

「あんまりにも、酷い世界じゃないか。こんなのは……頼むよ、アデル……」

 

 男の瞳が揺れている。彼の耳はそこに無い死者の記憶をリピートし、視線は自ら見送った死者の表情を再生し続けている。

 アデルは言葉を発さなかった。

 星が照らす荒野で、僅かな衣擦れの音を聞いたのは二人だけだ。少女は腕を伸ばしてドクターの背に回し、男を抱きしめた。

 穏やかに燃える火のにおいが、涙を暖めている。

 

「これからは、私が一緒に背負いますから。先輩の痛みを、私も一緒に背負いますから。もう、独りにしませんから」

 

 混ざり合った涙が渇いた大地に落ちて、ひび割れた土を潤し、男は慟哭し、女はただ背を撫でる。

 

 

「私は罪人だ。許されないことをした」

「教えてください。先輩。あなたが背負ったものを」

 

「私は、とても大切な友人を──」

 

 

 

 

「臨床試験の実験台に、したんだ」

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