ソードアート・オンライン〜旭日の防人達〜   作:霧のイージス艦

131 / 134
引っ越し

緋村零

さて、そんな訳で電子励起爆薬や多機能タクティカルサングラスが開発可能な事がわかった訳だが…俺達はこれより引っ越し作業に移る。場所は、大分県国東市安岐町の沿岸部だ。トラック使ってな

 

開発の熱気に包まれていた会議室の空気が、その一言で完全に凍りついた。

大型モニターの前に集まっていた天才たちも、特殊戦闘服に身を包んだ防人たちも、一斉に動きを止めて零の顔を凝視した。

あまりにも唐突で、なおかつ具体的な地名が出たことに、総勢68人の大所帯が一瞬でざわめきに包まれる。

 

錦木千束

えええーっ!? 引っ越し!? ちょっと零、大分県って、ここからものすごく遠いじゃない! なんでまた急にそんな九州の端っこに行くのさ!

 

井ノ上たきな

大分県国東市安岐町……。沿岸部ということは、海に面した場所ですね。DAの追跡をかわすための拠点移動としては理解できますが、なぜその場所なのですか? 陸路でトラック移動となれば、これだけの人数と大量の兵器、開発機材を運ぶのは一大作戦になります

 

キリト

国東市か……。確か空港がある国東半島のあたりだよな。電子励起爆薬の実験や、サングラスの試作ラインを動かすには人目を忍ぶ必要があるけど、沿岸部の廃工場か何かに移るってことか?

 

比企谷八幡

おいおい、マジかよ。トラックに揺られて長距離移動か? 乗り物酔いする身にもなってほしいね。せっかくここの居心地に慣れてきたってのに、今度は海の近くで強制労働かよ

 

川崎沙希

八幡、文句を言わないの。荷造りが必要なら、物資管理の担当としてすぐに動かないといけないんだから。あんたも突っ立ってないで手伝いなよ

 

大所帯の子供たちが口々に疑問や不満を口にする中、部屋の壁際に腕を組んで立っていたザ・ボスが静かに歩み出た。

その圧倒的な存在感に、騒がしかった食堂兼会議室が瞬時に静まり返る。

 

ザ・ボス

みんな、落ち着きなさい。この移動は、大高さんたちと事前に綿密に擦り合わせられた天岩戸作戦の重要な一環よ。現政権が崩壊し、解散総選挙が始まった今、東京近郊のDA本部の近くに留まり続けるのはリスクが大きすぎる。敵の目が表の政治に向いている隙に、我々の全戦力と開発環境を安全な地へと移送する。それが大高さんからの指示よ

 

グローザ

ザ・ボスの言う通りね。私たちはすでに移動の準備に入っています。戦術人形たちの荷詰めは完了しつつありますので、人間の子供たちの身の回りの品と、開発機材の積み込みを優先して。指揮官、車両の手配とルートの選定は?

 

指揮官

大高さんたちの裏ルートで、民間の大手運送会社に偽装した大型トラックを複数台確保してある。目立つ武装車両ではなく、ごく普通の物流トラックとして東名高速から山陽道を抜けて九州へ入るルートだ。各小隊ごとに車両を分け、移動中も即座に戦闘行動に移れるよう、個人兵装は手元に秘匿させる

 

緋村零

そういうことだ。安岐町の沿岸部には、紺碧会が極秘裏に買い押さえた広大な敷地と地下施設がある。そこならセブンや達也たちが爆薬の調合をしようが、銃をぶっ放そうが、周囲に一切気づかれない完璧な要塞になる。それに……あっちの海には、俺たちの作戦に不可欠なある『重要な足』を呼び込むための準備も整えやすいからな

 

緋村零

安心しろ。国東市安岐町は俺の前世の地元だ。土地勘はあるよ

 

零がそう言って不敵に笑うと、ざわついていた食堂の空気が一気に安堵へと変わった。

前世の地元という最大の強みが味方にあると知り、特に実際に現地で動くことになる突撃班の面々が目に見えてホッとした表情を浮かべる。

その様子を静かに見守っていたグローザが、ふっと口元を綻ばせ、気品のある仕草で髪をかき上げた。

 

グローザ

あなたの口からそんな具体的な日本の地名が出るなんてね、零。でも、あなたの生まれ故郷なら話は別よ。土地勘があるなら、新しい拠点の設営も防衛線の構築も、私の想像以上にスムーズに進みそうね。エルモの移動基地としての本領を発揮する、良い舞台になりそうだわ

 

グローザのその落ち着いた、しかし確かな信頼が籠もった声に、隣にいたナユタや千束も大きく頷いた。

 

錦木千束

へぇー! 零の前世の地元なんだ! じゃあ美味しいお店とか、面白い場所もいっぱい知ってるんだよね? 引っ越し作業が終わったら、絶対に案内してよ!

 

井ノ上たきな

千束、私たちは遊びに行くわけではありません。……ですが、地元の地理を完全に把握している指揮官がいるのは、戦術的にもこれ以上ないアドバンテージです。DAの追跡を完全に振り切るためのルート構築も、零の頭脳があれば容易ですね

 

比企谷八幡

前世の地元、か。それなら余計な迷子になる心配もないし、参謀としても情報戦のトラップを仕掛けやすいな。地元の人間しか知らない裏道や死角ってのは、どんな最先端の衛星マップよりも頼りになるもんだ

 

八幡は手元のタブレットに大分県国東市の簡易地図を表示させ、零から共有されるであろう詳細な地形データを迎える準備を始めた。

 

ザ・ボスもまた、教え子である零の頼もしい言葉に満足そうに頷き、総員に向けて鋭い視線を飛ばした。

 

ザ・ボス

決まりね。案内人は我々の戦術中枢だ、これ以上の適任はいないわ。これより八咫烏(ヤタガラス)は第一次拠点移動、天岩戸作戦の準備フェイズへ移行する。人間の子供たちも、戦術人形たちも、各自の小隊ごとに割り当てられたトラックへ荷詰めを開始しなさい。夜闇に紛れて東京を脱出するわよ

 

総員

了解!

 

ザ・ボスの号令とともに、68人の防人たちが一斉に動き出した。

スプリングフィールドや黛煙たちが手際よく厨房の資材をまとめ、キリトや達也、セブンたちも開発途中の機材を慎重にコンテナへと収めていく。

生まれ育った懐かしき土地を新しい戦場として迎えるため、零は愛銃の20式小銃を背負い、漆黒の防人たちを率いて大移動への第一歩を踏み出した。

 

翌朝、全員で基地の弾薬、武器、食料などを三菱フソウスーパーグレート3台に積み込んでいく。

 

シリカ

零さん、その拠点ってどんな所なんですか?

 

荷物用のプラスチックコンテナを一生懸命に抱えながら、シリカが首を傾げて零を見上げた。

その隣では、同じく荷物をまとめたリズベットやキリトたちが興味深そうに耳を傾けている。

 

緋村零

ん?安岐漁港が近くて、目の前には道路挟んで海水浴場の砂浜があるよ

 

零は手際よく段ボールの山をトラックの荷台へと押し込みながら、遠い前世を懐かしむように目を細めて答えた。

海水浴場や砂浜という、戦場にはおよそ似つかわしくない単語が飛び出したことで、千束やアスナたちがパッと表情を輝かせる。

 

錦木千束

えっ、海水浴場!? 目の前が砂浜なの!? やったぁー! それって実質、毎日が夏休みみたいなものじゃない! 水着持ってきて本当に良かったわ!

 

井ノ上たきな

千束、何度も言いますが遊びに行くのではありません。……ですが、漁港と海水浴場が隣接しているということは、海路からの物資搬入や、いざという時の退路の確保という意味では非常に合理的です

 

アスナ

海の近くなら、ご飯も美味しそうだね。お魚とか、地元の新鮮な食材が手に入るなら、みんなの毎日の食事を作るのもやりがいがあるな

 

アスナは隣で同じく調理器具の箱を運んでいたスプリングフィールドと顔を見合わせ、嬉しそうに微笑んだ。

 

リズベット

ちょっとキリト、あんた鼻の下伸ばしてんじゃないわよ。砂浜があるからって、女の子たちの水着姿を期待してたら承知しないんだからね?

 

キリト

お、おい、リズ、そんなこと一言も言ってないだろ! 俺はただ、漁港が近いなら船の出入りとか、海軍コマンドだった零のじいさんの話とどう繋がるのかなって真面目に考えてただけだよ!

 

キリトは慌てて両手を振って弁明し、アスナからの静かな視線から視線を逸らした。

そんな若者たちの騒ぎを、グローザがふっと大人の気品を纏った笑みを浮かべて見つめる。

 

グローザ

ふふ、みんな随分と賑やかね。でも、目の前がすぐ海というのは、私にとっても悪くない環境だわ。遮蔽物のない水平線は、外敵の接近を早期に察知するのに適しているもの。零、その安岐漁港の防衛プロットは、移動中に私にも共有してくれるかしら?

 

緋村零

ああ、グローザ、後で詳細な地形データを渡すよ。それに、目の前の砂浜もただ遊ぶためだけにあるわけじゃない。大高さんたちが稚内で密かに進めているあの巨大なジョーカー、つまり2代目戦艦大和を引き入れるには、それなりの広さと沿岸部の環境が必要だったんだ。すべては計算通りさ

 

零の言葉に、トラックの運転席の近くで待機していた指揮官やザ・ボスも深く頷いた。

 

ザ・ボス

いいわ、全員荷詰めは終わったようね。海の近くの新しい家が、私たちの本当の反撃の砦になるわ。八咫烏、これより出発するわよ。夜闇に紛れて東名高速を駆け抜けるわ。遅れるんじゃないわよ

 

総員

了解!

 

漆黒の戦闘服を着た68人の防人たちは、それぞれの小隊ごとに物流トラックへと乗り込み、静かに、だが確実に殺意を秘めた駆動音を響かせて東京の隠れ家を後にした。

前世の記憶が眠る大分県の海と、その先に待つ国家リセットの大決戦に向けて、八咫烏の長い旅路が今、幕を開ける。

 

トラックの荷台

薄暗いトラックの荷台の中、LEDのランタンが放つ淡い光が、漆黒の戦闘服を着た防人たちの顔を静かに照らしていた。

走行する大型車両特有の絶え間ない振動と、タイヤがアスファルトを削る低い音が周囲を満たしている。

膝を突き合わせるようにして座る暗殺小隊の面々の中で、隊長の渚がふと心配そうな表情を浮かべて零へ声をかけた。

 

潮田渚

でも零、警察とか大丈夫なの?

 

緋村零

大丈夫だよ。国東市って年間の事件とか交通事故とか、約40件前後だしな。

 

零が平然とした顔でそう告げると、荷台の中の緊張感が一気に弛緩し、驚きと呆れが混ざったような声がそこかしこから上がった。

 

アルゴ

年間40件だってぇ? そりゃまた、とんでもなくのどかな場所を選んだもんだねぇ。アタシたちみたいな銃器を満載した漆黒の集団が紛れ込んだら、一発で浮いちまいそうだけど大丈夫かい?

 

クライン

マジかよ! ほぼ平和そのものじゃねえか。東京のDAの騒ぎや、羽田空港の爆破テロが嘘みたいだな。俺たちの89式小銃をぶっ放す機会なんて、本当に来るのかって疑いたくなるレベルだぜ

クラインは自慢の折曲銃床式の愛銃を撫でながら、信じられないといった様子で首を振った。

 

七瀬翼

いえ、むしろ治安がそれだけ良いということは、外部からの不審な人間や車両の動きが非常に目立ちやすい、というメリットもあります。DAが迂闊に偵察部隊を差し向ければ、地元の目や警察の網に引っかかりやすいはずです

 

伊吹澪

事件が少ないなら、裏社会の変なゴロツキに足元をすくわれる心配がないだけマシでしょ。余計な邪魔が入らない分、あたしたちも訓練や作戦の準備に集中できるしね

 

伊吹はぶっきらぼうに言いながらも、手元のアサルトライフルのボルトを軽く引いて動作を確認している。

 

神崎有希子

年間にそれだけしか事件がないなんて、本当に綺麗な海辺の街なんですね。これから大掃除をしに行く場所がそういう静かなところだと聞いて、私は少し安心しました

 

有希子は穏やかな笑みを浮かべ、膝の上の狙撃銃を優しく抱きしめた。

 

緋村零

ああ、翼の言う通り、のどかだからこそ敵の潜入はすぐに割れる。それに、大高さんや嘉納防衛大臣が裏から手を回して、地元の警察や自衛隊の駐屯地にはそれとなく八咫烏の動きを『特命の演習』として話を通してあるんだ。だから、お前らは警察の目を気にする必要は一切ない。自分の牙を研ぐことだけを考えてりゃいいよ

 

零はそう言って、渚の肩をポンと叩いた。

東京という喧騒の戦場から遠く離れ、かつてない平和な田舎町へと向かうトラックの車内。

しかし、そののどかな土地こそが、日本のすべてを塗り替える天岩戸作戦の最終防衛ラインになることを、漆黒の防人たちは静かに胸へと刻み込んでいた。

 

緋村零

それにだ。国東警察署ってのはな、市民ともフレンドリーなんだ。なんせ殆どの警察官が国東市出身の警察官で固められてるしな。前世で漁港の堤防で夜釣りしてた時にパトカー来てな? 職質かなと思ったら笑いながら開口一番、釣れますか、だぞ?

 

零が懐かしそうに肩をすくめて笑うと、トラックの荷台の中には一際大きな笑い声と、呆れ果てたようなため息が同時に広がった。

高速道路の継ぎ目を乗り越えるたびにゴトゴトと静かに揺れる空間で、防人たちの張り詰めていた肩の力がさらに抜けていく。

 

クライン

ギャハハ! なんだそりゃ! 職務質問じゃなくてただの世間話じゃねえか! 東京の警察だったら、不審者扱いされて荷物全開で調べられるところだぜ。国東の警察、最高にユルくて気に入ったわ!

 

アルゴ

ほほう、なるほどねぇ。ほとんどの警察官が地元出身ってことは、街全体が巨大な親戚一同みたいなもんだ。誰がどこの家の子供で、普段何をしてるかまで筒抜けのコミュニティってわけさ。情報屋としては、余所者が入ってきたら一発でバレるから恐ろしいけど、味方に回ればこれほど頑強な防壁はないねぇ

 

アルゴは楽しそうにキャットスクラッチのポーズをしながら、地元の結びつきの強さがもたらす防犯効果を瞬時に計算していた。

 

潮田渚

あはは、本当にのどかなんだね。僕たちのいた椚ヶ丘中学校の裏山も静かだったけど、それ以上に街全体が温かい空気で包まれてる感じがするよ。でも、そんな優しい警察官の人たちに迷惑をかけないためにも、僕たちの作戦は絶対に完璧に、音もなく終わらせないといけないね

 

渚は優しい笑顔の奥に、本物の暗殺者としての静かな光を宿らせながら、愛銃のMP7A2をしっかりと抱き直した。

 

七瀬翼

はい。地元の警察が市民に信頼されているというのは、素晴らしいことです。高度育成高校の閉鎖された環境とは大違いですね。ただ、だからこそ大高さんたちが裏で演習の手回しをしてくれているとはいえ、私たちの特殊作戦用の装備や、漆黒の戦闘服が市民の目に触れるのは最小限に留めるべきです。移動後の隠密行動の徹底を、暗殺小隊としても改めて確認しておきます

 

翼は生真面目に手帳へメモを取りながら、隣の伊吹へと視線を向けた。

 

伊吹澪

わかってるって。そんな平和な街の堤防を、この真っ黒な格好のままゾロゾロ歩くわけないでしょ。でも……釣れますかって聞いてくる警察か。なんか、東京のDAの楠木司令みたいな、冷酷で嫌な大人の顔ばかり見てきたからさ。そういう普通の大人がいる街ってだけで、ちょっと悪くないかもね

 

伊吹はそっぽを向いてぶっきらぼうに言ったが、その表情はどこか柔らかかった。

 

神崎有希子

ええ、本当に。零さんのおじい様が愛した海と、その優しい人たちが暮らす国東の街を、私たちは命懸けで守るのですね。そう思うと、この長旅の疲れも吹き飛んでしまう気がします

 

有希子はランタンの光に照らされながら、これから向かう大分県の夜空へと想いを馳せるように微笑んだ。

 

緋村零

そう言ってくれると、案内人冥利に尽きるよ。夜明け前には関門海峡を越えて、大分県に入る。安岐町の新しい拠点に着いたら、まずは美味いもんでも食ってしっかり休め。本番の訓練と、国家リセットの引き金を決行するその時まではな

 

零は不敵に笑い、トラックの小さな覗き窓から流れていく夜の景色を静かに見つめた。

東京の腐敗を切り裂くため、漆黒の防人たちは、優しき人々が眠る緋村零の生まれ故郷へと着実に近づいていた。

 

その頃、無線で聴いている他のトラックでも

大型トラックが東名高速の路面を一定の速度で削り、ゴトゴトと静かな振動が床から伝わってくる。

薄暗い荷台の中に設置された無線のスピーカーからは、小さくパチパチというノイズを交えながら、暗殺小隊のトラックにいる零ののどかな地元話が響き渡っていた。

白雪小隊が乗る車両の荷台では、漆黒の戦闘服の袖を乱暴に捲り上げた櫛田桔梗が、不機嫌そうに膝へ顎を乗せて鼻で笑った。

 

櫛田桔梗

はぁ? 釣れますか、だって? バカじゃないの。警察のくせにそんな締まりのない対応してるとか、平和ボケもいいとこだよ。東京のあの無能なDAの上層部以上に使い物にならないんじゃない。まぁ、その分こっちがどれだけ重火器を隠し持ってようが調べられもしないだろうから、ゴミとしては利用価値があるけどさ

いつもの猫かぶった完璧な優等生の仮面を脱ぎ捨て、素のトゲトゲした毒舌を吐き散らす櫛田。

 

しかし、ここにいるメンバーはすでに彼女の本性をすべて肯定し、受け入れているため、誰もその凶悪な口調に動揺すらしない。

 

堀北鈴音

相変わらず口を開けば刺すような言葉ばかりね、櫛田さん。でも、あなたの言う通り、現地の法執行機関がそれほど地域に密着して弛緩しているのなら、私たちの機材搬入に不測の事態が起きる確率は低いわ。ただ、その緩い空気に私たちが毒されて、初動の隠密性に穴を開けることだけは絶対に避けなければならないわね

 

堀北は腕を組み、真面目な顔で手元のアサルトライフルのスリングを調整しながら冷徹に分析した。

 

綾小路清隆

いや、地元と警察の距離がそれだけ近いということは、普段見かけない余所者や不審な車両の動きが、かえってコミュニティ全体に即座に共有されるリスクもある。単純な組織の弛緩と切り捨てるのは早計だ

 

椎名ひより

ふふ、でも私はとても素敵だと思いますよ。本を読んでいる時、窓の外からそんな穏やかなお巡りさんの声が聞こえてくるような街なら、きっと心が休まります。清隆くん、新しい拠点の図書室が今から本当に楽しみですね

 

ひよりは膝の上に大切に抱えた長距離狙撃銃のバレルを愛おしそうに撫でながら、天使のような微笑みを浮かべた。

 

鬼龍院風花

ククク、年間の事件がたったの40件前後の田舎街に、国家の命運を握る漆黒の武装集団が総勢68人で乗り込むわけか。これ以上の喜劇はないな。退屈しのぎの舞台としては最高だよ、零の奴も面白い故郷を持っているものだ

 

風花は大型の自動小銃を肩に担ぎ、これから始まる奇妙な二重生活に愉快そうに喉を鳴らした。

一方、深淵小隊が乗り込む別のトラックの荷台。

激しく揺れる車内の中で、白い着物を端正に纏ったまま、現実の物理的な衝撃すらどこか別の次元へ受け流しているような、浮世離れした佇まいの女性、両儀式

彼女は無線の音を静かに聞き届け、その切れ長の美しい瞳を柔らかく細めて口元を綻ばせた。

両儀式

ふふ。釣れますか、ね。とても優しい世界なのね。万物の寿命を線として視てしまう私たちの眼には、少し眩しすぎるくらいの平穏だわ。でも、零の魂の根底にあるあの清らかな静けさを思えば、そういう場所で育ったというのも、どこか納得がいくわね

 

錦木千束

あ、式さんもそう思う!? 私、もうその国東って街が大好きになっちゃった! 警察官の人が来たら、怪しまれないように私から進んで挨拶しにいっちゃおうかな。美味しいパフェのお店とかあるか聞いちゃったりして!

 

井ノ上たきな

千束、通信を繋いだまま遊ばないでください。零が言いたいのは、現地の警察を過度に恐れる必要はないという実戦的な判断です。大高さんたちが特命演習として裏工作をしてくれているとはいえ、私たちの漆黒のギアが市民に見つかれば大騒ぎになります。到着後の隠密行動のプロット、忘れないでくださいね

 

たきなは生真面目に千束の襟首を軽く引っ張りながらも、無線の向こうにいる零の、かつてないほどリラックスした声音に静かな信頼を寄せていた。

漆黒の防人たちを乗せた複数のトラックは、それぞれの思いを乗せて、夜闇の高速道路を西へとひた走る。

東京の喧騒と欺瞞を遥か後方に置き去りにし、一行は緋村零の生まれ故郷であり、新たなる絶対防衛の要塞となる大分県の海辺へと着実に近づいていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。