ソードアート・オンライン〜旭日の防人達〜 作:霧のイージス艦
ミカ
……何を言っているのかな? 当店はただの和洋折衷の喫茶店だよ。厨房から漂うのは、美味しい珈琲や焼き立てのスイーツの香りだけさ
ミカさんは僅かな間の後、表情を一切崩さずに大人の余裕を漂わせた微笑みで応じる。だが、その瞳の奥は一瞬でプロのそれに切り替わっていた。隣に立つたきなは、すでに重心をいつでも動ける位置へと移し、制服の陰の銃へと手を伸ばしかねない極限の警戒の目をこちらに向けている。
張り詰めた空気の中、俺は小さくため息をついた。
緋村零
……あんた、つまんない嘘つくね
ミカ
……
俺の冷ややかな一言に、ミカさんの微笑みが消え、その表情はさらに険しさを増す。これ以上、子供のフリをして問答を続けるのは時間の無駄だ。俺はカップを置き、彼らの本質を突くカードを切った。
緋村零
安心しろ……少なくとも、俺はあんたらDA(Direct Attack)の敵じゃない。……それとも、『JTR』と言えば伝わりやすいか?
そのコードネームを口にした瞬間、ミカさんの目が見開かれ、たきなの身体が目に見えて強張った。1年前、旧電波塔でテロリスト100人を一瞬で文字通り「解体」し、DAが総力を挙げても尻尾一つ掴めなかった規格外の存在。その怪物が、今目の前にいる12歳の少年だという事実に、二人は驚愕を隠せない。
ミカ
……君があの『JTR』だとして、それを確かめる証拠は? 口先だけなら何とでも言える
証拠ね……。俺はブレザーの内ポケットに手を入れ、一つのアイテムを取り出してカウンターに置いた。
緋村零
この仮面ならどうだ……?
それは、あの事件の夜に俺の顔を覆っていた、異質な呪術的雰囲気を纏う『リムルの魔除けの仮面』。ミカさんはそれを手に取り、至近距離でじっくりと観察する。DAのデータベースにある、あの夜の映像と完全に一致する漆黒の文様。
ミカ
……確かに、これはあの時JTRが装着していた仮面だな。形状、質感……偽物とは思えない。しかし、なぜ我々に接触を? 我々を消しにきたわけではなさそうだが
ミカさんは仮面を静かにカウンターへと戻し、探るような視線を投げかけてくる。さて、ここからが交渉だ。
緋村零
(転生者であることを、少し嘘を交えて話した方が、今後のオーシャンタートルの一件も含めて動きやすいな……)
俺は一呼吸置き、静かに語り始めた。
緋村零
信じられないかもしれないが、俺は『前世の記憶』を持って生まれてきた転生者でな。前世の俺は、このリコリコで働いていたんだよ。元々はDAの男児部隊『リリベル』に所属していたんだが、組織の都合で邪魔者扱いされて殺されかけてな。それをリコリスの楠木司令経由で匿われ、この店に拾われた。だから、あんたらDAのシステムも、アラン機関のことも、そして『錦木千束』のことも、すべて知っている
俺が語る「前世(ほぼデタラメ混じりの創作)」の物語、そしてDAの極秘情報が次々と少年の口から飛び出す異常事態に、二人はさらに硬直する。
ミカ
……確かに、君の持つ情報は一般人が知り得るものではない。DAやアラン機関の構造、そして千束の過去……それらを網羅している君の言葉には、無視できない現実味があるな。いいだろう、君の素性を信じよう
ミカさんは重々しく頷いたが、納得のいかないたきなが鋭い声で反論を挟む。
たきな
店長! そんな荒唐無稽な話を簡単に信じるべきではありません! それに相手が本物の『JTR』ならなおさらです。私は今すぐ本部にこの件を連絡し、指示を仰ぐべきです!
インカムに手を伸ばそうとするたきな。やはり、この融通の利かない生真面目さは原作通りか。
緋村零
たきな。君がこのリコリコに左遷されてきた理由は、あの武器密売人との銃撃戦での『命令違反の機銃掃射』の件だろう。……けどな、君がいくらDAを信じて努力したところで、君が本部に戻れる日は来ないよ
たきな
……どういう意味、ですか……?
たきなの動きが止まり、銃の冷たさのような視線が俺に突き刺さる。俺はカフェラテを僅かに揺らしながら、冷酷な現実を告げた。
緋村零
あの時、DAの誇る最強AI『ラジアータ』が何者かによってハッキングされ、致命的な動作不良と通信障害を起こしていた。だが、DAは外部に対して『平和を維持する完璧なシステム』を宣伝し続けなきゃならない。もしハッキングの事実が世間に、あるいは身内にでも知られたら、DAの信用は文字通り失墜する。……だから上層部はハッキングの事実を隠蔽するために、君が犯した『命令違反』を好都合な隠れ蓑にして、すべての責任を君一人に押し付けたんだよ。まぁ俺の前世の話だがね
前世(原作知識)で知る、組織の腐った裏側。それを冷徹に突きつけられたたきなは、一瞬絶望に目を見開いた後、弾かれたように更衣室へと駆け出そうとした。
ミカ「どこへ行く気だ、たきな!」
ミカさんの鋭い制止の声が響く。
たきな
決まっています! 本部に行って、楠木司令に直接話を……! 私は、私はただ……!
必死に自分を正当化しようとする少女の背中に、俺の声が冷たく、けれど残酷なほど現実的に突き刺さる。
緋村零
無駄だよ……。DAの上層部は、現場の人間味のある意見なんか求めていない。リコリスも、リリベルも、一部の冷血な上層部にとっては、いくらでも替えが利く使い捨ての『駒』に過ぎないんだから。君がどれだけ叫ぼうと、システムは君の声をノイズとして処理するだけだ
その言葉は、たきなの張り詰めていた心の糸を完璧に断ち切った。たきなは足を止め、拳を血がにじむほど強く握りしめたまま、床を見つめて激しく肩を震わせる。己の存在意義を否定されたような暗闇の中で、彼女は静かに俯いた。
だが、俺の目的は彼女を絶望させることじゃない。運命の歯車を正しく回すための、救済だ。
緋村零
……でもな、たきな
俺はトーンを落とし、静かで、確かな熱を持った声を彼女に向けた。
緋村零
俺は……あの時の君の行動は、人として絶対に『正しいこと』だったと思うよ
たきな
え……?
思いがけない全肯定の言葉に、たきなはハッとして顔を上げ、涙を溜めた瞳で俺を見つめてきた。
緋村零
こういう裏社会や暗殺組織において、ルールや規律を破る奴は『クズ』呼ばわりされるのがオチだ。……けどな、目の前で危機に瀕している『仲間を大切にしない奴』は、それ以上のクズだ
俺の口から紡がれた前世の偉大な忍の言葉が、たきなの心の奥底に強く突き刺さる。
緋村零
命令をただ聞くだけなら、訓練された猿でもできる。今時、聖人だってアサルトライフルで武装して、神の愛を説きながら引き金をぶっ放す時代だ。要は、君が『何を思い』『何のために』引き金を引くのか。……それがすべてだ
たきなは息を呑み、俺の言葉を一つも漏らさぬように聞き入っている。俺はカウンターの椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩みを進めて彼女の前に立った。
緋村零
君はあの時、本部の無能な命令を待たずに引き金を引いた。あの無茶な機銃掃射は、ただルールを破りたかったからじゃないだろ? ……人質にされていた、自分の仲間を助けるために引いたんじゃないのか?
たきなの目から、堪えきれなくなった一筋の涙が頬を伝う。俺はそっと、彼女のツインテールの頭に優しく手を置いた。
緋村零
それだけで十分なんだよ。例え周りの組織や大人たちにどれだけ馬鹿にされようと、命令違反だと罵られようと、君の心は正しい事をしたんだ。だから、これ以上自分を責めるな。もっと胸を張りなよ、たきな……
少年の姿をした怪物の、あまりにも温かい救いの言葉。
張り詰めていたリコリスとしての仮面が完全に剥がれ落ち、たきなはその場に崩れ落ちるようにして、子供のように大声を上げて泣き崩れた。
ミカさんは、そんな2人の姿を静かに見守りながら、深く、温かい眼差しでカウンターの奥からそっと紅茶を淹れ直していた。
また一つ、この世界の冷酷な運命を、俺の言葉と意志が塗り替えた瞬間だった。