ソードアート・オンライン〜旭日の防人達〜 作:霧のイージス艦
旧電波塔事件という未曾有のテロから、早くも1年が経過していた。
11歳になった俺は今、東京を離れて東北地方のある県に足を運んでいた。目的はただ一つ。これからこの場所で起こるはずの、朝田詩乃を絶望へと叩き落とす「郵便局強盗事件」の運命を完全に書き換えることだ。
緋村零
はぁ……。やはりこの時期の東北は身に染みるな
口から吐き出した息が、目の前で真っ白に染まって消えていく。カレンダーはすでに11月を指していた。
緋村零
さて、そろそろ行きますか。ついでに、道中で買ったお土産も郵送してもらおう
冷え切った空気を吸い込み、俺は事件の舞台となる郵便局へと歩みを進めた。
ここからが最初の正念場。絶対に失敗は許されない。
――郵便局内。
到着した俺は、手短にお土産の郵送手続きを済ませ、会計の呼び出しを待つためにロビーの長椅子に腰を下ろした。
それとなく周囲に視線を走らせると、すぐ近くの椅子に、母親に寄り添う一人の少女の姿があった。朝田詩乃だ。だが、その姿を見た瞬間、俺は内心で息を呑んだ。
緋村零
(あの容姿……GGO(ガンゲイル・オンライン)のアバターそのものじゃないか……)
現実にいるはずの彼女の容姿は、俺の記憶にある水色の髪をたたえたGGO内のスナイパー・シノンの姿そのものだった。
緋村零
(リコリス・リコイルの世界と混ざり合ったことで、こちらの世界観やタイムラインにも何かしらの変化が生じているのか……?)
そんな予測を立てていた、その時。郵便局の自動ドアが開き、一人の少女が入ってきた。
緋村零
(サードリコリス……)
白い制服に身を包んだ、DAの末端構成員。
大方、DAの治安維持AI「ラジアータ」がこの近辺での凶悪犯罪の兆候を予測し、警戒のために人員を配置したのだろう。俺は余計な接触を避けるため、興味のないふりをして視線を外した。
直後、平穏な空気は一瞬にして崩壊した。
強盗
動くなァァァ!!!
怒号と共に、懐から拳銃をぶち抜いた一人の男が乱入してきた。局内は一瞬にして甲高い悲鳴とパニックに包まれる。
強盗
おい! てめぇらは大人しく一箇所に固まれ! 動くとブチ殺すぞ! おい、お前! 金をこのバッグに早く詰めろ!
男は狂乱した様子で受付の局員にバッグを投げつけ、銃口を客たちに向けて威嚇する。近くにいたサードリコリスが、制服の陰から銃を抜きかけようとした。だが――
強盗
おい! お前、人質だ! こっちに来い!
男は近くにいた朝田詩乃の腕を乱暴に掴み、自分の身体の前に引き寄せた。最悪の間合いで人質を取られたサードリコリスは、苦渋の表情を浮かべながら銃のグリップから手を離さざるを得なくなる。
緋村零
(まあ、あそこまで綺麗に人質を取られてしまっては、下手に動けないか……)
俺は慌てることなく、そのまま静かに長椅子に座り続けていた。その泰然とした態度が、興奮状態の強盗の神経を逆撫でしたらしい。
強盗
おい! ガキ! 固まれってのが聞こえねぇのかよ!?
男が銃口を詩乃に向けたまま、イラついた足取りで俺の方へと近づいてくる。
――それでいい。向こうから間合いに入ってきてくれるなら、好都合だ。
緋村零
それじゃ、人は殺せないよ……強盗さん
俺は座ったまま、冷徹な視線を男に投げかけた。
強盗
……あぁ!? なんだと!?
完全に小馬鹿にされたと思った男の額に、青筋が浮かぶ。
緋村零
銃のセーフティー(安全装置)が掛かったままだぞ。そんなことも分からないのか?
強盗
なにっ……!?
俺のあまりにも堂々としたハッタリを真に受けた男は、動揺して一瞬だけ視線を自分の手元の拳銃へと落とした。
その刹那、俺にとって「一瞬」は、世界が静止するほどの十分な時間だった。
強盗
がはっ……!?
サーヴァント級の踏み込みから放たれた、目視不可能な下顎への電撃的な掌打。
脳を揺らされ男が怯んだ一瞬の隙に、俺は詩乃の身体を優しく引き剥がして自分の背後へ庇い、同時に男の手から拳銃を鮮やかに奪い取った。
強盗
な、なにい……!
緋村零
敵の言葉をいちいち真に受けるのは、馬鹿のすることだ。戦場では、そういう馬鹿から真っ先に死んでいく……
流れるような動作で拳銃のスライドを弾き、薬室から弾丸を勢いよく排莢する。そのまま一瞬で主要パーツを分解して床に転がすと、仕上げと言わんばかりに、男の頸動脈へ正確な手刀を叩き込んだ。
男は白目を剥き、そのまま床へと崩れ落ちて完全に気絶した。
緋村零
どなたか、大至急警察に連絡を!
俺が局内に響き渡る声で叫ぶと、我に返った局員や客たちが、慌ただしく通報のために動き出した。
それから間もなくして、サイレンの音と共に大量の警察官が郵便局へと押し寄せてきた。
俺はまだ11歳の子供ということもあり、サードリコリスが裏から手を回した形跡も含め、最低限の事情聴取だけで比較的早く解放されることとなった。
郵便局の外に出ると、すっかり冷え込んだ夕方の風が頬を撫でる。
緋村零
ふぅ……。ひとまず第1関門はクリアだな。さて、長居する理由もないし帰るかね
駅に向かって歩き出そうとした、その時。
詩乃
待って……!
後ろから、小さな、けれど必死に引き止めるような声が響いた。
振り返ると、そこにはまだ恐怖に少し肩を震わせながらも、真っ直ぐにこちらを見つめる朝田詩乃が立っていた。
緋村零
……何か用か?
詩乃
ありがとう。助けてくれて、本当に……。私は朝田詩乃。……あなたの名前を、教えてもらえる?
それは、心からの感謝と、自分を救ってくれた謎の少年への問いかけだった。
俺は少しだけ仮面の裏の表情を和らげ、彼女に新たな偽名を告げた。
緋村零
緋村時雨(ひむらしぐれ)……
それだけを言い残すと、俺は追わせる隙すら与えない速度で、その場から静かに立ち去った。
朝田詩乃がPTSDという深い闇に堕ちるはずだった運命は、今、完全に書き換えられた。だが、俺の戦いはまだ始まったばかりだ。