「世界中のみ~んな、
「・・・それが、古明地こいしちゃんの〝願い〟?」
「もちろん。私の億年の孤独から産まれた願いだよー。ま、無理だろうけどね・・・でも不思議ね、あなたならそれを本当にリアルに叶えてくれそうなんだもの。」
私、古明地こいしはそう言って顔面の全てに歓喜と言う感情を浮かべて私を凝視する、自称神様のマキちゃんに向けて赤色のリンゴ味のキャンディーを差し出した。
「私の無意識のお願い、叶えてくれるんでしょう?だから、はい、お礼。」
「いらない。私は見返りを求めない。カミサマは見返りを求めなく、ただ単にみんなの願いを叶えていく様をご馳走代わりに生きてるから大丈夫だよ、こいしちゃん。」
「ふぅーん。せっかく甘くてとっても美味しい飴なのに。もったいないね。」
「それでもいいの。マキちゃんはこいしちゃんに飴を与えるだけの存在だから。」
マキちゃんは裏表を感じさせない声でそう言って、自身のサラサラとしたピンク色のショートヘアを揺らし眉を緩めながら心底楽しそうにニヤリと笑った。
私が彼女、マキちゃんと出会ったのは一週間前のことだった。
その日はいつもみたいに幻想郷の地底と地上をお散歩という名の放浪をして、私のお家である地霊殿に帰って、一人ぼっちで私は日課である自室でハート型のピンクッションに意味も無くぷすぷすと大小のまち針を突き刺しては引き抜き、突き刺しては引き抜くという何の意味も無いことを延々とひたすらにやっていた。
そうすることで、私は心の平穏を保てていた。自分の心を何度も幾度も刺殺して私に蔓延る喜怒哀楽や無意識故に誰にも認識されない孤独感や、サードアイを閉じる以前の問題として心を閉ざした私の本質に向き合ってくれないお姉ちゃんや全ての者達へ常日頃に抱いているやるせない私自身の自我の悲しみと痛みを本当に、苦し紛れという言葉がぴったりと似合うほどにその疑似的な心を殺す行為は私に束の間の安らぎを与えてくれた。
だけど、そんな馬鹿げた刺繡にも限度があり、その日は何だか心の奥底からゆっくりとしかし確かに何か熱いような苦しいような今までに感じた事の無い感情が噴き出してきて、いつの間にか私は無意識のうちに両眼からぼろぼろと大粒の涙を流していた。
「みんな・・・・・みーーーんな大嫌い。どうして私を視てくれないの。どうして誰も私の本心に向き合ってくれないの、どうして、この世界は心を閉じた私に冷たくするの・・・・?ねぇ、誰か教えてよ。誰か答えてよ・・・救ってよ・・・・・、」
乾いた空間に私の怨み言だけがこだまし、私の鼓膜には他者の声も生活音すらも聴こえなく、ただ単純に静寂の静けさだけが「お前は一生一人だ。」と私に言っているようで心が張り裂けそうだった。
私は自分の涙を両手で交互に拭っていき、やがてそれを止めて私の内なる「願い」に気付く。
ああ。そっか、ならばみんなが「私」になってしまえばいいんだ。
と。
「それが君の願い?」
不意に後ろから人生で一度も聞いたことの無いような喜々に塗れた女性の声がした。
すぐさま声がした方を振り向くと、そこには私よりも遥かにお姉さんといった風貌の女性がいつの間にか、足音も気配すらも感じさせずにそこにただ佇んでいた。
ピンク色のショートヘアに胸元が大きく開いた衣装に短いズボンと派手に所々が破けている黒いタイツ。そしてそんな容姿よりももっと気になるのが妖しげにきらきらと光輝く紫色の瞳。
一目見ただけでただならぬオーラを感じたその彼女は、一歩、また一歩とゆっくりと私に歩み寄って来て、そのたびに彼女の笑顔のレベルが上がっていくような感覚を覚えた。
「・・・・誰?」
「おっと、自己紹介がまだだったよね。私はマキ。機械仕掛けのカミサマのマキちゃん。人の願いを叶えるのが生きがいの高性能願望可能機だよ。」
「神様?」
「そう、カミサマ。前に居た世界ではカミサマネジマキなんて大衆から呼ばれていたよ。」
「・・・・その、よくは分からないけれど神様が私に何か用なの?」
「もー!分かってるクセに!勘のいいこいしちゃんはもうとっくに気付いているはずだよ。人の願いを叶える、そして私はカミサマ。要はね、あなたの願いが叶う日がようやくやって来たってことなんだよ!」
そう言って自称神様のマキちゃんは一気に私に詰め寄り、私の両手と自分の両手を繋ぎとめてぶんぶんと楽しそうに上下に振り回した。
マキちゃんの手は機械だというのにどういう仕組みか温かくて、だけれど人肌とはまた違う不思議な感触と体温を感じるものであった。
「こいしちゃん聞いてよ。私ね、以前の世界でとある少年少女に敗北しちゃってさー。君はもうこの世界に要らない/役目を果たしたって宣告されちゃって私という存在が忘れ去られて綺麗さっぱりに消失しちゃうところだったの。だけど私も消えたくはないし、まだ博士との約束を果たせてないから最後の力を振り絞ってマキを受け入れてくれる世界をフル稼働で検索したの。」
マキちゃんはこれでもかというほどに私との心の距離を縮めるべく、自分の過去話を熱心に語った。
「そうして見つけちゃった。幻想郷。この世界はマキちゃんが居た世界とは違って妖怪・幽霊・超人・魔法使いとか色ーんな変わった子達が居るって認識して、しかも忘れ去られた者を受け入れてくれるっていう優良物件だったの。思わず一目惚れして気が付いたら私、異世界転移しちゃってた。」
「マキちゃんはこの世界と違う世界から来たの?」
「そう。奇跡もなんにも無い、願いも指パッチンで簡単には叶わないドライな世界で唯一、私というカミサマがそんな群衆や少年たちの願望を叶えていた世界からやって来たんだよ・・・もしかしたら私が元居た世界で否定されたのも、移転先のこの幻想郷で賢者様に『貴方のような異物はこの楽園に必要ない。』ってバラバラにされそうになったのも、全ては古明地こいし。君に逢うためだったのかもね~・・・・・。フフッ。」
そう言ってマキちゃんはうっとりとした顔で頬を紅く染めて、本人に自覚があるのか分からない軽い身震いを両腕を組んで押さえ込んでいた。
私はそんなマキちゃんの在りのままの姿を見て、どうしてか得体の知れない恐怖を少し感じた。
「あなたも私とおんなじ、孤独だったんだね。」
「孤独?なにそれ。ちょっと解釈が違うかもね~。私はプログラムされた電子脳の本能に従って〝願いを叶える〟という任務を遂行しているだけ。それに人間もヒトの形を模した物も皆、孤独が嫌だ忌むべきものだと言ってなんやかんやで『孤独』って言葉を愛しているよね~。あははっ、ウケるね~。」
「強がらなくてもいいのよ。マキちゃんは私と構成されている物質は違ってもその深層は同じ。そんな気がするの。だから私と友達になってよ、暇潰しでもいいから。」
「・・・うーん、こいしちゃんは何か重大な勘違いをしてるかもだけど、ま、いいや。私はね、こいしちゃんと友達になりたいんじゃなくてこいしちゃんの〝願い〟を叶えたいだけなの。でも君の様子を見るにまだ決心が固まっていないようだから、願いを叶えるまでの間、私がこいしちゃんの話し相手になってあげる。そうやって古明地こいしの心の奥底の無意識のその先の真の願いが引きずり出せるなら、私はどれだけかかろうとも君の傍にいてあげる。」
そう言ってマキちゃんは私に向けて黒い手袋を嵌めた自身の右手を差し出してきた。
さあ、この手を握って。と口に発さなくても解るその行為に一瞬、ほんの一瞬だけど私は伸ばしかかった自分の右手をひゅっと引っ込めてしまった。
なんだか、嫌な予感がした。マキちゃんの手を握るのは容易だがそれをしたが最後、もう後には引けない契約を結ばされるような、全てが紅くてどす黒い歯車の予定調和の一部にされてしまうような、そんな豪雨のようなノイズが視えるような・・・・そんな危険を感じた。
「ありがとう。これから何卒、よろしくね。」
だけど、無意識に私は一人の世界に耐え切れずにマキちゃんの手をしっかりと握り返してしまったのだった。
それから一週間ぐらいが過ぎて、こうして今、私の目の前に神様のマキちゃんは相も変わらずに私の核心を突いた答えを今か今かと待っているかのようにニコニコとした笑顔で頬杖をつきながら大理石のテーブル越しに私の様子を観察している。まるで科学者が実験動物を舐め回し利用するかのように。
別にマキちゃんはニコニコ笑顔でこれまで終始無言であった訳では無く、私の心からの悩みや大好きなお姉ちゃんに対する愚痴や日々の散歩で見つけた変わったもの、出来事をうんうんと聞き上手に耳を傾けてくれていたし、逆にマキちゃんからは今まで自分が叶えて来たという元々居た世界での今は風化し誰の記憶からも消え去った誰も知らぬ少年少女たちのおとぎ話を聞かせてくれた。
人生をやり直したい。透明人間になりたい。未来が知りたい。不老不死になりたい。自分の代行者が欲しい等々、夜空に浮かぶ数え切れないほどの星の数如くマキちゃんはどんなお願いも叶えてきたのだと言う。
更にはマキちゃんが元居た世界の禁断の秘密として全人類は一度リセットされて俗に言うアダムとイヴの適任者二人が世界を再構築したのだと言う。
マキちゃんはとある天才学者、かつて博士と呼び慕った無垢な少年の手から産まれ、そしてその産みの父親の少年をその手で殺した。それが皮肉にも博士の最期の願いだったそうだ。
私はマキちゃんが語る過去生あるいはおとぎ話を夢中になって聞いていた。その全てが残酷で、救いようが無くて、どうしたって寓話な世界の断片の出来事であったが人の心とは不思議なものでそういった劇場的な不幸話は最高のスパイスや甘味となって人のもっと先を知りたいという好奇心や脳内物質を激しく揺さぶるもので、私は気が付けばそんな甘いようで酷く苦いお話たちの渦に巻き込まれるかのようにして新作話を追い求めていた。
そうして、はっ、と我に返り私は想う。
もしかしたら私すらも彼女の言うおとぎ話の一部に過ぎないんじゃないか、いいや、これからそうなっていくんじゃないかって・・・・。
不安。その二文字が数回ほど私の中で靄を描いて行き、マキちゃんは私の内情を知ってか知らないかいつまで経ってもテンプレートのような笑顔を張り付けて私を視察し続ける。
私は違う。私は自分の願いに自信を持っているし、私はきっと無意識から来る直感で私だけの幸せを得れる
私は心の中でマキちゃんに問うのではなく、自己に最終確認をするように不安定な声で問い掛けてみた。
『સમાનતા એ મનુષ્યની ઈચ્છાનો સ્વભાવ છે.તમે વશીકરણથી ભરેલા છો.』
「え」
そんな私を諭すかのような、そんなマキちゃんの明らかに日本語ではない解読不能な流暢な発音の言葉が聞こえて来た。しかもそれは不思議な事に私の耳と心の中の両方に響くように聞こえてきたものだった。
私は思わず俯いていた顔をバッと上げてマキちゃんの顔を覗き見た。けれど、まるでマキちゃんはそんな特殊な意味を孕んだ言葉を最初から発していないよと言わんばかりにマキちゃんにしか表現の出来ない笑みをただひたすらに浮かべ続けていた。
「今、何か言ったの?」そう言えばすぐに終わる話だけど、私はあえてそれをしなかった。
その方が正しいような、知らない方が良い事・・・?があるような気がしたからだった。
あと、それからもう一つ気になることがあったんだった。
「で、願いは?」
そのたった数音にも満たない発言は、マキちゃんの私に対する殺し文句であった。
彼女は必ず自分のデータに蓄積されている話を終える又はその途中や、私が幻想郷で独り抱き続けている世界観をマキちゃんに必死に伝えようとしている途中でまるでそれを遮るかのように、本当に知り得たいのはそれしかないんだから速くしてと言わんばかりにマキちゃんは私に対して〝正真正銘の願い〟の催促を続けてきた。
それだけしか眼中に無いかのように。
結局、貴方も「本当の私」になんか興味が無いように・・・・・。
意識を今現在に戻す。
「前々から気になっていたんだけど、どうしてマキちゃんはババ抜きの時にわざとジョーカーだけ自分の手札に残して負けちゃうの?」
私はマキちゃんとババ抜きをしながら、今回で私が7勝・マキちゃんが7敗の結末が判りきっているゲームに文句を吐き出すようにして質問した。
「マキのお気に入りだから。」
「お気に入り?ジョーカーが?なんだかジョーカーって怖いし意地悪そうだし、縁起が悪く思っちゃうんだけど。」
「うーん、そうかなぁ?マキちゃんはそうは思わないかな。このジョーカーカードはね、トランプの全52枚のカードに加わったたった1枚の
そう言ってマキちゃんはどこから転送してきたのか今までのお互いの手札や大理石のテーブル上にあったトランプカード52枚を空中にまるで孔雀が羽を広げるかの如く浮かび上がらせて、恍惚という言葉が似合うような惚れ顔で52枚の中に急に出現したジョーカーのカードを右手の人差し指と中指でパシッと受け止めてそのまま自身の胸の谷間にそのジョーカーを押し込んで収納した。
常々思うけど、本当に驚くような離れ業ばかりを奇術師のように魅せてくれる神様ね。
「さぁ、妖怪少女。君の心がようやくほぐれてマキに心を開いてくれた今、今だからこそ再度最終確認をするよ。古明地こいしの願い、それはなぁに?」
「・・・・ここ1週間、ずっと考えてたの。もしかしたら何でも、どんな願いでも叶えてくれるあなたに願うならどんなものがいいのか。私が今まで思い描いてきた願いは違うんじゃないか、本当は別の願いがあるんじゃないのかな、って・・・・でもやっぱり変わらないや。マキちゃん。」
「うん!」
「世界中の皆を、無意識にして。そうすれば皆が私の心を解ってくれる。そうすればきっと、無意識だけが支配する世界で私は永遠に幸せになれると思うの。それってまるで天国みたい。」
「オーケー!!!古明地こいしの願い、マキは確と受け止めたよ!これから貴方の願い通り、無意識の永久不滅の楽園、無意識パラダイスを実行するね!。」
マキちゃんは水を得た魚のように飛び跳ねるかのように椅子から立ち上がり、七色に光り輝く虹のような光に包まれながら、自分の周りに色合いや大小さまざまな
「受け取って。こいしちゃん、君の願いは今ここに展開されるよ。」
「うん。」
私は遠慮なくマキちゃんから見た目は小さな、しかし圧倒的な存在感と手に取るのも躊躇してしまう程の気迫に満ちた緑色の閃光を放つその
すると私がその
そうして、0.数秒の不思議な静けさと充足感に包まれたマキちゃんの穏やかな、だけれど強烈な印象を覚える笑顔が私の瞳に映った。
「さ、これで明日から、正確に言えば今日の日付が変わる時間にはこいしちゃんの願いは叶っているよ。それじゃあさようなら。またいつかはないけどマキはいつでも画面越しにこいしちゃんの願いのその先を見守っているからね!。」
「えっ、待ってよ!どうしても、どうしても私と友達になってくれないの!?」
「それは無理な願いだなぁ。最初から言ってるよね?マキちゃんの願いはこいしちゃんの願いを叶えること。それ以上もそれ以下も存在しないって。」
「・・・・せっかく、私を理解してくれる人と会えたと思ってたのに。」
「そんな悲しい顔しなくても大丈夫。明日になれば世界は常識を三百六十度ひっくり返したかのように様変わりしているよ。古明地こいしの望み通り、全ては無意識一色に染まってもう元には戻らないからある意味こいしちゃんのお友達は何千、いや、何億人以上も存在し続けるから安心してよ、ね?」
・・・彼女が、これまでに幾多の奇跡を巻き起こしてきた神様のマキちゃんが言うのならばそれは事実なんだろう。
「分か、った・・・・、」
私は無理くり喉の奥から何か言葉が飛び出そうになるのを堪えてそのまま呑み込むように返事をした。
「じゃあさ、」
私はマキちゃんに向けて素朴な疑問を投げかける。
「どうして私の願いを選んだの?幻想郷には色んな子達がわんさか居て、強い子も居れば弱い子も居る。それに比例してそれぞれが強弱の差さえあれど心に秘めてる願いを持っているでしょ?そんな無数の願いの中から、どうしてマキちゃんは私の願いを選んだの?」
「どうして?・・・・くくくっ、どうしてって、単に面白そうだからだよ。」
「面白そう?」
「うん。絶対面白い。君の願いは文字通り世界を変える力を持っている。更新後のデータの置き換えなんて気にしない性分、それに元々君にプログラミングされている仮想世界・・・・間違いなく、こいしちゃんはこの幻想郷で一番面白い少女だよ。」
それは褒めているのか、それとも何か重要なことを難しい言葉で秘匿しているのか。あくまで人の心を持たぬ機械仕掛けの彼女の本意は全くもって視えやしない。
多分、お姉ちゃんのサードアイを使っても難解なままだろう。そんな気がする。
「あとね、もう一つ今更聞きたいんだけど全てが無意識になるってどういう意「こいしー?まだ起きているのかしら?」
肝心な場面で私の部屋のドアの向こうからお姉ちゃんの声が聴こえてきて、私は意図せずにマキちゃんから目を離してドアの方を振り向いた。
「お姉ちゃんごめんねー!今ちょっと忙しくて・・・・?」
大声でお姉ちゃんの添い寝のお誘いを断ろうとしながら再度マキちゃんの方へ視線を移すと、そこにはもうマキちゃんの背景役だった白い壁しか残されていなかった。
「本当に、消えちゃった。」
私はただそのまま呆然として立ち尽くしていると、「入るわよ。」と私のお姉ちゃん、古明地さとりは私の事前の断りを最初からまるで聞こえていませんでしたというような面持ちで軽く目を閉じながらアポなしで私の部屋の中へとずかずか入って来た。
「まだ起きていたのね。悪い子。」
そう言ってハァ、ととても軽いため息をつきながらお姉ちゃんは私の頭のてっぺんに、ぽん、と自分の右手を置いてそのまま左右に軽く撫で上げた。
「うるさいな~!良いじゃない別に起きてたって。私だって妹だけど子供じゃないもん。それに今とっても大事な未来の会議をしていたところなんだから、大目に見てよね。」
「未来の会議?なんのこと?誰かとお話でもしていたのかしら?」
私は思わず、口が滑っちゃった!と内心で冷や汗をかいた。
神様のマキちゃんの事は私以外のみんなには勿論のこと、例え身内であるお姉ちゃんにでさえ秘密にしておきたい重要機密事項だったので今まで絶対に口を割らないように心がけていた。
自分の願いとは自分1人で抱え、悩み、そしてその答えを回答し導き出す。それが、本当の意味での〝願いを叶える〟という事であると私は思考している。
それにどうせ、誰も解ってはくれないでしょう?
私のことなんか。
「い、いやーあはは・・・あれだよ、空想上のお友だちとね、今度いつお茶会しましょうかっていう会議をしてたんだよ!」
「ほー。そうなの。でも最近多いわね、こいしがそうやってそのお友だちとやらと会議ごっこするの。」
私はまたもや猫が急に背後から飼い主に触られたかのようにビクリと嫌な身震いをした。
流石は私のお姉ちゃんだ。ちゃんと気付いていたんだ。でも、お姉ちゃん曰くの会議ごっこの内容に触れていない限り私とマキちゃんの会話の本筋はバレていないみたいなので安心した。
「どうでもいいけどね。こいしがそれで楽しいのなら。」
「・・・まぁ、楽しいよ?」
「そう。じゃあ良い子ね。」
ああ、どうしていつもは不愛想な顔なのに、私の目の前ではそんなに慈愛の籠った顔で私を優しく撫でてくれるの?
きっとお姉ちゃんですら私を見透かしてはくれない。私の全容何て知る由も無い。
なのにどうして・・・・。
『せめて私だけでもいいわ、心を開いてごらんなさい。』とか、
『私をこいしの心の拠り所にしてね、姉としての・・・・いえ、私からのお願いよ。』とかね。
あー嫌、
あー・・・・怖い・・・・。
向き合うのは、やっぱり・・・・、
「・・・こいし?」
私は不変な姉の優しい温もりを感じる手首を自分の両手でにぎにぎと握りしめて無言で、自分ですら一体何を訴えかけたいのか分からない目つきでお姉ちゃんを垂直に見つめた。
「もう眠いのかしら?それもそうよね、だってもうこんな夜更けですもの。」
お姉ちゃんの言葉に誘導されるかのように部屋の壁掛け時計に目をやると、そこには午後10時30分という長針と短針の表示が示されており、あれ、あと1時間半で私の願いが叶っちゃうんだという呆気のなさと実感の無さが急激に私の全感情を支配したのだった。
「ずっと立ちんぼも疲れてきたから、今日も一緒に寝ましょ、こいし。」
お姉ちゃんは川の流れを断ち切るかのようにしてそう言って、まだ私がうんともすんとも了解していないというのに私の事をまるでパン生地を転がすかのように両手で背中を押して私の自室の大きくて立派なベッドへと到着させた。
お姉ちゃんはかなりの頻度でこうやって私と添い寝をしたがる。
そうして二人で淡い色の毛布をゆったりと被りながら床の間に就き、半分向かい合ったようにお互いに顔を見合わせてからお姉ちゃんはお決まりの様にこう言うのだ。
「今日はどんな楽しい事があったの。私にも教えて頂戴。」
それに対して私は要項を説明し終えた後、続けて、
「こいし。何かあったらいつでも私に言いなさい。お姉ちゃんはいつまでも永遠にこいしの味方だからね。」
と、2セットで私に語り掛けてそのまま二人きりで眠りに落ちてその日が終わる。
もう何回も、体感時間を大げさに言い過ぎれば何兆回もやってきた姉妹のやり取りだった。
普段なら「味方よ。」のくだりで会話は途切れて終了を迎えるのだが、私は何だか今日はあと数時間で私の願いが叶ってしまう事に謎の焦燥感を覚えてお姉ちゃんに変わり種の会話を試みてみることにした。
「お姉ちゃん。もしも明日世界が滅亡しなくても全てがバケツの水をひっくり返すみたいに変わっちゃうとしたらね、お姉ちゃんはどんなことをするの?」
私はベッドの上でお姉ちゃんに背を向けながらそう尋ねてみた。
「そうね、何もしないわ。」
お姉ちゃんはそう即答する。
「何もしない、は語弊があるかしら・・・・ただいつも通りにこうしてこいしの側にずぅっと変わらずに居続けてあげる。それが私の願いよ。」
私の背中越しからそんな温情を感じる言葉が私に直接降りかかってきて、ちょいちょいとお姉ちゃんは私の肩を指でつついてきた。
「何?」と私はお姉ちゃんに対になるためにぐるりと身体をベッド上で回すと、そのままの勢いで私はお姉ちゃんに熱く、しかし優しい力加減で抱擁をされた。
今までにないパターンのその行為に私はちょっとだけ脳内でパニックを起こしそうになった。
「寂しいの?」
今度はお姉ちゃんが私に尋ねてくる。
「・・・別に。寂しくなんかないよ、うん」
私はもう意識とか無意識とか難しい建前は無しにお姉ちゃんの背中に両腕を回して同じように抱擁を交わした。
「嘘が下手ね。」
「うるさいなぁ・・・・どうせ私の寂しさなんて、お姉ちゃんには解らないわ。」
「私もそう思うの。でもね、解る時が来るまで、そして解った後でさえずっと私はこいしのことを愛しているわ。例え世界が変わってもどんなことが待ち受けて居ようとも永遠にね。」
「・・・・なんか、今日のお姉ちゃん変。今までそんな感じしなかったのにどうしたの急に。」
「そうかしら?私は平常運転よ。こいしだっていつも通りじゃない。」
お姉ちゃんははぐらかすようにそう言い、私の前髪をさらさらと手で掬って得意げな笑顔を浮かべた。
私はなんでだか急に恥ずかしくなってしまい、そのまま誤魔化すようにして自分の赤面を見せないようにお姉ちゃんの胸元に顔を埋める。
「おやすみなさい、こいし。」
「うん。おやすみなさい、お姉ちゃん。」
私とお姉ちゃんは毛布の中でぎゅっと互いに紐を結ぶかのようにして抱き合って眠る。
本当に、こんなにも平穏な日常でしかも相も変らぬ孤独感を抱いている私に大変革の朝は待ち構えているのであろうか?
別に明日世界が変わろうとも変わらないとも、もうどっちだっていいかな。
今はただ、この不思議な温もりを感じるお姉ちゃんの中で安眠に身を委ねたい気分だった。
「こいし・・・。」
私が完全に寝落ちる前に、お姉ちゃんの声が薄っすらと聴こえたような気がした。
■
まるで手押しの電源スイッチをON/OFFに切り替えるかの如く、私はしゃっきりと二つの瞳を見開いて朝の目覚めを果たした。
「ふわぁ~っ・・・なんだかいつもよりよく眠れたかも。おはよう、お姉・・・・」
私はベッドから半身を起こして軽く伸びの姿勢を取って横目でお姉ちゃんを視認しようとしたが、そこには誰も居なかった。
「ちゃん・・・・?」
あれれ、珍しい。いつもだったら私より先に起きていても横に居てくれるか、もしくは私よりも寝坊助さんですーすーと熟睡しているはずなのに。
「ペット達のお世話にでも行ったのかな?」
それにしては早すぎるし、朝のランニング?も運動不足で不健康なお姉ちゃんには地球の重力が今すぐ逆さまになるくらい有り得ないことだし。
とりあえず私は寝間着姿からいつもの洋服に着替えてお気に入りの帽子を被り、広い地霊殿の一角にあるお姉ちゃんの自室もとい仕事部屋を訪れた、が、お姉ちゃんはそこに居なかった。
そしてお姉ちゃんの部屋中には白い作業用紙の書類たちが修復不可能なくらいにビリビリに破られていて、まるで部屋の床一面を白い絨毯でリフォームしたかのような光景が広がっていた。
「えー、どうしちゃったのかな・・・・。」
私はその異様な光景になんだか良からぬ不安を感じた。
あれかな、私があまりにもお姉ちゃんにつんけんしていたから、とうとうお姉ちゃんも痺れを切らして私が嫌になっちゃったとかかな?
だとしたら嫌だな、怖いな・・・・と思った次の瞬間に、私は普段お姉ちゃんに対して不平不満を感じているくせにこういう時に限ってお姉ちゃんの優しさに飢えている自分の内心に気が付いてしまい、そんな都合のよすぎる自分という意識に嫌悪感を感じた。
それから私はお姉ちゃんが居そうな部屋を片っ端から訪問していったが、何処も彼処もお姉ちゃんの実像は見当たらなくて、それでも諦めずにそういえばこんな部屋もあったわねと何気なく視界の隅っこに映った普段使ってもいない存在すら気にしてもいなかった小さな部屋へ繋がる扉を素通りしようとして、ぴたりと私の足がそこで止まった。
何故だろうか。ここな気がする。
一見見落とすようなこんな辺鄙な場所だが、それこそがヒントなのかもしれない。
私は自分の無意識的な心の声と直感に従い、その小さな部屋と繋がる扉のドアノブにゆっくりと触れ、ぐるりとドアノブを回して扉を開いた。
ものの見事に、そこにお姉ちゃんは居た。
細長いような狭い部屋の中には大きなステンドグラスの窓があって、室内の照明はそのステンドグラス越しから発せられた眩い強烈な七色の日光だけであり、その色彩豊かな光に包まれて私のお姉ちゃんはただ独り孤独なように私に背を向けながら木製のテーブルと向き合い、三つ足の木製椅子に座りながらそこに存在していた。
「お姉、ちゃん・・・・?」
私は明らか様にいつもとは違うお姉ちゃんの様子に不安を感じながら部屋の中へと一歩足を踏み出した。
すると、ぎゅむっ、としたもどかしい感触が私の黒いブーツを通して感知されて視線を下へと追いやると、そこには昨晩着ていた寝間着も含めてお姉ちゃんの私服が部屋中に、一番最初に私が見た白い作業用紙の書類たちと同じように見るも無残な形で鋏のような刃物でズタズタに引き裂かれた状態でまるで繊維の海のようにして部屋の床中を埋め尽くしていたのだった。
「ひっ、」
私は思わず小さな悲鳴を漏らした。
数分間、その布切れたちを凝視せざるを得ない精神的状態だったがそれを何とか乗り越えるふりをして、私は一歩、二歩とただひたすらに何かに憑りつかれているかのように黙々と謎の作業を行うお姉ちゃんの後姿を見つめながら歩みを進めていった。
お姉ちゃんは既に一着物になってしまったと思われるいつもの普段着に身を包みながら何かぶつぶつと独り言をまるで呪文のようにして唱えていたが、近くまで行かないと聞こえるか聞こえないかくらいの音量であった。
そうしてお姉ちゃんの超至近距離の背後まで到達してお姉ちゃんの手元や着席している膝の部分やテーブルの坂上を静かに覗き込んで見ると、そこには作っては裂き作っては裂きを繰り返したであろう手袋の残骸たちが無数に散らばっていて、机の上には濃い鉛筆で「手袋の作り方」というタイトルと細かすぎる手袋の直筆の設計図が描かれたスケッチブックが顔を覗かせていた。
そうして、「違う。」「これも違う。」「・・・これも駄目ね。」「失敗作だわ。」とお姉ちゃんはまるで壊れてしまった蓄音機のように「違う」「駄目」「失敗」という三つの単語を何度も何度も繰り返し呪詛のように呟きながら真っ二つやそれ以上に分割された手袋だったものを握りしめてはまた元の所に放り投げたり、現在進行形で作っていたであろう新しい手袋2枚1組を八つ当たりでもするかのように手でぐしゃぐしゃに丸めて鋏でジョキジョキと切り刻んだり、もう、誰から見ても異常である事は確かであった。
「ね、ねぇ、お姉ちゃん?大丈夫・・・・?」
私は切羽詰まったように目を血張らせながら創作的よりも破壊的に見える作業を行うお姉ちゃんに声を掛けて、ぽんと軽くお姉ちゃんの右肩に手を置いた。
ガシッ!!!
瞬間、お姉ちゃんは左手で私の右手の甲ごとを激しい勢いで鷲掴みにしてきて、私は反射的に「きゃっ!」と恐怖に怯えた声を出してしまった。
そうして、ぐるん、と頭を横に向けて虚ろで血走った眼で私のことをただひたすらにじっ、と見つめながら今度は私の右手と自分の左手を丁寧に接合するかのように繋ぎ合わせて少し痛いくらいに数回ほど力を込めて握りしめ、それで満足をしたのか今度は急に今までの一連の怒涛の流れが嘘だったかのように私の右手を解放して「違う・・・違う・・・・」と再び意味の無いような手袋の切れ端をいじるだけの作業を始めていく。
「お姉ちゃん・・・・。」
もうお姉ちゃんは駄目になってしまった。何かがお姉ちゃんという自己を壊してしまった。
そんな姉妹だからこそ解る感覚を文字通り体感した私は、せめて私が原因ではありませんようにとまるで逃げるかのようにしてお姉ちゃんから背を向けて糸屑まみれの部屋を駆け抜けて、ねぇどうしよう!お姉ちゃんがどうかしちゃったの!助けて!と他者に救いを求める為に、地霊殿の家族であるお燐とお空を探しに長い廊下を走り抜けていって、焦りや興奮状態でまともな思考が出来ない私は出鱈目に片っ端から次々と部屋のドアを開けていった。
そうしてお目当ての一人目であるお燐を地霊殿の大食堂で見つけたが、お燐は大食堂の大理石で出来た豪華なスーパーロングテーブルの端から端までを髑髏や人骨の各部位や生々しい新鮮な死体等々で飾りつけをしており、まるでそれは悪趣味な誕生日パーティーの飾りつけそのものであった。
そして、スーパーロングテーブルの中央に土足で陣取るお燐は人型の姿であるのに片足で自分の首根っこを掻こうとして中々うまくいかずにすぐに諦めて、閃いたというようなぱっと明るい表情で自分の近くに図るかのようにして置いてあった丁度いいサイズの右腕の骨を手に取りまるで孫の手を使うおじいちゃんのように自分の背中を右腕の骨で掻いて安堵の表情で身体をくの字に曲げて眠りの体勢を取った。
そんな確実と言っていいほどに通常時とは違うお燐の元に私は駆け寄り、もしかしたらお燐は違うかかもしれないなんて都合のいい解釈をして僅かな希望をごり押しするかのように、顔を半分青白くしてお燐に話しかけてみた。
「お燐!聞いてよ!お姉ちゃんが、お姉ちゃんがどこか変になっちゃったの!」
「・・・・。」
お燐は聞こえているのかいないのか、ただひたすらに冬眠でもしているかのように両目を閉じて私の必死の叫びにも動じずに何も言わなかった。
「ねえ!お燐ってば!」
「・・・・。」
「ね、これなにかの冗談でしょ!?そうだよね!ねぇっ!答えてよ、お燐っ!!!」
私はとうとう我慢が出来なくなってお燐の体を両手で掴んで少し強めに揺さぶってしまった。
すると、
「フシャアーーーーーッ!!!!。」
お燐の口からまるで猫型の時のような、鼓膜をつんざくような激しい威嚇の声色が飛び出してきて、私はそれに思わず面食らってその場に凍り付いて棒立ちになってしまった。
「フーーー、フーーーーー・・・・」
お燐は尚も私を敵対視する威嚇を止めずに、お姉ちゃんと同じような虚ろな目をして私に四足歩行で対峙し、今度触ったり何か邪魔をすれば喉笛に噛み付かれてしまいそうな勢いのある恐ろしい睨みを私に利かせていた。
その風貌や眼力を見るに、お燐はもう私の事を地霊殿の家族あるいは古明地こいしとして認識してはいなく、ただ単純に私はお燐という野生化した獣のテリトリーに入ってしまった部外者のような存在であるというような発想に至ってしまった。
「ごめんね、」
私はそう一言だけ言い、あとは何も考えないようにしてその場を急いで後にして、最後の一人あるいは最後の希望であるお空を探しに地霊殿を再び捜索し始めた。
そしてまたもや、私は家族の変わり果てた姿を見つけてしまった。
お空は地霊殿の広大な物置部屋をいつの間にか改造していて、中央部分には綺麗な円形にくり抜かれた巨大な穴が開いており、そこにはいつしか私がお空に見学させてもらった間欠泉地下センターの底のような、私の素人目には地獄の溶岩にしか見えない核の融合炉が存在していて部屋の内部は物凄い高熱と熱気を帯びていた。
そんな部屋の中にはゴオオオオやグイーングイーンといった核融合炉の音や部屋の壁中に張り巡らされた規則的なタイミングでオレンジ色に発光する電子の壁からの機械音が、頭が痛くなるほどに何度も繰り返し鳴り響いていて、お空はそんな轟音の最中に独り、自分の両腕と大きな黒き翼を平行に高らかに広げて恍惚とした表情でその場に立っていた。
もしかしたら目を離した隙にそのまま自ら望んで核融合炉に飛び込んでしまうんじゃないかと思ってしまうような、そんな今までに私も、それに多分だけどお姉ちゃんですら見たことがないような笑みを携えてお空は遠くから離れて見ている限りは口をパクパクと動かしながら自身の研究施設ともいえるような孤立した世界の神の様にして立ち振る舞いを続けていた。
試しに近くに寄ってみると、お空は二人と同じ虚ろな目で口元を限界まで開いて笑いながら、核融合炉とお見合いでもするかのようにしてレスポンスの存在が無い一人会話を続けていた。
「原子よ、生きとし生けるものから産まれし大いなる力よ。そして新世界の創造主である母よ・・・・どうか私に力を与え賜え。そしてこの世の全も悪も全て核融合の色に染め上げ賜え・・・・。嗚呼、私は今すぐ
お空はどうやら、自身の持つ特性や役割の果てに自分なりの生き様、真理に辿り着いたらしく、私はもうそれ以上何も行動も起こせずに、お空の視界の大部分を占めているはずである私の手のひらの振り掛けにも動じずに核と心中を遂げるつもりでいるお空をそのまま放置してその場を濁さないように核融合研究施設に変化した物置を後にした。
お姉ちゃんもお燐もお空も皆、おかしくなってしまったのは確かだが、逆説的に言えば元ある原点に戻ったとも言える様変わりであった。
私は住人が全員、生きているのに死んでいるような顔に成ってしまった結果に大きな廃墟と化した厭な静けさを感じる地霊殿の廊下をとぼとぼと静かにしょぼくれて歩いていた。
「一体全体、みんな・・・・」
どうしちゃったの。どうして皆、雁首揃えて目が真っ黒で虚ろであるというのに、心の底から嬉しそうなの?
それって、ずるいよ。
また、私は一人ぼっちになっちゃうの?
そうしてくらくらと足取りを歪ませながらなんとか無意識的に私は地霊殿の外へと繋がるエントランスのドアノブに手を置いて、ふっ、と1つ思った。
「まさか、だよね?」
まさか、地霊殿の外もこんな風になっているとか・・・・そんな出来過ぎた悪い冗談は辞めてよね。
私は、ギイッ、とここ最近油を差していない地霊殿の玄関ドアを思い切って開けて外に一歩踏み出す。
そうして、外に出て長い大きな階段を下って行き、そこには・・・・。
「わ・・・・、」
そこには地霊殿で飼っていた見慣れたペット達やどこからやって来たのか新顔の動物たちが地霊殿を包囲するかのように所々で命の営み、要するに交尾を行っており、全員が全員それしか頭にないんだと言った形で身体を小刻みに震わせ続けていたのだった。
よく見れば、私の足元でも地を這いつくばって地道に生きる蟲達ですらその行為に皆が皆、勤しんでいた。
そんな酒池肉林という言葉がお似合いの眼下に広がる光景を横目に、私は今更数百年も生きて来て純情ぶったり純潔ぶったりはしないが思わずその生々しいドミノ倒しのような連結作業の中をサッと通り抜けて地霊殿の敷地内を脱出し、今度は旧地獄の様子を見に冷や汗をかく気持ちを沈めながらその足を繰り出した。
旧地獄もまた、地霊殿の皆と同じように各々が好き勝手にやっている無法地帯となっていた。
豪鬼である伊吹萃香は酒を呑む為の木枡を巨大化させたような檜で出来た風呂桶にすっぽんぽんで入浴をし、またその風呂桶から常時溢れて零れ続けている液体も温かい純水ではなく、萃香の所持する酒が無限に出続ける瓢箪という何とも酒好きには夢のような願いを叶える代物から流出し続けていく酒によって湯船が満たされている状態であり、萃香はその夢見心地な液体の中で一歩も動くことも無く、「酒だ~酒をじゃんじゃか持ってこ~い。」とべろべろに酔っぱらった赤い顔で、そのような発言をしながらもちゃっかりと自分で瓢箪を逆さまにして常に湯船から酒の水を枯らさないよう、そして両手で掬う事も無く自分の顔面の下にある酒をずずず、と啜り呑み漁っているのであった。そして、もれなくその目は虚ろであった。
伊吹萃香の仲間である星熊勇儀は、旧地獄の決して誰も持ち上げられぬと言われていた巨岩をいとも簡単にそれこそ赤子の手をひねるかのように人差し指一本で持ち上げ、勇儀の力加減のリミッターはとうに外れてしまったかのように様々な重量物を持ち上げては下ろし持ち上げては下ろしを繰り返して行い、それはまるでトレーニングを行うかのようなそんな彼女らしい行動であり、本来ならば自身の肉体の鍛錬とは地道かつ小さな積み重ねであったりするのだが今の勇儀のその在り様は少々乱暴であり、修行を行う在り方は清々しく爽やかな面影を投影する物であらなければいけないはずであるのに、その目は虚ろだった。
地上と地底を結ぶ橋の番人であり橋姫である水橋パルスィは、橋の下にある川に顔の半分だけをまるで海坊主にでもなったかのように覗かせ沈ませていて、ぶくぶくと水中での呼吸が限界まで近付くとぶはっ、と川の浅瀬まで移動してその場に心此処にあらずと言った感じで全身を濡らしながら「あの人の元に帰りたい・・・嗚呼、妬ましいわ・・・・。」と何度も同じフレーズを繰り返しながらまた再び顔の半分を川に埋めるのであった。その様子を見るに、パルスィはもう番人だとかいう責務や職務から解放された独りきりの目が虚ろなうら悲しき純朴な乙女にしか私には視えなくなっていた。
その他にも旧地獄の住人の全員は各々が個々の願望や欲望を満たすための独りの世界や行為に没入しており、中には地霊殿外庭で見た動物たちのように性交やその対象となる相手が居なくとも一人自慰に耽る者も一定数居たが、それは本当に少数派でほとんどの地下の人外の住人たちは萃香らのように自分の求める理想をただひたすらに貪欲に掴もうともがき苦しんでいた。
私はここに来てようやっと、眩暈を起こす。
どうしたの。こんな世界の終わりみたいなことって、ある?
お姉ちゃんの持っているフィクションの小説とか、作家さとりの世界なら在り得るけれど。
もしかして旧地獄の地下の濁った空気が変異しておっかないウイルスに変異したとか。
だとしたら、ねえ、だとしたら
私は蜘蛛の糸にでも縋るようにそんな一端の希みをスカート越しに握りしめて、いつも行き来しているのにいつだって目が眩むような眩い陽が視界を突き刺す地上へと脱出を試みた。
言い得て妙だが、何の冗談か地上は地下と同じく、いや下手をしたらそれ以上に地獄のような惨状が広がっている世界だった。
まず私が最初に地上の森林の中で出会ったのは人喰い闇妖怪のルーミア。彼女はレア状態の血の滴り落ちる新鮮な人間の解体された四肢や内臓の類を、周りに寄って来た数匹の野生獣や妖獣や蝿を押しのけてガツガツと血肉を貪り喰らい、口からはボドボドと鮮血や肉の筋を落としながらまるで極上の肉汁滴るステーキを頬張るかのような至高の満面の笑みを浮かべる。
「うっ。」と思わず私が大きめのえずく声を漏らすと、ルーミアはほんの0.数秒だけ私の方へと狩人のような鋭すぎる目線を送ってきたが妖怪同士だからか私の事なんて気にせずにただ七つの大罪の暴食の如き食いつきぶりを私にずっと披露し続けていた。
ルーミアの鋭い視線と真っ黒な虚ろ目を感じた時、「お前も喰うかー?」なんて提案されたらどうしようと一瞬不安に思ったがどうやら全然、私の杞憂であったらしくとても深い意味で胸を撫で下ろす事が出来た。実質、妖怪は人を喰らう恐ろしき存在だし私もそうしようとすれば人肉食に切り替える事は出来る、が、全ての妖怪がそれに当てはまる訳では無く、私達という存在は人外で人成らざる怪異ではあるがある程度の理性は残っているのだ。
私は食欲に正直に生きる事にしたルーミアをほんの少しだけ引いた立場で見てしまい、そのままついさっき繰り広げられていた生々しい以外の感想が湧かない現場を何度も想起させて胃をムカムカさせながら吐き気を堪えて幻想郷の人里まで早歩きで向かった。
人里も人里で、みーんな自分のしたい放題やりたい放題の狂い乱れた世界になっていた。
ほんの少しでもまともな、と、数分前まで愚直に信じて生きてみた自分を呪いたいほどに欲望願望まみれの世界。
地下よりも性交や自慰に没頭する者の割合は増え、お金持ちの家は何遍も何遍も自分の手に余る有り金を数え終えては再びそれを最初からやり直してみたり、何もせずにただひたすら虚空を見つめ続ける者も多く居たり、まるで歌手になったかのように近所迷惑な大声で歌を歌うお嬢さんや、もう焦げて真っ黒な料理の釜を木の棒でぐつぐつと煮込み続ける主婦が居たり・・・・・。
虚ろな目の里の人たちは、かつて私がお散歩のときに確かに視た〝日々仕事や家事や雑用や人付き合いとか大変だけど、だからこそ楽しみも生きがいもある。〟という人間という種の有るべき生きるという姿を失った、欲とエゴにハンドルを握られた生き物に退化してしまっていた。
「はぁっ・・・・。」
私は私を気にせず通り過ぎる人、ぶつぶつと自分の栄養になる言の葉しか喋らない人、その場に留まり続ける人をまるでベルトコンベアが流れていくように見放していって、まぁ、元々私はこの場所でも透明な存在だったからわりかし昔と今も僅差はないかしら、と謎の妥協をしてフッ、と自嘲気味に今を笑った。
そういえば、さっきから気になってるあの声。
人里の斜め向かいの山奥当たりから聞こえる、大から小までの音量調整がまるで一定されて出来ていない不協和音にも聴こえる「イ~ヤ~ッホ~~~~!」というやまびこは間違いなく、命蓮寺の響子ちゃんのものであろう。
「行ってみてもいいかな。」
私はもうまともが存在していないことは百も承知で久々に懐かしの命蓮寺へと向かった。
そうしてやはりやまびこの正体であったどす黒い虚ろな目の響子ちゃんだった存在に挨拶も交わさず、そのまま彼女の拡声活動を見守りながら命蓮寺の敷地内へと入った。
人っ子、いや、妖怪っ子一人の存在も感じさせないほどがらんとした静けさが命蓮寺をまるで結界のようにして取り囲んでおり、もしかしたらここの主であるあの人さえも居ないもぬけの殻と化した廃墟かもしれないねと半ば諦めの精神で命蓮寺のお堂正面入り口の木製の階段をゆっくりと一段ずつ昇っていく。
「・・・・和尚さん。」
かつて私が毎日生きる意味さえ見いだせず、夢も希望もなんにも存在しやしない無意識の毎日に華を咲かせてくれた人、闘いこそが生きるということであると、そして私の生まれ変わりや理に到達する可能性を見出して命蓮寺の在家を許可してくれた御仏のような恩情溢れる大人の大魔法使い・聖白蓮は命蓮寺のお堂の中心部でこれ以上の幸せは存在しないといった金色に光り輝く大仏様のような穏やかな笑みを湛えて座禅を組んで微動だにその場から動かない「静」の極地と覚りの到達目標に達したような姿であった。
「和尚さん、お久しぶりです。古明地こいしだよ、覚えている?」
私は闘いの件以降、しばらく通い詰めていた命蓮寺の聖白蓮をいつの間にか「和尚さん」と愛称で呼ぶようになり、そんな調子のいい私を命蓮寺の皆は手厚く歓迎してくれて、束の間の交友関係の輪が広がった。だが、結局は
「・・・・貴方もそっち側に行っちゃったんだね。でも、なんだかおめでとう。そしてありがとうございました。」
私は聖白蓮に深く参拝するかのようにお辞儀を数秒間して、悲しい気持ちで命蓮寺を後にした。
そしてまた、私は行く先も無く人里の辺りをうろついて、いつもはこの時間帯に大道芸や人間に友好的な妖怪たちが出店を開いている大広場へと足を運んだ。
するとそこには昨日の昼にでも行って今日撤収予定であったのか高台の能舞台がほぼそのままの形で放置されており、その高台の根元にはこれもまた良く見知った顔である秦こころが木造の足に背中をぴたりと付けながらその場に両手をついてだらりと地べたにしゃがみ込んでいた。
こころとはどこぞの山の河童のように「盟友」と呼ばれからかい合うようなそんな腐れ縁のような不思議な友好関係であり、皮肉的ではあるが今日に限ってやけに私の会いたいあるいは懐かしい人たちと巡り遭う事が出来るなと自分の運の強さに辟易をしてしまった。
「・・・。こころも居たんだね。ね、そこでなにしているの?いつものお面セットは?」
こころは虚ろな目で、私がそう言ったからではなく自分のペースで瞬時に瞬きする間もなく喜の感情のお面を出して自分の顔に装着し、彼女のカウントする詳細な時間は分からないが今度は哀の感情のお面を出して自分の顔に装着してそういった数百種以上もあるであろう感情のお面を一定時間で交換して被ってを繰り返しその場から石像の様に動かない誰にも邪魔されぬマイペースな幸せの世界に入り浸っている様子であった。
そしてこころをよく見て見ると「お。」と思った。
こころはいつもは無表情なのに口元が緩んで笑っているように見えて、でもよく見るとそれは頬の皮と口元の皮を乱雑に赤い糸で裁縫した結果の賜物であった。
「笑顔の面が一番のお気に入りだって、言ってたもんね。」
私はもうとっくに精神的にも疲れ果てていたが、こころの視線に合わせていた重い足腰を「よいしょ。」と乾いた元気も生気も無い声で立ち上がらせて、数回ほど行ったことのある紅魔館へと向かって行った。
いつもは無意識を操ったり、あるいは意識をしなくても無意識で生きる私だけど今日だけはこれでもかと存在感を意識し放って紅魔館の門番の前を通ってみたが、赤髪の門番さんは仁王立ちで直立したまま居眠りこそしていないし覚醒は十二分にしているが私のことを完全完璧にスルーしてくれたのでその場をやり過ごせた。
そうして「お邪魔します。」と今までさえ館の頭首であるレミリア・スカーレットの了承を得たことは一度だって無いというのに律儀に敬意を込めた入場宣言をして私は真っ赤に血塗られたような外壁の吸血鬼姉妹が牛耳る紅魔館の中へと侵入した。
入ってすぐに、館の各階に繋がる地霊殿よりも大きなロビーにはいつしかかなり昔にほんの数回ほど遊んだりお話したりして少しだけ価値観の方向性に違いを感じて自然に距離が離れてしまった顔見知りの子、フランドール・スカーレットがなにやら銅像やテーブルやイスやジャンボサイズの熊のぬいぐるみなどをメタメタやグチャグチャに破壊しながら「きゃはははは!」と心底楽しそうに独り虚ろな目で壊滅的なおままごとをして遊んでいた。
「ぎゅぎゅっとしってっ・・・・ドッカーーーーンッ!!!」
フランちゃんは私の知らない内に新たな能力開発を成功させたらしく、その対象となった哀れな妖精メイドの一員はフランちゃんの破壊術によって跡形も無く粉微塵になって赤い霧になって世界から消え去っていった。
「あはははははは!これこれっ、これっ最っ高~~~!おもしろーーーい!」
フランちゃんはようやく自身のフラストレーションや内なる抑えきれぬ狂気を解放できたことに永久の悦びと身震いを続けていたのであった。
そうしてその爆発に巻き込まれないよう私は慎重に、そして適当にロビーの階段の1つを選択して昇って行き、広大な紅魔館の静かな館内を特に何の感情も抱かずに見て回った。
その末にどうやら運良く当たりの部屋であるレミリア・スカーレットの主人室まで辿り着けたようで、ガチガチに緊張して入る事も優雅に気品ある振る舞いをする事も無く私はただ単に素の自分の状態でその部屋の無駄に細長い豪勢な白い装飾だらけの扉を開いてみた。
時刻はまだお昼をちょっと過ぎたくらいだというのに、室内はなんだか青白く包まれているような光の加減を保守し続けており、まるで月の光が差し込んでいるようなそんな幻想的な空間を醸し出していて部屋の中央部にはぽつん、とわりかし大き目の立派で真っ黒な棺桶が安置されており、私はその棺桶に眠る住人の顔を一目見たくて好奇心一択を取ってその棺桶の手前まで歩いて行った。
棺桶の中には、薄々分かってはいたが紅魔館の主であるレミリア・スカーレットが目を閉じながらまるで白雪姫のように目覚めることのなさそうなくらいに穏やかな顔で休息しており、その身の周囲をびっしりと囲むようにまるで小さな祝福の白い鳩の形にも見えるサギソウの花が満遍なく敷き詰められていた。
それからよく見ると、レミリアの棺桶の左側には紅魔館の可憐で神経質なメイド長でありレミリアの右腕や従者である十六夜咲夜が仰向けで自身の所持物である懐中時計の蓋を開いた状態で右手に握り空に向けるように掲げながらただじーっと、どういうカラクリなのか高速で円周軌道を続ける時計の長針と短針を、どこか刹那を感じるような表情と微小な微笑みと虚ろな目を顔に描きながらそこに寝そべっていた。
「偉いね。」
私はそんな、世界が乱れ崩れてもお互いに近くに寄り添っている主と従者の関係性と距離が近いようで棺桶という死の匣の薄壁一枚に隔たれた結論は価値観がずれているような歪な愛を見てもう此処もいいや、と胃もたれのような感覚を覚えてまたゆらりゆらりと紅魔館の門前まで歩いて行き、外の新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。
どこも、誰も、全ても、余すことなく気持ちいいほどに狂っちゃったみたい。
私はこんな狂った世界で今後も生き続けなくちゃいけないのかな、と、あるいは私が異常で私が最初から狂っていただけだったの?なんて誰に聞いても返事も正解もない一人問答を続けた。
そんな時、私の頭の中に「これは言うならば〝異変〟だわ」という文章が横切って、そこで何か
に気が付いた。
異変・・・・異変なら、そう!あの二人が居るじゃない!そのための仲良しコンビじゃない!
私はその場に居ても立っても居られずにすぐさま激速で幻想郷一有名な神社へと向かった。
あの人間なら、博麗霊夢ならこの異変を何とかしてくれるに違いない!
私はここに至るまでに傷付き鉛の様に重かった心と身体に未来への希望の糸口という活力を漲らせて再三、己の心を奮わせていった。
「巫女さーん!?素敵な巫女さんはいますかー!?」
私は博麗神社の赤い鳥居をどちらの足から入るとか二礼二拍手一礼だとかそんな細かな礼儀作法を記憶の隅からほっぽり投げ出して神社に着くまでの長丁場であった石段で負った体力の限界値と息切れをものともせずに大声で神社の本殿へと直行し襖を思いっきりピシャン!と開放した。
そこには私に背を向けて神社の本殿に季節外れの炬燵を持ち込んで座っている博麗霊夢の後姿があり、私はその紅白のリボンが一瞬でも目に映った、たったそれだけで涙が込み上げてきそうになった。
「ねえ霊夢!聞いてよ!幻想郷中のみんながおかしくなっちゃったの!狂っちゃったの!だから、助けて、お願いっ!!」
私の声帯が張り裂けそうな程に異変解決の申し入れをしても、霊夢はぴくりともリアクションをしない。
「ねえってば!」
私は霊夢の前方に回り込む。
「あ、。」
霊夢の目は虚ろで、今まで見て来た誰よりも真っ黒黒で・・・・。
いつも強気で人も妖怪も幽霊も関係なしに引っ張りだこで幻想郷中の人気者だったはきはきとしたその巫女はもう生気の抜けた人形のような、そんなもぬけの殻のような感じで。
霊夢は炬燵の上の木皿に三角の山を形成している煎餅を乱雑に二枚掴み取って口に運び、バリバリ、ボリボリと食べながら本殿の天井かその継ぎ目辺りかどこを見ているのか分からない視線で虚無を見ていた。
そうして霊夢は腹ごしらえが済んだのか、満足気な無表情を浮かべて炬燵の中に半身を突っ込んでそのまま昼寝を始めた。
「あはは・・・・参ったなぁ、これじゃ・・・・」
終わりだ。
こんな終わり方じゃあ、もう滅亡しか考えられないよね。
いや、でも待って。まだもう一人、魔理沙が残ってる・・・・。
「今度こそ大丈夫、きっと上手くいくわ・・・・きっと・・・・ね、」
私は今度はキノコだらけの魔法の森へと、もう失望したくないと訴え叫ぶ鈍重な足を引きずりながら向かい、魔理沙の家の扉を音が聞こえるようにノックした、が、返事も開錠に迎えに来てくれる足音すらもいつまで経っても聞こえはしなかった。
だから私はもう腹を括り覚悟を決めて魔理沙の家の扉を開いた。
たったそれだけのことで、別に重くも何とも無いその最後の扉に謎の重量感を感じつつも、扉には鍵がかかっておらずにすんなりとまるで私を中に招き入れているかのように簡単に開いてしまった。
「入るよー・・・・」
まず、玄関から最初のステップである居間の真ん中に立ってみるが、誰も居ないし食器やスプーンやフォークやナイフ、筆記用具などありとあらゆる日用品がごちゃごちゃに散乱している混沌とした一角となっていた。
そのまま、不可能に近いがなるべくそれらの床に散らばった物品を少しでも傷つけないように踏み越えて、足を前に出す毎に鳴るミシミシという床材の泣き声を耳に入れながらその奥の部屋に行ってみると、そこに魔理沙は独りで居た。
魔理沙はまるでお姉ちゃんの様に、ああでもない、こうでもないと単調な切り裂き作業は一切行っていなかったがただひたすらに無言でその部屋の中を粒子の粒が狭い四角形の中をゴールも行き場も無く壁に当たれば反射して向こう側の壁に飛んでいくような感じで魔法の研究を続投し続けていた。
あっちにいっては付箋が数十枚も顔を出している百科事典のように分厚い自分の手記に魔法や魔術関連の呪文や実験結果の内容を達筆で書き、こっちにいっては何かゴトゴトと煮込むような音が聞こえる茶色の大きな水瓶を大きな棍棒でリズム感を付けて手際よくかき回し、そっちにいっては得体も知れぬ鹿の角が生えたような甲虫や謎の紫色に光り輝くゲル状の生物の入った飼育瓶を眺めてほくそ笑んだり、とにかく彼女は忙しそうだった。
「ねぇ魔理沙。魔理沙は私の事、おぼえているよね?ほら、もう昔だけど弾幕ごっこもしたし、何回かこうしてお邪魔して助手ごっこもさせてくれたじゃない。」
「・・・・・。」
魔理沙はお前なんか記憶にないどころか眼中にさえ居ないといった感じで魔法の探究に無我夢中であり、それはもうその人の趣味や使命というより魔法使いが逆に魔法という人を狂わせる魔物に操られているような、そんな心が苦しくなるような姿だった。
「魔理沙!もう私のことなんか1ミリも覚えていなくたっていいわ!だから!だからお願いだから助けてよ!みんなみんなみーんな!私を置いてどこか遠くへ行っちゃうのやだ!怖いの!」
私はもう泣き縋りつくようにして魔理沙の背中目掛けてどさっ、と抱き着いてそのまま脱力するかのようにずるずると魔理沙の白いエプロンを命綱のようにがっしりと掴みながらその場にへたり込んだ。
そんな私を気にも留めずに魔理沙は魔術の作業を続けていると思いきや急にその手を止め、何かに気が付いたかのように口を軽くぱかっと開けて虚ろな瞳孔を大きく開いた。
「魔理沙?」
その様子を見ていた私は魔理沙の微細な表情の変化に「もしかして」と淡い期待を寄せたが、次の瞬間には魔理沙は近くに置いてあったハンドメイドの手提げの木籠を右手に取って私が魔理沙のエプロンを掴んだままなのもお構いなしにドシドシと家の玄関まで歩いて行った。
私は相対的にそれに引っ張られるようにして、でもいくら物凄い力で振り回されようともこの手を死んだって離すものかと最後の意地を張ってエプロンにしがみ続けて、冷気を感じる魔理沙の背中に声を掛け続けた。
「魔理沙!もうあなたしか居ないの!もうあなたしかこの世界を救えないの!だからお願い、お願いだから目を覚ましてよぉ・・・・!」
数秒もかからずに私と魔理沙は家から外に二人で外出し、それからすぐに魔理沙はくるっと私の方を向いて「邪魔だ。」と声がしそうな顔を浮かべて右手一つで私をバシッと強く払いのけた。
その力が予想に反しあまりにも強すぎて、私はその場に背中から地面に直接転倒してしまい、「痛いっ」と生理的な声を出してしまう。
魔理沙は二度も私を見ることは無く、そのまま魔法の材料を調達しに行くのかスキップでもしそうなわくわくとした足取りであっという間に森の中へとその後ろ姿を消して行ってしまった。
私は独りきり、虚ろになりかけてもおかしくない眼球で空を恨めし気に仰ぎ見て背を伸ばし、そのまま前方向へと折り畳まれるようにしてベシャッ、と湿気でぬかるんだ土へと両手をついて平謝りするような姿勢で真っ黒な土を黙って見続けた。
「私はこれから、どうすれば・・・?」
何が原因?
何が皆を狂わせたの?
この事件は異変は異変だけど、そうじゃない、もっと違う分類のやつだ。
例えるならマキちゃんが言ってたような
はっ、と私はそこでようやく。途轍もなく遅すぎるが気が付いてしまった。
「全部。私のせいだ・・・・。」
お前のせいだよ。この
そんな私の無意識から来る痛烈な有罪判決は私の頭と心臓をきりきりと痛めつけた。
私は確かに願った。
マキちゃんに、皆を無意識にしてほしいって。
その報酬としてみんながみんな、自分のやりたいことだけを無意識に追い求める廃人になるという最悪の恩恵がもたらされた。
「私がみんなの意識を、みんなの未来や日常を奪った・・・・?」
疑問符を浮かべなくても。そして苦し紛れすぎる認知を回避したい意識を通り抜けてもその応えは「はい」だけしかない。
「そんな。」
私は純粋無垢すぎて、利己主義すぎて考えもしなかった。自分の言葉1つ。ただそれだけがこんなにも世の中をひっくり返して模様替えをしてしまう重大さを。
私の1言、たったの1言だけがこんなにも世界を揺るがして崩壊させて修復不可能にしてしまうことを・・・・。
私はいつしか地霊殿の中でキャッチボールをしていた時に粉々に割って結局廃棄してしまった七色のステンドグラスのことを思い出していた。
ああ、こんなことになるんだったら、こんなにも後悔してもしきれない終わりになるんだったら、もっと早くに誰か私を叱ってほしかった。
お姉ちゃんに叱ってほしかった。
『こいし、あなたは少し我儘な気があるから自省しないさいね。』だなんて、私の妄想が造り上げてくれたお姉ちゃんの愛しい怒った表情が脳内に浮かぶ。
また私、人のせいにしてる。みんなわたしの心を受け入れてくれない、ほんとうの私を視てくれやしない・・・・全部全部今だからこそ解る、都合のいい驕りだ。
だからこうなっちゃったのに。ほんと、愚者の言葉がお似合いな私だ。
すると今度は、寒くも無いのにがくがくと震えが止まらなくなり、私の視界に入る土・木々・青空・自然の風の音など全てがどうしようもなく怖くなって私は気が付けば満身創痍な身体と精神で、血の気の更に引いた顔でよろよろと立ち上がって何処に向かうでもなくなるべく人と会わない森の奥深くへと向かうために猛烈な勢いで走り始めた。
私もみんなのように何も考えないで無意識に踊り狂えたらどんなに幸せだろうか。
ああ、これはきっと意識がそこにありながらも無意識に依存して他者を愛するのを辞めてしまった私への罰なんだ。
私はそうしてもう何も考えたくも見たくもなくなって、どこにいるのかも分からない森の奥地で横向きになってまるで胎児の様に体を軽く折り曲げて眠くなくても目を閉じた。
その状態で不動を貫き通してちょうど1週間が経ち、もうすっかり私も皆と意味は違えど目を灰色にしたような黒い霧が立ち込めるような心持ちでいたが、何かが私を突き動かすかのように芽生えて私は再びその場からだるい身体をむくりと起こして、その際に避けられない痺れを感じたり筋肉痛になった肉体に不快感を感じたがそんなのはもう余裕で通り越せると、ほぼ遭難状態で地上から地底へと戻る、帰宅する決意を固めて歩き出した。
その境地に至った理由は至極簡単で、またお姉ちゃんに会いたいから。それだけだ。
私から会う権利も、お姉ちゃんが顔を見合わせてくれる道理ですら存在しない、そんな罪深すぎる私だけれども、でも会いたい。お姉ちゃんに会いたいの。
こんな世界にしてしまって、全てを崩し跡形も無く壊してしまってからようやく気付いた。
私は愛が欲しかった。
そしてお姉ちゃんに愛してほしかった。それだけだったんだ。
「お姉ちゃん・・・・お姉ちゃんに会いたいな・・・・。」
私は途切れ途切れのモールス信号のように「お姉ちゃん」と連呼し、それを心と身体上の動作のエネルギーにしながら丸二日くらいを森の中で彷徨い続け、やっと見慣れた開けた場所へと到達してそこから地上と地底を結ぶ排気口のような縦穴の前まで辿り着くことが出来て、そこでぴたっと私の足は停止した。
「・・・・・。」
降りるのを、怖がっている?
一人会話をしているつもりではないけど、そんな思考が私を試してくる。
縦穴からビュンと風が飛び出してきて、私の前髪と帽子が軽く揺れる。
すると頭の中が冷まされたみたいになんだか冷静になることが出来て、ついでに考察を考えるほどの余裕がほんの少しだけ生まれた。
無意識とはなんだろうか。
なにも哲学者を気取っているんじゃない。ただ、個個の心が、幻想郷に住まう人々と幻想少女達の身に舞い降りた本能と本質の解放の結末を見るに、私は無意識とは破滅を導くものではなく、かえって生きとし生けるもの全ての心を救済する鍵なのではないかと、その鍵を手に取れて扉の先の幸福しかない世界に行けたみんなは世界一の幸せ者なんじゃないかと思える。
「・・・じゃぁさ、私の〝願い〟は間違っていなかったってことだよね。だってそうじゃない、幸せに間違いもなにもあったものじゃないんだから」
でも結局、願いを叶える前も後も私は皆から取り残されて独りぼっちなのね。
「すごいじゃん、私。私、世界を変えちゃった神様になっちゃったよ」
・・・・そうでも思わなきゃ、この場に真っ直ぐに立っていられない。
解ってる。
本当は解ってるの。私のやった収束の付かない悪事を。
ごめんなさい なんて軽い言葉じゃ済まないこの世界を。
「神様だって。何を言ってるんだろ、私って。」
おこがましいにも程がある言葉遊びをして、私は自分を軽蔑し嘲笑うかのように口元を尖らせた。
そしてようやく観念して縦穴から地底へと降り立つのであった。
特異な意味で無法地帯と成り果てた地底と旧地獄街道を通り、飽きずに密接している動物たちを気にしないで階段をゆったりと上がって行き、私は1週間ぶりの我が家である地霊殿の玄関扉のドアノブを握って、ギイッ、と油の差していない音を鳴り響かせながら地霊殿の中へと一歩踏み出す。
今頃、お燐は人骨の高山の上で尻尾を振っていたり、お空は核融合炉の実験施設を拡張させていたり、お姉ちゃんはまだあの部屋で終わりの見えない刺繍作業をしているのだろう。
それでも別にいい。もう意識が戻らなくたっていい。
私はただ大好きなお姉ちゃんにまた会いにここまで来たんだから、後悔は無い。
「ただいま。」
私は入る手前も入った後も俯いた顔で、自分の耳で聴いても惨く陰鬱で暗い声を発して帰宅の挨拶をした。
すると、私の視界の上部にお姉ちゃんが普段履いているスリッパのつま先の部分だけが見えて、思わず、ガバッ、と顔を上げて見るとそこには私の事を出迎えて待っていてくれたかのように虚ろな目をしたお姉ちゃんが立っていた。
「こいし・・・・。」
「お姉ちゃんっ!」
私は私の名前を呼んでくれたお姉ちゃんに感極まって思い切り抱き着き、そこで初めて今まで溜まりに溜まった涙を放出し始めた。
「お姉ちゃん!怖かったよぉ、寂しかったよぉっ!!!」
わんわんと嗚咽を漏らしながらお姉ちゃんを深く抱擁して泣き続ける私のことを、お姉ちゃんは抱擁し返すことも手を握ることも昔の様に「よしよし」と慰めてくれることもなくただ私の悲しみを受け身のまま受け止めてくれていた。
「お姉ちゃん、私、これからどうすればいいの!?私がみんなの幸せを奪った!私がみんなの明日を消してしまった!そんな世界でどうすれば私は許してもらえるの・・・・?」
私はお姉ちゃんの両手を自分に再編集するように繋ぎ合わせて涙を零し続けながらがくん、と今まで気を張っていた分の力を脱力させて膝をぺたん、と床に置いてお姉ちゃんに支柱のようにもたれかかった。
「こいし・・・・。」
お姉ちゃんは再開してから全く変わらない自動再生のようなトーンの無機質な声で私の名前を呼び、今度は私の右手を自分の左手で痛いぐらいにぎゅうっ、と強く握り締めてそのまま私に背を向けて何処かへ私を誘導しようとしているのかそのまま歩き出していく。
「お、お姉ちゃん?ちょっと痛いよ、どうかしたの・・・・?」
私に振り向きもせずただ「いいから黙って付いてきなさい」と背中で語るお姉ちゃんに、私はお姉ちゃんはなにか私に大切なことを伝えたがっている、という姉妹特有の勘をただビリッ、と感じてその勘を頼りにして絶対にその手を離すことなくそのままお姉ちゃんに手を引かれていった。
そうしてお姉ちゃんに連れられた先に、私が変化させてしまった世界の朝に初めて見たあるいは私の願いによってある意味で生まれ変わってしまったお姉ちゃんが居た、願いが叶う前と叶った後の境界線の原点とも言える普段使用もしていないどころか存在すら曖昧だった小部屋があった。
まるで道端の何の変哲も無い小石が急に大火山にでも成るかのように、今の私にとってはその小部屋とその扉は特別で存在感しか感じないものに視えていた。
「こいし・・・・。」
お姉ちゃんは扉の前に立ち、くるりとようやく私の方を向いてこくり、と軽く私に何かを合図している。
「開けて、って意味?」
わたしのその問いかけにお姉ちゃんはそれ以上何の挙動も示さずにただ虚ろな目と無表情で私を視察し続けていた。
「分かったよ。開けるね。」
私はお姉ちゃんの手を強く握ったまま、少しの歩幅を歩きお姉ちゃんのすぐ側に並んで、小部屋のドアノブをガチャリと鳴らしてすぐに扉を開いた。
すると私の開錠によりお姉ちゃんの行動制限が解除されたのか、お姉ちゃんは再び私の手をふんわりと優しく、だけどしっかりと握って私を部屋の中へと連れ出すように招き入れて自分が先陣を切って進んでいった。
最早懐かしみさえ感じる細長い狭い部屋の中に広がる繊維と糸屑の海を越えて、ステンドグラスの七色の日光に照らされた木製のテーブルまでお姉ちゃんに引っ張られながら辿り着くと、お姉ちゃんはそこでするっ、と私の手を優しく離して私の方へと顔を横に向けてきた。
「こいし・・・・。」
私はお姉ちゃんのその無表情で変わらない虚ろな目が、気のせいであるのは確かだけれど微笑んでいる時のような顔色に見えた気がした。
木製のテーブルの上を覗いて見ると、私が最初に見た時よりも綺麗で数点の物しか置いていなくて、そこにはスケッチブックに濃い鉛筆で「こいしに似合う手袋の作り方」と書いてあり、その下には細かすぎる手袋の直筆の設計図があって、さらにその下には「私よりも小さな手のひら」という補足説明と「こいしへ お誕生日おめでとう! P.S.いつもありがとう。」という加筆された二つの文章が書いてあった。
そしてそのスケッチブックの下方にはテーブル上の主役と言わんばかりに綺麗に裁縫され刺繍された可愛くて素敵な黄緑色の二枚一組の冬用の手袋が置いてあった。
「あ・・・・。」
私は思わずそう漏らし、口をぎゅっと噤んだ。
「こいし・・・・。」
お姉ちゃんは変わらない口調で私の名前を呼び、贅沢を言うのならば「お誕生日おめでとう!」の文字を直接、その口から聞きたいと私は切に願ってしまっていた。
「なんだ・・・・あった・・・ない・・・・、」
気付いたら、ぽと、ぽと、とスケッチブックの画用紙に書かれている1つ1つの優しい言霊の上に、私の涙がしみを作って黒くぼんやりと滲んではぼやけていっている。
なんだ。あったじゃない。
しかもすぐ近くに、こんなにも近くに私の欲しい
私が探そうとしなかっただけ。私があの時、お姉ちゃんを怖がらないでお姉ちゃんにそのまま寄り添って、スケッチブックの上に重なっていた布切れを少しでも捲りさえすれば、すぐにお姉ちゃんの想いを、愛を受取ることが出来たというのに。
なにもスケッチブックとか布切れとかじゃなく、私は今までお姉ちゃんに対しても誰に対しても「向き合う」ことをただひたすらに避けて、逃げて、全てを人のせいにしてきた。
意識とか無意識とか関係なく、私が私を見つめて愛さなければ人も愛せないしこんなにも大きな愛情を受取ることは出来なかったんだ。
失って今。失ってから今更、本当に愚かなほどに今更ようやく大切なものに気が付けた。
でももう、遅すぎる。一度でも桶から流れ出た水は、もう元の状態には戻らないのだ。
「あぁっ・・・うああ、あ、ああああああああああっ!!!」
「こいし・・・・。」
私はその場に崩れ落ち、鳴り止まぬ慟哭を始めた。
帽子越しに頭を抱えながら泣き喚き、もうお姉ちゃんの抱擁も笑顔も何気ない「おはよう」も出来ない残酷な現実に頭が狂いそうになる。
「お姉ちゃん・・・お願い、一生のお願いだからぁ、っ・・・・もう一度笑って欲しいの、もう一度私を抱きしめて欲しいの、もう一度また添い寝して欲しいの、もう一度またずっと昔みたいにね、仲良くなりたいの・・・・何度でもいいから、うるさいだなんて我儘言わないから私を叱って欲しいの・・・・・・。」
「こいし・・・・。」
私は涙でごちゃごちゃに歪みまくった視界からお姉ちゃんを見上げたが、その顔はきっと変わらぬままだ。そして、こんなにも白いはずなのにテレビの砂嵐のように見える涙によるノイズな視界は、これから先も私がお姉ちゃん見て泣くたびに巻き起こる消えない贖罪と最低な罪の証明となるだろう。
「うあああああああん!あああああああああっ!!!」
「こいし・・・・。」
笑いたい?
なら、嗤え。
◆・・・Q.E.D.
私の心からの願いによって、世界が変わってしまったその日から33年11ヶ月22日と11時間44分の時間が経過しました。
そこで今日は、私の大好きなお姉ちゃんの手を取って二人きりで寒空の下、ピクニックに来ています!!。
もちろん、今年も愛用しているお姉ちゃんの誕生日プレゼントの黄緑色の手袋を嵌めて。
ここは私とお姉ちゃんしか知らない、幻想郷一面を見渡せる見晴らしのいい丘であり、最期の絶景です。
あの日からみんな無意識の世界に行ったっきりで、それでどんどん比喩でも何でもなくみ~んな、灰色に変色して黒色に変化してくたばっていったりそうはならなかったとしても動けなくなったりして土に還っていきました。
私とお姉ちゃんの心安らぐホームであった地霊殿も地底世界も、というか旧地獄の全てがお空の身投げによって完成した究極の核融合炉の暴発によって崩壊して崩れ落ちて、今地底にあるのはマグマの業火の海だけに成っちゃった。
私とお姉ちゃんはいち早くそれに気が付いて地上まで逃げれたけど、私達以外のお燐や他の地底の住人たちはもうお空と一緒に新しい世界の血液の一部になっているよ。
そうして姉妹揃って初出場した地上も地上で煤けた空気を纏う世界に成って行っちゃって・・・。
まぁ今更だよね。元々おかしな歯車の取れた世界だったんだから。
そうそう、ここ数十年で私も進化したの。
以前はお料理もお掃除も洗濯も裁縫もぜーんぶお姉ちゃん任せだったけど、もう私がこうして必ず四六時中手を繋ぎとめて歩いたり逐一指示を出さないと着替えもお風呂も食事の時間も全部ぜーんぶ出来なくなったほぼ廃墟になったお姉ちゃんが居る今、私がなんとかしなくちゃ、しっかりしないとと思った結果に皮肉だけれどお姉ちゃん以上に家事や料理やその他にも色んな物事の達人になっちゃった!
お姉ちゃんに「やればできる子ね。」って褒めてほしかったけど、
あいにく、「こいし・・・・。」って無機質にしか喋れなくなったお姉ちゃんだからそれは無理だものね。でも、私の名前を呼んでくれるだけで私はいつだってお姉ちゃんに褒められている気分にもなれるし、お姉ちゃんが無意識に犯された結果に私の名前だけが唯一無二として記憶に残ったのなら、それはそれでとても嬉しいな。
私の右手はお姉ちゃんといつも一緒だから、今左手にぶら下げているピクニック用のバスケットの中にはパンケーキやサンドイッチやおにぎりやとても新鮮なお肉の唐揚げやたくさんの彩り豊かなおかずが入っているの!!。
「でも、食べる時間は残されているのかなぁ・・・?」
私は「うーむ」と軽く唸って不満気に幻想郷の灰色の曇り空を拝み見た。
視線の先には、幻想郷の灰色の曇り空があちらこちらでまるで七色のステンドグラスのように区分化され、流血や血潮のような目に焼き付く夕日や見てるだけで吸い込まれそうな空虚で真っ黒な銀河や雲一つないにしては不自然に濃い目が痛くなるほどの青空や不快感しか感じないぐねぐねした雲と巨人の目のような朝焼けや、ありとあらゆるこの世の終末に視えそうな空の景色たちが、パリパリ、バリバリと誰かの手によってガラスが捲られるかのように出現していき、それに合わせて地鳴りと振動が次第に大きく波打っていく。
幻想郷の隙間賢者・八雲紫と幻想郷の重鎮たちまでもが無意識という病気に陥った結果の、この
「ねえっ!見てお姉ちゃん!世界が、あは、世界が1枚1枚ガラスをピンセットで削いでくみたいに割れて崩壊していくよ!とっても素敵で綺麗で最高でロマンティックな絶景だと思わない!?。」
「こいし・・・・。」
「夢見た世界を想像して、願って、無意識を創造しちゃってほんと、良かったぁ~。だってそのお陰様でお姉ちゃんとこんなにも美しい世界の終わりを見届けれるんだもの。」
「こいし・・・・。」
「うん。大丈夫だよ。心配しないで。私はお姉ちゃんと最期までここに居るから・・・・。」
私は涙をぎゅっと堪えて、お姉ちゃんの右手をただ強く、抱擁するかのように暖かい気持ちで握り締めた。
どんどんどんどん空は欠けて不愉快で怖気の走る景色に塗り替えられて、大地は私達を拒むように立って居られなくなるほどに激震を増していく。
諸行無常の鐘の声。
終焉のラッパと蒼い蒼い冷めた首無し馬の蹄の響き。
二度は触れられないからこそ尊く美しい愛の記憶。
・・・・・お姉ちゃんだけには生き残ってほしいなぁ。
数億年ぶりの独立したエゴ。
「あー、そういえば。おーい、マキちゃん見えてる?お願いだからお姉ちゃんだけこの場で助けてくれないかなぁ・・・・・・・・・返信が無いようだけれど、駄目?やっぱり無理かー。だって〝願いは1つだけ〟って言ってたもんねー・・・・・」
でも待てよ。
マキちゃんがここでお姉ちゃんを救っちゃったら、お姉ちゃんがマキちゃんのものになるみたいでなんだか嫌だ。
「ならば、てゆーか、お前なんかにお姉ちゃんを渡すものですか。お姉ちゃんは何があっても絶対に私が守るもの。例え私の身を犠牲にしてもね。ね、お姉ちゃん。」
「こいし・・・・。」
私とお姉ちゃんは午前11時55分の終着点の丘の上で、度重なる大天変地異の象徴である大地の激しいうねりと激震にいよいよ手繋ぎだけでは立っていられなくなり、その場でお互いに座り込んで向かい合う形で両手を繋ぎ合った。
「こいし・・・・。」
「ううっ、お姉ちゃんっ・・・・、」
ぽろりとまた零れる。
失いたくない。
永遠に、ずっと、お姉ちゃんと一緒に居れたなら・・・・。
もう何も願わない。
もしも、人生リセットボタンがあれば私が願いをマキちゃんに言わない未来が手に入るのに。
もしも、みんなを無意識にする!なんて独裁者みたいな発想じゃなくて私自身だけが孤独を望むのなら、完全完璧な透明人間にでもなってみんなから忘れ去られればよかったのに。
もしも、未来予知が使えたらこんな破滅の未来を回避できたかもしれないのに。
もしも、お姉ちゃんと私の二人ぼっちの世界だったらもっと早くにお姉ちゃんの愛に気付けたかもしれないのに。
もしも、私が何でも叶えられる神様だったのなら・・・・・。
もしも、もしも。
英語なら、IF,IF.
「だ、なーーーんてね。ばっかみたい。ねーお姉ちゃん。」
「こいし・・・・。」
「ぷっ、あはっ!はっ!くくくくっ・・・・・っひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!!!!」
世界中を包み込むかのように、アポカリプティックな背景音響が流れる。
『こいしちゃーん、姉妹お二人仲良く永遠にねー♥』
マキちゃんの声が耳元に聞こえたけど、もうそんなのはどうでもよくて、私はお姉ちゃんを確と自分の胸に埋めさせるように優しく力を込めて抱きしめながら、終わりを迎える世界で狂い転げるようにして笑い続けた。
【完】
◆■◆■◆■◆
『あひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!あははは!くくく、ひひひひ、あっはははははは!!!』
すっかり発狂してしまった幻想郷の妖怪少女の画面の前に、今回の実験結果の文字が表示される。
【operation title:unconscious paradise≒result...COMPLETED】
短縮的な物理演算の文字列が数分表示された後に、再度【COMPLETED】の大文字が狂気一色に染まり果てた古明地こいしの笑顔の前に大きく表示される。
その【COMPLETED】の大文字はまるで真っ赤な血液の様に色鮮やかでいて、しかしたとえ話ではあるが一度その身にその赤色が付けばもう二度とそれは取れないだろうと思えるくらいに毒々しく清らかな赤色であり、なおかつ長年誰の手にもメンテナンスがされていないため、モニターの劣化により【COMPLETED】の赤き大文字は所々がまるで干ばつ地帯のようにひび割れていて、そのおどろおどろしい雰囲気と見る者を拒み寄せ付けないような冷たい無機質な雰囲気が更にその文字の不気味さを演出させていた。
「ほらね?やっぱり面白かったでしょ?マキちゃんの
そう言って機械仕掛けのカミサマ・マキはかつて自分を創造し産み出してくれた
「もっと持つかと思ったけれど、案外呆気無かったね~。ま、いいや。もう終わった事だし飽きちゃったし。バイバーイ、こいしちゃん。」
マキはかつて接触し、一応形式だけでも知り合いではあった古明地こいしに未練も特別な感情も無くさぞ楽しそうに画面越しに手を振って、彼女の意思で古明地こいしの居る世界の映像が映るモニターを黒い砂嵐だけの単調な映像へと切り替える。
そしてザザザザザザというモニターから発生する耳障りな砂嵐音が鳴り響き、黒い砂嵐だけの単調な映像が映る単色なモニターにニタァと瞳孔を開きながら妖艶に残酷に、口元を吊り上げて嗤うマキの顔が映る。
かつて古明地こいしが映っていたモニターの周りにも数え切れないほどの同サイズのモニターがこの部屋には存在しており、その映像に映る全ての人物は性別・種族・世界を問わずにマキの〝願いを叶える〟という共通目的の標的となった者達である。
魔法と魔法少女が存在する世界で魔法少女に憧れて成ったはいいものの、その有り余るマジカルパワーを間違った方向に使用してしまいただの通り魔あるいは暴徒になってしまった女子高生。
世界最高の心理学者であるが、よりリアルに人の心が知りたいと願い、「心の眼」を手に入れたがあまりにも人間の本音がリアルすぎて世の中に絶望し自ら目を潰したはいいものの、視界が黒になっても「心の眼」は作動し続ける絶望の世界に囚われた男。
最後のラスボスである魔王を仲間たちと共に完膚なきまでに叩きのめして完全に勝利を収め平和な世界を取り戻したが、その後やっぱりあの時の仲間たちと再度冒険がしたいと望み、歴史が巻き戻って再びかつての仲間たちと心が躍る魔王討伐の冒険に出掛けたが自分の発言による仲間たちとの意見の食い違いにより友情や絆や信頼は解けて崩れていき、それにより仲間たちも数名が道中で命を落とし、結果、魔王討伐どころか世界中が魔王の支配下に置かれるバッドエンドの世界で泣き叫ぶ元勇者の少年。
・・・・その他にもありとあらゆる、惨劇、悲劇、哀話、ネジが外れてしまった世界、ブラックユーモア溢れる喜劇的な世界など、モニターの各々に映る者達は皆が皆、夢は夢で終わらせた方が良かったというのにそれを無理矢理叶えるから、叶えた後の現実演算など出来ぬ故に破滅を迎えていく。
そうして【COMPLETED】という死刑宣告にも似た文字が1つずつ〝願い〟という檻に囚われた囚人たちの前に表示されていき、その度にマキは古明地こいしの時と同じように「面白かった。でももういいや。」という素直な結論に至り、マキという絶対的なカミサマの意思でモニターが黒い砂嵐だけの単調な映像へと切り替えられて、願いを叶えた者の寓話はそこで終わりを迎えるのだ。
マキは対象者の願いを叶え、その対象者が願いを叶えた結末を一通り見届ければ後はその対象者がどうなろうがどんな人生を歩もうがどうでもいい事なのですぐに対象者とその願いもろとも全てを
最早、マキの動力源はリチウムやらイオンやら電池やらそういった機械科学的な言葉を抜きにして、〝願いを叶える〟という一点のみが彼女を作動させているあるいは生かしていると言っても過言ではなかった。
やがて研究ラボの部屋中のモニター全てが黒い砂嵐だけの単調な映像一色に染まり、無機質で暗い夜の闇の様な空間が形成されていく。
「・・・・、つまらないなぁ。なにも見えないや。」
そしてザザザザザザというモニターから発生する耳障りな砂嵐音が部屋中の無数のモニター1つずつから鳴り響き、それはまるで大合唱のように折り重なってまるで耳を引きちぎられるような轟音や爆発音に移り変わっていく。
「神様はこう言いました、『光あれ!』と・・・・でもこれって結局、全ての創造主である神様も願っちゃってるって事だよね?マキちゃん気が付いちゃった。」
マキは組んでいた両足をわざとらしく、ゆらゆらと揺らしたりぱたぱたと振りながら独りでそう言う。
「あのね、願いを叶えたキミ達が私の事を鬼だ悪魔だ人でなしだジョーカーだって言うのは全然構わないよ。だって私は機械だし、
マキはそう喋り終えて、まるでスリープモードに入ったかのように少しの間だけその眼を閉じ、顔を少しだけ俯かせる。
顔に変わらぬ嗤い顔を浮かべながら。
「願いあれ。さらば叶えられん。なんてね。」
マキという、今現在の表情を見るに精巧な機械人形でも成人済みの妖しげな美女でもない無限の世界線の渦中で独りぼっちの「少女」は、当人も気付かぬうちに〝みんなの願いを叶えたい。〟というそれこそ悟りの境地に達した孤の〝願い〟に愛され囚われている事さえ演算出来ぬまま、天高くまるで神の一声のようにして右手で、パチッ、とフィンガースナップをしてみせた。
するとその直後から今まで黒い砂嵐だらけだった部屋中に、ぽつ、ぽつ、と次々にまるで今まで消えていたイルミネーションが再興するかのように数百以上あるモニターに新たなる映像=新たなる願いの物語たちが展開されていく。
「君達が思う以上に、まだまだ私のゲームのストックは尽きることを知らないんだよ。」
マキは少しだけ声色を変えてまるで威厳ある男性の天才学者のようにお道化て見せた。
そして自身が玉座を務める背凭れの無い黒い革張りのイスの横側面を左手でふんわりと優しくなぞると、言葉通り神業といった感じでイスの形や素材や構成物質ごとを全て1から変換し直して今度は足が鉄の円形で出来た着席部分を360°を回転させる事の出来る細長いお洒落なイスへと変貌させ、くるくるくるくるとそのイスの短い鉄で出来た落下防止用の背凭れを両手でハンドルの様に掴み童心に満ち溢れた子供の様にうっとりと笑いながら部屋中に星座のように広がる願いたちを一望した。
「やっぱり、人や意識の在る存在っていいね。この世界に誕生したカミサマとしてますます君達に知恵と甘い果実を与えたくなっちゃうんだもの。」
そうしてマキはイスでの回転を終えて一旦落ち着いてから、ピクン、と何かセンサーが反応したかのようにこちら側のモニターへと非常にゆっくりとイスを回転させながら向き合った。
「ん?・・・・あれれ、な~んだ、すぐそこに居たんだね。マキちゃん気が付かなかったよ。これがヒトの言う灯台下暗しってヤツなのかな?」
マキはイスからストン、と軽い足取りで着地をしてこちらにコツ、コツ、と黒いシューズの靴音を鳴らしながら向かって来る。
そうしてマキはモニターの前に軽くしゃがみ込んで、モニターの向こう側へと自身の顔をドアップで近付ける。
その瞳は一点の曇りも無く、ただひたすらにキラキラとした、まるで子供が新しい玩具をプレゼントされた時のような光り輝いた瞳であった。
「ねぇ、ねぇ。画面の前の君。君の願いはなぁに?マキちゃんにだけ教えてよ。」
マキはうっかり心を全開にしてその運命や人生さえも委ねたくなるような、そんなフレンドリーな口調と笑顔でこちら側に尋ねてくる。
「さっきからだんまりさんだけど、もしかして恥ずかしいのかな?・・・・そうだねぇ、じゃあマキちゃんが君の願いを当ててあげようかな。お金?愛?美形な容姿?異性にモテまくりハーレム?気の許せる真の友だち?愛の有る家庭?病気にならない身体?有名人になってちやほやされたい?超能力者になりたい?二次元に生きたい?異世界転生して俺強ええええええええええええええ!したいかな?」
「なんだって叶えてあげる。」
「どんな不可能も可能に変えてあげる。だってマキはカミサマだもん。」
「大丈夫。そう思い悩んで立ち止まらないで。」
「願いに悪いも善いも汚いも綺麗も最初から存在しない、そんなのは考えるだけ机上の空論。そこにはただ欲望があるだけ。ただそれだけ。」
「君の願いを叶えてあげる。さぁ、その口から世界を変えてしまうような奇跡の願いを私に言って見せてよ。その代わり、クーリングオフは許さないし出来っこないからね♪。もしかしたら私が元居た世界で否定されたのも、全てはモニター越しに見えるキミ、君に逢うためだったのかもね~・・・・・。フフッ。」
マキは一通りそう言い終えて、自身が見つめるモニター越しから「うん!」とでも大満足したかのような弾ける満面の笑みを魅せ、再びその場から次の世界と
『そうそう、君たちに1つ、言い忘れていたことがあったんだった。』
『願っちゃうのはいいし大歓迎だけど、冗談と甘い汁はほどほどに。』
「ね♪。」
そしてまた、無数に無限に永遠に、人や意識や無意識が願いという際限無き欲望を持つ限り、寓話な誰も知らないおとぎ話は続いていくのであった。
【Now Loading.......】
【Trasfer next WORLD.】
【Carrying out a wish.】
【execution program name_____0/1】
【creater:Deus Ex Machina】
【Transfer completed.Good luck.】
■.