これで!!ラストォォォォォォ!!!!
窓の外には雲海が広がる。太平洋の何処かを、アメリカから日本に向けて邁進する、鋼鉄の船。俺は何故か、眠る気も、他の何かをやる気にもならず、ただぼんやりと、凄まじいスピードで流れていく、景色を眺めていた。
寝ちまうほうが間違いなくいいのだろう。実際、アメリカと日本との時差はかなりの物で、向こうを出発したのは昼だが、たぶん日本についてもまだ昼なのだ。つまりは、今寝ないと、時差により寝る時間が消滅する。…のだが。この飛行機という乗り物特有の飛行時の轟音。まあアレだ。イヤホンで色々なコンテンツを聴いて、気を紛らわせればいいんだろうが、枕が変わっても眠れない繊細な性格である俺。この状況で眠れるわけもない。必然的にだ。半日ほどの間、眠れもしないでこの鉄の鳥の椅子に拘束される、憐れな男の誕生だ。…どうでもいいんだけど。寝てようが寝てまいが、長い時間座っていると、ケツが痛くなってくるんだよね。コレは最初のフライトの時に体験してる。姉貴は平気な顔してた。曰く、(わたしが何年、病院で寝たきりだったと思ってんのよ。おんなじ姿勢でいるのに慣れてんのよ)との事だ。息をするように笑えないエピソードぶち込んできやがる。リアクションに困るからやめてほしい。…もし次があるなら、飛行機会社さんたちには、ぜひ椅子の硬さを再考してほしい。
こうしてやることもなく、只々前から後ろへと流れていく雲を見ていると、やはり色々と考えてしまう。今まで色々な場所を歩いてきた。自分の事。
姉貴と親父がいなくなって。母さんと2人で暮らし始めて。とても短かったと思うけど、楽しかった。母さんは、小さなことでもカラカラと笑い、困ったことがあると、俺の手を力強く引っ張って、正しい道に導いてくれた。作ってくれる料理も美味しくて。何の不満もなかった。満ち足りた日々。黄金色の日々。
そんな日々に終わりが訪れる。母さんは、当時流行っていた呼吸器系の病に倒れた。もともとそちらのほうがあまり良くなかったらしく、母さんはどんどん弱っていった。…あとから思ったが、俺の前でこそ気丈に振る舞っていたけど、やはり親父と姉貴がいなかったのも、精神的に辛くなった原因だったのかもな。だから。親父は自分には父親の資格はない。と。最後まで苦しんでいたわけで。
何にも出来なかったな。俺。泣きながら母親の、少しずつ冷たくなってく手を握りしめることしか出来なかった。短く浅くなっていく呼吸を聞きながら、子供ながらに自分自身の無力さを呪ったよ。なんにもならなかったけど。
でも。最近になって良いこともあったんだ。母親の今際の際。いよいよかといった所で、俺は母親からなにか言葉を掛けられたんだ。今まで全く内容を思い出せなかったのだが、何故かこの間、完璧に思い出した。俺は母親のこの言葉があったから、親父に会いにアメリカまで行ったのだ。ひょっとして、この言葉を思い出していなかったら、こんなに早く親父と和解なんか出来なかったかもだ。
「…ゴメンね。何にも出来ない母親だったね。まだあなたは小さいのに。大人になるまで手を引いてあげるのは。出来ないみたい…。…ねぇ遥。わたしのことは恨んでもいい。でも。勝手でゴメンね。家族のことを嫌いにはならないで。まだ小さいあなたに。酷なお願いかもしれないけど…。此方を。あなたのお姉さんと。彼方。あなたのお父さん。あなたたちはひとりじゃないから。これからなにか困難が降り掛かっても、3人なら乗り越えられる…遥。みんなを、頼むねぇ。…わたし、幸せだった。あなたの母親をやれて。ホントに愛した家族の妻として逝けて。わたしの人生、なんにもなかったけど。この経験だけでわたし、血と肉をもって、死んでいける…」
この言葉の後、母親は動かなくなった。俺の顔に添えてくれていた手は、力なく床に落ちて。浅かったけど、確かにしていた呼吸も止まって。…その時俺は理解した。…もう、母親には会えないことを。
それから大変だったよ。笹塚苑に拾ってもらえてなかったらどうなってたか。間違いなく俺の人生の中で1番のハードモード。お腹が空いて、しょうがなかったから、虫やら草やらを食べて生き延びた。おかげで今でもサバイバルをしたら結構生き残る自信がある。この時の経験のお陰で、死ぬこと以外は些事だ。と思えるような、謎のメンタルの強さを手に入れるわけだが。また別の話。
笹塚苑に入った後も、満帆でわけじゃなかったな。てかあんまり記憶がない。やっぱり、母親の死ってのは、こたえてたんだろうな。まだ小さかったからさ。俺。
オジキがギターを教えてくれるまで、俺の人生に色はなかった。どうとでもなっちまえと。ヤケのような気持ちを憶えている。
でも。初めて与えられた玩具。六本弦があって。押さえる場所を変えると、鳴る音が変わる。不思議な玩具。オジキに色々と教えてもらったことを実践しながら、只々、ギターを弾いた。そしたら、俺の周りには人が集まってきた。
この時にさ、思ったんだ。ああ、ギター弾いてれば、俺は周りから認めてもらえる。ギター上手くなれば、もっとみんなと仲良くなれる?もっとどんどん上手くなって、周りに聴いてくれる人が増えたら、…このギターを残してくれた、親父にも会えるかな?
…思えばあの頃に、俺の根っこの部分の思いは固まった。ような気がする。ようやく、灰色だった俺の世界に、色が入った。そう思ったよ。それからは、まさに転がるように。ギターめっちゃ上手い、OBの蛭間拳児さんに教えてもらったり。たまに笹塚苑にライブしに来てくれた時に、サポートとして参加したり。とにかく腕を磨いた。
小学校と中学校に通って勉強もキチンとやりながら、ギターもずっと弾いていた。…それもあってか。友達は出来なかったな。うん。まあ…。声掛けてくれた優しい人達もいたんだけどね。…親がいないと知れると。…距離置かれちゃうわけだけど。それがトラウマになっちまって、あんまり自分から誰かに近づこう、なんてことは思わなくなったな。…ただ1つ。桜色のジャージを着た、女子バンドマンを除いてね。
なんでゴッチには話しかけられると思ったのか。なんで…。そうか、なんか自分と近しいような。そんな気配を感じたんだよね。音楽できる友達は欲しいけど、自分から話しかけるのはちょっと…。みたいな。まさに俺と同じ。きっかけ待ちみたいな。まあ、話しかけたいと思った1番の原因は、背負ってるギグバッグだったんだけどね。
それからはみんなが知ってる通りだ。虹夏先輩とリョウ先輩に出会って、バンドに誘ってもらって、喜多郁代さんを、ゴッチと一緒に連れ戻しに行って。8月にライブやるって〜から、オーディション受けたりして。まあ俺はライブにもオーディションにも参加はしてないんだが。協力くらいはしたぜ?ホントに大変だったのは結束バンドのみんなだったろうな…。ゴッチを含めてみんな、よく頑張ったよ。あそこでみんな、成長できたんじゃねえかな。多分。
それからも激動。文化祭ライブで俺と結束バンド。なぜか勝負!みたいな事になって。その次はフェスだ。未確認ライオット。ここでも俺と結束バンドは違うメンツで出て、勝負!みたいになった。俺はイライザさんと。結束バンドは4人のまんまで。結果、昔からの知り合いである、大槻ヨヨコ率いる、シデロスってメタルバンドに優勝はかっさわれたけどな。悔しい…。今思い出しても、あのドヤ顔は腹立つ!
まあほんと。色々あった。親父とも色々あったが、輪をかけて、結束バンドとは色々あった。…色々ありすぎて、なんか思い出してるうちに、眠くなってきたな…。日本まではまだまだある。すこし、寝とくか…。どうも、こんな状況でも、条件そろえば眠くなるらしい…。んむう…。ぐう。
♪♪
ハッと。目が覚める。どうやらいつの間にか眠りこけていたようだ。なぜ目が覚めたか。それは、こんな機内放送が聞こえてきたからだ。
「当機をご利用いただきありがとうございます。目的地日本、羽田空港までは後20分ほどで着陸となります。皆様お手回り品ご確認いただき、忘れ物のないよう、お願い申し上げます」
機長による、着陸間近のアナウンス。窓の外を慌ててみてみると、見覚えのある景色と空港が、眼下には広がっていた。…帰ってきたんだな…日本に。
少しは良く眠れたおかげか。なんとかSTARRYの、代表電話番号も思い出せている。空港に着いたら、真っ先に電話をかけよう。…やべえよな〜。怒ってるよな〜。なにせ1週間もまるで連絡なしだもん。…怒るくらいならもまだいいか。忘れられたりしてたら。どうしよう。えっ誰って。…さすがにネガティブが過ぎるか。ないかな。ないよね?
そんなこんなで約半日という長い拘束時間から解放された俺は、時差ボケによる眠気に引きづられるのをソコソコに、ジュースを何本か買って、そのお釣りで作った、大量の十円玉を公衆電話の上に並べながら、先ほど思い出した、STARRYの電話番号を押していた。プルルルル。プルルルル。お馴染みの、あの無機質な電気音が、俺の不安を煽る。…怖え。やっぱ怒られんのかな〜。それとも忘れられてるか。誰も隣にいないと、ネガティブって止まらんな。考えても詮無き事だろうに。などと思っていると。受話器の向こうから、3週間振りに聞く、懐かしい声が響いた。
「もしもしこちらSTARRY」
「…あ〜。すんません。こちら、STARRYさんの電話番号であってますでしょうか?」
「ああ、合ってるよ。って…、お、おい。その声。遥か!?」
ああ。店長!安心するぜ!その声。どうやら忘れられてはなさそうだ!
「おい!!切るなよお前!今何処にいるんだ!?」
「な、なになに!?お姉ちゃん!!まさか!青木くんなの!?電話の相手!!」
「なにい!?店長ホントに!?ホントに遥なの!?ちょっ電話変わって!!」
後ろから元気な声が2人分。虹夏先輩とリョウ先輩だろう。懐かしいぜ。3週間振りだから、まあそんな長くはないけど。
「ちょっ待て…!焦んなお前ら…!今スピーカーホンに切り替える…!これか!よし、これでみんなの声聞こえるだろ、お前、1週間も連絡しないで何やってたんだよ!?」
「す、すんません!!向こうにいる時、誤って俺のスマホを川にダンクシュッしちまいまして!うんともすんともいわなくなっちゃって!!し、心配しました…?」
そう電話の向こうに聞くと。ポヒーッという、何かが沸騰するような音に、意外な人物が怒る声が聞こえた。
「もうっ!!!遅いんですよ青木くん!!連絡するのが!1週間もなにやってたんですか!!虹夏ちゃんもリョウ先輩も郁代ちゃんも!!みんなみんな心配してましたよ!!も、もちろんわたしだって…!!い、今何処にいるんですか!無事なんですか!?」
この声、ゴッチか。意外だな。怒られるんだとしたら、結束バンドのゴッチ以外の3人の誰かだと思ってた。1番怒りそうにない人が怒っている。…何故か俺は、怒られているというのに、暖かい気持ちになった。心配してくれたのかな。だが、今この気持ちを表に出すのはマズイと。気持ちを切り替え応対する。
「ゴメンゴッチ!わ、わざとじゃないんだ!今空港だ!怪我なんかは1つもしてねえ!時差ボケで眠い以外は、身体も何処も異常なしだ!すぐ帰るから勘弁してくれ!!」
電話越しにゴッチに対して謝り倒していると今度は、俺の胸の内を知ってか知らずか。少し茶化すような声で。
「ほら〜青木くんが心配させるような事するから〜。ひとりちゃんがかつてないほど怒ってますよ〜。どうしましょうね〜?」
喜多さんの声だな。全く全く。人が真剣に謝っているのに茶化すんじゃないよ!
「遥。元気そうで何より。今空港でしょ?お土産買ってきて。空港土産」
「後でいいだろんなもん!あ、青木くん!元気そうでよかったよ!この通り、ぼっちちゃんもみんなも心配してるから!取り敢えず帰ってきて!!この3週間のこと、いろいろ聞かせてよ!」
「虹夏先輩、了解だぜ。あと、リョウ先輩。空港土産、了解。いろいろ迷惑かけちまったしな」
「っきゃー!!青木くん!!わたしヨックモックと鮭ハラコ飯食べたい!北海道弁当のやつ!!」
「ちょちょちょ喜多ちゃん!!?リョウに乗っかんなくていいんだよ!?青木くん!怪我なく帰ってきてね!この2人の言うことは無視していいから!」
後ろでブーブーと。明らかに2人分のブータレ声が聞こえて、少し苦笑いが出る。
「虹夏先輩。折角ですからなにか買って帰りますよ。心配させちまったお礼です」
「ん〜そう?…わかったよ。あんまり遅くならないでよ!」
またも心の中で少しの笑いが出る。お母さんみてえだなまるで。
「あ、青木くん!!し、心配しました…!」
今度はゴッチの声だ。…前の3人とは少し違う。こちらをほんとに心配している声色。いや、前3人も心配してないわけじゃないんだろうが。
「すまん!!この通り元気だ、みんなにお土産買ったらすぐ帰るから、待っててくれゴッチ!」
「…はいっ!よかった…!!怪我とか事故とか…!そういうのじゃなくて…!わ、わたしの分のお土産はいりません!い、急がずゆっくりと、危なげなく帰ってきてください…!」
…ふふ。悪くないな心配されるの。後で感謝を伝えよう。…暖かい気持ちだ。俺のお母さんなら。このきもちになんという名前を付けるのだろうか?
「ぼっちちゃんにここまで思われるとは。幸せ者め。まあ、冗談はさておき、今日はSTARRY休みにして、なんか作って待っていてやるよ。急がず焦らず帰ってきな。久しぶりの下北沢にな」
て、店長!
「あざっす!!すぐ帰投します!!みんな!!いったん切る!!すぐにまた会おうぜ!!バイバイ!!」
こうして、日本に帰ってきてからの懸案事項の1つは解決した。…さて、みんなに羽田空港土産を買って、早々に帰投するとしよう!みんなが待ってくれている、あの懐かしの、下北沢STARRYに!
「…切れたか。まあ、取り敢えず良かったなみんな」
お姉ちゃんが通信が切れた受話器を置き、そう言う。ホントにね。元気そうで何よりだよ。
「さて…。一応、廣井にも知らせといてやるか。あいつはあいつで遥の事、心配していたからな」
「よし!今日は盛大に行こうかみんな!青木遥の、日本に無事凱旋パーティーだ!!買い出しとか行こう!」
「いいね虹夏…!ただ飯!腕が鳴る…!間違えた腹が鳴る…!」
「そこは間違えてねーんだよリョウ!!」
「そしたらわたしは、大槻さんに連絡入れてみます。あの人もすっごく青木くんの事心配してましたし」
「い、郁代ちゃん…。いつから大槻さんと連絡取り合う仲に…」
「ん?あれよ、ひとりちゃん。ボーカリストの発声法で、わたしが悩んでた時期あったじゃない?相談に乗ってもらって、その時にロイン交換したわ」
「さ、流石陽キャの行動力…!わたしには真似できない…」
「うんまあ。良いことばかりじゃなかったけどね。青木くんが海外行っちゃったこと話した時は、わたしは連絡すら受けてないわって凹んじゃって。元の調子に戻すのにえらい苦労したわよ。連絡途切れたって言ったときは、ホントに心配してて。無事だと分かったなら、知らせてあげたいわ!」
「い、郁代ちゃん優しい…。へ、へへ…」
「よっしゃみんな買い物行こう!アメリカのジャンクな御飯に慣れきった青木くんの味覚を、日本の繊細な味覚に戻してあげるんだよ!青木くんの大好物のコンソメスープは外せないとして…!他なにか、リクエストあったら合わせるよ!」
「やっぱ、洋食じゃない?カレーにでもするか、虹夏!」
「リョウ先輩食べたいだけじゃないですか?カレー!大好物ですもんねカレー!」
「あっカレー…。わ、わたしも好きです、へ、へへ…」
よしっじゃあカレーにしようか!などと話しながら、虹夏たちは買い出しに出かけていく。その背中を見ながら、まあ、取り敢えずよかったよかった。やっぱ、便りはないのは元気な証拠。だったんだな。昔の人は嘘言わないわ。と、伊地知星歌は呟くのだった。
「さてと、どうせ廣井も来るだろうから、あいつ用の瓶ビールと、秘蔵の日本酒開けてやるか〜」
「なんだかんだで喜んでますよね店長も。やっぱり心配してたんですねぇ〜」
「うっせーぞPA、折角お前の分の瓶ビールも冷やしてやろうと思ったのにな〜。こりゃなしかな〜」
「ぴっ。すみませんそれはご勘弁を〜。皆さんが飲んでるなか自分だけ飲めないのは拷問です〜!」
「冗談だよ。今日はパーッといこうぜ。仕事はまた明日から頑張りゃいいさ」
「ふふっ…。わたし店長のそういう所好きですよ〜」
「褒め言葉として受け取っておくぜ。おらPAも手伝え。酒用意しちまおう」
「は〜い」
♪♪
暮れかかった下北沢をライブハウスSTARRY方面へと歩く。夕暮れ特有の薄い月が空に浮かび、時間とともに顔を変えていく街を彩っていた。右手には空港土産のヨックモックと、鮭ハラス飯を人数分ぶら下げて、青木遥は、歩き慣れた道を行く。
黄昏時とはよく言ったものだな。すれ違っていく人間はいっぱいいるけど、暗くなって、表情が分かりにくい。まさに、誰そ彼。少し遅くなっちまったかな。ちなみにアメリカで水没させちまったスマホはまだ治っていないため、今はまた、みんなと連絡は取れない。まあ、こんな近くまで来てれば、いつでも帰れる。少し寄り道するくらいなら、構わないかな。
なぜ寄り道しよう、などと考えたのか。近くに、懐かしい公園が見えたからだ。…ゴッチと。虹夏先輩と。初めて会ったあの公園。ゴッチのギグバッグに惹かれて、ひょっとしておんなじ、音楽をしている人かな、と思って話しかけた、あの公園だ。フラフラっと、足が、その時ゴッチが座っていたブランコに向いた。あの日のゴッチのように、ブランコに座り、空に浮かんだ月を見上げてみる。
「…いい風景だなぁ、作詞してる人なら、歌詞の1つや2つ、思い付きそうだ」
流石に弾き語るのは、時間も時間だし、周りの人の迷惑にもなるので、頭の中に歌詞を流すに留める。遠くの空には1番星。今は何時だろう。スマホがないから時間すら分かんねえ。
しばらく、世界から切り離されてしまったかのように静かな公園で、徐々に色濃くなっていく月を見上げていた。キイキイと。漕ぐわけでもないのにブランコは揺れる。なかなか心地がいい時間が流れる。…だが、静寂とは長くは続かないもの。遠くから微かに流れてくる、仲が良さそうな人達の会話に、俺の思考は遮られた。そして、そのうちの1つが、輪から抜け出し、コチラ側に駆けてくるような音が聞こえた。
「あ、青木くん…?ひっひょっとして、青木くん?」
「ゴッチ!?」
近付いてきた人物に少し驚く。今は多分STARRYで、俺の帰りを待っていてくれているであろう人物だったからだ。走ってきたため、少し息を乱しているゴッチに対して、俺は向き直る。
「やっやっぱり青木くんだ…。シルエットがそんな感じして…、も、もう。なにやってるの?寄り道せず帰ってきなさいって、言わなかったっけ?」
「ぐう…。い、いやゴメン。月が綺麗で見上げてたら、意外と時間が経ってたみたいだ…。すぐ帰るつもりだったんだよ、ホント!」
「あっ、…ほんとだ、凄く、綺麗…」
ふう、上手く誤魔化せたか。あんなにすぐ帰投するとか言っときながら寄り道してたらそら言われるよな。そんな風に考えていると、ゴッチから少し遅れて、馴れ親しんだ、みんなの声が聞こえてくる。
「わっ、ホントに青木くんだ!よく分かったねぼっちちゃん!あんなに遠かったのに!」
「月を眺めてるとはいなせだね遥。いい歌詞は浮かんだ?」
「わたしたちを待たしたまんまでこんな所で寄り道とは、いい御身分ね青木くん!」
結束バンドの皆さんのご登場だ。みんなそろってどうしたのさ。STARRYで待っててくれるんじゃなかったのかい?あとリョウ先輩は俺の思考を読むな!喜多さんはチクチク言葉やめて!
「君が返ってくるっていうから、パーッとパーティーでもと思ってさ!みんなで買い出しに来たんだよ!」
と虹夏先輩が答えてくれる。だからみんな買い物袋持ってるのね。
「青木くんの大好きなコンソメスープと、今回はカレーよ!」
そりゃいいや。腹一杯になれそうだ。
「俺も作るの手伝いますよ」
「うん!みんなで作ろう!!ほら青木くん!確かにあの月は綺麗だけど!寄り道なんかしてないで帰るよ!お姉ちゃんとか!STARRYのみんなも待ってるし!」
「…ははは。ねぇ、虹夏先輩。みんな」
「うん?どったの青木くん?」
「俺ね。アメリカ行って、本物の家族に会ってきたんだ」
「…うん」
「今まで、血の繋がった人間なんて、この世にいないと思い込んで生きてきた。…でも、親父に、姉貴に会って。2人共多少癖はあるけど本当に優しくて。会えて良かったと。心の底から思ったよ…でもさ」
「やっぱりさ、下北沢に帰ってきて。ゴッチに第1声掛けられた時に思ったんだよ。ああ俺の。日本での家族は、みんななんだなってさ」
「ただいま。みんな!」
「うん!おかえり青木くん!」
「アメリカでの旅。大義であった。褒美を取らすぞ」
「おかえりなさい!青木遥くん!」
「…ふふ。おかえり、青木くん」
ああ。帰ってきたなあ。やっぱ、下北が1番安心するな。などと思っていると、背中に両手のひらの感触。
「ほ、ほらほら、青木くん。STARRYで、店長さんもPAさんも、お姉さんや大槻さんも待ってます。は、早く、帰りますよ…」
ゴッチに後ろに回られ、グイグイ押される。や、やめなさい。自分で歩けるから!
「ゴッチ。立場が逆になったな」
「…え?」
「最初にあの公園で、話し掛けたのは俺だった。今日はゴッチから声掛けてくれて。…帰ってきたなあ。って。そんな気持ちになったぜ。ありがとな」
「…う、うん。わたしの方こそ…。あ、ありがとう。青木くん。あの日、わたしに話し掛けてくれて…」
「お互い様ってやつだな!」
「う、うん!」
「こぉ〜らぁ〜。初めて会ったときも言ったけど、ギタリストだけで通じ合うな〜!」
「ぼっちと遥は割と仲が良い、素晴らしきこと…」
「ひとりちゃん!押す力が足りてないわよ!わたしも一緒に押すわ!わたしはあなたを支えられるようなギタリストになるって、そう誓ったんだから!」
姦しい喧騒に引き込まれる。ぐいぐいとSTARRY方向に背中を押されながら、こういうのも悪くないなと思う。みんながいて。自分がいて。おんなじ夢という、方向を向いて突き進む。たまに迷うだろう。時にぶつかりもするだろう。それでもやはり、このメンバーだから価値があるのだ。いつの間にかすっかりと暮れてしまった、下北沢の街を眺めながらせめて今しばらくは、この暖かい感情の海に揺蕩っていたい、と、青木遥は心からそう思った。
これにて青木遥の物語はおしまいとなります。もともと、引っ込み思案の後藤さんを引っ張っていく主人公として作りましたが、後藤さんや結束バンドのみんなが成長するたびに、逆に助けられる部分も多くなったように思います。結束バンドや後藤ひとりの成長物語であると同時に、主人公の成長物語でもあるかと思います。あとは、内容を変えずに、駆け出しの頃書いた作品を手直しして、この作品については、筆を置きたいと思います。…処女作で完走できるとは思わなかった。ひとえに見て下さったみなさんのおかげです。感謝の念に堪えません。ありがとうございました。